有効な言葉、無効な言葉

 

 

いまの日本が満身創痍であることを否定する人はいないだろう。

ちょうど人間でいえば、コレステロール値や血糖値、血液検査で判明するあらゆる値が毎年毎年あがってきて、ここ10年は赤い数字で表記されるものが多くなって、それでもなんとかなるだろうとタカをくくっていたら、

倦怠感がつきまとうようになって、関節の痛みがとれなくなり、

障子の桟を横目で見ていたら、あり、この桟はいつから歪んでいるんだろう?と、ぼんやり考えていたら黄斑症になっていた、というようなもので、なんだか自分が決壊が迫っているダムになったみたいというか、

いったい慢性の症状が、このまま一方向に進んで、酷くなっていったらどうなるんだ、と怯える一方で、いや今日も大丈夫だったから、多分、まだしばらく大丈夫だろう、と自分に言い聞かせる、という風なのかもしれない。

あるいは、ずっとブログに付き合ってくれているひとは、いまのこれを放置しておくと2025年くらいにはこうなる、アベノミクスなんかに手をだしたら、スッカラカンになる、とずっと述べてきて、なにもかも、その通りになったので、ずいぶん、お褒めを戴いたが、預言者ではあるまいし、なんのことはない、ずっと判り切った定石を述べてきただけです。

では、なぜ例えば政府は、日銀は、定石に従ってものごとを進めなかったんですか?

と、きみは訊くであろう。

ぼくの答えですか?

なんででしょうね。

いや怒っては困るので、ことここに至ったメカニズムは判るけれども、なんで判り切った、というか、どこの国でもやっている対策を取らなかったのかは、だって、ほんとに、ぼくにも判りません。

「通(つう)の人」というのは困ったもので、バイトで貯めたオカネで初めて鮨屋の暖簾をくぐった大学生が、おどおどしながら、松竹梅の竹を頼んで、どれから食べるか迷って、大好きな卵焼きから手をつけて、ご飯のほうにちょっとだけお醤油をつけて頬張って、「うまいなあ、高いけど」と非日常の幸福に浸っていると、席が四つくらい離れたコの字型カウンターの向こうから、なんだか和服を着たおっちゃんが、「きみは、なんにもわかってないねえ」と、軽蔑したような顔で話しかけてくる。

握りってのは、ご飯のほうじゃなくて、ネタに醤油を付けるんですよ。

それに第一、初手(しょて)から卵を食うバカがあるもんか。

卵は口直しに最後と決まってるのを知らんのかね。

きみは恥ずかしさでいっぱいの気持ちになって、鮨の味もしなくなって判らないまま、でもまあ、知識を教えてもらったんだから、いいか、と諦めて、そそくさと食べて、起ち上がろうとする。

PCR検査は抑制されるべきだ、というのは、日本でだけ通用する珍説だ、というのが最近はやっと知れ渡るようになった。

検査を受けても誰も怒りません。

ドライブスルーPCR検査は、到頭、最後までやらないですませてしまった。

と、書いたら、「そんなことはありません!広島では、ちゃんとやってます」という人が来たが、皮肉ではなくて、よかったですね、とおもうが、

広島でやっているから、そうか日本でもやっているんだね、と胸をなでおろす、というわけにはいかないでしょう。

正しさ競争をしているわけではなくて、議論は、常に実効性を念頭に置いておかないと、ダメですね。

あるいは「前例のない異次元金融緩和」を行って、2年で一挙に経済を回復する、と豪語した日銀総裁がいて、国債を買いまくり、株まで大量に買って株価をつりあげて、2年で一挙に経済を回復するどころか、8年で、それまで60年をかけて営々とつみあげてきた、ちょうどヤジロベエの錘にあたる、健全財政という日本の最大の武器を一挙に破壊してしまう。

日本の外の投資家たちの目から見れば話は簡単で、黙っていたほうが儲かるので黙っているだけで、あんなバカなことをやれば、簡単にいえば、

強固な財務ゆえに無敵だった日本という怪物じみた経済国家が、くだらない思いつきにオカネを使い果たして「ただの国」になってしまった。

なんで、そんなことをするのかね、とおもうが、

黒田東彦総裁にすれば、自分が「通」であることを素人諸君に見せつけたかったのでしょう。

日本の専門家が選りすぐりの愚か者ばかりで、しかも専門知識が細部だけ合っていて、全体は、屋根が土台になって床で雨をふせぐような妙ちきりんなデザインになっているのは、要するに「見栄」のせいであるとおもわれる。

福島第一発電所事故のときに、目の前のスクリーンで建屋が吹き飛んで大爆発を起こしているのを見て、極めつきの「専門家」が、

「あ。これは爆発でなくて緊急時のベンチレーションですね」と述べる姿は、一般科学フォーラムで、繰り返し映像が流れて、みんなの抱腹絶倒を誘って、うけにうけていたが、当の日本に住んでいる人にとっては、あんまり笑えない光景だったに違いない。

よっぽどメルトダウンが始まってからも「メルトダウンではない」と言い張る「科学者」が日本にはいて、しまいにはメルトダウンの定義をめぐって、「科学者」たちが延々と論争するという、スウィフトのラピュータ会議なみの光景が繰り広げられた事実を書き込もうかとおもったが、

それでは、いくらなんでも日本の人に気の毒なので、やめることにした。

第一、書き込んだとしても、あまりに現実離れして、バカバカしくて、信じてもらえなかったのではないか。

PCR検査も、福島第一原子力発電所事故への社会からのリアクションも、

アベノミクスの大失敗に対する反応も、「現実を見ない観点」に「専門家」たちが立っている点では、おなじで、どうやら、これが日本語人の宿痾であるようです。

その国の文明の「癖」は戦争に端的に顕れるが、日本の戦争史は、まさに

現実に対して無効だった作戦の展示場で、

有名な例でいえば、海軍側は港内の艦船が見える地点を確保して欲しかっただけなのに、「海軍は陸戦というものを理解していない。旅順を攻めるなら要塞ごと陥落させないと意味が無い」という要塞攻略の専門家たる参謀が現れて、素人の意見を無視して、遮二無二、兵士をペトンの壁と当時は珍しかった機関銃と榴弾砲の群に守られた近代要塞に、戊辰、日清戦争以来の肉弾突撃を繰り返して、先に戦死した兵士たちの積み重なった屍体を踏み損なって、身体をぐらぐらさせながら吶喊して、自分もまた、役にもたたない「肉弾」になっていった。

あるいは、発案者の大西瀧治郎中将自身が「加速度が足りない戦闘機に浅角度降下で体当たりさせても艦船に決定的な損害は与えられない。物理法則に反しているのは判っています。しかし、いまはフィリピン沖に遊弋する空母の甲板を一時的でよいから使えなくすることが、栗田主艦隊突入の最低条件なんです」と、いっときの奇策だと強調して特攻隊を編成して、ところが護衛空母などは甲板を歩くとペコペコ凹む音がした、と述べる人もいるくらいで、駆逐艦並の装甲の薄さで、セント·ローが爆発、沈没してしまう。

あっというまに護衛空母が作戦立案者たちの頭のなかでは「空母」に化けて、やったやった空母をやっちまうなんてひさしぶりだぜ、一回ぽっきりの奇策のはずが、毎日毎日、軍服を着た役人がペッタンペッタン、ハンコを捺して、自隊に割り振られた数をこなす、「死んでこい」のお役所仕事になっていきます。

自殺攻撃で体当たりして死んでいった若い人の数の割に、現実の戦果はぎょっとするほど少ないが、もう現実の効果への評価もなにもなくて、なにしろ後半になると戦果を見届ける役の飛行機もめんどくさがって出さなくなってしまう体たらくで、書類の上でテキトーに華々しい戦果をつくってゆくようになってゆく。

この現実を見ない、現実へどのくらいの効果があったかを測定しないのは、日本語世界の、ほとんどすべてに渉る分野での癖で、

それゆえに言葉の空転が始まって、あっというまに議論が屁理屈に堕してしまう。

どんなに言論の「専門家」である言論人たちが覆い隠そうとしても山上徹也が、上手につくられてさえいない、素人くさい自作銃から放った二発の銃弾のほうが、この50年に及ぶ統一教会と自民党の癒着を知っていて、知り抜いていた「専門家」たちの言論より現実を変える引き鉄を引いた事実は否定しようがないように思えます。

いまの成り行きを見ていると、自民党の統一教会との繫がりから始まって、自民党という政党そのものが、実は、社会の表舞台に顔をだせない勢力の「表向きの顔」にしかすぎなくて、いわばヤクザの世界における「舎弟企業」のようなものだ、ということが明らかになっていくでしょう。

望みは薄いが、岸信介が60年安保の前に「一千人抜刀隊」の創設を依頼したという笹川良一の線が、もっと明るみに出ていけば、日本が形だけアメリカ占領軍に押しつけられた民主制の衣を着て、どんな社会を運営してきたか、

外国人の日本研究者が知っている程度には日本の人にも判ってくるのではないかとおもっています。

しかし一方では、これで日本の伝統的なテロ社会への回帰が確実になったとも観察されている。

元首相暗殺のような「おおきなテロ」だけではなくて、「一人一殺」型が特徴的な日本のテロは、自分たちが気に入らない記事を書いた新聞支局を襲い、「アカ」の論者の講演を襲い、あるいは婦人参政権時代のイギリスやアメリカなみに、めぼしい男女同権論者/フェミニストを襲撃する人もあらわれてくるでしょう。

殺すことが目的でなく恐怖心を与えて黙らせることが目的の襲撃も、増えていきそうなことは、「相手を黙らせる言論」が異様に発達した日本語社会を観察していれば容易に想像がつく。

そういう言い方をするとひねた子供のようだが、「口では敵わないから暴力をふるう」のは、案外、人間の天性で、これを抑えてきたのは「現実を変えうる言葉」でした。

ジョン·F·ケネディは、良い例で、アメリカン大学の卒業式の演説を始めとして、JFKの「言葉」は確実にアメリカ社会に希望をもたらし、現実の変化を引き起こしていった。

一方で、彼の暗殺がなにを変えたかといえば、あれだけ権力が集中する大統領の、「これから」というときの死でありながら、彼の頭を撃ち抜いた銃弾は、なにも変えることができなかった。

あるいはヒットラーの一千機を超える、当時の最新鋭機を揃えたルフトバッフェは、終始優勢に戦いながら、チャーチルの演説の「言葉」の前に、虚しく力尽きて敗退します。

ウォーターゲイト·スキャンダルを持ち出すまでもなく、政治家たちだけでなくジャーナリストも現実を変更してゆく。

女の人達が参政権を獲得し、男たちと肩をならべ、企業を、国政を、動かすようになったのも、通りや演説会場での、男達からの日常的な暴力に痛めつけられながら、怯まずに述べ続けた、すべて言葉のちからでした。

余計なことを書くと、現実を変える力を持つ言葉には際立った特徴があって、知識の披瀝や他人の言葉の引用が極端に少ないのが見れば明らかです。

残念ながらアカデミアの住人たちの言葉が有り難がられる社会は一般的に遅れた、後進社会で、そういう社会では言葉は結局、流行り歌のように消費されるのは、そのせいでしょう。

冒頭のお寿司屋さんの話には続きがあって、起ち上がって学生が帰ろうとしたところで、この店の超一流の鮨を握る技術で有名な大将が、温厚な顔色を俄に変えて、お客さん、冗談言っちゃ困りますよ。

「鮨なんてのは、自分の好きに食えばいいんだよ。卵を初めに食いたきゃ、いちばんに食えばいい。醤油だって、どこにつけたって、好きでいいんだよ。わたしゃ、たいていのことは腹が立たないが、あんたみたいな人には金輪際、握れないね。帰ってくれ」と言って、えらい怒りようで、通のおっちゃんを追いだしてしまうと、

学生のほうには、座りなおすように言って、

なんでも好きなもの言ってくれよ、おれのおごりで、いくらでも食っていいよ。

と一気に述べてから、へたくそなウインクをしたそうです。

ほんとうの社会にも、通(つう)くらいの半可者ではぐうの根も出ない、嫌な言葉だけど「ホンモノ」がいればいいんだけど、なかなか、そうもいかないのは、いまだに混乱を極めたまま、終熄が見えないCOVIDや、太平洋に大放出しても、あんまり国際社会に非難されないチャンスを上目遣いでうかがっている福島原発事故の汚染水処理、カルトからハシタガネやボランティアを借り受けるくらいなにが悪いんだ、と居直りだした政治家たちを見れば、明らかです。

いま、このときにも3Dプリンターでつくった銃の線条をのぞき込みながら、

必ずやってみせる、と誓っている若い人たちが、いそうな社会に、いよいよ日本も戻ってしまったのかも知れません。



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