海に、おいでよ

午後は22℃で、モニさんとわしの感覚では、もう夏でした。

裸足でマリーナの桟橋を歩いていくと足裏があちくて火傷しそうになる。

あち、あち、あち、と跳びはねるように船に向かって歩いていると、モニさんが、

「どうして、この人は学習する、ということがないのだろう?」という顔でこちらを見ています。

あのね、学習機能がないのではなくて、忘却機能が発達しているのですよ。

この無惨な世界を生きてゆくのに、忘れるという機能がなくては、生きていかれない。

ディテーリング(注)の人たちが来る前に、少し片付けておこうとおもってやってきたが、

今年は、このブログでも何度もぶつくさ言っているように、ほとんど海に出る日が巡ってこない異常気象だったので、キッチンや食料収蔵庫には大量の期限切れ食料が眠っていて、カートに山のように積んで、浮桟橋を4往復することになってしまった。

該当する日本語がないようだがantifoulも控えていて、このごろは一日に二回は、マリーナに出かけることになっている。

二回は、というのはより正確にいうと、ふたつのマリーナ、ということだけど。

おにぎり、というのは、素晴らしくよく出来た食べ物で、最近はやらなくなってしまったが、

おにぎりと、焼海苔と、木製の小ぶりの米櫃に酢飯をいれて、海に出かける、というのを昔はよくやった。

サンドイッチを持っていくと、湿気ったりパサパサになったりで、いまいち美味しくない。

サモサもダメです。おおきなボートで出かけるときは、なにしろキッチン完備なので、電子レンジでも、インダクションの調理器でも、なんでもあって、家にいるときと変わらないが、40フィートというようなサイズになると、コンロふたつのガス台に冷蔵庫と小さな冷凍庫で、電子レンジなどないので、おにぎりで始まって、あとは釣った魚で巻き寿司や軍艦巻きをつくるのが、最も理屈に適っている。

日本文化は携帯食の大家(たいか)で、大家であることには、そもそも冷食文化が発達していることも含まれます。

船で海に出るには、最も適している。

エーゲ海などに行くと、陸からのアクセスがない、海からしか行かれないリゾートがいくつもあって、カフェやレストランもあるが、ハウラキガルフでは、田舎なので、もちろんそこまではいかなくて、むかしからある二三の、陸からと海からの両方から訪問できるレストランがあって、あとはRakinoという小島にボートヨット目当てのピザ屋が一軒、ちょっと離れたKawau島に矢張り船が停泊できる長い桟橋があるカフェが二軒あるくらいで、他にはないので、冬は閉まっているし、夏は人が押しかけるしで、あんまり行く気が起こらないので、近くに寄ってきたブルーペンギンを揶揄いながら、軍艦巻きを食べているほうが、なんといっても楽ちんで、楽しいようです。

海というのは、すごいところで、絶対に飽きるということがない。

イルカがヨットと競争にあらわれたかとおもうと、行く手を遮るようにシャチの一家が雄大という以外描写のしようがない高度のあるジャンプを繰り返しながら横切っていく。

ゴマクジラがいて、トビウオが甲板を跳び越えて、空からはウミウやカモメがやってくる。

陸地が見えないところまで出ると、海は素顔であらわれて、科学のような浅薄な体系では説明ができない、例えば、凪いだ海を生き物のように渡っていく巨大な三角波や、どう見ても巨大生物にしか見えない3Dの影を霧に投影して悪戯したりする。

天気がやっと正気を取り戻して、海が照り返す、太陽の光を見つめながら、

ああ、やっと海に帰れるんだなあ、とおもう。

長かったぜ。

日本は、どうでしたか?

地球の暑熱化は、だんだんヤケクソの段階に入ってきて、特に過熱された潮流が蛇行しているんだかなんだかの中緯度地方は酷くて、いままで折角具合がいい気温だったので文明が根付いたのに、まるで人間の文明が繁栄している場所を狙うように、人間が住めない気温まで上昇している、と雑誌には書いてあった。

わしが知っている東京の最高気温は34℃で、サトウ製薬の「サトちゃん」のでっかい人形の下にあった気温計が「34℃」を示していたのをおぼえているが、冷房が利いた地下道から地下道へ歩いても、結局、熱中症になるのを避けられなかった。

東京は、もともと冬が最も好きで、ニュージーランドの夏と東京の冬を天秤にかけて、結局、12月の初旬には、あたふたと成田を発つことになっていたが、いちど、ゆっくり東京の冬に居てみたかった、といまでもおもう。

わしガキのころ、ウエンディーズのハンバーガーが食べたくなって、表参道の店へ、ひとりで坂を下りていった。

地下のテーブルでコーラとハンバーガーを食べていたら、身なりにいいおっちゃんがテーブルの側によってきて、「わたしは外国人の子供が嫌いなんだ。自分の国へ帰れ」と、なんだか不思議なアクセントの英語で言われたのをおぼえている。

別に不愉快ではなくて、悲しくもなくて、「世の中には、ヘンなおっちゃんがいるものだ」ですんでしまったが、いま思い返すと「銀座天一漂白剤入り事件」で有名になった、日本の人の外国人憎悪は、そのころからあったもののようにおもわれる。

ツイッタで哲学者の田村均先生と話していて、教えてもらったアイデアだが、攘夷思想こそは、日本に一貫した思想といえるものであるのかも知れなくて、例えば本居宣長も、「攘夷」という背景思想を持ってきたほうが、見えやすいのかもしれない。

日本の人の地政観が外国人には極めて判りにくいのは、多分、「外国は常に日本を侵略しようと虎視眈々と狙っているのだ」という日本の人の認識によるもので、ちょうど、自分たちが外国に侵略を繰り返して、侵略していった先では、女は悉く強姦して、男は市民であっても、なんでも、委細かまわずに殺していたので、勝者として乗り込んでくるアメリカ人も当然おなじだ、女は全員強姦され、男は殺されるか奴隷として働かされるかだ、と決め込んで、緊張して構えていたら、拍子抜けで、アメリカ軍は案外と自分たちを人間として扱ってくれて、なあんだ、になったのとおなじことで、自分たちならこうする、から来た想像力が極めて攻撃的なものなので、勝手に想像したものとはいえ、悪意と敵意の塊で攻撃的な外国人は、打ち払うにしくはない、と、どうやら古代のむかしから思い詰めて来たもののようでした。

極端なケースでいえば、もっとも合理性があると感じられる、明治時代のロシアに対して感じた恐怖でさえ、妥当なものだったかどうか。

後の知恵でいえば、ロシアが仮に朝鮮半島全域を制圧したときでも、いわば片腕で築いた海軍力でさえツシマ海戦に完全勝利できたのだから、まして、陸戦に費消した巨大な軍事予算と人命を海軍に集中すれば、ロシアが朝鮮半島を踏み台に日本を侵略する可能性はありえなかったはずで、

そうであるならば、日露戦争は、日本が大陸を侵略しなければ「生命線」がつくれないのだという、後世に迷妄だったと証明された「侵略理論」があったればこその戦争で、ほんとうは、やらなくても、もっといえば、やってみて、勝ってしまった結果、有頂天のあまり発狂してしまった人のような、それ以後の歴史も、軍人の言うことなどには耳を貸さず、華僑たちのやっていることから習得発展させて、戦後日本より一足早く、貿易立国の日本でやっていけたはずでした。

いや、そこまでの工業力はなかった、という声が聞こえてきそうだが、

念のためにいえば皮肉な意味だが、ナチに功績というものがあったとすれば、「ドイツの工業力」のイメージがナチによる無惨な侵略戦争の前と後とでは、格段に改善されたことで、ナチ擡頭以前のドイツの工業力のイメージは、突出した機械を、唖然とするような複雑さを持ったデザインでつくってみせることはあるが、安定した品質がうみだせなくて、工業としてQCにかなうのは薬罐くらいのものだ、とイギリス人にはおもわれていた工業水準が、戦争で、おお、Me109すごいじゃんになって、面目を一新したことでした。

貿易立国を志す当初の、その国の工業力などは、どんな国でも、その程度です。

だから、明治日本も、いざ踏み出せば、造船や航空機製造くらいから始めて、必ず戦後日本に近い繁栄に到達したとおもわれる。

世界が、あるいはA国が、自分たちを敵視している、ついては自分たちも備えを固めて、にらみ返さねば、というのは、少なくとも日本については、ひどい思い込みで、「こんな調子では英仏にいいように国を分割されてしまう」とう焦慮のなかで出来た明治維新にしたところで、翻って、イギリスはどうおもっていたかというと、ディズレイリだったとおもうが、

「日本という国は、大のおとなが大刀を腰に差して、いつでもイギリス人を斬り殺してやるといきまいて歩いている物騒な国で、その割には奪い取るものがないビンボ国で、侵略なんてやってもおよそコストパフォーマンスが悪いので、一考にすら値しない」と述べていて、

ほんとうは、なにもそんなの大慌てで西欧化しなくてもよかったもののようでした。

攘夷は、日本を狂わせる。

日本の人が最も肝に銘じておかなければならないことは、排外思想は常に日本を破滅に追い込んできたことで、その失敗にたって、もしかしたら最近よく言われるように上辺だけだったのかも知れないが、国際協調を志したときだけ、繁栄したことであるとおもってます。

肩をそびやかして威丈高に自己の優秀性を見せつける自己イメージとは、おおきく異なって、

実利に走って、利に聡い国民を演じるときにだけ、日本は平和と繁栄を呼び寄せてきた事実の積み重ねに目をつぶる必要は、どこにもない。

いまの日本の人にとっては、海は存在さえしていない。

海の民であれば処理水だろうが汚染水だろうが、そもそもメルトダウンした炉心に接触した水を大量に垂れ流してきて、しかも、それを合理化するために「これからは意図して「処理した」汚染水を海に「放出します」なんて気味が悪い声明を発するわけがない。

そうして、なぜ海がなくなったかといえば、鎖国思想などよりも、やはり攘夷思想が、日本を引き籠もり国家に追いやったように見えます。

この状態は戦前の、大日本帝国陸軍が支配した日本と、そっくりそのままおなじで、

幼年学校の閉じた繭のなかで培養されて、世界への想像力を徹底的に奪われた、いわば「エリート引き籠もり」だった帝国陸軍将校に操られた日本は、海への想像力や親和力を失って、ただ、「軍艦を浮かべる莫大な水」としてしか太平洋を認識できなくなっていった。

かつて東シナ海を台湾人や中国人、タイ人たちと共同して、わが手に収めて、自由に往来した海の民が、海を戦場としてしか意識できなくなったとき、いまの汚染水放出の運命は決まったのでした。

というわけでね。

日本の人も、海に戻るといいですよ。

30フィートか、そこらの船に免許なんていらないよ、バカバカしい。

ついでにいうと日本語の「マリーナ」って、「ざあます言葉」を使う育ちの悪いおばさんみたいで、

あんな成金の飾り物みたいなマリーナなんて、実質がなくて、くだらない。

話に聞けば、瀬戸内海のボーティングは、ずっとずっとまともなようです。

あそこは多島海だしね。

そのくらいから新たに海文化を始めるのがよいのではないか。

寿司酢はね。

実は台湾製の茶色のもののほうが、おいしいんです。

海苔は韓国製がいい。

中に入れる「オカカ」は、スペイン語だとウンチみたいなのが玉に瑕だが、日本の鰹節をつくるときに削るのがいいですねえ。

海へ来るといいよ。

自分が日本人かどうかなんて、ちっぽけなことだと、有無を言わせず判ります。

陸自体が、地球全体として、ただの田舎なのだもの。

そんなとこで悪んでいてはダメだよ。

なんちて。

では、また。

 

(注)日本語がないみたいだが、要するに船を清掃して磨き上げるちゅう意味のことです



Categories: 記事

1 reply

  1. 今年はたしか司馬遼太郎の生誕100周年だとかでNHKで往年のインタビュー動画を再放送してるね

    そのなかでシバリョー(ってオジサン達は略すんだっけ?)が、従軍中に満州の中国人たちに親切にしてもらったことで、外国人だからって色眼鏡で見ちゃいけないんだと気づいたって言ってことが、なんというか、昭和の素朴な攘夷感が垣間見えた。

    ウチの職場にも22歳ぐらいのアメリカ人の女の人が来て、たしかカナダとの境目ぐらいにあるちっちゃな州から来たと言ってて、両親はカリブ海地域出身だけど本人は北国の人で日本の夏の蒸し暑さに生気を失ってたが、この人は持ち前の人柄でたちまち皆の人気者になってしまったんだけど

    彼女の人柄に触れた65歳ぐらいの男の同僚がね

    人柄に国籍や人種など関係ないんだな

    なんて、わかりきった当然のことを、思わず感慨深く呟いててさ、そのとき、日本語の檻に囚われた日本人の不幸というのはこういうものなんだな、とあらためて思ったね。

    いまの若い人は、kpopがわかりやすいが、日本の外にたくさん素晴らしいものがあることに気づき始めてるが、それ以上に中年から年寄連中の劣化が酷いことになっててね…

Leave a Reply

%d bloggers like this: