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  • 夏の跫音

    モニさんは、少しだけ鬱症気味で、ホットタブのなかでも、暫く、じぃっと雲を見つめていたかとおもうと、「ああ、もう自分で嫌になる。調子が悪い」とため息をついたりしている。 ガイフォークスのころは、いつもそうだよ、と言うと、びっくりしたような顔で、「そうなのか?」と述べている そうなんです。 わざわざ、そんなこといつもは言わないけどね。 自分自身、ガイフォークスの花火の音がうるさくて嫌いなので、そのころになると、耳を塞ぎたさそうな表情で、少し青ざめた顔になるモニさんの心配をするのが習慣になっている。 まさか現実になにかが起こるような心配をしているわけではないが、 なんとなく、傍にいたくて、スタジオで仕事をするモニさんの、脇にあるベンチに腰掛けて、猫さんたちと遊んで時間をつぶしたりする。 ときどきドアをノックして入っていって、ウエイターになりすまして、 「なにか、ご用命はございますか」と訊く。 「カフェオレをお願いします」 とでも言われれば筋斗雲に乗ってキッチンへ行って、いそいそとつくって、恭しく運びます。 モニさんは、いつものことで、 感に堪えたように、 「ああ、ガメがつくるカフェ・オレは、おいしいなあ。 結婚してよかった」という。 しめしめ、結婚前にカフェオレを特訓した甲斐があった、今度は遙か頭上からミルクとコーヒーをカップに流し込む、秘伝の技をみせちゃおうかしら。 ひとりだけの時は、荒天でも、案外、平気なもので、小さなオンボロヨットで高い波と強い風のなかに出かけて、ひゃっほーをしていたが、モニさんと結婚してからは、波が1メートルにでもなれば、高い波でも掻き分けて、どっしり進む、おおきな船しか出さないし、モニさんが多少でも鬱症気味だと看て取れば、水に近い、セミプレーニングの、船尾に腰掛けているだけで気が晴れるに決まっているボートで、海が凪いでいるときしか出かけないことにしている。 海は陸よりも季節の変化が判りやすい場所で、天候がまず異なるし、例えば釣りをすれば、魚があばれるエネルギーが異なる。 びっくりするような強いちからで、ちょっとおおきなキングフィッシュやスナッパーだと、油断すると、こちらが海に引き込まれそうな錯覚が起こります。 釣られた瞬間に気絶しているような冬の魚とは、まったく違っている。 結婚して、もう十二、三回目くらいの夏なのではないだろうか。 夏はバルセロナや南仏にいることが多くて、バルセロナにいればカバ(スペイン産のシャンペン)でつくった透きとおった黄金色のサングリアや、果物がどっさり入った赤ワインのサングリア、南仏の、例えばニースの郊外にいれば、冷たい、キンキンに冷えたロゼで、やはり冷たいメロンのスープで始まる夏のフルコースを食べた。 日本では夏は、もっと苛酷で、待避していた軽井沢からクルマを飛ばして買い物にやってくると、定宿だった帝国ホテルから冷房が入った地下道を通って有楽町に出るだけで、息も絶え絶えで、銀座の中心地に行くには、タクシーで行かなければ無理だった。 軽井沢でも、モニさんは、熱中症で倒れて、救急車で運ばれたことがあったし、わし自身も嘔気がこらえられなくなったことがあった。 まだ福島事故が起きる前に、到頭、日本を「東アジアでの根拠地」にするのを諦めて、広尾山と軽井沢と鎌倉に買ってあった家を引き払って、日本だけは早くから完全に撤収してしまった第一の理由だった。 気候の温暖化がすすむと、なんのことはない、最も夏が過ごしやすいのはニュージーランドで、このごろまた考え直そうかとおもっているが、クライストチャーチが最も夏は過ごしやすいが、オークランドでも、地上でも気温が30度になるのは稀で、湿気が多いと言っても、東京や軽井沢よりは、だいぶん穏やかな40%~50%内外で、オークランドを選んで住んでいる第一の理由の海の上では、夜は寒いのが通例で、涼しくて、夜風が気持ちがよくて、いちばんおおきな船には冷房が入っているが、他のヨットやボートは、ハッチを開いて、後部のドアを開け放っておけば、トランザムを閉めなくても、気持ちのよい風が吹き抜けていきます。 心配しているというより、なんだかニコニコして遊んでもらえなくてつまらないだけなのを、自分の気持ちのなかに発見して、我ながら、相変わらず、なんてわがままなんだろう、と感心してしまう。 モニさんの、美しいとしか形容が思い浮かばない横顔を眺めながら、夏の陽が指してきた後ろ甲板で、 「少しでも長く一緒にいたい。いつまで一緒にいられるかなあ」と思っていたら、まるでテレパシーが使える人のように 「心配しなくても、私はずっとガメと一緒にいるよ」という。 「二十年でも三十年でも、シワシワになって、ガメがうんざりしても、私はガメと一緒にいると知っているの」 そうなんですか? そのとき、突然、モニさんの「あなたは、わたしが、どれほどあなたを愛しているか判っていないのよ」心のなかの声が聞こえたような気がして、びっくりして、モニさんの顔を見つめ直すと、モニさんがやさしい笑顔で頷いている。 生まれてからいままで、伝達に関しては不細工な出来の人間の言葉が お互いに通じるものだとおもったことはなかったが、考え直してみたほうがいいのかもしれません。 一緒に暮らしだしたばかりの頃、ノーマッドで、ニューヨークからロンドン、ロンドンからバルセロナ、サンチャゴ・デ・コンポステーラ、カンヌ、ニース、パリ、ローマ、コモ、そこから更に東に向かって、イスタンブルのヨーロピアンサイドにアジアンサイド、世界中、ふたりでキャラバンを組むようにして、駱駝の背に揺られる隊商のように、照りつける太陽や、激しい雨のなかを、肩を並べて、ずっといままで歩いてきた。 ほんとうに、こんな幸福がいつまでも続くのか、と怯えるような気持ちで考えてきた。 モニとぼくの、ふたりだけの、ミーティングには特殊な、強い傾向があって、始まるころには、話しあいたい議題も、結論も判っていて、とっくの昔に、ふたつの心で別々に決めたことを、ダブルチェックするだけです。 モニ、ぼくらはどこに行くだろう。 自分で言うのは愚かだが、それでも、無理に言ってしまえば、きみとぼくは、なんにも不足がない生活で、ただひとが憧れる生活で、周りの人が羨んで、気持ちに曇りがある人は、「幸福がいつまでも続くといいですね」とまで言う。… Read More ›

  • ハウラキ・ガルフ

    ニュージーランドは、昔から、飛行機や船に乗る人が多いので有名です。 いまは少し厳しくなったようだが、飛行機の免許なんて、日本のクルマの免許取得程度で、しかも、これはいまでも変わらないのではないかとおもうが、免許取得のコストも世界でいちばん低い。 気楽なものなので、わしガキの頃、82歳のばーちゃんが免許を取ったりして、ローカル紙のニュースになっていた。 多分、世界記録として残っているのではないかとおもいます。 普通の国なら、到底飛行を許されないオンボロ飛行機を飛ばせるのもニュージーランドで飛行機の操縦桿を握る人が多い理由のひとつでしょう。 整備不良のセスナが、よく南島の山のあいだに墜落する。 飛行場も、カンタベリーのような農場地帯に行くと、オープンロードを走っていて、プライベイト飛行場の滑走路にグラマンのT4が鎮座している、なんちゅうのは、普通の景色です。 飛行クラブに行くと、スピットファイアVIや、アメリカ機のなかでは最も人気があるムスタングP-51、わしがだいだいだいすきなタイガーモスが並んでいる。 もっとも飛行機の操縦は観念の上では3次元空間の自由が得られて、「空を鳥のように駆けめぐる」楽しさにあふれているが、現実は、かなり退屈な乗り物で、考えて見ればわかるが、例えば、草臥れたので、ちょっとそこの積雲に乗って、一休みで午寝、というわけにいきません。 たいていは点から点へ飛んでいくだけで、ぜんぜん面白くない。 北米に住んでいれば、町から町へホップして、距離もちょうどいいので、飛行機には移動手段としてのメリットがあるが、ニュージーランドは小さな島国で、隣のオーストラリアは2400km先なので、そうおいそれとは飛んでいけなくて、どうも、あんまり軽飛行機にとっては条件がよくないようです。 ジョン・トラボルタはボーイング707とボンバルディアのチャレンジャー601の、大型旅客機を二機も持っていて、自宅が空港みたいな飛行場になっているという飛行機狂で有名なひとだが、あるいは、将来は、もしかして、いろいろなことに飽きて、他にやることをおもいつかなくなってしまえば、自宅に飛行場をつくって、操縦特性も乗り心地も、えらく良くて、銃弾が当たると簡単に火がつくせいで「一式ライター」と呼ばれるほど戦争にだけは向いていなかったが、航続距離も遠大だった、一式陸攻のレプリカをつくってオーストラリアから飛び石伝いに日本まで飛んで行ってもいいのではないかとおもうが、それまでは、いまのまま自分の飛行機はフライトクラブに貸して、飛行機の大家さんでいいや、とおもっている。 船は、日本では、ちょーちっこいボートにも免許がいるとかで、ぶっくらこいてしまったが、ニュージーランドには、もちろん、そんなめんどくさい制度はなくて、わしはコーストガードが発行するスキッパーライセンスを持っているが、別になくても、60フィート船も操れれば、VHFの無線を使うことも出来ます。 船を持つというのは金銭的には愚かの極みで、建造40年くらい経った船でも、海に出られるコンディションのものならば、最低限の33フィート船でも、「中古価格」で1200万円くらいはする。 そのうえに価格のだいたい1割程度が毎年毎年維持コストとして消えてゆくので、オカネの使い方としては狂気の沙汰で、ちょっとオカネモチならば買う40フィート船は日本円で一億円は軽く超えてしまう船ばかりで、気が付いた人もいるとおもうが、金銭上は、乗り物であるというより、維持費がかかる別荘だと考えるほうが感覚的にあっている。 いま、ゲームになっているので有名な服部名人のボートをグーグルで検索してみると、多分、33フィート船で、あまり見慣れない船影なので、日本製かどこかの船だとおもうが、たしかこのひとは、ニュージーランドのネルソンかピクトンか、そのあたりに自分のボートを置いてあったのだとおもいます。 どうやってもオカネがかかるかといえば、そんなことはなくて、わしが初めて自分で買った25フィートのヨットは、すんごいオンボロだったが、50万円するかしないかくらいで、船底に穴が開いていたりして、自分で直して使っていたが、後でブラックジャックで勝ったオカネで8馬力の船外機をつけたが、風まかせで、維持費は、全部自分で直したり塗装したりだったので、限りなくゼロに近かった。 ヨットは特に、「バケツで汲み出す水の量が浸水してくる水の量よりも多い限り沈まない」というくらいで、相当オンボロでもブルーウォーターを航行できるので、若くてビンボなきみには、最も向いている。 と、ここまで書いて、そうか、日本の人に「ボート」と言ってもイメージが湧きにくいんだったな、と気が付いたので、代表的なディスプレイスメントのケイディクローガンの船内画像を、二枚       ©Kadey-Krogen Yachts   ね? 小さい家みたいなものでしょう? 土地代がただの住宅とみなして、船に住んでしまう人も多い理由が呑み込めるとおもいます。 一方では、トレーラーボートと呼ぶ、トレーラーに乗せて、自宅の庭や通りに置いておける6~8メートルくらいの高速船も、ニュージーランドでは人気があって、いちばん数が多いのは、このクラスだとおもわれる オークランドは、海に付属しているような町で、よくハウラキガルフのアネックスだなどという。 ニュージーランド人が、たいへん誇りにおもっているのは「海が生きている」ことで、もう先進国では、ここくらいのものかもしれません わし海友で考えても、オーストラリアのグレートバリアリーフから越してきたひと、サンディエゴやマイアミから越してきたひと、みんな、自分たちの海が死んでしまって、「生きている」海を求めてやってきたひとたちで、 海のコミュニティの人間たちにとっては、最後の楽園で、ニュージーランド政府が釣り人に課している、様々な厳しいルールにも、よいことであるとおもう、という反応が一般的であるようです。 特にCOVID禍以来、モニとわしの遊び場は、もうレストランやバーも行く気になれないので、海に移行した。 だいたい直径が120kmくらいのハウラキガルフの内側は、少なくとも、ちょっと点在する島に近付けば20Mbp程度だがインターネットも使えるし、船内には映画を観るためのプロジェクタスクリーンもあれば、小さいほうの40フィート船でも、ヨットもディスプレイスメントでも、冷蔵庫も冷凍庫も家庭用の大型がソーラーパネルで発電してインバーターで240Vに変換された電力で使えるので、なんだか家にいるようなものです。 なにをやっているかというと、ハウラキガルフには、北島の浜辺はもちろん、おおきな町があるワイヒキ島を始めとして、人口が一桁の小島、無人島に至るまでたくさんの島と浜辺があって、沖合に錨をおろして、ディンギイで上陸してピクニックをする。 磯にたって、船からは釣りにくい、アオリイカを釣る。 空を横切る、でっかいミルキーウエイを甲板に寝転がって眺めている。 珍しがって、寄って来る、鴨さんやカモメ、ブルーペンギンやイルカと遊ぶ。 夏は、もちろん、プラットホームから海に飛び込んで、泳ぎます。 アジアの暖かい海になれた移民のひとたちは、水が冷たいと言って嫌がるが、白い人たちは根がアホなので、心臓が止まりそうな冷たい水に飛び込んで、きゃあきゃあ言って喜んでいる。… Read More ›

  • 悪魔の住む町

      (これは2009年3月23日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲です)   おひさしぶりでごんす。 モニとふたりでクルマに乗ってカタロニアの田舎をふらふらしていたら、バルセロナに帰る気がなくなって二晩行方不明になっておった。 ちょっとだけ田舎に昼ご飯を食べに行くつもりで出かけたので、コンピュータを持ってなかった。 電話もブートのなかだったので、何人かかけてくれたようでしたが気が付かなかった。 灯台のそばのホテルに泊まって、遊んでました。 そこから内陸に無数にある中世の町へクルマで出かけます。 カタロニアは春で花が咲き乱れておる。 緑は新緑で、濃い緑の匂いがする草原をてふてふが飛んでます。 尋常小学校の教科書のような春だの。 クルマを駐めて、古代や中世の旅人が歩いた道を伝って集落から集落へと歩いてゆくのはスペイン人やフランス人が好きな遊びである。 モニとわっしも人気(ひとけ)のない道を歩いて町から町へ歩く。 お腹がすくと15世紀からやっているとか12世紀に建った建物で開業しているとかいうレストランで食事をします。 時に紀元前(欧州では「ローマ以前」という言い方をよくします)の遺跡がある森の奥へ脇道を伝ってゆく。 ちょっと小高くなった道から見えないところへ堤をあがってみると突然宏壮な大邸宅があったりするところはフランスと同じである。 最近発掘された紀元前の「ネクロポリス」をしばらく歩き回ってから、モニとわっしはやはり紀元前の集落の遺跡を見つけるためにコルクの森にはいっていった。 わっしは、ものすごい方向音痴だが手にしっかりとGPSを握りしめているのでタイジョブだんび、と思っていたのです。 ところが方向が音痴なひとはGPSをもっていても目的地に着かないのです。 そのうちに頼みのトムトムもバッテリーが切れてしもうた。   モニはもう慣れているのでフランスの子供の歌を歌いながら欧州風トイトイの茎をふりまわして遊んでおる。 大きな花柄の夏服のスカートが夏の光に揺れていて素敵である。 でも、見とれているばやいではない。 わっしのほうは、こんな文明世界で行き倒れになったらカッコワルイので、どこでもいいから町に出ようとして必死です。 中世風の石垣を折れると、細い径があって、その先に集落があって、ほっとする、わっし。 小さな小さな集落であるけれどバールもあるようである、あー、えがった、と思った瞬間、わっしは妙なことに気がつきました。   笑うなかれ。 わっしはこの町を以前に見たことがあるのです。 わっしは大学生であった。 場所はカタロニアどころか、スペインですらない。 ルクセンブルグだったはずである。 釈然としない顔をして立っているわっしに追いついてきたモニが「ガメ、喉が渇いたから、ここで休んでゆこう」と言う。 ドアを開けて入ると、建物の外には誰の姿も見えなかったのに中はすごい混雑です。 誰もモニとわしのほうを見ないのがヘンである。 ちらと見てみないふりをしているのではなくて、まるでモニもわっしもいないかのような感じです。 モニはクロワッサンやペストリが載ったカウンタのほうへ歩いてゆきます。… Read More ›

  • 紅の空

    一国の軍事力というものは見えている部分は全体の5%で、95%は本人たちでさえ、判っていない。 オークランドのバルモラルに昔から流行っている餃子屋があって、最近は、味が落ちたので行かなくなってしまったが、むかしは月に一回はでかけて餃子を食べていたものでした。 テーブルを客に選ばせないどころか、注文するものまで、「めんどくさいから、こっちにしろ」と述べて、客が、嫌だよ、おれは自分が食べたいものを食べるんだ、とでも言った日には、ぶっちゃむくれて、料理が出来ると皿を文字通りテーブルに放り投げていく。 なにを勘違いしたのかポリネシアの人達が勘定を済ませてドアを開けて出ていこうとすると、厨房から飛び出して駈けてきて、あんたたち食い逃げするつもり!と食ってかかって、店中の耳目を集めて、ランチタイムの見せ場をつくる。 終いには全国紙ニュージーランドヘラルドに「味もサービスの悪さもオークランド一の有名店」と書かれる始末で、もんのすごいサービスだが、それでもランチタイムに限らず店内はいつも満員だったので、味は想像がつくでしょう。 最近、亡くなったのではないかとおもうが、この店を始めた70代くらいのおっちゃんが、どうやら日本が大嫌いな人で、テーブルの脇に立って、日本人がいかに酷いか、モニとわしに滔滔と聞かせたりしていたが、多分、おっちゃんが選んでいるので、「中日、もし戦わば」のDVDがよくかかっていて、陸軍圧勝、航空力圧倒、海軍も楽勝で、例えばアメリカが加勢しても、いまの人民解放軍でも勝てる、と述べているのが、わしのダメダメ中国語でも理解できるくらい高らかに解説されていた。 香港の悲劇をきっかけにして、中国語世界は、たいへんな緊張のなかにある。 次は台湾だと習近平が公然と述べているからです。 やりたくはないが、必要ならば上陸作戦によって武力で占拠する。 だって、もともと自国の一部、台湾人は、不法に蟠踞しているだけだからね、ということのようでした。 日本では「いや、あれは単なる脅しですよ。だって戦争をやって台湾を取っても算盤があわないもの」が一般的な意見です。 第一、軍事的に中国はアメリカ極東軍に勝てない、と軍事専門家で、多少でもあてになりそうな人は口を揃えて述べている。 勝てない軍事力でアメリカに戦争をふっかける国なんて考えられるわけがないじゃないですか。 聞いているほうは、1941年に、アジアの東の端っこのほうに自分たちでも勝てるわけないと思っているのに戦争を盛大に始めてしまって、見事に廃墟にされた国があったよーな、と考えるが、失礼なので言い返しはしません。 面白いもんだな、と心のなかで呟いてみるだけである。 オーストラリアが原子力潜水艦を配備することに決めたことが話題になっている。 外交的には大失敗で、なにしろ世界のイナカモン豪州と、世界とはおれのことじゃ、のアメリカと、オポチュニストで歴史を通じて知られている連合王国の三バカ、じゃないや、三大国が決めたことなので、いっくら文句を言うのが好きでもフランス人は「ばーか」くらいで済ませてくれるだろうとおもったら、やっぱりフランス人はフランス人なので、怒り狂って、オーストラリアとアメリカの大使を召還してしまった。 あれ?イギリスの大使は?とおもったひとがいるかもしれないが、フランス人はイギリス人の生まれついてご都合主義の、ずっこいテキトー体質には慣れているので、あんまり改めて激怒する気が起こらなかったもののようでした。 オーストラリアやアメリカから見ると「気にもしていない」ということになるが、日本の、入港する空母に核兵器が満載されていて、のみならず国内に核弾頭の備蓄さえあることを世界中の人が知っているタテマエだけの嘘っぱち「非核三原則」とは異なって、1985年にはDavid Langeが、いまでは実際には核を搭載していなかったことが判っているが、核ミサイル搭載能力があったミサイル駆逐艦DDG-14USS Buchanan の入港を拒否して、アメリカから実質的な非公式軍事同盟破棄を通告され、国際社会から干されて、その後20年余もイジメに遭ってきた非核原則厳守の「生意気な小国」ニュージーランドにとっても、またあらたな頭痛の種が生まれることになった。 外交的には、チョンボx3の大失敗だったが、軍事的には妙手で、どんちゃん騒ぎをしながら航行する、ここよー、ここよー、わたしはここよー、なフランス通常型潜水艦と異なって、不可視性は折り紙付きのアメリカ型原潜は、実は人民解放軍にとっては、最大の苦手なんです。 まじめに付け加えると、現代の海軍では原潜はジュットランド海戦時代の戦艦に相当する最重要戦力でもある。 多分、南シナ海における戦争の危機が、5年は、先に延びたとおもわれる。 好事魔多し 小田急線には酔っ払い多し アフガニスタンから無理矢理撤兵したでしょう? あれは中国との対峙に集中心を持つためだったのは、いまでは世界の人が認めている。 ときどき記憶が途切れるらしいバイデン老人も、自分の意図を憶えていて、そういう趣旨の発言を行っている。 つまりは、どういうことかというと、2012年に最高指導者となってから、十年の節目である2022年までに、どうしても、誰がみても、「毛沢東を越えた」と認めざるをえなくさせたい習近平にとって焦眉のスポットは台湾にしぼられた、ということです。 戦争をやればどうなるか。 表に出ている軍事力だけを較べれば中国がアメリカに勝つでしょう。 ところがところーが 一国の軍事力は見えている部分は全体の5%で、95%は本人たちでさえ、判っていない。 対潜水艦戦遂行能力が典型だが、軍事行動には練度が必要とされて、1979年に56万人を動員しておこなって、ボロ負けして撤退した、鄧小平のベトナム侵攻作戦以来20年以上もマジメに戦争をやっていない中国軍は、海でも空でも、戦争が国是と化していて、毎年どこかで激闘を繰り返して、敵兵や市民を効率よく殺し続けてきたアメリカ軍とでは、多分、勝負にならないのではないかとおもわれる。 「人類と人道の敵」ヒットラーとトージョーを、やっつけるために起ち上がったヒーローとして自分たちを看做して、心おきなく、手当たり次第に、ぶっ殺してあるいた「The Good War」以来の、ひさびさの「正義の戦い」だしね。 しかし、戦争は仕掛ける側の主観で起きる。… Read More ›

  • よそもの

    オークランド人は長引くレベル4ロックダウンで全員ヘロヘロになっている。 高名な判事のおばちゃんの息子と若い法廷弁護士のカップルがレベル4のオークランドをインチキに脱出してクイーンズタウンにスキー旅行に行った事件は、国を覆う大スキャンダルになったが、そのあともウエリントンに不倫旅行(オークランドはホテル閉まってるからね)に行ったカップルや、自家用だかチャーター便だかのプライベートジェットでクイーンズタウンの友達の家に遊びに行ったカップル、何件かのオークランド脱出旅行が摘発されて逮捕されたが、ほんとうはクルマに乗って近所のビーチへ出かけて散歩、というのも違法なのだけれど、今朝の新聞をみると、わし家からあんまり遠くないミッションベイという浜辺などは、人間でごった返していて、世間の反応も、そういう軽率な行動は危険でワガママである、と言いながらも、「仕方がないよな」に変わってきています。 わし家からは、ホブソンズベイは楽に歩いていける所にある。 いつか話した、宮崎駿の「Spirited away」(また忘れたので、いま調べたら「千と千尋の神隠し」だった。なんちゅうおぼえにくい題名でしょう)に出てくる「水を渡る電車」に、そっくりの線路が汽水を横切って延びているところです。 マングローブを縫って続くボードウォークもあります。 でも、なあんとなく人とすれ違うのが嫌なので、自分の庭を散歩するだけで、すませてしまう。 一応、水曜日からレベル3に変わって外出くらいは普通に出来るようになることになっているが、昨日も20人で、なかなか新規感染者が減らないので、経路不明感染者がゼロにならない場合は、「やっぱやめた。レベル4、続ける」になるやもしれぬ、と政府勤めのにーちゃんが言っていたりして、今回は一回目のコロナ根絶のようにスマートにいけなくて、ガビンの連続であるのも、ヘロヘロの原因なのでしょう。 もっかは、「いったんレベル3にして、ダメそうだったら十月に、もう一回レベル4にもどす」という線で考えているようだが、その場合、メルボルンなみに数ヶ月、ということになりそうなので、レベル3で大脱出が起きるかもしれません。 8月まではハッピーチャッピーな国だったのに、一転、グルーミィィィーな国になって、ゆーうつなことだと思っていたら、今度は、南アフリカからニュージーランドに移住してきたばかりの医師の女の人が6歳と2歳の双子の3人の娘を殺して、自分も自殺を未遂する、という大事件が起きてしまった。 夫も医師で、コロナ禍でも、必要不可欠な職業の移民だという理由で滞在許可は待たずに即座に発行されて、家も病院が準備、提供した無料の住宅で、移民としては最高度の歓待で越してきて、わずか一週間で起きた惨劇でした。 どうも話を聴いていると、「根無し草になった不安」が原因であるらしい。 南アフリカという国は、住み込みのお手伝いさんや、庭師乳母がいるのがあたりまえの国で、わし友は、自分たちで家事をやらなければならない、とんでもないビンボ暮らしのニュージーランドにぶっくらこいた、結婚した南アフリカの女の人に捨てられて離婚したが、このカップルも、ニュージーランドでも、家事を手伝う人も乳母も用意してはもらったものの、なにしろニュージーランド人は、おなじ家事手伝いや乳母でも、簡単にいえば雇い主と対等の態度なので、ずいぶん南アフリカとは勝手が違ったでしょう。 多少でも日本の人に判りやすい例でいえば、アメリカの南部から北部の大都市に越した家族と似ている、といえばいいだろうか。 コモ湖に面したチェルノブルの実家の別荘の近所の南アフリカ人家族のホリデイ・ホームにも制服を着せられた家事手伝いの女の人達がいたが、おなじ家事手伝い、と言っても、ジーンズでクルマを運転してやってくるニュージーランドの家事手伝いのひとたちとは、呼び名はおなじでも、ずいぶん違うものです。 日本語のネットでは、日本の人で、移住後のつらさを述べると、「ほおれ見たことか、日本人は日本にいるのがいちばんなんだよ」と言い出すバカタレがいることが容易に想像されて、日本の人の、移住後の落ち着かない気持ちや、寂しさを知るためには、英語のexpatサイトに出かけてみるしかないが、やはり数多い書き込みがあって、同国人に判ってもらえない移住のつらさを国籍が異なって、同じ環境にあるひとびとと分け合っている。 ほんとうは、当たり前のことなのだから、同じ日本語人同士で話しあえばいいようなものだが、十年以上、日本語ネット世界を眺めてきて、気持ちがわかってしまうというか、あんなヘンなのがいっぱいいるんじゃ、英語サイトに行くしかないよね、たしかに、と考えます。 いちど、オーストラリアに移住して、適応が難しくて、日本に戻ってしまった人と話したことがあったが、 「わたしは新潟の山奥の出身なんですけど、田舎の人間っていうのは、東京に出た人間が失敗して戻ってくるのをみるのが、嬉しくて仕方がないんですよね。それと同じなんですよ、外国に移住してゆく同胞を見る日本人の眼って」と述べていたが、案外、そういうことなのかもしれません。 移住して、ここが第二の故郷だった、やっぱり来てよかった、という人は矢張りまず、その国の言語がわかる、という最低条件があるようです。 十年たっても二十年たっても、ツイッタやなんかで日本語人とばかり話しているような人は、日本の人に向かっては、当然、英語がわかることになっているが、その実、単語を「拾い聞き」している人がおおくて、特に日本語では秀才ほど、その傾向が強いらしくて、例えば日本の外交官の英語は、ぎょっとするようなのが多くて、尖閣をめぐるテレビ討論の番組でも、相手の中国の外交官と較べて、残念ながら三段くらい劣っている。 移住も第二世代になると日本の人も中国の人も、北欧人もドイツ人も区別がつかないので、当たり前だが、こういう言語能力の差は、社会、とりわけ教育の問題であるようです。 居直って「外国人として英語国で暮らす」という手はある。 掘りごたつをつくって、風呂場も日本式に改築して、普段は日本語で生活する。 いまはインターネットが発達しているので、「遠隔日本人」みたいなもので、ひとり、日本で脱税して、追徴金が怖くてニュージーランドに来ている人と、話してみたことがあるが、あれはあれで、楽しいのかも知れない、と考えました。 自分自身は、特に移住するつもりがあったわけではないので、例として持ち出すのはフェアでないが、日本に五年十一回の十全外人計画で遠征を行った経験から、移住した人が、ふとしたときに感じる、孤独感、というのでもない、寂しさでもない、なあんとなく、ふらふらとしてしまう感じというのは全く想像がつかないわけではない。 基本的に移住して定着してゆく人に対しては、尊敬する気持ちを持っていて、なにしろ自分は、単なる、誰に頼まれもしない勝手で最長数ヶ月いたくらいのことなのに、振り返って考えると、完全にホームシックを起こして、毎日いらいらしていた。 日本語をいくら自然に聞こえるように努めて話してもガイジンとしてしか扱われない、というようなことは、移住しにきたわけでもなくて、たいして気にならなかったが、なんだか、自分が背景から切り離されて、根の付きようがない土壌にポンと置かれたような、どういえばいいのか、「なんでここにいるんだろう」という気持ちが毎日膨らんでいったのをおぼえています。 ニュージーランドは成り立ちが特殊な国で、イギリス人のやること、というか、移住するに先立って、町をまるごと輸出する、というヘンなやり方をした。 最近は、また、「中国人は自分たちばかりで固まって、中国みたいな町をつくりやがって」とヒソヒソと話す人が増えたが、はっはっは、そういう自分のご先祖は、クライストチャーチを見れば良い、町のまんなかに教会どころか聖堂をおったて、まだ二十世紀にもならないのに、トラムを走らせ、広大な公園をつくって、イングランドの西部のどっかと言われても信じてしまうような町をまるごと輸出して、移住させてしまった。 欧州人に一般的な考え方かもしれなくて、ブラジルに行けば、ドイツ系人が未だにドイツ語で話してビアフェスまで開いている町があって、アメリカという価値への同化を踏み絵にしているアメリカでさえ、カンザスの田舎には、ついこのあいだまで英語がまったく通じない、スウェーデン語しか話さない村が、あちこちに点在していた。 軽井沢は土地が痩せていて、福島や群馬から豊潤な黒土を買って来て土壌を改善する。 そういうことに似ているのかも知れません。 移住先で適応できない人の特徴は、生活の細部に拘ってテキトーになれない人で、いちど日本の人の家に招かれた義理叔父が、その家の白い人の家主が靴を履いてとおったあとを、家主が立ち去った後、足跡が残っているわけでもないのに、顔をしかめて丁寧に雑巾で拭いていた、その家の奥さんを見ていて、 「こりゃ、ダメかもしれんな」とおもった話をしてくれたが、そのとおりで、 細部を楽しめない人は、その国全体も楽しめないもののようであるようです。 なんでこんなことを書いているのかというと、海外へ移住する日本人が目立って増えた、という記事と、コロナ禍で、あるいは仕事がなくなり、あるいは貸家を追い出されて、嫌になって、日本へ帰る人が多い、という日本語記事を見たからです。 英語側でも、政府単位ですら、状況が厳しくなると、態度も変わるのに、うんざりして、移民のひとびとが故国に戻ってしまう現象が話題になっている。 最近のアジア人への反発で社会の態度が一挙に冷たくなったアジアの人だけでなくて、例えば、ニュージーランドでも、ビザの発行が遅れている連合王国人の医師が、故国に帰ることになった、という記事が出ていた。 ストレスがたまってくると、見ず知らずの人間に対して嫌がらせをするバカタレは、どこの国にもいる。… Read More ›

  • 美神の叛乱

    日本人は長い間、本来、倫理において正しいか正しくないかという判断を美しいか美しくないかの美醜の判断に置き換えて、ものごとの是非を判断してきた。 特に武士階級において、そうで、あっさりと自死してみせる潔さや、いったん口にした約束を守る、というようなことは、日本の人にとって大切なことで、西洋にも、例えばラフカディオ·ハーンによって紹介された雨月物語の「守られた約束」 https://open-shelf.appspot.com/WeirdTalesFromJapan/chapter3.html などによって、遍く知られている。 日本の近代の門扉を政略と軍事の才能によって押し開いた西郷隆盛は、日本人には珍しく漢籍に由来した倫理意識が強い人だったが、ものごとを評するのに、「醜い」「美しい」という語彙を使ったことは有名です。 その生涯を読んでいくと、晩年において、明治政府の役人がオカネと色欲に狂い、遊興を賄うために当然のように賄賂を手にしたことに対しても、その悲憤は、公務員の倫理、というような風には向かなくて、「やることが醜い」という怒りに震えて、東京を引き払って、鹿児島に帰ってしまう。 このころにはもう、実際にはなかなかハンサムであったらしい容姿にあっていて自他共に姿がよいことを認めていた大礼服は擲ってしまって、あの銅像になってよく知られた絣に兵児帯の姿で小網町を闊歩して、明治政府に巣くった成り上がりのイナカモンの華美に極端な質素で対峙して、その結果、世の中が不穏になるほど明治の醜悪を浮き彫りにするようになっている。 政略はもちろん倫理もなげうって、思い詰めた美意識だけで行動するようになっていきます。 日本の歴史を見ていて、息を呑む気持ちになるのは、それが美意識によって形作られた歴史であることで、戦争直前、戦時中のような、日本文明のスランプ時には、おなじ美意識でも、随分、低いものになって、ただ悲壮に酔って、一方では、美どころか獣性を剥き出しにして、市民の虐殺や、若い女の人に対する集団強姦に耽る一団のけだものたちを生みだしてゆく。 有名な例をあげれば戦記文学である「平家物語」は、中世日本人の美意識の物語で、当時の源氏の侍たちのあいだでは、陰謀好きで、実利のためには行動の美醜など鼻にもひっかけないと言われた梶原景時が、深入りして、四万人と誇張とともに描かれた平家武者たちに押し囲まれた息子の景季を救う為に、一騎で馬を進めて、分け入って、救出する姿の美しさが謳われ、おなじ景季の当人が、生田の森の戦いで、武士道そのものを「弓矢の道」と呼んだ通り、当時の主武器であった矢がどうしても当たらないので、社の裏に引き返して、箙に折った桜の枝を挿して、戦場に戻ると、今度は十発十中の勢いで、戦場を馬の背に乗って駆け回る、華やかな花が咲く桜の枝を挿した若武者の戦う姿に、敵も味方も声をあげて賛嘆したという。 あるいは那須与一が平家の挑戦を受けて立って、波間に馬をいれて、見事扇子の要を射抜いて、敵も味方も、「箙をたたいて、どよめきにけり」と描かれている有名な一節を、知らないで一生を終わる日本の人はいないでしょう。 以前から述べてきたように、西洋文明に対して、ごくごく浅薄な理解しかもてなかった近代日本人は、強国とは強い軍隊を持つ国だと、びっくりするような子供じみた単純化で近代化をすすめて、とにかく形が似ればいいんだろう、とばかりに、耶蘇教だけはやばいよ、おれはこの目で観て知ってるんだ、という明治の元勲中の大物、木戸孝允の言を容れて、キリストでなければどうするか、鳩首をあつめて、結局、天皇という言葉を発明して、これをキリストの位置に置いておくことにした。 なにしろプレハブ建築の近代なので、「倫理」のような何の役に立つかわからないものは、訳語すら与えないで、不要不急の、「どうでもいいもの」に分別して、納戸の奥の暗闇にほっぽっておくことにしたのは「integrity」ほかの記事に、しつこいくらいなんども書いてあります。 論理は美醜を判断しない。 美醜を判断するのは感覚です。 文明の模倣者として倫理は採用しなかったが、日本人は、代替として、両脚を失った人が雄大な腕の筋肉を手に入れるように、あるいは聴覚を失った人が鋭敏な視覚を手に入れるように、美への感覚を研ぎ澄ましていった。 他国とおなじに「国を愛する」ということの意味を誤って理解しているひとたちが、胸をそらしすぎて仰向けにひっくり返ってしまわないのが不思議なくらい、ほんとうは日本の人が民族として誇りにしうるのは、世界中の人が異議もなく認める日本人の美意識の高さと鋭さで、能楽の、あのぞっとするような幽玄をあげなくても、暗闇に、かすかな蠟燭の光で、ぼおっと浮き出る金箔を張り込んだ屏風や、戦慄するほどの日本刀の青白い刄の光、松風やセミの声にまで神韻がひびきわたるような美を見いだして、実際、考えてみて面白くて仕方がないのは、倫理は、あれほど約にたたないから、と述べて、簡単に打ち捨てて見向きもしなかったのに、誰に頼まれるでもなく、誰かが唱道するというわけでもなく、西洋の美、西洋美術だけは、なんのあてもなく、ひたすら吸収していく。 日本社会は、どこまでも不思議な社会で、美に憧れることは、あまりに当たり前なので、誰も自分たちが、いかに「美しいもの狂い」と言いたくなるほど、食べるものも食べずに、美しいものに焦がれ続けてきたか、意識もしたことはないように見えます。 ときどき、半分は冗談だけれども、これから倫理を文明に組み入れていては、時間がかかりすぎて、哲人どん、哲学者田村均先生などは、「500年くらい待ってもらわなくては困る」などと不穏なことを言い出す始末で、そんなに、歴史から考えて、また窮すれば国として暴れだすに決まっている日本の人たちの横暴に耐えるわけにはいかないので、いっそ、美醜を倫理の代わりに言語を通してシステムに組み込んでしまえばいいのではないかと考えることがある。 美しいか美しくないか。 どうやら辞職に追い込まれたらしい菅首相は美しい人であったかどうか、安倍首相は美しい人間だったかどうか、日本の人なら、考える必要もなく判断がつくでしょう。 アフガニスタンのひとびとのあいだには、面白いことが起こっていて、 タリバンが押しつける、イスラム世界のなかでも古くさくて田舎染みたアフガンイスラム文化は、美しくないから拒否する、アフガニスタンは、もっと美しい国なのだと国外のアフガニスタン系人や、難民、国内の家で逼塞している若い女のひとたちが、twitterで、#AfghanWomen や #AfghanistanCulture のハッシュタグをつくって、みな思い思いの伝統衣裳を身に付けた画像付きのtweetのうねりが起きている。 美に拠る、「美しくない」教条主義への叛乱で、こういうものは初めて見たが、パッと見ただけで、あの、パンジャビから中央アジアにかけて広がる、独特の強い明るい色彩に彩られた文明の美しさは紛いようもなくて、もっさりして、暗闇でごそごそしているのが似合うようなタリバンに対する伝統文明の優位は、どんな人の眼にもあきらかです。 どれほど言葉を費やして説明されるよりも、一枚の画像が、タリバンという新興の田舎文明の貧弱さを雄弁に説明してくれる。 ふと、日本の人にも、世界に名だたる美意識を政治や社会の改革の武器にする、やりかたがあるのではないかと考えました。 なるほど歴史が教えるように美醜を政治や社会に持ち込むのは、大変に危険なことだが、逆に、日本の人には、その危険性を理解するだけの高い知性の持ち合わせがある。 このまま座して言語と文明の死を待つよりは、いくらか高いサバイバルの可能性があるのかもしれません。 https://twitter.com/tahmina_aziz/status/1437155213685653506 https://twitter.com/WazhmaAyoubi/status/1437340977631571969 https://twitter.com/womensart1/status/1437500764998492164 https://twitter.com/yousafzailaiba3/status/1437473352340451333 https://twitter.com/SophiaKhanm/status/1437315370508066819 https://twitter.com/Wida_Karim/status/1437427735513632776 https://twitter.com/bestdressedafg/status/1437463685916729344

  • 左翼と右翼 2 ユートピアの終わりに

    日本の人の正義は、ひどく幼い。 怒りのぶつけかたは、子供の憤懣の爆発を思わせて、残虐性まで、子供の獣性を感じさせた。 マスメディア、例えば新聞が、古い頭で、判らないなりにネットを取り入れたつもりで、日本社会の最悪の部分である幼児性をネット世界の「論客」や「インフルエンサー」をインタビューの相手や書き手として起用することを通じて、輸入してしまって、日本人が育ててきた戦後社会は日本語ネットに破壊されて、おおきく後退してしまっている。 ひところは、びっくりしたことには「インターネットが悪い」ということになって、グーグルの掘削が浅い、そのうえ1995年以前の世界は存在しなかったのでもあるような当時の検索が批判されたりしたが、いくら言語の壁があると言っても、まわりを見渡してみると、特に英語世界において、どうも話が違うので、インターネットそのものに矛先が向くことはなくなったが、日本語インターネットが社会を、どんどん荒廃させてゆくほうは、ネットそのものに責任を負い被せることがなくなったぶんだけ、たしなめようもなくなって野放しになっている観があります。 だんだん判ってきたのは、日本語には、閉じた空間のなかに数が多い参加者をおいた状態では、頷き合いと同調を尊んで、NOや異なる意見を忌む文化のせいでしょう、まるで集団全体がひとつの生き物のようになって、目を血走らせて、「敵はどこだ!敵を殺せ!」と言い合いながら、手に手に松明を持って、自分たちの狂気の叩きつけ先を探す性質があるらしい。 日本語インターネットが膨らむにつれて、ネット上の言語空間のおおきさに比して、参加者の数が過剰になると、日本語の歴史にある、鬼畜米英、贅沢は敵だ、満州十万の英霊に申し訳ないと思わないのか、お馴染みの空気が出来上がって、戦後は少しは人間としての矜恃を取り戻して、恥ずかしい考えだとされていた「通報しました」文化も、ちゃんと復活している。 おもしろいのは、文学にも流行歌にも「20年後の、この国で」という表現が頻出する、1960年代後半は、同時に「戦争を起こしたおとなたち」への激しい反発が満ちている時代でもあって、追いかけて読んでいくと、このころから「おとな」であることや、おとなびた態度は、なんだか濁って汚れた態度だということになって、「子供の純粋さ」「子供のストレートさ」が持て囃されるようになっていきます。 映画でいえば、まるで若者がぶつかってもびくともしない包容力そのもののような佐分利信演じるキャラクタは人気が低迷して吉永小百合や石原裕次郎が憧れの対象になって、当時人気があった怪獣映画でも、いま観ていて恥ずかしくなる「子供礼賛」の脚本になっている。 おとなは汚れたものだ、ということになれば、ものごとの許容の幅が失われて、その結果としては、現実に対処する能力が、社会として、著しく低くなっていくのは当然のことにおもわれる。 司馬遼太郎が、やや理想化された明治時代を描いた「坂の上の雲」を産経新聞の連載小説として発表すると、戦後すぐの左翼思想全盛の時代に、倒産しかけて、「なんでもいいから朝日と正反対のことを書け」の大号令で会社を建て直した、つまりはなんでんかんでん朝日新聞が主張することと正反対の記事を無差別に書くことによって、ほんとはショーバイの勘に過ぎなかったのに、あたかも思想として右翼化したような印象をもたれていた産経新聞の夕刊が舞台だったこともあって、当時の「知識人」を先頭に、「進歩的」な考えの勤め人や学生たちも、こぞって、激しい口調で司馬遼太郎を非難しはじめます。 いわく、軍国主義者 いわく、右翼作家 いわく、戦争賛美者 そこから、日本に興味をもつ外国人が、ぶっくらこいちまうような日本の「左傾化」が始まって、言っていることだけ聴いていると社会主義革命国家なのに、やっていることはカネモウケ爺そのまんまで、国民は熱心に人民戦線民主主義的な理想を語りあいながら、出世競争に明け暮れる、という不思議な印象を世界に与える国になってゆく。 この時代は一見はリベラルの黄金時代とでも言う様相を呈した時代で、 朝日ジャーナルや読書新聞、岩波書店の「世界」に至るまで、「大衆」ベースで利益があがってしまうくらい、「意識の高まり」がものすごかった。 就中、戦前の大日本帝国がいかに酷い国だったか、戦後も中国侵略を進出といいかえる姑息さで、いかに歴史を塗りかえようとしているか、リベラル人たちは、意気盛んに、ここを先途と論陣を張っていた。 ところが一方では、戦後日本を大日本帝国の継承国家にしよう、戦後のアメリカに押しつけられた民主制と自由の日本は、また原爆を落とされては敵わないから、外見を胡塗して装っているだけの、世を忍ぶ仮の姿じゃ、な側の日本社会は、例えばサブカルチャーの、観ていて、多分、冗談めいていても、安倍首相の「愛国心」は、そのマンガ少年時代の記憶が元になっているのではないかと感じるが、少年マンガ文化の至る所に種をまいて、日陰の、子供部屋の片隅の、社会の表からは見えにくい場所で、「日本は悪くない。英米欧の人種差別的罠に騙されてはいけない。日本は自衛のために起ち上がっただけだ。わたしたちは被害者だ」と吹きこんで、子供たちのあいだに同じ「日本」という言葉で国家をすり替えて、戦後日本ではなく大日本帝国の後継者としての日本を愛する気持ちを育んでゆく。 自分の国を愛したい熱心さが仇になって、この世代は、見事に戦後民主主義と日本、といっても、そのほんとうの顔は大日本帝国、への愛情の、ふたつの相反するものへの愛情を育てていきます。 そこにインターネットがやってくる。 インターネットの特徴は、誰でもが参加して、思いのままに話すことが出来る点で、試験による選別なしに学生をうけいれた欧州の大学とおなじようなもので、その結果は、まずカオスから出発することになる。 もうひとつの特徴、というより欠点は、特に初期において「数」の世界であったことで、支持する人間が多いことが正義の証しと錯覚されていた。 フジテレビがいかにして松竹大船撮影所に打ち勝ったか、考えてみればわかるが、事象の質の理解力に劣る人間社会では、常に愚かなものが大多数を獲得する。 愚かでいることには知的意志を必要としないからです。 いっぺん、バカになってみればわかる。 人生が、とっても楽だから。 毎週、異なる女の人たちの脇で目をさまして、朝からシャンパンを飲んでケラケラ笑って遊んでばかりいた本人が言うんだから、間違いない。 なんちて。 愚かな人間というものは、なにしろ認識の解像度が低いので、本人が、薄ぼんやりした、うすらバカ頭で、「だいたい似たようなものだ」と感じたものは、みな同じものだということになっている。 フジテレビと松竹大船撮影所でいえば、小津安二郎は、画面の人物の角度までなんどでも計測して、やり直しさせる高解像度の世界認識で出来た映画で、テキトー演技でお涙頂戴の「お茶の間ドラマ」や「メロドラマ」と競合しなければならなかった。 もちろん、負けました。 だって安っぽい涙と人間性への強い共感から流れる涙の区別がつかないんだもの。 松竹経営陣は、小津の映画は、どれも全部おなじだ、と認識解像度が低い人間らしい意見で、「あんなもの日本国内でしか通用しないし、もっといえばテレビでも視聴率がとれない」と言われて、ずっとあとで、欧州の熱狂的なファンたちが日本にまでやってきて京橋のフィルムセンターに巡礼し、ビデオ店でVHSを物色するようになるまで、ほとんど忘れられた存在になっていった。 インターネットは、日本語では、いわばテレビ化して、どんどん参加者が増えて、どんどん質が悪くなっていった。 「リベラル=日本の悪口を言う人」な、幼稚を極める一群の愛国人、いわゆるネトウヨが、バーチャル街宣車の屋根に立って、「日本の悪口を言うな。ぼくが許さん」の御託を並べるようになるのは必然だったでしょう。 このネトウヨなるひとびとは、驚天動地の知識のなさと知力のなさの両方を兼ね備えた、無敵のバカっぷりで、ネトウヨに連なるひと以外で、多少でも彼らに知性があるとおもった人は皆無だとおもわれる。 いま観ても誰にも判りやすい頭の悪さです。 あまりに、ひどいので、「あんなのは放っておいても無害だろう」と考えた人が多かったのも当然といえば当然でした。 ところが、ところーが 好事魔多し… Read More ›

  • アポロ・シアター(Apollo Theatre)

    (この記事は2011年4月10日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲載です) ハーレムのアポロシアターへ行った。 わしが現代のミュージシャンのベスト20に絶対はいるべ、と思っているSalif Keitaのコンサートがあったからです。 途中のセントラルパークのすぐ北にあるやたらにおいしいエチオピア料理屋でアフリカ人の友達と待ち合わせをしていった。 民族衣装に身を包んだ奥さんはゴージャスで、大元はアフリカ人だが何代か前からイギリス人の旦那はデヘデヘしておる。 きらめくような生地の長いドレスに頭を高く巻いてドレスと同じ生地の大きなスカーフで頭をくるんでいる。 向こうから、歩いてくる友達の奥さんを見て、か、かっこいい、とみほれてしまいました。 モニとふたりでマジで見とれてしまった。 エチオピア料理屋では、もちろんフォークもスプーンも出てこない。 途中でなげだして、「すんまへん、フォークをください」ちゅうような軟弱なことをゆっているのはわしだけであって、他の3人はちゃんと薄灰色の片側が酸味で片側が酸味でないように伝統的な方法で焼き上げた、えもいわれない天上の味のパン(ジンバブエ人の友達は「あれは、悪魔の味だ」というが)をうまく使って食べている。 アフリカンブリティッシュ旦那が「ガメは、相変わらず、ぶっくらこくくらい不器用だな」とゆって笑っておる。 うるへー。 料理屋からアポロシアターまではハーレムを歩いていった。 街の様子がセントラルパークの南とは異なるのはあたりまえだが、この頃はアフリカ語で話しているひとがまた増えた。 120thまでは聞こえてくる言葉がアフリカ語のほうが英語より多い。 アポロシアターにつくとバーでワインを買う。 ねーちんが、なみなみと注いでくれます。 「おつり、いらないからね」と、わし。 「くれっていっても、あげないもん」 そーですか(^^) アポロシアターなのだからあたりまえだが、働いているひとも皆アフリカンアメリカンのひとびとである。 わしは、何度も書いたが、不明な理由でアフリカンアメリカンのひとびとと相性がよい。 向こうも、ケミストリをビビビと感じるようで、どこにいても、アフリカンアメリカンとはすぐに友達になる。 「むかしのようにアフリカンアメリカンの綺麗な人と仲良くなりすぎてはいけません」とモニには深刻に厳命されておるし、実際、結婚まえのように、クラブで(酔っ払ってはいても)ふつーに話しているつもりでいるのに、いきなりチ○チンをぎゅっと握られてしまう、というようなことになると、モニさんに生活から蹴り出されてしまうので、十分、注意しておりまする。 アポロシアターとかにやってくると、そーゆー意味で緊張してしまう。 あんまりリラックスしすぎないように緊張するっちゅうのもヘンなものだが。 前座はアフロキューバンバンドという触れ込みのキューバ人たちのバンドで、メインのパーカッションのにーちゃんよりもピアノのねーちんのほうがよかった。 声もよかったし、リズム感もよかった。 アドリブにはいってもリズムが壊れなくて、原子時計みたいに正確です。 ピアノを弾いていて歌を歌っていて、なかなか出来る術ではない。 アポロシアターは、デザイン的に無茶苦茶カッチョイイ劇場だが、セキュリティが悪いのとPAがボロイので有名でもある。 初めは英語で話していたのに途中からめんどくさくなってフランス語になっちったチョーえーかげんな司会の雄叫びと一緒に、バックコーラスのかっこいいねーちんふたりが踊りながら歌いだして、相変わらず白装束のサリフ・ケイタがあらわれると日本語では表現できないroarが、劇場に響き渡る。 サリフケイタは不思議なひとだ。 抜群のリズムで出来た曲を書くのに、その曲を歌うときには小さなステップひとつ踏まない。 北島三郎が「東京だぜ、おっかさん」を歌うよう、というか、三波春男が「東京ちゃんちきおけさ」を歌っているときみたい、というか、棒立ちで歌う。 バンドはのりまくり踊りまくりステップ踏みまくりで演奏しているのに、サリフケイタは棒立ちのままです。 しかも、ぶっ壊れたアポロシアターのPA。 割れる音。… Read More ›

  • ブラックパンサーナイト

      (この記事は2018年3月13日に「ガメ・オベール日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲載です)     スライダーという。 ハンバーガーが、ままごとサイズになったみたいなサンドイッチです。 ハンバーガーが一口でまるごと食べられるサイズになって、三つ、お行儀良くならんでいる。 他にはチキンピザとカラマリを頼んだ。 ワインはChurch RoadのMcDonaldシリーズのシラズを一本。 リクライニングになっている深いカウチに腰掛けてトレイに並んだ食べ物をたべながらワインを飲んでいると、メルボルンのIMAXにもっとでっかいのが出来るまでは「南半球最大」と称していた巨大なスクリーンに Marvel Studio の文字が出ます。 はっはっは。 そー。 ブラックパンサーを観にきたのさ。 アフリカ系アメリカ人の友達が、すっかりコーフンしてスカイプをかけてきて、珍しくビデオをいれようというから、いいよ、と述べて、ああなんてなつかしい顔だろう、ニューヨークにいれば、この顔を間近に観ながらランチが食べられたのに、と考えていたら、いかにブラックパンサーが素晴らしいか、感動的であるか、ネタバレにつぐネタバレで、ぼくはネタバレを気にしないので、別にいいけど、主要人物の死に様まで、微に入り細をうがって説明してどーするんだ、と思いながら、それでも、観に行かねばならんのね、要するに、と考えていたら、さよならのあとに、やおら腕を胸の前でクロスして挨拶してスカイプが切れた。 ぶははは。 それでビデオ・オンだったのか、ガキみてえ、あんたも35歳になって、大学の準教授でしょうがね、と笑った。 素晴らしい映画だった。 わしの日本語ベースのツイッタアカウントの数が少ない英語ツイッタ友達であるRowenaと短いやりとりを、ここに貼っておく。 アフリカ系のひとびとの感動は、なぜか、映画を観ればわかる。 そこに描かれているアフリカは、マーヴェル的な近未来装飾を剥がしてしまえば、「そうあらねばならないアフリカ」そのものであって、ツイートにも書いたように、現実には2050年にアフリカがブラックパンサーがヴィジョンを与える「誇り高いアフリカ」が存在しなければ、このブログ記事になんども書いたように、世界は滅びるしかないのでもある。 暗闇のなかで涙をぬぐっていたわしを、モニさんが、いつものやさしい眼差しで見ていたのを知っている。 モニさんと会う前のわしがアフリカ系アメリカ人のコミュニティと関係が深くて、会っては、うまく気持があわなくて大喧嘩して別れてしたりした、その頃のガールフレンドにはアフリカン・アメリカンの人たちがいたのもモニさんは知っている。 投資でも、これはとおもうアフリカ人の会社に投資していたりして、まるで前世はアフリカの人であったかのようにアフリカに肩入れして、変わり者あつかいされたり、ひどい場合には、そんなことを言うやつは自分の頭がいかれているに決まっているが「白人種の敵」呼ばわりする人もいる。 だから、モニさんは、(他のすべてのこととおなじように)、なぜわしが泣いているのか、ぬぐってもぬぐっても出てくる涙に頬を濡らしているのか、よく知っている。 たかがMarvelムービーでないか、と訳知り顔で述べる人がいそうだが、そうではないのです。 ブラックパンサーには、アフリカ人が奴隷船の船底で夢見た自分たちの「真の姿」が、白い警官に警棒でぶちのめされて顔を押しつけられたアスファルトをなめさせながら、信じたアフリカン・アメリカンが「知っている」自分たちの「真の姿」がある。 彼らの魂のなかにだけあったワカンダが、可視化されて、アフリカの荒野に姿を現している。 未来が映画のスクリプトをとおして現出している。 最後のタイトルバックが終わっても、ぼくはまだ泣いていて、モニさんは、それが当然であるように横に静かに座っている。 もう誰もいなくなった館内に、隠された結末である国連のシーンが流れています。 居並ぶ白い人や黄色い人の皮肉な表情をみればわかる。 この世界がスタティックで、戦わない人間が正義だった時代は終わってしまった。 戦う人間だけが人間として生きてゆく権利をもっている世界の到来を、この映画は告げている。 世界のうえには、有史以来、いくつかのパワーセンターがあって、当然のことながら、500年前ならば、パワーの中心も少なく、衝突なく伸長して、人間はスタティックな安定のなかで平和裡に成長することができた。 その自由伸長の時代が初めに終わりを告げたのは中国を中心とした東アジアと欧州で、これらの地域では他と戦争という形で争わなければ伸長はかなわなかった。… Read More ›

  • Vernazzanoの斜塔

    (この記事は2013年5月29日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲載です)     1 泊まっている農家の持ち主が近所のひとのパーティに呼んでくれたのででかけた。 この農家の持ち主はミラノの音楽家で、パーティを開いたのはローマの音楽家です。 ドイツ人たちとイタリア人たちとフランス人とイギリス人のカップル(モニとわしのことね)がいる小さなパーティは6時すぎから始まって、10時過ぎまで続いた。 ドイツの人たち(大学の先生と高校の先生、ビジネスマン…)はすぐに自分の国を誇るという欧州でのドイツ人のステレオタイプイメージに沿っていて、ちょっと声を潜めていかに欧州におけるドイツの役割がおおきいか述べてしまうし、さらに声を潜めて、「きみ、知っているかね。イタリアには公式にはドイツ語とイタリア語を話すことになっている村があって、実のところ、イタリア人たちがいなくなるとドイツ語だけで話すのさ」と、さもそれが重大なことであるように厳粛な顔をつくって話す(^^; イタリア人たちは、「この辺の道は、ぶち壊れているのに誰もなおさない。ドイツなら2日目にはもうなおっているけど、この国では未来永劫そういうことは起こるわけはない」とドイツ人たちに述べている。 わしが笑いをこらえるのに苦労したことには、ドイツ人たちの反応は、「ええ、わたしらの国ではイタリアで起きるようなことは起こらない。道路が荒れ果てたまま放置されていることに驚きました」であったことで、ドイツの人は欧州での評判どおりというか、ナイーブというか、何も考えてないというか、オモロイと思う。 欧州人という種族はみんな全然違う文化に拠っているのに、めいめいそれぞれ自分勝手にお国自慢で、欧州人が集まるパーティは上流階級のものでもアカデミックなものでも近所のものでも、その点では変わらないところが可笑しい。 パンにオリーブオイルをぶっかけて塩をひとつまみふったブルスケッタとオリブの実のペーストを塗っつけたパン、ウンブリアのフェネルをまぜた豚のソーセージや野生のイノシシのソーセージで始まったパーティは、パーティ主であるイタリア人たちの職業のせいでイタリア音楽界の危機の深刻さの話に及んで、もう音楽団体がひとつしか生き残っていないのだと聞いてぶっくらこいてしまった。 知らなかった。 欧州では、嫌味を言うとドイツの長年の夢がとうとう果たされたというか、ドイツが大旦那で、自然、他の国民はメルケルさまさま、ドイツ人がご主人様な雰囲気で、放蕩息子と化した趣のあるイギリスや口うるさいだけの伯母さんみたいなフランスは圏外である。 新聞がどう述べても人心とは正直なものであって、口吻にあらわれてしまう。 ケルンの一般的な高校では生徒の6割がトルコや他の国で生まれた生徒であるとか、表面は欧州人にのみわかる符丁的な「ナイス」な言葉と態度で述べられているが、居合わせている欧州人の誰にも判る一定の言い方で、異文化からやってきた移民をべたほめにほめながら、移民はもううんざりだと言っている。 わしは相づちをうちながら、「多文化主義」が欧州では完全に終焉を迎えたことを確認している。 2 午後にはVernazzanoの斜塔 http://www.trasimeno.ws/torre_vernazzano_it.html へ行った。 無理をして行こうと思えばクルマでも行けそうだが、キャンピンググラウンドの門の近くでクルマを降りて森を抜けて歩いていくことにした。 Vernazzanoの斜塔は「ツーリズム」ということを考えるときには、いつも興味深い。 歴史的にも建造物的にもVernazzanoの斜塔はPissaの斜塔に何の遜色もない重要性をもっている。 それなのになぜPissaの斜塔ばかりが有名でVernazzanoの斜塔は知っているひとすら少ないかというと、簡単に言えば「商売の上手下手」の違いに帰着する。 信じるのが難しいが、今日のパーティでドイツ人夫婦が盛んに述べていたとおりSantiago de Compostelaも30年前は、誰にも見向きもされない町だったので、観光においてはマーケティングの才に恵まれた人間がスポットライトをあてるか否かは、決定的な問題なのです。 キャンピンググラウンドでクルマを駐めたモニとわしは、「ほんとうにこの道かなあー」と言いながら、緑が深い森の凸凹の道をどこまでも歩いて行った。 塔が見えるもなにも、開けた視界というものがないので、道の先になにがあるのかも判らない。 それまで降りしきっていた雨が止んで、太陽が出る頃になって、不意に視界が広がって、向こうの森のそのまた向こうに巨大な塔がたたずんでいるのが見えた。 中央に大きなクラックが走っていて、補強のための鋼鉄線のケーブルが何本か張られている痛々しい姿で、Vernazzanoの斜塔は立っていた。 こんなことを言うと笑われてしまうが、なんだか南アメリカのジャングルのなかでエルドラドを発見した探検家かアンリ・ムーオのような気持ちになる。 ともあれ、森を歩いて原っぱに出て塔を発見したときの感動はかなりのもので、他の国ならとっくのむかしに観光開発がすすんで、道は凸凹どころか、舗装されて道路の両肩には「Vernazzanoの斜塔まんじゅう」を売る店が殷賑を極めてるのは見えているので、「やっぱりイタリアはオモロイ国だなああ」と考えました。 帰りにはドライブインに寄って、プラスチックの皿に盛ったfedeliniのラグーソースを食べた。Suppliとテーブルワインとフリザンテでひとりあたり€9。 街道筋でトラックがいっぱい駐まってるドライブインはおいしいというガメ理論が現実によって補強された。 3 「相手にされていない」のだと言うひともいるし、「差別だ」というひともいるが、なんだかそういうことではないのだと思う。 日本は欧州人にとっては「知らない国」だし「知ろうと思ってもとりかかりがない国」だし、皮肉な言い方でも誇張でもなく「普通の欧州人」にとっては「存在しない国」である。… Read More ›