おなかがすいた

オリーブの木に、やっと実が成りだした。

長い間、実がつかなかったが、いったん実りだすとなると、「壮観」という言葉を使いたいくらいたくさんの実がびっしりと並んでいる。

脇にはアボカドとライム

階段を挟んで反対側にはトマトとミニトマト

庭の、少し離れたところにある菜園には、レタス、長ネギ、スーパーで買うと傷みやすいものが家のキッチンに近い場所に区画ごとに育っていて、BBQテラスの脇には、コリアンダーやバジル、ミント、のハーブが「繁茂」という言葉が相応しいほど茂っている。

じゃがいもやマオリ族の聖なる食べ物さつまいものやや広い区画もつくってある

家からパッと見のところにはニュージーランドのネイディブブッシュ、例えばシダが緑をつくっているが、家から見えにくいところで陽が当たる場所には「食べられるもの」が蟠踞しています

鶏小屋には、なんだか妙におおきな雌鶏たちがいて、絶えず卵を産んでいる。

ときどき、コケーコッココッコと鳴き出すのは、「卵うんだぞー。見たかあー。かっこいい卵産んじゃったもんねー」という高らかな宣言です。

以前には日本うずらも飼っていたが、おとなしくて静かなのはいいが、なんとも陰気な鳥たちであるのと、いちど隣家のバカ犬が長駆駈け込んできて小屋を攻撃して、ストレスで何羽かが死んだりしたので、嫌気がさしてやめてしまった。

食べ物をつくってみようと考え始めたのは、ずっとむかし、コモ湖の両親の別荘から、湖のあちこちに桟橋があるボートで遠出をして、あとで自分で別荘を買うことになる、湖の西岸のムッソリーニが殺害された場所の近くを散歩していたときのことで、丘陵の高いところをつなぐ、ちょうど鎌倉で言えば天園ハイキングコースのような道を歩いていて、付近の家の裏庭を見下ろすような眺望になるが、どの家も、庭いっぱいに菜園をつくっていて、それがおもいのほか美しかったからでした。

ワイヤーネットの塀に、マヌケな感じでぶら下がってるカボチャさんさえも、好もしくて、実家の、ガーデンツアーで公開することがある庭をぶち壊しにするわけにはいかないが、そうだ、ニュージーランドでやればいいな、とおもっていた。

ありがたいことに、モニさんも大賛成で、「わたしがガメに飽きて、再婚して、ガメが作男に格下げになったときの練習にもなるしな」と大賛成だった。

当時は、一年の半分以上を旅行して過ごしていて、ふざけてノーマッド暮らしと述べていたくらいで、人生を投げていて、時間がやまほど余っているのを幸い、世界一周チケットを買っては、世界地図を広げて、プロットして、東回り、西回り、スペインで春をすごして、夏のフランスをモニさんの実家の、ここは中世の楽園なのかという羨ましくも宏壮な荘園ですごして、イスタンブルに足を延ばして、その次の週は東京の青山で飲んだくれていて、と不良生活で、なにしろ家にいないのだから菜園の楽しみもなにもあったものではなかったが、いちど真剣に菜園のデザインや、家の人のちからを借りて、割り付けをして、タネを蒔いて、苗を植えて、としばらく夢中で、だがしかしだが、「ガメのやること」のご多分に洩れず、すぐに飽きて、

今度は、やっと、COVID禍で、むかしとった杵柄正一と正二の兄弟、

やっと落ち着いた気持ちで菜園づくりをまた始めたのでした。

潜在意識には、当時は、友人達に話すと、いや、そんなことはありえない、WTOを初めとして、交易ネットワークが整備されて、食料生産も分業で、例えばブラジルは農業世界では手つかずに近い状態だから、まだまだ2050年くらいまでは、どちらかといえば農業の、農家への支払いが低すぎる、不採算性のほうが問題だろうよ、と言われるのがおちだった、人口増加に伴う食糧危機があったようにおもう。

引き金はロシアのウクライナ侵攻だった。

両国あわせて世界の3割を超えるはずの小麦粉生産量で、侵略被害にあったウクライナはもちろん、侵攻側のロシアも、ウクライナからの出荷停止で逼迫しだした小麦粉市場に目をつけて、自国の小麦も、盟友中国以外には輸出を拒むようになった。気候の温暖化がもたらした不作とダブルパンチで、事態は見る見るうちに深刻なものになっていった。

もともとコロナパンデミックで食料ロジスティックが寸断されて、食料の流通があちこちで梗塞を起こしていたところに、戦争で、小麦粉を皮切りに、大産地ウクライナが麻痺したサンフラワーオイルが不足して、サンフラワーオイルの代替油、カノーラオイルが高騰して、カノーラオイルの更に代替品のパームオイルまで暴騰に近い価格になっていった。

食料の世界というのは流通の末端にある小売、例えば巨大スーパーマーケットチェーンが強い世界で、なかなかコストの上昇が小売価格に転嫁されない構造になっているが、中間業者排除の法則で、利益幅が小さくなれば、流通の中間にある卸業者は、赤字を盛大に垂れ流して、倒産以外に未来が見えない会社がどんどん増えている。

日本でも最大の食料商社のひとつであるJAは、赤字もなにも、来年くらいから調達が滞るのではないかと噂されています。

いままで5%、6%というコストの増加、価格の上昇を問題にして交渉を繰り返してきたのに、いまは3割、4割という価格の上昇に直面しているので、

来年も終わりにくれば、業界まるごと、到底、無事にすむわけにはいかなさそうです。

そのうえに、ダメ押し、弱り目に祟り目、泣きっ面にハチ、踏まれたとおもったら蹴られて、マットにのびたところでバックドロップで叩きつけられて、そもそも現代農業生産には化学肥料が欠かせないが、

この肥料の桁違い最大生産国の中国が、中国政府の他一般の資源政策、例えばレアメタルとおなじく、長期戦略上の武器として、化学肥料を使いはじめた。

さっき友人の言葉として「ブラジルがある」と述べたが、このブラジルの大地は大量の化学肥料を必要とする土壌で、中国政府が化学肥料を戦略物資に指定して、厳しい国家管理の下におくことにしたのは、そのことと関係があります。

中国が食料生産に必要な化学肥料をブラジルに提供し、ブラジルは肥料を使ってつくった食料を中国に提供する。

もちろん、ブラジルで反中国世論として盛り上がりを見せていたブラジル近海での船団方式漁業への反発がやや鎮静化したのも、この「食料生産同盟」の成立のせいであるのは言うまでもない。

ブラジルと中国の新しい食料戦略同盟は、ひとつの例にすぎなくて、

ロシアのウクライナ侵略戦争とコロナパンデミック以来、食料グローバリズムのインフラストラクチャだったWTOの機能麻痺を皮切りにして、

ひとたびバランスを崩すと、とめどがない、「カネを払えるものが勝つ」世界で、いまの世界では中国、北米、欧州の排他的な寡占ブロックが出来つつある。

ウクライナへの肩入れにあれほど必死になるのは、人道が理由の第一だが、ウクライナをロシアに取られてしまうと、食料を武器に欧州はロシアに支配されてしまう、という気持ちもある。

そこにロシアが食料問題にストレートにナショナリズムを持ち込んで、ニュースとして報じられないところで、食料については、世界はすでに混乱のなかにあって、さらに悪い事には、ここから回復の見通しどころか食料調達の意味そのものが変わって、混乱からアポカリプスに向かう途上にある、とマンガ的な表現を使いたくなるほど、破局目前のところにいる。

なんちて。

弁士口調は、やっぱりちょっと飽きるね。

これを日本語で書いているのは、このあいだ、菜園でぼんやり風にゆれる葉を眺めていて、あれ? もしかして日本は、ひどく立場が悪い国のひとつかな? と、ふと考えたからで、ひとつひとつ局面や品目ごとに

日本の世界市場での立場を検討すると、

ほんの23年で、食生活がおおきく様変わりしそうなことに気が付きます。

日本の「カラアゲ」は「パンコフライ」と並んで英語世界でも大はやりで、インターネットで見ると、最近は日本でも鶏の唐揚げのチェーンも出来て、コンビニ弁当にも欠かせない流行のようだが、

食用油の、もんのすごい逼迫と値上げ幅と、メニュー価格の、おずおずとした十円二十円の値上げ額を並べて較べると、閉店したり、弁当のおかずのバラエティから外れたりで、唐揚げはこのままでは家庭の食卓から消えていきそうです。

高級食品になりはててしまうのではないか。

小麦粉の価格上昇がものすごいので中華麺やうどんも、だんだんビンボ人にはおいそれと手がだせない価格の雲上に消えていきそうです。

パンなんて、もう高くて手が出せないので、お菓子を食べるしかなくなる近未来が来るのではないか。

悪い事ばかりではない。

というと、なんとなく騙されて、掠われて、どっかの国で売られそうな気がするかもしれないが、

胸をなで下ろすような、日本にとっての良い点も、いまの食料市場にはあって、日本人といえば、なんといっても「お米大好き民族」で、和物の食事ではご飯なのに洋食ではライスの名前で出ています、という名詞を自動的に変えて使う習慣があるほど、精細度の高い、お米への愛着をもっている。

ほんで、この米の価格は、上がっていないどころか、下がっていて、

肥料は海外に依存しているので、値上がりは避けられないが、

他の乳製品や、食用油、小麦粉が原材料の製品ほど、ぐぎゃっ!と叫びたくなるような価格の上昇にはならなさそうに見える。

減反政策の経緯を調べてみると、国内増産の余地もじゅうぶんにありそうです。

自分の好尚にひきつけていえば、いざとなったら焼きおにぎりを囓って生きていけばいいので、餓死まではいかなくてすむのではないか。

まだ日本に一年のうちの何ヶ月かいて、軽井沢に別荘があったときに、興味があって、長野県や近県の、話をしてもらえそうな農家の人、おもしろいことに、どの人も江戸時代から「庄屋の家柄」の人が多かったが、を紹介してもらって日本の農業についてレクチャーしてもらっていたが、いっぽうでは、日本は「仮死状態」の農地がたくさんあるそうでした。

最大の理由は規制がおおいことで、どうやら、赤の他人が、善意でも農地を再利用して農耕を復活させるというわけにはいかないらしかった。

ニュージーランドの仲の良い友達のひとりは、両親の代に至るまではファーマーでもなんでもなくて、本人も若いときは掘削技師で、道路がないのでヘリコプターで通勤する砂漠のまんなかでポーリングをして過ごしていて、趣味の「でかい機械」、トラクタやブルドーザの運転が嵩じて、重機を運転して遊びたい一心で農場を買って、悪戦苦闘のあげく、ついに農場主に化けおおせた。

いまではゴム長靴とオンボロ泥だらけのチェックのウールのシャツも板についたファーマーで、「世の中に農業ほど愉快な職業はない」と述べている。

免許とりたてのころとは異なって、このごろは飛行機をほとんど操縦しないのは、前にも述べたが、この友だちの家には簡素な滑走路があるので、ときどき、ぶううん、と飛んでいって、一緒にまだ農場として拓いていない荒れ地を重機で開墾して遊んだりしている。

なるほどやってみると農業はおもしろくて、自分で開発計画を立てて、農場をデザインして、岩がゴロゴロしている荒地を、実りのおおい農地に変えていって、野菜を生育し、乳牛や、羊を育てる楽しさは、他の仕事とは職業上の悦楽の質が異なるようです。

なにがいいたいのかというと、日本も、くだらない規制はやめて、農業のイメチェンも図って、農業の楽しさを、ややケーハクでもよいから日本の現代文化に組み込んでいくといいのではなかろーか。

たしか日本には無印良品やなんかが経営しているキャンプ場があるが、そういう場所をベースにして農業を遊びとして学ぶ、若い人、なかんずく、小さい人相手のホリデープランのようなものがあってもよさそうな気がする。

日本にいたとき、農業の話になると、「農業高校って、日本ではバカな子が行く学校なんですよね」と笑う人たちの顔を見るのが嫌だった。

農業のイメージの悪さには、ちょっと、こちらが狼狽するほどのものがあったのをおぼえています。

やってみればおもしろいものなのに。

それに、いやなことをいうと、だいたい2025年くらいを境にして、日本では、趣味が人生を飢餓から救う、というような事態にならないとも限らないでしょう?

そこまでいかなくても、自分で育てた枝豆を茹でて飲むビールのプハーな味は、こたえられないもので、

あの味を知らないまま死んでは、後々、化けて出たくなるほどだと考える。

食べ物ってね、元来は、スーパーで買うものではないんです。

人間が自然から釣りや狩猟でひっぺがしたり、牧畜や農耕で、だましてさらってきたりするものなんですね。

日本には幸い、これからさき、中国に依存して食料を調達するしかないのではないかと言われている砂漠だらけの中東の国々や、従来は牧畜に向いていた沿岸部さえカラカラにひからびて、水が絶対的な不足に向かっているオーストラリア大陸とは異なって、回復力の強い、保水力のある森林と農耕に向いた土壌に覆われた国土を持っている。

耕せば報いてくれる土地が豊富に遊んでいる。

国際食料調達競争の先行きは、暗いが、食料の海外依存度は、いくらでも下げられるのだから、もう、このへんで、おらも百姓になるだ、な国民の数を増やすときに来ているとおもいます。

おまんまのためなら、えーんやこら

手遅れにならないうちに。



Categories: 記事

%d bloggers like this: