変わる世界

GP、というのはGeneral practitionerの略で、要するに病気のコンシェルジュみたいなものです。

身体に不調を感じて、まず会いに行くのが自分のGPで、このひとが症状を聞いて、判断して、癌なら癌の専門医を紹介してくれる。

GPをやっていた友だちに街で、ばったり会ったら、もう、あれはやめた、という。

日本とおなじで、医師は、世間体も含めた条件の良い悪いを勘案すると、

自分が、どんな「世間」に生きているかにもよるが、まあまあ、よいほうに属するので、なんでまた、と訊いてみると、

友だちはみんな週4日体制に切り替わっているのに、病院は遅れていて、

なかなか週4日と、すっぱり割切って勤務させてくれないのだという。

だから、やめた。

医者は、忙しいから向いていない。

ふむふむ。

たしかにかにたし、とおもいながら聴いて、コロナパンデミックも、いささか強引だが終わったことになったし、また、会おうね、ブロードウェイのパブ?

ああ、みんなパンデミックで飲み過ぎるからってアルコールやめちゃったから、ぼくもやめちゃったんだよ。

ペリエで付き合うのだったら、いつでも歓迎だけど、と述べて、別れた。

ここ最近の世界で、静かだが最もおおきな変化は、「働き方」であるとおもわれる。

ふたつのおおきな潮流があって、ひとつは英語諸国の「週五日勤務から週四日勤務」へのおおきな流れで、賃金や企業が提供する福祉厚生は、そのままで、もちろん残業も増えたりはしません。

やってみると、案外、コロンブスの卵というか、案ずるより産むが易し(←この諺、ほんとですか?)というか、案外なもので、週5日でやっていたときと企業側から見た生産性が変わらないので、いまは数百社単位で参加している社会実験の段階だが、どうやら一挙に普及しそうです。

もうひとつは、フランスやオランダ、大陸諸国の「週三日型」で、こちらは

、ひとつの教師なら教師の職能をふたり以上で分担する。

賃金は、月に60万円程度だったのが、4割減の36万円、というような例が多いようです。夫婦で働いて、7080万円なので、暮らせなくはない。

老後は、なにしろ欧州のことなので、高い税率の代わりに、国が面倒を見てくれる。

慌てて大事なことを書き加えると、週三日型に移行しつつある国では、パートタイマーと正社員が完全に同格で、労働組合にも加入していて、区別がありません。

このふたつのおおきな潮流に加えて、これはなぜか国別に様相が異なるように見えるが、コロナパンデミックが起源の在宅勤務があわさって、

働き方は、そういう言い方をすれば「激変」といっていい変化のさなかにある。

十何年か前、まだ日本に1年のうちの数ヶ月住んでみたりしていたころに、

日本社会では革新的で新しいことをどんどん取り入れている、という評判の会社の社長さんに、当時はまだ「考え方」に過ぎなかった「週4日勤務」の話をしたら、しばらく、じっと考えていたが、

「日本では、無理じゃないかな」という反応だった。

生産性は多分おなじか、むしろ効率はあがるだろう、三日間の休みがあれば、個人として地面にしっかり立つ生活の構築も出来るし、勤勉な人は労働移動にも使うでしょう、と述べたあとだったので、その聡明な社長おっちゃんからの予想外の返答にちょっと驚いたのをおぼえている。

もしかすると用語を知らなかった人がいるかも知れないので、唐突に付け加えると、「労働移動」というのは、例えば自動車の熟練工がプログラマとしての技能を身に付ける、というような仕事の内容の変更の過程を言う言葉で、IT化が急速に進む一方で若い世代の人口が減っている先進国が生き延びていくためには、必須と意識されている概念です。

当然、国の積極的援助が必要で、例えば自動車などの工業製品の生産に偏ってIT化がひどく遅れたドイツでは積極的に進められている。

国際産業構造のなかでドイツと似た位置にある日本でも行われているはずだが、実際に行われているのかどうかは、知りません。

(閑話休題)

話をもどすと、ふだんは、開明的で賢いので、話していて「おおっ」とおもうことが多いおっちゃんは、しかし、週四日勤務については悲観的で、

「日本の人だと、休みが一日増える、というだけの結果になるんじゃないかな」と不思議なことを言う。

週二日の休みが週三日になるんだから、あたりまえですがな、とおもって聴いていると、

「増えた三日の休みのあいだ、家族に邪魔だと疎まれながら、ただゴロゴロしている可能性がおおきい」

「いまの週2日でも、もてあましている人がおおいからなあ」

それは、中高年だけの話なんちゃいますか?と訊いても、

いや、若い人も、たいしたことはやらないのね、と教えてくれます。

オカネがもったいない、という気持ちもあるんだろうけど、

と言ってから、

「あんまり個人としての人間として暮らしてるわけじゃないからね」と、ものすごいことをいう。

日本人ってのはね、ガメちゃん、みんなと一緒に、仕事の雰囲気に浸ってるときが、いちばん幸せなんだよ。

個人主義、というようなものは、どこに見あたらない国なんだよ。

ガメちゃんにして、案外、判ってないね。

と笑っています。

しかし、とにもかくにも、昔の週6日勤務から、週5日半になって、いまは週五日が普通なんだから、とかなんとか、そういうことをモゴモゴと述べて話題が打ちきりになったのは、それ以上話そうにも、日本の職場の実態を知らなかったからでしょう。

日本にいるあいだ、ずっと、びっくりの連続だったのは、日本の人はほぼ必ずといっていいほど、全体の立場から、国の立場から、社会の立場から個人の生活を評価する根強い習慣を持っていることで、

生活保護の基準を甘くすると、社会の福祉負担が増えるからダメだという。

住民にとって危険かも知れないからと言って残留放射線量を基準どおりにとったら自治体が存続できなくなるから、多少は危険でも早急に住民に帰還を促すしかないと述べる。

甚だしきにいたっては、PCR検査をちゃんとやると、陽性者がたくさん見つかって医療機関がパンクするから検査を抑制すべきだという。

どれも英語人が聴けば「口あんぐり」の「個人の安寧は考慮の最後」な、ものすごい意見にしか見えないが、日本の人に言わせれば、個人を優先するこっちのほうが頭がヘンなので「国あっての国民でしょう」なんて言われてしまう。

こちらは「国民あっての国でしょう」とおもっている、というか、それがあたりまえだとおもっているので、永遠に話が噛みあいません。

最近は日本人でないのをいいことに、日本の社会や政治のことは「ぼく、わかんない」で、すませることにしているが、正直に言えば、十何年、そっち行ったらあかんがな、そういうことをやっているとこうなりまっせ、と述べ続けて、そのたびに、ここもたかが社会への意見が異なるくらいで、なぜそうなるのか判らないが、感情に走って、様々な、しかも集団で示し合わせての嫌がらせが帰ってくる、という鬱陶しさに負けたので、ま、たしかに余計なお世話だから、どうぞ日本独自の道を歩いてください、ということになっている。

とはいうものの、どうも日本では、いまは変化の時で、世界中で、あちこちで、起きている急速な変化のうち、あんまり伝えられていないらしいことについて書くくらいは、あのね、もともとこのブログは一般公開の体裁をとっているけど、日本語で出来た友だちへの、ぼくからの個人的な手紙なんです、堪忍してや、とおもっています。

ときどき茶飲み話にやってくるのだ。

みかん、炬燵の上に置いといてね



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3 replies

  1. 炬燵にみかん、大好きです。
    そして炬燵の上に、りんごもいいですよ。
    子供は蜜柑食べながら、お父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんが、りんごを剥いてくれるのを待ってるんです。
    それで、剥けたら、わーい、ありがとう♡って言ってみんなで食べる。
    緑茶を飲みながら。
    食べたらトランプとかドンジャラとかモノポリーして遊んだりする。

    私がナイフを初めて使ったのも、炬燵でりんごが食べたくてお父さんに剥いてってお願いしたら、むらゆきが剥いてごらんって言って使い方を教えてくれました。
    私が剥いたりんごを家族で食べたのは嬉しかったですね。

    そういう個人としての生活、今は意識しないとできない社会システムかもしれません。

  2. 週休3日、とりあえずこれが実現すれば、かなりの人たちの心が少しゆるむと思います。ヒーヒー言っていそがしく働いている人が多いのです。休みはぼーっとすることで自分を守っている人もいるのです。そののちでないと建設的なことが考えられない。週休4日ならもっと最高、やる気が出る!楽しくがんばれる!

  3. ガメさん有難う。

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