英語文明がキリスト教の文明だというのは半分しか当たっていない。
最近では、ひどい言い方をするとキリスト教の人気は落ち目なので、
もしかすると、半分より、もっとすくなくて、西洋キリスト教西洋キリスト教と日本の人が繰り返す度に、起きる違和感の根源になっているかもしれません。
11世紀初頭に、エゼルレッド2世が「民族浄化」のために引き起こした聖ブリスの日の虐殺への復讐を誓って、近隣のヴァイキングを糾合したクヌートは、死んだ父親に代わって即位したばかりのイングランド王エドモンドを打ち破って、イングランドにそのまま居座り、イングランド、デンマーク、ノルウェーにスウェーデンの一部も加えた北海王国を打ち立てて、北海文明に国としての形を与えるが、もちろん、ベーオウルフ(8C~9C)が描く北海世界は、そのずっと以前から、ひとつの特色を共有する世界として存在していました。
日本語から、いまの、例えばニュージーランドの、男女が肩を並べて、性別による差が少ない文化が見えにくいのは、多分、北海文明が英語人の背骨であることを見ないからではないかと、日本にいるときには、よく考えたものだった。
クヌートの時代でも、すでにヴァイキングの半分以上はキリスト教化していたように、たしかにキリスト教は後の英語人の考え方や社会にもおおきな影響を与えるが、キリスト教は、もともと東方の異文化で、当時の北海人にとっては、キリスト教はexoticな考えで、それだからこそ、ひとびとを魅了していったのだと考えても、あんまり間違いではなさそうです。
宗教として、当時のスカンジナビア人が信じていた神話世界観から洗練されきっていない、例の、ヴァルハラを憧憬する信仰よりも、遙かに完成された姿を持っていたので、やがて北海文明圏を席捲していきます。
いまはGamla Uppsalaと呼ぶ、現代のUppsala郊外にあった、もともとのUppsalaを聖地として、北欧人たちは、独特の文明を築いていきました。
どう独特であったかといえば、例えば、女戦士がいる文明で、最近の発掘出土品の再調査によれば、従来考えられていたよりも、軍隊のなかの女の人たちの地位は、遙かに高くて、ビルカで出土した参謀役の将軍であった上級戦士の遺骨が、いままで考えられていたような男ではなく、どうやら女の人であったらしいことがDNA分析によって判明したりしている新しい科学的発見を待つまでもなく、
Ragnar Lothbrokの復讐戦争に、他の女戦士たちとともに加わって、
無数の敵を叩き殺して、称賛を浴びたLagerthaを初め、
神秘的な逸話に満ちた「最後のヴァルハラの子供」Freydis Eiríksdóttir、そして、いくつものヴァイキングの戦場で武名を輝かせた伝説的な女戦士集団Shieldmaiden、北海文明の女のひとたちは、櫂を漕ぎ、剣を手に取り、斧で敵の肉体を粉砕して、戦闘においてさえ、男たちと変わらない地位を保っていた。
北海文明圏の国々では、ジェンダー差別の解消が、どちらかといえば、近代の新しい動きではなくて、「本来の自分たちの姿へもどる」運動であるようなところがあるのは、このせいでしょう。
キリスト教は、殊更に性による人間の在り方を強調する、
新教諸派では、特にこの傾向が強くて、清教徒は、厳格なぶんだけ、女の人たちにとっては抑圧的な態度で臨む。
ヘリクツかもしれない理屈を述べれば、英語圏のなかではアメリカ合衆国が目立って女性差別がおおきいのは、そういう理由だと、おもって、おもえないことはないようです。
日本では、どうなんだろう、と考えると、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも随分人気があったらしい巴御前の名前が、まず浮かびますね。
むかしから人気があった人らしくて、「色白く髪長く容顔まことに優れたり。強弓精兵一人当千の兵者なり」なんて書いてあって、美しい容貌で闘いの技にすぐれた戦士であった、と書いてある。
実際にも、宇治川の戦いのあと、潰走する敗残の義仲軍が、ほんの数人の集団になっても、なんど戦っても討ち取られることがなかった、というので、
書いている人は気が付いてなかったように見えるが、敗軍にあっても、なお強い戦士だったということは、戦闘の現実について、少しでも知っていれば
「よっぽど強かったんだなあ」と、なんだか口が開いたような、間の抜けた感想を持ちます。
もうひとり、鎌倉時代に、平家側に、板額御前という人がいて、この人は190cm近い雄偉な肉体の持ち主だったというので北欧人女戦士型というか、印象でいえば「たまたま性別が女の人だった、生まれついての戦士」という趣がある。
あるいは、
日本語で書かれている「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver5」というヘンテコリンな名前のブログには有名な撃墜王Lydia Litvyak(リディア・リトヴァク)の短い伝記のような記事があります。
このモスクワ生まれの女の人は、戦闘機操縦士としての天性に恵まれていて、短かった戦闘機パイロット生活のなかで、愛機Yak-1を操って、66回出撃して、12機のドイツ空軍機を撃墜した。
やはり戦闘機パイロットだった恋人が死んで自暴自棄で、最後の戦闘では8機のBf109に包囲されて被弾する、自殺を願っているような無茶な戦闘を繰り返さなければ、多分、40機ほども撃墜して、本人も戦争を生き延びていたと思わせるだけの戦闘技倆があったもののようでした。
もちろんロシアでは、国民の尊敬を集める名前で、
1990年には、戦後長く経ってから発見された遺体と墜落機をもって、ゴルバチョフ大統領の手で、国葬が行われている。
あるいは、バルバロッサ作戦を通じて、ドイツ軍兵士の恐怖の的だった、2000名を超える女の狙撃兵たち
https://mashable.com/feature/soviet-women-snipers
のなかでも、ひとりで309人のドイツ兵を狙撃/射殺したので有名なリュドミラ・パヴリチェンコがいる。
「女の人は体格が劣る」という考えから、兵士として男の人たちに較べて適性がない、と言われてきたが、それは事実と異なる、と述べるために、えらくたくさん書いてしまったが、刀剣を手に戦闘していた時代ですら、女のひとたちは、体格が小さい人であっても、技と工夫で、普通に男の人と渡り合った例がいくらでもあります。
え?
いったいなにを書いてるんだって?それが判れば苦労はない。
なんちて。
こういう話は、どうだろう。
Maria Gaetana Agnesiという人を知っていますか?
そう。
あの人。
18世紀に数学書なのにベストセラーになった「Istituzioni analitiche」を書いた人で、ボローニャ大学の数学教授だった。
ウィットに満ちた人で、20歳ごろ、人気があってチヤホヤされていた社交界に出るのがめんどくさくなって「修道院に入る」と言い出して、周囲に説得されてやっとおもいとどまってからは、しかし、社交なんてやめてしまって、思索に耽る毎日を送るようになっていきます。
34歳くらいになると、大学で教授をやっているのもバカバカしくなって、
これもやめてしまう。
このくらい書くと、むかしから、このブログ記事に付き合ってきたひとは、ああ、そうかも、と気が付いてくれるかもしれないが、
ぼくが、たいへん尊敬している人です。
この周囲にとっては、わがままで気難しい、扱いづらいひとだった女の人が、なんだか、同族であるような気がするの。
タイムマシンが出来るのは、まだなのか。
ぼくは、どうしてもこの人と会いたいんだけど、と、よく考える。
この同族である、という気持ちがどういうものかは、書籍版の
「ガメ・オベールの日本語練習帳」という本のなかの
「いつか、どこかで」という記事に書いてあります。
人間を見て、「男か女か」が、まず頭に浮かぶ人は寂しい人であるとおもう。
誰でも述べるようなことを述べて、ごめんだけどね。
中国系の人を見て、まず「中国人」「アジア人」と浮かぶ人と、ちょっと似ているかな?
もちろん、きみを見て、まず「日本人だな」と第一観を持つ人とも似ているでしょう。
女だから
女だてらに
女のくせに
くだらないことを書くと、「最後のヴァルハラの子供」、女戦士Freydis Eiríksdóttirは紀元1000年前後に北米大陸を欧州人として初めて発見したLeif Ericsonの姉です。
大西洋を横断して、彼らがVinlandと名付けた北米、いまのニューファンドランドに到達した一行は、男と女の混成で、性別による役割の分担などはなく、力をあわせて、嵐を乗り切って、新しい土地に着き、集落を形成する。
発掘された遺跡からは、その後、集落が発展していった形跡はなく、さらに西を目指して移動していったか、風土病によって亡びたか、ネイティブアメリカンの襲撃に遭って亡ぼされたか、なんの痕跡もなくて、わかりません。
判っているのは、彼らが性別になどよらずに役割を分担して、生き延びて、その理由は、人間が全力をつくして生き延びなければならなくなったときに、性別などは、たいした区別でありえないと、よく知っていたことでした。
笑っちゃ、いやですよ。
でも、女も櫂を握って、力の限り漕いで、大男たちより漕ぐ力がないからと言って、文句を言われることはなかった。個人の間で差異があるのは当たり前だからです。
そんなこと言ったって、男と女に能力に別があるのは明らかじゃないか、と口を尖らせて述べる、男に生まれたきみの顔が見えるような気がする。
それがだね。
男と女であることによる差異が、きみとぼくとの個人間の差異に較べれば、遙かに小さいことは、欧州人とアジア人のあいだの差異と、個人間の差異を並べて考えれば判りやすいかもしれません。
差異があることは差別や区別をすることの理由にはならないのね。
ははは。
さては、まだ、納得してないな。
ぼく自身は、相変わらず、なあんにも考えてなくて、主義と名がつくものはなんでも苦手なんだけどね。
なぜか友だちには文字通り折り紙付きのフェミニストが多い。
日本の「フェミニスト」のひとびととは異なって、将来は全部男はぶち殺して生殖は精子銀行でやればいいのではないか、と恐ろしい冗談を言ったりする。
そのなかでも仲がいい友だちは、本人に言えば怒るから言ったことがないのに決まっているが、美しい人で、明るい灰色の眼が、暖かい感じがする知的な人です。
背丈が190センチほどあって、男と女を区別するような発言には、容赦をしないのに、自分より背が低い男の人のことは「ミジェット」なんて、ものすごい言い方をすることもあって、「あんた、身長差別じゃん、それ」と、おもう。
むかし、日本でいえば日本海側の海辺ということになるだろうか、西海岸のバッチ(←休暇用のチビ家のことです)に泊まって遊んだことがある。
トリビアやリスク、モノポリー、ボードゲームで散々遊んで、飽きたので、
ポーチの下で椅子を並べて、一向に降り止まない雨を見ていた。
缶ビールを投げて寄越します。
「ガメって、女だよな」
「?」
「褒めてんだよ、ほかに意味があるのか」
「ああ、なるほど」
それから、いつものことで、あんまり意味をなさない、少しづつ、ずれたやりとりをする。
酔ってきて、
男でも女でもいいから、こいつとなら死んでもいいという人間を見つけて、
一晩で、やりまくってやりまくって、死ぬまでfu*kして死にたい
女に生まれると、くだらないことで腹を立てさせられるから、余計なエネルギーを使わされてやってられない。
話は突然飛んで、エズラパウンドの話になって、
サッフォーの話になる
ベーオウルフの一節を暗誦している
ぼくですか?
ぼくは、この人が、こんなに人に心を許して、気楽に話から話へ飛んで、
リラックスしているのを観たことがなかったので、すっかり嬉しくなって、
最後には椅子に座ったまま眠りこんでしまうまで、
ただ聞き役をしていました。
女の人は、やっぱり、いまでも、たいへんなんだ、と、いかにもマヌケなことを考えた。
冷えてきたので、家のなかにいって、毛布をとって、眠っている友だちに掛けた。
それから散歩に出て、ひとりで雨のなかを歩いて、歩きながら、しばらく泣いていた。
はやく、「何食わぬ顔」を取り戻して帰らなければと考えながらね
ふふふ。
驚くべし。
この取り止めのない記事は、ここで終わりなんです。
もうきっと、日本語では、男と女の、性別の話は、しないんじゃないかな。
理由は、ここに書いたりはしないんだけど。
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なんて素敵な文章。気になりながらまだ入手していなかった『ガメ・オベールの日本語練習帳』をe-shopで注文。1-2日で近所の本屋さんに届きます。この新鮮で知的で甘美な世界観をすっかり読み取り飲み干したい。
まいどー