8月15日のメモ

1941年、大日本帝国が、天皇も含めた指導者層全員が開戦に反対だったのに、アメリカとイギリスに対して開戦した事情を知らない人はいないだろう。

「負けるかもしれない」という、ただひと言が言えないばっかりに、誰ひとり勝てると思っていなかった戦争を始めてしまう姿は、さすがは日本、とおもう人もいるだろうし、あんまり日本の人の心の構造を知らない人は、

どうしたら、そんなに愚かになれるのか、と訝しむに違いない。

アメリカのほうからいえば、いまのマレーシアくらいの国力の国が、オラオラして追いつめたら、ついにキレて、勝てるはずのない戦争にたちあがった、くらいのことだった。

計算と異なったのは空母に長大な航続距離を持つ単発機を詰め込んで、遙か彼方の敵根拠地を叩く「空母攻撃群」という史上初めての軍事思想を日本人は持っていたことで、予想外のこの能力のせいでアメリカは危うく一時的に太平洋を失うところだった。

当時の日本はGDPの8割(!)を軍事費に注ぎ込むという、とんでもない国で、その軍事優先のデタラメな財政のせいで、国内の国民の生活は、破綻どころではなくて、ちょっと田舎に行けば生まれた娘は売春婦に売りとばすのが当たり前、東北では白い飯など見たこともなくて、いま考えると、ちょっと想像を絶するが、米作中心の農業国家であったのに、米を作っている当人は米を食べるなんて贅沢は望むべくもなくて、いまなら鳥の餌としてなら実見することができる粟や稗を食べて、かろうじて生命をつなぐありさまだった。

日本にいたとき、カレーライスを見るたびに、そのメニューが、あまりの貧困のせいで、体格が劣弱で、病気がちだった徴兵された若者たちの健康を心配して、というよりも、これじゃ兵器として使いものにならねえぜ、で、一計を案じた軍部首脳が命じてつくらせた「洋食」であったことをおもいだしていた。

なにしろ白米そのものを見るのが初めての新兵たちは、その折角の「銀シャリ」にカレーをかけて「汚して」しまうのが惜しくて、別々に出してくれればいいのに、と残念がった人も多かったようでした。

絹と米以外には産業がないビンボな農業国は、再投資にまわすカネなどなかったので、隣の満洲を侵略して開拓団を送り込んで帳尻をあわせようとする。

「開拓団」というと、まるで原野を切り拓いたようだが、これが後々の少女売春を「援助交際」という居直った言い換えで誤魔化してしまったのと同じ、言葉の手妻で、現実には、もともと農場を営んでいた満州人や中国人を武力で追放して、次次に乗っ取っていったケースが大部分で、その恨みが、敗戦のときの集団リンチや強姦となって返ってきます。

満洲さえ取って、維持していれば、軍事費に入れ込んだオカネの分は、なんとか埋め合わせが出来るという計算だったが、そこが軍人たち中心の首脳部の浅知恵で、台湾が黒字なのだから、その数倍は儲かるはずだと踏んだ目論見は見事に外れて、反対に、毎年毎年、本土から持ち出しの、赤字の泥沼にはまりこんでゆく。

どうにもならなくったときに、遠い欧州で、日本の救世主のようにあらわれたのがヒットラーで、当時の陸軍最強国フランスをあっというまに打ち破って、それまでは大阪の維新の吉村知事みたいなもんじゃないの、と眉唾だったのが、ドイツ国民の国民を挙げての非望の願いだったフランス打倒をあっさりと成し遂げた途端に昨日の吉村が今日はフューラーになって、

ほとんど神のような神秘的な存在になってゆく。

フランスが遠いアジアの植民地どころではなくなったので、これ幸いとばかり仏領インドシナ、いまでいえばカンボジアやベトナムがあるあたりを、とっちまえば、いくらか赤字の補填になるだろう、で、火事場泥棒そのまま、進軍して、分捕ってしまいます。

簡単にいえば、これが誤算で、フランスのものを分捕ったって、アメリカが怒るわけないよね、とおもっていたのに、アメリカが「国際秩序」という日本語では語彙の意味の欄が空欄になっている空疎語をもちだして、日本政府首脳には理解不能な激怒で、えええええー!の「え」をいくつ連ねても表現できないくらい日本政府が、ぶったまげたことには、石油を全面禁輸にしてしまう。

このころの日本は、国策が、そもそも論理的に破綻しているんじゃないの?なヘンテコリンな政策で、「富国強兵」と言い条、富国は言葉の綾みたいなもので、徹底的な強兵政策です。

原理主義的で過激な北朝鮮というか、北朝鮮は一説にGDPの16%にも及ぶ軍事費を軍備に注ぎ込んでいるのではないかと言われているが、はっはっは、そんなんあまいやん、日本人の目が据わったときの怖さを知らんのか、というか、日本はなにしろGDPの7080%が軍事費で、武士は食わねど高楊枝、百姓は噛みしめる楊枝もないので、泡を吹いて死ねで、ともかく有り金をつぎこんで強大な軍隊をつくりあげた、その軍隊の仮想敵国はアメリカで、そのアメリカから輸入している石油で戦闘機を飛ばし、戦艦を動かすという、なんだかよく判らない仕組みになっていました。

頭のなかでは、どう解決していたかというと、とにかく南へ南へと勢力をのばして、オランダの油田に届けば、一挙解決じゃん、ということにして、

「それまではアメリカは激オコにはなりませんから。アメリカって、そんなことに目鯨たてる国じゃないのを、きみは知らんのかね」で、南インドシナに派兵したら、絶対に怒らないはずのアメリカが、怒らないどころか、

無茶苦茶に怒りだして、石油を全面禁輸にするという「絶対に起こるはずがない」前提を覆す行動に出てしまった。

ええ。

改めて聴かされると、耳を疑うでしょうし、なんという情けない、と思いもするでしょうが、よく知られているとおり、このあとの論理の展開がすごくて、アメリカが石油をくれないなら、1年で軍隊を動かせなくなるので、

いま戦争をやろう、という、えええ、な結論になるんです。

そうでないと、兵器にも賞味期限はあるし、国の産業が軍隊しかないので、国の経営がやれなくなる。

だから戦争しようね、ということになる。

ひとつだけ困ったことがあって、当時のアメリカは例えば陸軍はポーランド陸軍とならぶ22位だかの戦力で、軍事弱小国だが、それはなぜかといえば、富裕を極めるどころではない当時のアメリカと戦争しようというアンポンタンな国が存在するわけはなかったからで、ひとりだけアメリカとの戦争を覚悟していたヒットラーも、アメリカが戦争に参加するのは1970年代より早くはない、と計算していました。

戦争を始めちゃって、アメリカが兵器を作りだして、動員令をかけたら、勝てないんじゃない?という疑問を持つ人は昭和天皇ヒロヒト以下、たくさんいたんだけれども、アメリカが戦備を整えるのは早くても半年後だから、それまでに、じゃんじゃん勝って、和平条約を結べばいいじゃん、ということになった。

もし半年経って戦争が終わらなかったら、どうなるんでしょうか?という声は出なかった。

「負ける」に決まってるからです。

でも、もう戦争やるっきゃないんだから、いいや、それで。

やろうやろう、戦争やっちまおう、で始めてしまったが、誰も勝つとおもっていないという、世にも不思議な戦争に、日本は入っていきます。

主戦場は欧州で、副戦場はスエズ運河攻防戦で、太平洋は第三戦線です。

なにしろヒットラーに率いられた、というか引き摺られたというかのドイツ軍は、もうめっちゃくちゃな強さで、Might and Magicのブラックドラゴンよりも、まだ強くて、特に当時の、イギリス軍のおちゃらけた兵器では対抗しようもなくて、スピットファイアだけは、まあまあ、まともだったが、というか、お国贔屓ですけど、優秀機だったが、当時戦闘機パイロットだったロアルド・ダールの乗機などは複葉のグラディエーターで、武器庫をかっさらって、使えそうなものは鉄製のpikeまで持ち出して、全力でナチと戦っていたので、太平洋は、ガラ空きもいいところだった。例えばシンガポール攻防戦のイギリス側主力機は、ビア樽に翼をつけたら飛びました、と言わんばかりのブリュースターバッファローという、まるっこい愛嬌があるだけが取り柄の戦闘機で、あの貧弱な武装の軽戦闘機「隼」にさえ適わなかった。

おまけに、防衛軍トップは、ウインストン・チャーチルに「死ね」「腰抜け」「恥さらし」と口を極めて罵られた臆病者のパーシバルで、ブリキのオモチャみたいな日本軍の戦車の、しかし集中使用にあっさりスリム将軍の防衛戦は突破されて、アジア全域が、あっさり大日本帝国の手に渡ってしまいます。

ここで面白いことが起こって、陸軍はシンガポールとフィリピンが手中に入ったことに、すっかり満足して、停戦しようよ、うまくすれば戦争終結に持っていけるのでは、と強く主張するが、海軍は反対で、

真珠湾で取り逃がした空母群が頭にあって、「とにかく敵機動部隊を壊滅させないと戦争をやめるわけにはいかない」と強硬に主張する。

戦後、主に元海軍将校たちの手によって、上手に隠されたのは、まさに、この時期で、陸軍は、ほとんど、これが最後の戦争終結のチャンスになることを知っていて、しかもそれを熱望していたようです。

しかし、そこまで百日間、マッカーサーをオーストラリアに閉じ込めて、ナチのせいで真空地帯化していた太平洋で勝ちまくっていた大日本帝国は、結局、戦争を継続することに決めてしまう。

なんで?

と、おもうでしょう?

ぼくも、なんで、とおもうもの。

だって、千載一遇というが、万が一の奇跡が起きて、緒戦に勝っちゃったんでしょう?

そしたら予定通り、そこで和平に向かって必死の努力をするのが当たり前で、実際、日露戦争のときは、そうしたのでした。

実は、ここでも、ものをいったのが鈴木貞一企画院総裁が準備してあった大東亜共栄圏プランで、予測統計数字によれば、石油、鉄、アルミニウム、戦争状態を遂行するための資材は全部、すでに占領した各地から日本に輸送することによって、賄えるどころか、戦前よりも、遙かに豊富な資材を手にすると述べられていた。

なんだ、そんなら、それでいくのがいいよね、と、みんな思ったものでした。

ところが、ところーが。

好事魔多し。

日本政府の統計には嘘多し。

戦後にばれた事実は、驚くべきもので、この国策決定の基礎になった資料は、ひとりの「きみ、これやってね」と直前になって言われた将校が、調査をする時間もなくて、簡単にいえばテキトーに「戦争を続けられるように」でっちあげたものだった。

そりゃ、大東亜共栄圏で、やっていけますよ。

だって「やっていける」ように捏造した数字だったんだもの。

アベノミクスみたいなものだったんです。

しかも、その上に補給線に集る潜水艦によって輸送船が予想を遙かに越えてボコボコ沈められたのは、日本人の国民的記憶として残っているとおりで、

ついでに、こっちの事実だけを強調して、「日本軍には補給の観念がなかったので負けた」と、もとからチョーテキトーだった戦争遂行計画のほうは、なあんとなく、有耶無耶にすませることに成功してしまったようでした。

このあと、日本は国民に対しても常々「サイパン無敵要塞の陥落はありえない。もしサイパンが失陥したら、戦争継続は不可能」と述べていたサイパンが、あっけなく落ちて、バツが悪かったんだかなんだかで、大和魂があれば、まだまだやれるで、前半とは桁が異なる死者を出しながら、誰も勝つとおもえなくなっていた戦争を戦って、92日の全面降伏調印に至ります。

日本が世界史に特記されるほど運がよかったのは、アメリカ軍、特に太平洋の島嶼を、ひとつずつ、文字通り死に物狂いで戦って、地獄の戦場を勝ち抜いた占領第一波の軍隊が、当然、強姦だの暴力犯罪だのは起きたが、公平に述べて極めて人間性に富んだ軍隊で、なにしろ日本は本土では戦わないで、見ようによっては腰が抜けたような、だらしがない降伏だったにもかかわらず、例えば満洲でソ連軍がみせたような、野蛮で残忍な勝者として振る舞わなかったことでした。

これが、どれほど奇蹟的な幸運だったかは、日本人自身の、中国やフィリピン、シンガポールでの、いまでも悪鬼の所業と蔑まれる行動を考えれば容易に判ることでしょう。

日本は、いま、再び戦禍にまきこまれるのが100%確実な状況のスタートラインに立っている。

日本の人は考えたくないことはないことにする名人なので、チラとも思わないようだが、外からみれば、気の毒でも、香港、台湾、と来れば、次が日本なのは、誰にでも自明なことです。

Ifではなくwhenだと、誰もが考えている。

世界のバランスというものは、そういうもので、ロシアのウクライナ侵攻が、思わぬ影響を与えて、習近平の頭から調略だけで台湾を征服するプランを消し去ってしまった。

日本が戦争に巻き込まれるのは、多分、南西諸島、与那国島の中国軍による占領くらいが手始めで、そこで「そのくらいの犠牲は仕方がない」と国論が決しても、展開が未来へ先延ばしされるだけで、全体の「日本を戦場とする米中決戦」だけは、ほぼスケジュール化されていて、何年後になるのか判らないが、よく観察してみれば、日本政府も、だんだん、その覚悟を固めているのが判ります。

せめて九州が戦場で、それも海空中心ですめばいいが、アメリカの海と空とでの優位と、陸での人民解放軍コンプレックスを考えれば、台湾侵略時の南西諸島併合、その次は沖縄、その次は…. と中国が計画していると考えるほうが普通でしょう。

そこで「そんなことはない!」と目を血走らせてコーフンしているひと、きみのためにいうと、じゃあ、もう来年にでも人民解放軍が来るのか、という気持ちに、経済でもなんでも、日本の人は性急に考えるが、そうではないのです。

特に戦争は、準備のための時間も、駆け引きの時間も十分にあるのが普通で、日本は、これから、長く苦しい、戦争へゆっくり向かう時代に入ったのだ、ということを述べている。

中国が大内乱で四分五裂にならない限り、日本列島がアメリカと中国の二大パワーの膠着線になるのは歴史的必然で、だいいち、地図をみればわかるが、中国からみれば日本列島は太平洋支配のためには、どうしても乗り越えなければならない万里の長城で、アメリカから見れば、ここを突破されてしまえば次はハワイの、やはり譲れない、「太平洋の無敵要塞」です。

もっとも、いまから、用事もないのに身構えていては、草臥れるだけなので、だいたいこっちの方角に事態は行くんだな、と見当だけつけておいて、一見は脈絡のない出来事を、その観点から眺めて整列させておけばいい。

なんどもなんども述べたが、戦争は、通常、個人からすれば準備する時間が十分にある状態でしか個々の人間の一生を訪問しない。

突然、戦争に巻き込まれて、と感じるのは、それは正面から正視して見つめているべきものから、耐えられずに、目を逸らしていたからに他ならない。

77年つづいた平和の時代は終わったが、戦争が来るのは、まだ少し先です。

いまから準備しておけば間に合わないなんてことはありえない。

目を逸らしては、ダメだけどね

では



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