メリークリスマス! あるいは、微小な光について

 

支払いの長い行列ができている。
Fruit & Vege.
スーパーマーケットよりも安くて新鮮な野菜や果物が並んでいるのでオークランド人は、たいてい野菜と果物は、町じゅうにある、この、たいていはアジアの人が経営している「八百屋」で野菜を買います。
中国の人が八百屋で成功するのは理由があって、たとえば霧状の水をかけて果物や野菜の新鮮さを強調する、というようなことはニュージーランドでは戦前に移民してきた中国系人たちが考え出したことだった。
まだ欧州系人たちが、野菜といえば、くたくたになるまで水煮するか、ローストにするかしか知らなくて、「サラダ」は上流階級の食べ物だった頃で、中国系人たちの「陳列した果物や野菜の見栄えをよくする」というようなことは劃期的なことだった。

だからモニとわしも、自分達で買うときには、億劫がらずに「八百屋」に行く。
ターメリックはインド系夫婦が経営している、あの店、パクチョイが欲しいときは広東人の夫婦の店、パパイヤはマレーシア人たちが展開しているチェーン、というように得意不得意があるので、買うものを考えて複数の店によることもある。
なにしろヒマなバカップルなので、おいしいメロンを買うために、遙か南の、20キロくらい先の果物屋に行くことまである。

長い行列も、たいして気にならないので、今年はメロンがおいしそーだね、と話しながらモニとふたりで待って、自分達の番になった。

行列とはまったく反対の方向から割り込んで、袋売りのブドウをレジのおばちゃんに突き出しているひとがいる。

行列に割り込むのは、前にブログに書いたように日本ではときどきあったが、ニュージーランドではとんでもないことで、全身、顔から腕、ショーツから突き出した足にまで入れ墨でおおわれて、顔じゅうピアスに覆われているにーちゃんやねーちゃんでも、そんなことをするひとはいません。
いままでニュージーランドに住んでいて、若い中国系の女の人がひとりいただけだった。

ところが、レジのおばちゃんは、モニとわしのほうに向いて、目顔で「この人を先にしてもいいか?」と訊いている。
それはダメですよ、と言おうとしたら、モニさんが頷いてしまっている。

(相変わらず、わしはマヌケである)

その、行列を頭から無視した(多分マオリ人の)ホームレス然とした男の人は、白く塗ってはないが、よく見ればそれと判る盲人用の杖を持っている。

「いくらぶん、欲しいですか?」と、さっきまで大声で他の店員と怒鳴りあっていた…と云っても、中国の人たちの会話は往々にして「怒鳴りあい」に聞こえるので、もしかすると普通に話していただけなのかもしれないが…わし耳には怒鳴りあっているようにしか聞こえなかった応酬をしていたおばちゃんが、仏頂面で、唐突に不思議な質問をしている。
袋売りは袋売りなので、「いくらぶん」もなにもなくて、現にブドウの棚には「ひと袋19.99ドル」という価格がついていたではないか。

目の見えない男の人は、いや、このままでいいよ、という。
レジの不機嫌顔のおばちゃんが、「19.99ドルです」と告げると、男の人は、突き出していた10ドル札を引っ込めて、ポケットを探りはじめる。
男の人が「やっぱり…」と言いかけたのと、モニが20ドル札をレジの人に渡したのは同時だったとおもう。

なおもポケットを探っている男の人に、レジの人が、強い中国訛りの英語で、
「この若い女の方(young lady)から、もう頂いたから、そのまま持っていっていいです」と述べている。

男の人は、ポケットをまさぐっていた動きが止まって、「ありがとう」と呟いてから、こちらに向かって、とみえなくもないが、実際には、まるで天井の向こう側にいる神様に告げるように上を向いて、とてもとてもおおきな声で
「メリー・クリスマス!」
と言ったんだ。

行列のひとたちも、モニも、わしさえも、みなが口々に「メリー・クリスマス」と暖かい声で応えて、目が見えない男の人は、去っていった。
ほんの一瞬の出来事でした。

モニとわしは、自分達の買い物の10ドルの支払いをしようとしたが、レジおばちゃんは、
「もう頂いたから、いりません」と、なんだか、にべもなく、まだ喧嘩をしているさいちゅうのひとのような強ばった顔で述べるので、モニとわしは、あっさり降参して、ただ「ありがとう」と言って店を出た。

クリスマスホリデーに出かける前の晩、夜中に、家の前に駐めたクルマのタイヤを切り裂かれて、
「わたしたち家族には、タイヤを買い換えるオカネがない。どこの誰だか知らないが、わたしたちのクリスマスホリデーを台無しにしてくれて、ありがとう」とクルマの持ち主が憤懣をぶつけるように書いてクルマに貼りだした紙を読んでいた女の人が、クルマをUターンさせて、タイヤショップに向かっている。
この先に、紙を貼りだした、タイヤが四つとも切り裂かれたNISSANが駐まっているから、大至急タイヤを換えて、ドアをノックして伝えてあげてください。

この女の人が困惑したことには、この話は、予定通り家族でドライブ旅行にでかけることになったひとたちの口から新聞社に伝えられて、おおきなニュース記事になってしまった。
「知らないひとたちだけど、近所の人が酷い目に遭って、嫌だなあー、と考えた。
自分はオカネモチではもちろんないけれども、オカネに少しは余裕があるのだから、ああいうことをするのも、ちょっと良い考えではないか、とおもいついた」とインタビューに応えて述べていた。

まず何よりも善意でなければならない、という簡単なことを、わしなどは、すぐに忘れてしまう。
悪意は、どんな小さな心の隙間からでもしみこんでくる黒い水のようで、いったいどこから来たのかも意識されないまま、いつのまにか心に浸水して、気が付くと洪水のように魂を水浸しにして黒く染めることすらある。

むかし、クリスマスにモニさんが怒ったのを見たことがある。あんまり、びっくりしたので「クリスマス・ホリデイ」という記事(https://james1983.com/2021/12/23/christmas-holiday/)に書いた。 モニさんは、ふだん、怒るということがない人なので、ぶっくらこいてしまったが、ふだん怒らない人が怒るということは、まことに怖いことであると学習したのでした。

クリスマスは、リンクの記事でも書いたとおり、少なくとも英語世界では、人間を不幸にすることのほうがずっと多いシーズンだが、それでも、人間が「善意」の光を思い出そうとする、数少ない機会なのかもしれません。

今年はオークランドの家にもおおきなクリスマスツリーを飾ることにして、
町中にたくさんあるクリスマスショップのひとつに、木のてっぺんにつける天使の像を買いに行った。
バブルのさなかなので、とんでもない値段がついた欧州製の豪華な飾りがいっぱい置いてあります。

モニとわしは、値段が安いニュージーランド製や中国製の飾りのほうがクリスマスらしくて好きだが、少数派で、風変わりな夫婦なのかもしれない。

天使の像は表情が気に入るものがなかなかなくて、困って、仕方がないので、欧州製の、それもいちばん価格が高いものになってしまった。

クルマに戻って、シートベルトを締めると、モニさんが
そっと「メリー・クリスマス」と呟いている。
すぐに、あの目が見えない、ホームレスであるらしいひと、あるいはいまは運が向いてこなくて、うまくいかないまま苦闘しているすべての人間にささやきかけているのだ、と万事に鈍いわしにも判った。

わしのほうを向いて、「人間の世界は、いいな、ガメ」という。
モニらしく「悲惨だが」という言葉を省略している。

なんだか、声がうまく出なくて、ただ黙って頷くのがやっとだった。

もうすぐ。

メリー・クリスマス!
すべての、まだ会ったこともない、
通りで毛布にくるまっている、
恋人に裏切られて泣いている、
自分の一生には、もう希望などないのだと、暗い部屋で思い詰めている、
テーブルにこぶしを叩きつけて、人間なんか大嫌いだと叫んでいる、
仲間達に。

We Wish You a Merry Christmas



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