軍靴の響き

 

横浜の山下公園から再開発された赤レンガ倉庫を通って演習用の帆船日本丸まで遊歩道があります。

わっしはむかし横浜の「おばちゃんの定食屋」さんへゆくと、だいたいここをぶらぶら歩いて帰った。行きは横浜駅から水上バスでどわどわどわとエンジンの音が響く水上バスで行く。

この頃はクルマで行くので通らなくなっちった。

シカゴの会社がつくった日本で初めての鉄橋も非現実的なくらい狭い血湧き肉躍る狭軌の線路の跡も、もう見ることがなくなった。

 

最後にここを通ったときのことをまだおぼえています。

高校を中退して大検で大学にはいった韓国系日本人の友達が大学を卒業したので、わっしはお祝いに日本にやってきた。

ふたりで中華街で酔っぱらってへろへろと大観覧車のほうへ歩いていった。

ジエータイのひとがいっぱいおる。

みんな久しぶりの休暇なのでしょう。

楽しそうである。

写真を撮りあって笑いさざめいています。

みていて楽しくなるような光景です。

にこにこして見守っていたおじちゃんのひとりが、若い人たちが楽しそうにしている様子を見てなにかしてあげたくなったのでしょう。

「ぼくがみんなの写真を撮ってあげようか」と女の将校に申し出た。

おじちゃんはびっくりしておったな。

女将校が、「いいえ、これはわたしたちの夜なので結構です」とずいぶん強い厳しい口調でゆったからです。

他の自衛官も、みな迷惑そうにいっせいにそっぽを向いておる。

おっちゃんは別に酔ってはおらなかった。

見た目もふつーである。

そばで見ていて、わっしも驚いた。

書いてあらわすのは難しいが、その瞬間的で厳しい拒絶にはどこかしら異世界のものの誘いを拒むような調子があったからです。

第一、わしの国なら集団の軍人に親切にする物好きなんていねーよ。

 

おっちゃんがニンニクを食べ過ぎて口が臭かった、とか、

わしのたっているところからは見えなかったが、おっちゃんが羽織っていたカッチョイイバーバリのコートの下は実は裸で下半身が露出されておったとか。

 

そーゆー理由でしょうか。

 

わっしがいま泊まっていてモニとふたりで遊びほーけている日比谷のホテルではいろいろな国の将官が集まってPACCS(よくわからんが、多分、Post Attack Command and Control Systemかな?)の巨大コンファレンスを開いているもののようです。

制服のひとがいっぱいうろうろしておる。

モニとわっしは広尾のアパートに忘れ物をしておったのを思い出して駐車場からクルマを出して取りにいった。

タクシーをとめるために立っているだけで行き倒れになりそうなくらい湿気がすごいのでやむをえない。

アパートのライティングデスクを開けて、忘れていたものを取り出してニャハハあったと喜んですぐにホテルに戻ってきた。

 

戻ってみると駐車場は混んでおる。

ぶおおおと駐車場をあがってゆくと何やらひとの声がしてます。

「すみません。すみません」となにやら若い人がへこへことお辞儀をしてます。

ベンツに乗ってえばりくさったおっちゃんが怒ってます。

なにごとならむと窓を開けるわっし。

おっさんが捨て台詞を残して走り去ってゆく。

どーしましたか?とわしが若い衆に訊くと、いやあ、参りました、ここはコンベンション用にクルマが駐まるところなので申し訳ないが駐車できません、と叮嚀に申し上げたんですが、といいます。

なんだかコンベンションに使う機材用のクルマが駐まるところなんだとかで、民間のクルマは駐まれないのだそうである。

 

そーですか、というわっし。

でも、あなたはホテルの方ですか、というと、そーではない、という。

この場所を「確保」するために立っているんですけど、なかなかわかっていただけなくて。

ふーん。

 

ホテルの低層階には制服を着た海自のねーちゃんやにーちゃんが深刻な顔をして急ぎ足で行き来していて、わっしのようにのーんびり歩いているにーちゃんとはペースが違う。

いかにも国防の大事のために働いているひとびとです。

まるで防衛省に紛れ込んだようである。

 

いまもリフトに書類を見つめた肩章を付けたねーちゃんが5階から乗ってきた。

リフトのばーちゃんが何を思ったか「たいへんですね」と声をかけます。

ねーちゃん、気がつかなかったよーだ。

声がしたほうをちらと見ただけで返事をしないで4階で降りた。

わっしの後ろにいたアメリカ人が、まるで戦時下だな、とゆって笑います。

 

むかし日本では軍人は民間人をひとしなみに「地方人」とゆった。

「痴呆人」なのかと思ったら字が違うよーだ。

軍人は「国体」とゆう名前で呼ばれていた天皇制を守るための尊い義務を負った職業人であって地方人と交わって痴呆化すると困るのでそうゆって区別したのだそーである。

そーゆー簡単なことが判らない出来が悪い将校であって、後で司馬遼太郎という名前の小説家になる福田という名前の戦車将校は、ひょっとしたら軍隊は国民を守るためにあるのではないかと妄想して「あのう戦線へ緊急に移動する必要があるばあい、街道上に満ちている難民のひとやなんかはどう処置すればいいのでしょう」と上官に質問したら、

「轢(ひ)いてゆけ」とゆわれたそうである。

 

日本では国民はむかしは若い男は1銭5厘、年寄りや女子供はタダなので軍人のような立派な人間が守る対象にはなりえなかった。

日本の大義は「天皇陛下をお守りする」ということに集約されるので論理的には当たり前であって、夏の書店にいけば山と積まれた日本の戦争がいかに正しかったかという本を読むまでもなく、いまでも日本人がその「大義」に生きる品格の高い国民であるのは、天皇家が尊敬を集めているどころか研究の対象にすることがタブーにされているほど神聖視されていることを見るだけでネット上の日本バンザイな日本のひとがいうごとく外国人がいかにマヌケであっても、そのくらいはわかります。

 

街にはいろいろなひとが来ていろいろなひとが去ってゆく。

爆撃を逃れるために背中にナパームの炎を背負って泣きじゃくりながら裸足でかけてゆく女の子のいまではもうほとんど聞こえない跫音、片方だけズックを履いた片腕が皮だけでぶらさがった少年の血まみれの裸足とが交互に踏みしめる調子外れの跫音、衆を頼み流行に乗ったものの猛々しさで反戦と反帝国主義を叫ぶ大学生たちのサンダルの音、自衛隊員たちを指さして罵り嘲るひとたちが踏みならす踵の音、ジェット旅客機が突っ込んだ超高層ビルの下から絶叫しながら逃げるOLたちのハイヒールの音。

いろいろな跫音が繰り返し道の表面を叩いてゆきます。

 

そのなかに混じっているかすかな、でも次第に大きくなってくる音をわっしはここに座って聞いておる。

耳を澄ましてみたまえ、もうきみにも聞こえるから。

その跫音は似非社会主義者どもの無能を嗤うだろう。

その跫音は自由主義者どもの気取った無力を踏みつぶすだろう。

その跫音は言論右翼どもの薄汚い差し出された手を実務家の潔癖な足で踏み砕くだろう。

その跫音は、どんな想像力も越えた事務的で効率的な手で破壊の王を甦らせるだろう。

きみには理解できない言葉でわしには判る。

遠くないある日にこの国の街はもういちど軍靴の響きでおおわれる。

わしのあらゆる観察が、わしに告げているのです。

たとえ、それがどんなに時間がかかる変化であっても、

もうこの国が引き返すことはないのだ、と。

 

こえー。

(この記事は2009年8月22日に「ガメ・オベール日本語練習帳ver5」に掲載された記事の再掲載です)

 



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