30円の向こう岸

いつも繰り返しているが、予想屋のようなことを述べる人は、そもそも経済や市場についてのセンスがない。

視点が根元から狂っていて、方向を正しく見定めることのほうが遙かに本質的で大切です。

とは言うものの、この先、生活がどうなっていくのか、知りたいのは山x2なので、ガメ、どうなるんだ?、わたしは、どうすればいいの? なにが出来るの? という質問には、むかしから、割とマジメに答えています。

だいたい述べたとおりになった、というか、そのまんまだったので、将来、尾羽打ち枯らして、日本に流れ着いたら、新宿の路地の暗がりに小さな机をだして筮竹を鳴らすか、大森競馬場の前で、ミカン箱の上に立って、

次のレースは、重馬場だから、42だよ!42!

天皇賞は、ただでは教えられないから、千円もって、相談に来な!

と声を枯らすと、良いのかも知れません。

いま、ちょっと覗いてみると、127円で早々と底を打って、131円を突き抜けようとしているので、対ドル円安は、予想よりも、かなりペースが速い。

前にもちょっと書いたが、コロナ·パンデミックが収束できないでいて、そのうえ、プーチンがウクライナに対して、20世紀型の、大規模な侵攻戦争を仕掛けているのに、「有事の円」と異名をもっていた円がだんだん安くなるのは、未曾有のことで、

テレビの「情報番組」に出演する経済評論家が、ほんとうのことがいえずに、日本の企業やFX投資家がドル買いに走っているせいだとかなんとか、自分でも、あんまり信用していない、「日本のおおきな影響力」という耳に心地よい解説を行うところが目に見えるような展開になっている。

経済の話をすると、知ったかぶりのハエみたいな人がいっぱいたかってきて、嫌なので、経済的背景の説明は、やりたくない。

いままで散々、10年以上にわたって説明してきたので、知りたい人は、過去記事を読んでくだされよ。

日本の人を平均してしまっては、いけないが、数字の上で平均して、ならしてしまうと、50年前のビンボに戻っている、というのは新聞でもなんでも、日本語メディアで、繰り返し、報じられているので、知らない人はいないでしょう。

自分が置かれている経済的状況が把握できないオカネアンポンタンでは、政治や社会について、うまく考えられるわけがないので、いまの世界では、経済を理解する気がない場合には、いっそ政治や社会について考えるのもやめて、心安らかに骨董かなにかに沈潜したほうが良いのだと言われている。

数字上は1972年の経済中進国から経済先進国に変貌しかけていたころの日本で、個人の生活に即して具体例でいえば、「海外旅行」は、一期の贅沢で、お父様お母様、わたし留学したいんですけど、とでも述べた日には、到頭、娘が発狂したと看做されて座敷牢にいれられかねなかった。

グッチもシャネルも、ちょっと銀座で買ってくる、というわけにはいかなくて、もっと後の1985年くらいになると、やりすぎて地元の新聞に「ドブネズミの大群」と書かれたりするようになる行動の先駆けで、団体ツアーでシャンゼリゼに押しかけて、にこやかな、よく見ると目が冷たく光っている店員から、慣れないフランス語で、購入するか、あるは、ぶわっか高いデパートの「舶来品コーナー」で、限られたバラエティから選択するしかなかったころです。

でも、1972年ごろはビンボだとは思ってなかったなあ、と、50年前にすでに物心ついていたひとたちは思うはずで、それはそのとおりで、

経済が毎年すさまじい勢いで良くなってゆく上り坂の途中だった、ということもあるけれども、そもそも世界の経済規模が、いまよりずっと小さくて、流通ネットワークも市場も、いまのようにグローバルではなくて、各国別、と言いたくなるくらいで、

おなじ円の価値でも、痛痒を感じなかった。

なにしろ、海の向こうのおフランスでは、フランは実をとって安いのがいいか国のプライドをかけて高いのがいいか、のおんびりと激論を戦わせていたころです。

1972年というと、1ドルが、だいたい303円から315円を、行ったり来たりしているころです。

えええ?

とおもうでしょう?

その「えええ?」の内容を、じっくり考えると、特に経済について知識がなくても、通貨の価値とビンボについての相関が判ってくると思われるが、ここでは、省いておきます。

仕組みは、だから、じっくり銘々、考えてもらうとして、結論だけ述べると、

通貨が個人にとって最も影響するのは、簡単にいえば、「その国の経済状況に照らして適切な為替レートと現実の為替レートの差」です。

調べてみれば、あそこにもここにも書かれていることなので、これも説明は省いてしまうが、いまの日本が置かれている経済環境のなかでは、適切なレートは100円弱から110円のあいだでしょう。

適切な、という言葉が判りにくければ、円安は下請けの部品工場も含めて国内に生産拠点を持つ輸出企業にとって有利で、円高は輸入品を消費する個人にとって有利、と単純化して考えても、そんなに的外れにはならないので、そういうイメージでもいいかも知れない。

たいへん大雑把なことをいうと、130円近辺にある、いまの円で収入を受け取ると、感覚している報酬よりも、三分の一近く目減りした報酬を受け取っていることになります。

ちょっと端折りすぎかな。

10万円と思って受け取っている報酬が8万円いかないんですね。

なんでそんなことになっているかというと、「下請けの部品工場も含めて国内に生産拠点を持つ輸出企業」は、実は、企業の1%でしかないからです。

例えばキャノンは、もっか、ウハウハ イエーイで、ボロ儲けなので、御手洗会長は通りで黒田総裁に会えば、手をとって歩道のまんなかでダンスを踊りたいくらい喜んでいる。

岸田首相も、あれだけ儲けさせれば、「来年は、政府のメンツを立てて賃金を上げてね」と言ってもいいよね、と考えているに違いない。

ところが、ところーが。

日本は、やたらめったら中小企業が、というか、いまの世界の水準でいえば零細企業が多い国で、またそれが、じっちゃんばーちゃんが滅法多い職場になる前は日本経済の活力の源泉でもあったのだけど、残りの99%を占めている。

こっちは、ちゃんと英語になっているケイレツ、系列企業なんか持ってないので、例えば電動歯ブラシひとつ作るのでも部品は輸入品です。

原価があがってしまう。

原価があがれば価格をあげればいいわけだけど、低賃金で、切り詰めて設定した、利益率が唖然とするくらい低い商品なので、価格をあげると、たちまち売れなくなってしまう。

あるいは、他の身近な例でいうと、ゲームPCで、身近な例がゲームPCだなんて、あんたはいったいどういう生活をしているんだ、というようなことは、このさいは、置いておいてもらうことにして、いつか日本のPC業界の人と話していたら、ホールセラーの利益率が5%にまで落ちた、というので、椅子からするこけてしまいそうになった。

消費税より、少ない利益率。

日本の流通は、どんどんどんどん利益率が低くなっているとは聞いていたが、折りにふれて、参照したり、聞いてみたりしていると、聞きしに勝る利益率の切り詰めぶりで、15%を下回って売るくらいなら、なんも売らんほうがいいわい、のイギリスやオーストラリア・NZに較べると、まるで別の世界です。

安くなければテコでも買わない、あれ、表現がヘンかな?

テコでも動かない、か、消費行動のせいで、仕方がないのだという。

段々、聞いていると、要するに、おおもとの理由は、企業が、意地でも賃金をあげずに頑張っているからで、競争力維持を大義名分に、アコギな奪衣婆も、あっと驚くケチンボぶりで、食うや食わずの社員どもは、なにしろ、

終身雇用で、よれよれになるまで、うちの会社で面倒みてあげるからね、という前提で始まった低賃金だけがそのままで、雇用のほうは、

きみは生産性低いからクビね。

明日から、来なくていいよ。

労働基準監督署?

組合?

駆け込めるもんなら駆け込んでみい。

なので、怖くてオカネが使えない。

低賃金社会になれば消費市場が冷えて、賃金をあげないなんて、会社が小さな木の踏み台にたって、鴨居にタオルをかけて、首を通して、いくぞ低コストだ、えいやっ!と勢いよく踏み台を蹴っ飛ばしてしまうようなものだが、

日本の経営者は不思議なほど経済が判らない人がおおいので、自社一社の経営においても蛮勇をふるって、清水の舞台から飛び降りて、そのまま絶命してしまう人が、後を絶たないくらいで、まして、もう少しおおきな背景の市場だの経済だのになると、わてはそういう難しい話、判りませんのや?

あんたプレジデントの記者さん?

第一、主語がおおきすぎるんじゃないの?

で終わってしまうようです。

ほら、ここまで書くと、判ったでしょう?

ただのMMTじゃん、とヒソヒソされながら黒田日銀総裁が自信ではち切れそうになりながら、8年だっけ?続けてきた「異次元の金融緩和」で大量に流し込まれた通貨は、実は流通していないんです。

ほんとは市場を循環してグルグルしていないといけないはずなのに、あちこちのボトルネックで渋滞して、そのまま動かないで終わってしまっている。

何回も書いてきた「利上げが出来ない金融政策」に加えて、ほんとうは市場に放り込んだ通貨量が多すぎるほうが、もっとおおきな問題なんだけどね、と述べた問題の一端がここにあります。

オカネの話を書くとですね。

オカネに金輪際相手にしてもらえなさそうな、衒学の、一生懸命勉強して、勉強のあまりバカになってしまったひとたちや、それ以前の、ただ「自分は賢いのだ」と言いたい一心の哀れなおっちゃんが、うじゃうじゃとやってくるので、

最近は、おおむかしは、散々やって、現にその当時に記事を読んでいたひとたちは、ぼくと同じでオカネにはあんまり興味がないのに、なんだか大金を手にしてため息をついたりしていたが、「こうすれば稼げるよ。おもうオカネのことを考えないですむ」の親切心は、あほらしいので日本語ではやめて、ただ黙って自分の生活を金銭的に豊かになる目的だけのためにオカネ知識は使っているが、流通量の問題は、過去記事を読むと、あとで説明すると書いてあるので、約束は約束で、書いておかなくっちゃ、と考えました。

順々に、deductionで、起承転結を考えれば判るが、段階から言っても、日本は「豊かな日本」の終わりにさしかかっているだけで、ビンボが襲ってくるのは、これからでしょう。

ビンボは「わびしい」というようなものではなくて「痛い」もので、

社会から「無駄」はどんどん削ぎ落とされて、その次の段階は、必要なものまで削ぎ落とされてゆく。

女の人を人間だとみなす改革、あるいは日本社会では革命と呼んだほうがいいのかな、重要なアップデートが間に合わなかったので、構造として弱者の位置に閉じ込められている女の人達にとっては、たいへんな受難の始まりになる。

「役にたたない」大学は、まるで不人気なカフェが閉店するようにキャンパスの門を閉じて、「採算があわない」地方の鉄道は廃線になって、その最大の影響として、地方の高校生は教育の機会を奪われてゆく。

社会の一角に自分の場所を見いだせなかった若い女の人は性を売って稼ぎ、若い男は「怪我をしたら、はい、さようなら」の肉体労働に追い立てられる。

令和は、平成を遡行し、昭和を遡って、もしかしたら、軍事に政府が目をむけだした場合には、戦前の日本へまで社会構造が後戻りしてしまうかも知れない。

嫌なことをいうと、たしか東京直下型地震は、起きる可能性は40年間に70%だかと発表されていて、1年あたりだと多分3%くらいの確率で、そのたった3%を前提に経済や自分のライフプランを計画するわけにはいかないが、仮に、国力のすべてが集中しているような首都で起きてしまえば、大型のブラックスワンで、

泣き面に蜂どころか、ゴジラ襲来にキングギドラで、どんなに頑張っても、東京に影響が限定されるわけはなくて、はたして国として生き残れるかどうか。

いまのうちに、30円の向こう岸に泳いで行き着いて、本来の、災害にあえば、国民をあげての火事場のバカヂカラが出る、神戸の震災までは、世界のひとびとを、その気丈さと集中力で唸らせた、「あの日本人」に戻ってもらわなくては、と、遠くから思います。

下を向いて悲観している場合では、ないかも知れないでしょう?



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