鎌倉殿の13人

 

義理叔父の母親、かまくらばーちゃんが住んでいて、おとなになって再訪日したときには、あの大好きなカタカタいう音がする「板硝子の引き戸がある縁側がある家」を買って持っていたりしたので、鎌倉は、馴染みがある町です。

時期でいうと、マクドナルドが若宮大路の二の鳥居にあったころよりは、ずっと後で、下馬の、消防署の近くにあったころ、ということになると思う。

このマクドナルドは鎌倉武者の幽霊が出るので有名で、パートの店員で働いていた人が、ロッカーのドアを開けたら、鏡を、すうっっっと鎧武者が横切っていった、と「思い出すのも怖い」という顔で述べていた。

地元の人に聴くと、近くの松林が鎌倉武士の幽霊のメッカで、

戦後すぐの頃までは、お使いを頼まれて、大八車(←リアカーではなくて)を引っ張って松林の前を通ると、そこがすごい、と聴いていておもったが、

「必ず」騎馬武者が駆け回って、呼ばわる声がする。

もっとも姿は見えなかったようで、名越えの切り通しを写生していたら、肩越しに人が見ている視線を感じるので、振り返ったら鎧武者が立っていた、という曼荼羅堂とは、また、趣が異なる幽霊のようでした。

「鎌倉殿の13人」が大流行りで、どうやら、ひさびさの「国民ドラマ」になっているというので、それはいいことだな、と考えた。

現に我が友オダキン博士などは、「ガメに文句を言われそう」とか訳のわからない恐怖の感情を述べながら、しかしタイムラインを覗くと、延々と延々と、最近のネット用語では大喜利というのかな? その週の回について、おおぜいの人が意見を述べあっていて、そこが日本で、上手な漫画で書かれた場面の数々が並んでいる。

むかし日本の人が奇妙なくらい「三国志(演義)」に詳しいので、中国の人ならともかく、いったいどういうことなのだろう、と訝しくおもったが、

そのうちに、コーエイの人気ゲームシリーズ「三国志」と横山光輝の長編マンガ「三国志」のせいだと判った。

多分、いまごろは、日本の人たちは、鎌倉時代の登場人物たちに異様に詳しくなっていて、この記事を書いているのはドラマで和田義盛が矢衾(やぶすま)に射立てられて大往生を遂げたところだが、そこが衒学のおもしろさで、あの戸板で固めた陣形はtestudoと言ってローマ人が考えたものだとか、いや、実際にも鎌倉時代にはあったのだ、とか、戸板じゃ義盛の強弓で貫通してしまうのではないか、とか、みんなで「役に立たないことを議論する楽しさ」に浸っているのではなかろうか。

そういうところは、日本の人は、ドイツ人などには「役に立たないことに夢中になるなんて、バカなんじゃないの?」と疑いをかけられているらしいイギリス人に、不思議なくらいよく似ている。

鎌倉時代は、日本の歴史のなかで、官僚制が発達せず、個々の人間に裁量を与える、垂直ピラミッド型の代わりに水平型の為政の体制を敷いた最後の時代だった。

「鎌倉殿」を王冠のように頭に戴いて、その下はバイキングなみの家の共同体だったが、案外、そのことが、ようやく民主制の良さに目覚めつつある、日本の人の、いまの気持ちにあっているのかもしれません。

なんだか他人事みたいに書いているが、ずっと前に書いたことが何度かあるが、日本は中世が最も好きな時代で、なかでも鎌倉時代前期が好きで、

好きが嵩じて、見るからにシブい家を買ってしまった経緯もあります。

買うときに「裏山にでるかもしれません」と不動産屋さんが述べていた鎌倉武者の幽霊が出なかったのは残念だったが、規模は小さくても鬱蒼とした森に囲まれた家で、夜更けにふらふらとであるいては、自分が鎌倉武者の亡霊になった気分にひたって悦に入っていた。

和弓はイギリスの有名なlongbowに武器としての思想が似ている。

longbow1545年の沈没したMary Roseから引き揚げられたものを見ると

6ft 1in(185cm)から6ft 10in(208cm)で、標準が73寸(213cm)という和弓に較べると、わずかに短いが、この長さでもlongbowを引き絞って放つのには、ひねりを中心とした特殊な技倆が必要で、子供のときから訓練された者でないと扱えなかったというので、それより更に長い和弓は、よほどの修練をつまないと実戦の役に立たなかったでしょう。

武器としての長弓の特徴は長大な飛翔距離と貫通力はもちろんだが、ややヘンテコリンなことをいうと、ひきしぼられた形の美しさで、美術品そのものである鎌倉時代の鎧甲冑や日本刀とあわせて戦闘という暴力のなかに美を見いだしていった日本人の姿が窺われて、形としての宗教の道を突き進んでいった鎌倉仏教の禅とあわせて、その「暴力の美」という思想に、すっかりいかれてしまったイギリス人の子供を虜にしたものだった。

宗教として美に呑み込まれた感のある禅をみると、日本人は、倫理をもちえなかったというより、持つ必要を感じなかったのだとおもいます。

美しければ、それでよかった民族の姿が、日本の歴史を一本の線のように貫いている。

他方で、番組をめぐるタイムラインで、随分話題になっているようだったが、鎌倉は裏切りサバイバルの時代でもあって、こちらは、当然、暴力自体がもつ本質、「やつらは敵だ。敵を殺せ」が顔を出している。

仔細に見ていくと、暴力を研ぎ澄まして美に昇華したというよりも、暴力と美意識が交互に顔をだしているので、「鎌倉殿の13人」は、「鎧甲冑を着せた現代劇ドラマ」でありながら、タイムラインのひとびとが口々に述べているように、現実ではありえない現実を誇示するかのように呆気にとられるようなストーリーで進んで行くのは、つまりは「暴力の文脈」という普段の日本語社会では口にすることすら忌避されなければならないことが推進力になっていた時代の社会を新鮮なものと感じるせいもあるのかもしれません。

まあ、理屈は、もういいや。

むかしむかし大酔して、夜更けの鎌倉の町や海辺や墓地をうろうろしながら幻視しようとしていたことが、ドラマになって、twitterで知っているオダキンたちが、どうおもったかがタイムラインで判って、これはいいなあ、とおもう。

「鎌倉殿の13人」と、それを取り巻いて、わいわいと述べあっているニコニコ動画的コミュニティに顔をしかめている人は、案外なくらい多いが、別に、いいんじゃないか、というか、もう一歩踏み出して、いいことだとおもって見ている。

ああいうコミュニティとは180度反対側にいて相容れない人間がそうおもうのだから、きっと、余程、みなが途方もなく幸福な時間なのだとおもいます。

そんなことは観ている人達も百も承知だが、歴史的リアリティについてはゼロに近いドラマで、「史実にあってない」なんてくだらないことを述べているのではなくて、鎌倉というのは突然中世が現れる町で、例えば、鎌倉の古い住宅地に住んでいれば誰でも経験がある「円覚寺の托鉢」がある。

駅前で佇んでいるお芝居のような托鉢とはまったく異なるもので、誇りにまみれた若い僧たちが、形相もものすごく、通りを駆け回って、早朝の住宅の門や玄関の戸を、荒々しく、どんどんと拳で叩いて、喜捨を要求します。

なんのことはない、中世が、一朝、自分の住んでいるところに突如として出現するので、

「なるほど日本の中世って、これか」と理屈ではなくて体感される。

もっとくだらないことをいうと無形文化財には、ああいう時代がタイムワープしてやってくるようなものをこそ、指定すべきなのではないかしら、と考える。

あの獣のような時代の空気があるからこそ、日本刀や鎧甲冑の純粋美が生まれた。

その空気が、まったくない、という意味です。

もっとも、制作側も、そんなことは百も承知でつくっているはずで、鎌倉を舞台にして、近代文法の代わりに中世の文法に従った現代ドラマをつくってみようとして、うまくいった、というほうが当たっていそうです。

観ていて、いいな、とおもうのは、ぼくの偏見では、「鎌倉を理解することが日本を理解すること」で、中世をキーワードに現代を読み解いていくのは、実は、欧州の最近の傾向でもある。

深夜の散歩の場所としてブログ記事によく出てくる妙法寺はドラマで言えば比企の家で、酔っ払いの空耳に決まっているが、しいーんと鎮まった暗闇の向こうから幽かに聞こえてくるヒソヒソ声や、常磐亭のあとの森閑とした原っぱ、あるいは、これも、何度も記事に書いたが、夜更けの鎌倉山から見える、小さな小さな月光に照らされた富士の山、そこから七里ヶ浜におりてゆく坂道の先に住宅地があって、そこを抜けると、輝かしい姿を現す鎌倉の海、想像力を動員して、ちまちまと立ち並ぶ家並を除けてしまえば、そこに姿をあらわすのは、精霊に満ちた「坩堝」で、日本がいったんそこに凝縮して、パンドラの箱から放たれた悲しみや疫病や犯罪がいまの日本に溢れているような幻覚に襲われます。

鎌倉は、ぼくの頭のなかでは日本の祖型で、呪術的な日本の総本山のような京都と並んで、いつも日本の人の謎を解くための手がかりを与えてくれる。

あの段葛一面に散らばって、月の光にキラキラと輝く、気が遠くなるくらい美しい白い砂が和田合戦や他の、数々の合戦で死んだ武士たちの骨だと知った瞬間から、日本への真の興味が湧いたのだ、というと言い過ぎなのかも知れないが、日本と暴力あるいは暴力の不在との切っても切れない関係に目覚めた初めなのだとおもっています。

日本の人の寂しい後姿に貼り付いているのは、神にいきつかなった人の寂寥だが、では神にいきついたひとびとと、どちらが、神に近かったのか、これから、だんだん判っていくのでしょう。



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