愛の生活マニュアル♥ すべての妻への毎年2000万円の支払いが出来ない夫のために

モニさんは、家事はしないひとです。

できないのではなくて、やらない。

いまの家には、小さなキッチンとおおきな「厨房」と呼んだほうがよさそうなキッチンと、ふたつあって、おやつや、軽食を手早くつくるのは小さなキッチンが便利だが、小キッチンはだんちゃん専用の趣を呈していて、

無茶苦茶な臭いのアジア料理をつくったりするので、

インダクションのストーブトップの上の換気扇を強力なものに変えられたりしている。

モニさんは、おおきいほうの厨房に立って、1年に何度か、主にお菓子をつくることがあるが、ごく稀に、料理も、自分が食べたいものをつくることがあって、それが理由で自分でつくるのだとおもうが、オークランドやメルボルンの高級レストランでは足下にも及ばないような、手が込んだ、豪勢な料理をつくって、家人全員に振る舞う。

すごい腕前の料理名人で、ふっふっふ、いざ路頭に迷いそうになったら、モニさんをシェフにして、レストランを開けばいいよね、とおもうが、考えてみると、怠惰のはてに、そこまで零落すると作男に降格されていそうなので、賄い料理しか食べさせてもらえないかも知れません。

料理だけではなくて、これも1年に数度、小キッチンのベンチやシンク、

フライパンや鍋を綺麗にしてくれることがあって、いかなる魔法か、バテレンの秘術ならんか、もうピッカピカになって、なにがいいたいのかといえば、家事全般、こんなに上手な人は見たことがない。

でも、家事をやったりはしません。

念の為にいうと、やらないだけで家事を楽しめる能力は十分にあります。

ふたりで、よく話すが、日本にいたときの最高の楽しさは、お手伝いの人は通いで来るだけだったので、ふたりで一緒にキッチンに立って料理して、

Le brin d’herbe、鼻歌をくちずさみながら、シチューがぐつぐついいだすまで背に腕をまわして、ワルツを踊ったりして、なんでもかんでも、自分たちの手でやらなければならないことだった。

軽井沢の裏庭のカラマツの林のなかに、テーブルと椅子を出してカバとサンドイッチのおやつを広げるだけでも、

きゃあきゃあと楽しくて、日本滞在の薔薇色の思い出には、毎日キャンプしているみたいというか、ふたりで協同作業で生活したことがおおきく働いている。

モニさんの夫のほうは、というのは、つまり、眠っているあいだに離婚されていなければ、わしのことであるはずだが、このひとはまた家事が好きで、隙さえあれば、自分でおいしいとおもっているだけで、たいていは誰にも食べてもらえない、面妖な料理をつくっているし、掃除も好きで、夜寝る前に、頭のなかで、ディッシュウォッシャーの、効果的な皿やボウルの並べ方を構想したりする。

アジア料理は、おいしくて、低カロリーで良いが、ディッシュウォッシャーと形の相性が悪いのが難で、ときどき汚れがちゃんと取れていなかったりすると、失意落胆はなはだしくて、一日、気が沈むので、家の人に虚を衝かれて、手早く片付けられては、やむをえないが、自分でやるチャンスがあるときには、芸術的に排列された、まな板や平皿や丼までもが、ひとつ残らずビッカビカになるように並べます。

むかし、アメリカの調査会社が、専業主婦の家事労働に対する正当な報酬を見積もったら、家のおおきさや家族の構成によるが、中央値は2000万円前後だった。

念のためにいうと、これはぼくが知っている限りでは最高見積もりで、低い方は600万円なんてのも、ちゃんとあります。

それにしても、この調査を翻訳すると、奥さんに家事を任せて、「内向きのことは、おまえがやれ。外は俺にまかせろ」なんちゃってるオットットな夫は、エラソーな言葉に見合うためには年収は3000万円はないとカッコワルイわけで、甲斐性なしで、妻の百人力で人生を渉っていることになります。

どうも、日本では、そういうことが、ちゃんと判っていないオットが多いような気がした。

会社に忠誠を誓っちゃったりして、自分の好きな仕事に打ち込むには、家庭がある場合、毎年毎年最高2000万円を、自分の道楽である仕事に打ち込むために支払っているわけで、仮に払わないとすると、毎年配偶者に対して負債をつくっているわけで、5年も経てば妻への借財1億円で、普通は離婚ですね。

自分の周りを見渡すと、家事という厄介な怪物への最も普通の解決法は「人を雇うこと」で、夫婦の収入に応じて、火曜日のゴミ出しの日の前日にだけパートの家事手伝いの人を雇うくらいから始まって、住み込み、というか最近のスタイルに即していえば、家の敷地のなかの別棟に住んでもらって、取り決めをして、家事全般をお願いする。

ニュージーランドだと、移民グループによって、ガソリンスタンドはインド系の人が多いとか、ITは中国系の人ばっかりで、韓国のひとは、なんでか酒屋が多いんだよね、とか、いろいろ面白いことがあるが、家事を請け負うのはインドの人が多くて、また、上手なようです。

コモ湖畔の町では、いまでも制服を着たメイドさんだが、ニュージーランドでは、ほぼ皆無で、みんなサリやジーンズで、普段の格好で仕事をしている。

面白かったのはシンガポールの友だちで、結婚するときに、ふたりで、「ふたりとも家事は、いっさいしない」と決めて、まだ収入が少ないときから、朝は自分たちのアパートの二階にあるホーカーズで食べて、ランチは職場の同僚と、夜は、夫婦のデートをかねて日本にもあるはずのリブ/ステーキのトニイ・ローマや、新宿のとんかつ屋が小田急デパートに出している店や、たまには大奮発して、FullertonJadeに出かけて、ついでに部屋に泊まって、新婚気分を取り戻したりしていたようです。

このふたりの目論見は、見事に成功して、夫婦ともに、するすると出世して、あっというまに年収8000万円だかになっていたが、会うたびに、カローラがフォルクスワーゲン・ゴルフに変わり、シンガポールにしかなさそうな謎の燃料システムが付いたメルセデスのSクラスになって、「家事なんかに、かまけなくてよかった」と夫婦そろって何度か述べていたので、ふたりで、何度か真剣に話しあって、よく検討して、乾坤一擲、家事のない暮らしをする、と決めたのでしょう。

いまは、シンガポールには、よくある、家政婦さん用のシャワーとトイレが付いた独立の小部屋があるアパートに越して、インドネシアの女の人に住んでもらって家事を全面委託しているようでした。

こんな些事を書いている理由は、書いている人が些末主義者であるせいでもあるが、日本では、「家事を生活から取り除く」という考えがなかったような気がするからです。

「家政婦は見ていた」、だったかな?

むかしむかしは有名だったというテレビドラマがあったり、このあいだは「コメットさん」が話題になっていて、コメットさんて、誰だ?と訝って調べてみたら、やはりお手伝いさんだったりして、思い違いかも知れないが、それにしても、日本社会では、かなり富裕なはずの年長友の家を訪問しても、お手伝いさんに当たる人はいなかったような気がする。

あるいは、それはそれで、日本式の平等主義の一種で、よいことであるのかも知れないが、ひとつだけ言えるのは、家事を自分たちの生活から排除したほうが、日本がたいそう遅れていて、いくらなんでも、あれでは人権侵害ではないか、と日本の外の世界中のひとたちにさえ心配されるようになった、女の人が人間以下の存在とみなされている社会で、女の人が人間として暮らせる将来を切り拓くには、平坦な道になるはずで、夫が朝の8時に家を出て、夜はまた8時まで戻らなくて、家事は妻が取り仕切るなんて異常なライフスタイルが、21世紀も4分の1近く過ぎた、いまの世界で続けていけるわけがない。

おれは、そんなカネねーよ。おれの年収はな、800万円しかねーだんだよ、悪かったな、とか

もっと屁理屈をこねて、第一、家政婦雇うなんて、あんたたちの偏見まるだしだよ、と述べる日本名物居直りダメ旦ちゃんがいそうな気がするが、

例えばね、日本が得意のはずのテクノロジーで解決できるはずのことひとつとっても、自動食洗機ひとつ、ない家が多いでしょう?

いや、ぼくの家は女房のために買いました、という人の家に行くと、なんだか妙にうすべったくて、ちっこい、食洗機のいちばん大事な機能と言ってもいいくらいの「汚れた皿を全部収納しておく」という役割がはたせない。

ディッシュウォッシャーという名前につられたのかも知れないが、あれは洗うのは二の次で本義は汚れた食器の収納スペースなんです。ちゃんとシンクの下に、洗濯機くらいのおおきさのものが収まっているのでなければダメじゃんね、とおもう。

日本の人の生活空間が、なあああんにも家事の負担を軽減してくれるものがなくて、20世紀的な不便さに満ちているのは、見ていて、借家に住んでいる人が多いせいなのかも、とおもうこともある。

実際、「中古住宅」なる、ふざけた言葉がある日本では、ディプリシエーションがおおきすぎて、純粋に金銭的にみれば、東京のような人口が集中する大都市では賃貸のほうが有利なはずです。

借家、というのは、その国の文明の程度が、よく現れる存在で、例えばアメリカの都市部ならば、借家にオーブン、食洗機、空調機と付いているのは普通のことで、しかも最近は電気代を取る不届きな大家が多いそうだが、もともとは電気代は家の持ち主が払うことになっていた。

それも望めないとなると、ほら、在宅勤務が増えたことを利用して、転職して、出来ればアメリカドルで支払ってくれる会社を探して、どっか、地方の風光明媚な村に越しちゃえばいいんですよ。

実際、プログラマ職のような職業を中心に、実行している人も増えたようで、子供がひとりもいなかった村に、子供や若い夫婦がもどってきて、過疎から回復した村落のニュースが散見されるようになっている。

安価なおおきな家を買って、キッチンにオカネを使って、暮らしてみれば、都会暮らしの惨めさは、払拭されそうです。

「家事は女がやるもの」と決めて、視界から外して、しかも家事を忘却の彼方に追いやった夫たちは、そこで考えるのをやめてしまったので、

日本社会の家事は、取り残されて進歩を止めた文明のように、いまだに20世紀を漂っていそうです。

実感できない?

そしたらね、自分から申し出て、奥さんに、「これからは何事も一緒にやろう。これは、ぼくときみとの生活なんだから」と提案すればいいんです。

一緒にやれる時間がない仕事に就いていたら、そんなの仕事のうちにも入らないくらいダメな仕事なんだから、やめちゃいなさいよ。

世の中がなべて週4日に移行しようと虎視眈々と狙っている世界で、週5日、午後8時をまわって帰宅するような非人間的な生活を続けていると、そのダメなライフスタイルを自己弁護して、無理矢理肯定しようとして、論理が腐って屁理屈になって、頭まで腐ってきてしまう。

なんども繰り返してきたように、男女同権にしろ、なににしろ、理屈なんていくらこねたってダメで、カップルがのびのびと幸福に暮らしている社会のやりかたを調べて、出来れば実見して、手っ取り早くライフスタイルを取り入れてしまったほうが早そうです。

現実から乖離した言葉ほど無力で有害なものはない。

Twitterで男女平等の理念をひねくりまわしているヒマがあったら、ほら、きみの背中の後ろで奥さんが洗ってる皿を洗いに行かなくては。

その、きみを愛していっしょにいてくれている人は、きみのおかあさんじゃないんだからね。



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1 reply

  1. シンガポールでは月額3万円か5万円でフィリピン人の家政婦さんを雇えるようで、子供を保育園に預けるような感覚でサービスが利用できるみたいですね。
    日本で同じ事をやろうとしたらいくらかかるかはわかりませんが、一般的な働き手の収入は月額20万なので、中々手が届かないのではないかと思います。
    同じようにフィリピン家政婦を雇うにても香港やシンガポールと違って日本人は英語があまり出来ない人が多いので、コミュニケーションという面でも難しい点がありそうです。

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