木枯らしのなかで

日本のドキュメンタリを、ひととおり見終わったら、なんだか、寂しい気持になってしまった。

ひとつにはインタビューに答える、街角で偶然出会った人たちが、「真実の言葉」で話しているからです。

なかには「ご職業はなんですか?」と訊ねられて、ふざけたつもりなのでしょう、「詐欺師!」と答えたりして、おにーさん、そのセンスじゃ世間を渡れませんで、とおもうような冗談にならない冗談を述べたりする人もいるが、少し目を逸らせて、「まあ、自分は膵臓癌になってしまったので、会社もいまはたいへんなので、病気なら辞めてもらいたい、というようなかたちですね」と微笑う、口元が凍っている。

丁寧のうえにも丁寧で、厚化粧におもえるくらいに丁寧語を重ねて話す内容は、現代日本語で「言い換え」が発達して意味を弱めて言葉を口にする習慣が蔓延した理由は、これか、とおもうくらい、悲惨を極めている。

迂闊なことに、十数年前に、いまのまま日本の社会を運営していくと、こうなるよ、と、日本語の友だちたちに伝えて、日本を去って、戻らなかったが、十年以上も経てば、述べたことが悉く現実になって、現実になれば、

いま画面を通して目の当たりにしている悲惨が訪れていることを忘れていた。

日本は経済ピラミッドの、いちばん下から、色が次第に変わってゆくように、貧しくなった。

ブログなんかで、何度繰り返し書いたって、誰も聴いてないのだから、当たり前だが、何度も何度も書いて仕組みを説明して、出来れば逃げろ、とすら述べたように、アベノミクスは、一種の貧困層から有り金を吸い上げるサイフォン装置で、そのうえに、自分よりも経済階層が下の人間は、なんらかの落ち度があるから下にいるのだ、という、無惨な思考の習慣を持つ日本社会の悪癖が重なって、公園で無料のお弁当を配る長い長い列の後ろで、マイクを向けられて、「まさか、自分が困窮者になるとは思いませんでした」と笑いながら話す、いかにもマジメそうな眼鏡の40代の人を量産している。

びっくりすることは、いろいろあって、ホストクラブが広まって、若い人で勉強嫌いな人にとっては憧れの職業であるらしいこと、若い女の人が性風俗産業で生き延びるのは、普通のことであるらしいこと、

どうもドキュメンタリ全体の様子から見て、そういう人ばかり選んでいる、というわけではなさそうで、ヒントは、インタビューの初めでは、昼間からビールを飲んでいることを照れて、「やあ、たまには、やんちゃしないと」と笑っていた人が、自分が好きなNHK番組の取材班だと判ると、

「ああ、あの番組の!それじゃあ、ほんとうのことを言わなくっちゃ。ほんとうのことを言います。実は肺がんで、あと数ヶ月なので、ここにいる女房と、ふたりで話しあって、もう好きなことをやっていいよねって、話になりましてね。

いちど来てみたかった浅草に北海道から来ました」と、やはり笑顔で話している。

奥さんも手で口元を隠しながら、ごくごく平静に、ええ、そうなんです、と、カメラを見ずに、呟いている。

泣きもせず、表情すら変えずに、淡々としています。

英語人のあいだでは、少なくともUK人やNZ人のあいだでは、日本人は人間性に乏しい、ということになっている。

ロボットみたい、という人もいるし、つくりものの表情に見える、という人もいます。

ほんとうに、自分たちと同じ人間なのだろうか?

失礼だから、口には出さないが、悪意というのでもなく、普通の常識として、「なにを考えているのだか、よく判らない日本人」は定着している。

自然にしている、ということが日本の人は出来ないのではないか。

それがですね。

街角の不意打ちインタビューでは、ぎこちなさはあるものの、自然の反応で、しかも答えている内容は、往々にして、こちらが涙ぐんでしまうような内容でした。

どうして、そんなに耐えることが出来るのだろうと訝しくおもえるほどの重さのある現実に耐えている。

さっき「日本の人の青い目」という記事を書いていて、明治以来、空想上の西洋の視点から世界を見ることが習慣になった日本の人たちの不運について書いていたが、書いているあいだじゅう、職を失い、住居を失って、病んで、それでも生きようとして路上をさすらう日本語人たちの顔がちらついて、書けなくなってしまった。

そんな文明の仕組みから来た矛盾と機能不全を、いくら書いたって、あのひとたちには、たとえ何かの弾みに目に止まっても、言葉は届きはしないからです。

そうして、その、言葉が届かない、悲惨のなかで悪戦苦闘している人達だけが、「ほんとうの日本語」と感じられる言葉を話している。

義理叔父は「フーテンの寅さん」という映画シリーズが大嫌いで、

「あんなものはクソ知識人が頭ででっちあげた『愛すべき愚かな庶民』で、まったく胸くそが悪くなる」と、なにも、そうまで言わなくても、とおもうくらい

、たいへんな嫌いようで、いちどなどは、取引を求めてきた会社の社長に、いったんOKですと述べていながら、専務だか常務だかが、実は、わたしどもの社長は庶民派でして、「フーテンの寅さん」が大好きなんですよ、と述べた途端、クルマを止めて、「オタクとの取引はお断りします。あんな贋物が好きな社長では、取引したって、ろくなことはない」と、その場でおっぽりだして帰ってきてしまった、という伝説まで持っている。

ぼく自身も映画は、なにより、退屈で、最後まで観られなかったが、

渥美清という俳優は好きなので、そこまで嫌いではないが、

なるほどインタビューに答えている人達は、フーテンの寅さんや「おいちゃん」の対極にいるひとびとで、関西ヤンキー風なバカ語を使いながら、考えは、深みの底に届いている。

どうすれば子供を育てていけるか。

どうすれば明日を食べていけるか。

必死に考える習慣があるからでしょう。

言葉に、現実の底から噴き上がってきたような透明度がある。

酔って、目元がぼんやりしてしまって、ちゃんと居酒屋の畳の上に座れなくなって、身を反らせながら、

「こおおおんな夜があるから、わたし、自殺やめることにしたんですううう。なんちゃって」と身をよじらせて笑いころげる、ひどい歯並びの「キャバ嬢」

少し上目遣いにカメラを見上げながら、ええ、もうこんな生活続けてると、食えねえッスから、とジッと、まるで自分自身を睨み付けるような顔になる、浅黒い肌の、痩せた、「建設業」だという、若い男の人

厳寒の秋田で、200円の蕎麦の自動販売機について、子供のときから、寂しくなると、ここに来るんです。人はいないんだけど、なんだか人のぬくもりがある、と話す女の人がいる。

日本にいたときに、話す相手を間違えたな、とおもいます。

倒錯した結論かもしれないが、日本という社会の希望は、この絶望から、あがき出て、子供を育てて、絶対に幸せになってやる、と決めた、

「幸福の意味」や「幸福は存在するのか」という疑問など興味もない人達にこそあるように見えます。

あるいは、すべてを諦めて、あとはこれまでの人生の痛みに静かに耐えて、終わりを待とう、と決めた、肩を寄せ合う老夫婦だけにある。

彼らは西洋を通して、いわば迂回して見つめた日本など、なんの信憑性もないことを、あらかじめ知っている。

「知識の毒」から自由な状態で、現実と、分け隔てるものなしで向き合っている。

なんだか、あんなに不気味におもっていた、両手で、中指と人差し指をパカッと開いてつくるピースサインまで、好もしくおもえるようになってしまった。

日本は、なにからなにまでアベコベだが、知識を持つひとびとの頭はカラッポで、魂すら置いてけぼりで、知識を持たない人達に叡知が宿る所まで反対なのか、と、唖然とした気持で考える。

それとも、知識がないふりをしているだけなのかも知れないね。

黙っているだけで、あの面白くもない冗談を口にして笑っている老人たちは、この世界の秘密を、なにもかも知っているのではなかろうか。

確かめに、また、日本に行ってみようかな。



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6 replies

  1. なんと言っていいのかわからないけど、娘達を身売りしてた時代から311に至るまで、東北の人達の辛抱強さ、みたいなものには
    語るべき言葉がない。
    あの、辛抱強さが、ガメさんの
    言うところの日本人の「ロボットの仮面の下のほんとう」
    な気がしてしまう。

    📺、「72時間』とか見たのかな
    あれ、いい番組だよね。
    みんな、生きてるんだな、
    って思うよね。

    また日本に来てよ。
    待ってるよ。

  2. ほんとうの言葉を話す人たちは、とても少ない。他の国はどうか分からないけど、僕から見えるこの社会には。

    僕はある時から、本当のことを話す人以外とは深く関わらないようにしようと決めているけど、たとえば仕事で浅く関わる人で、何気ないことや生活の一端では本当の言葉が聞こえて来ても、ある種の話題になると途端に言葉が表層を滑ってしまって文字通りに「話にならない」人たちがいる。
    いる、というよりも、ほとんどの人がそうで、そういう仕事の場や「組織」みたいなものが見え隠れするシーンで「本当のことしか話さない」っていう人はあまりに少ない。

    僕はそういう態度のことを「本当のことと面と向かう」って呼んでいるんだけど、それは確かに僕にとっても、自分の悲惨と悪戦苦闘する中で必要に迫られて「そうであるしかなかった」ものです。
    もうダメだ、もう辞めてしまおう、もう疲れ果ててしまった。何度そう思ったか分からないし、今この瞬間も悪戦苦闘してる。
    この世界の現実と真に「面と向かって」もなお絶望せずにいられる人がいるだろうか。

    本当のことと面と向かってしまったら生きていけない。意識せずともきっと彼らの直観がそう告げて、現実を言い換えと誤魔化しの糖衣で包んで飲み下してみたけれど、その現実を把握する本体であるはずの言葉そのものがもはやその体をなさない臭い消しの調味料に堕してしまったから、彼らは思考すら出来なくなってしまった。
    どうしようもなくそうならざるを得なかった、という人々も痛ましいと思うよ。思う。

    けれど、蔑まれても踏みつけられても、現実の中で生きようともがく人々の姿を、気高いと思わずには僕はやってられない。
    語られなかった言葉、言葉になる前の言葉、生き様だけが示す言葉、それらも全部言葉なんだ。人間が人間であることを示すただ一つの証なんだと思う。

    僕は人間でいたい。もう少し、あと少しだけ、頑張ろうと思うよ。状況はあまり良くないけれど、光が少しだけ見えているから。

    そう思える記事をありがとう。

    • 主にカズさんのコメントがついてしまったので、やむをえず(^^;) 記事を復活しました。
      ここから見ていると、正直に言って、日本の経済と財政、お先まっくらに見えますが、光が見えているのなら、よかった

      • ガメさん、お返事ありがとう!

        > 主にカズさんのコメントがついてしまったので、やむをえず(^^;) 記事を復活しました。

        あら。
        申し訳ないような、でもありがとう。

        >ここから見ていると、正直に言って、日本の経済と財政、お先まっくらに見えますが、光が見えているのなら、よかった

        もちろん、どこからどう見ても、日本の経済と財政はお先真っ暗でしかないよね。

        僕は、自分と自分の家族のための光しか見てないし、自分たちがなんとか幸せに生きるためにだけ、今はバタバタ手足を動かして前だか横だから分からないけどどこかに向かって、毎日生きてます。

        正直、社会のことなんか知ったこっちゃないんだけど、社会の方がちょっかいかけてくるよね。そして沈む島に住んでることは事実だから、えらいハードモードです。

        でもまぁ、40手前の中小企業シャチョーは、いろんな悪知恵もついて、社会のアウトサイダーで居ながら素知らぬ顔で生きていく術も多少身についてきた。
        社会のちょっかいは、やり方を知っていればかなりの範囲でキャンセルできるけど、そのやり方を多くの人はあんまり知らない様子。

        とにかく生きようと思います。光に向かって、幸福と喜びに向かって。

      • 知っている顔を思い浮かべても成功している事業家って、そういう人おおいのね

        不良なの

        >社会のアウトサイダーで居ながら素知らぬ顔で生きていく

  3. 何の根拠もない、ただ最近考えていただけのことなのですが・・・周りを見回すと「貧しい人ほど幸せそう」に見えて仕方がない時があります。
    私自身も裕福ではなくて、子ども(割と素直で頭がいい)を大学までやれるか悩んでいるのですが、幸せな日常を過ごしています。

    知り合いが市議会議員に立候補して当選すると、うれしいと共に少し残念な気持ちになるんですね。別の知り合いが市長に立候補して落選すると、残念なのだけれどちょっとほっとするんです。
    妬み・ひがみではなくて、「知り合いを政治の世界に送り出さずに済んだ」という安心感なのではないかと思っています。

    もしかして、私たちは「裕福さ」や「権力」をケガレたものだと思っていて、あんまり近付きたくないと思っているんじゃないかと疑っています。
    何でもかんでも「ハレ」と「ケガレ」で説明するのは思考停止につながるので良くないと思っているけれど、そうとしか考えられないようなことがちょくちょく起こるのです。身近でも、歴史上でも。

    身近でも、歴史上でも「自分がケガレていないことを証明するため」としか思えない、死や貧しさに出会うことがあって、慄然としながらも、心のどこかで「立派だなぁ」と思っている自分がいて、その自分を怖ろしく思います。
    自分自身も、何かのきっかけがあれば「自分がケガレていないことを証明するため」に死を選ぶのではないか、という恐怖です。

    もしも、私たちにとって「裕福さ」や「権力」がケガレたものだとしたら、「ケガレることなど気にしないヤツ」に、裕福さや権力を独占されても、特に何も感じない、むしろ、ほっとするのではないか?
    それは、とても危険で怖ろしいことで、すでにそうなりつつあるのではないかと思うのです。

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