すんごく酔っ払って、横須賀線の終電で鎌倉の家に戻ると皓皓と輝く月の光できらきらと輝く段葛の鎌倉武士たちの白骨の欠片を踏みしめながら歩く話をしたっけ?
えっ?
もう、したって?
Ver4って、きみ、ずいぶん昔からの読者なんだね。
あの頃、ぼくは人生を投げ出して、日本にやってきて、1年の半分を過ごすという無謀な生活を始めていた。
物好きなって?
そうじゃないんだよ。
あのころ、ぼくは、西洋でないところでなければ、どこへでもいい、
出かけて住みたかった。
息苦しさから逃れたかった。
鎌倉は、とてもいいところでね。
板硝子と縁側があるという、ただそれだけの理由で買った北鎌倉の切り通しの手前にある家は、ぼくにとっては療養所みたいなものだった。
毎日歩いてばかりいたんだよ。
鎌倉の人ならば誰でも知っている北鎌倉から大船への、小さな小さなトンネルを通って、「とんでん」という名前のファミリーレストランに行くの。
あるいは、もう少し足をのばして「観音食堂」という名前の定食屋へ行くの。
西郷従道が無理矢理に境内をぶったぎって通した横須賀線の踏切を渉って、
国道を横切って、化粧坂へ抜ける道を歩いて鎌倉へ向かう。
化粧坂というんだよね、あそこ。
つづらに折れた道を歩いて、日暮れ時には幽霊が出る日野俊基の墓で、
墓石に座って一服する。
亀が谷の急峻な坂をおりて、鎌倉に出る。
そこには昔は小さなとんかつ屋さんがあって、おいしいおいしいカツ丼をつくってくれたんだよ。
毎日新聞の記者の人だったと言ってたな。
いまとは異なって寂れた裏小路で、静かで、刀鍛冶の仕事場があって、死人(しびと)たちが囁き交わしながら歩いているようで、
そうやって、ぼくは、連合王国で培った薬物中毒から自分を再構築していった。
ぼくにとっては、日本全体が、療養所だったのだとおもいます。
内緒だけどね
ぼくは恐竜のような階級で育った
「えっ?階級?階級ってなんですか?バカじゃないの?」と思った君は正しい。
いつかガレージを直しに来た人は、たいそう知的な男で、
三日目に来たときは、自分が描いた絵をもってきてくれたが、
素晴らしい絵だった。
だから、すっかり仲良くなってしまったんだけど、
「ニュージーランドに移ってきて、いちばん、びっくりしたのはマネージャーを呼ぶときにMr.をつけなくていいことだった」と述べていた。
ファーストネームだけでいいんだ。
こんな世界があったのか。
それから、まっすぐに、ぼくの眼を見て、
「きみは上流階級の人間だよね」と、はっきりと述べた。
この国で会えてよかった、と言って、握手の手をのばして、
ぼくたちは照れ笑いをした。
いまでもクライストチャーチに行くと、ときどき、一緒にパブでビールを飲む。
薬物が身体をぬけていって、すっかり冷たい七面鳥みたいになりながら、
やっと息をするような気持になりながら、ぼくは、この国に来てよかったとおもっていた。
スペインが好きだとおもう。
特にカタルーニャが好きかな。
あの初対面の人間への愛想のなさ、
閉鎖性
いっそ敵対心といってもいい
あの閉じた心は、ぼくの好尚にあっている。
通りという通りに
広場という広場に満ちている世界への絶望は、ぼくの好尚にあっている。
でも、ぼくは日本が好きなんだよ。
なぜかって?
それは、とてもとても単純な理由で、
「他と違うから」だとおもう。
少なくとも、もし日本がなければ、ぼくはコカインの誘惑から逃れられなかっただろう。
それだけではなくて、「西洋」という全体を相対化してみることは出来なかっただろう。
ぼくは自分の家に帰ることに決めたが、それは、日本語世界にうんざりしたからじゃない。
日本語が、ぼくを仕立て直してくれたからだとおもっています。
ぼくが、どれほど日本語を愛しているか、こんなやりかたでは、うまく書けはしない。
きみは滑稽におもうだろうけど、ぼくは日本語を母語よりも母なる言語に感じることがあるんだよ。
なつかしい友だちたちと言葉を交わすだろう。
自分を救ってくれた言語世界で寛ぐだろう。
世界が呼んでいる
ぼくは、あの呼び声のほうに帰らなくちゃ
きみのやさしい言語
きみの、あたたかい、やさしい手のひら
どんなことがあっても、忘れない
絶対に忘れない
だけど
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読んだ後コメント差し上げようと思ったら、消えていたので、復活されて嬉しいです。
大船駅前の観音食堂にはよく行きました。パチンコ屋の前の角のお店ですよね。小さなトンネルも懐かしいです。個人的にも住んでいた当時は辛い時期だったので、こうして日本語にされて、なんだかあの時の自分の気持ちを文章化していただいているような気持ちになり、嬉しいです。
なんだか、嬉しいコメントです。再公開して、よかった