政治と宗教の話は、あちらではタブーだからね、と留学や国外転勤するときに言われた人も多いでしょう。
いざ着いて見ると、タブーどころか、みんな嬉々として政治の話をして、ホームステイの人は、親子が一家団欒の夕餐の席で、侃々諤々、丁々発止、親は親の、娘や息子は、娘や息子の、甚だしきに至っては、めいめいてんでんバラバラの政党を支持して、普段は見せない顔の、鋭い一矢を報いたり、笑い転げたり、いや夕飯を食べながら転げはしないが、口を閉じたまま笑おうとして、ひきつけを起こしそうになったりしながら、さながらスポーツのように政治の話に耽っているのを見た人も多いはずです。
友だち同士でも、もちろんします。
ビールを飲めば、隣のテーブルの見知らぬ人とだって、政治の話をすることはある。
タブーだなんて、とんでもない、と思ったでしょう?
ところが、公平に言って、これは日本人が外国に出かけるときには、という条件をつければ賢明なアドバイスで、見ていると、例えば学内で、同僚の、あるいはチューターやなんかの自分への態度が微妙に変わって戸惑うときには、案外、「政治や宗教に関して述べたひと言」が致命的になっていることが、傍で見ていると多いようです。
え?
そんなことありませんよ?
政治の話をしたときに、そんな様子、ちっとも見せなかった、
という人がいるに違いないが、
あのですね、
英語人は、多少でも教養があれば、と書いていて思ったが、無くてもたいていは、
深刻に感じられる問題ほど反発や軽蔑を顔には出さないし、まして言葉にして言ったりはしない、という文化習慣の違いを忘れている。
あの、おしゃべりでおしゃべりで、しゃべりだすと、段々加速がついてきて、あんたは脱げなくなった自動舞踏のRed shoesかと言いたくなるくらい止まらなくなって、おしゃべり界のSonic the Hedgehogみたいなアメリカ人ですら、この文化習慣だけは変わらない。
それと気付かないほどの微妙な沈黙の間があって、急に話題が変わったりする。
自分でも聴き手側としての経験があるので、自分の反応が、どういう反応だったか思い返すと、
「それは、こういう意味ですか?」
と訊いて、
「なるほどねえ」と深く相槌を打って、ところで、と異なる話題に変えているように思います。
日本語が「建前と本音」の世界だとすれば英語は「外と内」の世界で、観察していると、
自分たちが「内」と感じる相手との応対は、「外」と感じる相手とは、はっきり異なっていて、28号と言いたいのをグッとこらえて述べると、別人です。
義理叔父はマサチューセッツのケンブリッジという町で、「能力のあまりのすごさに、ぶったまげた」と後年しみじみ述べていた、終生の友人となった何人かの人たちと出会ったが、そのうちの、ぼくも義理叔父に紹介されて大好きになったユダヤ系アメリカ人の女の人が、時候の挨拶も抜きで、単刀直入どころではなくブスッとナイフで突き刺すような口調で、
「わたしはユダヤ人よ」と、まず切り出されたのが、一生、忘れないショックの記憶になった。
なんとなくやるせない豚まんみたいな見かけとは異なって、あれで、なかなか聡明で、機敏に物事の本質を見抜くところがある義理叔父は、一瞬で、でも、そのとき初めて
、自分がぼんやりとしてしか理解していなかった、「この世界でユダヤ人であることの厳しさ」を体感したもののようでした。
ぼくのほうは、これと同じ経験は、何回か、どころか、何度も持っている。
もちろん、それとなく自分がユダヤ人であることを相手に伝える人のほうが多いが、
初対面で、いきなり宣言するように述べる人もいます。
それは、なぜか。
まさか反ユダヤ主義理論への戦闘を宣言しているわけではなくて、もっと現実的な処理で、
目の前の相手に好意を持って、友だちになったあとで、微笑みながら、二度とこの人とは会えないな、と、心の奥で、寂しい気持ちで考えるというような羽目に陥りたくないからです。
そんなことになるくらいなら、初めから、ユダヤ人はやっぱり付き合い難い、と内心で敬遠してくれたほうが、まだマシである。
政治的な人間になるな、と言う。
そそっかしい人は政治について話す人間になるな、という意味に取ってしまいそうだが、そんなことであるわけはなくて、「政治」という作用反作用で出来た世界観に立って物事を見るな、という意味です。
違う言い方をすれば、「他人の視線を計算して物を言ったり行動したりするな」ということでしょう。
政治的な人間は、「効果」の計算のなかで生きている。
自分が、どう振る舞えば、他人のなかにどういう反応が生まれるか、を計算する。
政治的な人間が政治の世界で成功するかというと、意外にそんなことはなくて、政治の世界で政治的な人間が成功するのは、ほとんどの場合、非民主社会です。
自分の国の、というか、もう少し正確に言えば、祖国のうちのひとつ、と言ったほうがいいのか、例で申し訳ないが、最近の世界で、最も鮮やかに「政治とはなにか」を目の前で見せてくれたのはニュージーランドのジャシンダ・アーダーンでしょう。
バラク・オバマのゴルフ友だちとして、アメリカでもすっかり有名になってしまった国民党党首で首相のジョン・キーが上手に経済を建て直して、オーストラリアにやや遅れてバブル景気と呼びたくなるほどの高度経済成長をスタートさせて、世の中は「やっぱり繁栄のためには保守でなくては」と考えているときだった。
余計なことを書くと、いまの日本語の「保守」は英語では「右翼」でしかない。
自国をいまの社会・政治体制に追い込んだ外国であるアメリカ合衆国を支持する「右翼」というのは、通常国家主義者の右翼の定義に反しているような奇妙さだが、そこが、チャラい気持ちで、と言いたくなる、やや切迫感に欠けた政治感覚の土壌がある日本なのでしょう、
アメリカ追随右翼という奇妙な鵺のような右翼ではあっても、右翼は右翼で、主張を見ると、他の国の極右も真っ青、というような主張が並んでいるのが日本の「保守」、代表政党でいえば自民党です。
それは念頭に置いていてもらわないと困る。
ニュージーランドの保守は、伝統的な20世紀英国風の保守に「新自由主義味」が加味されたような保守で、つまりは90年代にドビンボ脱出のために、森も土地も、企業も、なんでもかんでも売っちまえで、政治的な規制をいっさいなくそうとした、具体的には国民党のボルジャーたちに流れを発した通称「めちゃめちゃ党」です。
ジョン・キーは、メリルリンチで無感情な首切り屋としてthe smiling assassinの名を轟かせたあと、首相をやっているときは socially liberal but fiscally conservativeと呼ばれて、一見まともなおっちゃん風で、ニュージーランド人に、なるほど政府っていうのは、このくらいのバランスがいいんだな、とおもわせることに成功していた。
労働党は、だんだん追いつめられていって、老齢層は、大胆な老人優遇策を打ち出して、
当時、党勢を伸ばして、反アジア人を訴えて人気調査では第一党にまでなった結党以来の人気を再び取り戻し始めていた本質的には極右の政党NZファーストに支持政党を鞍替えしたりして、
次の次では廃党か、という噂まで流れ出す始末でした。
ジャシンダ・アーダーンという名前を誰も知らなかった。
その名前がだんだん知れ渡ってきたのは選挙も間近になってからです。
演説を聴きに行った友達が「なんだか不思議なものを見てしまった」と言っていたのをおぼえている。
選挙の結果は、国民党の辛勝で、勝ったとはいうものの大幅に議席を減らして、これには「世間話が下手な、退屈な会計士」といった趣の、首相ビル・イングリッシュの地味な性格と、アスペルガー人然とした話下手がおおきく影響していたでしょう。
とにもかくにも与党の国民党が「勝利宣言」を出した、その日の午後から、不思議なことが起こり始めたのでした。
NZファーストのWinston Petersと労働党の党首ジャシンダ・アーダーンが会っているのを見た、という人が出現した。
真相は、すぐに明らかになって、国民が、おおぶっくらに、ぶっくらこいてしまったことには、
左翼のなかでも左と目されている37歳のジャシンダ・アーダーンと73歳の大物右翼政治家ウィンストン・ピータースが、な、な、なんと連立政権をつくることで合意した、とアナウンスがなされたのでした。
首相になって、すぐに判ったのはアーダーン首相が、英語世界全体のアイドルのように受け取られて、本人を腐らせた、「爽やかスマイル」の一方で、政略に長けた凄腕の政治家であることで、
その剛腕は、結局、どうも、「小娘」と侮っていた形跡がなくもないニュージーランドで最も老練な政治家のウィンストン・ピータースが手もなくひねられて、自分の意志に反して、長かった人気政治家としての引退の花道まで用意されてしまう、という凄まじさだった。
アーダーン首相は、ちょっとJFKに似たところがある人で、「政治は言葉なのだ」という、すべての民主社会が共有している事実を、あらためて国民に思い起こさせた。
「政治は言葉なのだ」という、この最も基礎的な常識を日本語ツイッタに書いたら、
「それは危険な思想だ」「ヒットラーを思わせる」と案外な多数の人が書いてきて、ずっこけたが、そんなところからあらためて民主政治の基礎を説き起こさねばならないとすると、日本語に骨を埋めることになってしまいかねないので、返答は遠慮させてもらいました。
しっかりしてくれ、ぼくが大ファンの国の人よ、とおもったが、それも書く訳にはいかなかった。
右と左、新自由主義と反新自由主義、グローバリズムと反グローバリズム、すべての思想の違い以前に、政治は人間性に立脚しなければならない、と、アーダーンは、オーストラリア白人至上主義者によるモスク襲撃大量殺人事件のあとの演説で述べている。
英語世界では、流行語になって、オリジナルは誰が言ったか、どうせわかりゃしないだろう、とタカをくくったトランプの娘のイヴァンカが、スピーチで述べて、失笑を買った、
Be kind.
も、アーダーンが繰り返し使った言葉です。
経済政策は、あまりに急進的過ぎて、キャピタルゲインタックスまで導入すると言い出して、
ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ、行かないでくれ、と思わせるものが多くて、自分とは反対の立場、としか言いようがなく、その他も大陸欧州人さながらの統制好きで、閉口させられたが、
偉大な政治家であることは認めざるをえなかった。
本人は、話してみると、コンフォタブルどころではない人で、釣りがだいだいだい好きな海の人のボーイフレンドも、気持ちのいい人だが、ぼくが尊敬する人のひとりです。
その国の政治のレベルは左翼/リベラルを見れば判る、というが、言わないようにしているが、日本は、この点で心もとないようです。
ネトウヨネトウヨと日本語ネットでは蛭かゲジゲジのように嫌われているが、正直に述べて、少なくともネットで名を馳せている「左翼」や「リベラル」は、いちいち「日本の」左翼、
「日本の」リベラルと冠詞を被せたくなるくらいで、なんだかずいぶん特殊なものにおもわれる。
あれが左翼やリベラルなら、ほんとは日本語世界には政治そのものがないのではないか、と疑う気持ちになります。
ごめんごめんごめんごめんごめんと5回述べてから、思い切っていうと、遠いところから見ると、
ネトウヨとネットを通じて観る左翼と、本質的には、使う言葉といい、思考方法の狭さといい、攻撃性から冷笑癖に至るまで、まったくおなじ人たちで、
今日のお料理の献立の、材料だけが違っていて、食べられたものではない、頭でっかちの味付けや、食材がよく判ってないんじゃないの?というセンスのない調理法は双方同じで、
醤油で真っ黒か、唐辛子で真っ赤かだけの違いに見えてしまう。
SNSでも、普段は、というか文化のことになると、正直に言って批評する側はダメだが、作る側は、びっくりするどころではない、意味も無く「うーん。これはやばい。おいらもがんばらなくっちゃ」とつぶやいてしまう、とんでもない高いレベルの「言葉にされた芸術の秘密」が並んでいる。
例は、いくらでもあるが、例えば、日本の人は案外気付いていないが、
シュルレアリスムへの理解でいえば、先月は面白い月で、あんまり言いたくない理由はなくもないが、世界中から英語国のシュルレアリストがオークランドに集まってきて、と言いたくなる月だったが、英語人やフランス語人のシュルレアリストたちより、日本語人の巖谷國士のほうが遙かにシュルレアリスムの正統で、しかも深いところに住んでいる。
日本語人が、この真正な老(すみません)シュルレアリストと同じ時代に生きている幸福を、ちゃんと判っていないだけです。
翻って政治のほうは、なんとも名状しがたい酷さで、しかし、日本の人としては圧倒的に、(いったいどういう理由によるのか)
なになに党のだれそれがあれこれで、政治の話をして、なんだか高邁な顔になってうっとりしているのが好きなように見えて、自分たちが本来持っている言語社会として天賦の才能があるほうは、ほっぽらかしになっていて、見ていると、だんだんに腐ってきてしまっています。
すでに持っているものは、大切なものだとおもえない、ということがあるのかも知れないし、
あるいは政治に関しては、なんにも、草も生えない荒野なのに、どんなにバカげた低劣なことを述べても、一応、いろんな人に聴いてもらえて、アルコール依存症や賭博依存症のリハビリサークルじみて、「みんなで頑張りましょう!」と、お手軽で特価割引な連帯感が味わえる、ということなのかもしれません。
政治の不在で始まった日本の戦後は、政治の不在に苦しんだまま、国としての生命を終えるのだろうか、と、このごろは、時々考える。
現実の問題として、戦争以外の理由で日本ほどの大国で国民の知力も高い社会が亡びるパターンを考えるのは難しいので、政治の不在が戦争を引き起こすのだろうか、と考えたりするが、すぐに、
いったい俺はなにを考えているんだ、と可笑しくなってやめてしまう。
海の向こうの、あの国、
風変わりな、この世界にたくさんの珍奇な文化の果実を齎した国は、どこに行くだろう、とおもうが、だんだん、どんな顔をしていたかも思い出せなくなって、
遠くの存在になっていく。
人間の一生は、なにかを選ばなければならないのだから、仕方がないのだけど、
かつては年齢のおおきな隔たりを超え、育った背景の違いを越えて、言語までおおきく異なる壁を意識させないくらい友情を感じていたのに、政治みたいな非人間的な、危ないことをいえば、くだらないもののせいで、友だちでいられなくなったことを残念に思っています。
Categories: 記事
You must be logged in to post a comment.