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  • 静かになる

    「あら、ナリタがないわね」 2000年の終わり、ちょうど世紀の変わり目くらいだった。 クライストチャーチの交叉点で、いつもの習慣のようなもので、 格安航空券の、行き先別価格リストが貼りだしてあるショーウインドウを眺めていた母親が、一緒に眺めていた妹に、怪訝そうに述べている。 航空券は、手配してくれる人がいて、別に、本人たちが購入するわけではなかったが、ぼくも含めて、信号待ちの時間や、通りすがりに、街のあちこちにある航空券販売の店の前に立って、世界中の街への航空券代を眺めては、 ロンドン行きが安いね。 ロサンジェルスに行く方がオークランドへ行くより安くなるんじゃないか、 ちょうど株式相場を眺めるデートレーダーのひとたちのようにして、変わってゆく価格を見ているのが習慣のようになっていたのだとおもいます。 ロンドンでは、それほどでもなかったが、クライストチャーチ・ナリタは人気路線で、もうちゃんとおぼえていないが、往復で、NZDで2000ドル、そのころはいまとは異なって円が1NZD=62円くらいのことが多かったので、 だいたい12万円で、日本では、とても人気があるのに、対照的に、日本の外ではまったくといいたくなるくらい人気がなかったJALが、 ときどき、売る側がたまりかねたようにして、6万円、というような特価で出したりすることがあっても、人気路線は人気路線で、窓に張り出された価格表に目的地として、50か、60か、ずらりと並んだ名前のなかにナリタがないのは、ちょっとおおげさに言えば、奇異な感じがした。 よく見ると、ナリタに成り代わって並んでいるのはヨハネスブルグで、このあと、いまに至るまで、続いている。 まるで、誰かが、毎日、消しゴムで、少しづつ消してでもいるかのように、日本が、bit by bit、ちょっぴりずつ、姿を消してゆく。 日本語が好きで、いつも日本の変化に興味をもっていた人間からすると、寂しいとまでは言わないが、へええ、こんなこともあるんだなあ、とおもっています。 変化は、ほんとうに、よく注意していないとわからないくらい、ゆっくりと起きてきたが、20年もたつと、振り返って、びっくりするような大きな変化になっていて、特にオーストラリアやニュージーランドではおおきな存在感を持っていた「日本」が、まるで空気のなかに、輪郭から始まって、次第に、基礎まで溶け込んでいくようになくなっていった。 おもいつくままにあげると、まるでお揃いの制服のように、登山帽にベスト、どうかするとチェックの縞のシャツまで、もしかしてパックツアーに含まれているのかしら、と考えるほど似た服装の、日本の団体ツアー客は、子供のころ、1990年代には国中に溢れていたが、しゅううっと、萎むように少なくなって、最後に団体客が大型バスから降りて、シンガポール資本のホテルに、ぞろぞろと、お行儀良く長い列をつくって呑み込まれていくのを見たのは、あれは、2002年のことだったのではなかろうか。 あるいはメルボルンやオークランドのCBD、街の中心部を歩いていれば必ず聞こえてきた若い声の日本語が、いつのまにか中国語や東欧語に変わって、 語学留学生がやってくる国も、ずいぶん変わるのだなあ、と考えたのは、 2005年か、そのくらいだったような気がする。 なにしろ日本語を、やっこらせと学びはじめるきっかけになったのは小津安二郎とジブリとゴジラだが、2014年の「風立ちぬ」は、公開予告があっただけで、海外の反応を見て配給会社が考えを変えたのでしょう、結局、公開されることはなかったし、2016年のシンゴジラは、初日に「南半球最大のスクリーン」という、いかにも田舎国じみた謳い文句のオークランドのシネマに、初日から観にでかけたが、おおきな劇場に、ほんの数人の観客で、二週間の公開予定が、二日で打ちきりになってしまった。 実は、そのずっと前、日本ファンから観て、もっと心にずしんと来る衝撃だったのは、2006年に公開された「硫黄島からの手紙」で、ハリウッドのなかでは好きな監督のひとりであるクリント・イーストウッドがメガホンをとって、英語世界での前評判も上々で、欣喜雀躍、メルボルンのシネマコンプレックスに観に出かけたが、初めこそ半分くらい埋まっていた観客席が、30分も経つころには、一組、ふた組と起って、最後まで観ていたのは、ぼくを含めて、ほんの4,5人にしか過ぎなかった。 潮がひくように、というのがいいだろうか。 すうううっと、音もなく日本が生活の場から消えていって、話題からも消えて、ぼくはこうやってしつこく日本語と、その言語が話されている社会としての日本にこだわっているが、気が付いて見渡すと、生活のなかに、「日本」は、どこにもないようなことになっている。 むかしは、日本人がたくさん世界を歩き回っていて、案外オカネモチで、 日本人を喜ばせてやれば、それだけで家が買えたよ、というような話は、 1940年6月18日にロンドンの地下鉄のホームの仮の塒から出て、殷々と響く戦闘機の爆音につられて空を見上げると、無数の飛行機雲が縦横に流れていて、後にも先にも、あんなにたくさんの飛行機が一度に空中戦をしているのを観たことはなかったよ、と述べる老人の話に似てきていて、そもそも、 そのむかし、日本人はすさまじい勢いで世界中の土地や会社を買い漁っていて、ゴールドコーストを買い占めて、高級住宅地のめぼしい邸宅を手にいれて、出来が悪い娘や息子を留学という名目で住まわせて、毎週、同級生を招いては未成年飲酒の大パーティを開いていたものだった、というような話は若い人がニヤニヤしながら、またそういうホラ話をして、という顔で聴くことになっていて、まして、ロックフェラーセンターをMITSUBISHIがそっくり買い取ってしまったなどと述べても、太平洋戦争では大日本帝国が勝ったのだという「高い城の男」話だと受け取られるのがおちになっている。 いや、そんなことはない、日本ブームですよ、という若い人もいる。 例えばオークランドならばフジロック=ラーメンツアーと、若いひとびとがふざけて呼ぶものがあって、フジロックに行って、帰りに、ラーメン二郎や、一風堂、武蔵、有名ラーメン店をめぐって帰ってくる。 第一、日本は、安い! わたしは大好きなの。 COVIDの前は、毎年遊びに行ってたもの。 東京もいいけど、京都は最高よ。 レンタルの着物にサイズがなかったのは残念だったけど。 安い。頭がいかれてる。人間が礼儀正しくてクールである。 あの自動で開くタクシーのドアがたまらないのよ。 日本は評判がたいそう良い国で、特に若い世代にとっては、二郎を観て死ね、というか、聖地巡礼に近い気持ちで東京へ出かけてゆく人も多くて、 3年続いたコロナ禍が、ほんとなのかどうなのか、見ようにようっては無理矢理に、小さい声でいうと二度目の、「終息宣言」が出たので、… Read More ›

  • 自由への長い旅

    1989年の東ベルリンで、冷え込み始めた11月の夜の街を、ひとりの若い女の物理学者が、いつものようにサウナに入った帰り途、火照った身体が初冬の大気のなかで落ち着いてゆく感覚を楽しみながら自分のアパートに向かって歩いていくところだった。 通りは、いつもの静けさと打って変わってざわめいていて、群衆が詰めかけて、口々に、なにごとか叫んでいる。 なんだろう?と訝りながら、近付いてみると、たいへんな数の、老若男女の大集団が、少しずつ、押しあいながら、もみあいながら、検問所へ向かって動いている。 やがて、だんだん圧力を増した水のちからでダムが決壊するように、どっと流れ出したひとびとの群についていった。 「気が付くと、わたしは西ベルリンの明るい通りに立っていました」 と、後の統一ドイツ首相、アンゲラ·メルケルは述べている。 周りには抱き合って歓声をあげている無数のひとびとがいて、夜空に拳を突き上げて、意味をなさない喜びの叫びをあげている若者達がいて、自然と足がステップを踏み出して踊り始めたひとたちがいる。 若いメルケルは、ひとりで、夜空を見上げて、なんだか茫然としていたが、 そのうちに、涙があふれてきて、周りの情景が、なにも見えなくなっていったそうでした。 生まれてからずっと、シュタージの影が至るところにある生活だった。 10分以上の電話での会話は、ほぼ自動的に盗聴される。 突然、隣人がいなくなる。 現在のシンガポール社会や、少しふざけていえば日本語ネット社会に似て、近所の数軒にひとりは、パートタイムの密告者を務めていて、ありとあらゆる些細な発言が、そのまま命取りになる。 子供のときから、極めて高い知能に恵まれていたメルケルは、最もロシア·東ドイツ共産主義に干渉される可能性が小さい職業に自分を導いてくれるはずの物理学を修めて、念には念をいれて、防御を重ねるためにロシア語を習得して、コンクールでチャンピオンになる。 後年「わたしは、当時、すべての情熱をあきらめた、からっぽの人間でした」と述べているとおり、一方で、メルケルにとっては、折角の研究も、見せかけの最低限の社交性も、ただの「自分という最愛の友だち」を社会から守り通すための鎧でしかなくて、わずかに防備を解いて、自分自身に帰っていけるのは、東ドイツの森林を自転車で駆け抜ける休日のひとときだけだった。 ベルリンの壁は、なんだかこうやって書いていてもバカみたいで、当たり前だが、ひとりで勝手に壊れたわけではありません。 シュタージの監視と、東ドイツ共産党の教条主義による支配に対するドイツ人たちの長い、血でまみれた、抵抗と抗議の行動の結果として、まるで「自由」そのものの圧力で決壊するように、初めは検問所の周辺から、やがては全面的に東西市民たちの手によって破壊された。 象徴的なことに、市民が求めた「自由」は、具体的には「旅をする自由」だった。 周囲の東欧諸国が、全体主義と親和性が高すぎる共産主義に見切りをつけて、次第に自由化に向かって進んでいくなかで、オーストリアへの脱出通過国になっていたハンガリーの国境が閉鎖され、ポーランド国境が閉じて、 ついに、ゆいいつ開いていたチェコスロバキアへの旅行も禁止されることが決まって、東ドイツ人の不満は爆発する。 あれほど温和しく従順だった東ドイツ人が、この年の秋のライプツィヒでは、 9月に8000人 10月2日には15000人 10月9日7万人 10月16日15万人 10月23日には30万人 と、あっというまに通りに出る人の数が膨れあがって、政府はほとんど社会に対するコントロールを失ってしまう。 ホーネッカーに泣きつかれたゴルバチョフは、東ドイツ人共産党幹部を集めて「遅れてくる人間は人生に罰せられる」と述べて、「頭が古い」東ドイツ政治家たちへの軽蔑を隠そうともせず、なんだかびっくりしてしまうが、舌打ちまでしてみせた。 背景には、東ドイツ政府が、幹部たちに対してさえひた隠しに隠していた崩壊寸前の東ドイツ経済があったでしょう。 経済/財政政策上、失敗に失敗を繰り返したあげく、失敗を成功といいくるめて、つみあがった国の借金は、到底、返済の見通しを立てられるような金額ではなくなっていて、強権政治もなにも、そもそも国家の経営が困難になっていて、政府の「経済政策」そのものが、いかにして見かけの経済を少しはまともに見せるか、内部に対してさえ統計のインデクスを操作して、絶望的な病状を、回復可能であるかのように粉飾すること以外には、なにも出来なくなっていた。 そのあとに起きたことは、歴史的に有名で、よく知られた顛末で、シャボフスキーが旅行許可·出国規制緩和政策への変更について、マヌケとしか言いようがない記者会見を行った席で、イタリア国営通信ANSAのリカルド·エールマン特派員が、ただ官僚によって用意された資料を読み上げるだけの会見発表に馴れていたシャボフスキーが会見の目的であったはずの旅行許可の具体的変更点について触れるのを失念していたことを衝いて、 許可の変更は、いつからなのか、具体的にはどういう形で行われるのか、と質問すると、渡された紙に書かれていなかったのでしょう、 「よく判らないが、たったいまから遅滞なく発効する」と応えてしまう。 この回答の重要性に気付いて驚愕したアメリカNBCのトム·ブロコウの「西ベルリンに東ドイツ市民が行けるようになるということですか?」と述べた質問に答えて、慌てて役人が作成した文書に眼をおとしたシャボフスキーは、文脈をつかめないまま、そこに書いてあった 「東ドイツ人は、ベルリンの壁を含む、あらゆる国境通過地点から出国が認められる」という部分を読み上げてしまう。 あれほど頑なに弾圧してきた個人の外国旅行を、ほぼ完全に自由な形で認めてしまった。 会見を、日常的に視聴されていたフランステレビ局のニュースで知った東ドイツ人たちは、三々五々、ベルリンの検問所に詰めかける。 アンゲラ·メルケルが後々まで「夢のなかの出来事のようだった」と述べた 西ベルリンへの「徒歩旅行」は、長い闘争のはてにしては、硬直した官僚主義でボケた政府の、マヌケという以外には表現のしようもない失敗で、あっけなく実現した、このベルリンの壁の崩壊の第一日目だったのでした。 このときメルケルたちが手に入れた自由が、いかに東ドイツ人たちにとってかけがえのないものであったかは、おもしろい形で見ることが出来ます。… Read More ›

  • 変わる世界

    GP、というのはGeneral practitionerの略で、要するに病気のコンシェルジュみたいなものです。 身体に不調を感じて、まず会いに行くのが自分のGPで、このひとが症状を聞いて、判断して、癌なら癌の専門医を紹介してくれる。 GPをやっていた友だちに街で、ばったり会ったら、もう、あれはやめた、という。 日本とおなじで、医師は、世間体も含めた条件の良い悪いを勘案すると、 自分が、どんな「世間」に生きているかにもよるが、まあまあ、よいほうに属するので、なんでまた、と訊いてみると、 友だちはみんな週4日体制に切り替わっているのに、病院は遅れていて、 なかなか週4日と、すっぱり割切って勤務させてくれないのだという。 だから、やめた。 医者は、忙しいから向いていない。 ふむふむ。 たしかにかにたし、とおもいながら聴いて、コロナパンデミックも、いささか強引だが終わったことになったし、また、会おうね、ブロードウェイのパブ? ああ、みんなパンデミックで飲み過ぎるからってアルコールやめちゃったから、ぼくもやめちゃったんだよ。 ペリエで付き合うのだったら、いつでも歓迎だけど、と述べて、別れた。 ここ最近の世界で、静かだが最もおおきな変化は、「働き方」であるとおもわれる。 ふたつのおおきな潮流があって、ひとつは英語諸国の「週五日勤務から週四日勤務」へのおおきな流れで、賃金や企業が提供する福祉厚生は、そのままで、もちろん残業も増えたりはしません。 やってみると、案外、コロンブスの卵というか、案ずるより産むが易し(←この諺、ほんとですか?)というか、案外なもので、週5日でやっていたときと企業側から見た生産性が変わらないので、いまは数百社単位で参加している社会実験の段階だが、どうやら一挙に普及しそうです。 もうひとつは、フランスやオランダ、大陸諸国の「週三日型」で、こちらは 、ひとつの教師なら教師の職能をふたり以上で分担する。 賃金は、月に60万円程度だったのが、4割減の36万円、というような例が多いようです。夫婦で働いて、70~80万円なので、暮らせなくはない。 老後は、なにしろ欧州のことなので、高い税率の代わりに、国が面倒を見てくれる。 慌てて大事なことを書き加えると、週三日型に移行しつつある国では、パートタイマーと正社員が完全に同格で、労働組合にも加入していて、区別がありません。 このふたつのおおきな潮流に加えて、これはなぜか国別に様相が異なるように見えるが、コロナパンデミックが起源の在宅勤務があわさって、 働き方は、そういう言い方をすれば「激変」といっていい変化のさなかにある。 十何年か前、まだ日本に1年のうちの数ヶ月住んでみたりしていたころに、 日本社会では革新的で新しいことをどんどん取り入れている、という評判の会社の社長さんに、当時はまだ「考え方」に過ぎなかった「週4日勤務」の話をしたら、しばらく、じっと考えていたが、 「日本では、無理じゃないかな」という反応だった。 生産性は多分おなじか、むしろ効率はあがるだろう、三日間の休みがあれば、個人として地面にしっかり立つ生活の構築も出来るし、勤勉な人は労働移動にも使うでしょう、と述べたあとだったので、その聡明な社長おっちゃんからの予想外の返答にちょっと驚いたのをおぼえている。 もしかすると用語を知らなかった人がいるかも知れないので、唐突に付け加えると、「労働移動」というのは、例えば自動車の熟練工がプログラマとしての技能を身に付ける、というような仕事の内容の変更の過程を言う言葉で、IT化が急速に進む一方で若い世代の人口が減っている先進国が生き延びていくためには、必須と意識されている概念です。 当然、国の積極的援助が必要で、例えば自動車などの工業製品の生産に偏ってIT化がひどく遅れたドイツでは積極的に進められている。 国際産業構造のなかでドイツと似た位置にある日本でも行われているはずだが、実際に行われているのかどうかは、知りません。 (閑話休題) 話をもどすと、ふだんは、開明的で賢いので、話していて「おおっ」とおもうことが多いおっちゃんは、しかし、週四日勤務については悲観的で、 「日本の人だと、休みが一日増える、というだけの結果になるんじゃないかな」と不思議なことを言う。 週二日の休みが週三日になるんだから、あたりまえですがな、とおもって聴いていると、 「増えた三日の休みのあいだ、家族に邪魔だと疎まれながら、ただゴロゴロしている可能性がおおきい」 「いまの週2日でも、もてあましている人がおおいからなあ」 それは、中高年だけの話なんちゃいますか?と訊いても、 いや、若い人も、たいしたことはやらないのね、と教えてくれます。 オカネがもったいない、という気持ちもあるんだろうけど、… Read More ›

  • 日本語のための前書

    もっかは移動中だが、特に移動している途中だから日本語から離れている、というわけではなさそうです。 興味がなくなったのかというと、そういうこともなくて、ただ、なんとなく、漠然と「日本語習得も、次のステップに行かないとしょうがないよね」とおもっている。 いくつかの記事で、日本語と付き合ってきた14年をふり返ってみようとおもって書き始めています。 明日か明後日にはアップロードするタイミング/時間の余裕があるのではないか。 例によって例のごとく飽きてしまうかも知れないし、読み返してくだらないとおもえば、他の多くの記事とおなじ運命を辿って、あえなく削除されるかも知れないけど。 以前になんどか述べたように、日本語は、視覚的美を動態をもって描写できたりして、美しい言語で、いやいやどうも、どうもどうも、と名刺を交換して、ひきつづきお近づきになりたい程度には付き合っていきたいとおもっているが、他言語同様、欠点も数多あって、例えば、そんなものは二世代程度もあれば改善されるに決まっているが、もっかは社会がボロボロで、 なぜボロボロかというと、社会の中心になってきた一定の世代が、善意の持ち合わせがなくて、悪意だけで、ある人が「ムダに頭がいい」と述べたけれども、その通りで、 全般に賢いのはいいが、その賢さをろくな目的に使わない。(失礼) このブログに何度か登場した どんな人間を社会が求めているかという大学を卒業する若い人たちへの、投資ジジ、ウォーレン・バフェットのスピーチ ““You’re looking for three things, generally, in a person, intelligence, energy, and integrity. And if they don’t have the last one, don’t even bother with the first two. I tell… Read More ›

  • 開いたドアの向こう側に

    いつかは、こうなる、と判っていたことが、ついに始まっただけとも言える。 安倍元首相暗殺が引き金になる、という意外な始まりだったが、その衝撃で社会全体が、ばっきり折れてしまったような感覚があります。 こういうことは特に、社会のなかにいても判るわけはないし、外から見てると、こういうふうに見えるのだ、と言われてもピンとこないのも判っています。 だいたいいつもは、日本語のなかにいる人達に判るように書いて、理解してくれる人も多いが、今回は、そうは行かないのも予想がつくような気がする。 もしかしたら、なにを言われているのかも判ってもらえないかも知れません。 社会全体に激しい思い込みが出来てしまうことがあって、しかも理知的なスタイルを好む民族は、それを理窟で補強して、鉄壁の思い込みをつくってしまうことがある。 歴史上、最も有名なのはドイツ人たちのナチ思想でしょう。 アーリア人なる架空な概念をつくりだして、科学的に証明された現実だと考えた。 いま振り返って考えると、バカバカしいにもほどがあって、人種によって優劣があると考えた。 無論、DNA解析が発達したいまでは、人種によって能力に差があるというのは、まったく根拠のない迷妄だとわかっています。 しかし、ドイツ人たちは、そうはおもわなかった。 ユダヤ人たちを探しだし、ひきずりだして、どんどん強制収容所に送り込んだ。 ユダヤ人を銃弾で処刑するためのコストが高すぎるのがわかると、なるべくコストが低い殺人方法を研究してガスチェンバーという、いちどに安価に殺す方法を考案した。 それだけでも十分、狂っているが、ついでにスラブ人も劣等民族とみなしていたドイツ人たちは、東方に眼を向けて、スラブ人を皆殺しにして、余った土地にゲルマン人の王道楽土を作ろうとしてバルバロッサ作戦を発動します。 狂気の沙汰、という使い古された古い日本語が、そのまま当てはまるような行状だが、当時のドイツ人は、おおまじめだった。 自分たちが正しい、と信じて、疑いをもたなかった。 あるいは近いほうに例をとれば中国の文化大革命がある。 不倫の果てに、毛沢東と結婚するために交わした延安での中国共産党幹部たちとの約束をいったん反古にすると、元俳優らしく芝居がかったことが大好きな江青は、物理学者で四カ国語に堪能だった劉少奇夫人、王光美への激しい嫉妬心をエネルギーにして、大躍進政策の失敗で、まったく国民の支持を失って、劉少奇に、お株を奪われた夫の毛沢東と共に、 考えてみればバカバカしいような私怨を晴らす意図を隠して、 「文化大革命」という政治運動であるかのような装いを凝らした復讐劇を開始する。 中国の歴史では、ときどき有ることだが、国民を道具にして個人的な恨みを晴らすという、気が遠くなるような政治的不誠実さを発揮します。 造反有理 革命無罪 詩人の夫と俳優の妻は、「先行世代は革命に参加して建国したが、我々には出来なかった。いまこそ第二の革命に参加できるときが来たのだ」と考えた若い世代を焚き付けて、壊し、なぶりものにし、殺していきます。 政治と熱狂が結び付いて荒れ狂うことによって政治体制が変わる、顕著な特徴をもつ中国人民を知り抜いた、毛沢東の知恵だったでしょう。 このカップルは、当時、世界的な名声と人気を博していた劉少奇と王光美を追放することに成功する。 大切なことは、文化大革命は燃えさかりだすと、誰も疑わなかったことで、 実は毛沢東と江青の個人的野心の計略であることを見抜けた人は鄧小平を初め、ほんの少数の人間でしかなかった。 国民集団が疑いをもたずに誤った考えに囚われると、誰が、どんなに上手に説明しても聞く耳をもたないことを熟知していた周恩来は、自分を抑えて、優柔不断と罵られながら、秘かに鄧小平や宋慶齢を断罪の魔の手から逃れるように手を回したりして、 「やがて真実があらわれるときのために正しい考えの芽を残しておく」ことに専念しだします。 状況が逼塞しているときに、誰にでも判りやすいおおきな不正が明らかになったときが、社会は最も危ない。 社会と言えど人間が構成しているものなので、なにも解決できずにイライラが募る社会では、判りやすい醜聞に一斉に飛びつくことは防ぐことはできない。 長い経済不振があり、ダムが決壊する寸前のような病んだ財政があって、そのうえにコロナパンデミックまで荒れ狂いだして、なんだか、別に日本人じゃなくたって、狂いだしたくなるよ、という状況が一方にはあります。 しかも、こればかりは、いま一時的に正しく見えている、ということではなくて、軽く、たいしたことではないと見せようとしているマスメディアや政府の努力にも関わらず、隠しようもなく、覆いようもなく、カルトというものが常にそうであるように、カラクリを聞かされると、なんとなく信じることがマヌケであるように見える、いわばエセ宗教が実は政府を構成している与党を牛耳っていたというのは事実で、明らかな不正が事実なのだから、 これにいっせいに飛びついて、悪を退治しようとするのは当然でもある。 ところが、遙かな遠くから日本を観察している観察者にとっては、図式として、最悪で、解決しなければならない問題が山積の頂点に達した、ちょうど、そのときに、二発の銃弾が、日本の支配構造の実相を曝きだしてしまった。 しかも、もちろん早急に解決されなければいけない問題で、それなのに、日本の人のいまの習慣として大規模デモは打てず、次の選挙までの3年間、有効な民主手段は皆無で、ただ無効と30年にわたって証明されている、ゆるい、水面下での徒党の党派性を背景とした、「言論」に拠って異を唱えることしか社会として方策を持っていない。 構造として、どうなっているかというと、向こう3年は、国の生存能力の回復とは見当違いの社会不正の是正に、大きなエネルギーを使わざるを得ない羽目に陥っている。 何が悪かったのか? 運が悪かったのだ、と言うと、おまえ、そんなことを言って巫山戯ている場合か、と罵られそうだが、観察者の正直な感想は、それで、理窟はいくらでも立って、「何もしないためなら何でもする」で頑張り続けた結果がこういう形であらわれたのだとか、まともな左翼/リベラルを育てられず、なんだか幼児的な、真理を求めるよりも相手を陥れることを目的とするような、ワイマール左翼より酷いね、といいたくなる反体制勢力しか育てられなかったことや、その左翼/リベラルの、人気を増大させる餌と呼べばいいのか、「論争」することによって、いっそう左翼/リベラルの議論の程度をさげることにおおいに貢献した右翼政治家やネット上の自称右翼のトンチンカンな中年の幼児たちが、様々な国に見られるように、逆に政治的言語そのものへの不振を招いて、いまの事態は、山上徹也の銃弾を待っていたのだ、とか、どんなふうにでも説明できるが、そうした一切合切を含めて、どんな社会にも「運」があって、日本は、運が悪い時期にさしかかっていて、… Read More ›

  • 日本語友への手紙

    日本語には文系理系というヘンテコリンな区別がある、と、むかし書いたら、どうして、お前は、そんなことにまでケチをつけるんだ、そんなに嫌いなら日本語を書くな、という人が複数あらわれて、ぶっくらこいたことがあったが、いまは普通に区別がヘンテコリンだとおもう人も増えたようです。 あんまり指摘されないが、文系理系と分けてしまうことの実害は、もうだいぶん前から出ていて、例を挙げると、日本の「経済学者」が「文学部経済科」などと揶揄されるのは、微分方程式すら使いこなせない「経済学者」が多いからで、これは傍でみていても、なんだか心理学者みたいなことを言っていて、無理もない気がする。 実際、日本からやってきた秀才留学生のなかには数学がどうしてもダメで HBSで落第の憂き目を見る人もいるようです。 一方では、特に統計に強い「理系」の人は、統計知識を悪用して、説得力の代わりにして、経済や、日本の医師って、どうなってるんだ?プライドないの?とおもわせるパンデミックを対象に、当たるも八卦、当たらぬも八卦の占い商売を始める人もいて、世界の「先進国」のなかで、ゆいいつ、ド素人のアドバイスを信じて、家計や自分の生命を賭ける、すごいことになっている。 あれはね。 日本の「理系」の人が品性などは、ぜんぶ人文系の負担ということにして、どっかに置いてきちゃっる人も多いからで、その結果、周囲から受け入れられないのを根にもっちゃったりして、どうも、たいへんなことになっているように見えます。 お温習いをすると、日本語は危機的な状況を通り越して、瓦解が始まっている。 それこそ、「理系」の人には判りやすいが、人間の認識というものは、容易に欺かれるもので、いったん、ひとつの角度から「こう」と見え出すと、もう他の見方が出来なくなる、というのは、長いあいだ盤石だった天動説理論や、あるいは社会ならば、あんな世界中が口あんぐりのデタラメをやっていて、本人たちはオオマジメにアジアの解放のためだと信じて、中国大陸で女のひとたちを追い回して熱心に集団強姦に耽ったり、あるいは巨大な要塞じみた建物を建造して、その真ん中の、外からは絶対に見えない棟で、京都大学医学部や東京大学医学部の「秀才」たちが、生きたまま中国の人を解剖したり、寒空の下で、裸にして、でかい扇風機をまわして、「マイナス2℃でも、二時間冷風にさらしておくと、足指が凍傷で黒くなってもげますね。 いやあ、この学問データはすごい」なんてやっていた。 挙げ句のはては、聖戦だとかで、悲愴な面持ちで、遙々ガダルカナルまで出かけて、15000人だかの若い人が餓死する。 それだけの無茶苦茶をやって、しかも、それでも自分たちは正しかった、と信じたのが、満洲経済の立案者岸信介であり、日本を戦前からの一貫性に引き戻した、孫の安倍晋三でした。 前にも述べたが日本語はtwitter王国です。 たしか1位のアメリカが4900万人で日本の3700万人が2位、ちゅうようなことだったとおもうが、内容を検討すると、アメリカの場合は、使い方がほぼ企業や機関、有名人たちの周知に向かっていて、周りで毎日観察しているマスメディアがニュースになりそうなtweetがあると、わっと飛びつく、という形になっている。 残りは、例えばアフリカンアメリカの文学について紹介しあう、という程度のサイズのコミュティで、これは、ちょっとむかしの「ちゃん文化」の目立たないスレッドと行き方が似ているかもしれません。 日本のtwitterのおおきな特徴は、「議論の場」を目指したことで、ところが、これが惨憺たる状態に陥ってしまっている。 Twitter党派とでも呼ぶべき人間のネットワークを築いて、党勢拡大に邁進して、目障りな他人は誹謗中傷を武器に蹴落としていく。 ネトウヨと呼ばれる人たちや、オタク族の手法だったのが、自称左翼や進歩派にも伝染して、編集者や出版社を巻き込んで、テレビにも進出するのは、もうすぐでしょう。 よく名前を知らなくて困るが、太田ヒカル、やマツコ、みたいな名前の、よくtwitterで「さん」づけで敬意を込めて呼ばれる「御意見番タレント」の前で、したり顔で「現代社会」を解説する、うーんと、日本の人の好みからするとアカデミアを背景にしたtwitter有名人、というような図式が、眼に見えるようです。 一方で、なるほど紙面や報道タイトルを見ると、いま日本でずいぶん話題になっているムーニーズについての言及が不自然に少ない朝日新聞やNHKが、ガンガン口を極めて非難されているが、自分たちがつくっている国の報道機関である以上、実は「朝日新聞」をまるごと非難したり「NHKをつぶせ」と述べたりするのは、自分の腕をへし折り、コンクリートの壁におもいきり頭突きを食らわせているのと変わらない行動で、では、どうすればいいかというと、こういうときこそ日本の人に顕著な思考傾向の「相手の内部事情を考える」習慣を発揮すればいい。 例えば朝日新聞の記事を、パッと見てわかるのは、すぐれた記事にオバカな見出しがついている例がたいへん多いことで、そこから判ることは、現場の記者がジャーナリストたらんとしているのに、それを管理する側に、かなりの問題が発生している。 NHKでいえば、東スポのほうが信頼性が高そうな報道番組の傍らで、世界的な水準にある、調査を重ねて足で稼いだドキュメンタリ番組がある。 だから、もう少し的を小さくして、自分たちが信頼できるジャーナリズムを育てていかなければダメですね。 もっと具体的にいえば、前にも何度も述べたように、「朝日新聞によれば」ではなくて、「朝日新聞の〇〇記者が書いていた記事では」と、受け手の側がひとりひとりの記者の名前を記憶するように努力することから、おおげさではなくて、民主社会としての日本の歴史は始まるのだとおもってます。 個人の側からすれば、しかし、いまの時点まで来てしまうと、やれることは、そのくらいでしょう。 Twitterでいえば、最近の顕著な傾向は、およそ価値があるような意見や情報はDMに集中している。 友だちでいえば、だんだんメルヘン世界のドアを開けて木洩れ日のなかに彷徨いでる雰囲気になってきた「森の人」巖谷さんや、ほんとうは眼が据わった剣客のような、抜き身の妖刀のようなところがある一色登希彦さんは、公開で意見を述べることを気にも留めていないが、あとは、フォローの関係とは別に、著名な人は特にDMで突然話しかけてくることが珍しくなくなった。 DMを公開してしまう人は、よっぽど倫理が崩壊している人なので、つまり非公開で意見を尋ねられているのでしょう。 数年前まではDMなど、「そういう機能も付いてるんだ」くらいにしか考えていなかったことをおもうと、隔世の感があって、それだけ日本のネット言論がダークサイドに落ちてしまったことを示している。 Twitterの変容で、最も割を食っているのは、「知」を求めてアカウントをつくっている、参加者で、「ちゃん文化」や「はてな文化」に中身が取って代わられた日本語twitterでは、自分たちより一次元上の知に触れることもかなわなくなってしまった。 実際、旧態依然の「ネット論客」以外は、日本語のtwitterもまた、英語に倣って一個の巨大TVコマーシャル装置のようになっていくでしょう。 いま、ようやく「SNSっぽく面白いひとたち」があらわれて、背景になっている「ちゃん文化」から、ぞろぞろとついてきた、上限を数万フォロワーとするアカウントの「ネット有名人」とは別の世界で、あっというまに、十万、二十万というフォロワーを獲得しているが、あれも、比較的短期で色褪せて、 催しやパフォーマンスの周知、講演のお知らせ、出版のお報せ、が並ぶようになっていく。 案外、それがやはりtwitterの本来の姿であり、限界なのかもしれません。 自分の使い方を話さないで観察ばかり述べるのは狡いので、自分では、どうしているかというと、youtubeが主なプラットフォームということになるようです。言語は、なにしろひとりでくっちゃべっていても、根が退屈な人間なので、他の人の登場も必要としていて、そういう事情から英語になってしまう。 その次になると、もう記事を書いたり本の出版とかで、こっちも気安さの関係から英語。 スペイン語でも書くが、いまは英語に興味が回帰してきたので、自分の家に帰るというか、まあ、やっぱり居心地がいちばんいいよね、とリラックスしはじめたところです。 別に、はっきり言ってしまえば、エラソーだが、そういうことでオカネを稼ぐ必要があるわけではないので、なんだかテキトーで、それが返っていいほうに働いているのかもしれません。 いまはtwitterはおろか、ネットの外での友だちになっている日本語人もたくさんいて、例えば、そのなかのひとり、イルリメ、鴨田潤さん、 フルネームで呼ぶと、なんだかヘンですね、… Read More ›

  • 8月15日のメモ

    1941年、大日本帝国が、天皇も含めた指導者層全員が開戦に反対だったのに、アメリカとイギリスに対して開戦した事情を知らない人はいないだろう。 「負けるかもしれない」という、ただひと言が言えないばっかりに、誰ひとり勝てると思っていなかった戦争を始めてしまう姿は、さすがは日本、とおもう人もいるだろうし、あんまり日本の人の心の構造を知らない人は、 どうしたら、そんなに愚かになれるのか、と訝しむに違いない。 アメリカのほうからいえば、いまのマレーシアくらいの国力の国が、オラオラして追いつめたら、ついにキレて、勝てるはずのない戦争にたちあがった、くらいのことだった。 計算と異なったのは空母に長大な航続距離を持つ単発機を詰め込んで、遙か彼方の敵根拠地を叩く「空母攻撃群」という史上初めての軍事思想を日本人は持っていたことで、予想外のこの能力のせいでアメリカは危うく一時的に太平洋を失うところだった。 当時の日本はGDPの8割(!)を軍事費に注ぎ込むという、とんでもない国で、その軍事優先のデタラメな財政のせいで、国内の国民の生活は、破綻どころではなくて、ちょっと田舎に行けば生まれた娘は売春婦に売りとばすのが当たり前、東北では白い飯など見たこともなくて、いま考えると、ちょっと想像を絶するが、米作中心の農業国家であったのに、米を作っている当人は米を食べるなんて贅沢は望むべくもなくて、いまなら鳥の餌としてなら実見することができる粟や稗を食べて、かろうじて生命をつなぐありさまだった。 日本にいたとき、カレーライスを見るたびに、そのメニューが、あまりの貧困のせいで、体格が劣弱で、病気がちだった徴兵された若者たちの健康を心配して、というよりも、これじゃ兵器として使いものにならねえぜ、で、一計を案じた軍部首脳が命じてつくらせた「洋食」であったことをおもいだしていた。 なにしろ白米そのものを見るのが初めての新兵たちは、その折角の「銀シャリ」にカレーをかけて「汚して」しまうのが惜しくて、別々に出してくれればいいのに、と残念がった人も多かったようでした。 絹と米以外には産業がないビンボな農業国は、再投資にまわすカネなどなかったので、隣の満洲を侵略して開拓団を送り込んで帳尻をあわせようとする。 「開拓団」というと、まるで原野を切り拓いたようだが、これが後々の少女売春を「援助交際」という居直った言い換えで誤魔化してしまったのと同じ、言葉の手妻で、現実には、もともと農場を営んでいた満州人や中国人を武力で追放して、次次に乗っ取っていったケースが大部分で、その恨みが、敗戦のときの集団リンチや強姦となって返ってきます。 満洲さえ取って、維持していれば、軍事費に入れ込んだオカネの分は、なんとか埋め合わせが出来るという計算だったが、そこが軍人たち中心の首脳部の浅知恵で、台湾が黒字なのだから、その数倍は儲かるはずだと踏んだ目論見は見事に外れて、反対に、毎年毎年、本土から持ち出しの、赤字の泥沼にはまりこんでゆく。 どうにもならなくったときに、遠い欧州で、日本の救世主のようにあらわれたのがヒットラーで、当時の陸軍最強国フランスをあっというまに打ち破って、それまでは大阪の維新の吉村知事みたいなもんじゃないの、と眉唾だったのが、ドイツ国民の国民を挙げての非望の願いだったフランス打倒をあっさりと成し遂げた途端に昨日の吉村が今日はフューラーになって、 ほとんど神のような神秘的な存在になってゆく。 フランスが遠いアジアの植民地どころではなくなったので、これ幸いとばかり仏領インドシナ、いまでいえばカンボジアやベトナムがあるあたりを、とっちまえば、いくらか赤字の補填になるだろう、で、火事場泥棒そのまま、進軍して、分捕ってしまいます。 簡単にいえば、これが誤算で、フランスのものを分捕ったって、アメリカが怒るわけないよね、とおもっていたのに、アメリカが「国際秩序」という日本語では語彙の意味の欄が空欄になっている空疎語をもちだして、日本政府首脳には理解不能な激怒で、ええええ…えー!の「え」をいくつ連ねても表現できないくらい日本政府が、ぶったまげたことには、石油を全面禁輸にしてしまう。 このころの日本は、国策が、そもそも論理的に破綻しているんじゃないの?なヘンテコリンな政策で、「富国強兵」と言い条、富国は言葉の綾みたいなもので、徹底的な強兵政策です。 原理主義的で過激な北朝鮮というか、北朝鮮は一説にGDPの16%にも及ぶ軍事費を軍備に注ぎ込んでいるのではないかと言われているが、はっはっは、そんなんあまいやん、日本人の目が据わったときの怖さを知らんのか、というか、日本はなにしろGDPの70~80%が軍事費で、武士は食わねど高楊枝、百姓は噛みしめる楊枝もないので、泡を吹いて死ねで、ともかく有り金をつぎこんで強大な軍隊をつくりあげた、その軍隊の仮想敵国はアメリカで、そのアメリカから輸入している石油で戦闘機を飛ばし、戦艦を動かすという、なんだかよく判らない仕組みになっていました。 頭のなかでは、どう解決していたかというと、とにかく南へ南へと勢力をのばして、オランダの油田に届けば、一挙解決じゃん、ということにして、 「それまではアメリカは激オコにはなりませんから。アメリカって、そんなことに目鯨たてる国じゃないのを、きみは知らんのかね」で、南インドシナに派兵したら、絶対に怒らないはずのアメリカが、怒らないどころか、 無茶苦茶に怒りだして、石油を全面禁輸にするという「絶対に起こるはずがない」前提を覆す行動に出てしまった。 ええ。 改めて聴かされると、耳を疑うでしょうし、なんという情けない、と思いもするでしょうが、よく知られているとおり、このあとの論理の展開がすごくて、アメリカが石油をくれないなら、1年で軍隊を動かせなくなるので、 いま戦争をやろう、という、えええ、な結論になるんです。 そうでないと、兵器にも賞味期限はあるし、国の産業が軍隊しかないので、国の経営がやれなくなる。 だから戦争しようね、ということになる。 ひとつだけ困ったことがあって、当時のアメリカは例えば陸軍はポーランド陸軍とならぶ22位だかの戦力で、軍事弱小国だが、それはなぜかといえば、富裕を極めるどころではない当時のアメリカと戦争しようというアンポンタンな国が存在するわけはなかったからで、ひとりだけアメリカとの戦争を覚悟していたヒットラーも、アメリカが戦争に参加するのは1970年代より早くはない、と計算していました。 戦争を始めちゃって、アメリカが兵器を作りだして、動員令をかけたら、勝てないんじゃない?という疑問を持つ人は昭和天皇ヒロヒト以下、たくさんいたんだけれども、アメリカが戦備を整えるのは早くても半年後だから、それまでに、じゃんじゃん勝って、和平条約を結べばいいじゃん、ということになった。 もし半年経って戦争が終わらなかったら、どうなるんでしょうか?という声は出なかった。 「負ける」に決まってるからです。 でも、もう戦争やるっきゃないんだから、いいや、それで。 やろうやろう、戦争やっちまおう、で始めてしまったが、誰も勝つとおもっていないという、世にも不思議な戦争に、日本は入っていきます。 主戦場は欧州で、副戦場はスエズ運河攻防戦で、太平洋は第三戦線です。 なにしろヒットラーに率いられた、というか引き摺られたというかのドイツ軍は、もうめっちゃくちゃな強さで、Might and Magicのブラックドラゴンよりも、まだ強くて、特に当時の、イギリス軍のおちゃらけた兵器では対抗しようもなくて、スピットファイアだけは、まあまあ、まともだったが、というか、お国贔屓ですけど、優秀機だったが、当時戦闘機パイロットだったロアルド・ダールの乗機などは複葉のグラディエーターで、武器庫をかっさらって、使えそうなものは鉄製のpikeまで持ち出して、全力でナチと戦っていたので、太平洋は、ガラ空きもいいところだった。例えばシンガポール攻防戦のイギリス側主力機は、ビア樽に翼をつけたら飛びました、と言わんばかりのブリュースターバッファローという、まるっこい愛嬌があるだけが取り柄の戦闘機で、あの貧弱な武装の軽戦闘機「隼」にさえ適わなかった。 おまけに、防衛軍トップは、ウインストン・チャーチルに「死ね」「腰抜け」「恥さらし」と口を極めて罵られた臆病者のパーシバルで、ブリキのオモチャみたいな日本軍の戦車の、しかし集中使用にあっさりスリム将軍の防衛戦は突破されて、アジア全域が、あっさり大日本帝国の手に渡ってしまいます。 ここで面白いことが起こって、陸軍はシンガポールとフィリピンが手中に入ったことに、すっかり満足して、停戦しようよ、うまくすれば戦争終結に持っていけるのでは、と強く主張するが、海軍は反対で、 真珠湾で取り逃がした空母群が頭にあって、「とにかく敵機動部隊を壊滅させないと戦争をやめるわけにはいかない」と強硬に主張する。 戦後、主に元海軍将校たちの手によって、上手に隠されたのは、まさに、この時期で、陸軍は、ほとんど、これが最後の戦争終結のチャンスになることを知っていて、しかもそれを熱望していたようです。 しかし、そこまで百日間、マッカーサーをオーストラリアに閉じ込めて、ナチのせいで真空地帯化していた太平洋で勝ちまくっていた大日本帝国は、結局、戦争を継続することに決めてしまう。… Read More ›

  • SNS その3

    海は嵐つづきで大時化(しけ)、陸はCOVIDの大逆襲で、毎日死者数が更新されるありさまで、この一月あまりは、MacBookを手に家のなかをうろうろしては、ゴロゴロして、あちこちのSNSに遊びに行ったり、レシピサイトでおもしろいレシピを発見してはキッチンでつくってみたりしていた。 日本語twitterも、最近はアホな人が来なくなって、このあいだは、あれはどうして、あの話題にからむ人は、ああいう程度が悪い人がおおいのか、トランスジェンダー問題専門家3バカトリオみたいな人たちが来て、タイムラインの内外で失笑されていたが、そのくらいのもので、あとはこちらが学ぶ事のほうが多い古い友人が大半になったので、楽しくて、つい、うかうかと、他のことをやっていた手を止めて、四方山話に耽ってしまうが、さすがに飽きてきて、 早く海が数日つづけて静かな週が来ないかなあ、コロナ早くなくなれよな、と願っている。 BAMO、と言う。 Block and move on. さっさとブロックして先に進む abbreviationがあるくらいで、英語ではSNSの使い方のひとつになって定着しているが、twitterもむかしとは、ずいぶん様相が変わって、知らない人の意見を聞く、というスタイルは英語ではほぼ消滅してしまっている。 著名な人間が拡声器の代わりにする。 友だち同士が、集まって、ガヤガヤと四方山話をする。 こんなのあったよ、と見つけてきた面白いツイートや動画、画像をRTやQTで見せっこする。 日本語では使われ方が、もっとシリアスで、自民党と統一教会の癒着や、トランスジェンダーsheは男なのか女なのか、ロシアのウクライナ侵攻の現状はどうなのか、なんだか深刻な話が交わされているけれども、これは、多分、 他に真剣に話を出来る場所がないことに起因しているのでしょう。 体制のほうから見れば、なんのことはない、外の通りになんか、ありとあらゆる屁理窟をこねて、出てくるわけがない安全至極な国民のガス抜きの場で、ちゃんと「こちら側」の電通も看守に立ててあるので、政府もハッピー、国民もハッピーで、twitterは大事な統治手段として、ちゃんと機能している。 見ていると、だいたいにおいて、「ちゃん文化」と「はてな文化」が支配していて、発言している人の顔ぶれも、よく見てみると、2chやはてなでおなじみの人々で、折角匿名で、いじめに耽っていたのにばれて、実名で居直って、今度は学究だということにして、「勉強がたりーん」をしている人や、 いろいろ一家言ある大学教師やバイト大学講師がリード役なところが、いかにもアカデミアと聞くと、おもわず柏手を打ってしまう日本語社会らしいが、よく考えてみると、なにしろ世紀をまたいで、おなじことをやっている人達なので、50代も後半のおっちゃんが多かったりして、それが「ちゃん文化」で身に付けた語調で「はい論破www」とかやっているので、 高校生の声音で、「いらっしゃいませー」と妙に胸を強調した制服の人のほうをみると、70代くらいの人で、なにがなし、微妙な気持ちになるときの気分に似ている。 もともとtwitterはソフトウエアデザイン、サーバーシステム、共に不備で、ジャック・ドーシーそのひとにtwitterという名前でわかるとおり、軽いおしゃべりの場としてつくったのに、なんだって、こんなことになったんだ、という戸惑いがあったようだけれども、やっと英語では本来のtwitterの使われ方になったのだとも言えるようです。 英語では、と、書いているが、よく知られていることだとはおもうが、LINEにつぐ4500万人がtwitterを使っている日本語社会は、SNSの世界では、とても変わったマーケットです。 世界で、ということで、上からめぼしいSNSを並べていくと、 Facebook (25億人) Youtube (20億人) WhatsApp (15億人) WeChat (11億6500万人) Instagram (10億人) TikTok (8億人) で、もう、この下はLinkedInになってしまうので、「主要な」という嫌な言葉をかぶせて考えると、だいたいこのくらいがめぼしいSNSということになりそうで、ネットの世界では常識として犯罪的な存在であるFacebookは、 「公の顔」で、いわば家の門柱にかかっている表札なので、使っているといっても、名刺を出版部数に数えているようなもので、例えば、アメリカでは、 Facebookの「パスワード」を教えろと就職面接で要求されることが問題になったりして、簡単にいえば、自分がいかに純良ないい子ちゃん市民であるかのデモンストレーションの場になっているので、他のSNSと並べるのは適切ではないかも知れません。 Lineは、他のSNSと異なって自分で使ったことがないので、なんとも使っている人のイメージが掴みにくいが、印象は「アジアSNS」で、 日本、インドネシア、台湾、タイランドちゅうようなところで使われている印象があります。 上に並べたSNSのなかで、最も重要なものに育っていきそうなのは、Youtubeで、グーグルらしいというか、ビジネスモデルも、システムも、たゆまず改良されていて、いつのまにか自分のまわりを見回してもSNSに興味を持つ人で普遍価値をもつなにごとかを創ろうとする人は、みんなYoutubeをプラットフォームに選ぶようになってきた。 レシピ、どうやって手作りの小屋の梁をあげるか、ボートのエンジンのメンテナンスのやりかた、マウンテンバイクの改造、…のようなhow… Read More ›

  • 有効な言葉、無効な言葉

        いまの日本が満身創痍であることを否定する人はいないだろう。 ちょうど人間でいえば、コレステロール値や血糖値、血液検査で判明するあらゆる値が毎年毎年あがってきて、ここ10年は赤い数字で表記されるものが多くなって、それでもなんとかなるだろうとタカをくくっていたら、 倦怠感がつきまとうようになって、関節の痛みがとれなくなり、 障子の桟を横目で見ていたら、あり、この桟はいつから歪んでいるんだろう?と、ぼんやり考えていたら黄斑症になっていた、というようなもので、なんだか自分が決壊が迫っているダムになったみたいというか、 いったい慢性の症状が、このまま一方向に進んで、酷くなっていったらどうなるんだ、と怯える一方で、いや今日も大丈夫だったから、多分、まだしばらく大丈夫だろう、と自分に言い聞かせる、という風なのかもしれない。 あるいは、ずっとブログに付き合ってくれているひとは、いまのこれを放置しておくと2025年くらいにはこうなる、アベノミクスなんかに手をだしたら、スッカラカンになる、とずっと述べてきて、なにもかも、その通りになったので、ずいぶん、お褒めを戴いたが、預言者ではあるまいし、なんのことはない、ずっと判り切った定石を述べてきただけです。 では、なぜ例えば政府は、日銀は、定石に従ってものごとを進めなかったんですか? と、きみは訊くであろう。 ぼくの答えですか? なんででしょうね。 いや怒っては困るので、ことここに至ったメカニズムは判るけれども、なんで判り切った、というか、どこの国でもやっている対策を取らなかったのかは、だって、ほんとに、ぼくにも判りません。 「通(つう)の人」というのは困ったもので、バイトで貯めたオカネで初めて鮨屋の暖簾をくぐった大学生が、おどおどしながら、松竹梅の竹を頼んで、どれから食べるか迷って、大好きな卵焼きから手をつけて、ご飯のほうにちょっとだけお醤油をつけて頬張って、「うまいなあ、高いけど」と非日常の幸福に浸っていると、席が四つくらい離れたコの字型カウンターの向こうから、なんだか和服を着たおっちゃんが、「きみは、なんにもわかってないねえ」と、軽蔑したような顔で話しかけてくる。 握りってのは、ご飯のほうじゃなくて、ネタに醤油を付けるんですよ。 それに第一、初手(しょて)から卵を食うバカがあるもんか。 卵は口直しに最後と決まってるのを知らんのかね。 きみは恥ずかしさでいっぱいの気持ちになって、鮨の味もしなくなって判らないまま、でもまあ、知識を教えてもらったんだから、いいか、と諦めて、そそくさと食べて、起ち上がろうとする。 PCR検査は抑制されるべきだ、というのは、日本でだけ通用する珍説だ、というのが最近はやっと知れ渡るようになった。 検査を受けても誰も怒りません。 ドライブスルーPCR検査は、到頭、最後までやらないですませてしまった。 と、書いたら、「そんなことはありません!広島では、ちゃんとやってます」という人が来たが、皮肉ではなくて、よかったですね、とおもうが、 広島でやっているから、そうか日本でもやっているんだね、と胸をなでおろす、というわけにはいかないでしょう。 正しさ競争をしているわけではなくて、議論は、常に実効性を念頭に置いておかないと、ダメですね。 あるいは「前例のない異次元金融緩和」を行って、2年で一挙に経済を回復する、と豪語した日銀総裁がいて、国債を買いまくり、株まで大量に買って株価をつりあげて、2年で一挙に経済を回復するどころか、8年で、それまで60年をかけて営々とつみあげてきた、ちょうどヤジロベエの錘にあたる、健全財政という日本の最大の武器を一挙に破壊してしまう。 日本の外の投資家たちの目から見れば話は簡単で、黙っていたほうが儲かるので黙っているだけで、あんなバカなことをやれば、簡単にいえば、 強固な財務ゆえに無敵だった日本という怪物じみた経済国家が、くだらない思いつきにオカネを使い果たして「ただの国」になってしまった。 なんで、そんなことをするのかね、とおもうが、 黒田東彦総裁にすれば、自分が「通」であることを素人諸君に見せつけたかったのでしょう。 日本の専門家が選りすぐりの愚か者ばかりで、しかも専門知識が細部だけ合っていて、全体は、屋根が土台になって床で雨をふせぐような妙ちきりんなデザインになっているのは、要するに「見栄」のせいであるとおもわれる。 福島第一発電所事故のときに、目の前のスクリーンで建屋が吹き飛んで大爆発を起こしているのを見て、極めつきの「専門家」が、 「あ。これは爆発でなくて緊急時のベンチレーションですね」と述べる姿は、一般科学フォーラムで、繰り返し映像が流れて、みんなの抱腹絶倒を誘って、うけにうけていたが、当の日本に住んでいる人にとっては、あんまり笑えない光景だったに違いない。 よっぽどメルトダウンが始まってからも「メルトダウンではない」と言い張る「科学者」が日本にはいて、しまいにはメルトダウンの定義をめぐって、「科学者」たちが延々と論争するという、スウィフトのラピュータ会議なみの光景が繰り広げられた事実を書き込もうかとおもったが、 それでは、いくらなんでも日本の人に気の毒なので、やめることにした。 第一、書き込んだとしても、あまりに現実離れして、バカバカしくて、信じてもらえなかったのではないか。 PCR検査も、福島第一原子力発電所事故への社会からのリアクションも、 アベノミクスの大失敗に対する反応も、「現実を見ない観点」に「専門家」たちが立っている点では、おなじで、どうやら、これが日本語人の宿痾であるようです。 その国の文明の「癖」は戦争に端的に顕れるが、日本の戦争史は、まさに 現実に対して無効だった作戦の展示場で、 有名な例でいえば、海軍側は港内の艦船が見える地点を確保して欲しかっただけなのに、「海軍は陸戦というものを理解していない。旅順を攻めるなら要塞ごと陥落させないと意味が無い」という要塞攻略の専門家たる参謀が現れて、素人の意見を無視して、遮二無二、兵士をペトンの壁と当時は珍しかった機関銃と榴弾砲の群に守られた近代要塞に、戊辰、日清戦争以来の肉弾突撃を繰り返して、先に戦死した兵士たちの積み重なった屍体を踏み損なって、身体をぐらぐらさせながら吶喊して、自分もまた、役にもたたない「肉弾」になっていった。… Read More ›

  • 礼記

        すんごく酔っ払って、横須賀線の終電で鎌倉の家に戻ると皓皓と輝く月の光できらきらと輝く段葛の鎌倉武士たちの白骨の欠片を踏みしめながら歩く話をしたっけ? えっ? もう、したって? Ver4って、きみ、ずいぶん昔からの読者なんだね。 あの頃、ぼくは人生を投げ出して、日本にやってきて、1年の半分を過ごすという無謀な生活を始めていた。 物好きなって? そうじゃないんだよ。 あのころ、ぼくは、西洋でないところでなければ、どこへでもいい、 出かけて住みたかった。 息苦しさから逃れたかった。 鎌倉は、とてもいいところでね。 板硝子と縁側があるという、ただそれだけの理由で買った北鎌倉の切り通しの手前にある家は、ぼくにとっては療養所みたいなものだった。 毎日歩いてばかりいたんだよ。 鎌倉の人ならば誰でも知っている北鎌倉から大船への、小さな小さなトンネルを通って、「とんでん」という名前のファミリーレストランに行くの。 あるいは、もう少し足をのばして「観音食堂」という名前の定食屋へ行くの。 西郷従道が無理矢理に境内をぶったぎって通した横須賀線の踏切を渉って、 国道を横切って、化粧坂へ抜ける道を歩いて鎌倉へ向かう。 化粧坂というんだよね、あそこ。 つづらに折れた道を歩いて、日暮れ時には幽霊が出る日野俊基の墓で、 墓石に座って一服する。 亀が谷の急峻な坂をおりて、鎌倉に出る。 そこには昔は小さなとんかつ屋さんがあって、おいしいおいしいカツ丼をつくってくれたんだよ。 毎日新聞の記者の人だったと言ってたな。 いまとは異なって寂れた裏小路で、静かで、刀鍛冶の仕事場があって、死人(しびと)たちが囁き交わしながら歩いているようで、 そうやって、ぼくは、連合王国で培った薬物中毒から自分を再構築していった。 ぼくにとっては、日本全体が、療養所だったのだとおもいます。 内緒だけどね ぼくは恐竜のような階級で育った 「えっ?階級?階級ってなんですか?バカじゃないの?」と思った君は正しい。 いつかガレージを直しに来た人は、たいそう知的な男で、 三日目に来たときは、自分が描いた絵をもってきてくれたが、 素晴らしい絵だった。 だから、すっかり仲良くなってしまったんだけど、 「ニュージーランドに移ってきて、いちばん、びっくりしたのはマネージャーを呼ぶときにMr.をつけなくていいことだった」と述べていた。 ファーストネームだけでいいんだ。 こんな世界があったのか。 それから、まっすぐに、ぼくの眼を見て、 「きみは上流階級の人間だよね」と、はっきりと述べた。… Read More ›