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  • 未来を思い出す

    どうしていますか? どうしているかって、毎日、話しているじゃない、と、あなたは、あの「知」そのものの輝きを宿しているような眼を見開きながら、可笑しそうに言うだろう。 うん。 そうなんだけどね。 見上げると、高い屋根の下には、ガーゴイルたちが、頬杖をついて、地上を見下ろしている。 ぼくは人間の子がつくった通りを歩きながら、喉が渇いて、店に入って、グラッパを一杯。 知ってるでしょう? ローマではグラッパは「acqua」で、人間の身体を満たすべきものなんだ。 歩道をあるきながら、ぼくは考えている。 戦争がやってくる。 世界の隅々にいたるまで 戦争が、あふれでた水の、洪水のようにやってきて、 きみやきみの家族や、愛しい人を、 濁流のなかに連れ去ってしまう。 こんな時代に、理窟なんて、あるわけはない 通用するわけがない そんなときに、 あなたやぼくが愛する美術館や寺院に展示された「美」には、意味なんてあるだろうか ぼくにはね たくさんのたくさんの人が死ぬのが見えます 彼らは死ぬだろう 東欧の荒野で ポーランドの森で フィンランドの峡谷で 彼らは死ぬだろう 恋人の面影がおもいだせないと呻きながら あれほど愛しい人の笑顔がなぜ思い出せないのかと呪いながら 舞台が暗転するように この世界は変わってしまったのですよ おぼえていますか? NYCのMETのバーで、シャンパンのボトルを何本もカラにして 広大な館内を ふらふらと歩き回った メソポタミアやエジプトの 美しい人達が 「どうも現代人は、しようがないね」と呆れ果てて 千鳥足のぼくを見ている 言い訳できるよ あのときは 未来をおぼえていて… Read More ›

  • 過去をめざす

      もうどうでもいいか、と、ふと、おもう。 自分で勝手に、そう思っているだけかも知れないが、 打てるだけの手は打ってあるので、定石に従って、あるいは信頼できる人や機関のアドバイスに従って、自動航行になっていて、 考えて見れば、いっそ、しばらくは、なにも考えないでいたほうがいいような気もする。 いま現在の、自分に関係なくはない時事的なことを述べると、 どうやらペロシが木曜日に台湾を訪問することは確実で、 この一手はホワイトハウスとペロシが、多分、熟慮を重ねて決めた大胆な手で、 こちらはアメリカのほうに立って観ているので、 台湾のセキュリティにおおきく梃子入れするための勇敢な踏み込みだが、 中国政府の側に立てば、誰にでもわかる、顔が青ざめるような挑発で、 いったい、どうして自分はこれほどの侮りと恫喝を受けねばならないのか、 理解しかねるほどの仕打ちで、 秋の10月/11月に予定された党大会の季節に向けて、 そうか、アメリカの野郎、そこまでして、おれを引き摺り落としたいのか、 と中国の内政への圧力であることを判っている習近平は、 そのあたりの家具を叩きこわしたいほどの怒りに震えているでしょう。 でも、そういうことも、静かな惑星の運動のようなものだと、思えば思えないこともない。 言い訳染みるが、人間とはそういうもので、自分のcomfort zoneで起きることへの反応と、ペロシの訪台のような、おおきなpublicで起きることへの反応は、別の次元に属していて、両方ともに、切実なときは切実だが、 実感は、まるで違う人が考えてでもいるように、異なっている。 頭のなかで起きていることを観察してみると、なるほど世界は、こんなふうになってきているのだな、と遠くの雷鳴を聞き分けるように聴いてはいるが、 一方では、今月のように大雨が続くと、新しいデザインのボートやヨットは、そもそも船体が一体成型のファイバーグラスで、あるいはおおきなものはスティールで、真水が空から大量に降ってきても、なんの問題もないが、 所謂クラシックボートは、ファイバーグラスでコーティングしてあったり、 上部はまったくの木製であったりして、ペイントの細かいひび割れから水が滲出して、船体の骨格をつくっている木を傷める。 そういえばグリーンのペイントはストックしてあるが、ホワイトがない。 水タンクは満タンになっているはずだが、ガスボトルは、あれ? 最後に交換したのはいつだったかな と、そんなことばかり断続的に考えている。 バブルの神様に気に入られたんだか、なんだか、 お下品なことを述べると、収入は増加する一方で、投資家といいながら、馬鹿げたことに借金もないので、いよいよオカネのほうは頭から失念されていて、もともと自分で言ってしまうと、友人たちより、ずっとfrugalで、贅沢は落ち着かない性格なので、オカネからは自由で、 いわば「オカネが存在しない生活」を、もう10年以上続けているわけで、 貨幣経済もなにも、現金はおろか、クレジットカードにさえ手に触れなくて、 実際、この瞬間も金庫に入っている限度額が高い、プラチナやブラックの数枚は別として、いつも使っている限度額が15万円程度に設定してあるブルーのカードは、コートにポケットに入っているか、どれかのヨットかボートの寝室の毛布に紛れているかで、そもそも物理的なカードがどこにあるのかも判らない。 日本のクレジットカードシステムは、あれは日本独特で、毎月決まった日でないと払わせてもらえないので、それじゃ「クレジット」はどこにあるんだと驚いたが、普通はクレジットカードは、ときどきオンラインでチェックして口座からオカネをtransferして、クレジットを$2000なら$2000にしておく。 あるいは限度額が$2000のカードで$5000の買い物をする予定があれば、あらかじめ$5000~$6000ドルをカードの口座に移しておく。 で、通常は、おぼえているのはカードの裏側のセキュリティの三桁の数字だけで、COVIDパンデミックがつづいているので、一応注意はしていて、感染接触機会を確率的に減らすために、オンラインで注文できるものはオンラインで注文して、家には、家の人たちが注文するものと、家の主のカップルが気まぐれに注文するものと、一日に二回、配達のトラックがドライブウェイを両側の生垣からの枝をかきわけながら、やってくることになっている。 静かな日常がつづいている。 美点に数えてもいいが、なんにでも直ぐ飽きる割に、退屈するということはなくて、積ん読という面白い日本語があるが、読みたい本や、やりたいこと、ヨットで行ってみたい入り江が「積ん読」になっていて、 遊びたい病の門前に、やることが列をなしているので、… Read More ›

  • 流星群の夜を目指して

    中国政府による香港民主制の破壊を個人の自由という観点から見てはいけないのだ、という。 だって、そんなこと言ったって、ぼくなんか、他の視点から観ようがないんだけど、と述べると、なんだか哀れな仔犬を観るような目になって笑っています。 テーブルの上にだしてあったタブレットのグーグルマップを見せてくれる。 ほら、ここが香港でしょう? 右を見ると、 と滑らせた指の先を見ると、そこには台南があります。 Xiamenでは長期の補給を担う能力がないからね、と述べている。「Xiamen」のところだけ、美しい北京語です。 ここに来て、果然、中国は台湾に武力侵攻することに決したのだ、という妙に精確な細部を備えた情報が世界を飛び回っている。 直截の理由は、もちろん、ウクライナ人に歓待されることを見込んで、作戦計画らしい作戦計画もなしに国境を越えて侵攻したロシア軍が、コテンパンに負けて、十日で作戦が終了する見込みで補給やら動員を考えていたのに、ずるずると五ヶ月を過ごしたウクライナ侵略の性格が変わって、というよりも戦争へのロシア国民の認識が変わって、NATOに象徴される「西側の拡大主義」に対する「祖国防衛戦争」というイメージを行き渡らせることに成功したからです。 こうなってしまうと、ロシア人は伝説的な耐久性を発揮して、テコでも退かなくなってしまう。 負けに負けて押し返されても、後方へいったんさがって、兵員を補充して、体制を立て直して、再度挑みかかってくる。 ロシアはこの「国民戦争状態」になると、経済制裁もたいした意味もなくて、いわばロシアというヨーロッパから極東にまたがる文明の、ヨーロッパ部分を捨てて、アジア人として戦場に帰ってくる。 この状態になったロシア人にとっての西側は「贅沢を供給する文明」です。 ところが、まるで母なるロシアの大地から生えてきたとでもいうようなアジア人としてのロシアは、食料もエネルギーも、その他もろもろの戦争遂行に必要な資源は、すべて自給できる、化け物の戦争体力を持った国として姿をあらわす。 戦争が長引くことは決定的になった、と中南海は判断したでしょう。 だとすれば、と習近平執行部は考えたに違いありません。 時期尚早だと独り決めにして、調略に注力していた台湾の武力による奪回を考えるべきなのではないか。 人民解放軍からすれば、対艦ミサイルをぶっ放しまくって、アメリカの空母攻撃群を全部沈めてしまっても、なお沖縄から飛来する米軍との戦いだけでも劣勢に立たせられるに違いない、成長途上でしかない空軍と海軍は劣勢でも、なお余り有る、時勢の加勢がある。 インテリジェンスからの引きも切らぬ報告に基づいて、対中国に軍事姿勢を転換しようとしていた、ちょうどそのタイミングでロシアがウクライナに侵攻したので、アメリカ軍の再編成はまだ端緒にもついていません。 まして、むかし厳冬のチョシンで全滅寸前まで叩きのめされて、人民解放軍への劣等感と恐怖心を嫌というほど叩き込まれて、「中国恐怖症」の持病を持つに至った陸軍は、いまのままでは台湾で相見えた途端に、くるりと回れ右をして台湾の北端か南端に、あるいは、もっと状況がわるければ花蓮に逃げ込むことになりかねない。 かつては三正面に対応しうる巨大な軍隊だったアメリカ軍も、伝統的な戦闘から対テロリスト作戦に移行するにつれて、規模の縮小を続けて、オバマ大統領を経た時点で、1.5正面に対応するのがやっとの規模です。 トランプは、なおさらで、言うことは威勢がいいが、実際は自分に利益をもたらすためにアメリカ合衆国を改造しつづけることに熱中した結果、今度は規模はそのままだが、中身が空虚な状態になって、張り子の虎へ軍隊そのものが向かっていった。 トランプへの、将軍たちを含むアメリカ軍人たちの叛旗は、クーデター寸前まで行っていたのが、いまでは判っているが、戦争の恐ろしさを判っていない、なにをするか判ったものではない、危ないおっさんを軍の最高司令官として戴くことへの不安だけでなく、自分たちの軍の健やかな伝統をトランプが台無しにしようとしている、と感じたことによって動いたのでもあったでしょう。 呑気で優柔不断なバイデンが手をつけかねているうちにアメリカ軍は、どんどんボロボロになって、いまはどん底に近い状態にある。 軍首脳は一大改革を実行する前夜で、とにかく欧州正面からアメリカ軍を引っこ抜いて、ジューコフの西進さながら、とまでは言わないが、正面の大転換をおこなって、あわせて軍の改革を行う直前の状態で、プーチンの軍隊がウクライナに、突拍子もない、というか、雪崩れ込んできた。 するとですね、どうなっているかというと、北は尖閣諸島から、南はスプルーアンス諸島まで、戦場を中国が選べる状態になっている。 この情勢をプーチン執行部と習近平の中南海が見逃すわけはなくて、日本のいわゆる(もう安倍首相の大失敗のあとでは戒名みたいなものだが)「北方領土」から沖縄まで、通常の迎撃対策能力調査だったのが、実戦に準じた、戦略爆撃機を中心とした編隊による演習に変わって、いまでは、居直っているというか、堂々とロシアと中国で合同部隊を組んだり、合同作戦の姿勢を取ったりして机上演習でやっていたことを、日本近海の上空でやるようになった、 恫喝としての意味はないので、要するに日本を攻撃する「練習」をしている。 そう言っては悪いが、国民党軍の伝統と考えればいいのか、台湾軍は有名な腐敗軍隊で、装備品の横流しなんて朝飯前、その結果、見えない部分(例:弾薬)の定数が揃う部隊のほうが珍しいくらいだと言われていて、まさに「張り子の虎」で、世界最弱の軍隊のひとつに数えられている。 一方の日本の自衛隊も、日本国内では、まるで違う話になっているが、 もしかしたら台湾軍より弱いんじゃないの?とヒソヒソされる軍隊で、 取り分け安倍政権のときに、利権という、あんまり戦闘に役に立たない理由と、見栄で弄り回したあげく、とんでもない有様になっていて、 チョー失礼なことをいうとヘリコプターの定数を見ると「7」なんてヘンテコリンな数が書かれていたりして、チョーチョー失礼にも、吹き出してしまう。 むかし軽井沢から高速道路で東京に戻る途中、どういうタイミングでか、日本海側に駐屯する自衛隊の車輌と頻繁に出くわしたが、モニさんがびっくりするくらい兵士のひとびとがデブデブで、なんだか相撲部屋のお相撲さんたちが、軍服を着てピクニックに出てきたように、みな楽しそうで、 ウキウキした様子で、見て判るほど車内ではしゃいでいて、皮肉でなく、 日本は平和な国だなあ、と感心していた見ていました。 あんまり正直にそのまま書くと、なにを書いても核心に触れたことを書けばコーフンして押し寄せてくる、いつものひとびとの「興奮スイッチ」が入ってしまうので、詳しくは書かないが、日本の自衛隊もまた、例えばバランスが悪い、なんだかオモチャみたいな空母まで持って、アメリカ人たちを苦笑させている国家としての見栄だけで出来たような編制も含めて、 世界最弱に数えられる、お飾り軍隊にしか過ぎない。 勢い、台湾に侵攻すれば、人民解放軍にとってはアメリカ軍との一騎打ちだが、例えば、月月火水木金金、毎日猛訓練に明け暮れていても、海軍は、ひとつの文化なので、成熟に時間がかかって、そう一朝に出来上がるものではありません。 とにかく、これは昔から掛け値なく世界最強を謳われて、ベトナム侵攻ではボロ負けしてメンツを失ったけれども、ようやっと自信を取り戻して、現代化もITを中心にかなり進んだ人民解放軍の陸軍を揚陸させて、一方では香港の後方補給基地化を急いで、どんどん戦力を送りこみつづけるしかない。… Read More ›

  • 日本語を再訪する

    最近、日本語に近付きすぎではないか、とおもう。 もう十余年やっているので、日本語や日本語社会との距離を詰めすぎると、 自動警報が鳴るようになっていて、ここ数日は赤色灯が点滅しているような気がする。 このあいだも世界の犯罪のインフラストラクチャーが変わって、Dark Webに転換されつつあることを、ひょっとして日本の人は知らないのではないか、とおもう発言が新聞の「識者のコメント」に出ていたので、不安になって、「タマネギの世界」という記事を書いたが、考えてみると、日本の人が世界の変化を知っていても知らなくても、それこそ知ったことではないし、そのために「警告の記事」を書くなんて、余計なお世話以外の何ものでもない。 第一、「世界では常識になっているが日本の人だけが気が付かない〇〇」について書くことくらい、書くほうにとって退屈なことはないので、 自然、日本語も、やる気のない日本語になって、書いて、嫌な気持ちしか残らない。 ちょっと、こういうことは二度とやめよう、と考えたが、書いてしまうと、これを、もの好きな人しか読んでいないブログだといっても、置いて、誰もが帰ってきて読めるようにしておかないと、まるで、判っていて何もしなかったようで、あとで気分が悪いだろう、と考えて、渋々、公開しておくことになる。 そういう話の全体が、いかにも「日本語と付き合っているときの自分」で、日本語は言語として大好きでも、日本語と付き合っているときの自分は鬱陶しいと感じるので、なんとなく、気分が落ち込む。 他の言語に逃げてしまえばいいが、最近、ほいほいといなくなれないのは、 「何かが迫っている」ような気がしているからでしょう。 いままで、どんなことを述べて来たかというと、経済や政治にについては第二次安倍政権が出来たことから、何度も何度も「アベノミクスは見せかけの経済復活をめざす政策で絶対にうまくいかないどころか、いままで日本経済に回復力を与えていた財政基盤を破壊する」 「見返りを求めないで国富をばらまくような外交を続けていれば安全保障を危機に陥れることになる」で、 前者は、狂信的なアベノミクス信奉者の目にも、いかにもダメだったのが判って、後者は、勘がいい人にとっては、遠くの雷鳴のように聞こえ始めている、というところでしょう。 最も危惧というか、真剣に余計なお世話で、どうしても言わずにはおれない焦燥に陥ったのが、日本語の危機で、これは、なにしろ当の、その言語のみを使って思考する人がほとんどなのだから、当たり前だが、誰にも、ほとんど意識されないまま、これをまだメジャー言語に数えていいかどうか、ためらうくらい、局所性の強い、世界のたくさんのことが説明したり描写したり出来ない言語になって、「日本語が亡びるとき」という本があったが、正に、亡びてしまった、というしかない状態になっている。 言語の再建、というようなことは、もう無理で、長く日本語に、 世界の文化·知識の輸入と日本語自体の再生という利益をもたらしてきた、出島の役割を長くはたした翻訳文化を捨てて、英語と日本語の二本立ての国語にしていくしかなくなっていくでしょう。 ベンガル語やヒンドゥー語と英語を家庭内ですら自由に行き来するインドの人達のように、さっさとやってしまえればいいが、仮に出来なかったとすると、「自分でも訳がわからないのに国は低迷する」という事態の深みにはまっていく。 言葉が壊れているということは思考が壊れていることで、認識そのものが、ちょうど黄斑病で歪められた視覚のように歪んでいることになる。 なんだか、ほんとうでない世界が見えてしまう。 せめて、それを補正する程度には英語でものを考えられねばならないが、そうなると、長く続いた翻訳文化が邪魔で、ひどければ眼や耳から入ってくる英語を、いちいち日本語の語彙や構文になおさなければならなくて、 落ち着いて考えればわかるが、それでは英語で考える地点から、逆に、英語に接すれば接するほど遠くに後退してしまうことになる。 むかしは、こちら側にやってくる日本の人達を観ていて、頭がよく、聡明な、学校の成績がよい日本人ほど、いつまでたってもヘンテコリンな英語で ヘンテコリンな考え方なので、不思議で仕方がなかったが、最近は、その楽屋事情が判っていて、つまりは、言葉にすると冗談じみているが、英語を勉強しすぎたのが理由なんですね、あれ。 普通の人間にとっては、最良の外国語習得法は、「いろいろやってみてるうちに身につく」というだけで、自分でスペイン語を身に付けようとした頃を考えると、たまたまということになるが、まずは歌で、スペイン語の曲が多いフランス人シンガー·ソングライターのArno Eliasや、スペインのMigue Boseを聴いているうちに歌詞を知りたくなって、語彙やフレーズが、ドッと頭に入ってきて、例えば、なんでolividameなの?というふうに語形変化が判らなかったりすると、文法を調べたりして、そういう不定形なスペイン語との接し方で、考えてみると、日本語のときと、そう変わらない。 「やってはいけない」方は、これは、はっきりしていて「和訳するのは極力避ける」で、これさえやらなければ、言語の習得は、案外、簡単です。 友だちを見ていても、言語の習得は「身につく」レベルまで6~8ヶ月で、日本語のように、飛びきり習得が難しい言語でも、1年内外の時間があれば、なんとかなっているようでした。 それも言語の習得は学問ではないので、闇雲に、遮二無二やって身について、「効率的な方法」は有意なほどには役に立たない。 だいたい自転車に乗ることを習得するくらいのもんだ、くらいの気持でいいのだと思います。 余計なことをいうと、スタートする年齢も、あんまり関係はなくて、「子供のときでないと身につかない」というが、もしかすると子供のときのほうが、やや有利かもしれなくても、ほとんど関係がなくて、おとなになってから始めて不利だという例は、少なくとも自分のまわりで見たことはない。 「脳の構造の違いから来ている」と、わざわざ画像付きで説明している本まで観たことがあるが、内輪では「日本人は模倣には巧みだが創造には向いていない」とオオマジメに説明する人が、いくらもいて、しかも御丁寧に画像付きで、 「器質的に日本人にはモノマネしか出来ない事は、ほら、この通り医科学によっても証明されている」と得々と「実証科学で証明された」論を述べる医者がいたりする社会に住んでいると、おお、なるほど、と言うほかに反応の示しようがない。 もう何度も説明したが英語世界では文豪のひとりに数えられるポーランド語圏ウクライナ出身の作家、ジョゼフ·コンラッドが生まれて初めて英語に接したのは船員時代の20歳すぎのことだったし、早い話が、最近では英語で書いたほうが、より多くの読者を得られると判断して、さっさと英語を習得して、英語でベストセラー作家になる人は、インド·パキスタン·アフリカ諸国には大勢居る。 何度書いても、ポッと頬が赤くなってしまう言葉だがやむを得ず使うと、処女作で、いきなりブッカー賞を取ったケララ人のArundhati Royなどは、日本でも知っている人が、たくさんいるはずです。 もっと余計なことを書くと、いつかtwitterで話していたら、ロンドンで学校生活を送る前はデリーで育った金沢百枝さんは、子供のときはヒンドゥー語を話せたそうで、いまはどうなのかと訊ねると、「もう忘れてしまった」と述べていて、これはぼくの日本語記憶と、ほぼ合致する。 多分、子供のときの言語は、おとなになってからの言語と「別の箱」のようなものに入っている気がします。 おとなになると、くだらない理論が、船底のフジツボのようにこびりついてしまうだけで、あんまり年齢論は、説得力がない。… Read More ›

  • タマネギの世界について

      検索エンジン、たとえばグーグルで検索しても絶対に引っかからない、インデクスを持たないwebサイトをDeep Webと言う。 おおむかしの、2003年だかのブリタニカを観ると、検索サイトを使えば出てくるサイト、つまりSurface Webの300~500倍だと書かれていて、たいへんな数だが、異なる言い方をすると、通常のブラウザを使ってネット世界を見ている人は、インターネット世界の10%ほどを見ているにしか過ぎない。 Deep Webには当然、emailアカウントやクレジットカード決済のサイトが含まれていて、現在はDeep WebがSurface Webの1000倍を超えているはずだ、と言っても、なんだか氷山の一角の水面下には闇の魑魅魍魎が蠢いているという訳ではなさそうです。 どんなものがDeep Webと呼ばれているサイトに含まれているかというと ・個人の医療履歴 ・メンバーシップ制のサイトやアカデミックジャーナル ・データベースとイントラネット ・決済履歴とファイナンシャル・レコード ・サイトの持ち主によって検索エンジンにインデックスされることを禁止されたプライベートサイト   で、特に不可視だから不法サイトというわけでないのは一目瞭然とおもいます。   いっぽうでDeep Webのなかでもインターネット全体の5%内外を占めるアウトロー指向のサイトにはDark Webという名前が付いていて、決して検索されない世界で、麻薬取引、軽火器や兵器の売買、銀行襲撃や誘拐、はては、憂さ晴らしなのか、どのくらい実行に結び付くのかは判らないが、あの野郎、気にくわねえから、ぶっ殺してやろうぜ、とか、あんな生意気な女、バンに連れ込んでやっちまおうぜ、と剣呑なことが話しあわれているサイトもある。 地下経済には、なくてはならないネットワークで、暗号通貨を主に媒介にした巨大な地下経済の話を耳にしたことがあるひともいるでしょう。 ただただ悪の巣窟かというと、そうでもなくて、ちょっと頭を働かせれば判るが、圧政国家や国家主義国家に住む人間にとっては、自由経済や自由闘争の牙城を建設するのに適している。 取り締まりが極端に難しいからです。 Dark Webは、当然、通常のブラウザでは不可視でTorブラウザ+VPNでアクセスするのが通常だが、 .onionで終わるTor ネットワークサイトだけで65000ほどのサイトが有ると言われている。 よく日本の新聞に出てくる「闇サイト」の正体は、なんのことはない、高々、ただのパスワードでアクセス制限されたSurface Siteだが、そもそも一般の眼には不可視の広汎なweb世界が存在して、、こうした、銃乱射、ドラグ売買、武器取引、テロ襲撃など違法ビジネスや深刻な犯罪についての具体計画が話しあわれているDark Webが、現在の英語世界の主流で、共同正犯の、お互いさえ正体を知らない、こういうサイトのほうが社会にとって危険なのは言うまでもありません。 個人に近い側に立っていうと、ときどき、気付かないうちにボーイフレンドが隠し撮りにした自分の性行為ちゅうの写真や、強姦被害時の画像、申請して、すべてwebから削除されているはずの自分がAV女優だったときのビデオが、どこからともなく、突然現れて、知人に知らされて初めて知って愕然とする、ということがあるでしょう? あれは種を明かせば「決して表の世界に持ち出さない」と誓約させてアクセス権を与える違法画像サイトがDark Webには数限りなくあるからで、約束を守る気がなくなった人間がSurface Webの世界でばらまいてしまう。     日本語Dark Webは、他言語に較べて、まだまだ、ごく少数で、数が多いのは、圧倒的に、言わずと知れた英語です。… Read More ›

  • 暴力へ向かう世界 

    自分でバゲットを焼くことはできるが、ほんとうにおいしいバゲットをつくるのは、一転、途方もなく難しいので、いまは真冬で、家のひとが、腕に撚りをかけて、シンプルでゴージャスなスープをつくったりすると、バゲットを買ってきたくなる。 風変わりなベーカリーで、バゲットだけをつくるベーカリーは、わし家から、クルマで、だいたい10分もしないところにあります。 近いのだから、グダグダ言ってないで、出かければよさそうなものだが、 そうは烏賊の問屋が卸さない。 もっかニュージーランドは毎日の陽性者数が1万人を越えていて、危ないったら、ありゃしないというか、マジメに対策するのに飽きてしまって、マスクもしないで徒党をなしているひとびとが、あちこちにいるので、人間が少なそうな時間を狙って、さっと出かけて、疾きこと風のごとく、2mの距離を保って、佇って、徐かなること林のごとく、素早くバゲットを手にして場を去る作戦計画を立てないとならない。 家のひとは「わたしが買いに行こうか」と言ってくれるが、まさかそういうわけにはいかないので、K94マスクに顔を固めて、ピュッと行って、ピュッと帰ってきます。 リスクを取ったご褒美で、バゲットにバターをたっぷり塗って、イタリア人が見たら憤慨しそうな、ベーコン入りの、UK式ミネストローネと一緒に食べて、うんみゃあなあ、これだからバゲットとスープは、やめられねえんだがなもし、と、しみじみする。 最近は、面白くもないことに英語での「用事」というものが増えたので、さっさとすませてから、スペイン語の音楽業界人友とテキストメッセージをやりとりして、日本語に出かけると、安倍元首相が殺されている。 日本語ツイッタに出かけてみると、たまたま、こういうときに最も頼りになる武術や武器に詳しいトニどん @TonyChin がいて、あの盛大な真っ白煙をみると、花火やなんかに使う黒色火薬だよね、とか、手作りだね、形状から見てライフリング(施条)もなさそうに見えるが、あんな距離から撃って、標的に命中して、しかも殺傷力があるんだ、と立ち話をして別れます。 日が経つと、山上容疑者が使った「銃」は、トニどんの見立てどおりで、ビデオをみると、安倍元首相の周囲をじっと観察して、背後の警備が空白になっているのを見極めて、ゆっくりと近付いて、射殺している。 動機が統一教会への復讐であったり、これだけの知性があって、経済的理由で大学に進めなかったのは、さぞかし悔しかったろうと思わせる、高い知性を感じさせる容疑者の手紙が公開されたり、という一連の事実の経過は、日本語人なら、多分、みなが何度も観て周知のことだろうし、そのあとの、いつもの空回り騒ぎ、 あれはテロじゃない、いや、やっぱりテロだ、というような世にも虚しい、はっきり言ってしまえば世代ごとヒマ人クラブな、いつものひとびとの「論争」や、そのあとに、これには意義がなくはないとおもうが、最もわかりやすい統一教会の日本における強烈なプレゼンスに焦点が移行して、侃々諤々が始まったのは、日本風といえば日本風で、その幕間には、若いときのこのひとを知っている年長友が「あの男は、むかしから無駄に頭がいい」と評していたノンタイトル哲学者が、ひとり野党の党首にかみついていたりして、筒井康隆が生きていれば、と、うっかり書きかけて、まだご存命なのに気が付いたが、大喜びしそうな、茶番とは呼びたくないビデオが、何度も何度も流れたりして、 型にようやく嵌まって、日本的な風景のなかに落ち着いていったようでした。 日本の外では日本の人が考えるほど安倍元首相は評価が高いわけではなくて、例えば外交でいえば、オカネをばらまいて、殆ど無用に見える外交的な妥協を繰り返して、ほんとにそれでいいんですか?というか、日本の人が営々と築いてきた富を世界に向かって放り投げて、見返りなしに利益が得られて怒る国はなくて、そういう言い方をすれば、安倍首相が評判が悪いわけはない。 だって、損する心配はなくて、目と目があえば、にっこり笑って、威勢良く財布をピャッと開いて札束をくれるんだから、こんなにありがたい他国の元首はない。 韓国の人は異論があるだろうが、とにかく敵対だけは避ける、お友達お友達、というやりかたで、なんだかヘンテコリンな外交だったけれども、くさす理由もないので、 亡くなってしまえば、当然の外交上の儀礼として、テキトーに拾った功績を一行はさんで、あんたが死んで残念だ、とお悔やみを述べます。 安倍元首相に対して、というよりも、日本と日本国民全体に対して敬意を示す国際的な習慣なので、無論、次期はもうないと言われている、われらの首相ジャシンダ·アーダーンも、丁重に別れの挨拶を述べていた。 カメラを、おもいっきり引いて、遠くから眺めると、細部がみな剥がれ落ちて、見えてくるものはあきらかで、この一見、世界の動きとは無関係な老政治家銃撃事件も、世界を次第に覆いつつある暴力の暗雲と無関係ではない、という図式です。 手紙を読んであきらかなのは、この山上という人は、日本で起きている社会矛盾が言論で変わるとは、ほんの少しも信じていない。 例えばグリコ脅迫事件では、製品に毒をいれるぞ、と述べながら、日本の社会がいかに腐っているか、ちっとは考えてみやがれ、という畸形的とはいっても、広く言論を呼び起こそうという気持が垣間見えるが、山上容疑者の場合は、 日本の戦前にも広くみられた、絶望の一撃で、人生から希望を奪われた悔しさを手製の銃身に込めて、元首相の老いた肉体に、いきなり叩きつけた。 手紙にあらわれた知性の高さからみて、銃撃によって社会が変わるとも、まったくおもっていなかったでしょう。 言葉を奪われた人間の怒りと絶望だけが、そこにある。 なるほどなあ、とおもったのは、なにしろ統一教会はカルトなので、 カルト、カルト、といろいろな人が連呼するが、実は日本語では、ごく日常的に気に食わない相手と、その友だちを「カルト」呼ばわりする習慣があって、ぼくのTLに対しても「カルト」と述べる、人間性も頭も悪いおっさんがいたりして、フォロワーというか、いつもDMや、ときにはTLでも言葉を交わす友人たちの軽蔑を買っていたが、この素っ頓狂なおっちゃんに限らず、気に入らなければ相手をカルト呼ばわりするのは、日本人の「流行り」で、おかげで、言葉の本来の力は失われていて、 ただ自分が嫌いなだけの相手と友だちのグループも統一教会も同列で、その頭の悪意で狂った粗雑さに、なんだか笑ってしまう。 日本語は一般に、言語としての効果を失って、言語の体系として死語になっているが、悪意と人間性の欠落が、その原因になっていて、日本語のネット言論は敵意むきだしの感情のぶつけあいで、本来の、論理のぶつけあいは、とおの昔に消滅しているが、なんとか相手を感情的に傷つけようとして、語彙を濫用するので、言葉のほうは、たまったものではない、本来の語感、といえばいいのか、ちからは、目減りして、ゼロに近くなってしまっている。 相当に迂闊な人が見ても、例えばツイッタならばツイッタで、裏で仲間同士の談合がなされて、「裏党派」みたいなものが出来ているのもあきらかで、本人たちは言われれば否定するに決まっているが、共著者や、フォロー/フォロワーの関係をみれば明白どころではなくて、表に出ている部分は、下手をすると「戦場」だくらいに考えていて、奈落の楽屋で作戦を練って、自分は正義の味方で、仲間と連れ立って、世直しをしているのだくらいの幼稚さであるように見えます。 その結果、「日本語の言論」というようなものは、とうの昔に死んでしまっている。 すると、どうなるか。 予想みたいなことは嫌いだが、何年も前から「ちゃん文化」の延長のような言葉での嫌がらせや嘘の集団中傷をやめなければ、相手から指摘されても 「そんなことはない」と言えるだけのカムフラージュをすればいい、くらいのつもりで、そんなことばかり上手になっていると、最後は、日本の伝統であるテロの時代にもどる、と警告してきたとおり、山上容疑者がresumeしたテロの伝統回帰にスイッチが入って、これから、ゆっくりと「テロの頻発」「テロの応酬」に向かって日本語社会は動いていくのでしょう。 自業自得、などという言葉では、あきらめきれない、言語と言論の破壊が、もとから粗雑な右翼だけでなく、左翼やリベラル人の手で、積極的に行われたことを日本語のために残念なことだとおもっています。 安倍元首相銃殺を嚆矢として、これからも、暴力事件が頻発すると考えるのは、山上容疑者が使った原始的な「銃」も理由のひとつで、 世界の複雑化に耐えられなくなった人間が増えた英語世界で最も恐れられているのは3Dプリンターによる精巧な銃の模造で、これはライフリングのある命中率が高い銃も、簡単につくれます。 有名銃のデータも、そこいらじゅうにあがっているので、データをダウンロードして、大学にも会社にも、どこにでもある3Dプリンターで知識などなくても数回の使用なら、特に堅牢な素材もいらなくて、たいへんな問題になっている。 銃規制が遅れているうちに、自分で高性能の銃がつくれる環境が出来てしまったので、近い将来には銃規制そのものが無意味になると考えられています。… Read More ›

  • あらすじ言語

    クラシック·ボートのひとつが、水が出なくなった。 エンジンは問題なくかかるし、海水トイレのモーターも動くので、あにゃあ、これはハウスバッテリーがオダブツなのではないかと、床下のバッテリーをテスターでチェックしてみると、案の定、2.5Vです。 定格12Vで実際の出力2.5V。 シャワールームの脇の配電盤を扉を開けてみてみると、ほんとは、じっと緑のLEDが光っていなければならないが、ピカピカピカッ、ピカピカピカッ、と3回瞬いていて、二個ひとつの組になっているバッテリーブロックのひとつが低電圧になったので、回路から切り離したことを告げている。 The City of Sails、という。 オークランドの別名です。 これでもかこれでもかこれでもか、というくらいヨットがあって、ヨットper capitaが世界一なので、市内のあちこちにヨット/ボート用品を売っている。 なかでも、おおきなチェーンのBurnscoがマリーナの近くにおおきな新店を出したので、そこにバッテリーを買いに行きました。 ニュージーランドの国民気質は、もともと、よそから見れば挙国一致型アスペルガーで、なにごとも丁寧、微に入り細を穿つ説明で、棚に並ぶバッテリーをひとつひとつ指さして、特性を解説する。 ハウスバッテリーなら、ディープサイクルのほうがいいだろう、ということになって、メーカーの特徴に移り、談合がおわって、オカネを払うまでに、小一時間が経っている。 当然、バッテリーの話のあいだに、世間話が、たくさん発生しているからです。 マリーナから、そう遠くないところが、ねぐらの、シャチの一家、コロナ禍で瀕死の状態に陥ったクイーンストリート、新しく出来たフレンチベーカリーの、滅法うまいバゲット COVIDロックダウンをやらないことになって、やっとニュージーランドの生活にディテールが戻って来て、 毎日、コロナ罹患による死者が20人、30人と出ているが、ものともせず、ほとんど無理矢理にニュージーランド本来のライフスタイルに戻してしまった理由がわかります。 本来のライフスタイルって、なに? と、きみは言うであろう。 これから、それを説明しようとおもっているんだけどね。 難しいかもしれないの。 孤独のグルメ、というテレビドラマがあるのに気が付いて、見てみると、 なつかしい、何の変哲もない、というと日本語社会のことなので弁護士から内容証明が届きそうな気がするが、通りが映って、定食屋さんや、町の、あのなつかしい中華料理屋さんの店内が出てくるので、すっかり気に入ってしまった。 いまはNZ英語版のNetflixにも、ちゃんとラインアップされていて、シリーズ9まで、すべてのエピソードが見られるが、そのころは、オカネを払ってもドラマを見せてもらえません。 ビリビリならあるかしら、とおもって検索すると、さすがは中国を代表する貪欲な動画サイト、ちゃんと「孤独的美食家」が並んでいる。 ところが。 ところーが。 どのエピソードも、「ご飯を食べるシーン」だけに編集されていて、ゴローさんが、仕事で顧客を訪問したり、件の、立ち尽くす「ハラガ、ヘッタ」は、ばっさり削られている。 ゴローさんは、どのエピソードでも、ひたすら食べて、食べて、食べて、 見ているうちに、なあんとなくフォアグラ用のガチョウの記録映画を観ているような気分になってくる。 編集してバッサリ、はいいほうで、なにしろ若い人たちは忙しいので、アジア系人を中心に、倍速早送りで観る人が増えて、あるいは、要所要所、八艘飛びに、観て、残りのつなぎというか「地」の部分は、五倍速十倍速で、すっ飛ばしてしまう。 たいへん評判が悪いが、グダグダと話の要領が悪くて、至る所にセクハラパワハラが鏤められている日本おっさんなどは、鞄からリモコンを取りだして「ピッ」と十倍速にしてしまう衝動に駆られることも多かったので、案外、そういう切実な願望から生まれた習慣のなのかもしれません。 日本にいたとき、書店にでかけて、なんかおもろい本ないかなあ、と棚を眺めていたら「日本の名作 あらすじ文学全集」というのがあって、 あまりの発想の面白さに、棚の前で硬直してしまったことがある。 いま見ると、このマーケティングは、さらに進化して、 あらすじで聴く文学全集、ということになっていて、アニメの声優が あらすじを朗読して、学内の食堂で「あ!芥川の『羅生門』いいですよね。知ってます」と述べられることになっている。 怒る人がいそうですね。 これだから若いやつは、けしからん。… Read More ›

  • 言葉を旅する

    もう、あんまり日本語に用事がなくなっているのに、なんとなく離れられないでいる。 理由は、おぼろげながら判っている。 慣れてくると、ちょっと他の言語では不可能な美を表現しうる美しい言語で、前にも述べたような気がするが、例えば花吹雪のように動きも視覚的な美の広がりも同時に含む表現や、木洩れ日のように自然が折々に見せる光の芸術を言語表現としてピンで止めるような、説明されてみれば、なぜ自分の母語には、そういう表現がないのだろう、と不思議におもう表現がある。 感情表現が過剰なほどにあって、英語が十段階くらいだとすると、二十段階や三十段階も感情表現を制御できて、むかしは、よく五段階、八段階と区切られる英語表現に較べて、CVT(無段変速機)みたいだな、と冗談を述べたりしていた。 このあいだ英語の記事で「お隣さんの様子が、ちょっと変だ」とでもいうような調子の、日本の静かな乱調ぶりを述べた文章を読んでいたら、 「ゆとり教育」が、やっぱりダメだったのではないか、という、70年代までの元「受験戦士」たちが聞いたら、欣喜雀躍しそうな内容だったが、こちらは「ゆとり」の内容も知らないので、内容は旧態依然のまま学習時間だけを減らした「改革」が、結局は日本の衰退につながった、という意見が、正しいかどうかは判らない。 もっと言ってしまえば、興味もないので、英語だってフランス語だって、バカはバカで、オタンチンはオタンチンで、箸にも棒にもかからない、自分を賢く見せるだけの虚栄術だけが才能で、中身はからっぽで、知性の代わりに悪意だけが詰まっているような人間は、たくさんいる。 ただ日本語では、他言語社会よりも、数が多いかなあー、というのと、 愚かな人間に自覚がないうえに、教条として、そのときどきで、戦争犯罪だの、ジェンダー問題だのと、述べていれば、まるでチョウチンアンコウの鼻先の光に釣られて、ぞろぞろ「正しいこと」が大好きな愚か者の群が集まって、一大勢力をなして、どんどん日本語の議論を、現実から乖離した、空回りの「理屈合戦」の不毛な海に、レミングのように行進していきそうなところが、異なるといえば異なるのかもしれない。 もう何度も、日本語人の友だちと話して理由は判っていて、まず最も根底にある問題は「時間」という人間が自己をつくるための最大の資源を社会が容赦なく吸い取ることにあって、なにしろ学校のあとに、また塾という学校があったりして、「ひまでひまでたまらない」という人間の生育には必要な絶対条件が奪われてしまっている。 個々の子供から個性の源である余剰な時間を取り上げて、学校でなにをやっているかというと、考えてからものをいいなさい、静かにしなさい、クラスのお友達に恥ずかしいとおもわないのですかで、最近、見事に物語のポイントを外した映画をディズニーがつくって、世界中のMadeleine L’EngleファンをがっかりさせたA Wrinkle in Timeのカマゾッツそのままで、知らず知らずのうちに全体主義的な思考や、振る舞い方を叩き込まれていく。 「ほーら、そんなにおおきな声で泣くと、ここの、おじちゃんたちに怒られるわよ」の悪夢の世界を生き延びて、どんな「個人」の成立が期待できるというのだろう。 個人が成立しなければ生活もなくて、生きている人間といったって、社会が腹話術で話しているようなもので、起きてから寝るまで、理屈をぶつぶつと毎日、頭のなかや友だちや、職場の同僚に述べ立てるのだけが毎日で、 言葉は、きっぱりと現実から乖離していて、そう言っては悪いが、 このあいだ日本式トランスジェンダー議論を読んでいたら、なんだか女のひとたちを相手に自分の理屈のチ〇チンをひねりまわしているような珍風景で、日本語は日本語だなあ、と感心してしまった。 現実は、いつでも二の次です。 前にも述べた、ふたりのすぐれた人の事例を繰り返す。 Twitterをきっかけに知り合ったひとに巖谷國士という人がいて、長い間、日本語の建設に貢献してきたひとだが、このひとの即興の料理を見ていると、無駄のない料理で、流れるようなひとつながりの発想と動きで、伝説の遊撃手Ozzie Smithみたいというか、ひところ日本で流行ったらしい痕跡が古書店の100円コーナーにある、自大で事々しい、「男の料理」みたいな野暮天とは、対極にあります。 個人であるためには、まず生活の名人でなければならないことが、見ていてよく判る人で、実際、日本語ネット世界でも、愚か者には取り合わず、涼しい顔で、自分が好ましいと感じることへの執着を隠さず、若い人が読めば、そうか、日本語社会に生まれたら、こんなふうに生きればいいんだな、という、ひとつの手本を示している。 ふつうなら、日本語世界のような社会では、最も簡単に悪意と無神経によって簡単につぶされるはずの、繊細で、美に感応する高い感覚を持っていて、しかも女の人に生まれついてしまうという、日本社会では最悪の巡り合わせで、それなのに自分の感覚を守って、一流や二流という言葉は、「ほんものとにせもの」なる言葉と同じくらいダサくて、使う人間の言語感覚と頭の悪さを感じさせるが、この場合は他にいいようもないので、一流の美術研究者が歩くtrailを、一歩一歩確実に歩いている金沢百枝さんのような尊敬する以外に反応の持ちようもない人もいて、よく眼を開けてみれば、そうか、日本語人に生まれつけば、こんなふうに暮らしていけばいいのだな、と範例を示してくれているひとたちはいる。 愚かな人間が多数派なのは、人間の社会なので、世界中、どこに行ってもかわるはずはなくて、むかし、古代ギリシャ人たちが夢視た「賢者の国」なんて、あるわけないが、日本語社会では、愚かな人間が、干渉的で、攻撃的で、エラソーを極めていて、 コントロールフリークの愚か者が集団をなして普通に生活をしている人間にいちゃもんをつけて、あまつさえ冷笑までしてみせるのが日本語社会の住みにくい点で、簡単にいえば、江戸時代の農村の在り方から変わっていなくて、社会として、ものすごく遅れてるだけなんじゃないの、と捨て鉢に考えることもあります。 こういう違いは、面白いといえば面白くて、英語twitterであれば、ブロックされると、ありゃ、ブロックされてしまった、で、ついと離れるが、日本語ツイッタでは、ブロックは刃傷沙汰で、ブロックするなんて、失礼だ、ふざけるな、で、大暴れが始まって、殿、殿中でござるぞ、の声にも耳も貸さで、 びっくりするような言葉を使って憎悪をぶつけにくる人が、よくよく言い分を聞いてみると、自分が話したかったのに自分が判らない理由でブロックされたというだけの理由であったりする。 ブロックされた、悔しい、という感情がおおきいところから、もう不思議だが、 そこから憎悪がむくむくと頭をもたげて、あることないこと、口を極めて罵りはじめて、悪鬼のごとしで、見ているほうは、ああ、だからブロックしたんだな、われながら、とひとりごちることになる。 ふとしたときに、一瞬、恐ろしい横顔が見えてたのでしょう。 日本語社会を住みやすくするために、いますぐ、まず出来ることは、 「ほっておく」ことです。 何度も書いたので、またか、とおもうかも知れないが、 相手が嫌いでも、判らなくても、自分と異なってたまらないと感じても、取りあえずは、ほっておくのが文明の第一歩なのは、判りやすいとおもう。 自分で実見した例では「意見が異なる人間を集団中傷で潰すのは大学研究者に課せられた役割で、聖戦だ。すべての大学研究者が私に続くべきだ」と述べている人がいて、日本の大学人の程度の高さをおもわせるが、聞き合わせてみると、案の定、なんちゃって大学研究者だったが、それはそれとして、気に入らない相手でも、ほうっておいて、どうしても嫌なら、友だちに内々で愚痴っていればいいだけのことで、イギリスの社会などは、友だちというのは愚痴を聴かせるためにあるのではないかとおもうくらい、お互いに愚痴ってばかりいる。 あんなにストレスがおおきな社会で、そのうえに冬ともなれば人間が住める天候でもないのにも関わらず、イギリスの自殺率が、きょとんとするほど低いのは、 「内々で愚痴る」という国民的な才能によっているのではないかとマジメに考える。 もっとも、文化は社会の性格を反映しながら他の文明と袂を分かって、異なっていくもので、… Read More ›

  • 冬のマリーナ

    1ヶ月つづいた、大時化の悪天候が終わって、冬至の今日はやっと天候が落ち着いた。 マリーナに出かけて、出航の準備に取りかかります。 夏はヨットのほうが多いが、冬は、ニュージーランドでは「ディスプレイスメント」と呼ぶ、航行のマナーがいい、揺れない低速のボートで海にでる。 もっている船のなかで、最も遅いのは、艇長が42フィート、12.8mのボートで、ディーゼルで、静々と水面を移動する。 だいたい9ノットくらいで、どんなに頑張っても15ノット、その代わり、小さな船なのに、揺れなくて、たいへん安定しています。 ごく最近、設備を改修して、高速インターネットを含む、近代的な装いにした。 以前の改修でレーダーやソナー、GPSやオートパイロットはすでについています。 したがって、たいへん楽ちんに航行できるようになっている。 6人乗りで設計してあったが、いまはふたり用に改装されていて、ダブルベッドの他のバンクやなんかは取り外して、その代わりに広いラウンジとして使えるようにしてあります。 南の風が吹き付ける、冷たいニュージーランドの冬の海に、三四泊の予定で出るには、たいへんに良い船で、愛着があって、あちこちのマリーナに分散して停泊させているボートのなかでも、待遇がよくて、ショアパワーからなにからなにまで完備された、セキュリティも良いマリーナの、おおきめのバースに鎮座している。 マリーナにつくと、天候がいい日なのに、広い敷地に、誰も歩いていません。 いくつものセキュリティゲートを同じICカードキーでくぐり抜けて、フィンガーを歩いていくと、顔見知りがひとり、コックピットのなかで、なにやら作業をしている。 こちらに気が付いて「おーい、元気かね?」という。 「すごい嵐だった。ぼくの船、まだ浮いてるんだろうか」 ああ、ダイジョブだよ、さっき後甲板のモップを借りに、きみの船のところに行ったんだ。 カモメの糞も、なかったよ、というのは、カモメの集団に愛されてしまうと、船の甲板に堆高く糞をおかれてしまうからで、 これを防ぐにはLEDラインや、カモメが嫌う音を出して振動する特殊なケーブルや、ぼくはこれが最も好きだが、万国旗のような、色とりどりの小旗が付いたラインをめぐらせておく。 それでも、愛されてしまうときは、愛されてしまうもので、たいへんな有様になって、おおきなほうのボートやヨットならば、人を雇って掃除してもらうが、45フィート以下のボートなどは、オカネ以前に、もっとずっとパーソナルな、例えば飼い犬のような気持を持っているもので、自分でモップを握って、糞をこそぎ落とします。なかなか綺麗になってくれないんだけど、これが。 マリーナは不思議な場所で、いくつかのグループはあっても、そのグループのなかでは、まるで親族のようにお互いに振る舞う。 おなじディスプレイスメント族でも、最近の流行りで、一隻のボートを何人かでシェアしている人たちは、肌合いが違って、異なるグループで社会の梯子を駆け上る気概というか、エネルギーがあって、自分ひとりで愛玩動物のようにボートを所有しているグループとは、あんまり交流が生まれません。 仲が良い人のタイプは自然と決まってきて、このマリーナでは、ぼくのいちばんの仲良しは83歳になるディーンという人で、奥さんに先立たれた、この人は、眼を瞠るような生活の達人で、人生を楽しく暮らすための知恵のかたまりで、マリーナに着いて、自分のゲートの駐車場に、この人の日本製ヴァンが駐まっていると、もう、それだけで、「あっ、来ている」と嬉しくなる。 浮き桟橋をおりていくと、案の定、小柄な人の姿があって、ひどい天気でしたね、を皮切りに、このひとはもう60年以上、ハウラキの海に出ている人なので、マオリベイで南風が強くなったら、どこに待避すればいいのか、とか、金目鯛を釣るポイント、アオリイカの移動経路、サンドバーというが、不意にあらわれる砂州は、どの辺にあるのか、というようなことを教えてもらう。ときどき、外国人には気を付けないといけないよ、と、じーちゃんが孫を諭すようなことも口にする。 それ、差別ですよ 差別でも、危ないものは、危ないさ。 あるいは、船で、北にのぼっていって、ぼくが好きなボート人のコミュニティがある入り江へ出かけていって、友だちたちを見つけて、話し込む。 ジョンという、すごい腋臭の人で、おなじ船内にいると卒倒しそうになるくらい、すさまじい体臭の、おっちゃんがいて、誰もいいだせないので、本人は気が付かなくて、相変わらず、すんごい腋臭を臭わせながら、新しく換装したヤンマーのエンジンを見せてくれる。 小さな小さな、舵輪が最後尾にあるスタイルの、1945年製の28フィートもないボートで、このころのボートにはよくある、もっとおおきな船を、そのまま縮尺を小さくしてつくったようなボートです。 ぼくは、この人が大好きで大好きで、この人が属する小さなマリーナを訪ねて、この人の顔があると、心から、来てよかったなあ、いい考えだった、とおもう。 ディンギイもボートもミシェルという名前で、ミシェルさんが、何年も前に癌で亡くなった奥さんの名前だと、もちろん、みなが知っている。 誰かがボートに荷物を積み込む作業をしていたりすると、なあんとなく桟橋を行ったり来たりして、所在なさげにしているのは、ほんとうは手伝いたくてたまらないが、知らない人なので言い出せないのであることを、友だちはみんなが知っている。 人を助けること、ちからを貸すこと、相手が喜んで笑顔を見せること以外は考えることはなくて、人間も善意を隠さなくなってくると、風格が出て、人間というよりは天使に似たものに変わってゆくもののようでした。 ぼくの船の船名を描いてもらえないかと頼んだときの、このひとの、花が開くような笑顔を、他には見たことがない。 ほんとうに描いていいの?なんだか名付け親になるみたいで緊張する。 お支払いはしますよ、と述べたら、なんだか傷付いたような、厳粛な顔で、それは困る、と言うので、なんだか、こちらは自分を恥じることになってしまった。 そのころは、まだ、オークランドに越して間もないころで、ハウラキの海の上に出ても、右も左も判らないころだったので、この辺で鯛を釣るには、どこに行けばいいだろう、と訊いてみたら、驚くべし、 ああ、じゃあ、ぼくが連れていってあげるから、ついておいでよ、という。 スウィングモアリングと言って、桟橋でなく、沖合に泊めた船にディンギィを漕いで行くと、なるほど「威風堂々」という感じで波を分けて進む、ずいぶん胸を張った、ちっこい船で先導して、岬をまわった、はるか先の海へ連れていってくれる。 その夜は、サイドバイサイドで、二隻のボートを並べて泊めて、釣れた鯛でフィッシュ&チップスをつくって、甲板でビールを飲みながら、「滝のように星が降り注ぐ」と表現したくなる満天の星空を眺めながら、ふたりの高校生のように、くだらない話ばかりして、大笑いして、涙が出てくるまでマヌケな冗談を述べあって過ごした。 オークランドのボート人は、みんな北島の北端に近いベイ・オブ・アイランズに移っていくので、ジョンさんも北に移るの?と訊くと、 いやあ、おれは、ここにいるよ、と言う。… Read More ›

  • 愛の生活マニュアル♥ すべての妻への毎年2000万円の支払いが出来ない夫のために

    モニさんは、家事はしないひとです。 できないのではなくて、やらない。 いまの家には、小さなキッチンとおおきな「厨房」と呼んだほうがよさそうなキッチンと、ふたつあって、おやつや、軽食を手早くつくるのは小さなキッチンが便利だが、小キッチンはだんちゃん専用の趣を呈していて、 無茶苦茶な臭いのアジア料理をつくったりするので、 インダクションのストーブトップの上の換気扇を強力なものに変えられたりしている。 モニさんは、おおきいほうの厨房に立って、1年に何度か、主にお菓子をつくることがあるが、ごく稀に、料理も、自分が食べたいものをつくることがあって、それが理由で自分でつくるのだとおもうが、オークランドやメルボルンの高級レストランでは足下にも及ばないような、手が込んだ、豪勢な料理をつくって、家人全員に振る舞う。 すごい腕前の料理名人で、ふっふっふ、いざ路頭に迷いそうになったら、モニさんをシェフにして、レストランを開けばいいよね、とおもうが、考えてみると、怠惰のはてに、そこまで零落すると作男に降格されていそうなので、賄い料理しか食べさせてもらえないかも知れません。 料理だけではなくて、これも1年に数度、小キッチンのベンチやシンク、 フライパンや鍋を綺麗にしてくれることがあって、いかなる魔法か、バテレンの秘術ならんか、もうピッカピカになって、なにがいいたいのかといえば、家事全般、こんなに上手な人は見たことがない。 でも、家事をやったりはしません。 念の為にいうと、やらないだけで家事を楽しめる能力は十分にあります。 ふたりで、よく話すが、日本にいたときの最高の楽しさは、お手伝いの人は通いで来るだけだったので、ふたりで一緒にキッチンに立って料理して、 Le brin d’herbe、鼻歌をくちずさみながら、シチューがぐつぐついいだすまで背に腕をまわして、ワルツを踊ったりして、なんでもかんでも、自分たちの手でやらなければならないことだった。 軽井沢の裏庭のカラマツの林のなかに、テーブルと椅子を出してカバとサンドイッチのおやつを広げるだけでも、 きゃあきゃあと楽しくて、日本滞在の薔薇色の思い出には、毎日キャンプしているみたいというか、ふたりで協同作業で生活したことがおおきく働いている。 モニさんの夫のほうは、というのは、つまり、眠っているあいだに離婚されていなければ、わしのことであるはずだが、このひとはまた家事が好きで、隙さえあれば、自分でおいしいとおもっているだけで、たいていは誰にも食べてもらえない、面妖な料理をつくっているし、掃除も好きで、夜寝る前に、頭のなかで、ディッシュウォッシャーの、効果的な皿やボウルの並べ方を構想したりする。 アジア料理は、おいしくて、低カロリーで良いが、ディッシュウォッシャーと形の相性が悪いのが難で、ときどき汚れがちゃんと取れていなかったりすると、失意落胆はなはだしくて、一日、気が沈むので、家の人に虚を衝かれて、手早く片付けられては、やむをえないが、自分でやるチャンスがあるときには、芸術的に排列された、まな板や平皿や丼までもが、ひとつ残らずビッカビカになるように並べます。 むかし、アメリカの調査会社が、専業主婦の家事労働に対する正当な報酬を見積もったら、家のおおきさや家族の構成によるが、中央値は2000万円前後だった。 翻訳すると、奥さんに家事を任せて、「内向きのことは、おまえがやれ。外は俺にまかせろ」なんちゃってるオットットな夫は、エラソーな言葉に見合うためには年収は3000万円はないとカッコワルイわけで、甲斐性なしで、妻の百人力で人生を渉っていることになります。 どうも、日本では、そういうことが、ちゃんと判っていないオットが多いような気がした。 会社に忠誠を誓っちゃったりして、自分の好きな仕事に打ち込むには、家庭がある場合、毎年毎年2000万円を、自分の道楽である仕事に打ち込むために支払っているわけで、仮に払わないとすると、毎年配偶者に対して負債をつくっているわけで、5年も経てば妻への借財1億円で、普通は離婚ですね。 自分の周りを見渡すと、家事という厄介な怪物への最も普通の解決法は「人を雇うこと」で、夫婦の収入に応じて、火曜日のゴミ出しの日の前日にだけパートの家事手伝いの人を雇うくらいから始まって、住み込み、というか最近のスタイルに即していえば、家の敷地のなかの別棟に住んでもらって、取り決めをして、家事全般をお願いする。 ニュージーランドだと、移民グループによって、ガソリンスタンドはインド系の人が多いとか、ITは中国系の人ばっかりで、韓国のひとは、なんでか酒屋が多いんだよね、とか、いろいろ面白いことがあるが、家事を請け負うのはインドの人が多くて、また、上手なようです。 コモ湖畔の町では、いまでも制服を着たメイドさんだが、ニュージーランドでは、ほぼ皆無で、みんなサリやジーンズで、普段の格好で仕事をしている。 面白かったのはシンガポールの友だちで、結婚するときに、ふたりで、「ふたりとも家事は、いっさいしない」と決めて、まだ収入が少ないときから、朝は自分たちのアパートの二階にあるホーカーズで食べて、ランチは職場の同僚と、夜は、夫婦のデートをかねて日本にもあるはずのリブ/ステーキのトニイ・ローマや、新宿のとんかつ屋が小田急デパートに出している店や、たまには大奮発して、FullertonのJadeに出かけて、ついでに部屋に泊まって、新婚気分を取り戻したりしていたようです。 このふたりの目論見は、見事に成功して、夫婦ともに、するすると出世して、あっというまに年収8000万円だかになっていたが、会うたびに、カローラがフォルクスワーゲン・ゴルフに変わり、シンガポールにしかなさそうな謎の燃料システムが付いたメルセデスのSクラスになって、「家事なんかに、かまけなくてよかった」と夫婦そろって何度か述べていたので、ふたりで、何度か真剣に話しあって、よく検討して、乾坤一擲、家事のない暮らしをする、と決めたのでしょう。 いまは、シンガポールには、よくある、家政婦さん用のシャワーとトイレが付いた独立の小部屋があるアパートに越して、インドネシアの女の人に住んでもらって家事を全面委託しているようでした。 こんな些事を書いている理由は、書いている人が些末主義者であるせいでもあるが、日本では、「家事を生活から取り除く」という考えがなかったような気がするからです。 「家政婦は見ていた」、だったかな? むかしむかしは有名だったというテレビドラマがあったり、このあいだは「コメットさん」が話題になっていて、コメットさんて、誰だ?と訝って調べてみたら、やはりお手伝いさんだったりして、思い違いかも知れないが、それにしても、日本社会では、かなり富裕なはずの年長友の家を訪問しても、お手伝いさんに当たる人はいなかったような気がする。 あるいは、それはそれで、日本式の平等主義の一種で、よいことであるのかも知れないが、ひとつだけ言えるのは、家事を自分たちの生活から排除したほうが、日本がたいそう遅れていて、いくらなんでも、あれでは人権侵害ではないか、と日本の外の世界中のひとたちにさえ心配されるようになった、女の人が人間以下の存在とみなされている社会で、女の人が人間として暮らせる将来を切り拓くには、平坦な道になるはずで、夫が朝の8時に家を出て、夜はまた8時まで戻らなくて、家事は妻が取り仕切るなんて異常なライフスタイルが、21世紀も4分の1近く過ぎた、いまの世界で続けていけるわけがない。 おれは、そんなカネねーよ。おれの年収はな、800万円しかねーだんだよ、悪かったな、とか もっと屁理屈をこねて、第一、家政婦雇うなんて、あんたたちの偏見まるだしだよ、と述べる日本名物居直りダメ旦ちゃんがいそうな気がするが、 例えばね、日本が得意のはずのテクノロジーで解決できるはずのことひとつとっても、自動食洗機ひとつ、ない家が多いでしょう? いや、ぼくの家は女房のために買いました、という人の家に行くと、なんだか妙にうすべったくて、ちっこい、食洗機のいちばん大事な機能と言ってもいいくらいの「汚れた皿を全部収納しておく」という役割がはたせない。 ディッシュウォッシャーという名前につられたのかも知れないが、あれは洗うのは二の次で本義は汚れた食器の収納スペースなんです。ちゃんとシンクの下に、洗濯機くらいのおおきさのものが収まっているのでなければダメじゃんね、とおもう。 日本の人の生活空間が、なあああんにも家事の負担を軽減してくれるものがなくて、20世紀的な不便さに満ちているのは、見ていて、借家に住んでいる人が多いせいなのかも、とおもうこともある。 実際、「中古住宅」なる、ふざけた言葉がある日本では、ディプリシエーションがおおきすぎて、純粋に金銭的にみれば、東京のような人口が集中する大都市では賃貸のほうが有利なはずです。… Read More ›