軽井沢から西に20分くらいもクルマを走らせると、追分宿に着く。
夏の軽井沢は、案外、暑いので、モニとふたりで手近な所で散歩したいとなると、よく追分に出かけた。
夏は全国からひとが詰めかけて国道18号線は使いものにならないので、
鹿島の森のゴルフ場から右に折れて、離山に入って、鶴溜に折れる曲がり角を、そちらには行かずに、村民食堂があるほうへおりて、千メートル道路に登って行きます。
別荘地の気安さで、いまなら巖谷国士先生の別荘に立ち寄って、元気っすか?を習慣にするところなのかも知れないが、当時は、ナジャを日本語で読むなんて奇想天外なことは思いつかないので、大日向に抜けて、追分に至って、クルマを林道の脇に駐めて、追分宿へ歩いておりていく。
奇想天外といえば、日本は、いろいろ、どっひゃああーな、面白いことがある国だが、この辺りにはシャーロックホームズの立像があったはずで、なんどか、心がけて探してみたが、到頭、最期まで見つからなかった。
「文学の道」という、裃(かみしも)な名前がついた道に折れて、山間に忽然とあるフランス料理屋の方角に歩いていくこともあったが、たいていは、おとなしく佐藤豆腐店から追分宿に出ます。
国道18号線の東から来ると、分去れのY字交叉点で、右に行けば、この佐藤豆腐店に出る道と会合する。
ついでにいうと分去れを左に道をとれば北国街道です。
鎌倉にも似た地形の交叉点があって、右に行けば、鎌倉のひとたちが「山姥が出る秘境」だと述べて呵々大笑する十二所から朝比奈ICに抜ける道で、左に行けば、なんだか傾いたような、崩壊寸前の建物だが、ばーちゃんの家で出前を取ると滅法うまいネギトロ巻きをつくる鮨屋がある。
ちょっと日本語が古くなりすぎた。
サムライドラマを観るのは、好い加減にしないと、とおもうが、
こちらは字が異なって「岐れ道」という。
それで、ほら、「峠」という言葉もあるでしょう?
ほとんど、たったひとりの力で、英語世界での日本への好印象を作りあげてしまったラフカディオ・ハーンは、日本の生活で好きなものを
「西、夕焼、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱」
と書きとめているが、この静かな淋しさが稜線に立ち並んでいるような言葉の集まりを見ると、小柄なアイルランド人が、どれほど深く日本を理解して、愛していたか判るような気がする。
書籍のほうの「ガメ・オベールの日本語練習帳」の、「デーセテーシタレトルオメン」に書いたとおり、日本語が話せないハーンと英語が話せない配偶者のセツさんは「ヘルンさん語」で、深く深く理解しあって、ふたりの共著と言うのが最も実情に近い方法で、手を携えて、あの数々の傑作を生みだしていく。
ある時期から、ラフカディオ・ハーンは、日本人にとって、人生はひとり旅そのもので、人間の一生への基本的なイメージが、街道を歩いて、遠くへ遠くへ、自分がまだ見知らぬ生の向こう側にある世界へ、倦まずに向かって、時々は峠に立って来た道を振り返って、夕暮れの淡い闇に消えている、これから歩いていく道を見つめ直すことだと気が付いていた。
この日本人という旅人は、ただのY字交叉点に立ってさえ、自分が選ばなかった道を惜しむ切なさで胸をいっぱいにして、やはり、こっちに行こうと決心して、未練を振り切るようにしてしか旅していかれない心性を持っていたように見えます。
外からやってきた者にとっては、日本の人びとは、胸までも届く感情と情感の洪水に流されまいとする努力で生きているひとびとで、言葉による会話も、多くの場合は、感情を取引しているだけで、あるいは、なんとか伝えようとしているだけで、現実や論理は、贈答品の箱書きのようなものでしかないように見えることがある。
このごろ、よく、「そういうひとたちが西洋文明を受容してきたんだからな」と驚嘆の気持で考えます。
もちろん、否定的な気持ではなくて、日本の人の西洋文明受容にかけた、気が遠くなるような努力に思いを馳せて、という意味で、
近代以降、言語に大変な負荷がかかり続けて、ここに来て、ばっきり折れてしまったように見える事態の真相は、どうやら、そんなことではなかっただろうか、とおもう。
定年退職したら、おれは南洋で気楽に暮らすのだと述べていた、最近同姓同名の別人を日本語ネット上でよく見かけるが、名古屋大学哲学科教授のほうの田村均先生、通称哲人どんが、ネット人のアカデミア事情に対する無知につけこんだパチモンの自称哲学者が氾濫する日本語ネット上の有様に「哲学者の実力は、そんなもんちゃうぞ」と考えたのか、大失礼な言い方をすると、なぜかやる気を出して、通常のネットに公開される文章とは質がかけ離れた、良質の哲学断章を連載しているが、
最新の記事では、村上隆の「自由神話」を材料にして、
『 「日本の美術の授業は、ただ「自由に作りなさい」と教え」てしまう(『芸術起業論』p.11)。この教えは、芸術家は自由でなければならないという信念にもとづいている。そして、美大生もみな「自由になりたい」と思っている(『芸術闘争論』p.122)。ところが、「自由とは何かといえば「誰にもおかされない」で自分一人で考える」(『芸術闘争論』p.227)という程度の認識しかない。自由の名のみ声高に叫ばれるが、自由の本質への洞察がない。こういう状況を、村上隆は随所で「自由神話」と呼んでいます*。』
『誤解は、日本の芸術活動においては、「自由」が、生まれて間もない子供のような真白な状態と見なされているところにある。境界で仕切られず、制度にはまらず、情報に満たされていない、つまり拘束のない空白の状態が自由なのだと思われている。』
「自由」を他の西洋からの輸入語に置き換えれば、かなりの数の重要概念語で成り立ちそうな「誤解の事情」を述べています。
https://note.com/chikurin_8th/n/n980aaba46739
余計なことを書くと、この記事に出てくる「文脈の創始」については、この記事を読む、ほんの数日前に、ももさん、他と隔絶した中世美術への洞察力とを持っていて、日本に住む日本語人とは到底おもえない中世の風景のなかに佇むような能力を備えた稀な人で、ほんとうは金沢百枝先生と呼ぶべきで、実力にあわせて呼び方を変えなければいけないとしたら「先生」なんてヘナチョコな呼び方では足りないくらいで、それでも先生くらいは言わなければならなくても、センセイでは、なんだかヘンテコな気がするので、やっぱりももさんは、チョー昔から呼び慣れた、ももさんだが、雑談のなかで、ゲルハルト・リヒターとダミアン・ハーストに触れて、愚か者で蒙昧な、自分の著書のファン(←わしのことです)に対する、哲人どんとは異なる説明上の必要から、概念に触れて、噛んで含めるように説明してくれていた。
哲人どんは、「感情語」と呼びたくなるほど情感過多な日本語から感情を排してしまうのが巧い書き手で、日本語で事実だけを述べて、だんだんに真相へ真理へと現実を追いつめていくのが得意な人です。
だから文章が、たいへんに判りやすいが、この判りやすさが、近代日本語では、なかなか得られないできたのは、やっぱり日本語人の「寂しさの美への執着」があるからでしょう。
真相や真理より、文脈が始まる時点へ遡行するより、
なあんとなく、な、情緒のなかで、たゆたって、自分に心地よい湯水のなかで、手足のちからを抜いているのが好きで、その湯水の温もりから出ると、今度は、旅人に返って、分か去れの道に立って、さて、どちらへ行こうかと考えている。
そのうちに説明したいとおもうが、切羽詰まって、やけのやんぱちのようにして西洋文明を受容したが、ほんとうは日本語の情感に満ちた自分の知的肉体には、まったく合わない体質の文明であることを、明治時代から、日本の人は、薄々気がついていた節があります。
「借り物でいいや」と思っていたのではないか。
それが文脈に続く進歩がゆるやかで、スタティックだったころはいいが、
段々、翻訳文化では随いていけなくなるほど速くなって、複雑になり、ついには新しい文脈が次次に生まれ始めると、お手上げになってしまって、
自分が願望することを現実そのものとみなす癖がついてしまった。
社会の改革のために述べられる言葉は、次次に教条化して、空疎で硬直したものになって、正しさのチンドン屋みたいなひとびとまでが、概念のまわりに群れて踊るようになってしまっている。
悲観することはなくて、いろいろな解決方法があるが、ひとつひとつ輸入された概念が生まれて来た文脈の始点まで戻るのでは「分かされ」が、たくさんありすぎて、たいへんなので、英語を国語にしちゃうのがいちばん速いんじゃないかなあ、とおもってます。
森有礼のむかしから、志賀直哉にいたるまで、日本語をやめて英語にしよう、フランス語に変えないとダメさ、という議論はたくさんあったが、当然ながら、いまのように言語的には「どこでもドア」に等しいインターネットが普及していたわけではなく、外国語社会への心理的距離も遠かった昔は、そんな試みがうまくいくはずもなかった。
それがいまでは、早い話が、金沢百枝さんなどは、英語で話してみると、なんだか「日本人の皮をかむったイギリス人」みたいな人で、どうも、頭のなかで考えるときにトピックと状況によって英語に切り替わる自動スイッチがついてるんじゃないかしら、とおもえる人で、英語社会にやってくる若い日本の人も、二十代以上の世代と異なって、英語そのものへの接し方がすでに異なっていて、語学という表現が陳腐におもえる、どういえばいいのか、日常の延長にあるような場所で英語を身に付けている。
日本語が能のすり足であるとすれば、英語は杉板のうえをドタドタと歩くような言語で、ふたつの言語は甚だしく異なる性格をもっているが、よく日本の人が口にする「日本語は論理的でない」は、ほんとうとは言えない。
ただ近代日本語は感情語と論理語の二本の背骨を持ってしまっているので、
ただ現実世界に落ちているものを背を屈めて拾うだけでもたいへん、ということなのでしょう。
英語が身について、日本語と同格の思考主体になれば、日本語はいま病んでいる病気が快癒して、健康体にもどってゆくだろう、と考える理由があります。
現に水村美苗さんや金沢百枝さんをもちだすまでもなく、現代日本語の美しい文章を書く人は、日本語と西欧語の、ふたつの母語や準母語で世界を認識する人が多い。
「日本語が亡びるとき」は過ぎて、もう起こってしまっていて、
日に日に弱っていく日本語を救いだすには、もうひとつの言語を母語として身に付けてゆくほかないように、おもっています。
Categories: 記事
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