暗くて長い夜の前に

「暁(あかつき)に祈る」という言葉が、希望をこめて明日を祈っている姿ではなくて、

シベリア収容所で、懲罰として、真冬の原野に、杭にくくりつけられて凍死して、がっくりと首をうなだれた、無数の日本人捕虜の姿を述べた言葉だと知って、茫然とした気持というか、凄惨さに心が空白になってゆくような気持ちになったことがある。

ロシア兵の、戦闘の外での残忍さは、伝説的なほどのもので、中世から近代に至るまでの、主に貧しい地方の出身の兵士達の、野性、といいたくなるほどの生命力の逞しさと、表裏一体のものだった。

少しでもロシアの戦争史を読んだことがあれば、地方の貧しい兵士たちを中心に構成されているというロシア軍が、ウクライナで行っていることがどんなものであるか、あんまり、たいした想像力は要らないようです。

特に日本の人の場合は、1945年に始まるスターリンの満洲侵攻に遭っているので、「ロシアと戦争をする」ということが、どういうことであるか、わかりやすいかも知れません。

零下30度というような原野で、薄着一枚で立て杭に縛り付けられて、ときには将校の気晴らしの遊び半分で、放置されて、放置したことを忘れて、置き去りにされたまま死んでいった日本の人たちは、どんな気持ちでいたか、例えば石原吉郎の造型した言葉を使って、近付いてみるのは、良いことであるとおもいます。

これから困難な数十年に挑むことになるに違いない、日本の人たちのことを考えていて、不吉ではあるけれども、極く自然に、「暁に祈る」という言葉を思い出していた。

破壊的な寒気は、ゆっくりと拡大する戦争、世界中で、すでに目に見えはじめている燃料と食料の不足、予測より遙かに早く進行している温暖化を基調にした地球環境の変化、と、よくもまあ、これだけ平仄をあわせて、ずらっと並んだものだと呆れた気持ちになる世界の環境で、身体の自由を縛って動けなくしている立て杭は、「日本の人の固陋さ」なのでしょう。

寒さを感じていたのは、もう、ずいぶん前のことで、寒気が痛みに変わり、痛みも感じなくなって、感覚を失いながら、生命のある肉体から、だんだん、無機物に自分自身が変化していく過程に、いまの日本社会はある。

アベノミクスを掲げた安倍政権の「改革」が始まったとき、そのころには、もう、なんだか集団で個人を攻撃するプロのような、相手を貶める、ありとあらゆる技巧を身に付けて長じていた「ネット言論人」に嫌気がさして、親切心などは、微塵もなくなっていて、金輪際、日本の社会の問題には口出ししないぞ、と決めていたにもかかわらず、いくらなんでも、これは酷い、だいいち危ない、そんなことをやったら「近代日本」と呼ばれてきたものが、まるごと、根底から崩壊してしまう、と焦って、それだけは止めないと、どうにもならなくなる、基礎が破壊されてしまう、と無暗矢鱈と記事を書いたが、結果は予想どおり、日本のサヨク人が「ガメ信者」と嘲る、少数のネット上の友人たちが理解して、なにがやってくるかを悟っただけで、

嘲笑と冷笑の洪水で、じゃあ、アベノミクスでなければ、なにがあるんだ、と居直られただけだった。

なにがあるか、のほうは、アベノミクスはダメとおもう、という記事よりも、更に多い数を書いたが、こっちは、多分、読みもしなかったのか、反応は限りなくゼロに近いものでした。もしかすると日本の人は「いまがいかにダメか」のほうは興味があるけれど「では、どうするか」のほうは、あんまり興味がないのかも知れません

予想どおり、というようなことではなくて、物事の理(ことわり)に従って、日本は、そこまではどんなに経済政策で誤謬をおかしても、ヤジロベエが傾きを自己修正するように、経済を修正してきた、錘(おもり)にあたる部分、個人の貯蓄や国内市場の国債購買力から来る安定した財政、イメージしやすいように、単純化した個人の例でいえば、貯金がふんだんにある、堅実で勤勉、質素な経済活動が営々と築いてきた「日本」という看板の信用が、あっというまに崩れてしまうのに、十年かからなかった。

なんども聞かされて、うんざりだろうけど、現在の日本の状態は、明治以来の伝統を持つ日銀が中央銀行としての機能を放棄した挙げ句、有名無実をそのまま具現化したような存在になって、まるで財務省の走狗のような存在としての思い切った「大活躍」のはてに、来年初頭の黒田東の退任を待たずに、ご破算で願われてしまっていて、後任と目される人が、次の総裁に名指されまいとして必死に逃げ回る、他国からみればドタバタエンターテイメントのような状態になっている。

中曽根の「審議会方式」に淵源をもつ、民主政治の有名無実化は、安倍政権の官邸主導政治で完成して、こちらは、やってみて始めて、ちゃんと思惑通りに動かないので、散々いらいらさせられた政策立案と実行が、省庁自治、と呼べなくもなかった中央集権が利かない霞ヶ関におおきく依存していて、

というよりも、自分たちが自己評価していたほどの能力が首相と官邸中央にはなくて、政策実行面では無政府状態と呼んだ方がいいほどの、ムダだらけの、まわりに常に群がっているハイエナがオカネを毟り放題の、病身国家になりはてて、いまはもう、機能停止に向かっていると言いたくなるほど麻痺している

アベノミクスのときに「基礎が破壊されている」と、しつこく述べたときに、「基礎」には、実は文化は入っていなかった。

谷崎潤一郎、小津安二郎、鮎川信夫、岩田宏、西脇順三郎、名前をあげていくと、視覚芸術の名前を挙げおわって、音楽に移行するころには、なんだか名前が羅列された分厚い本ができそうなほどになってしまうので、具体名をつくせはしないが、病膏肓で、ついには日本語という、他人(ひと)は知らず、自分にとっては、普段の生活では、まったく使う機会がなく、仕事にも役にはたたず、有り体に言って、単なる時間の浪費でしかない言語習得にまで乗り出すほど、ベタ惚れに近い気持ちを日本文化に対して持っていたので、よもや日本文明の根幹をなす文化が衰退するとは考えていなかった。

考えていなかった、というよりも、衰退が起こりうる、ということに現実感が持てなかった。

日本語社会のなかで暮らしていると気付かないのは、あたりまえだが、外から見ていると、いまの日本語世界で起きていることは、ひとつひとつの事象は、ここでは挙げないが、異様で、傷ましくて、目をそむけたくなるほど、酷い。

以前から、というのは、日本語になじみはじめた十年前くらいから、日本語が、どんどん、現実の細部を描写し、それを受け手が読み取る能力を失いつつあることには気が付いていたが、いまではもう、なにもかも粗筋が判れば物語が判ったことになるなんてのは、当たり前で、平気の平左で、若い中国人たちは、二時間の映画を早送りで一時間で観てしまう人が多いが、テキストベースで、日本の人は、若い人に限らず、いいとしこいたおっちゃんでも、早送りのうえにとばし読みで、もしかして、単語から単語へ、しかも自分が理解できる単語だけで、単語八艘飛びをしているんじゃないの?といいたくなるくらい、杜撰の杜氏もびっくりの、すさまじい「読解力」になりはてている。

ホラー映画によく出てくる、切っても切っても勝手にスイッチがはいって鳴り出すステレオセットのようなもので、頭のなかで、ちょっとでも自分が知っている単語があれば、ぼく知ってるもん、言われていることと、まるで関係がなくて、知っているだけの知識を頭のなかで鳴らさないと気がすまないので、話者が相手を尊重する親切な人であると、話がまるで関係がないほうへ飛んでいってしまう。

日本語から最も失われたのは「品位」で、論理性が強い一方で、感情表現を過剰に抱える日本語を腐敗から救ってきたのは言語としての品位で、品性の高さだが、それが失われて、聴いているのが苦痛なほどパブリック性がない言語に変じてしまっている。

絵柄ならば、西洋人の目には、現実性を欠いておおきすぎる目、誇張された胸、おもちゃ売り場に愛玩人形として並んでいそうな表情で、幼児性愛を連想させて、げんなりだが、それはそれで、文化の性格なだけで、前にも書いたが、スイスとドイツの国境で

むかしむかし、子供のころ、でっかいチン〇ンを咥えて、上目遣いに見上げる若いにーちゃんの表紙写真を観て、ほんとうにひきつけを起こしそうになった元子供としては、コンビニに、あんなもん置くな、という気持ちは判るが、悪趣味として述べるべきことで、正義として語り出せば、どんなことになるか、江戸時代の浮世絵がどんなふうに受け取られたものだったか、あるいは逆に、ヒットラーがピカソもゴッホも一緒くたにして「頽廃芸術」として公開を禁じた過去を思い出せば簡単にわかりそうなものです。

正義を、コントロールフリークたちの手に与えてはいけない。

個人としては、日本文化の、どんなに低俗で醜悪な現実を描いても、凛として品位の高みが失われないところが好きだったので、いまの状況は残念というしかないが、それは文明の性格というべきもので、黙って立ち去ればいいだけのことなのでしょう。

そんなことを言われて、日本語を母語とするひとたちが嬉しいわけはないが、「日本語が亡びるとき」という水村美苗の本が出て、14年経ったいま、本のなかで危惧されていたことが、より一層凄惨な姿で現実になった世界に、日本語人は生きているのだとおもいます。

十年ちょっと前に、こんな詭弁遊戯じみた「言論」に現(うつつ)を抜かしていると、テロの時代が戻ってくる、と書いたが

いまはもうテロに訴える感受性はすっかり日本語社会に戻ってきていて、現実にテロはおおきな影響力を持ち始めている。

どんなに酷い状態になっても、渦中にいて、その社会のなかで暮らしている人たちには、悲惨は、意外なくらい感じられないのは、戦時中の日本やドイツで書かれたものを読めば、その内的な心理機制を含めてわかりやすいので、そういう文章をひとつは読んでおくのがいいかも知れません。

日本語人は、ここでも、伝統に従っていて、公的文章の体裁をしたものよりも日記や手紙のほうに、素晴らしい文章があるようですが、読んでみると、人間の勁さというものがよくわかって、相当な逆境でも、日常として淡々と処理していける能力が人間には備わっている。

日本の人の側にばかり立つのをやめて、少しだけ、ぼくが立っている場所から日本の社会がどんなふうに見えているのかを書くと、

踏切で、列車が迫っているのに、下を向いて、チョークで落書きをしている子供や、驀進してくるトラックと、ちょうど衝突するタイミングで、交叉点に向かう自転車を、ビルの高い屋上から俯瞰しているような、もどかしいが、自分が立っているところからは、どうにも出来ないような、そういう気持ちでいます。

正直に言って、もうここまで来てしまうと、もとから自分が書く文章に、他人、しかも言語を異にするひとたちに些かでも影響を与えるちからがあるとおもったことはないが、それにしても、なすすべがなく、当の日本の人たちにとっても、やれることなどなにもなくて、embrace yourself、これから経験するに違いない文字通り苦難の日々を、それでも人間性を失わないように、あるいは人間性を持たない人間たちを極力遠ざけて、生きていくしかなさそうです。

おおきな背景には、地球人口の増加、ということがあって、それが目にみえない、ゆっくりとした、でも確実な影響を人間全体の文明に与えていて、

世界は、毎年、無慈悲な場所に変わってきている。

COVIDパンデミックが、それに拍車をかけた、という面もありそうです。

きみとぼくが、どうやったら、ここから先を人間として生きていけるか、

来年もまだ、日本語でも文章を書いているとして、記事の多くは、

「人間性がすべてなのだ」

という単純で、聴き飽きた、しかし最も切実なことについてのものに、なってゆくような気がしています。



Categories: 記事

Leave a Reply

%d bloggers like this: