日本人と民主主義 その7

 

 

 

(この記事は2022年5月29日に「ガメ・オベール日本語練習帳 ver5」に掲載されたものの再掲です)

 

シンガポールを見ていて、いつも思うのは、と言っても考えてみると日本とおなじことで、もう十年くらいも訪問していないので、いつも思ったのは、と書くべきだろうが、新鮮な驚きというか、人間は別に自由社会でなくても幸福でありうるのだ、という事実です。

こっちはまるで行ったことがないので、皆目わからないが、上海で教師をしていた友人に訊いても、全体主義中国も事情はおなじであるらしい。

自分では自由社会でないと生きられないのはあきらかで、簡単にいえば、猛烈にわがままであるからで、不貞腐れて吸いさしの煙草を指でピンと弾くと、おまわりさんがぶっとんでくるような社会では到底生きられない。

煙草、喫わないんだけどね。
ものの譬えです。
なんの譬えかというとシンガポール政府が最も嫌いなタイプの市民を視覚化しようと考えた。

あんまり、いいおもいつきじゃないか。

女らしくしなさい、や、女のくせに、のような表現がある社会では、一応、いまあらためてみてもチ◎チン(←二重丸であることに注意)がついていて、もうひとつの、ややややこしい見た目のほうの性器はついていないので、男と女に分類すれば、男だが、それでも無茶苦茶腹がたつので、そういうときに猛然と、指をたてて、舌をだして怒れない社会も、自分には向いていない。

そそっかしいひとのために述べると、別にシンガポールで「女のくせに、とか言うなよ。張り倒すぞ、このガキ」と述べても、おまわりさんがぶっとんでくるわけではありません。

ぜんぜん、ダイジョブ。

余計なことをいうとシンガポールは、日本などよりは遙かに女のひとたちの権利が強い国で、その権利の強さは、経済力に裏打ちされている。

もっと余計なことを言いつらねると、シンガポールは女の人が仕事に集中しやすい国でもあって、わし知人の女のひとは、インド系のひと、中国系のひと、マレー系のひと、どのひとも、結婚したあとでも家事をいっさいしません。

若い時は日本語では共働きという共倒れみたいな言葉があるが、ダブルインカムで、朝は夫婦そろって階下のホーカーズで食べる。

ラクサ、ミーゴレン、トーストと目玉焼きもあれば、もちろん、カレー粉をかければシンガポール、シンガポール・ビーフンもあります。

いま見ると、むかしよりだいぶん価格があがっているが、住宅地のホーカーズで300円〜400円であるらしい。

(因みにシンガポール人の年収は、おおざっぱに述べて日本人の、だいたい倍です)

首尾良く夫婦で成功すると、今度は、たいていインドネシア人かマレーシア人のお手伝いさんを雇って、本人たちもトイレとシャワーが独立についている「お手伝いさん部屋」があるアパートに越す。

閑話休題(それは、ともかく)

ところが、首相に向かって「女のくせに、とか言うなよ。張り倒すぞ、この豚野郎」とかいうと、ちゃんとおまわりさんがぶっとんで来るはずです。

あるいは、よおし、今日は天気がいいから、いっぱつ世界をおどかしちゃるぞ、と考えて、永久革命論を書いて、こんなクソ政府なんてBBQにしてくれるわ、てめえら銀行の地下金庫に閉じ込めて蒸し焼きにしてやるからそう思え、と書いてサイトにアップロードすると、おまわりさんがビッグバンドでやってくるとおもわれる。

うるせえな。

おれの勝手だぜ、というわけにはいかないのですね、これが。

かつて、バルセロナには、ランブラのいちばん人混みが激しい往来で、裸で、でっかいチンチ〇をデロンと出して佇んでいるおっちゃんがいた。

あのひとも、シンガポールなら豚箱行きだが、バルセロナでは観光資源化して、名物じーちゃんになっていた。

子供が寄っていって、おっちゃん、ちょっとさわってもいいですか?

つんつん。

おお、でっけえ、とか述べていたりしたもののようである。

あと、ほら、タイムズスクエアで、デロンはないが、アンダーパンツとブーツにカウボーイハットでギターを抱えて歌っている人がいたでしょう?

あれでも逮捕される。

しかし、永久革命を唱えたり、チンチンをでろんと出して交叉点に立ったり、裸でギターを弾いたりしてみたくない場合は、シンガポールは快適な国です。

前にもなんどか述べたように、なにしろ、「見せかけは民主社会だが、ほんとは一党独裁全体主義」の国を作るにあたって、お手本にしたのが日本なので、本質的に日本と似た社会だが、ひとつだけ、日本社会がトヨタクラウンみたいな国であるとすると、シンガポールは、どう見てもベントレーのスポーツカーを目指していて、わしが何度も訪問していたころでも、年々、社会から「ダサさ」が消滅していた。

「絆」とか「美しい国」とか、国語がんばろうな、だっさい言葉で国民をだましちゃろう、という底の浅いマーケティングは消えて、
Crazy Rich Asiansを見れば判る、繁栄と成功で、自由のような西洋イデオロギーを圧倒してしまった。

日本は、たいへん不運な生い立ちの国で、戦争に負けて、国民が求めてもいない、どころか、どんなものかよく知らない「自由」をアメリカが押しつけていった、という歴史を持っている。

戦後すぐは、あわてて「自由って、なんだ?」という議論が沸き起こったが、空転する、とっかかりがない議論を繰り返して、そのまま、みんなめんどくさくなって忘れてしまった。

アメリカは、と書いたが、日本の戦後のグランドデザインをつくったのは、アメリカ政府ですらなくて、精確に言えばアメリカ軍、です。

「天皇なんて、ぶっ殺しちまおうぜ」といきりたつニュージーランドやオーストラリアを、まあまあ、と抑えて、天皇を中心とした「国体」がある全体主義の枠組みをそのまま残しながら、「封建主義」や「軍国主義」を弾圧して、「自由を受け入れなければ刑務所にぶちこむぞ、こら」という不思議なことをやった。

世界史に稀な「自由の強制」です。

その結果、日本の戦後文明は、口では自由だあ自由だあ、と言いながら、全体主義がそのまま保存された日常生活で、軍隊となにも変わらない会社文化のなかでエコノミックアニマルとパキスタンの政治家に冷笑される経済尖兵生活を送ることになっていった。

「他人の迷惑を考えなさい」と言われながら育った人間が自由人になるわけはないが、日本では、おどろくべし、それが70年余も続いた現実だった。

それが日本という「自由社会」の正体だった。

もっと投げやりな言い方をしてしまえば、初めから嘘と本音の使い分けで出来た社会で、不幸にも「自由」は嘘の皮のほうだった。
国政選挙の投票率がバカバカしいくらい低いでしょう?

あれは、なぜであるか、最も納得がいきそうな説明は後藤田正晴という保守政治のチャンピオンみたいな政治家によってなされている。

まず普通の人間では理解できないくらいオカネがかかる。

わし自身は外国人でも選挙権があるニュージーランドと異なって日本では国民以外に選挙権がなかったが、義理叔父の友達の、いわゆる「有力者」の友達の家で、毎日、あちこちの候補者の宴席をハシゴしているというじーちゃんが、「K先生、あのひとは、もうダメだね。このあいだの選挙では鯛のお頭(かしら)付きだったが、今度はコンビニ弁当みたいな、しょぼい弁当で、おまけに封筒は1万円ぽっきりだよ。
ありゃあ、ダメだ。もう勢いがない」と述べるのを聴いて、ぶっくらこいたことがある。

驚愕を顔にださないのがたいへんでした。

義理叔父は、他の機会にも長野県の地元に住んでいると勘違いした顔見知りの業者から、あんた、来た方角から言って、I先生のところに行ってきたんだろう?
正直に言いなよ、いくらだった、7万円?

と軽トラックのなかから訊かれて、腐り切っていた。

後藤田正晴は、公平に述べて金銭的に清潔な人で公正な人間だったが、初めの選挙では「金権選挙」で逮捕されている。

きっと、いろいろ言いたいことがあったでしょう。

何億円、なんて金額じゃないんだよ、きみ、と驚くべきことを周囲の人に洩らしたこともあったそうです。

もうひとつ。

選挙にオカネがかかりすぎるので、赤旗の売り上げがある日本共産党やもともと新興宗教グループが母体の公明党以外の政党は、桁違いに安上がりなテレビタレントに候補として目をつけることになった。

元弁護士のタレント、なんていうのは、票が安く集まる上に、あんんまりものが考えられないひとびとにとっては賢げに見える、というので、特に重宝したようです。

その結果、政治の世界がバラエティショーの古くなった三流タレントのゴミ捨て場みたいになってしまったが、員数あわせなので、たいして気にも留めないでいまに至っている。

候補のところで、すでに普通の人間が、一念発起して立候補する、というのがドンキホーテ行動になる、という巧妙で驚くべき仕組みは、民主社会を阻止するには、たいへんよく出来た仕組みで、その結果、オカネをかけてもいいと判断された「主戦力」の元官僚と芸能界では大成できなかった将来のない芸人がずらりと顔をそろえて、さて、この豚さんたちのなかの、どれがおまえの親か当ててご覧、な、Spirited Away的な状況のなかで投票しろと言われるようになっていった。

ま、あんまり、よそさまの国を云々するものではないが、あれで投票する気になるのは、よほど変わった人であるとおもわれる。

そういう仕掛けをつくっておいて、「民主主義ってのは投票だけで意思を表明するものだ。通りに出るなんて邪道もいいところで、民主主義が判っていない」と述べておけば、ははは、なんのことはない、もうそこで社会の体制としても全体主義が出来上がってしまっている。

嘘っぽい、というよりも、嘘そのものの民主制のなかで、日本人は、だんだんに自由への関心を失っていった。

火事で全焼してから燃えてしまった自分たちの家の価値を議論している趣があるいまの政権批判も、目を近づけると、自由への主張よりもビンボ暮らしを強制された怒りのほうがボリュームがおおきいように見えます。

わし観察では、日本の人は、あんまり個人の自由がいらない国民性で、どちらかといえば、自由社会よりも、なにごともきちんとして気持よく暮らせる社会のほうが望みであるように思える。

もしかすると日本の人が憧れる「自由社会」は、西洋の社会ではなくて、シンガポールなのかも知れません。

そのことも、また、そのうち、考えてみたいと思っています。



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