人間が分別される日

(この記事は2008年8月3日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載した記事の再掲載です)

 

「生態ピラミッド」のなかで最も個体数が少ないのは上位捕食者です。

あたりまえである。ライオンの大群が二三頭のシマウマを追っかけているような草原ではそもそも食物連鎖が成り立たぬ。

ライオンは空きっ腹のへろへろになって死ぬであろう。

五六匹の鰯を無数のマグロが追跡しているのでは、マグロがみなあらになってしまう。

地球の人口は現在66億9159万人である。

http://arkot.com/jinkou/

へんでしょう?

とってもへんです。

生態ピラミッドの頂点の本来なら一億くらいしか立っていられない面積に67億という個体数がのっかっておる。

こういう自然の法則に著しく反した状態を「不自然」という。

 

なぜ、こんな不自然が起きてしまったかというと、人間の前頭葉に「言葉」という影が射して、そのあげく「人間には人権というものがある」と考えるにいたったからです。

なかには、「ちょっとくだらんやつが多すぎるから、減らしちまうべ」と考えたひとはいた。ナチスの宣伝班が1939年に出した本によれば「一見そうは見えないが、虚心坦懐に見ると、疑いもなく金髪で碧眼の」ヒットラー同志などは、そのひとりである。

ドイツ人の心眼はすごい。

あれが金髪碧眼なら、ヒットラーにあこがれるあまり髪型がそっくりになった上智大学名誉教授の渡部昇一先生などはブロンディ、と呼ばれても良いのではないか。

1945年に「あんな猿並の知恵しかないくせに自分が利口だと信じたがる連中は、みんなぶち殺せばよい」と前任者の生ぬるさを批判して、本当に全部ぶっ殺しにかかったカーチス・ルメイという狂信者もおった。このひとが「消しちゃうべ」と考えた対象は日本人です。もう一年くらい戦争をやっておれば、ほんとうに根絶やしになったでしょう。

カーチス・ルメイというひとは狂信者らしくやることが周到であって、深川を爆撃したときは、まず対象地域の外側をナパームで攻撃しておいて住民がまんなかに向かって移動した頃を見計らって渦巻き状にまんなかへ向かってナパーム攻撃をした。

「焼夷弾」などという言葉を使うから、ルメイ将軍の気違いぶりがわかりにくくなる。

あれは「ナパーム爆弾」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%A0%E5%BC%BE

といって、一千度以上の高熱で対象を一瞬で焼き尽くし標的周辺の酸素を奪って窒息死させるので現代でもその効果の残虐さで有名な兵器である。

カーチス・ルメイ、知っていますか?

この日本人をみな殺しにしようという計画を立てて、もう少しでその計画に成功しかけた将軍は、日本人を大量に虐殺した功績により 勲一等旭日大綬章を授与されて、満足して死んだ。どこの国の政府からかって?もちろん日本政府からです。

変わった政府もあるものです。

アメリカの無差別爆撃の不法を訴えて法廷闘争に論理上勝利し従容として死についた岡田資中将にはブリキの勲章もやらなかったが、ルメイには

感謝の勲章を与えた。深川の掘り割りを火のついた髪の毛を振り乱しながら死んだ6歳の女児や、赤ん坊を抱え込んで文字通り炭になった若い母親のような「極悪な自国民」をたくさん殺してもらったお礼なのだろうか。

 

閑話休題。

67億、というような個体数になると、

人権を守る、というようなことは、もう無理だ、と考える人がだんだん増えてくるのは当たり前です。

人間の平等などというのは人口が少なかった時代のスウィート・ドリームにしか過ぎない。

これからは役に立たんやつは、要らん、ということになってゆくようである。

移民の受け入れ、というようなことになると、すでにそういう選別は当たり前で、前にも書いたとおり、ニュージーランドなどはデブはニュージーランド市民になれない。

(BMI制限がある)

http://d.hatena.ne.jp/gameover1001/20080204/p1

永住ビザも取れません。

デブPという、わっしの友人は自分が老人になる頃には「社会にとって有益な人間にしか市民権の保持を許さない」ということになるのではないかとマジメにおそれておる。

あの怠け者がときどき狂ったようにマジメに働くのは、その恐怖感に因っているようだ、とデブPのやっぱり豊満なかーちゃんがゆっておった。

これを「人口が増えればデブが働く」という諺にしてもよい。

デブPは、たださえ不足すると言われている食べ物を4人分は消費するので、実際、市民の選別がはじまると危ないのではないか、とわっしも思います。

 

アメリカ人に生まれたからアメリカ人であって、日本人に生まれたから日本人である、ということが保証されるのはいつまで続くだろうか?

と、わっしは考えることがある。

大庭亀夫様、という政府からの葉書が来て、「あなたの生産性は国の決めたガイドラインを下回っておりますので、残念ながら来月末日までに出国していただくことになりました。下記期日までに成田空港にお越しください」っちゅうようなことになるのではなかろうか。

 

むかし中国高官が「近い将来、人口の過剰によって一定の人間が死なねばならないのは自明であって、われわれの役割は、死んでゆくのが中国人以外の国民であることを保証することである」と言ったことがありましたが、取りあえず、このひとが中国のひとよりも外国人であるわっしの死を願っていることの不気味さはおいておくと、政府の人間として「立派である」というべきかも知れません。

「国家の役割は国民を食べさせることである」というテーマが中国ほどはっきりしている国はない。

67億、というのはマルサスもびっくりのすさまじい数であって、このひとりひとりに「人間らしい環境を約束する」ということは今の時点でももう不可能です。

当然、哲学も経済学も宗教ですら、この過剰人口からの圧力で変容してゆくでしょうが、

とりあえず民主主義の終焉は避けられないのではないか、とわっしは暗い気持ちになることがある。

こういう変化は意外といろいろなところですでに起きていて、必ずしもアフリカ諸国のように貧困にあえいでいる国だけで起きているとは限らない。たとえば合衆国に住んでいる病人にとっては「金の切れ目が人生の終わり」なのは常識である。

(いつか朝日新聞にアメリカ在住の日本の女のひとの投稿が載っていて「アメリカ人の夫と日本に住もうと考えたが、保険制度がひどいので諦めた」と言う。

保険金をいちゃもんをつけまくって支払い拒否ばかりしているので有名なアメリカの保険会社の面々は、これを呼んだら泣いて喜ぶに違いない。

でも、これはフツーに考えてねつ造か、悪質な冗談である。

日本の保険制度のほうが途中で金をちょろまかすやつがおおすぎるにしてもアメリカよりは千倍もマシです。

いまだに、あの投稿はどういうことだったのか、ちょっともわからん。)

 

日本の場合は、やっぱり一級国民と二級国民とかに分類して切り抜けるのだろうか。

食料の自給率から考えて一級1割(なんでも食べてよし)二級3割(陸上動物由来タンパク質以外はなんでも食べてよし)残りは三級で一日2000カロリーのレーション、っちゅうふうでしょうか。

 

まーた、なにバカこいてんの、とゆわれそうですが、2025年とかになると、簡単に計算して「もう一個地球が必要」のように見えます。

2025年って、わっしもまだ確率的に予測して生きてるでねーか。

げえー、と思うわっしであります。

もっともニュージーランドはカナダ、アルゼンチンと並んで2025年におけるただみっつの食料自給国という予想なので、いざとなったら、かーちゃんの夏の牧場の家で作男でもやっか、と考えました。

(しかし、また今度はこれをネタに移民排斥が起きるに違いない…あー鬱陶しい)



Categories: 記事

%d bloggers like this: