2023年へ

 

問題は山積している。

いっそ、世界は深刻な問題で取り散らかっている、と言いたいくらい、問題の山が、そこここにある。

オカネでたいていの問題は解決してきた日本語世界も、例外ではなくなっている。

理由は簡単、「もうカネがない」からです。

普通の国になってしまったので、普通の国らしく、問題が起こるたびに、いちいち知恵を絞って対処しなくてはならなくなってしまった。

これは案外日本国民にとっては、たいへんな負担であるはずで、なにしろ、70年近くやらないですんでいたことを、使わないですんでいた国家思考を、埃まみれの暗がりがから出してきて、埃をはたいて、やれやれと呟きながらフル稼働させなければならなくなった。

むかし取った杵柄、という言葉もあるが、使わなければ錆び付くのが能力で、

超健全な財政と常にオカネを稼ぎ続ける経済という大前提が共に消滅してしまったので、でかい船内機がふたつとも故障して、おまけにオートパイロットまで壊れてしまった船で、帆をあげ、櫂を漕がなくてはならなくなった、というか、十のことをやるのに必要な労力がゼロだったのに、いきなり二十も三十も労力を費やさねばならなくなって、日本の人は、もともとが勤勉で文句を言わない体質なので、なすすべなくぶくぶくと沈没する事態にはならないだろうが、他人をくさすのが才能で、自分のたいしたこともない能力は異常に高く自己評価して、腕組みして、ほら、腕の振り方が悪い、そんな順番で作業するなんてバカじゃねえの、と冷笑を浮かべてエラソーにしているシロアリ世代などは舷側から海に放り込んで、捨てて、もう批評家はいらねーんだよ、ばあーか、と溺れるにまかせたくなる日が、来るかもしれません。

いろいろ、たいへんなのよ。

男女差別というが、西洋社会でいう性差別ですらなくて、女の人が男の人に少し甘えて、下から、ぼくを見上げるときの、少し上目使いのきみの顔が好きだよん♡、な、あの感覚は、日本文明が延々と培ってきた「日本」そのもので、あれを、例えば、ガメ、酒、買ってこい、あ、ついでにおれのタンポンも買ってきて、のニュージーランドなみの社会に仕立て直すには、いちど、ぼくに向かって「武士の情けで、そこまでは言わないでいてやるが」と述べた、もっかはフェミニストで、「肉体的な性別は存在しない」で、肩で風を切るおっさんがいたが、その武士道を捨て、敬語を捨て、一人称の性別固定を捨て、正座の美しさを捨て、なにもかも捨てて、ほんじゃ、いっそ英語にして生活も社会もアメリカ人になっちゃえば、な、大変革というのも愚かしい変革に乗り出さなければ、「フェミ」とか「アンフェミ」の、謎の語彙も消滅しないまま、おまえは女なんだぞバカ野郎の男と、女も人間なんだぞ、なんで判らないのか、バカかおまえは、の男と女の対立は、どんどん深まって、陰にこもって、社会は救い難く住みにくいところになっていくに違いない。

性差別は、多分、いまのやりかた、ジェンダー差別の解決のお手本を西洋、それも英語世界にとって、性差別を生む認識の歪みを矯正して、なんとか女の人も人間として生きていける社会に変えていく、というやりかたでは無理で、こうしないとダメなんじゃないかな、と考えることがいろいろあるが、そんなことをやっていると、実は、ここに書いていることは、本日の本題ではなくて、どんどん本題から離れてしまって、いつものことじゃん、と言ってはいけません、本題の岸辺に泳ぎもどらねばならないので、また今度ね、ということにしたい。

いろいろ、問題はある。

経済も、ほんとはね、実はチョーたいへんなので、円安はいったん小康を得ているが、長期的には円安傾向が避けられない、と眉をしかめて、センモンカのひとびとが深刻な顔で、あるいはヘラヘラしながら、テレビカメラに向かって述べているが、もっと深刻なのはvolatilityの増大で、こっちは、なぜそうなったのかというと、要するに日銀が機能を放棄してしまったからです。

名指しはお下品だが、黒田総裁という人は、登場したときから、このブログでは、とんでもない、とんでもない、とんでもないx8、と叫んできたが、財務省が日銀に送り込んだ刺客なんじゃないの?と言いたくなる人で、アベノミクスの8年間に支えられて、見事に日本の中央銀行を破壊してしまった。

いまの状態は、FRBが日本全体のポジションを決めているようなもので、

糸が切れた凧で、来年は、日本の国民が苦境に陥った場合、アメリカとの政治交渉以外には有効な対策を打ち得ない、という、絶句するような構図のなかで、ひとりひとりの日本の人が過ごすことになる。

経済・金融上部でのvolatilityの増加によって引き起こされる、やばい、国の独立性がなくなる、な問題は、センモンカの皆さんに啓蒙をお任せするとして、卑近な現実としては、こういう例がある。

ポンッと、円が安くなる。

そうすると、鶏の唐揚げを例にとれば、プーチンがウクライナに攻め込んで、暴騰ちゅうのひまわり油の代替品であるカノーラオイルが暴騰する。

する、ていうか、もうしてるんだけどね。

日本の「唐揚げ」はカノーラオイルやサラダ油、カノーラオイルの混ぜ物で出来ていて、これの価格が跳ね上がります。

というか、しつこいようだけど、もうすでに上がっている。

鶏はタイから来るのが多いはずだが、タイランドはタイランドで飼料が高くなって、これも上がる。

そうすると、唐揚げ一個30円の利益があったものが、20円になり、10円になり、5円になり、やがては赤字を揚げているような商売になって、

旦那、これで、商売あがったりなんて、ダジャレにしても、冴えなくて、笑えねえんですぜ、という事態になっている。

やむをえず、日本の小売市場では、あれは「お客様は神様」だからなのかしら、なぜか禁じ手の、「値上げ」をするしか選択肢がなくなる。

有馬敲が書いている

値上げは ぜんぜん考えぬ

年内 値上げは考えぬ

当分 値上げはありえない

極力 値上げはおさえたい

今のところ

値上げはみおくりたい

すぐに 値上げを認めない

値上げがある

としても今ではない

なるべく値上げはさけたい

値上げせざるを得ないという

声もあるが

値上げするかどうかは

検討中である

値上げもさけられない

かもしれないが

まだまだ時期が早すぎる

値上げの時期は考えたい

値上げを認めたわけではない

すぐに値上げはしたくない

値上げには消極的であるが

年内 値上げもやむを得ぬ

近く 値上げもやむを得ぬ

値上げもやむを得ぬ

値上げにふみきろう

長々と引用したのは、この有馬敲が2022年の今年亡くなって悲しかったから、わがままをおもいついたからだが、

生まれたのは1933年、この詩を書いたのは、さあ、60年代の佐藤栄作政権のころだろうか。

とにかく、賃金の上昇が伴わないインフレが持病だった、あのなつかしい時代に、といっても、見てきたようなことを言っているだけですけどね、

戻っていくものであるようです。

ところが、そのあとで、ポンッと円が高くなる。

どうなるか。

価格は下がらないんですよね。

賃金は、あにはらからんや、終身雇用が支払われる賃金を守っていたむかしのニッポンスタイルとは異なって、特に低賃金移民を大量に輸入しようとしているいまの時期では、下がる。

手当がなくなる、ボーナスが下がる、あるいは職場が変わるという形で、

ピュッ、と面白いように下がるでしょう。

だって、あなた時給ほど働いてないじゃない。

手が空いたからって、下むいてLINEやってんじゃないわよ。

全部、バレてるのよ、主婦バイトだからって、いいかげんなことして。

ここまで書くと、「あっ」と思った人がいるでしょう。

それって、もしかして、スタグフレーションなんじゃないの?

ええ。

結果としては、そうなんです。

では、御一緒に。

「あっ!」

いつまでも本題に入らないまま書き進めていくのは楽しいが、好い加減にしないと、どうせ、もうちょっと先にいくと日本語を書くのに飽きてきて、

「もう、ここでやめたわ」とか言い出すのに決まっているので、

唐突に本題に入ると、

2023年の奥に、蹲って、待ち構えている怪物のうち、最も眼が覚めて欲しくはなくて、しかも、だんだん明らかになってくると、最も眼を覚ましそうな怪物は、「核戦争」であるとおもいます。

もちろん、日本だけでなく、世界中の人間にとっての大問題で、

なあんだ、日本だけの問題で、出羽の守じゃないんだったら、早く言ってくれよ、世界の他の国でもおなじなんだったら、どうでもいいよ、どうせ他の国が解決してくれるんでしょう、と思った、そこのきみ、ニッポンスゴイノキミ、核戦争はね、そんなに甘いもんやおまへんのや。

プーチンの一方的なウクライナ侵略をロシア=ウクライナ戦争と呼ぶのは嫌だが、実体は、もちろん戦争で、

「ウクライナは戦争を避けるために即座に降伏すべきだった」というお気楽理論を展開した日本の人は大勢いて、いまちょっと覗いて見ると、旗色が悪くて講演会やなんちゃらコースで人を集めてコガネを稼ぐのに影響が出ると看て取ったのか、素知らぬ顔で口を拭っているようだが、そこまで無責任でウクライナ人の運命なんてどうでもいい、という人は珍しいので、無論、ウクライナ人は自分が愛する生活、愛する人、もう手放せなくなった個人の自由のために、男も女も銃をとって起ち上がったので、プーチンと取り巻きと日本の人以外は、ウクライナ国内の数々の問題はいったん横において、個々のウクライナ市民の側に立つことになった。

ウクライナ東部がテルモピレーであると本能的に悟ったからです。

世界史上でも最低最悪の大戦略を立てて、なあに、自由なんざ、たいした魅力はありゃしねえよ、戦車でブイブイ言わせれば、ウクライナにだってロシア人はたくさんいるんだ、諸手を挙げて歓迎されるさ、という、クリスマスプディングよりも甘い見通しを立てて臨んだプーチンは、現実には、ろくな重火器兵器ももたないウクライナ人たちの決死の抵抗にあって、一週間どころか、一年たっても勝利できないのが誰の目に明らかになってきた。

ところがですね。

半生の伝記を読めば判るが、プーチンという人は、多分、ロシアのマッチョ文化のなかで体格が小さいことも関係があるのだろうか、失敗を認めるどころか、常に成功していると強弁しないと気がすまない性質で、いまでも「戦争は勝っている」と言い募っている。

一方で、兵器弾薬は底をついて、精密誘導弾などは、とっくのむかしに払底していて、イランや北朝鮮から武器や攻撃ドローンを仕入れして、なんだか旧日本帝国陸軍のような姿勢をみせている。

ロシアはビンボ国です。

GDPは、韓国よりちょっと少ないくらい。

いま見ると、名目GDPで、韓国とブラジルのあいだにサンドイッチになっていて、南半球の小国オーストラリアと、あんまり変わらない。

ひとつだけ他のビンボ国や小国と異なるのは、ソ連から受け継いだ核兵器をやたらいっぱい在庫で持っていることで、これだけが、プーチンが

「ロシアはいまでも超大国だ」と言い募る由縁になっている。

通常兵器が底をつきつつある

核兵器は売るほど余っている

ロシアの国柄として、食料や燃料の、他国との貿易の道を断たれても戦争継続に必要な物資は豊富にある。

それに、もうひとつ、欧州人が常識として知っていることとして、ロシア人の「祖国の危機と言われると滅法強い」国民性があります。

核を使わないでいるほうの理由を考えると、プーチンが当てが外れて内心がっくりきたことには、あれほど弱体化して、トランプの世界なんて、おれの銀行口座に関係がある話以外はどうでもいい、という態度もあって、解体寸前だったNATOが、即座に、断乎として、「戦術核を使用したら、NATOは全力を挙げて即時参戦する」の宣言したことで、

そうなれば、要するに第三次世界大戦そのもので、

始まってしまえば、どこまで拡大して、どういう展開になるのかは、なにしろ戦争なので判らないが、確実なことがひとつあって、プーチンの破滅だけは保証されている。

ああ、よかった、では核戦争は起こらないんですね。

よかったよかった。

ほら、だから、いつも言っているでしょう、あんたたち騒ぎすぎなんだよ。

ところがところーが。

専門家や情報を手中にてんこ盛りにしている政府人から見れば

「絶対に起きる」と考えるところまで事態は悪化している。

簡単にいえばプーチンが失脚して、しかも後を襲うのが予想されているプーチンより更にタカ派(←しかもヴォッカ好きのアル中)の指導者でない、どっかから突如あらわれるハト派の指導者であるというダブル僥倖に恵まれない限り、核は、最もありうるのは、ウクライナ東部国境のどこかで爆発する。

「これはウクライナの陰謀だ」と言い募るクレムリンをシカトして核を積んだNATOのトーネイド攻撃機がロシアの軍事中心地へ殺到する。

そのあとは、

むかし有隣堂という書店の近くのイタリア料理店のカルツォーネが気に入ったあまり、伊勢佐木町の歴史を調べていたら、青江三奈という人の「伊勢佐木町ブルース」というブルースみたいな演歌みたいな曲があって、さっそくディスクユニオンで手に入れて、それと一緒にあった「恍惚のブルース」の

あとは、おぼろー

あとは、おぼろー

というリフレインが、すっかり気に入ってしまったことがあったが、

あとは朧で、その後の展開は神様がサイコロをふってみるまで判らないが、

普通には、拡大して、

戦域は、まずボスニアヘルツェゴビナ、フィンランド、

習近平は傍で見ているよりも、中南海と地方政権の手綱をひきしめて握っていて、併合することが念願の台湾に武力侵攻するリスクをとるよりも中立でいたほうがよさそうだが、それでもアメリカはオバマ大統領以来、二正面作戦を維持できる戦力をもっていなくて、欧州とアジアなら欧州をとるに決まっているので、

いまがチャンスと東アジアで、台湾と日本を戦域に戦端を開くかもしれない。

北朝鮮は、インドシナ併呑のころの大日本帝国とおなじで、様子を見て、こりゃこっちまで手が回らないな、と見れば、もう、そのあとにチャンスは来ないので、中国と手を握って、かなり高い確率で韓国統一に乗り出すでしょう。

悪いほうに転ぶと、紛れもない、どころか、第二次世界大戦はおろか、歴史上、最も悲惨な戦争であった第一次世界大戦よりも凄惨な戦争に拡大されていく可能性まである。

もうこうなったら、日本古来の必殺戦略兵器、護摩壇をつくって、プーチンを呪殺するしかないのではないかとおもうが、この先は、ほんとにプーチンが頭のなかでなにを考えるか次第で、なんだか、言っていても冗談みたいだが、2023年を最後に「西暦」なんてなくなってしまうかもしれない。

少なくともキューバ危機などは較べ物にならないほどの危機に、たったいま、世界は立っている。

2023年は、次のコーナーを回ると、そこには「世界の終末」が待っているかもしれない、すごい年なんです。

2022年も、いい年ではなかったが、

きみもぼくも生きていた

よかったよね

その手をやすめて

ぼくの手を握ってくれないかな

ゆっくりと そっと

肩を抱きしめてくれないか

来年は、きみもぼくも、

あそこで犬さんと転げ回っている小さな人たちも

どうなっているだろうね

今年は、お世話になりました

来年も、よろしく

ハッピー・ニューイヤー!



Categories: 記事

Leave a Reply

Discover more from James F. の日本語ノート

Subscribe now to keep reading and get access to the full archive.

Continue reading