大日本帝国の長い影について

“I lost 13 other relatives who were massacred.
One an aunt,a young aunt, was raped,gang-raped, on the driveway of the club,and then gutted and left to die in the sun”

と、当時の日本兵がマニラで行っていたことについて、フィリピンの元外交官、スペイン大使だったJohn Rochaが、日本兵に集団で強姦され殺された叔母を例にして述べている。

あるいは、マニラの女のひとが、
“I saw also people who were still alive being run over by Japanese tanks”
と言う。
聴いているこちらは「市民は生きたまま踏みつぶして行け」と上官に言われて、日本の社会に疑問を持ちだした、という、元戦車隊将校、司馬遼太郎を思い出す。

「(特殊な事件ではなくて)日本兵は、毎日、あちこちで、そんなことばかりやっていた」と別の市民が言う。

若い女をみると、集団で強姦して、おもしろ半分に殺して、その場に置き捨てにした、という日本兵の「よく使うやり方」は中国でもフィリピンでもマレーシアでもおなじで、殺したのはあとで証言されると面倒だったからだと説明されるが、やはり日本兵に集団で強姦されたイギリス人やオランダ人の看護婦たちの証言を聴いていると、誰も殺されていないのと、当の日本兵たちのBBCインタビューなどを観ると、どうやらアジア人蔑視感情で、犬や猫をなぶり殺して楽しむような気持ちであったらしい。

John Rochaがインタビューに応えているのは、日本軍のフィリピンでの蛮行を描いたドキュメンタリではなくて、2015年の5月に公開された、
「Return to the Philippines,the Leon Cooper Story」
94歳のじーちゃんが、アメリカ政府とJPACがいまだに7000のMIA
(Missing in Action)をフィリピンに置き去りにしているのを怒って単身フィリピンに乗り込んでいくドキュメンタリで、主題は遺骨収集です。

しかし、慰安婦なんてどこの国だってやってたじゃん、南京虐殺なんてなかったに決まってんだろ、という日本の人の「主張」が判って、少しずつ、日本の社会が反省なんてまったくしていなくて、加害者意識すらもたず、自分たちはむしろ「白人の人種差別からアジアを守るためにたちあがったゆえに痛い目にあわされた被害者である」と考えていることが、平和憲法シカトとともに伝えられて、話の必要上、日本軍はどんなことをしていたか?ということを、戦争中の話をするために付け加えなければならなくなった。

アメリカのiTunesの映画部門では、かなり長いあいだ、アンジェリナジョリーが作った「Unbroken」が売り上げトップだった。
この人は、いまは南京虐殺の映画を準備しているそうで、どうやら、最近の日本社会の「自分たちは悪くなかった」と述べる傾向に対して、はっきりと不正であると感じる気持ちがあるようです。

ドイツ人の戦争犯罪、たとえば「アウシュビッツ収容所」のような番組が、完全に過去の犯罪として描かれていて、人間が集団で狂気にとらわれると、どんなことが起きうるか?という問題提起になっているのに較べて、日本軍のほうは、非難が現在の日本人全体に向けられていることが顕著な違いで、
近い将来、矢面に立たされるに違いない日本の若い人が気の毒な気がするが、
安倍政権を国を挙げて支持してしまった話の成りゆき上、仕方がないと言えば仕方がない。
また70年くらいかけて、いや反省しなかったのは年長の世代で、自分たちは異なる考えなのだ、と説明してゆくしかないのだとおもわれる。
考えてみれば、国会前に集まる若いひとびとを説教したりしている、当の無責任おじさんたちは、自分たちの父親世代なので、親の借金を払う子どもの立場だとアジア風に諦念して、社会として、あきらめるしかない。

幸いなことに自由主義の国に行けば、日本のパスポートを持って日本人ふうの顔をしていても、日本人だから云々であるよりも月形半平太というひとならば月形半平太という個人として扱ってもらえて、「ハンペ」とかなんとかヘンテコリンな名前で呼ばれてしまうかもしれないが、おだやかで知性的な傾向がはっきりとあるタイプの日本の若い人は仲間に好かれる可能性が高い。
だから個人としては、たいして心配することはなくて、このブログで繰り返し述べたとおり、国の選択を日本から、どこか自分の穏やかな性格に向いた国へ変えてしまえばいいだけのことです。
日本という国にとっては大変なことだが、自分が暮らす国を変更してしまった、きみというひとりの個人にとっては、
小さなannoyanceにしかすぎない。

あれほど重要であると繰り返し述べていたイラクからアメリカは手を引いてしまった。
アフガニスタンも、かつての占領地から兵力を引き揚げてしまい、いまは小部隊をオスプレイで敵地の奥深くに輸送してタリバンの根拠地を破壊する「拠点破壊作戦」を実行するだけで、タリバンが町々で支配を回復するのに任せている。

前にも書いたように、アメリカ人がひとり死ぬだけでも大変なことだと言われるように社会の考えが変わってきたからで、自分たちの若者をひとりも殺さない方向へ持っていこうとしているのは、アフガニスタンの掃討作戦においても、ドキュメンタリが映し出す、ドローンや戦車の支援があってすら、やや抵抗が激しいと司令部の許可をとって作戦自体を中止して基地に帰投する海兵隊将校の姿からもアメリカの戦争への考えかたの変化は明瞭に見て取れる。

アメリカが日本に大兵力を常駐させているのは、もともと、 世界で最も好戦的な民族であると何度も分析されている日本人を再び他国への侵略に乗り出させないためであることは、アメリカ政府の要人がたびたび言明している。
情報公開法によって、たとえば周恩来とキッシンジャーの対談でのアメリカの対日方針の説明は直截読むことができます。

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ここに来て、アメリカが安倍政権に対して「戦争する国になってもいいよ」と言い出したのは、日本が再び歴史を通じての本来の国の姿、戦争屋としてアジアの平和を破壊するリスクと、中国のリスクを秤にかけて、中国のリスクのほうが、いまの不透明で操作的な市場では必ず起きると考えられている1929年のような経済崩壊によって人民解放軍の発言権が増す予測を踏まえて、中国が予定よりも早く東アジア全体を支配するリスクのほうがおおきいと判断しているからだと観測されている。

やがては自分を追い越して大国になったときに、日本、東南アジア諸国が傘下になるのは仕方がないとしても自由主義国として価値観をおなじくするオーストラリア、ニュージーランドにまで影響するようになっては困る、というヒラリー国防長官以来の「太平洋の時代から大西洋へ再び軸足を移す」アメリカ政府の方針の転換もある。
欧州の政府も最長期戦略もおなじだが、アフリカに外交の焦点を持たないと滅びるしかなくなる、というシンクタンクレベルでの強い危機感もあります。
長期的な関心が太平洋から大西洋に移ってしまっている。

一方で冷戦時代は三正面作戦を余裕を持って行う力があったアメリカの陸海空軍は、90年代の2正面作戦軍への縮小を経て、バラクオバマの時代になってからは1正面しか担当できない軍に再編された。

機械としての信頼性が低いVTOLであるオスプレイを強引に制式採用したのは、ちょうどアフガニスタンで行っているように、制空権を持てない敵に対して、奥地まで兵員を運んで拠点を破壊したり指導者を殺したりする現代の戦争特有の戦闘を想定しているからで、オカネがかからない戦争を目指している。

海兵隊という本来島嶼上陸作戦用にデザインされた軍隊をアフガニスタンのヘロイン工場破壊に使いだしたので判るとおり、島嶼作戦から「少数精鋭による拠点攻撃」に軍隊全体のデザインを大急ぎで変更ちゅうでもあって、たとえば沖縄にいる海兵隊は「アイコンにしかすぎない」と言われたりする。

日本に汎用に使用できる軍事力を準備することが必要になったのは、そのためで、日本社会が暴走する危険は判っていても、日本人を戦場に送って、自分たちは足の長い遊撃で自己のテリトリーを防衛する、言わばエリート部隊を維持する誘惑に勝てなくなったのでしょう。
多分、5万人程度の事実上はアメリカ軍配下の兵力を日本人によって新たに作り出すことが必要になっていると思います。

靖国神社に参拝されて、日本の人はdisappointedの解釈に国をあげて上に下にの大騒ぎで、気がそれてしまって気づかなかったようだが、アメリカ政府が見せた「パニック」と呼んでよいような狼狽は、日本の首相の行動が、いかにも日本に軍事力を与えるネガティブな側面の「好戦主義への回帰」をおもわせる暴走だったからで、アメリカ政府からすると、あれほど具合の悪いタイミングはなかった。
安倍首相のほうは、案外、そういうアメリカの事情を見越して知っていて、わざと、やってみせたのかも知れません。

平和憲法といってもアメリカから見れば「自分たちの手で日本という狂犬の口にかませたmuzzleに過ぎない」という気持ちがあるので、日本人が誇りにおもっている気持ちとはだいぶん違う。
日本を外交的軍事的に御していく自信があれば、今度は自分の手でなく敵の手をかませるのに使えばよい、と思っている。

しかし、かつて日本軍に家族や親戚を強姦され、殺され、お辞儀の仕方が悪いと難癖をつけられては殴られた生々しい記憶を持っているアジア諸国の気持ちはまたべつで、話していると、日本の戦争国化を許容したせいで、かつてのアメリカ政府への信頼はだいぶん揺らいでいる。

日本の全体主義を破壊することによって自らがもたらしたアジアの解放が生み出した秩序に興味をもたなくなったのではないか、と疑っている。

ここに来て、マスメディアで日本人の過去の蛮行が頻々と取り上げられるようになってきたのは、アジア諸国が経済成長で豊かになって自信をつけてきたことのほかに、日本が再びみせはじめた傲慢さに警戒を抱く気持ちが芽生えた証拠であると観察しています。

(この記事は2015年9月1日に「ガメ・オベールの日本語練習帳ver5」に掲載された記事の再掲載です)



Categories: 記事

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