(この記事は2012年7月2日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲載です)
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ジャンクフードが食べたくてたまらなくなることがある。
誰にでもあるふつーの衝動だと思います。
わしが家の食卓にはふだんは、農場から直截買ってきた野菜や一頭で買って解体した牛さんやラムさん。やはり農家のおばちゃんと約束して作ってもらっているベーコン、そーゆーものが並んでいる。
ぜーたくな、と思う人がいるだろーが、ニュージーランドはなんとゆっても他には取り柄がない農業国なので、食卓をほんとうの定義でオーガニックなマジ有機食べ物で埋める、というようなことは日本の百倍くらい簡単にできる。
フリーレンジと言っても、小田急線の最終電車よりも混雑した養鶏場で鶏の海の上に鶏が乗ってくらしている気の毒な鶏フリーレンジではなくて、広い地面を堂々と闊歩していたのを絞め殺したトリさんがふつーに食べられます。
農家に直截話して用意してもらうことにしているが、そーゆー農家はわし家の場合はほとんどランドスケーピング(庭をどうデザインしゅかっちゅうコンサルタントのことでがす)のKの紹介に拠っている。ところどころ、モニとわしが日曜日や土曜日にあちこちのファーマーズ・マーケットにでかけていって仲良くなった農家の産物もはいっている。
そうやってなんでもかんでもオーガニックだが、わしは味覚まで文明度が低い(妹・談)ので、せっかく厨房のおばちゃんがつくってくれたクレマカタランがあるのに、そのへんのドクサレ・スーパーマーケットで買ってきた「m&mピーナッツ」やリコリシュを食べてへらへらしているので、ときどき次のクレマカタランには針がはいっているのではないかと思う事がある。
もっと症状がひどくなると、夜中に、パメラ・アンダーソンが正当な死闘を繰り広げているKFC
http://www.youtube.com/watch?v=PVxv7PPGZqg
のドライブスルーに行って、フライドチキン5ピース+フライドポテト(わしはいつもマッシュドポテトに変えてもらうが)で600円の「Gimme Five!」を買ってきて、モニに呆れられながら、ひとりでむさぼり食うこともある。
ドミノピザとピザハットにジョージ・ブッシュに赤い角を生やして悪魔に見立てた広告で社会問題にまでなって卦けたHell Pizzaもくわわって競争が激化しているピザ業界は、むかしは、「木曜日だけ」とか「火曜日だけ」であったラージピザ4.99ドル(300円)セールが定着して、いっつも300円なので、これもよく買いに行きます。
ドミノピザのハワイアン(パイナップルとハム)にタバスコをどっちゃりかけて食べるのは、本人には絶対秘密だと念を押されているが不実な夫の本領を発揮してばらしてしまうとモニも大好きである。
トウモロコシ革命、といって、遺伝子組み換えのトウモロコシが、たった1エーカーの土地から200ブッシェル、すなわち5トンもとれるようになってから、
http://gamayauber1001.wordpress.com/2011/11/07/あすこそ仏滅/
食品の値段は急激に下がった。
この産業革命よりも影響が大きいかもしれない「食料革命」の良い面は、なんとゆっても飢え死にするはずだった人間が食べ物にありつける確率が飛躍的に向上したことで、ビンボな国のどこかには「モンサント神社」があるやもしれぬ。
悪い方は、この「革命」によって出来た「食品」が一応形が食品なだけで、ほんとうは(伝統的な意味の)食品ではないことで、日本の福島第一事故で日本中にぶちまかれた放射性物質の問題と性質が似ているといえば似ている、目の前に見えているものは従前と変わらない現実なので、なあああーんにも考えないで暮らしていれば、あるいは「なあーにダイジョブだんび」とタカをくくっていれば、痛痒を感じないが、調べれば調べるほど、「どーして、わたしはこれで死なないですんでいるのでしょー」と訝る気持ちになる。
食べ物に関しては先進国のなかでも最もナイーブとおもわれる日本では、あんまり知られていないよーだが、たとえばスターチの形であらゆる食品(ケチャップ、甘いお菓子、シロップ、「GDL」入りのハムやソーセージ、ウインナー、ベーコン、….スーパーマーケットなどは見渡す限りコーンスターチ族の集落であるともいえる)に忍び込んでいるトウモロコシは、収量の高い「革命後モデル」は、トウモロコシ自体としては食べられない。
食べてみればわかる、というか、味が自然の農産物の味ではないので人間の身体がうけつけない。
自然の力を人間の悪知恵で生産性(収量)が高くなる方向に極端に特化した遺伝子特性をもつ農産物は、伝統的な定義や感覚から言えばどちらかというと「工業製品」で、実態をしっていて、あれを「食品」だと思うひとはいないだろう。
「CSI:Crime Scene Investigation」「CSI:Miami」を熱狂的に観すぎた結果、わしの家にはわしのオモチャがいっぱいある小さな物質解析ラボがあるが、そうしてそこでモニとわしのバカップルはCSIごっこをしてよく遊んでいるが、ギルモアズで40入り箱とかで買ってきてもらうせいで、食べ過ぎてうんざりしたお菓子を分析してみると、このブログ記事にやってくるひとのなかには昔から、「警察にいいつけてやる」とか「営業妨害の恐れがあると通報してやる」とか、「虎さんにいいつけてやる」というイヲカルなひとびとがしつこく存在するので、具体的にはなにも書かないが、はっはっは、と思うものがいっぱいはいっておる。
どうも政府やなんかの「有害添加物DB」というのは古くらから知られている物質しか入力されていないのではなかろーか。
人間は、見えないもの、感覚器の刺激受容範囲から外れたものには脅威を感じないように出来ている、ということは日本の福島第一事故を観察していると遠くからでもよくわかるが、食べ物には「味覚」というものがある。
いくら食べ物らしくみせかけを整えても、味や匂い、舌触りがいかにもタッキーであったり薬品風であったりすると、バレバレバレで、スペイン人がOKと連呼しているような状態になってしまうので、「自然」な味やにおい、舌触りをつくるために、何ダースもの添加物をまぜあわせて工夫する。
添加物業界にも流行があって、最近は、安い「天然加工物」、すなわちコガネムシのなかまの昆虫を乾燥させて轢いたりするのが簡便で「そのまんま天然」なので流行りであるよーだ。
まともな食べ物だけを食べてくらすのだ、というひともいるが、自分の農場でものを作ってみたわしには判る(<−自慢)、まともにつくった食べ物などは、原価が滅茶苦茶高くて、ふつーの人間がそんなものを毎日食べていたら、それだけでオトーサンになってしまうであろう。
いまの世界では、その社会の「平均収入家庭」では、まともな食べ物を食べてくらしていくのに十分な収入はないのだ、といいなおせばよいだろーか。
「食糧が不足しても、食料が不足すれば人口が増えなくなるから、食糧危機などは起こるわけがない」とうチョー幸せの説をなすひとがいて、賢いアホのぬかるみは深い、と思った事があったが、現実というものは常に「ぼくカシコイんだもん」のひとが頭のなかで描いた餅などは歯牙にもかけないくらい深いのである。
現実は複雑巧妙な技をたくさんもっていて、気が付くと癌病棟や地面の6フィート下に寝ていることになる。
すでに「ビンボニンは食べ物でないものを食べて暮らしてね」という時代にはいってしまっているのだという自覚がなくては、どうにもならない時代になってしまっているのです。
2
このあいだ、ふと考えていて、むかし日記
http://gamayauber1001.wordpress.com/2011/06/05/
に書いた、あのベンチに腰掛けて
「この世界がもうすぐ滅びるということを、ですよ」
と呟いたひとは、やはりサンフランシスコのBART でみた両手をひろげて絶叫しながら駈けていったひとと同じ人であって、神だったのではないだろうか、と思った。
(きみは笑うだろうが)悪魔は一見してそれと判るのに、神についてはそういうわけにはいかないのは常に興味深い事実である。
スペイン語のツイッタをワインを飲みながら、ぼんやり眺めていると、見知らぬひとが、何の脈絡もなく「.. por mas que mi corazon este destrozado ,y me sienta destrozado por dentro..」と述べている。
わしは手に持っていたワイングラスを机の上に置いてみいってしまった。
こんなことを突然のべるひとは、どんなひとなのだろう、と思って、そのアカウントへ行ってみようとかんがえたが、いや、そういうことはやってはいけないのだと思い直して、今晩はもっと強い酒でのみなおすべきだ、と考えたのでした。
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