イーロン・マスクとtwitter

南アフリカ人は人格の手触りがザラザラしている人が多いと感じる。

と言っても「友だち」と呼びうる南アフリカ人はひとりしかおらず、近所にもひとり住んでいるだけで、ふたりともタイプは似ていてgentle giantで、

身体がおおきく、顔もふたり揃っていかついが、びっくりするほど気持ちがやさしくて、同情心が強い。

話がぜんぜん違うじゃん、とおもうなかれ。

普段の生活で会う南アフリカ人は、うまく表現するのはたいへん難しいが、考えの底が厳しいというか、厳しい状況をかいくぐってきたひとたちのそれで、多分、世界で最も著名な南アフリカ人であるシャーリーズ・セロンの、母親が娘に襲いかかる父親を射殺する、という事件で始まる若い時代の話を

記事に書いたことがあって、青土社から出した「ガメ・オベールの日本語練習帳」という菊地信義さんの装丁であることが、ひとつ自慢の本のなかに入っています。

考えてみると、南アフリカ人の気風は、日本の人から見て、最も理解しにくいもののひとつかも知れなくて、半分やけくそで述べると

「マッドマックス的世界観を根底に持っている人たち」と言えばわかりやすいだろうか。

レソトや南アフリカに国連の使節やボランティアの協力隊のようなもので数年滞在していた、というような人はオーストラリアやニュージーランドにはたくさんいるが、戻りたい?と訊くと、二度とご免だ、という。

とにかく危ない。

向上心というようなものも、まったくない。

80年代にレソトに学校の建設のために行った人などは、週末になると、学童の手引きで両親たちが武装して襲いに来る。

目当ては備品で、なんでもかんでも盗られてしまうので、

教師側も機関銃を台座に設えて対抗する。

毎週毎週、小規模な内戦のようなことを繰り返して、最後は村民が総出でやってきて、せっかくつくった校舎をロープをかけて引き倒して終わったそうでした。

綺麗事がなにも通じない国なんだよ、と述べて、

マンデラの奥さんが余興に夫の愛人をタイヤの輪に嵌め込んで火を付けて、転げ回って苦しむのを手を拍って大笑いした、というような話をする。

どうも部族制がすべての土地に、欧州人たちが、無理矢理線を引いて分割したのが拙かったとかで、第一、およそ西洋的な観点というものが、まったく通用しない、と述べる。

普段の生活の話も、「目が点になる」という表現そのままの話の連続で、

BBQパーティを開いていると弾帯を肩にかけて、機関銃やショットガンを手に手に塀を乗り越えて次次に裏庭に飛び降りてくる強盗の話などを聴いていると、「戦場より危ない」という言葉をおもいだす。

友だちにしても、普段は、おだやかで親切な人で、いかにも安全快適な中流人が多い環境で育ったとしか思えない人だが、

ヨハネスブルクの実家に帰るときには、まず空港で銃を受け取っていく、と述べて、そうしないと生きて実家に辿り着けないからね、と笑っていたりする。

そういう国で、比較的うまくやっている民族集団はインドの人たちで、あのひとたちは、収入があがれば、まず真っ先に安全な地区に住むことを考えるニュージーランド/オーストラリアでも、割合に平然と治安が悪い地区に住んで恬淡としているが、南アフリカにも、そういう点で適性があるのか、インドの人に訊くと、インド国外でインド料理がおいしいのは、いちばんがロンドンで、二番目はダーバンだと述べていた。

オンラインのレストランガイドをみると、なるほど、おいしそうなインド料理の皿が並んでいて、ニュージーランドでも「知る人ぞ知る」人気がある南アフリカ郷土カレーのBunny chowも、インド料理のページの隣で、いかにもおいしそうな姿で鎮座している。

イーロン・マスクは、このダーバンの出身です。

おかあさんは、有名なモデル・タレントのメイ・マスクで60歳代になってから「タイム」誌や「ニューヨーク」マガジンの表紙をヌード写真で飾ったことをおぼえている日本の人も多いでしょう。

もっとも、たしかイーロン・マスクは英語人がステレオタイプにおもい描く「ラフな南アフリカ人」を地でいくような不動産デベロッパーの父親に育てられたはずで、多分、イーロン・マスクのアメリカの都会人が憎悪してやまない、あのスタイルは、どうやら悪魔のように憎んでいたという、その父親から来ているようにおもえます。

イーロン・マスクは大変に興味深い人物なので、そのうちに、ちゃんと調べて、本人にも会って、一冊の本になるくらいの記録に纏めようかなあーと、また、ろくでもないことを考えるが、ここでは家庭や本人の成長の背景は、あんまり関係がないので、平凡な英語人の目から見て、ぼんやりと、どんな風に見えているか、というだけにとどめたほうがよさそうです。

まだなにも調べないうちにイーロン・マスクとtwitterについて書いておこうとおもったのは、この世界の大半を占める、世界で起きる事象に、その場限りの興味しかもたない、言わば「見方が浅い人間」のひとりとして、いまtwitterで起きていることがどういう見え方をしているのか、伝えたいからでしょう。

必要なら「英語人の」と、どこかに付け加えてもいいが、頭のなかをのぞいてみると、特に言語に拠っているようにも見えない。

個人として知っている人に訊くと、たいへんなアスペルガー気質で、社交性はゼロで、なにしろ口を開けば人を怒らせることしか言わない、と笑っていたが、伝えられるニュースやゴシップでも、それは感じられて、本人も何度か自覚していることを述べている。

最近ではスティーブン・キングとの課金をめぐるtwitterでの会話が世界中で爆笑・嘲笑のタネになって、やっぱり頭がわるい、とか、ものごとの核心がつかめないのがよく判る、とか、散々、揶揄されて有名になった

キングが「ブルーチェックを保つのに毎月$20払えなんて、頭がおかしいんじゃないのか」と言うのに、イーロンがリプライをつけて

$8なら、どうですか?」とマジメに教えを乞うている(^^;)

典型的、といいたくなるアスペルガー人と通常人の会話で、

ポイントが外れていて、案の定、イーロン・マスクの頭の悪さの証拠として、

たくさんの人が、日本のおやじトロルなみに、スクリーンショットを撮り、面白がって回覧していた。

到底受けいれ難い政治発言や、なんだかヘンテコリンな言論の自由へのイメージで、すっかり嫌われ者になって、ヒットラーから大袈裟な勲章をうけて悦に入っていた自動車王ヘンリー・フォードの再来か、と茶化されていたりしている。

ここ数日、twitterの世界に肩までつかって、ぶくぶくして遊んでいたが、はっきり判るのは英語でも日本語でも「twitter世界」そのものが、少しづつ少しづつ縮みつづけていることで、ガヤガヤしている声が次第に静かになっていて、時には、しいーんと静まり返っているのは、どうも、イーロン・マスクが述べているような「botやトロルを退治したから」という理由ではなさそうです。

まるで絵に描いたような嫌われ者ぶりで、社内からも、イーロン・マスクがいかに暴君で、ひどい雇用主か、コンピュータもプログラムも、まったく理解していなくて、コーディングに至るまでデタラメな指示を繰り返している、とツイートが相次いでいる。

イーロン・マスクの自分への非難に対する反応が、また、

twitter上でtwitterの悪口を言いまくるなんて、恥ずかしくないのか」と、

くやしかったら、自分でSNSのプラットフォームをつくってみろ、と言わんばかりのガキンチョぶりで、

周りで腕を組んで眺めている人たちは

「やっぱりトランプ党だよなあ」と頷き合っている

ヨチヨチ歩きの暴君

そうこうしているうちに、英語人はマストドンに行く人はマストドンに去って、案外な数の人はSNSそのものに見切りをつけてやめてしまっている。

日本のおじさんたちは、インスタグラムに引っ越す人が多いようで、なんだかイメージがあわないが、なにしろtwitterがないと小遣いが稼げないし、twitterを批判しなければメンツが立たないし、で苦慮しているのでしょう。

「イーロンが目指しているtwitter」は、現在は有料で、その輪郭を知ることが出来ます。

好奇心は猫の財布をカラにするという。

待望だったtweet編集機能を含めて、いまベータ版の新機能は無料版で実現されるはずだが、待ってるのはじれったいのでオカネを払ってやってみると、判るのは、

イーロン・マスクにとっては、剣呑にも、ツイートをしている人間を現実世界で特定するのが大事だということで、なぜ大事なのか考えると、あんまりゾッとしないが、だいたいの人が予感しているとおり、匿名での発言の自由はtwitterから消える運命にある。

「個人の特定はしない」と、ひところ言ってはいたが、システムを見る限り、ちょっと信じるわけにはいかない。

ペイパルの前身をつくったころの豊富な経験と知識が生きているようです。

ちょっとヤバいことを考えているんじゃないの、というこのシステム思想の副産物は、特に日本には多い、とtweetにも書いたが、

ひとりで、いくつもアカウントをつくって、表向きの顔とは大違いで、

なにしろ在日朝鮮人問題を書くいっぽうで、在日朝鮮人の人を、そのアイデンティティを理由に罵倒したり、相手が自分がパートタイムで教えている大学の学生だと判ると学籍番号を恐喝的に尋ねたり、若い女の人だとみると、住所と電話番号を教えろとしつこく凄んだり、というようなことをやっていた人は、一網打尽で、誰であるか目に見える形で追放しようと考えているらしくて、これはイーロン・マスクの、これまでのtwitterでの諍いが、どんな種類のものであったか憶えている人たちは「イーロンがtwitterを買ったほんとうの理由は世界中のトロルの人生を破滅させたい復讐心なんじゃないの」と述べるくらいで、新しい顧客サポート体制が出来たくらいのタイミングで、早速に手を付けそうです。

普通に考えて、これに便乗して長年のトロルに達する鬱憤を晴らそうとする人が続出するかもしれないが、まあ、普通にやって来た人には関係がない、といえば関係がない。

イーロン・マスクの「嫌いなタイプの人間に対して感情の歯止めが利かない」ところを考えると、そんなひとがソーシャルメディアの独裁者になっちゃっていいの?とおもうが、

一方で、ペイパルの前身X.comの頃からスペースX、テスラと発揮されてきたビジネスマンとしての無類の柔軟さ、自分にとっての難関を解決する現実的なアイデアの豊富さ、集中力を考えると、「とにかくtwitterでも利益をだす」ということに集中しはじめれば、政治傾向もなにもなくて、参加者が望むものをつくればいいんだな、という方向に走りはじめれば、フェイスブックなどとは異なって、あんまり自分でも信じていない「民主社会」をtwitter上に実現するかもしれません。

もっかの現状は、マストドンは、水平型なだけで、システムとしては、それこそ「民主的」だが、意外とコミュニティとコミュニティのあいだの壁が高くて、広場というより、個々の留置所で、狭い部屋で、悪い空気に悩まされながら発言していくことになる。

日本語のように感情過多に陥りやすい言語では特に、なんだか人間関係が鬱陶しい、もたれあいの田舎の小さな町に越してきた都会人のような気持ちになるかもしれません

いちばん期待がかかっているのはBlueskyAT-プロトコルでしょうが、

Jack Dorseyのいつもの癖で、仕事が遅いのと、いまの時点でSquareで対処しなければいけないことがまた増えたので、「儲からない」のが判っているソーシャルメディアのほうは優先順位が低そうです。

またしばらく人に任せきりになるかも知れない。

案外、「テキストベースのSNSは終わった」ということになって、youtubeTikTokのような動画ベース、しかもショートビデオベースのものだけが当面はソーシャルメディアとして生き残っていくのかもしれないが、

それはそれで「消費税反対ダンス」とか「統一教会ダメよ音頭」とか、

ペンを置いて、ダンスシューズに履き替えて、激しくブレイクな体制反対の主張を「観せる政治運動」に載せて、スマホ上で展開する文化が花開いて楽しいかも知れない。

2ちゃん、はてな、ツイッタと移動してきた一言居士のおっちゃんたちが、ぎっくり腰にならないことだけを祈るばかりです。

ぼくですか?

ぼくのような零細ユーザは、SNSがどうなっても、あんまり関係ないんですよ。

友だちが、「ここにいるよ!」と手を振っているところへ出かけて行って駄弁るだけのことで、むかしからSNS上での発言に実効的な政治性があると考えたことはないし、結局は企業や個人のコマーシャルタイムみたいになっていくだろうと考えていたので、SNSでいちばん嫌な、嫌がらせおやじたちが消えてくれないかなあ、という願いが叶えられそうなだけ、よいとも言える。

それでも例えばイーロン・マスクが露骨に自分の政治主張の道具にしようとするときがくれば、フェイスブックのときにそうしたようにボイコットする、ということはありうる。

それは、意志とは関係がなく怒りの表現としておこなうことになりそうです。

それで駄弁る場がなくなったら、どうするんだ?って、

ふふふ。

そりゃ決まってます。

いちどはもう行かないと決めた日本だけど、きみに会いに行くよ。

きっと、おもったより大きくてびっくりするから。

どこか、おいしいラーメン屋さんを探しておいてください。

では

(追記:この記事を書いた三日後にイーロン・マスクはトランプのアカウントを復活させるという次元が異なる右派行動に出て、NAACP (全米有色人種地位向上協会)が広告主に出稿を停止する呼びかけを行う事態になった。「露骨に自分の政治主張の道具にしようとするとき」が来たのかもしれない)



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