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  • 日本語文脈を始める

    軽井沢から西に20分くらいもクルマを走らせると、追分宿に着く。 夏の軽井沢は、案外、暑いので、モニとふたりで手近な所で散歩したいとなると、よく追分に出かけた。 夏は全国からひとが詰めかけて国道18号線は使いものにならないので、 鹿島の森のゴルフ場から右に折れて、離山に入って、鶴溜に折れる曲がり角を、そちらには行かずに、村民食堂があるほうへおりて、千メートル道路に登って行きます。 別荘地の気安さで、いまなら巖谷国士先生の別荘に立ち寄って、元気っすか?を習慣にするところなのかも知れないが、当時は、ナジャを日本語で読むなんて奇想天外なことは思いつかないので、大日向に抜けて、追分に至って、クルマを林道の脇に駐めて、追分宿へ歩いておりていく。 奇想天外といえば、日本は、いろいろ、どっひゃああーな、面白いことがある国だが、この辺りにはシャーロックホームズの立像があったはずで、なんどか、心がけて探してみたが、到頭、最期まで見つからなかった。 「文学の道」という、裃(かみしも)な名前がついた道に折れて、山間に忽然とあるフランス料理屋の方角に歩いていくこともあったが、たいていは、おとなしく佐藤豆腐店から追分宿に出ます。 国道18号線の東から来ると、分去れのY字交叉点で、右に行けば、この佐藤豆腐店に出る道と会合する。 ついでにいうと分去れを左に道をとれば北国街道です。 鎌倉にも似た地形の交叉点があって、右に行けば、鎌倉のひとたちが「山姥が出る秘境」だと述べて呵々大笑する十二所から朝比奈ICに抜ける道で、左に行けば、なんだか傾いたような、崩壊寸前の建物だが、ばーちゃんの家で出前を取ると滅法うまいネギトロ巻きをつくる鮨屋がある。 ちょっと日本語が古くなりすぎた。 サムライドラマを観るのは、好い加減にしないと、とおもうが、 こちらは字が異なって「岐れ道」という。 それで、ほら、「峠」という言葉もあるでしょう? ほとんど、たったひとりの力で、英語世界での日本への好印象を作りあげてしまったラフカディオ・ハーンは、日本の生活で好きなものを 「西、夕焼、夏、海、遊泳、芭蕉、杉、淋しい墓地、虫、怪談、浦島、蓬莱」 と書きとめているが、この静かな淋しさが稜線に立ち並んでいるような言葉の集まりを見ると、小柄なアイルランド人が、どれほど深く日本を理解して、愛していたか判るような気がする。 書籍のほうの「ガメ・オベールの日本語練習帳」の、「デーセテーシタレトルオメン」に書いたとおり、日本語が話せないハーンと英語が話せない配偶者のセツさんは「ヘルンさん語」で、深く深く理解しあって、ふたりの共著と言うのが最も実情に近い方法で、手を携えて、あの数々の傑作を生みだしていく。 ある時期から、ラフカディオ・ハーンは、日本人にとって、人生はひとり旅そのもので、人間の一生への基本的なイメージが、街道を歩いて、遠くへ遠くへ、自分がまだ見知らぬ生の向こう側にある世界へ、倦まずに向かって、時々は峠に立って来た道を振り返って、夕暮れの淡い闇に消えている、これから歩いていく道を見つめ直すことだと気が付いていた。 この日本人という旅人は、ただのY字交叉点に立ってさえ、自分が選ばなかった道を惜しむ切なさで胸をいっぱいにして、やはり、こっちに行こうと決心して、未練を振り切るようにしてしか旅していかれない心性を持っていたように見えます。 外からやってきた者にとっては、日本の人びとは、胸までも届く感情と情感の洪水に流されまいとする努力で生きているひとびとで、言葉による会話も、多くの場合は、感情を取引しているだけで、あるいは、なんとか伝えようとしているだけで、現実や論理は、贈答品の箱書きのようなものでしかないように見えることがある。 このごろ、よく、「そういうひとたちが西洋文明を受容してきたんだからな」と驚嘆の気持で考えます。 もちろん、否定的な気持ではなくて、日本の人の西洋文明受容にかけた、気が遠くなるような努力に思いを馳せて、という意味で、 近代以降、言語に大変な負荷がかかり続けて、ここに来て、ばっきり折れてしまったように見える事態の真相は、どうやら、そんなことではなかっただろうか、とおもう。 定年退職したら、おれは南洋で気楽に暮らすのだと述べていた、最近同姓同名の別人を日本語ネット上でよく見かけるが、名古屋大学哲学科教授のほうの田村均先生、通称哲人どんが、ネット人のアカデミア事情に対する無知につけこんだパチモンの自称哲学者が氾濫する日本語ネット上の有様に「哲学者の実力は、そんなもんちゃうぞ」と考えたのか、大失礼な言い方をすると、なぜかやる気を出して、通常のネットに公開される文章とは質がかけ離れた、良質の哲学断章を連載しているが、 最新の記事では、村上隆の「自由神話」を材料にして、 『 「日本の美術の授業は、ただ「自由に作りなさい」と教え」てしまう(『芸術起業論』p.11)。この教えは、芸術家は自由でなければならないという信念にもとづいている。そして、美大生もみな「自由になりたい」と思っている(『芸術闘争論』p.122)。ところが、「自由とは何かといえば「誰にもおかされない」で自分一人で考える」(『芸術闘争論』p.227)という程度の認識しかない。自由の名のみ声高に叫ばれるが、自由の本質への洞察がない。こういう状況を、村上隆は随所で「自由神話」と呼んでいます*。』 『誤解は、日本の芸術活動においては、「自由」が、生まれて間もない子供のような真白な状態と見なされているところにある。境界で仕切られず、制度にはまらず、情報に満たされていない、つまり拘束のない空白の状態が自由なのだと思われている。』 「自由」を他の西洋からの輸入語に置き換えれば、かなりの数の重要概念語で成り立ちそうな「誤解の事情」を述べています。 https://note.com/chikurin_8th/n/n980aaba46739 余計なことを書くと、この記事に出てくる「文脈の創始」については、この記事を読む、ほんの数日前に、ももさん、他と隔絶した中世美術への洞察力とを持っていて、日本に住む日本語人とは到底おもえない中世の風景のなかに佇むような能力を備えた稀な人で、ほんとうは金沢百枝先生と呼ぶべきで、実力にあわせて呼び方を変えなければいけないとしたら「先生」なんてヘナチョコな呼び方では足りないくらいで、それでも先生くらいは言わなければならなくても、センセイでは、なんだかヘンテコな気がするので、やっぱりももさんは、チョー昔から呼び慣れた、ももさんだが、雑談のなかで、ゲルハルト・リヒターとダミアン・ハーストに触れて、愚か者で蒙昧な、自分の著書のファン(←わしのことです)に対する、哲人どんとは異なる説明上の必要から、概念に触れて、噛んで含めるように説明してくれていた。 哲人どんは、「感情語」と呼びたくなるほど情感過多な日本語から感情を排してしまうのが巧い書き手で、日本語で事実だけを述べて、だんだんに真相へ真理へと現実を追いつめていくのが得意な人です。 だから文章が、たいへんに判りやすいが、この判りやすさが、近代日本語では、なかなか得られないできたのは、やっぱり日本語人の「寂しさの美への執着」があるからでしょう。 真相や真理より、文脈が始まる時点へ遡行するより、 なあんとなく、な、情緒のなかで、たゆたって、自分に心地よい湯水のなかで、手足のちからを抜いているのが好きで、その湯水の温もりから出ると、今度は、旅人に返って、分か去れの道に立って、さて、どちらへ行こうかと考えている。 そのうちに説明したいとおもうが、切羽詰まって、やけのやんぱちのようにして西洋文明を受容したが、ほんとうは日本語の情感に満ちた自分の知的肉体には、まったく合わない体質の文明であることを、明治時代から、日本の人は、薄々気がついていた節があります。 「借り物でいいや」と思っていたのではないか。 それが文脈に続く進歩がゆるやかで、スタティックだったころはいいが、 段々、翻訳文化では随いていけなくなるほど速くなって、複雑になり、ついには新しい文脈が次次に生まれ始めると、お手上げになってしまって、 自分が願望することを現実そのものとみなす癖がついてしまった。… Read More ›

  • いつか来た道を

    お元気そうですね、と、レポーターが声をかけている。 ベンチに腰掛けた老齢の男の人は、さして嫌がりもせずに、カメラのほうを向いて、「ええ、わたしは、健康でいるのが、仕事ですから」と述べている。 「一に健康、二に健康ですよ」 まさか、そんなに健康にばかり気を使って、どうするんですか? とも訊けないからでしょう。 「仕事、というのは、どういうことですか?」 と、語彙の選び方に、やや、引っかかったのでしょう、たいして気もなさそうに、訊ねてみています。 あるいは、他には話の接ぎ穂がなかったのかも知れません。 訊かれた七十歳代にみえる男性のほうは、女房を15年前になくしましてね、と答えている。 娘は重度の障害を抱えているもので、それまでは女房に負担をかけていたのですが、ひとりでは生きていけない娘のために、今度は、わたしが仕事をやめて、会社の仕事の代わりに、娘の世話をすることになりました。 娘より先には死ねないんです。 だから、健康が、仕事。 語調に冗談のような軽みをつけて、笑っている。 日本という国家は、近代国家としての成立以来、いっそ、気持がいいくらいの無責任で、「ここを我慢すれば、もうすぐ国が儲かって、そしたらお前達も豊かになる」という理屈を立てたりして、よく考えてみれば、賭場に家計の金を持ち出す放蕩亭主の科白そのままだが、国民は鴨居に隠してある自分のへそくりを放蕩夫が手にするために、畳に四つん這いになって背中を貸して、踏み台にまでなってやる健気さで、国家にオカネを渡して、蕩尽に蕩尽を重ねられても、あきらめて、そいぜい新橋の居酒屋で、いまならSNSで、オダを挙げるだけだった。 途中は、いろいろあったんだよね。 いまになってみると、帝政ロシアが朝鮮半島を制圧して、海峡を越えて押し寄せたとはおもわれないが、当時はロシア皇帝の気まぐれで極東に領土拡張のプレッシャーをかけはじめたことで、日本の社会は上を下にの大騒ぎで、 「ロシア討つべし」と東京帝国大学の教授6人と尻馬に乗ったひとりの学習院教授が、日本の人の民族性であると思えなくもない、自分以外の人間は過小評価して、自分の力量を過大評価する思い上がりそのままに、勇ましい主張を述べて、「ほおれみろ、帝大の学者様でも、ロシアを討伐しろと述べているではないか」で、読んでみると、大学講師や教授の肩書きに滅法弱いアカデミアコンプレックスも、現代の日本そのままで、政府は世論の大プレッシャーに苦しんで、伊藤博文などは 「我々は諸先生の卓見ではなく、大砲の数と相談しているのだ」と述べて、苦り切ったという。 ロシアは本来なら攻勢限界を遙かに越えた極東の前線まで、ロシア人らしいと言えばいいのか、シベリア鉄道を単線で延長して、どんどん補給物資を送って、送るのに使った列車は線路の終点で捨てるという驚天動地の補給戦略で、 圧倒的な陸軍力を発揮する。 日本兵が、死屍累々、戦友の屍の背を踏んで突撃すると、当時、日本側では騎兵が一存で配備していただけで、軍の規模では存在を知られてさえいなかった機関銃を、ずらりと並べて、徒歩突撃してくる歩兵を薙ぎ倒すという集団自殺そのままの戦闘を繰り返して、やっとロシア側は決戦に踏み切ることにしたころには、兵員の充足率が目も当てられないほど低い上に、弾薬も底をつきて、観念したところで、ヒットラーが自分の身の上に起こることを死の直前にまで願ったので有名な、七年戦争末期に起こった「フリードリッヒ大王の奇跡」そのままに、ロシアの政情に助けられて、戦争は終結する。 諸外国との不平等条約を改正させて領事裁判権を撤廃するという離れ技を行ってみせた、外交名人の陸奥宗光は、日本外交の最大の敵は日本人という愚民の集団である、と、いまならSNSで盛大に炎上しそうなことを述べて、日本の外交は、日本国民という激しやすくて感情に駆られてばかりいる国民が学ばない限り、よくなるわけはない、と書き残しているが、このときも同じで、 大国に勝ったのに、息子が3人戦死した、おれへの分け前は何処にあるんだ、と日比谷公園を焼き打ちしたりして荒れ狂ったが、結局は、 日本は欧州最強の陸軍国に打ち勝った一等国だ、という、「一等国」の勲章を胸に貼り付けるだけで我慢せざるをえなかった。 この対露戦勝のあとの、狂躁的な、おごりたかぶる日本の、特に当時の知識人予備軍だった帝大学生たちの痴愚まるだしの姿は、夏目漱石の「三四郎」に、上手に描かれています。 ここから日本人は、なにしろ娘を売春婦として売るのが当たり前の地方が続出したり、国としてさえ最大の外貨獲得手段が海外で春を鬻ぐ女のひとたちからの海外送金であったりして、隠しに隠し通した主要産業は売春で、自分たちの現実の生活はビンボで、惨めなものであるのは、判り切っていたので、自分を国家と一体化させて、「日本は一等国だから、おいらも一等人」という、切なくも、摩訶不思議な理屈を当然のこととして意識するようになっていきました。 自分の生活が存在しない場合、教条と属する集団と自分を一体化して、 属している集団が優れているから自分も優れている、というのは、案外、騙されやすくも、判りやすい理屈で、惨めな暮らしから這い出せない日本の人たちは、この「人国一体」の理屈にしがみついていった。 属する集団が、陸軍であったり海軍であったり、共産党であったり、東大であったり、三菱であったりするだけで、いまに至るまで、この集団と自分を一体化して、社会に踏みにじられ搾りつくされた自分のつらい人生のモルヒネにして、痛みをやわらげる心的機制は、日本の人の心性の根底をなしていて、要するに、2022年になっても、まだ行われている「日本エライ」「日本は、それほどダメではない」「世界が日本に憧れている」は、明治以来、国民の生活は一顧だにしないスーパー無責任政府を、なんとか受け入れるために日本人が編み出した自分のつらさを見ないで生き延びてゆくためのサバイバル技術なのでしょう。 英語人は人間性がよろしくないので、なんにでも「大」と付けたがって、大日本帝国は当然として、英帝国にまで、勢いあまって大英帝国で、「大」を付けてしまう日本の人の「グレート」好きのいなかっぺ心性を揶揄って、 戦前の外交の席でまで、天皇を「あなたがたのグレートエンペラー」と呼び、自分たちの帝国を「わたしたちのリトル・エンパイア」と呼んで、失礼にもバカにして、しかも内心、日本人じゃ、この程度のサーカズムも理解できまい、と舌をだしていた。 でも、日本の人のほうには、否が応でも自分たちの「帝国」に大をつけなければならない、切ない理由があった。 国家がすべて、日本社会の繁栄がすべてで、自分の生活は、二の次だったからです。 フランス首相だったエディット・クレソンが「日本人はウサギ小屋じみたアパートに住み、2時間もかけて通勤し、高物価に耐えるアリみたいな生活をしている」と述べたことに対して、国民的な憤激が巻き起こって、到頭、日本政府が抗議する事態になって、いつものこと、最後には「ウサギ小屋はフランス語では小さなアパートに対する普通の呼び名で、日本人を見下した表現ではない。ウサギ小屋は誤訳です」ということになって終熄したが、その反応の何分の一かは、やはり、ほんとうのことを言われてしまったからだったでしょう。 そのころになると、日本の人も、海外旅行での見聞や、海外からのニュースを通じて、なにかがおかしいのではないか、自分たちは人間的と呼べるほどの生活を送っていないのではないか、と疑うようになっていたからです。 いまの日本人ならば、排外主義的発言で大向こう受けしていたクレッソンの国内向けの言葉に踊らされずに、一方で、同じクレッソンによって何度も繰り返された「日本人は規則を守らずに働いている」のほうに注目するかもしれません。 当時の日本人は「規則?、この規則って、どういう意味だろう?」と訝しくおもうよりも、「悪口を言われた」という感情が先に立って、爆発して目が眩んで感情に、どんな感情をぶつければよいか、それもフランス語はうまく話せないので、日本語で日本語人同士のなかでフランスに対する怒りの激情をぶつけあって興奮するという、それこそ日本的な事態になってしまったが、ほんとうは、クレッソンの意図とは関係なく、この「規則」に日本の人が考えてみるべき観点が潜んでいたのでしょう。 いま世界はコロナが社会の意識から遠のくにつれて、経済回復に向かっている。 また繁栄を取り戻す途上にあります。 そこで真っ先にresumeされているのが週四日労働への移行の試みで、試作品というか、まだいろいろやってみないと判らないことがあるが、… Read More ›

  • オール・アローン

      まるで年をとって、身体が弱ってきた人のように、日本は世界についていけなくなっている。 希望に満ちた未来なのか、破滅か、どちらの方角か判らないが、世界は段々歩調を速めていて、もっかは古色蒼然とした20世紀型の国権国家思想に凝り固まったプーチンが、自由主義を伝染病のように恐れて、ウクライナに侵攻してやりたい放題やっていて、これもまた20世紀型の強権国家を目指す習近平が、台湾に武力侵攻したものかどうか、調略では、もう併合できなさそうなので、自分の政治歴に輝かしい金字塔を建てるためには、どうすればよいか、考えあぐねているが、両方とも、行く末は全面核戦争で地球をまるごと死の星にしてしまうのでなければ、やがては思想の古さが災いして、過去のものになっていきそうで、そういう予測がなぜ立つのかといえば、世界中が次第に情報を共有して、お互いがなにをやっていて、なにを考えているのか、嘘をついているのか、真実を述べているのか、判ってしまうようになってきたからです。 著者名どころか、英語だったかフランス語だったかも、もう忘れてしまったが、子供のころ、魔女裁判がなくなったのは近代市民小説が広がったからだ、と書いてある本を読んだことがある。 小説以前は、近所の人間でさえ、彼女や彼がなにをしているのか、どんなことをやっているのか、判らなかったので、いわば基本的な情報の不足から、妄想が起こって、あの家の娘は、夜毎、冷たいペニスをもった悪魔と同衾しているのではないか、と疑いだす。 夜更けに窓に明かりが映っているのは、悪魔を呼び出す儀式を行っているのに違いない、と、確信する。 近代小説が広く読まれだすと、他のひとびとの暮らしぶりや、内心が、詳細に描かれていて、近所の娘が夜毎に会っているのは異形の悪魔ではなくて隣村の若者で、夜更けに燈が灯っている部屋では、その家の妻が、熱心に刺繍をしているだけなのだと判ってくる。 いま世界で起きていることは、やや似ていて、他国や他文化で起きていることがインターネットを媒介にして、大量に情報や知識が流れて、プーチンのウクライナ侵略が良い例だが、いくら20世紀型のプロパガンダで、嘘の情報を伝えようとしても、世界中の人間が検証して、あっというまに真実がばれてしまう。 ロシア政府の主張を信じるのは、20世紀型の国家観を持ち、古い枠組みで世界を観ることから離れられない人間だけで、その自分の姿さえ、情報が共有されていくなかで、曝かれて、明るみに出た世界の複雑さを理解できなくなれば、複雑さに苛立つ人間の常として、もっと簡単に世界を説明してくれる陰謀論に傾いてゆく。 日本は、全体として、世界的な現実認識の共有の外にあります。 日本語のコミュニティのなかで、しかも外を向かず、同心円の中心に向かって立って、お互いの顔色をうかがいながら、20世紀型どころか19世紀型といいたくなる翻訳文化を通して受容した、日本語の形に歪んだ世界についての認識を共有しようとしている。 もともと日本語は言うまでもなく翻訳文化で、翻訳の過程で造語することによって、古代から近世にかけては中国の、近代以降は主に西欧の思考を取り入れ、感情を理解しようとしてきました。 公平に言って、読んで見ると、最近まで、日本の翻訳者は優秀で、遙かな隔たりがあるふたつの言語を、大股開きで、工夫に工夫を重ねて、なにしろ背景、というよりも、地面をなす生活そのものが感覚されていないので、どこかしら絵空事風であっても、なんとかパラレルワールドを提示することに成功してきた。 段々に観ていくと、文学を例にとれば、だいたい村上春樹の世代くらいまでは、文体や語彙選択の好き嫌いは別にして、翻訳文化として成り立っているようです。 ところがインターネットが普及しだして、ネット上の情報の質があがりだすと、もういけなくて、それまででも限られていた世界との考え方や視点の共有が、出来なくなってくる。 そのうえに日本語は、漢文の読み下し文を持ち出すまでもなく、元来、他言語を摂取するための注釈語なので、独自の思考を生みだす部分よりも、思考そのものが古くなっていくほうへ進んできてしまった。 そのときどきのトピックを取り上げて、例をあげれば、トリクルダウンだとか、ジェンダー間の平等であるとか、流通量が伴わない通貨量の拡大のようなものに至るまで、懸命にやっているにも関わらず、どことなく教条じみて、言葉が現実から乖離したものになってしまっているのは、ちょうど権威主義的な老人が若者の考えを鼻で嗤うだけで、理解できないのと、とてもよく似ている。 その結果は、とうの昔に内燃機関からEVに変わっていきつつある世界で、いまだに二頭立てだった馬車が追いつけないからといって、四頭にし、八頭にして、なんとかEVの加速に追いつこうとしている社会になってしまっている。 原理が異なる、という、もっとも根本的なことに気が付かないのです。 世界の進歩の速度が、どんどんペースを早めて、いまはパンデミックで足踏み状態だが、労働日は週4日になり、賃金は、例えばオーストラリアとニュージーランドで言えば、この30年で3倍以上になる、という変化が起こっている世界のなかで、取り残されて、文字通り馬車馬のように働いても、30年、賃金があがらないという、ものすごいことになっている。 さすがに、十数年前に日本語を始めたときのように、これでいいんだ、日本には日本のやりかたがあるんです、という人は観なくなったが、やっていること自体は変わらなくて、賃金ひとつとっても、ようやっと「賃金をあげないと経済はよくならないんじゃない?」と思い当たって、どう政策すればいいか政府中枢に集結した秀才たちが知恵をしぼって考えに考えた挙げ句、政府が「賃金をあげよう」と号令をかければ、賃金が3倍になって、メデタシメデタシの、それこそ20世紀的な国家社会主義経済風の夢を視ている。 このブログを10年くらい遡ると、盛んに、これからやろうとしているこれはダメ、あれもダメ、こうしたほうがいい、こっちへ行かないとうまくいかない、と、まあ、我ながら、うるせえことだが、最近は、あんまり言わなくなったのは、もう、そういう施策を施しても遅いからです。 このままでは日本は貧乏国家になる、と述べている人がたくさんいるが、国家という前世紀的枠組みはビンボでなくても、散々、冨を吸い上げられてきた個々の国民のほうは、とっくのむかしにビンボで、しかもオカネが有り余っていたときに、どこの国でもオカネが入れば真っ先に行う、インフラのアップグレードにオカネを使わなかったので、あれだけの大繁栄のあとならば、そうなっているはずの教育は無償になっていなくて、「家庭の事情で」大学進学を諦める若い人が珍しくなくなって、高速道路は相も変わらず有料で、ステルス化してあるので安泰であるとはいえ、現実は世界有数の税率で、しかも税金を使って行われるはずの行政サービスや補助は、全部「自己責任」で、おまえのカネはおれのもの、おれのカネはおれのもの、を地でいっている、珍奇な政府の下で喘いでいる。 ここで目を近づけて見ると、例えば消費税の話題になると、 「高い? あんた世界を知らないから高いとおもうかも知れないが、ニュージーランドは15%ですぜ。もうちょっと勉強しなさい」 と述べて、教育費が高い、と言うと 「アメリカは、もっとずっと高いでしょう?奨学金だってあるんだから、がんばんなさい」 言われているほうは、そうか、そんなものか、じゃあ、やっぱり日本人に生まれてよかったのね、恵まれたほうなんだな、ニッポンばんじゃい、と思いながら、家計は現実なので逆らえない、夕飯を抜いて、草のように痩せ細った身体を万年床の蒲団のあいだに滑り込ませる。 世界から遮断されたまま、おまえは幸福なんだ幸福なんだ幸福なんだ幸福なんだと耳元で繰り返されて、自分が日本に生まれて幸福だと感じることが、消費税とおなじ義務になっている。 消費税を上げるっていうけど、ぼくの幸福、いまだって10%もないんだけど、とSNSで呟こうものなら、自分が無能なんだからガタガタいうな、という「ぼくが政府」な、気分だけ強者な人が、わらわらと湧いてきます。 技術的なことを述べると、西欧語間の自動翻訳は、長足の進歩で、AIテクノロジーの発達もあって、最近はニュアンスの点でも向上している。 もしかすると、自動翻訳でお互いの言うことを理解しているうちに、逆に、自動翻訳のちからで融合した新しい欧州語が生まれてくるかもしれない、という期待ですら、現実のものになっている。 ところが、もともとグジャグジャ語で、これがいったい言語と呼びうるものなのか、とフランス人たちを訝らせた英語と、遠大な距離がある日本語とのあいだの自動翻訳は、技術では解決できない、膠着語の優柔不断な構造以上に、文明の本質的な相違からくる壁があって、未来永劫、「だいたい、こういう意味」から構造的に抜け出せない。 そのうえ、人間の手になる翻訳も、逐語訳か、さもなければテキトー意訳で、翻訳の質そのものが低下していて、翻案文学で近代日本語をつくってみせた明治の二葉亭四迷や、「ナジャ」を日本語に置き換えるという離れ業を成功させてみせた、ここは文意上、「先生」をつけるわけにはいかないが、やってきたことを考えると付けたくなる、翻訳文化の掉尾を飾った巖谷國士のような日本語そのものにインパクトを与えうる翻訳の時代は終わって、外国人が見ても、なんだかヘロヘロな粗筋書きみたいな日本語文体で、しかも単純な誤訳までいくつもある、凋落ぶりだが、 だいいち世界と思考を共有するために必要な(広い意味での)情報量は、翻訳なんかで追いつく量ではなくなっていて、そう言っては悪いが、またまた文学を例にすると、フランス語圏内の文学研究のレベルには及ぶべくもない日本語ベースの仏文科では、どうにもならなくて、いまの時代に有効な仏文はフランス語ですべてが行われないと無意味であるように思えます。 まして英語においておや。 日本の人にとっては、世界周知の苦手なので、いつも言いにくいが、いろいろに考えても、やはり英語でものを考えて認識する能力をすべての日本語人が身に付けていくしか、日本の窮状を救い出す方法をおもいつかない。 マンガを生みだし、アニメの名作を送り出して、テキストでも「コンビニ人間」のような言語を越えた普遍性の高い作品が書かれている。 ところが日本語の注釈語の出自が災いするのか、サブカルチャーとして英語を中心とした世界に「他と異なるもの」な意味合いで珍重されるだけで、 生みだしている側の日本語は、どんどん衰弱してゆくだけで、いまはもう、瀕死と呼んでいい状態にあるように見えます。… Read More ›

  • 30円の向こう岸

    いつも繰り返しているが、予想屋のようなことを述べる人は、そもそも経済や市場についてのセンスがない。 視点が根元から狂っていて、方向を正しく見定めることのほうが遙かに本質的で大切です。 とは言うものの、この先、生活がどうなっていくのか、知りたいのは山x2なので、ガメ、どうなるんだ?、わたしは、どうすればいいの? なにが出来るの? という質問には、むかしから、割とマジメに答えています。 だいたい述べたとおりになった、というか、そのまんまだったので、将来、尾羽打ち枯らして、日本に流れ着いたら、新宿の路地の暗がりに小さな机をだして筮竹を鳴らすか、大森競馬場の前で、ミカン箱の上に立って、 次のレースは、重馬場だから、4−2だよ!4−2! 天皇賞は、ただでは教えられないから、千円もって、相談に来な! と声を枯らすと、良いのかも知れません。 いま、ちょっと覗いてみると、127円で早々と底を打って、131円を突き抜けようとしているので、対ドル円安は、予想よりも、かなりペースが速い。 前にもちょっと書いたが、コロナ·パンデミックが収束できないでいて、そのうえ、プーチンがウクライナに対して、20世紀型の、大規模な侵攻戦争を仕掛けているのに、「有事の円」と異名をもっていた円がだんだん安くなるのは、未曾有のことで、 テレビの「情報番組」に出演する経済評論家が、ほんとうのことがいえずに、日本の企業やFX投資家がドル買いに走っているせいだとかなんとか、自分でも、あんまり信用していない、「日本のおおきな影響力」という耳に心地よい解説を行うところが目に見えるような展開になっている。 経済の話をすると、知ったかぶりのハエみたいな人がいっぱいたかってきて、嫌なので、経済的背景の説明は、やりたくない。 いままで散々、10年以上にわたって説明してきたので、知りたい人は、過去記事を読んでくだされよ。 日本の人を平均してしまっては、いけないが、数字の上で平均して、ならしてしまうと、50年前のビンボに戻っている、というのは新聞でもなんでも、日本語メディアで、繰り返し、報じられているので、知らない人はいないでしょう。 自分が置かれている経済的状況が把握できないオカネアンポンタンでは、政治や社会について、うまく考えられるわけがないので、いまの世界では、経済を理解する気がない場合には、いっそ政治や社会について考えるのもやめて、心安らかに骨董かなにかに沈潜したほうが良いのだと言われている。 数字上は1972年の経済中進国から経済先進国に変貌しかけていたころの日本で、個人の生活に即して具体例でいえば、「海外旅行」は、一期の贅沢で、お父様お母様、わたし留学したいんですけど、とでも述べた日には、到頭、娘が発狂したと看做されて座敷牢にいれられかねなかった。 グッチもシャネルも、ちょっと銀座で買ってくる、というわけにはいかなくて、もっと後の1985年くらいになると、やりすぎて地元の新聞に「ドブネズミの大群」と書かれたりするようになる行動の先駆けで、団体ツアーでシャンゼリゼに押しかけて、にこやかな、よく見ると目が冷たく光っている店員から、慣れないフランス語で、購入するか、あるは、ぶわっか高いデパートの「舶来品コーナー」で、限られたバラエティから選択するしかなかったころです。 でも、1972年ごろはビンボだとは思ってなかったなあ、と、50年前にすでに物心ついていたひとたちは思うはずで、それはそのとおりで、 経済が毎年すさまじい勢いで良くなってゆく上り坂の途中だった、ということもあるけれども、そもそも世界の経済規模が、いまよりずっと小さくて、流通ネットワークも市場も、いまのようにグローバルではなくて、各国別、と言いたくなるくらいで、 おなじ円の価値でも、痛痒を感じなかった。 なにしろ、海の向こうのおフランスでは、フランは実をとって安いのがいいか国のプライドをかけて高いのがいいか、のおんびりと激論を戦わせていたころです。 1972年というと、1ドルが、だいたい303円から315円を、行ったり来たりしているころです。 えええ? とおもうでしょう? その「えええ?」の内容を、じっくり考えると、特に経済について知識がなくても、通貨の価値とビンボについての相関が判ってくると思われるが、ここでは、省いておきます。 仕組みは、だから、じっくり銘々、考えてもらうとして、結論だけ述べると、 通貨が個人にとって最も影響するのは、簡単にいえば、「その国の経済状況に照らして適切な為替レートと現実の為替レートの差」です。 調べてみれば、あそこにもここにも書かれていることなので、これも説明は省いてしまうが、いまの日本が置かれている経済環境のなかでは、適切なレートは100円弱から110円のあいだでしょう。 適切な、という言葉が判りにくければ、円安は下請けの部品工場も含めて国内に生産拠点を持つ輸出企業にとって有利で、円高は輸入品を消費する個人にとって有利、と単純化して考えても、そんなに的外れにはならないので、そういうイメージでもいいかも知れない。 たいへん大雑把なことをいうと、130円近辺にある、いまの円で収入を受け取ると、感覚している報酬よりも、三分の一近く目減りした報酬を受け取っていることになります。 ちょっと端折りすぎかな。 10万円と思って受け取っている報酬が8万円いかないんですね。 なんでそんなことになっているかというと、「下請けの部品工場も含めて国内に生産拠点を持つ輸出企業」は、実は、企業の1%でしかないからです。 例えばキャノンは、もっか、ウハウハ イエーイで、ボロ儲けなので、御手洗会長は通りで黒田総裁に会えば、手をとって歩道のまんなかでダンスを踊りたいくらい喜んでいる。 岸田首相も、あれだけ儲けさせれば、「来年は、政府のメンツを立てて賃金を上げてね」と言ってもいいよね、と考えているに違いない。 ところが、ところーが。 日本は、やたらめったら中小企業が、というか、いまの世界の水準でいえば零細企業が多い国で、またそれが、じっちゃんばーちゃんが滅法多い職場になる前は日本経済の活力の源泉でもあったのだけど、残りの99%を占めている。 こっちは、ちゃんと英語になっているケイレツ、系列企業なんか持ってないので、例えば電動歯ブラシひとつ作るのでも部品は輸入品です。 原価があがってしまう。 原価があがれば価格をあげればいいわけだけど、低賃金で、切り詰めて設定した、利益率が唖然とするくらい低い商品なので、価格をあげると、たちまち売れなくなってしまう。 あるいは、他の身近な例でいうと、ゲームPCで、身近な例がゲームPCだなんて、あんたはいったいどういう生活をしているんだ、というようなことは、このさいは、置いておいてもらうことにして、いつか日本のPC業界の人と話していたら、ホールセラーの利益率が5%にまで落ちた、というので、椅子からするこけてしまいそうになった。… Read More ›

  • ハムナー・フォレスト

      いつのまにか、ハムナーの森の、深い霧のなかに立っている。 ハムナーというのは、南島の、カンタベリーにあるスパリゾートで有名な内陸の町です。 綴りはHanmerだが、発音は、カタカナで書けばハムナーで、日本にいたとき、いちど、日本のガイドブックにはニュージーランドやイギリスが、どんなふうに書いてあるのか好奇心で、立ち読みしていたら、ほんとうはニュージーランドに行かないで書いたのか、英語がまるきり判らない人なのか、 案の定、「ハンマー」と書いてあって、面白かったことがある。 サーマルプールとスパが有名だが、ほんとうは、小さな町の周りに広がる森林を散歩することが、最も楽しい。 あっというまに、白く、濃密になる霧のなかで、現実世界では、いつもモニさんと一緒だが、ここでは、ひとりで、なんだか魂が半分なくなっているような不安定な気持になりながら、森の奥に向かって、歩いていった。 すると、霧の向こうに、30代くらいのカップルが立っていて、ぼくのほうをじっと見ている。 告白すると、最近は、アジア系の人の顔の特徴のつかみかたを忘れているようで、顔のタイプによっては、見分けがつかなくて、まったく異なる人を、同じ人だと考えて、声をかけて、恥ずかしいおもいをしたりする。 でも見知っているような気がする。 ここにいることを誰も知らないはずなのに、と考えていたら、 「ガメさんでは、ありませんか?」 と声を掛けられた。 ば、ばれてしまった、と、よく考えてみると慌てる理由はなにもないのに、狼狽してしまっている。 だいたい図体がおおきいわりに、だいたいいつも消え入りそうにしていることを心がけているせいで、他の人にとっては、モニさんの付録みたいな存在で、最も一般的な反応は、「ああ、あのモニさんの旦那さん」です。 名前までは、本人を目の前にしても思い出せないらしくて、巧妙に避けて通っている。 親切心をだしてJamesです、とでも言おうものなら、 「あ。モニさんの運転手のかたなんですね」と言われそうだが、考えてみると、この冗談は英語を話す人でないと、判らないので日本語で書いても意味がない。 なにしろ40歳に近いほうの30代になってしまったので、ひとの顔を見れば、だいたい、どんな人か想像がつきます。 さっきアジア系の顔が判別できない、と言ったじゃない、とふくれっ面になる人がいそうだが、それとはまた別の認識システムになっているようで、 この目つきでは側に寄らないほうがいいな、とか、こういう「爽やかな微笑」は詐欺師のものだよね、とか、他人の顔を眺めながら、内心では、ろくでもないことを考えている。 よく、こんなデタラメな顔で、マジメな顔をして話が出来るね、と見ていて可笑しくなる人もいる。 閑話休題。 諦めて、ええ、そうですよ、と答えて立ち止まると、 あなたのブログのファンです、と言われた。 さて、おれはブログなんて書いていたっけ、と訝るが、 相手がファンだというのだから、特に逆らう理由もない。 女の人のほうが、 「ガメさん、もう、いいんですよ」と言う。 もう、どうにもならないのが、判りましたから。 ガメさんが言うように、踵を返して、どこかで道を間違えた近代化の道を、80年なのか、150年なのか、逆戻りして歩いて、そこから出直すしかないのかも知れないけど、もう、わたしには気力がないんです。 一生懸命やってきたつもりだったが、たどりついてみると、随分、奇妙なところに来てしまった。 それは判っているのだけど、間違っていると判ってみても、前にしか行けないんです。後戻りは、辛すぎます。 男の人のほうは、女の人のほうを、気遣わしげに見つめていて、 ひょっとすると、この女の人は、なにか死に至るような病気に罹っているのだろうか、と、ふと、思う。 言葉が出ない。 なにを言っても、目の前の、ひたむきな表情で、懸命に語りかけてくる人に、正面から向き合える言葉になりそうにない。 個人なら、そういう言い方をすれば社会が衰微して亡びてゆくことなどは、たいしたことでもなくて、早い話が、例えば、他の国の、異なる社会に引越てしまえばいい。 最近は、日本では、たいへんな数で起きているケースらしいが、親の介護で離れられなければ、なんとか余力をつくって、必要な能力を身に付けて、 日本にいたまま外国の企業や機関で仕事をするという方法もあります。… Read More ›

  • 十年後

    二十年後なら、英語人ならば誰でもラジオで聴くか、読んだことがありそうな After Twenty Years というO.Henryの超有名な、短編というよりは掌編に近い小説がある。 Ten Years Afterなら、イギリス人が初めに思い浮かべるのは70年代のブリティッシュ・ブルース・ロックのバンドかも知れません。 十年は長い時間で、庭の端まで歩いていって、バジルを摘んでいたら、隣家の裏庭から、「このくそ野郎、たったこれだけかよ。散々、悪い事をして稼いで来たくせに、息子には、端金かよ!」と怒鳴る若い男の声が聞こえてきた。 クルマが走り去る音がして、どうやら、遊ぶ金を無心に、誰かが隣のJのもとを訪ねていたらしい。 誰だろう?と考えて、あっ、とおもう。 Jには可愛くて仕方がなかった息子がいて、あの薔薇色のほっぺたをした、 目があうと、なんだか日本風の御辞儀までして、にっこり笑う表情が可愛かったが、その子供が、小さい人を卒業して、十代の若者になって、父親と折り合いが悪くなっている。 このあいだ日本のテレビドキュメンタリを観ていて、まるで日本語を話す、見知らぬ国がどこかに、もうひとつあるようで、こんなに変わってしまったのか、と息を呑んだが、考えてみれば、最後に日本に滞在してから、12年経っているのだから、当たり前です。 日本語は普段の生活で使う機会はないので、インターネットだけを通じてのつながりだが、今更ながら、自分が見聞きした日本は、もう、ぼんやりした記憶のなかにしかないのだ、と再確認する。 インターネットを通じて言葉を交わすひとたちも、大半の人は、なんとか人生を切り拓いて、事業で成功していたり、特任というのか、数年単位での契約の講師がテニュアの教授になっていたり、なんだか昔、バカ噺に講じていた、話だけではなくて、やっぱり、話してる当人たちもバカなんじゃないの?とむかしの、練習帳ver.5に付いたコメントを読むとおもうが、twitterのDMで話し込むほうは、もっと切実で、奥さんが癌になってしまったり、 親が認知症になって介護にエネルギーをとられたり、 だいたいにおいては、社会のなかで、うまくいって、デザインした未来を着実に実現しているひとばかりだが、それであってさえ、「人間が生きていくのって、たいへんだよなあ」と月並みで、ため息に似た平凡な科白を、洩らしたくなります。 隣家のJにしても、自分が経営する会社が、好景気の波に乗って、たいへんな勢いで、得意の絶頂で、そういう人の常として、話して楽しい人ではなかったが、いつか「子供が宝だというが、ダメな子供に育ってしまったからといって、犬をSPCAの前に捨ててくるように、どっかに捨ててくる、というわけにはいかないからなあ」と唐突に述べて、吹き出してしまったことがあったが、考えてみると、もうその頃には、幼い息子に、嫌な徴候を見いだしていたのかも知れません。 日本を外から望見していて、この十余年で、最も目立つ変化のひとつは、東北大震災が引き起こした「喪失感」について、社会全体が口を開きだしたように見えることです。 初めの数年は、震災を経験しない周囲の人達が、「がんばれ!東北」 「食べて応援」で、妙に明るくて元気な印象を与える掛け声ばかりが大きくて、当の、被災したひとびとは、じっと下を向いて、何事か見えはしないものを見つめているような印象だった。 食べて応援、の舞台裏で、放射能汚染の「風評被害」のせいで、なかなか福島の産物は売れないから、という口実で、半値以下に買いたたいて、表は美談に仕立ててあるのだ、という英語紙の記事を読みながら、ぼんやり、相手を殴りつけながら、これもおまえのためだと述べるような正当化が好きな日本社会の一面を思い起こしていた。 なにしろ最近は、日本語も拾い聞きして、意味がやっと判っている程度で、映画の出来を云々する能力はないが 「護られなかった者たちへ」 という仙台を舞台にした映画を観ていたら、犯人の側も、犯人を追う側も、双方ともに近しい人を震災で亡くしていて、まるで死が共通の友人であるかのように、心を通わせていく。 もうひとつの共通語は生活保護が象徴する貧困で、犯人が殺人を犯す動機も、生活保護を受けさせなかった怨恨だが、死と並んで、貧しさが、 言語にとっては苦手な機能である伝達を可能にしている。 時を経た伽藍が崩れ落ちるように崩壊してゆく社会として、日本が描かれた場合、そのパースペクティブに、日本の姿は、うまく見渡せてしまうように見えるが、この映画もまた、もうどうにもならなくなった日本の姿を、震災という契機を道具にして、可視化している作品のひとつなのかも知れません。 日本の社会から初めに失われたのは言語だった。 正語、と言い直したほうが判りやすい。 ものごとを日本語では現実を言い表そうとする表現に常に齟齬のようなものが感じられるようになった、と思っていたら、あれよ、というまに、日本語と現実のあいだに空隙が生じて、次の瞬間、言語から現実が剥離していった。 言語は言語のつじつまだけで語られるようになって、現実をおいてけぼりにして、すべての発語は、言葉遊びのようなものになっていった。 目もあてられない、というか、プーチンのウクライナ侵攻にしろ、トランスジェンダーにしろ、忍び寄ってくる貧困のような、最も切実な問題ですら、 自分が、この言葉はこうねと、この現実は四捨五入して、こうです、と「設定」して、まるで卓を囲んで麻雀をする昭和の学生たちのように言葉遊びに没頭する。 誰かが不用意なことをひと言いえば、待ってましたとばかり、はい、その失言ロンね!で、教条が好きな観客から点棒をかき集める。 そんなことばかりやっていて、現実の社会は変わるどころか小動もしないので、他の社会が最も基礎的な構造から変わっっていった、人類史に類例のない、この十年間の世界の変貌のなかで、相変わらず20世紀の表情で、百年一日の、体制側には痛くも痒くもない言葉を壁にぶつけて、ひとりで、おれは正義の味方だと言わんばかりに悦に入っている。 取り返しのつかない十年を無効な言語のなかで過ごしてしまったことを、 日本語社会のなかに住むひとたちは、肌で感じているように見えます。 正体は判らなくても、自分の呼吸がだんだん苦しくなってくる、その日本語の大気のなかには、なにかしら、人間性を踏みにじろうとする瘴気が混入していることを、いまは、明瞭に自覚するようになっている。 社会を立て直すのは、もう手遅れだと、見ていて、ぼくは思っています。 くだらない人間が偉そうに正義を振りかざしだしたら、それが日本が亡びるときのサインだ、憶えておきなさい、と吉田茂と宮沢喜一が、別々の機会に、独立に、自分が経験で学んだ日本の変化の徴候の読み取り方を述べている。… Read More ›

  • 木枯らしのなかで

    日本のドキュメンタリを、ひととおり見終わったら、なんだか、寂しい気持になってしまった。 ひとつにはインタビューに答える、街角で偶然出会った人たちが、「真実の言葉」で話しているからです。 なかには「ご職業はなんですか?」と訊ねられて、ふざけたつもりなのでしょう、「詐欺師!」と答えたりして、おにーさん、そのセンスじゃ世間を渡れませんで、とおもうような冗談にならない冗談を述べたりする人もいるが、少し目を逸らせて、「まあ、自分は膵臓癌になってしまったので、会社もいまはたいへんなので、病気なら辞めてもらいたい、というようなかたちですね」と微笑う、口元が凍っている。 丁寧のうえにも丁寧で、厚化粧におもえるくらいに丁寧語を重ねて話す内容は、現代日本語で「言い換え」が発達して意味を弱めて言葉を口にする習慣が蔓延した理由は、これか、とおもうくらい、悲惨を極めている。 迂闊なことに、十数年前に、いまのまま日本の社会を運営していくと、こうなるよ、と、日本語の友だちたちに伝えて、日本を去って、戻らなかったが、十年以上も経てば、述べたことが悉く現実になって、現実になれば、 いま画面を通して目の当たりにしている悲惨が訪れていることを忘れていた。 日本は経済ピラミッドの、いちばん下から、色が次第に変わってゆくように、貧しくなった。 ブログなんかで、何度繰り返し書いたって、誰も聴いてないのだから、当たり前だが、何度も何度も書いて仕組みを説明して、出来れば逃げろ、とすら述べたように、アベノミクスは、一種の貧困層から有り金を吸い上げるサイフォン装置で、そのうえに、自分よりも経済階層が下の人間は、なんらかの落ち度があるから下にいるのだ、という、無惨な思考の習慣を持つ日本社会の悪癖が重なって、公園で無料のお弁当を配る長い長い列の後ろで、マイクを向けられて、「まさか、自分が困窮者になるとは思いませんでした」と笑いながら話す、いかにもマジメそうな眼鏡の40代の人を量産している。 びっくりすることは、いろいろあって、ホストクラブが広まって、若い人で勉強嫌いな人にとっては憧れの職業であるらしいこと、若い女の人が性風俗産業で生き延びるのは、普通のことであるらしいこと、 どうもドキュメンタリ全体の様子から見て、そういう人ばかり選んでいる、というわけではなさそうで、ヒントは、インタビューの初めでは、昼間からビールを飲んでいることを照れて、「やあ、たまには、やんちゃしないと」と笑っていた人が、自分が好きなNHK番組の取材班だと判ると、 「ああ、あの番組の!それじゃあ、ほんとうのことを言わなくっちゃ。ほんとうのことを言います。実は肺がんで、あと数ヶ月なので、ここにいる女房と、ふたりで話しあって、もう好きなことをやっていいよねって、話になりましてね。 いちど来てみたかった浅草に北海道から来ました」と、やはり笑顔で話している。 奥さんも手で口元を隠しながら、ごくごく平静に、ええ、そうなんです、と、カメラを見ずに、呟いている。 泣きもせず、表情すら変えずに、淡々としています。 英語人のあいだでは、少なくともUK人やNZ人のあいだでは、日本人は人間性に乏しい、ということになっている。 ロボットみたい、という人もいるし、つくりものの表情に見える、という人もいます。 ほんとうに、自分たちと同じ人間なのだろうか? 失礼だから、口には出さないが、悪意というのでもなく、普通の常識として、「なにを考えているのだか、よく判らない日本人」は定着している。 自然にしている、ということが日本の人は出来ないのではないか。 それがですね。 街角の不意打ちインタビューでは、ぎこちなさはあるものの、自然の反応で、しかも答えている内容は、往々にして、こちらが涙ぐんでしまうような内容でした。 どうして、そんなに耐えることが出来るのだろうと訝しくおもえるほどの重さのある現実に耐えている。 さっき「日本の人の青い目」という記事を書いていて、明治以来、空想上の西洋の視点から世界を見ることが習慣になった日本の人たちの不運について書いていたが、書いているあいだじゅう、職を失い、住居を失って、病んで、それでも生きようとして路上をさすらう日本語人たちの顔がちらついて、書けなくなってしまった。 そんな文明の仕組みから来た矛盾と機能不全を、いくら書いたって、あのひとたちには、たとえ何かの弾みに目に止まっても、言葉は届きはしないからです。 そうして、その、言葉が届かない、悲惨のなかで悪戦苦闘している人達だけが、「ほんとうの日本語」と感じられる言葉を話している。 義理叔父は「フーテンの寅さん」という映画シリーズが大嫌いで、 「あんなものはクソ知識人が頭ででっちあげた『愛すべき愚かな庶民』で、まったく胸くそが悪くなる」と、なにも、そうまで言わなくても、とおもうくらい 、たいへんな嫌いようで、いちどなどは、取引を求めてきた会社の社長に、いったんOKですと述べていながら、専務だか常務だかが、実は、わたしどもの社長は庶民派でして、「フーテンの寅さん」が大好きなんですよ、と述べた途端、クルマを止めて、「オタクとの取引はお断りします。あんな贋物が好きな社長では、取引したって、ろくなことはない」と、その場でおっぽりだして帰ってきてしまった、という伝説まで持っている。 ぼく自身も映画は、なにより、退屈で、最後まで観られなかったが、 渥美清という俳優は好きなので、そこまで嫌いではないが、 なるほどインタビューに答えている人達は、フーテンの寅さんや「おいちゃん」の対極にいるひとびとで、関西ヤンキー風なバカ語を使いながら、考えは、深みの底に届いている。 どうすれば子供を育てていけるか。 どうすれば明日を食べていけるか。 必死に考える習慣があるからでしょう。 言葉に、現実の底から噴き上がってきたような透明度がある。 酔って、目元がぼんやりしてしまって、ちゃんと居酒屋の畳の上に座れなくなって、身を反らせながら、 「こおおおんな夜があるから、わたし、自殺やめることにしたんですううう。なんちゃって」と身をよじらせて笑いころげる、ひどい歯並びの「キャバ嬢」 少し上目遣いにカメラを見上げながら、ええ、もうこんな生活続けてると、食えねえッスから、とジッと、まるで自分自身を睨み付けるような顔になる、浅黒い肌の、痩せた、「建設業」だという、若い男の人 厳寒の秋田で、200円の蕎麦の自動販売機について、子供のときから、寂しくなると、ここに来るんです。人はいないんだけど、なんだか人のぬくもりがある、と話す女の人がいる。 日本にいたときに、話す相手を間違えたな、とおもいます。… Read More ›

  • テレビ番組のなかの日本

    日本のテレビで放映されたドキュメンタリーを、まとめて見る機会があった。 案に相違して、面白くて、折角ナンバ歩きも、モダンヴァージョンのサムライ言葉もマスター仕掛けていたのに、サムライ技能を放棄して、中断して、 大小のドキュメンタリに魅入ってしまった。 新しいものばかりです。 80年代や90年代のものは、思い入れたっぷりで、感情でびしょびしょで、日本の人は嬉しいのかもしれないが、なれないので、十分間以上、見ているのはむずかしい。 まさか笑ったりする失礼なことはないが、なんだか、くたびれてしまうもののようでした。 2015年くらいから、ぐっと良くなるので、ここ数年のものばかり観ていた。 貧しくなったなあ、と、むかし栄華を誇った友だちの、一時の不運な窮状に同情するような気持があります。 居酒屋のようなところが舞台のドキュメンタリだと、びっくりするほど「ええ。仕事は風俗です」と悪びれずに述べる女の人が、「今年から頑張って、死ぬ気になって仕事をしないとダメなので、この人とは別れることにしました」と述べている。 「この人」と言われた、向かいに座ってる男の人は、寂しそうにビールのジョッキを傾けている。 どういう具合か、そういう人ばかり選んでいるようにも見えないが、女も男も、出てくる人出てくる人、風俗業で、さもなければ派遣で、残りは介護士という印象で、日本には産業がなくなったのか、と錯覚するほどです。 企業城下町で、工場の町のドキュメンタリがあったとおもうと、テーマは工場の閉鎖で、外国や他の町に移れば仕事を続けるチャンスがあると会社から言われた人たちが、同僚同士、寄り集まって、どうしようと話しあって、 やっぱり馴染んだ町は離れられないと結論して、「職探し」という名の無職の状態になってゆく。 「羊のようにおとなしい」と評される、そのどの人もが、思慮深い人の、静かで美しい表情を称えていて、なにごとかを深く期しているのがスクリーンを通して伝わってきて、こちらも、なにげなく観ていたのに、唇が自然と引き締まって、酷ければ歯をくいしばって、なにごとかを必死で耐えなければ、僅か30分の番組を見続けられなくなる。 我慢ができなくなって、涙が溢れ出して来てしまうことになる。 工場の前に街宣車を止めて、「企業の搾取を許すな!労働者の権利を保証せよ!」と、正しい、当然のことを叫んでいる革新政党のひとびとが、ただの薄っぺらい、教条が好きな、暢気な白痴に見えてきます。 新大久保の290円弁当の店の72時間を取材したNHKの番組があって、基本的な語彙を知らずに聞き返したりしているレポーターに嫌気がさして、他のドキュメンタリーに移ろうとしたら、丁度その瞬間に、290円弁当を買いに来ていた人が、「わたしは道路に寝ているんですけどね」と述べるので、手に取ったエア·マウスを止めて、どういう意味だろう?と考える。 「わたしは、ほら、津波で家が流されちゃって、ないんですよ、家が」 だから仮宿泊所が閉じた後は、東京に出て、路上で寝起きしているんですけどね。 教会が週末の慈善活動で、無料で配っている290円弁当を、自前で、もうひとつ買って、このふたつが今日の食事だという。 あるいは、「いまは仕事をちょっと休んでいる建設関係」の人が食堂で、 「復興事業関連の仕事」を、ずっとやってきたが、いざ支払いの段になったら、 「これはボランティア活動だと明記してあったはずだ」と言われて、払ってもらえなくて、それ以来、不信に陥って仕事をしていないのだと述べていた。 なんだか愚かな感想だが、障害のある息子を抱えて夫に早く死なれてしまった人、子供のときに両親に捨てられて、でも親が恋しくて、いまでも会いたいですよ、会えたら、どんなにいいだろう、と淡々と述べている若い人、映像のなかの日本の人達は、ネット上の日本語人たちよりも遙かに陰翳が深くて、なにごとかを懸命に耐えて、前を向いて生きていて、見識をもたず、能力が低いので世界に知られるに至っている日本の顔の「知識人」からは想像も出来ない文明度の高さです。 軍隊では階級があがるほどバカで、下士官が最も賢いと言われて、 経営においても係長までは優秀だが、そのあとは、段々おろかになって、 いちばんバカな人間が社長になる、と冗談に言われる日本企業や、 市井のひとびとは、まともだが、知識人の程度はびっくりするほど低い、と大学でまで教わる日本の、「さかさま社会」を、テレビのドキュメンタリまでが実証している。 なぜ、そうなるのか。 根本の原因の追究をいったんやめて、直截の原因を考えれば、無論、それは他者についての評価が機能していないからです。 社会の批評軸が枉がって、「なにが価値があるか」という判断が出来なくなっている。 おもしろいことに、日本の歴史を遡ってみると、この奇現象はいまに始まったことではなくて、明治の初めから、ずっとおなじであったもののようです。 勝海舟は、将軍からだったか、「アメリカと申す国と我が国との違いはなにか?」とご下問にあって、「アメリカでは賢者が引き立てられ、日本では愚人が引き立てられる」と答えたそうだが、ドキュメンタリでレポーターの質問に応えている市井のひとびと、それも、どちらかといえばビンボで、社会の底辺で喘いでいるひとびとのほうが、人間としての叡知も、矜恃もあるように見受けられて、観ているこちらは一層、日本という国の不可思議に打たれてしまう。 観ていておもったのは日本語社会にはempathyが欠如しているのではないか、という疑いでした。 Empathyは固より、日本語には粗筋じみた意味は訳せても、それがほんとうに意味する「他者を自分のように感じる」本来の意味は、日本語では説明しきれない語彙のひとつです。 英語では、この感情の共有の状態が基本的感情のひとつなのは、北海文明から来ていて、平たくいってしまえば同族の「仲間意識」で、もちろん、人種差別の温床をなす感情でもある。 しかしemapathyが欠落した社会では、他人の痛みに同情するもしないも、感じられないので、倫理的な行動の意味そのものが変わってしまう。 COVIDの前のオークランドの普通の、普段の光景として、下校途中の高校生たちが、余計に買ったハンバーガーとコーヒーを持って、ホームレスのひとたちを両側から身体をすりつけるようにして、談笑して、夕方のひとときを楽しむ姿が、見慣れた風物になっていた。 それは慈善というようなものではなくて、自分がホームレスになったら、道行く高校生たちが、自分を無視するようにして通行していくのは嫌だろな、という単純な気持に起因している。 励ますような言葉は細心の注意で避けながら、ホームレスのおっちゃんを相手に、こんなことが、今日は学校であったよ、いまは、こんな音楽が流行ってるんだよ、ちゅうような話をしたおぼえは、誰にでもあるはずで、ぼくもまた、ホームレスのおっちゃんと、ハムベーコンサンドイッチを食べながら、月を見上げる楽しさを、いまでもおぼえている。… Read More ›

  • ちゃん文化

    見ていると、日本の人は「敬意を保って批判する」のが苦手なのだな、と、よく思う。 相手の意見が自分と異なる、いや、それは違う、と感じると、軽蔑の感情や憎しみの感情を、なんとか相手に伝えようとして、職場や家庭、学校、匿名掲示板のコミュニティでシェアされている相手を傷つけるために念入りに工夫された定型表現を、ぶつける。 最近、朝日新聞はオカネを払って講読している。 けちんぼジェイムズとしては、驚くべきことで、感心してしまうが、 もともとは岡田玄というスペイン語に巧みな記者が書く記事の人間味に惹かれたからです。 異動で日本に戻ってしまったのか、素晴らしかった特派員記事を見かけなくなってしまったが、このブログと付き合いが長い人は、みな知っているように、日本のマスメディアの酷さを何年にもわたって批判してきた目から見て、この人はジャーナリスト魂を持っていて、そうか、日本の社会でもマスメディアが機能しはじめたんだな、と思わせるところがあった。 署名記事が増えて、手元には各社の新聞記者の名前と、良かった記事、ダメだった記事のリストがあります。 Appleから「ジャズ」を買って「Excel」に仕立て直したマイクロソフトの人も、よもや、新聞記者のリストに使われるなんて、お釈迦様でも気がつくめえ、予想外で、岡田玄記者と、なんど目撃しても素敵な名前の國枝すみれ記者を足して平均値をだしたりする用途に使う人間がいるなどとは予想しなかったに違いない。 藤原学思記者という人が、「Qを追う」という連載から始まって、2ちゃんねる、4ちゃんねる、「ちゃん文化」と呼ぶのを知らなかったが、西村博之という人が始めた2ちゃんねるを源流とする匿名掲示板が、もたらしてきた弊害が、いまや、英語に伝染して、キャピトルヒルを襲撃する事件を引き起こすまでになっていることを追究している。 日本語人物像の、良い悪いには、あんまり興味がないが、この西村博之という人は、このブログの用語でいう「ゲーマー族」で、世界をゲームと看做して、「勝てばいいのさ」で徹底している人です。 日本の歴史でいえば、日本を、その考えの薄っぺらなケーハクさで戦争に引っ張っていった陸軍省や海軍省の若手課長級に、発言も考え方もそっくりで、このタイプの人は日本では支配的なちからになりやすい。 匿名掲示板文化なんかが、ちからを持つことがあるの? という気がするが、観察していると、どうやら、面白い原因で、 日本社会は世界のIT化に飛び乗り損ねて、こけてしまったので、 まだ20世紀末のころから、社会を現実に動かしている「ネットが判らない」おっちゃんたちがインターネットに対して、おおきなコンプレックスを持っていた。 わかりやすくいうと「ネットを勉強してます」と述べるタイプの人たちですね。 「社会に乗り遅れてないことを見せる」ことが大事だと考えるタイプのひとたちにとっては「ちゃん文化」の隠語「キボンヌ」「通報しますた」 「www」を共有することが嬉しくて仕方がなかったのでしょう。 居心地もいいし、個々の人間の疎外が、極端に進んだ日本社会にあっては、 人間のぬくもりの暖をとる場所が「ちゃん文化」の炬燵だけだった、という人もいるはずです。 試しに藤原学思記者のツイートをひとつ取りだしてみると、このたったひとつのツイートへのリプライにさえ「ちゃん文化」を支えてきたロジックや修辞、日本語のusageまでが総攬されて、面白いが、うんぬん、デンデンしても仕方がなさそうなので、ここでは意見は述べる気がしない。 https://twitter.com/fujiwara_g1/status/1527879642090196998 ひとつ、これはたいへん面白いと考えたのは 「敬意をもって褒める人」と 「敵意をもって相手よりも高所に立って、見下した態度や軽蔑をもって否定する人」 がいるだけで、議論というものに意味があるものならば、中心的存在であるべき「敬意を保って相手を批判する人」が、殆どいないことです。 相手に敬意をもたないので、怒りも見られない。憎悪があるだけです。 あんまり仔細に見ていないので、「殆どいない」と書いたが、一見は、ゼロ、 皆無であるようにおもわれる。 歴史から学ぶ社会は歴史を繰り返さないが、戦後日本社会は、残念なことに歴史を検討するタイミングが、ちょっと遅かった。 外国語人たちで最近の日本を見ている人は「ああ、あのコースを進み始めたな」と思って見ているでしょう。 日本が破滅的な対米戦争に向かって歩いていくことになったのは、社会自体が「誰もおもっていることを言えない」状況を自分たちの手でつくってしまったからでした。 「そんなことを言ったって、アメリカと開戦したら勝てるわけがないじゃないですか」というひと言が、誰にも、どうしても、言えなかった。 めんどくさいので、いつも日本の「赤勝て白勝て」の癖、と投げやりな表現をしているが、陸軍と海軍で「赤勝て白勝て」フェーズに入ってしまって、 ほんとうのことを、そのままポンと言おうものなら、怒号が飛び、冷笑が満ちて、一瞬で言葉によって処刑される。 陸軍は海軍が「勝てません」と言うのを待って、「海軍がそんなにだらしがなくては、陸軍としても対米戦争に踏み切れない」と述べる機会を待ちかねていて、海軍は陸軍が「自信がない」というのを切望して、結局、誰もが最も望まない対米開戦へ押し流されてゆく。 将軍や提督たちの、このだらしなさが、どこから来たかというと、意志決定上の下剋上が風潮になっていた陸軍省海軍省の課長級がとりまとめた「軍の意志」で、意志とは呼んでいるものの、つまりは感情です。 ここで、たいへんにたいへんに興味深いのは、「ちゃん文化」は、非軍人を「地方人」と呼んだ旧日本帝国軍隊内文化に、そっくりであることです。 どこからどこまでも似ていて、古参兵によるいじめや、コミュニティ内だけで使われる隠語と符丁、集団の最大公約数である意見から外れたことを言うと、袋だたきにされるところ、ウソが公然と通用する風土まで、そっくりそのまま、気味が悪いほど似ている。 旧軍でも、例えばアメリカ軍に較べて、最も異なっていたのは、… Read More ›

  • 鎌倉の休日

    子供のころ、遊びに行きたい、と述べると、鎌倉ばーちゃんは、なんだか枕詞か時候の挨拶ででもあるように 「週末は人で混み合うから、平日に、おいでなさい」と必ず付けくわえたものだった。 二十数年前で、そうなのだから、最近、鎌倉時代を舞台にしたNHKの大河ドラマが流行っているらしいいまは、さぞかし、人でごった返していそうです。 後年、いちど、日曜日に、友だちが住んでいた瑞泉寺から護良親王の墓を通って、鎌倉宮の脇を抜けて、駅まで歩いていったことがあったが、あんなものは初めて見たが、人間が大渋滞を起こしていて、身動きが出来なくて、しかも、片方の観光バスは慣れない運転手だったのでしょう、定期運行のバスと、車道で睨み合いを初めて、人間渋滞で身動きできないまま、頭を雲の上に出し、白髪頭や禿げ頭を見渡した向こうを眺めていると、到頭バスの運転手が降りていって、運転手同士、怒鳴りあいの喧嘩を始めるありさまだった。 だから「鎌倉の休日」と言っても、鎌倉にいたのは、たいてい平日です。 それでも、けっこう人は多かったけどね。 地元のひとびとによれば、人が多いといっても、真実は半数近い人は、白昼もおかまいなく出現する幽霊だそうなので、死人(しびと)も町の賑わい、死せる魂も、鎌倉市の繁栄に寄与しているのかもしれません。 子供わしが鎌倉に行って、なにをしていたかというと、海遊びと山歩きです。 マルボロ·サウンドのQueen Charlotte Track縮小版みたいなもので、天園や祇園山、鎌倉には山歩きの小径が、たくさんある。 町をぐるりと取り巻く低い丘の頂から頂へ、尾根から尾根へ、全部ぐるりと繫がっていて、そうそう軟弱とばかりは言えなくて、特に長い天園のハイキングコースなどは、うんこらしょと、攀じ登らなければあがれないおおきな岩が積み重なったところもあれば、左に折れれば、地元人に「京都から来た新しい嫁さんがいかん」と大層評判が悪かった北鎌倉の明月院、右はたしか横浜の戸塚まで歩いて出られたはずで、距離も十分にあった。 朝夷奈の切り通しを初め、切り通しのある旧道も、大好きな場所で、鎌倉七口、というが、自分では、朝夷奈と化粧坂が好きだった。 最後に鎌倉に行ったときは「東京からのグリーン料金が100円安くなる」と、北条の陰謀を述べる人のように、さも重大な秘密を打ち明ける顔で地元の人が教えてくれる、「通(つう)の鎌倉」で、50km区間の切れ目のぎりぎりの手前の北鎌倉駅で降りて、浄智寺の墓地を通りぬけてしまえば、もう、こっちのもので、なにがこっちのものなのか、さっぱり判らないが、ともかく、空気が森閑として、化粧坂の段々につづら折りの切り通しを抜けて、夕暮れになれば亡霊が現れる、源氏山の日野俊基の墓に出る。 そういう言い方をすれば、鎌倉は丘の上にだけ残っている。 地図を見ても、グーグルアースでも、いくら見つめても判りはしないが、 足を運べば、一瞬でわかる、空気が現代のものでなくなって、鎌倉が寂れに寂れた江戸時代のものなのか、室町時代かは判らないが、 登山帽にヴェストの、「観光制服」を着た日本の人のグループに出会わなければ、木の根が突き出して、崩れやすい足下に気を付けながら歩いていると、そっと、鎌倉時代の霊たちが、寄り添って、手をとって歩いているような気持になります。 町は終電が終わった夜更けが素晴らしい。 おとなになってから、鎌倉を訪問すると、縁側と板硝子の引き戸につられて購入した、あんまり使わなかった家に泊まって、出かけて、いまは自殺して世界におさらばしてしまった絵の蒐集家の友だちと、喧嘩蕎麦屋か魚佐次か、どちらかで午ご飯を一緒に食べて、友だちの家の押し入れから、ちょっとここではあんまり書かないほうがよさそうな、この人の専門分野の絵を引っ張り出して、ああでもない、こうでもない、ガメちゃんね、この絵は、ほんとうはこうなんだよ、と、いつ会っても時間を忘れる楽しさで、終電が近いころになると、駅前に出て、朝まで開いているバーで話の続きに没頭していた。 ケイトという愉快な名前の毛糸屋さんと小町園が並んだ前の道を、ふたりで酔っ払って通って、昼間は、おいしい、あっとうまに売り切れるおにぎりを売っている米屋の角を折れて、妙法寺の墓をめざす。 いま考えてみると、れっきとした不審者だが、異形なので、幽霊だとおもって恐れたのでもあるのか、いちども文句を言われたり通報されたりしたことは、ありませんでした。 鎌倉は幽霊の町だというが、実際に目撃者続出のポイントは限られていて、 腹切りやぐら、まんだら堂、下馬から海に少しおりた、いまでもあるのかな?、消防署があるところで、特にこの消防署のまわりは、むかしは松林があって、「この松林が、やばいんだよ」と地元の人が、嬉々として解説してくれるところで、 「なにがすごかったかって、行けば、必ず出たところがすごい」 という。 お話を聴いていると、だいたい60年代頃の見当であるようなのに、リアカーでなくて大八車だというから、びっくりしてしまったが、大八車を引いて、お使いに行くと、わああああ、という合戦の声がする。 思わず識らず鎧武者の姿が見えてしまうこともあったそうです。 最近、なくなったと聞いているが、この松林があった場所にはマクドナルドがあって、ここでパートのアルバイトをしていた若い女の人は、ある日、ロッカーを開けて制服に着替えていたら、ロッカーのドアの裏についている、例の小さな鏡のなかを、甲冑を着た武士が、すうううっと通って、 「それで、わたし、一日でバイトやめたんだもん」と述べていた。 埋葬された骨を、ろくすっぽ移さないまま、墓地の上に、どおおんとマンションを建ててしまったせいで、亡霊とハウスシェアリングすることになったという噂の山崎の丘や、鎌倉は語源が「屍倉」だというくらいで、死や亡霊と切っても切れない縁がある町だが、それが魅力のひとつでもあるようでした。 義理叔父は、鎌倉の実家にもどると、ときどき幽霊を見ていたようで、 シンゴジラにも出てくる、いわし料理屋を出て、友だちふたりと材木座に向かって歩いていたら、さっき渡ったはずの江ノ電の踏切が、また眼の前にある。 いくら酔っていると言っても、海岸通りの一本道で、いくらなんでもヘンな話だとおもいながら、それでも酔っ払いの暢気で、そのまま歩いていくと、 また江ノ電の踏切があって、あまりのことに、酔いが醒めて、ふと、線路の鎌倉側を見たら、見えるはずのない和田塚の駅が見えて、その向こうの踏切を小柄な馬に乗った武者の行列が横切っていくのが、はっきり見えた、と言います。 なにしろ腹切りやぐらなどは、北条高時以下、何百人という北条一族が、ことごとく切腹して、流れ出した大量の血で、滑川が半日赤く染まったというくらい、血みどろの町で、そのうえ、中世の人にとっても、理不尽な死は理不尽なのに決まっていて、歴史を眺めていると、そりゃ化けて出たくなるよね、とおもう。 カヤックで遊んでばかりいたころは、夏の葉山の明るい海が好きで、空はどこまでもどこまでも青くて、積雲が野性の群れのように、その青空を横切って、もう何度も聞かされて読む方も困るだろうが、鐙摺山の後ろには、雄大な積乱雲が立ち上って、パドルの手を休めて、空を見上げて、バランスを失って、ひっくり返ったりしていた。 陸にあがれば切り通しは、まだまだ中世の欠片で、茂みに覆われて暗い歩いていけば、崖のうえに、潜んでいる甲冑武者たちの姿が現れそうな気がする。 鎌倉市自体は、鎌倉で生まれた人達にとっては、どうやら不満の多い町で、いつか市名を隠してニューズになっていた掲示板で生活保護窓口を隠していた市役所は、鎌倉ばーちゃんのお伴で、いちど一緒に行ったことがあるだけの、ぼくでもひと目で判る鎌倉市役所です。 そのうえ、もともとキャパシティが小さいところに、数度のブームで退職したサラリーマンのひとびとが、そのたびに、どどっと押しかけて住みついたせいで、インフラが間に合っていなくて、まさか名前は書けないが、入ると誰も出てこない、という噂の大病院などは有名で、倒れて、救急車が駆けつけてきて、… Read More ›