今年も3分の1が過ぎて、ほぼ、どんなことが起こるのか判ってきた、ということになっているので、日本語でも書いておきます。
前にも書いたが、プーチンが暗殺されるか頓死しない限り、あるいはプーチンが突然死亡してさえ、ウクライナとロシアの戦争は2023年の終わりまでには、終わる可能性は殆どなくなってしまった。
もともとロシアもウクライナも、繰り返し述べてきたとおり「戦争に向いている国」です。
国民は素朴、悪く言えば単純で、精神的に頑強で、逆境に屈するというところがない。
何年か前に連作のように書いたとおりで、バルセロナで一緒に仕事をした仲間のひとびとは、
ロシア人とウクライナ人たちで、ニューヨークで自分が属しているコミュニティであるフランス人コミュニティは東欧人やロシア人たちのコミュニティと、とても近いので、このふたつの接点を通して、他の英語人よりはロシア気質が判って、美点は数々あるのだけれど、単純、というよりも、妙に理解が浅いところがあって、しかも浅いところで「勇気」や「徳義」を理解している割には、予想を越えて信念は頑強です。これを軍事の言葉に変えて言えば、兵士、しかも陸軍兵に向いている。
むかし、神風特攻隊の再現ドキュメンタリに出てきた母親が、戦後、何年も経ってから、突然、台所で泣き崩れて、息子の名前を呼んで、許しておくれ、わたしはなんという母親だろう、
あなたが特攻に出撃すると知らされて、立派に戦って来なさいと述べるなんて、
わたしは、なんという悪い母親だったのだろう、と身も世もなく泣き叫ぶところが出てきたが、
ロシアでいま起きていることは、酷似していて、「こんな戦争はおかしい。ウクライナの人たちは自分たちの生活を守りたいだけだ。ぼくは、もう戦いたくない」
と述べる息子に、「戦線にはテレビがないから、あなたはなにが起きているのか判らないのよ。
正しいのはロシアです。ひとりでもふたりでも、ウクライナ人を殺しなさい」と命じて、ロシア人の友だちがいる人はロシアの母親の息子への「命令」が、どんなものか知っているとおもうが、有無を言わさずに、嫌がる息子に戦えと命じている。
あるいは、「きみが恋しい。この戦争は、絶対にヘンだ。こんなところにいたくない」と述べる夫に、妻が「テレビを毎日みているから、情報がないあなたと違って、わたしには祖国が何のために戦っているのか判っているの。殺しなさい。そして、ひとりでも多くのウクライナの女を強姦しなさい。ウクライナ人に必要なのは復讐されることよ」
と、驚くべきことを夫に命じている。
オモチャ屋には、第一次世界大戦のときのイギリスさながらの「タンク・ブーム」が訪れて、T72の玩具が飛ぶように売れて、子供用の軍服を専門に売る店まであらわれている。
キリがないので、この辺でやめるが、兵器と弾薬こそ逼迫しているが「銃後」が、あの盛んな士気では、極端な物資欠乏のなかで、お互いの肉体まで貪りながらスターリングラード攻囲戦を戦い抜いたロシア人は、どうやら、祖国が崩壊するまで長期に渡って戦い抜きそうに見えます。
無能な人間が有能に行うのは破壊だけだという。
プーチンは、この20年でロシアが築いたものを、ものの数週間ですべて破壊してしまった。
いちどはG8のメンバーになっていたロシアは、ウクライナに一方的に侵攻することによって、
プーチンがあれほど大事にしていた「先進国」の椅子を失い、あっというまに世界のなかに座を占める椅子まで失って、いまこの記事を書いている2023年4月の時点では、北朝鮮やイランとおなじ、いわゆる「ならず者国家」に分類されている。
簡単にいえば「大物のイラン」とでもいうところで、ついでに余計なことを述べると、イランはイランで友だちが多い国だが、ごく自然に親切で、50代くらいの人だと「おしん」を見て毎日涙を流しながら育った、という人が途轍もない数でいる、ネトウヨがおおよろこびしそうな「親日」国家で、北朝鮮は、滞在したイギリス人によれば「世界でいちばん純真で素朴なひとびとで、自分が穢れた現代人であることが三日で恥ずかしくなる」というくらいで、ロシア人はロシア人で、多分、欧州系人のなかでは、最も好もしいひとびとなので、
なにか、政治がダメなことと国民性とには反比例のような関係があるのか、と疑いたくなります。
もしかすると、民主制なんていう制度は、人間がよろしくない国民にしか向かないのかも知れない。
閑話休題。
なぜ、ロシアのウクライナ侵略を長々と冒頭で述べたかというと、2024年を待ってくれそうもない日本の大ピンチは、なんといっても、このプーチン戦争が原因だからで、いま小康状態で、なあんとなく「危機は去りぬ」な感覚に陥っている人もいるように見受けられて、もっとヒマと余裕があるときに侃々諤々すればよさそうな問題で、アドレナリン渇望症を満足させて、啀み合っている様子が、SNSや新聞記事を通して窺えるが、あんた、それどころやおまへんのや。
いまはインターネットを辛抱強く使えば、さまざまな統計が公開されているので、日本の財政が破綻寸前を通り越して破綻秒読みのようになっていて、あの植田という人は、どういう剛胆な人なのか、あるいは状況が読めない、とにかくいっぺんはトップに付きたかったマヌケなおっちゃんなのか、日銀マンにも財務省の役人にも訝られているが、それはともかく、経済は不振で….えええ?あれっ?
今年の終わりにも食べ物、足りなくなりはじめるやん、と、ぶっくらこいたのが、取るも取りあえず、バターも塗り忘れたトーストを口に咥えて、ちょっと下に目を落として、よ、よかった、ちゃんとズボンはいてた、とおもいながら、慌てて、この記事を書いている理由です。
日本語ではテレビのニュースかなんかでやっているのだろうか。
やっていて、「へえ、そんなもんか」で、すませてるとしたら、それはそれで凄いね、とおもうが、
食料、ぜんぜん買えてませんやん。
日本は自給率が20%だかなんだかの、「先進国」最低で、しかも農業人口は減る一方で、60年代は「三ちゃん農業」と言われていたのが、じーちゃんが死に、ばーちゃんが死に、ついに残りのかーちゃんもヨボヨボになって、「いっちゃん農業」になっている農家が多いそうだが、いずれにしろ、食料供給が自給も輸入も、増える、あるいは持ち直す可能性はまったく見えなくて、ただ粛々と、日本という国に入ってくる食料が減っている。
Twitterで「コオロギを食えだって、バッカじゃないの」と怒りが盛り上がっていたことがあって、
読んでいるほうも、霞ヶ関にはジャック・アタリのファンがいるのかしら、とニヤニヤしたりしていたが、あれは、いまおもうと、そういう話ではなくて、単純に計算して年末の食料供給量を計算してみたら、「あり?足りないやん」という計算結果が出た、というだけのことだったようです。
フランス革命が起きたのはパンの値段が暴騰したからだった。
当時の時事漫画を見ても、鋤にヴァスティーユの役人の首を刺して世にも凄まじい形相で行列の先頭を歩いているのは中年の「女将さん」です。
日本でも、あれはほんとうは、あんまり暴力的ではなかったらしいが、米騒動、という日本では珍しい民衆蜂起があって、あれも米の値段の暴騰が原因でした。
人間を、ひいては社会を暴力に駆りたてるのは、なんといっても飢餓がいちばんの動力源で、
オカネがなくても、親のすねでもなんでも囓るものがあれば温和しくしているが、
口にいれられるものがなくなると、国民性に寄らず、人間は暴れだすと歴史は教えている。
日本は、なにしろ、そのためだけに社会の全力を集中してきたような国なので、
「安定」を誇っているが、五円賭けてもよい、食料が足りなくなれば、あっというまに、「安定」などは、ふっとんでしまう。
いま店頭に、食べ物が並んでいて、相変わらずおなじなのか、少しは変える店が出始めたのか判らないが、あまつさえ、コンビニでは弁当を廃棄処分にしたりしていられるのは、食料流通、特に日本の食品流通機構については、「小売最強」だからだ、という話は、前にもしたことがあるとおもいます。
いちばん弱いのは生産者で、酪農家が次次に廃業を余儀なくさせられているのは、たしか、前にもこのブログで書いている。
数字の上から、最も緊急なのは、どうやら食料で、「食の日本」が続くのは、数字の傾向通りなら2023年内、って、要するに今年中ですね、なにか小奇蹟のようなことが起きて2024年、
2025年内ということだと、100%あきまへん、ということになっているように見えます。
なんだか自分で書いていても、そんなことあるわけないんじゃない?という気がするんだけども、あれで、数字さんは、おとぼけのように見えてリアリストなので、
数字が現実になっても、「だからゆったじゃん」すら言わないで、そっぽを向いて、うんともすんとも慰めてくれない。
いまの世界は、例えば日本の左派のひとたちにとっては、ある意味では、自分たちの年来の理想がついに実現した世界で、バイデンというのは、ああいう人で、予想よりも働きがいいが、「世界の警察官」は、きっぱりやめてしまった。
さすがはバラク・オバマの政治上のマブダチで、ちゃんと友から渡されたバトンを、しっかり受け取っている。
よもや現実になる日が来るわけはない、とタカをくくって「アメリカは世界の警察官として振る舞って、けしからん」と述べて来たひとたちにとっては、よかったことに、もう、世界の国々は思い思いにテキトーに行動しだしていて、こういう話題は、日本でもあるだろうか?世界から本の著者を集めておこなうオークランドではライターズフェスティバルと呼んで、今年はなんでか福武書店の創業者が劈頭のスピーチを行うそうで、面白そうだから行って見ようかしら、とおもうが、そういうフェスと並行して行われるパネルディスカッションや、クローズドのミーティングに行くと、マスメディアが伝えない、あるいは伝えられない実情がよく判って面白いが、
いま、パッとおもいつくだけで、シリア、イエメン、ナイジェリア、ソマリア、エチオピア、アフガニスタン、アゼルバイジャン、エリトリアと、「戦争」と呼ぶほうが事実に近い「紛争地域があって」、これに中印国境、中国ベトナム国境、中国とメコン川流域、北西インド、そこから少し勃発の可能性が落ちて、中国と台湾、などがcome undoneな状態になっている。
中国が後ろのほうに、ずらっと並ぶのは、中国が危ない国だからではなくて、むしろ逆で、
中国は、特にプーチンがウクライナに、ケーハクもいいところの侵略を始めた瞬間から、凄まじい自制力を発揮して、すごいことに、例えば、ロシアのプーチンに、脅されても賺されても、
懇願されても、兵器すら渡していないことは、戦場の捕獲武器や、ロシアが北朝鮮やイランの、はっきり言ってしまえば粗悪なオンボロ武器を高値で買わされている事実ひとつ見ても明らかです。
中国の政府は、ここのところ凡ミスつづきで、一路一帯などは、だんだんサラ金(←消費者金融よりも、ぼくは、この業者への怒りがこもった旧称のほうが好きなのね)の販拡戦略染みてきたりして、崩壊が見えているが、プーチンでシャキッとしてしまったというか、ウクライナ侵略が始まって以来、やるべきことをやって、打つべき手を打って、国家として、ひとり理性を保っている。
ま、ずるい、とも言えるが、国家はずるくなくては破滅するしかないんだから仕方がない。
ひとの良い日本の首相のように、文字通り揉み手をしながら、やくざもんよりもたちが悪い当時のアメリカ大統領に小走りに駆け寄ったり、あげくは極右の煽動屋にまで、お愛想顔をつくったり、いまやマヌケなヒットラーじみた本性を剥き出しにしているロシアの指導者に向かって、
森喜朗と小男のロシア人の強い絆をよっぽど幸運だと受け取っていたのでしょう、ウラジーミル、一緒に夕陽に向かって駈けようよ、だかなんだか、そういえば、あの首相の世代は、湘南の海に向かって叫ぶ青春ドラマがいろいろ流行ってたんだったな、と思い出させるような、うぶい素人演技を演じたりしていては、遠からず、国ごと消滅してしまう。
正気なのは、あとでゆっくり侵略すればいいやと考えているんだかなんだか、習近平の中国だけで、例えば、アルメニアとアゼルバイジャンの紛争などは象徴的で、冷戦のような一触即発の秩序よりも、まだ悪い、リーダーなき世界、誰だか忘れたが「Gゼロ」と述べたアメリカ人がいたとおもうが、そのとおりで、どこにも世界全体を心配して戦略を立てる国がなくなったことを、嗅ぎ取らなければ、絶対に起きるはずがない紛争です。
自分が自由でいたいと願う個人である限り、習近平路線の中国は絶対の敵だが、国際政治の構図としては、中国だけが理性の最後の砦で、これが例えば、戦後合衆国史上最小の1.5正面しか相手に出来ないアメリカの軍事力と世界の紛争状態を秤にかけて、チャーンスと叫んで台湾侵攻に乗り出せば、
いきなり政府がいっぱいある無政府状態で、このへんで悪ふざけをやめるが、
収拾がつかないまま、一挙に世界大戦に雪崩れ込むのは明らかでしょう。
そういうカオス世界になったときに、というか、次の記事くらいに書くとおもうが、なりそうなんだけど、いまの、無為無策、タカをくくって、テキトーこいて30年を虚しくすごした老衰日本がどうなるか、などは書くのに忍びない。
どうも国が亡びるのに、地震も戦争もいらなさそうです。
悪い予想は、いくらでも立つが、良いほうは七転八倒しても、思いつかない。
日本の人にとっては文字通りの「正念場」が始まったようです。
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