暴力へ向かう世界 

自分でバゲットを焼くことはできるが、ほんとうにおいしいバゲットをつくるのは、一転、途方もなく難しいので、いまは真冬で、家のひとが、腕に撚りをかけて、シンプルでゴージャスなスープをつくったりすると、バゲットを買ってきたくなる。

風変わりなベーカリーで、バゲットだけをつくるベーカリーは、わし家から、クルマで、だいたい10分もしないところにあります。

近いのだから、グダグダ言ってないで、出かければよさそうなものだが、

そうは烏賊の問屋が卸さない。

もっかニュージーランドは毎日の陽性者数が1万人を越えていて、危ないったら、ありゃしないというか、マジメに対策するのに飽きてしまって、マスクもしないで徒党をなしているひとびとが、あちこちにいるので、人間が少なそうな時間を狙って、さっと出かけて、疾きこと風のごとく、2mの距離を保って、佇って、徐かなること林のごとく、素早くバゲットを手にして場を去る作戦計画を立てないとならない。

家のひとは「わたしが買いに行こうか」と言ってくれるが、まさかそういうわけにはいかないので、K94マスクに顔を固めて、ピュッと行って、ピュッと帰ってきます。

リスクを取ったご褒美で、バゲットにバターをたっぷり塗って、イタリア人が見たら憤慨しそうな、ベーコン入りの、UK式ミネストローネと一緒に食べて、うんみゃあなあ、これだからバゲットとスープは、やめられねえんだがなもし、と、しみじみする。

最近は、面白くもないことに英語での「用事」というものが増えたので、さっさとすませてから、スペイン語の音楽業界人友とテキストメッセージをやりとりして、日本語に出かけると、安倍元首相が殺されている。

日本語ツイッタに出かけてみると、たまたま、こういうときに最も頼りになる武術や武器に詳しいトニどん @TonyChin がいて、あの盛大な真っ白煙をみると、花火やなんかに使う黒色火薬だよね、とか、手作りだね、形状から見てライフリング(施条)もなさそうに見えるが、あんな距離から撃って、標的に命中して、しかも殺傷力があるんだ、と立ち話をして別れます。

日が経つと、山上容疑者が使った「銃」は、トニどんの見立てどおりで、ビデオをみると、安倍元首相の周囲をじっと観察して、背後の警備が空白になっているのを見極めて、ゆっくりと近付いて、射殺している。

動機が統一教会への復讐であったり、これだけの知性があって、経済的理由で大学に進めなかったのは、さぞかし悔しかったろうと思わせる、高い知性を感じさせる容疑者の手紙が公開されたり、という一連の事実の経過は、日本語人なら、多分、みなが何度も観て周知のことだろうし、そのあとの、いつもの空回り騒ぎ、

あれはテロじゃない、いや、やっぱりテロだ、というような世にも虚しい、はっきり言ってしまえば世代ごとヒマ人クラブな、いつものひとびとの「論争」や、そのあとに、これには意義がなくはないとおもうが、最もわかりやすい統一教会の日本における強烈なプレゼンスに焦点が移行して、侃々諤々が始まったのは、日本風といえば日本風で、その幕間には、若いときのこのひとを知っている年長友が「あの男は、むかしから無駄に頭がいい」と評していたノンタイトル哲学者が、ひとり野党の党首にかみついていたりして、筒井康隆が生きていれば、と、うっかり書きかけて、まだご存命なのに気が付いたが、大喜びしそうな、茶番とは呼びたくないビデオが、何度も何度も流れたりして、

型にようやく嵌まって、日本的な風景のなかに落ち着いていったようでした。

日本の外では日本の人が考えるほど安倍元首相は評価が高いわけではなくて、例えば外交でいえば、オカネをばらまいて、殆ど無用に見える外交的な妥協を繰り返して、ほんとにそれでいいんですか?というか、日本の人が営々と築いてきた富を世界に向かって放り投げて、見返りなしに利益が得られて怒る国はなくて、そういう言い方をすれば、安倍首相が評判が悪いわけはない。

だって、損する心配はなくて、目と目があえば、にっこり笑って、威勢良く財布をピャッと開いて札束をくれるんだから、こんなにありがたい他国の元首はない。

韓国の人は異論があるだろうが、とにかく敵対だけは避ける、お友達お友達、というやりかたで、なんだかヘンテコリンな外交だったけれども、くさす理由もないので、

亡くなってしまえば、当然の外交上の儀礼として、テキトーに拾った功績を一行はさんで、あんたが死んで残念だ、とお悔やみを述べます。

安倍元首相に対して、というよりも、日本と日本国民全体に対して敬意を示す国際的な習慣なので、無論、次期はもうないと言われている、われらの首相ジャシンダ·アーダーンも、丁重に別れの挨拶を述べていた。

カメラを、おもいっきり引いて、遠くから眺めると、細部がみな剥がれ落ちて、見えてくるものはあきらかで、この一見、世界の動きとは無関係な老政治家銃撃事件も、世界を次第に覆いつつある暴力の暗雲と無関係ではない、という図式です。

手紙を読んであきらかなのは、この山上という人は、日本で起きている社会矛盾が言論で変わるとは、ほんの少しも信じていない。

例えばグリコ脅迫事件では、製品に毒をいれるぞ、と述べながら、日本の社会がいかに腐っているか、ちっとは考えてみやがれ、という畸形的とはいっても、広く言論を呼び起こそうという気持が垣間見えるが、山上容疑者の場合は、

日本の戦前にも広くみられた、絶望の一撃で、人生から希望を奪われた悔しさを手製の銃身に込めて、元首相の老いた肉体に、いきなり叩きつけた。

手紙にあらわれた知性の高さからみて、銃撃によって社会が変わるとも、まったくおもっていなかったでしょう。

言葉を奪われた人間の怒りと絶望だけが、そこにある。

なるほどなあ、とおもったのは、なにしろ統一教会はカルトなので、

カルト、カルト、といろいろな人が連呼するが、実は日本語では、ごく日常的に気に食わない相手と、その友だちを「カルト」呼ばわりする習慣があって、ぼくのTLに対しても「カルト」と述べる、人間性も頭も悪いおっさんがいたりして、フォロワーというか、いつもDMや、ときにはTLでも言葉を交わす友人たちの軽蔑を買っていたが、この素っ頓狂なおっちゃんに限らず、気に入らなければ相手をカルト呼ばわりするのは、日本人の「流行り」で、おかげで、言葉の本来の力は失われていて、

ただ自分が嫌いなだけの相手と友だちのグループも統一教会も同列で、その頭の悪意で狂った粗雑さに、なんだか笑ってしまう。

日本語は一般に、言語としての効果を失って、言語の体系として死語になっているが、悪意と人間性の欠落が、その原因になっていて、日本語のネット言論は敵意むきだしの感情のぶつけあいで、本来の、論理のぶつけあいは、とおの昔に消滅しているが、なんとか相手を感情的に傷つけようとして、語彙を濫用するので、言葉のほうは、たまったものではない、本来の語感、といえばいいのか、ちからは、目減りして、ゼロに近くなってしまっている。

相当に迂闊な人が見ても、例えばツイッタならばツイッタで、裏で仲間同士の談合がなされて、「裏党派」みたいなものが出来ているのもあきらかで、本人たちは言われれば否定するに決まっているが、共著者や、フォロー/フォロワーの関係をみれば明白どころではなくて、表に出ている部分は、下手をすると「戦場」だくらいに考えていて、奈落の楽屋で作戦を練って、自分は正義の味方で、仲間と連れ立って、世直しをしているのだくらいの幼稚さであるように見えます。

その結果、「日本語の言論」というようなものは、とおの昔に死んでしまっている。

すると、どうなるか。

予想みたいなことは嫌いだが、何年も前から「ちゃん文化」の延長のような言葉での嫌がらせや嘘の集団中傷をやめなければ、相手から指摘されても

「そんなことはない」と言えるだけのカムフラージュをすればいい、くらいのつもりで、そんなことばかり上手になっていると、最後は、日本の伝統であるテロの時代にもどる、と警告してきたとおり、山上容疑者がresumeしたテロの伝統回帰にスイッチが入って、これから、ゆっくりと「テロの頻発」「テロの応酬」に向かって日本語社会は動いていくのでしょう。

自業自得、などという言葉では、あきらめきれない、言語と言論の破壊が、もとから粗雑な右翼だけでなく、左翼やリベラル人の手で、積極的に行われたことを日本語のために残念なことだとおもっています。

安倍元首相銃殺を嚆矢として、これからも、暴力事件が頻発すると考えるのは、山上容疑者が使った原始的な「銃」も理由のひとつで、

世界の複雑化に耐えられなくなった人間が増えた英語世界で最も恐れられているのは3Dプリンターによる精巧な銃の模造で、これはライフリングのある命中率が高い銃も、簡単につくれます。

有名銃のデータも、そこいらじゅうにあがっているので、データをダウンロードして、大学にも会社にも、どこにでもある3Dプリンターで知識などなくても数回の使用なら、特に堅牢な素材もいらなくて、たいへんな問題になっている。

銃規制が遅れているうちに、自分で高性能の銃がつくれる環境が出来てしまったので、近い将来には銃規制そのものが無意味になると考えられています。

つまり、日本のように刀狩なみの厳しさで銃を規制してきた国も、漸近的にアメリカのような銃が野放しの社会に近付く可能性があるわけで、可能性だけではなくて、現実のものになっていくだろうことは、いまの殆ど足蹴にするような日本語の使われ方をみれば、ほぼ自明であるとおもえる。

街頭演説をしている最中に殴られる、学校で講義をしていて講壇に、突然駆け上がってきた学生に殴打される。

日本では「話せばわかる」と述べている首相に対して「問答無用」と応えて射殺する、という有名なテロ事件があったが、だんだんに、そういう社会になっていくことが予想できない人はいないでしょう。

日本の人は議論の才質に乏しい、とよく言われるが、裏を返せば、相手の言論を封殺するレトリックに巧みだ、とも言えて、「相手を黙らせる定石論法」の展覧会じみたネットを見れば、サンプルに事欠かない。

あるいは、なにを言われても、テコでも応えず、いよいよ追いつめられれば真っ黒に塗りつぶした「記録文書」を手渡してニヤニヤしてみせる権力を戴けば、言葉への絶望がつのって、有名なジャーナリストからテロリストに変じたウルリケ·マインホフではないが、武器を手にする知識人も、遠くもない将来には出てくるでしょう。

暴力の存在が言論を健全にするのは、よく知られていて、

日本語でも、それは例外でないといいたいが、実は、日本語の場合は、

主にアーティフィシャルな平和と非暴力の幻想を刷り込むことによって出来た「戦後民主主義」のせいで、暴力と言語の関係が歪んでいて、

「とにかく暴力はいけない」で、いっぽうでは、「なにを言ったって、つかまらなきゃ、おれの勝ちなんだよ、ばあーか」の狡猾ばかりが目立つ「言論」に終始したので、言語の無力が確認されたいま、一挙に暴力に走る可能性は高いようにおもえます。

いつもの「そんなこと、あるわけねーだろ」でニタニタしているひとたちの顔が思い浮かぶが、その冷笑の表情が、銃弾に打ち砕かれる日まで、そんなに遠くないのかも知れません。



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5 replies

  1. 本当に感じますね
    言論の無力さを

    わかってもらえたと思う時もありました。
    ただつらい思いは、その何倍もありました。
    封じる言葉は本当に巧みですね

  2. いつもありがとうございます。トニどんのところが「山下容疑者」になっていますよ。

  3. Gotoさんにも言ったんですけど、安倍晋三殺害ってたぶんガメさん予想してたんじゃないかな、と彼が死んだときには思っていたので、このブログは待望でした。

    ちゃん文化の件もそうですけど、この事件は僕ら付近の世代のネット活動が無意味だった、という厳然たる事実を突きつけた事件だったように思います。
    そもそものインターネット黎明期は、

    > 日本の人は議論の才質に乏しい、とよく言われるが、裏を返せば、相手の言論を封殺するレトリックに巧みだ、とも言えて、「相手を黙らせる定石論法」の展覧会じみたネットを見れば、サンプルに事欠かない。

    が横行している実生活でたまったストレスのはけ口だったわけですけど、2002年の日韓サッカーW杯あたりからの嫌韓ブーム以来、2chの発展と共に、ネット空間が上記の引用がまかり通る、ちゃん文化の世界になってしまって、そのちゃん文化の象徴が安倍晋三であり、橋下徹や松井一郎を起点とした日本維新の党だったように思います。

    一方で日本式の偽物リベラルは出発点からしてまがいもの(アーティフィシャル)であったのはご指摘のとおりで、だから、最初から存在そのものが無意味だったのです。
    ちゃん文化の浸透を止められなかったのは当たり前といえば当たり前でした。

    とはいえ、今後の日本社会は、ちゃん文化の破壊に向かうことは明白で、

    > 「とにかく暴力はいけない」で、いっぽうでは、「なにを言ったって、つかまらなきゃ、おれの勝ちなんだよ、ばあーか」の狡猾ばかりが目立つ「言論」に終始したので、言語の無力が確認されたいま、一挙に暴力に走る可能性は高いようにおもえます。
    >
    > いつもの「そんなこと、あるわけねーだろ」でニタニタしているひとたちの顔が思い浮かぶが、その冷笑の表情が、銃弾に打ち砕かれる日まで、そんなに遠くないのかも知れません。

    それはご指摘のとおり、精神的に追い詰められた個人の暴力によって、ある日突然やってくる。だから、メディアやネットで目立っている人間は、常にその暴力の犠牲になる覚悟を求められる時代になったように思います。

  4. 挑発し侮辱し冷笑して楽しむという醜悪な文化は、90年代初めの、googleやYahooで検索しても出てこないようなパソコン通信や草の根BBSのサイトの時代からあったもので、それが連綿と続き今に至っているわけだけど、結局、「ちゃん文化」なんてのはネット上の一部のはみ出し者たちの悪ふざけなんかではなくって、日本社会に普遍的にあった悪習だったんだよね。それを恥知らずにも開き直って利用したのが西村ひろゆきって人間なんだけど。

    俺がネトウヨの無教養さにうんざりして、連中なんかいない方が世の為だ、まず日本をよくするためにはネット上でわが物顔しているネトウヨたちをどうにか叩き潰さねばならん、と考え込んでいた頃に、フォローしていたブロガーさんがこう言っていた。

    「ネトウヨが叩かれ始めたら、その時はきっと事態は更に悪化しているだろう」

    俺は彼の言う「その時」の光景を想像できなかった。

    でもそれは、猛スピードで駆け抜けて、あっという間に過去のものになった。

    たしかに安倍晋三は、二回もあんな形でみっともない敵前逃亡したくせに、厚顔無恥にも政治的に返り咲こうとする野心を持っていたから、こいつに引導を渡すにはもう…とは俺も考えていたけれど、まさか本当にあんなことになるなんて、それもこんな早くに起こるなんて、本当に思わなかった。

    しかし事態が悪化していることだけは、はっきりとよくわかる。

    政治的な抗争や対立なんてものはもう無くなって、社会全体への失望や、いま正しいとされている人間的な営みそのものへの軽蔑が地を覆いつつある。

    参った…生き抜けるんだろうか…

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