ペナンに出かけたのは医療ツーリズムに興味があったからだった。
特に病気になる予定はないので、純然たる好奇心からです。
いまは日本にもあるのかも知れないがインドやマレーシアには医療ツーリズムというものが存在して、簡単なものは、ちょうど日本の帝国ホテルにもある、日本語でいう人間ドックのコースみたいなものに始まって、長期の治療を要する病気についても、豪華で快適な部屋に、インドやマレーシアの滅法おいしい食事を提供して、楽しいおもいをしながら病を癒やすというアイデアです。
日本でいえば信玄湯みたいなものかしら。
マレーシア政府は熱心で、なにしろ、クアラルンプールの空港には医療ツーリズムに特化した巨大なカウンターがあります。
たしかバンコクの新しい空港にもあったので、いま書いていておもったが、タイにも医療ツーリズムが存在するのかも知れないが、こっちはよく知りません。
あったとしても、インドやマレーシアの医療ツーリズムのおおきな要素は、医師達が、なんの問題も違和感もない英語を話す事におおきく依存しているので、タイでは、もちろん医師なのだから英語は話すでしょうが、英語話者側の負担度が異なって、少し性格が異なってしまうように感じる。
結局、観光産業のマーケティングとしては面白いが、気候が暑すぎてダメなのではないか、で終わってしまったが、クアラルンプールに移動するまで、1ヶ月ほどもペナンにいて、ジョージタウンが、すっかり好きになってしまった。
ペナン島は、日本と、というよりも日本海軍と深い関係がある街で、ここには日本の潜水艦隊の基地があった。
こんなところでなにをやっていたかというと、戦争を通じて「世界に誇る」潜水艦隊の運用を徹頭徹尾誤って、敵主力艦隊の兵力を削減することしか考えなかった、宝の持ち腐れ、イ潜水艦を、ここではインド洋でのUボートとのランデブーに使っていたのでした。
戦争の初期においては、喜望峰をまわって、盟邦ドイツ占領下フランスロリアンやブレストまで行くことになっていて、実際、1943年の第二次遣独艦は、途中ドイツの水雷艇隊やUボートとの会合を経て、遠路ブレストに到達して、日本側からは酸素魚雷の技術を伝えて、ドイツからはダイムラーベンツのディーゼルエンジンMB501やエニグマエンジンを貰って帰ってきています。
余計なことを書くと、この洋上の会合に、面白いことがあって、日本海軍士官のなかには観察がちゃんと出来る人がいて、日本側の装備が百年一日変わりない手漕ぎのゴムボートなのに、毎年毎年、ドイツ側の装備が改良されていく。
手漕ぎのボートが船外機付きになり、小型無線機を装備するようになり、で、やっぱりドイツは違うなあ、と感心していて、その、いかにものんびりした憧れの気持ちを見ていると、
なんだか、和やかな気持ちになってしまう。
それはともかく、まず第一にペナンは、食べ物がおいしいところで、ペナンの小さな空港にあるカフェのナシ·レマクがいきなりおいしいので驚いてしまう。
空港なんてのは、たいてい箸にも棒にもかからないくらい不味いか、月並みなチェーン店味と相場は定まっているので、もうここで、「ペナン、いいなあ」と手もなくたらし込まれてしまいます。
それでね。
滞在中、ずっと変わらなかったが、Uberサービスのような配車サービスがいくつもあるが、
空港なのにチョーおいしいナシレマクを食べながらスマホで見ていると、
「島内どこでも1リンギ!」
とか
「今日は、無料!」というのがあって、移動にコストがかからない。
ジョージタウンの端っこにあるサービス付きアパートメントに行って、着いて見ると、(あたりまえだが)ほんとにタダで感動しました。
なにしろケチで、ガメ·ドケッチと呼んでくれと2年くらい前からブログ記事にも書いている。
この「Uber」が安い、という事実は、なにしろ、クッソ暑い島なので、たいへん助かって、ほんとうは歩いて運動にしようとおもっていたのだけれど、計画倒れもいいところで、結局、クルマを呼んでは、今日はあそこでカレー、明日はあそこでテタリック、をしていて、なんのことはない、体重が増えてしまいました。
天国のような島だが、三日もいると、中国系住民とマレー/イスラム系住民と、ちょうどシンガポールで見られるような鋭い対立があるのに気が付きます。
Uberで、運転手の姿を見て「おお、ラッキー」とおもうのはヒジャブを被ったイスラムの女の人で、なにしろ親切で、おいしいレストランや美しい「隠れ浜辺」を聞いても、ガイドさんなど問題にならない知識と細やかさで教えてくれる。
中国系のドライバーの人は、見ていると、わざと遠回りして、荒稼ぎしたりする(←念のために言っておくと、一律1リンギとかなので、こちらの懐は痛みません)が、イスラムの人は正直そのもので、なんというか、おおげさにいえば後部座席に座っているだけで友愛の念を感じる。
「人類愛」と言っても、よいくらい。
シンガポールでも、よく聞くセリフだが、マレー系やインドネシア系のおっちゃん運転手に中ると、急にスワーブしたりして危なっかし運転をするクルマを指して、
「見てくださいよ。これが中国人運転手だよ。まったく。あいつら、ほんものの免許もってやしないんだから」と悪態をついている。
中国系の女の人のドライバーは、のおんびり道路を横断するヒジャブの女のひとたちを見て、
「イスラムの人間は、もう、ほんとにナマケモノなんだから!知ってますか?
ペナンの経済は中国系で持っているんですよ」と後ろをふり返って述べている。
ふうーむ、そうですか、と理解を示してあげたいところだが、走行中に、もろに後ろをふり返って話すので、わ、わ、判りましたから、前向いて運転してね、と言いたくなる。
あんたは、アメリカ人か。
むかしワシントンDCに向かう一本道で、ずっと運転手が後ろを向いて話していて、前を走っていた巨大トラックに衝突して一家全員衝突死になりそうになった、わっしのトラウマを知らんのか。
しかし、まあ、そういえば、シンガポールもリー·クアン·ユーたちペナン出身の中国系人がつくった国だったな、とおもいだします。
この地域は、一般に、中国系人たちへの反発が強い。
といっても、顔が中国人でも、アジア人で初めてオスカー(アカデミー賞)主演女優賞を取った、Michelle Yeohを見れば判るように、アイデンティティは、通常、シンガポールではシンガポール人で、マレーシアではマレーシア人です。
ヒジャブの人も、そうでない人も、一体になって抱きついて跳び上がって、涙を流して受賞を喜んでいたので判る通り、中間層以上の人においては、偏見も反発もゼロでしかない。
でも移民として歴史が浅い、初代移民たちやなんかのあいだでは、かなりのテンションで敵対する気持ちがあるのが見てとれる。
シンガポールで起業家として成功した友人たちなどは、テーブルを囲んでいて、
「ガメさん、シンガポール最大の問題がなにか知っていますか?
中国人なんです。
彼らは、いっこうにシンガポールと同化しようとしない」
という。
そう言っている本人たちの顔は、理解に決定的に欠けるこちらの感覚では、どっからどうみても中国の人の顔なので、なんとなく判ったような判らないような気持ちになって、曖昧な顔になってしまっている。
複雑なんですね。
シンガポールでいえば偉大な革命家にして独裁者だったリー·クアン·ユーの息子でシンガポールの首相のリー·シェンロンは、厳しく、シンガポール社会に同化しようとしない中国系人を指弾して、公の場で中国語を使ったり、中国系新聞が中国よりの記事を書きたがることを非難しているが、奥さんはシンガポール人のアイデンティティを保っているといっても、清華大学経済管理学院顧問委員会の委員で、この清華大学経済管理学院顧問委員会は、習近平のブレーン集団として名が通っている。
シンガポールは自然、疑心暗鬼のイスラム国に囲繞された小国という立場に建国からいままで、歴史を通じて立たされていて、なにかというと、食料の供給サボタージュ、コンクリートの輸出停止というような脅迫行動の的になって、それがまた、暗黙の裡にシンガポールが中国と距離を縮める、殆い曲芸外交を進める原因になっている。
いつかツイッタで「シンガポールの友だちに、うちとこがいまでも徴兵をやっているのは、あんたたち日本人がむかし攻めて来たせいだよ」と言われたと述べている人がいたが、まあ、そういう気持ちもあるのかも知れないが、わし観察では「対イスラム」という面が強そうです。
日本が攻めて来た、といえば、わしが予期しなかったことには、ちょうど滞在中に、ペナンの大学生たちが戦時中の日本兵の蛮行について、もっとちゃんと知ろう、考えよう、という大キャンペーンを行っていた。
日本が経済的に繁栄していた過去に、カネ欲しさに、政府は戦争中の残虐行為について国民から隠そうとしすぎたのではないか。
われわれは許してはいけない民族を赦している、という、なかなか強烈な調子なので、興味をもって、路側のテントに寄ってみると、1970年代の荒れ狂った反日運動よりも、考えようによっては日本の人にとっては危険で、「日本政府」であるよりも「日本人」に対しての怒りに調子が変化している。
こういう場合の常で、マジメ好青年がおおい学生たちと話してみると、ははあ、どうやら安倍政権からこっちの日本の態度の変化への怒りがおおきいのだな、と判ってきます。
あいつらは、まったく反省していない、と多分、日本の人にもおなじみの、強姦、幼児刺殺、やりたい放題の、ちょっと正視するのが難しい日本兵の残虐行為の「証拠写真」がパネルに並んでいる。
他人事ながら、ま、大日本帝国復活で威勢良くやってるつもりなんだろうけど、日本も、あれ以来、なんだか戦前に戻っちゃってるよね、と考えました。
このパネルの写真だって、日本に行けば「全部ウソだ」ということになっているのではないか。
日本の人は、いつも、海外の、なかでもアジアの人の気持ちに、必要なことほど鈍感だが、これから先、アジアから、じわじわとアメリカ本土に向かって国土を移動するわけにもいかないしねえ、と帰りに、ペナンでは、なんというか豪華フルセットコースで出てくることがおおい肉骨茶(バクテー)を食べながら考えて、ぼんやりしてしまった。
ペナンは、コミュニティとしていいところで、アジアの街には珍しく、例えばジョージタウンの中心地には建物の壁いっぱいに描かれたwall paintingが無数にあります。
朝の五時には、もう満員になるディムサムレストランがあって、午後の、必ず中国系マーケットとは分離して存在する(あれは、なぜなのだろう?)ムスリムフードの屋台は、価格からは、想像もできない、ぎょっとするほどのおいしさです。
クアラルンプールほどの規模の店は無いが、もちろんマレーシア人の国民食、ナシカンダルの店もたくさん存在する。
繁華街からは離れたところにあるが、わっしはDeenという店が気に入って、通い詰めてしまった。
https://www.facebook.com/RestoranDeen/
ディムサムが嫌なら、ロティチャナイという必殺朝食メニューもあります。
そう。あのカレーにフラフィにちぎったりなんかしてるロティが付いてくるやつね。
https://www.penang-traveltips.com/roti-canai.htm
食べ物ついでに、もうひとつ、チャークイティオのような地元の料理を屋台で食べるのは、もちろんおいしくて、めちゃめちゃクールだが、ペナンは、イタリア料理がおいしい街でもあります。
不思議ですか?
わっしも驚いた。
ペナンでは一般に「冷房があって高くて不味い」
か、「冷房がなくて安くておいしい」の二者択一になりますが、
イタリア料理店は例外で、冷房があっておいしい。
それもね、ローマ人もぶっくらこくくらいのおいしさです。
店によっては、本格的と言うも可なり。
もっと微妙なことをいうと、ミートボールスパゲティは、イタリア風アメリカ料理みたいなものだが、な、な、なんと、これがペナンでは、無茶苦茶おいしいのです。
なぜだかは知らん。
日本のハンバーグみたいなものだろーか。
内緒で告白すると、滞在の後半は、あまりの暑さに辟易して短期アパートは借りっぱなしにしたまま、ジョージタウンの北西にあるShangri-La’s Rasa Sayang Resort で過ごした(すまん)のだけど、それまでは夜は、もう涼しいイタリア料理屋に引きこもってワインをいっぱい飲んで、もう、わし、暑いか寒いか、酔っ払って判らんし、をやっていた。
ほんにペナンは極楽じゃ、とおもうが、あの暑さだけは当局に厳正に対処してもらいたい。
例えば、ほら、ウルトラ強化プラスティックドームを島の上から、カポッと被せて全体を巨大な冷房で冷やすとか。
ジョージタウンごと、地底都市化する、という手もあるのではないか。
とにかく、暑くさえなければ、この世の天国です。
安心して病気になれるしね。
転居候補地として、良いかも知れません。
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イタリア料理おいしいの?じゃあ行こうかなあ。暑いとイタリア料理がおいしくなるのか。ならんか。元気になるかもしらんし。