海の人びと

 

マオリ人やポリネシアの人たちとはマリーナを通じて接点がある。

伝統としての海の民の意識が強いマオリ人や、現役の海の人たちの趣があるポリネシア人たちにとっては、海は聖地です。

ちょうど日本人や西欧人の陸と海の見方が逆転しているといえばいいのか、話していると、世界への認識が「海から見た陸地」であることがよく判ります。

オークランドからトンガへ行くとするでしょう?

アドバイザーとしてポリネシア人たちほど優れた人たちはいなくて、例えば

「天気が悪くなりそうなときに、ひとつの入り江に4日でも一週間でも錨を下ろして凝っと待っていることが出来ないのなら、トンガへ行こうとおもうな」と、なかなか厳しい口調で教えてくれる。

パケハ(マオリ語で「白人」という意味です)は航海するのに計画を立てるようなバカなことをする。

海は人間の都合なんか知っちゃいないんだ。

海の機嫌を見計らって、御機嫌が良さそうなときに海原に出るのがいいんだよ。

あんまり大きな声では言えないが、ポリネシア人は、陸世界でも、この理屈で行動するので、

陸地人語でいうとテキトーを極める、という欠点?がなくはなくて、

いつか、ヨットのメインテナンスをお願いしているフィジー人に誕生日のパーティに招待されたので、プレゼントを買ってモニとふたりで出かけてみたら、なんと、当人が家にいなかった。

父親と母親が出て来て、

「あら、サミーが、そんなこと言ったんですか? あの子、二三日前からフィジーに帰ってるんだけど」という。

後で考えると誕生日に招待されたのは、サミーと娘さんをシーフードレストランに招待したからで、それが嬉しくて「長い間マリーナで働いているけど、こんないいレストランに招待してもらったのは初めてだ」と、すごい喜びようだったので、嬉しさのあまり、口をついて出たのでしょう。

しかし、どうも、次の日には忘れてしまっていたもののようでした。

偏見というなかれ、ポリネシアの人には、こういうところがあって、それに自分の社会の理屈でいちいち腹をたてていても仕方がない。

いつかマリーナで友だちたちと貧富の差の拡大について話した、とツイッタで書いたら、

「マリーナなんかで、そんな話をする人間なんて許せない」という「左翼」の人が来て、ぶっくらこいたが、あのですね、日本みたいに海の人でもなんでもない、ただのオカネモチの人が屯っている「マリーナ」とは、マリーナ違いというか、まったく異なるんです。

なんか日本では森繁久弥という人だったかな?俳優さんがキャプテンハットで決めたキャプテンぽいカッコで、なかなか豪勢な自分のボートに乗っているフィルムが残っているが、

いまはまさか、あんな扮装でヨットに乗る人はいないだろうけども、

例えば葉山マリーナの、あの独特な、銀座の接待バーと真っ直ぐにつながっていそうな、不健康で不気味な雰囲気とは、ニュージーランドのマリーナは縁がありません。

もちろん、オオガネモチが集っているマリーナはある。

リース料が二千万円とか、とんでもない金額で、根がケチで僻みや揃いのニュージーランド人は

「あんな設備で、ぼってるだけじゃん」とよく陰口を利いているが、

小さなマリーナは、たくさんあって、名前は、ニュージーランドにも虎視眈々と犯罪を起こそうと狙っている日本人が、案外な数で住んでいるので、名前は書かないが、

ぼくが好きなマリーナのひとつは、小さな入り江に、桟橋がひとつだけあって、

ヨットもボートもスウィング・モアリングと云って、杭にロープで繋留するだけのやりかたで、

材木会社が寄贈した立派な建物のクラブハウスには、パートタイムの警察官。救急医療隊員、

看板職人、ちゅうようなひとたちが日曜の朝からビールをチビチビやりながら、

海の話をしている。

そういうマリーナは繋留費が年間5万円とかで、こういうビンボな海の人が集まったコミュニティは、陳腐化した表現を使えば、「独特の味」があって、ヨットからディンギイに乗ってクラブハウスに行くと、

「おお、ガメ、来たな来たな。まあ、一杯やりなよ。昨日、ジョンの娘に子供が産まれたんで、みんなでお祝いしてたんだよ」と述べて、これもチョー小さな声で言うと、1941年製の25フィート船の狭いキャビンに一緒にいると腋臭が臭くて死にそうになる気が遠くなるほど親切な腋臭男のジョンが、相好を崩して、ややビールを飲み過ぎた顔で、幸福に浸っている。

この人はね、娘さんを産んだときに奥さんが亡くなって、男でひとつで、塗装職人として、娘さんをひとりで育ててきた。

船の名前を亡くなった奥さんの名前に変えて、ディンギイまで奥さんの名前を付けて、

娘さんとボートだけを生き甲斐に、ここまで生きてきたのを知っているので、

誰も「ガールフレンドをつくったらどうだ?」とは言いません。

ひとことも、そのことに触れない。

亡くなった奥さんを知っていた人も、奥さんについても、触れるのを見たことがない。

ニュージーランド人の、こういうときの、破格な、途方もない優しさは、イギリス人でも想像がつかないほどのもので、どこから来たのか見当がつかない。

ゴルフと似てるかな?

ゴルフといえば、よく十ドル札を入れる箱が置いてあって、十ドル札を入れたり入れなかったりして、友だちたちと一緒にコースを歩く「日常のスポーツ」なんだけど、いまはむかしほどではないようだが、オカネがかかるオカネモチスポーツが日本のゴルフで、川奈が好きなので、年柄年中川奈に出かけていたが、誘われても、一度しか有名なゴルフコースでゴルフをやったことはなかった。

もっと言うと、「内務省の友だちと日本からの移民の市民権取得について話した」と書いたら、

「ほおら、見ろ。ガメ・オベールは憲兵体質の証拠だ」と、むかしは「慰安婦問題」で小遣い稼ぎをして、いまは「トランスジェンダー問題」でトイレと公衆浴場の話に熱中して、トイレ使用権の権威になっている非常勤講師の人がいて、はっはっは、閉口したが、あのね、

それは自分が無知でゲシュタポみたいな役割もはたした「日本の内務省」しか知らないだけで、

いつもの、この人の「思い込み」で、ニュージーランドのような市民社会では内務省は、

普通の役所です。

ついでに述べると、見ていると、最もポリネシアの人を偏見なく雇っている役所でもあって、

モニさんの市民権について相談したときに、正確な知識と、素晴らしい聡明さで、問題を処理してくれたのはNiue出身の女の人だった。

ほんで、マリーナは、ポリネシア人との日常的な接点になっているが、

マオリ人たちは、ポリネシア人と、だいぶん趣が異なって、中にはニュージーランド人としてポリネシア人を嫌う人も多いようです。

オークランドはポリネシアの人たちに「ポリネシアの首都」と呼ばれる光栄に浴していて、例えばトンガがオールブラックスに勝ったりすると、街中を、と言いたくなるくらい、たくさんの数のクルマがトンガの国旗を翻して走っている。

数が増えたので、苦々しく思うマオリの人たちから、よく苦情を聞かされる。

マオリ人には、「我々はindigenous peopleではない」と述べる人が多い。

1213世紀にニュージーランドを発見して移住してきたマオリ人は、基本的に欧州人と対等の立場だ、という意味です。

アボリジニとは異なる、という。

今度の選挙戦でも、いちどは引退したはずの、あの「日本人排斥演説」で絶大な人気を博した、

ウインストン・ピータースが、いつのまにか政治に復帰していて、

「死んだはずだよ、お冨さん」(←多分1950年代に流行った、なんだかチャカチャカした感じの流行歌です)と考えたが、この人はマオリと欧州人の混血で、マオリ人の支持も強い人だが、

このあいだ選挙演説で「マオリはindigenousではない」と述べていた。

ついでに書くと日本の人は、よく誤解しているが、オーストラリアでのアボリジニへの、強烈で暴力的な差別や、例えばミシシッピでのアメリカ白人の、ピックアップトラックを連ねてアフリカン・アメリカンを襲撃に行くような人種差別に較べて、ニュージーランドでのマオリ人への差別はマイルドなほうです。

もちろん、差別がないわけではなくて、なにしろ人種差別は白人のビョーキなので、

これに罹っている人は、ニュージーランドでも、ちゃんと存在して、

そういう人と話していると

「でもガメ、Remueraって、マオリ地名だろう?

おれならマオリの地名がついた街には住まないね。いつ、あいつらが怠けすぎてカネに困って、マオリの名前が付いた町はマオリ・ランドなんだから、おれたちに返せ、と言い出すか判らないじゃないか。いまでも沿岸部はマオリの所有にされてしまったんだから、この先、あいつら、なにを言い出すか判ったものじゃない。ジンバブエで白人農場主に起きたことが、ニュージーランドで起きないと、なぜ言える」

とオオマジメに述べている。

それでも、どのくらい差別が小さいかは、むかしジョージ・ブッシュがニュージーランド政府に書簡を寄越したことがあって、要旨は、

「あんたの国が原住民に大甘なので、アメリカ市民はネイティブアメリカンに無理な譲歩を迫られて迷惑している。いいかげんに甘やかすの止めたらどうだ」というものだった。

ニュージーランド政府は「内密に対処されたし」というブッシュ大統領の要請を蹴って、

マスメディアに書簡を公開して、「対処」は、なにもしなかった。

ツイッタで知り合った天文学者のもじんどん @mojin が、いまのハワイ島勤めの前、チューリッヒでポスドクをやっていたときに、ドイツ人の同僚が、ニュージーランドに行って、

「きみ、信じられるか?ポリネシアの向こう側にヨーロッパがあるんだぜ!」と述べて、大コーフンだったそうだが、欧州人の感想は、その通りで、

「建物がボロい。第一、なんで、この国の人間はトタン屋根を欧州式の住宅に付けるんだ?」

欧州人らしい天然の意地悪さで大笑いしたりするが、基本的にはもじんどんの同僚と同じ感想を持つもののようです。

子供のころは、おとなたちは例外なく自分たちを「ヨーロピアン」と呼んでいて、チビわしは、

「こんな南の果てに住んでいて、どこがヨーロピアンやねん」と可笑しかったが、

いまのニュージーランド人は、自分たちが欧州系のアジア人であり、ポリネシア人であることを誇りに思っているようです。

そういうところは、オーストラリア人とは、ずいぶん異なる。

例の「汚染水放出」で、中国の抗議ばかりが取り上げられたが、中国は外交上の政治的武器になる相手国の失敗を見逃さない国で、予期される抗議だったが、

ほんとうに怒っているのは、目の前の海で鯨を殺され、今度は、顔なじみの高校生がいみじくも述べたように

「日本人って、もっと科学的な国民だとおもってました。海に放出するという後で取り返しがつかないことをやるのなら『安全だという証明』をしてもらわないと、ひとつしか海を日本人に汚し放題にされるのはたまらない」で、安全だと一人決めに決めて、まるで福島第一原発から不断に垂れ流される汚染水への非難に対して居直るかのように「処理水」の意図的な放出を宣言する日本という「海の敵」を否応なく意識させられたポリネシア人たちです。

「おれが正しいと言ってるんだから、正しいんだ」は、これまでの「悪い方の日本」と、ぴったり重なる態度で、主に文化の力や、世界に知られた勤勉さで、この70年に「良い方の日本」が営々と築き上げてきた敬意も、日本がやったことが知られるにつれて、すべて砂で出来た城のように崩れていくのは、いまから判っている気がするのは、やはり、ポリネシア人たちとの会話からでした。

残念なことだとおもっています。



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3 replies

  1. 以前に、NZの居住権が厳しくなってなかなか取れない、労働党の移民への扱いが酷いのはなぜだろうか、分からないとコメントしたものです。

    結局そのコメントを投稿してから一年後くらいに居住権を運良く取れました。なんだかそのコメントに返信を頂いたおかげで居住権を取れた気がして、いつかお礼を言いたいなと思っていました。ありがとうございました。来年には永住権に切り替えができ、そのまた3年後には市民権が取れるので、日本は二重国籍を認めていないし、日本国籍を放棄してNZ国籍を取るつもりです。

    私が日本を離れたのは福島第一原発事故が理由です。内部被曝を回避したいのが第一の理由で、南半球の国で永住権を取って、親が亡くなるまでのたまの一時帰国以外は日本には永遠に帰らないつもりです。第二の理由は、問題を直視できない日本人に辟易したからです。内部被曝が怖いと言うと、「福島の人達に失礼だ」「非科学的だ」と怒られるのが理解できなかったし、たくさんの人間関係を失いました。

    私は明治時代〜昭和初期の、政府に抵抗した日本人の文章を研究していたので、意味をなさない腐った今の日本語の洪水に流されずにいたのかもしれないと、ふと思うことがあります。非力な私は、日本から永久に脱出して何が何でも生き延びて海外に骨を埋めてやる、それが私の抵抗だと考えて日本を出ました。
    日本国籍を持っていると、何だか大きな日本の国旗に自分の身体が後ろから包まれているイメージがあって、日本政府は私の背中の日の丸を目掛けて日本政府がいつでも矢を放ってきて射抜くことができるという恐怖があります。
    汚染水放出についてはニュースを見た時に絶句してしまって、どうして私の国は隣人に悪い事ばかりするのだろう、歴史上何も人類の善に貢献したことがないと恥ずかしく申し訳ない気持ちで考える度に胸が潰れそうになって涙が出てきます。
    長くなってすみません。

    • もうカナダかどこかに行かれたのかと思っていました。
      あれから、移民の市民権獲得に詳しい友だちと話していて、NZのビザ事務の酷さの実態を訊いて呆れました。新移民でなんとかなってる国なのに、やる気があるのか、という気持になった。明治時代は政府も強権政府でしたが、抵抗するほうも、すごい気骨なのですよね。それがだんだん時代が進むにつれて力尽きてゆく。ぼくが日本を(言葉が悪いが)見放したのは、もともと外国人なので、あんまりこだわりがなかったせいもありますが、文化が好きで数回訪問してみた初めの楽しさと異なって、ネットで出会う悪意しかもてない人びとと、到底自由社会とはおもえない社会の在り方に疑問を持ったからで、すべてを引き払って訪問を停止したのは福島事故の前年でした。

      簡単にいえば別荘として日本に家を買って、ときどき行こうとおもっていたのに残念だった。

      ニュージーランドも、もともと問題だらけの国ですがコツがつかめれば住んでいて楽しい国です。月並みだけど、なにより自然が美しいて懐が深いところがいい。一方でUKのように、年老いてボロボロの国の鬱陶しさがないので、息がしやすい若い国でもあります。まあ、もう知っているでしょうが、ビンボは覚悟しないと仕方がないですね(^^) いまはCBDにいるんでしたっけ? このあいだLorne Stに4年ぶりかな?に出かけて、古い店がつぶれているかわりに、めっちゃおいしい小籠包の店や、讃岐うどんの店まで出来ていて驚きました。NZ人もやっとアジアの国の国民としての自覚が出てきたので、むかしと較べて、アジア各地からやってきたひとたちにとって住みやすい国になったと聞いてます。タイミングが、よかったのではないでしょうか。

      • あまりに辛かったので、もうカナダにでも行こうかと考えていた矢先に居住権が取れたので、そのまま残っています(笑)居住権を取れる要件は満たしていたのですが、当時は居住権の申請をしてから結果が出るまでの期間が二年超となっていて気が遠くなっていました…。

        日本人が自由を欲してないのは、確かにそうです。売れてからなぜかご意見番になっている、とある芸人が「優秀な人にソフト独裁をしてもらって、日本を立て直してもらいたい」というようなことをテレビでのたまっていて、「なんて馬鹿な意見だ」と私は思ったのですが、それに対して賛成をする日本人が結構いたのでうんざりしました。なんで自分たちが主体としての意識を持って国を立て直そうとしないんだろう、なんで「優秀な人」任せ何だろう、と。

        今はCBDというか、お隣のGraftonにいます。Graftonは大学以外特に何もないので、スーパーで買い出しや買い物のためにCBDにはよく足を延ばしています。Lorne Stは最近本当に新しいお店が多いですよね。去年だったか、京都発抹茶スイーツが売りの辻利まで出来ていました。私は日本製の食品を避けているので、讃岐うどんも抹茶スイーツも食べられないのが残念です。もっとアジア系コミュニティーが大きくなって、シドニーみたいなチャイナタウンができたら楽しいだろうなと期待しています。

        ニュージーランドに住んでいると、ビンボなのは間違いないですね(笑)でも私はやっぱり小さくても良いから持ち家が欲しくて、かといってニュージーランドで貰えるお給料だと特にオークランドは不動産バブルが酷くて買えないので、ニュージーランド国籍を取ったらオーストラリアに数年間出稼ぎに行って、家の購入資金を貯めようかなと最近考えています。オーストラリアには二年間ワーキングホリデーで住んでいたことがあって、人があまり好きじゃないんですけど出稼ぎの数年間だけならまあいいかな、と思ってます。

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