ダイアモンドダストを記録する

ムール貝の酢漬けは食べ出すととまらない。

40個ほども入っている容器が空になって、まだ食べ足りないので冷蔵庫へ、えっこらせ、と「御神輿をあげて」向かったりするところは、ポテトチップスと似ています。

ホールウェイを歩きながら、ふと、日本では、こういうことも出来なかったんだなあーとおもう。

もとからテキトー人間の、わしはいいが、モニさんは大変だったのではないか。

不平を鳴らす、ということがほとんどない人なので、うっかりすると、我慢を重ねて、静かにしていることに気が付かない。

「日本には、なんでもあります」と言う。

なるほど鎌倉にいるときに、コリアンダーをたっぷりいれたトムヤムスープを食べたくなっても、クルマで、朝比奈の切り通しから、横横に乗って、山下へ行けば、おおきなタイスーパーがあって、コリアンダーも冷凍のレモングラスも買えて、心配ない。

ラムも専門の卸業者から半身を買って冷凍庫にいれておけば、日本の人が大好きなラック以外も手に入ります。

第一、いまはオンラインで、たしかに、売っていないものはない。

でもやっぱり、ちょっとクルマに乗って、近所のスーパーに行けば棚に並んでいる、というものではないので、プランを持たねばならなくて、プランをたてて食べるものと、おもいつきで食べるものとでは、雲泥の差で、いま考えて見ると、それが結局、後半の強烈なホームシックの原因になったもののようでした。

日本に住むことの最大の問題は、日本が西洋でないことです。

と言うと、「当たり前ではないですか、やっぱりアホだったんですね」と言われるに決まってるが、厳然たる事実で、

例えばニュージーランドとイギリスくらいでも、かなり不自由で、

ステーキパイは、どっちの国にもあるが、生活のなかでの意味が異なって、当然に、売っている場所も異なります。

アイルランドのほうが、ニュージーランドと似ているという。

それでも今度は、アイルランドの人は、ずらっと並んだパイを、

ミンスパイ、ステーキパイ、ステーキ&チーズ、と見ていって、わしの大好物だがステーキ&ハラペーニョまであるのに、肝腎のステーキ&ギネスがなくて落胆する。

イギリスとスペインのように距離的には近くても、なんだかもう食べ物についての思想が根本から異なる、というような例もあります。

ところが。

それで、バルセロナにずっと住んでいて、もうダメだ、「普通の食べ物」が食べたい、とおもうに至るかというと、そんなことは起こらなくて、バルセロナの「外国人居住区」であるグラシアのノルウェー人宅で、スウェーデン、スコットランド、ウエールズ、デンマーク….国籍様々な人間が集ってパーティを開いたときにも話題に出たが、インドや台湾に長期滞在するときのようなことは、矢張り、誰の身の上にも起こらないもののようでした。

ちょっと言語に似たところがあるかもしれません。

フランス語やドイツ語は判らなくても、判らないなりに、なんとなく言語だから、とおもって安心しているところがある。

これがベトナム語や日本語になると、覚悟を決めて、全力を集中しないと壁が乗り越えられないイメージが湧いてしまう。

英語では、もともとはアジアはインドまでで、ガンジス川の向こうは、よく判らないが中国みたいなもので、日本に至っては「極東」という酷い呼び方で、日本でも子供物語としては有名な「ガリバー旅行記」では、世界の辺境にある空飛ぶ島ラピュータの、そのまた向こうにある空飛ぶ島より現実感の薄い国として「日本」が登場します。

情報化時代は偉大なり。

いまは、日本と言っても、まったく訳の判らない国、という人外魔境のイメージはなくなって、それどころか、どこにいってもイオンみたいな、世界中似たものばかりのタッキーなことになって、日本ばかりは、西洋人向けにファサードはちゃんと出来ていて、その点がタイや中国のような国とは異なるのに、その表から入ってみると、なにもかもが異なっていて、大コーフンで、

若い人などは、すっかり嬉しくなってしまって、二回三回と日本旅行へ出かけるのが、ふつうになっている。

「とにかく、なんでも安い! 5ドルで、おいしいランチが食べられるなんて、信じられない!」と日本の人が複雑な気持ちになりそうな「安い!」を連発している。

よほど気が向けば、「ぼくは、日本に住んでみたことがあるんだけどね」と述べることもあるが、たいていは、「おお!」とか「ああ!」とか英語版ゼルダの行商人のような声をあげて、ニコニコしているだけです。

もしかすると、日本が特別な国でなくなっていくのが残念なのかもしれない。

一種の嫉妬と呼ぶも可なり。

日本とぼくのあいだには秘密がたくさんあって、他の人には判る訳がないのさ、という気持ちくらいはありそうです。

真冬の旭川に家族でダイアモンドダストを見に行ったことがある。

それも、どうしていつも、そうアホなのか、クルマで出かけたのでした。

青函トンネルが列車でしか通れないことを発見して落胆したり、いまにも折れそうなタワーのてっぺんでサーモンステーキを食べたり、小樽で雪に沈む町の美しさに息をのんだりしながら、どうにかこうにか辿り着いて、地元の新聞社の人の案内で、ダイアモンドダストがよく出るという雪原に案内してもらったが、結局は、見られなかった。

湿気がもう少しないとダイアモンドダストにならない、というような説明だったのではないかとおもいます。

ところがね。

思い出してみると、記憶のなかでは、どう考えてもダイアモンドダストを見ているのです。

妹とふたりで、クルマの窓を開けて、息を呑んで、その美しさに見とれている。

自分の心のシステムを点検してみると、「記憶の美化」とは、少し異なるもののようでした。

自分の人生を捨ててもいい、と思い詰めるほど好きだった人と、会えなくなって、

夢のなかで、ふと、前を歩く人の後ろ姿が、その人にそっくりで、人違いですらなくて、その人がふり返って、「おや、どうして、こんな所にいるんだい?」と述べていたのに、次の瞬間、かき消すように姿が消えてしまう。

夢の世界での確かな実在であるかのように、ほんとうは見ることが出来なかったダイアモンドダストを、ぼくの記憶は、たしかに目撃しているのだと思いました。

もう十三年になろうとしていて、見知っていた日本の人たちは、少しずつ影になっていって、

年長の友だちが多かったこともあって、時折、訃報が聞こえてくる。

ひとり去り、ふたり去って、どうかするとテレビや映画のなかで微笑んでいる、その人が、

急にこちらへ向き直って、大丈夫よ、ガメちゃん。また、会えるわよ。と、やさしく慰めてくれるような気さえすることがある。

不義理、というが、そういう言葉を使えば、ぼくほど不義理な人間もないのでしょう。

霧のなかで、赤い提灯が見えていて、ああ、あれは鳥銀のおっちゃんの店だな、と判っている。

ほんとうは立派な店構えの老舗なのだけど、夢の霧のなかでは、なぜか屋台です。

ほっぺに、おおきな染みをいくつもつくった、おっちゃんが、霧のなかでは影に見えたのに、いつのまにか屋台の椅子に腰掛けているぼくのほうへ顔をつきだして、ガメちゃん、なににする、今日はね、あんたが来そうな気がして、富山の立山があるんだよ。

飛竜頭でもつくろうか?

あんた、ガイジンで、若いのに、なんで、飛竜頭なんかが好きなんだろうね。

ほんとに、おもしろい人だね、と楽しそうに話しています。

うん、うん、と頷いているが、おっちゃんね、ぼくはもう、知っているの、

先週、オカミさんが報せてくれたんです。

もう亡くなっているのでしょう?

痛い、痛いって、子供みたいに泣いて、まったく男らしくないったらありゃしない、あの人らしくて、あたしは、…. と述べたままで、その場で泣き崩れていたようでした。

ごめんね、年が上の人間なんかを友だちに持つと、ろくなことはないっていうけど、ほんとうだわね。

ごめんなさいね。

と、なんども謝っていた。

日本が、少しずつなくなっていって、ところが、ぼくのなかの日本は、少しずつ、増えていきます。

日本語が少しずつ失われていって、それなのに、ぼくのなかの日本語は、少しずつ、増大してゆく。

思い出などは、他人に語れば、その瞬間から「繰り言」にしか過ぎないが、日本についていえば、理由が判らないほど、美しくて、思い出していて、突然、記憶のなかから飛び出してくる記憶のなかの情景の強烈な輝きに、びっくりしてしまう。

それを、ひとつひとつ、書きとめるために、ぼくはまだ日本語をおぼえているのではないかとおもうことがある。

この先、日本語が世界のなかで、ダイアモンドダストのように、微かで、一瞬の輝きに過ぎない言語として終わるにしても、その輝きを書きとめておけるだけの言語の力を、身に付けておきたいと希っています。



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