日本人と民主主義 その5

 

 

(この記事は2020年5月20日に「ガメ・オベール日本語練習帳 ver5」に掲載されたものの再掲です)

土曜日のディアグノルを、ふらふらと、と形容するのが最も正しいような走り方でメルセデスのSクラスが走ってくる。

クルマの流れに乗らないで、ゆっくりゆっくり走っているので、人目を引きます。

なんであんな走り方をしているのだろう?と訝しんで見ていると、パッサージュ・ド・グラシアとの交叉点の、ど真ん中で停止してしまった。

へ?
とおもってみていると、なかから中年の、立派な仕立てのスーツを着た紳士然とした男の人と、いまどき、ロンドンなら時代遅れとみなされそうな、ニューヨークなら真っ赤なペンキをぶっかけられそうな、ゴージャスで残酷なミンクのコートを着た女の人の、いかにもオカネモチなかっこうをしたカップルが降りてきて、すたすたすたと通りを渡って歩いていった。

駐車、しているんです。
交叉点のど真ん中に。

なるほど、大通りの交差点のまんなかならばクルマ2台分の駐車スペースはあるので合理的だよな、とおもおうとしたが、あまりに唖然としたので出来なかった。

おなじ日。

モニとふたりでご贔屓のレストランの、歩道に面したテラス席で食事をしていると、向かいの駐車場の出口でクラクションを鳴らす人がいる。

なんという無作法な、とおもって、そちらを見て、こけそうになってしまった。

出口にクルマの頭を突っ込んでパジェロを駐めている人がいたからです。

クラクションを遠慮がちに鳴らして、それから出口で雪隠詰めになったランドクルーザーのドアを開けて出てきたおおきなおおきな男の人は、しばらく左右を見渡してから、レストランを一軒ずつ、訪問しはじめた。

そのうちに小さな小さな女の人と戻って来て、口論している。

口論、というよりは、女の人が一方的に激怒している。

もれ聞こえる単語は、ここに書くのが忍びないような単語で、
お上品なほうだけ並べると「このオタンコナス」「マヌケ」「アホ」
というようなことを述べている。

どうやら、オントレが終わって、食事が佳境に入って、豚の頬肉が出てきたところで、おまえがわたしを探しに来たものだから、週末の食事が台無しになってしまったではないか、と怒っている。

そのあいだ、男の人のほうは、おおきい声ではないので聞こえないが、自分は駐車場から出たいので、出口を塞いでいるクルマを動かしてくれ、「駐車場の出口にクルマが駐めてあると駐車場から出られないのでクルマを移動させて欲しい」という、あたりまえすぎて説明するのが難儀なほどのことを依頼している。

しばらく口論していたが、プンプン怒りながら、それでも、クルマを動かして去った女の人を見ながら、感動しないわけにいかなかった。

相手は自分の倍は優にある大男で、しかも当然のことながら怒っていることが予想される。

いくら野蛮で知られるロンドン人でも、まさか女の人を男が殴りはしないが、物理的なおおきさの違いは直截に恐怖につながる。

そのちいさなちいさな女の人は、しかし、欠片も怖がらずに相手を罵り倒している。

言葉の応酬以外には起こりえないことを熟知した社会だからできることだとおもう。
もうひとつは、実は、このころにはもう気が付いて、びっくりはしなくなっていたが、他人のわがままに対する途方もない許容度の高さで、イギリス人なら、とっくのむかしに、まさか怒鳴りはしないが、例の嫌味たっぷりの表情で、寸鉄ひとを刺すような鋭い言葉づかいで怒りをぶつけているところでも、知らん顔をしていられる。

決して、乱暴な人間をおそれて知らん顔をしているわけではないことはギターバー

https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/03/14/guitar-bar/

にいた、多分、ハイになっていて、失礼な野次をとばしている客が、ギターの人が「静かにしてくれないか」と述べたのに口応えをして、失礼な野次が「会話」の形になりだすと、申し合わせたようにいっせいに「シィィィー!」と鋭い音を立てて、ハイ男の隣の女の人が、「黙りなさい」と厳しい口調で命じたのでもわかるとおりで、彼らが共通に常識として持っている「ここまで」というわがまま許容線が、アングロサクソン文明のひとびとと較べて、すごく高い値で、そこまでは、ほっぽらかしにする約束になっていることが見てとれる。

そういう他人のわがまま許容度が高い社会に生きていれば、ストレスはたまって、朝、ピソの近くのワインの瓶を捨てるでっかいビンからは、ガッシャアアアーン、ガチャアアーンという、すさまじい音が聞こえてくる。

何の音か。

主婦がワインの瓶をビンのなかの他の瓶(ああ、ややこし)に向かって、おもいきり、ちからの限り、叩きつけている。

スペインで、わがままと自由がおなじものだと教わった。

子供のときも、なんどか行ったことがあるのだけれど、他人に訊かれても行ったうちに数えないのは、なにしろ子供という人間が最もバカなときのことで、自分を客観的に見ることすら出来ない子供というバカ時代が終わった人間のことをおとなと言うのだから当たり前だが、頭が単純で、スペインはきったないだけで、なんだか病気がうつりそうな町だ、という印象しかなかった、

思い返すのも嫌なくらいバカである。

おとなになってから見たスペインは別の国でした。

特にカタロニアは、まるで人生の教師のような国だった。

女も、子供も、老人も銃をとってフランコの軍と戦い、自分達の自由を守る為に必死に戦って、戦闘で傷付き、敗勢のなかで仲間の裏切りに傷付き、ひとりまたひとりと戦いをあきらめていくひとびとに傷付いて、カタロニアは青ざめていった。

血の気を失って、表情をなくしていった。

1972年までは、デモの自由どころか、自分たちのダンスを踊る自由さえ持たなかった。

そのひとたちがついに手にした自由社会は、ひとりひとりがわがままを尽くせる社会だった。

おとなになった目で見ていて、初めに疑問におもったことは、「もし、こんなにひとりひとりがわがまま勝手で社会がまがりなりにもやっていけるのならば、イギリス人が教わる。義務と権利の秤のような自由社会は、いったいなんだったのか?

ということだった。

A man who neglects his duty as a citizen is not entitled to his rights as a citizen.

のような言葉はアメリカ以外の英語国がどこも国権国家を卒業しつつある現代でも、まるで昨日のみすぎたアルコールの残りが引き起こした宿酔いの頭痛のようになって、頭のどこかで残響を鳴らしている。

スペインのような国を旅行したり、しばらく滞在したりしていて判るのは、スペイン人は、どの王国の人間も「社会なんて、こんなものでいいのさ」と考えていることで、長い文明の経験から、まるで「国なんて、あんまり繁栄するのは、個人から見ると危ないんじゃないのか」とおもっているもののようです。

国のGDPは高いけど、個人の幸福度は低いのではないか。
あんた、ほんとに豊かで効率的な社会が幸せなの?

カタロニア人は1936年のスペイン内戦以来、一貫して自由のために戦ってきて、いまも戦っている。

今度は、いまより完全な自治、国としての独立を得ようとしている。

そういうひとびとの「民主主義」はカタロニア語を中心にした結束で、いわば言語的な友愛を中心にしている。

観光地区を離れて、ちょっと、あの小さな映画劇場や、カフェがある迷路のような街路の下町に行けば、英語はもちろん、スペイン語で注文しても、ちらっと見るだけで、誰もテーブルにやってこようとしない店も、案外ざらにあります。

狭小な他国人排斥主義だが、わがままと相俟って、カタランの民主主義の中核をなしている。

それはなぜか。

カタロニアでは民主主義とは、わがまま同士の友愛のむすびつきであるからで、誰かが起草した枠組みとは、魂の別の次元にあるからでしょう。

スペイン、イタリア、フランス、イギリスの順番で公共は小さく、自我がおもいのままふるまえる余地はおおきい。

アメリカは、この順番で整列させると、ずっと右側に位置して、ほとんど全体主義とみまがうばかりのところにあるのは言うまでもない。

アメリカという国の「民主主義」は、つまりは手続き主義で、次々に手続きを破壊して平然としている中西部人とトランプは、ヒラリー・クリントンに代表されるウォールストリートの拝金主義者への怒りのあまり、アメリカの自由そのものを破壊している。

「その4」で見たとおり、日本は、言うにいわれない自然の「他人と交感する能力」をもった人間の集まりです。

日本に戦後アメリカがもちこんだ民主主義がついに根付かなかったのは、日本人には「手続き主義」が馴染めなかったからでした。

「なぜ、そんなことをしなければいけないのかわからない」が、戦後ずっと本音だったでしょう。

だって、もっと簡単な近道があるではないか。

手続き主義の怪物のような原発の運営に、一度目は廃棄にショートカットをつくってバケツで投棄しているうちに連鎖反応が起きてしまい、二度目は、年1億円を節約するためにバックアップ電源の位置を妥協して、二度も失敗したのは、到底、偶然とはいえない。

いま日本が憲法を形骸化して、あわよくば骨抜きにしてしまおうとしているのは、要するにそういうことなのだと、理解しています。



Categories: 記事

%d bloggers like this: