インボイス制度と呼ばれているものは、本来は消費税制度と一体とも言えるもので、
いままでのように帳簿制で消費税を徴収するほうが変わっている。
早い話がUKもNZもインボイス制度です。
じゃあ、インボイス制度でいいじゃありませんか。
世界の他の国はほとんど早くからインボイス制度なんだから、日本も、ここに来て、インボイス制度で他国並、あるいは、ほら世の中にはPEPPOLというものがあって、どこの国もゆっくりと欧州の統一規格にあわせようとしているでしょう?
いままで帳簿制度消費税徴収なんて、国民の消費税課税への不平との非論理的な妥協でしかない歪な日本ローカル制度から、一躍、他国に先んじてリニアなシステム統合が出来ますよね?
財務省の官僚などは、「理屈が通ればこの世は天国」のシューサイ世界を生きているので、
そう考えているのではないか。
ところが。
ところーが。
三流秀才の常として理屈が通用するためには現実との整合性がないといけない、という大原則を忘れているので、帳簿制だろうがインボイス制だろうが、強い者が自己の負担を弱い者にヘーゼンと転嫁する、日本語世界の厚顔なまでの倫理の欠如を忘れている。
消費税が帳簿制のときから日本の消費税には税転嫁の公平性に問題が有って、大蟻くいの有杉晋作で、わしが「消費税は日本の社会に向かない」とずっと述べて来たのは、つまりは、そういうことです。
「なんのこっちゃ?」と思う人のために説明すると、いつものごとくいつもの人びとがあらわれて、日本人へのヘイトスピーチだと述べるのが判り切っているので、嫌なおもいをするだけで、ソーシャルメディアで、そんなこと説明するわけはないが、消費税という税制はね、
自国の社会の倫理性の高さに自信がない場合には、やってはいけない税制なんですね。
消費税が高率の社会には北欧が多いでしょう?
そりゃ、南欧の国やなんかも混ざってるけど、こっちは切羽詰まった財政上の理由でやってるんで、マッドマックス型消費税制というかなんというか、やってる政府のほうもやけのやんぱちで、払う中小事業者国民のほうも、それまでナーイス!だった店のおばちゃんが、消費税レシート(←日本で普通にスーパーなんかがくれる、あのレシートのことです)をください、と客に言われた瞬間に夜叉の形相になって、「そんなものは、ここにはない!」と述べて、あまつさえ、
「二度と来るな!」とドスの利いた声で怒鳴ったりする。
だから健気でナイーブなところがある日本の人が、いっくら「インボイス制度反対!」と言っても、政府のほうは、涼しい顔で、「あんたら間違っておる」と言っていればすみそうだ、と考えそうです。言いもするであろう。
ほんとうはね、日本の場合は、「消費税撤廃」が国民の主張でないとダメなんですね。
普通のOECD国なら、そこにジャーナリズムの分析機能が働いて、いかに流通の過程において不公正な力が働いているか、おおきく強い企業が横車を押して、力で本来転嫁されるべきでない税負担が中小・零細企業に押しつけられているか、具体的な例が際限なくあがって、「倫理が存在しない経済」というものが、行き着く先がどんなものか。
一歩進んで、現在の日本社会の零落が、まさに社会の公正性の欠如、倫理の欠落によって直截もたらされたものであることが可視化できるはずです。
そういう意味では、普通に、マジメに、社会にとっては良いチャンスです。
まともなジャーナリズムが、まだ日本にも残ってるでしょう?
ついでに述べると、実際の運用上、企業主に最も負担になるのは、インボイス制が(日本は、どうもそうでないようだけど、本来は)消費税制の公平性を保証するためのものである以上、
経営実務に携わったことがある人には容易に判るはずで、事務量が膨大なものになります。
もうずっと早くから、というのは、つまりは消費税導入時からインボイス制度を採用している国では、個人事業主といえど、会計士/税理士と契約している。
だって、自分でやれるような事務の量じゃありませんから。
税務署のほうも、「やべー今年は、管内の税金納入が少ねえー」ということになると、ウブそうな、しかも自分でええかげんな会計をやってそうな人間を狙い撃ちにします。
そうすると、どうなるか。
8年前だったかな、オーストラリアでは、税務調査時に、わずか2万ドルの納税ミスがあったせいで、延滞やなんかで5万ドルに膨れあがった個人営業のトレーズマンが拳銃自殺に追い込まれたことがあった。
会計士のほうも業務リスクがおおきくなるので、通常、コンサルタント料は上がっていきます。
ルールだらけのゴミ屋敷にインボイストラックがやってきて、すんごい量の事務ゴミをダンプしていくようなもので、今度は、冗談でなくて、ゴミ屋敷の建物そのものがゴミに埋もれて、生き埋めにされてしまいそうです。
遙かなむかしからインボイス制社会に生きている大先輩(←エラソーたのしい)として述べると、インボイス制なんて、やらないほうがいいですよ。
というよりは日本社会のようにインボイスシステムの基礎となるべきビジネス倫理の地盤がない社会で強行すれば、恒久的な惨事を招くことになる。
この記事では、もうめんどくさいので書かないが、日本社会にはインボイス制が、というよりもより本質的には消費税が、向かない、文化上の、深いいわれがある。
今日は、 土曜日で、いつもならマーケットに行くところだが、暴風雨の予報なので、家にいることになっている。
ところで、ですね。
欧州でもオーストラリアでもニュージーランドでも、マーケットが盛んでしょう?
近在のファーマーや、漁師、小規模な食品製造業者がこぞって、フードトラックも仰山出て、売る方も買う方も楽しそうです。
あれはですね。
小さな声で言うと、インボイス制消費税反対地下運動なんです、
なんちて。
リースが高くなって店舗を出すと負担がおおきいという理由もあるが、消費税を払いたくないからやっている人も多いのね。
NZではEFTPOSと呼ぶが、銀行カードでの支払いは、ずいぶん前からワイアレスで、決済手数料も日本に較べるとずっと低いので、個人営業の人も気軽に使えるが、マーケットでは現金にこだわるストールが多いことには、買う方と売る方のあいだの暗黙の了解があります。
日本なら「通報しました」の嵐になるのかな、と、ときどきおもう。
まあ、いいや。
インボイス制導入が、日本のひとたち、国民の側から見てチャンスでもあるのは、いったん施行すると帳簿制消費税に戻すという事は出来ないのでインボイス制が、上に述べたような理由で麻痺すれば、消費税そのものを廃止する以外なくなる可能性が高い。
そうして消費税導入そのものが、経営者の社会倫理欠如からきた低賃金と並ぶ日本経済不振を招いた、ひいては日本そのものを低迷の地獄に送り込んだ地獄火車の両輪であったことを考えると、「日本をやり直す」ための、絶好のチャンスなのかも知れません。
もう何度も書いたが、岩田宏が
「悲観とはただの習慣だ」と述べているでしょう?
たまには、詩人の言葉を信じてみれば、どうでしょう。
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