いつのまにか、ハムナーの森の、深い霧のなかに立っている。
ハムナーというのは、南島の、カンタベリーにあるスパリゾートで有名な内陸の町です。
綴りはHanmerだが、発音は、カタカナで書けばハムナーで、日本にいたとき、いちど、日本のガイドブックにはニュージーランドやイギリスが、どんなふうに書いてあるのか好奇心で、立ち読みしていたら、ほんとうはニュージーランドに行かないで書いたのか、英語がまるきり判らない人なのか、
案の定、「ハンマー」と書いてあって、面白かったことがある。
サーマルプールとスパが有名だが、ほんとうは、小さな町の周りに広がる森林を散歩することが、最も楽しい。
あっというまに、白く、濃密になる霧のなかで、現実世界では、いつもモニさんと一緒だが、ここでは、ひとりで、なんだか魂が半分なくなっているような不安定な気持になりながら、森の奥に向かって、歩いていった。
すると、霧の向こうに、30代くらいのカップルが立っていて、ぼくのほうをじっと見ている。
告白すると、最近は、アジア系の人の顔の特徴のつかみかたを忘れているようで、顔のタイプによっては、見分けがつかなくて、まったく異なる人を、同じ人だと考えて、声をかけて、恥ずかしいおもいをしたりする。
でも見知っているような気がする。
ここにいることを誰も知らないはずなのに、と考えていたら、
「ガメさんでは、ありませんか?」
と声を掛けられた。
ば、ばれてしまった、と、よく考えてみると慌てる理由はなにもないのに、狼狽してしまっている。
だいたい図体がおおきいわりに、だいたいいつも消え入りそうにしていることを心がけているせいで、他の人にとっては、モニさんの付録みたいな存在で、最も一般的な反応は、「ああ、あのモニさんの旦那さん」です。
名前までは、本人を目の前にしても思い出せないらしくて、巧妙に避けて通っている。
親切心をだしてJamesです、とでも言おうものなら、
「あ。モニさんの運転手のかたなんですね」と言われそうだが、考えてみると、この冗談は英語を話す人でないと、判らないので日本語で書いても意味がない。
なにしろ40歳に近いほうの30代になってしまったので、ひとの顔を見れば、だいたい、どんな人か想像がつきます。
さっきアジア系の顔が判別できない、と言ったじゃない、とふくれっ面になる人がいそうだが、それとはまた別の認識システムになっているようで、
この目つきでは側に寄らないほうがいいな、とか、こういう「爽やかな微笑」は詐欺師のものだよね、とか、他人の顔を眺めながら、内心では、ろくでもないことを考えている。
よく、こんなデタラメな顔で、マジメな顔をして話が出来るね、と見ていて可笑しくなる人もいる。
閑話休題。
諦めて、ええ、そうですよ、と答えて立ち止まると、
あなたのブログのファンです、と言われた。
さて、おれはブログなんて書いていたっけ、と訝るが、
相手がファンだというのだから、特に逆らう理由もない。
女の人のほうが、
「ガメさん、もう、いいんですよ」と言う。
もう、どうにもならないのが、判りましたから。
ガメさんが言うように、踵を返して、どこかで道を間違えた近代化の道を、80年なのか、150年なのか、逆戻りして歩いて、そこから出直すしかないのかも知れないけど、もう、わたしには気力がないんです。
一生懸命やってきたつもりだったが、たどりついてみると、随分、奇妙なところに来てしまった。
それは判っているのだけど、間違っていると判ってみても、前にしか行けないんです。後戻りは、辛すぎます。
男の人のほうは、女の人のほうを、気遣わしげに見つめていて、
ひょっとすると、この女の人は、なにか死に至るような病気に罹っているのだろうか、と、ふと、思う。
言葉が出ない。
なにを言っても、目の前の、ひたむきな表情で、懸命に語りかけてくる人に、正面から向き合える言葉になりそうにない。
個人なら、そういう言い方をすれば社会が衰微して亡びてゆくことなどは、たいしたことでもなくて、早い話が、例えば、他の国の、異なる社会に引越てしまえばいい。
最近は、日本では、たいへんな数で起きているケースらしいが、親の介護で離れられなければ、なんとか余力をつくって、必要な能力を身に付けて、
日本にいたまま外国の企業や機関で仕事をするという方法もあります。
日本にいると気が付かないが、他の社会では、COVIDパンデミックをきっかけに、急速に「在宅勤務」が選べるようになっている。
ニュージーランドではデルタ変異株が再び入ってくるまでの、いっとき、1年ほどのあいだ、コロナが社会から払拭された状態になっていたが、感染の心配が消えたあとでも、いちど変わったスタイルは、旧に復することはなくて、オフィスに出かけて仕事をすることを好む人は、出かけて、通勤したくない人は、家のなかに仕事の部屋を設けて、おもいおもいの勤務スタイルで仕事をしていくことになっている。
日本のようなアコギなビジネスとは異なるので同じ名で呼びたくはないが、日本語に訳せば派遣業で、何千キロも離れた国に仕事を紹介することを専門にしている会社が、いまはいくつもあって、登録するときに、「日本から出られない」旨を書いておけばいいだけです。
でも、目の前に立っている女の人は、どうやら、「個人」ではないようだ、と、気が付いている。
「恥ずかしいのだけど」と、女の人が述べている。
わたしは、失敗してしまいました。
あのころは、無我夢中で、この厳しい世界を生きていくには、西洋化していくしかないと決め込んでいたんです。
ガメさんが、洋化という考え自体が無理だった、と言うのは判るけど、
それは、あなたが、そのころのアジアが、どんなふうだったか知らないからですよ。
最近は、これも西欧のマネで、いや、そんなにひどくはなかった、あれはあれで西洋とは異種なだけで、立派な文明だった、と説明するのが流行っていますが、そのとおり、文明としては独自で立派でも、町は汚く、ひとびとは貧しくて、そのうえ、気が滅入るほど怠惰だった。
どんなに日本人がいきりたって、一緒に頑張ろうと話しかけても、
変わろうとしない 世界でした。
だからアジアである自分を捨てて、無理にでも西洋の国に連なろうとしたんです。
わたしは、間違えました。
取り返しがつかない失敗だった。
でも、ほかにどんな「正しい道」があったのですか?
それがあれば、取り返しがつかない、いまでも、知りたいと心から思う。
あなたなら、判ってくれるかも知れない。
例え誤っていても、選択がひとつしかない、ということは、きっとあるんです。
どこかで、わたしは理性を失ってしまった。
狂気に囚われてしまいました。
あなたが言うように世界から切り離された言語に、もともと内在する理由なのかも知れませんが、こうは考えられませんか?
わたしは、孤独だったんです。
この広い世界で、友もなく、親族はみな、わたしを軽蔑して、背を向けて、
内心では笑いを噛み殺していた。
ひとりで、敵意と無関心に満ちた海を、目的の陸地がどこにあるのかも判らないまま、泳いで渡らなければならなかった。
強くあろうと決めて、がむしゃらに、強く、強く、どんな敵に襲いかかられても打ち勝てるようになろう、と、ただそれだけを考えて生きてきました。
でも、その考えが、こんな場所にわたしを運んでくるなんて!
くやしい。
くやしい。
一瞬、周りの樹木たちも、女の人に唱和して、「くやしい」と次次に呟いているような幻聴が起こります。
ぼくは、女の人の考えが、まったく謬っていることを知っているが、
なにも言うわけにはいかない。
黙って、涙を流していると、やがて、ふたりとも、しだいに影のようになって、霧のなかに消えていった。
ふたりが姿を消してから、「違うんです」と呟いてみる。
あなたなら判ってくれる、と言われるのは嬉しいが、ぼくには、結局、なにも判らなかった。わたしたちは、結局はふたつのまったく異なる言語で出来た、異なる文明で、そのあいだに架けられる橋など存在しなかった。
ぼくに出来ることは、あなたたちが、どこを歩いていて、どこに向かっているのか、見ていることだけなのですよ。
どんなに叫んでも、あなたたちの耳には届かない。
どれほど手を振っても、あなたたちの目には映らない。
ぼくは姿をもたない、もののけのようにして、ただじっと、あなたたちの苦闘を眺めているほかはないんです。
判らない、ということを理解するだけのことに、15年もかかりました。
愚かなことだとおもう。
でも、判らないということが判ったから、あなたは、あの森の霧のなかで、待っていてくれたのですよね。
このごろ、ぼくは、なにも慌てて離れるつもりはないが、いつ日本語から離れてもいいように準備していて、あれは、ぼくが間違えていた、失礼なことを言って、ごめんね、許してくれますか?と手紙を書いたり、数冊を除いて日本語の本は
倉庫の奥にしまい込んだりしている。
意図はなくても、日本語と別れるときが迫っているのを、頭のなかの何かが理解しているのかも知れません。
あんまり、考えたくないことだけど。
また、会えると思っています。
今度、会うときは、森の、霧の中などではなくて、太陽の光が降り注ぐ、
明るい丘の上で会いましょう。
そのときまで
Cheerio!
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本当に日本語の本を倉庫に
仕舞っているの?そこまでして
お別れの準備をしているの?
なんだかかなしい。
かなしんでも仕方ない事は
わかってるけれども、
ただかなしい。
おおげさですよ
このごろ、日本語、読むの億劫だから