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左翼と右翼
Working men’s clubは、もともとはイングランドの北の方やスコットランドの発明で、ニュージーランドにも、全国の町の、文字通り、そこいらじゅうにあります。 名前で想像がつくように、労働者階級の社交場で、もともとは啓蒙の場もかねていたが、いまは、ざっかけない雰囲気の店内で友達とビールを飲み交わすほかは、啓蒙といえば、馬の運動についてのグループ研究や、硬性のボールに細いスティックで衝撃を与えたときの物理的振る舞いについての考究くらいしかやってはいないようです。 目立たないが、いつも繁盛しているパブ、のような存在になっている。 日本には政治は存在しない。 十年以上、日本の社会を眺めてきて、日本の政治議論の、あの現実にはまったく届かない感じ、現実「政治」はまったくひとびとが考えることとは別の、暗い楽屋裏のようなところで決まっている感じを、「われわれはネットで意見を交換して、意識を高めて、正しい道を示しているのに、政治に興味をもたない大多数の国民のせいで議論が反映されない」というような意見を、あちこちで見かけるけれども、そうではなくて、例えば19世紀のロシアのように、そもそも社会に「政治」自体が存在しないので、すべての政治上の言論は、上滑りに滑って、単なる勇ましい自己満足に終わってしまっている。 左翼というでしょう? 右翼という。 ネトウヨという言葉もある。 では実体はなにかというと、チュシャ猫で、表情だけがあって顔はない。 左翼や右翼という言葉では、日本の「政治」がまったく説明できないのは、 日本には未だ政治と呼べるものが存在しないからでしょう。 いちど年長友が、「これはひどいね」と、十年以上、しつこくつきまとって、匿名アカウントを量産して、仲間を「はてな」というコミュニティの内部でつのって、中傷を繰り返している大学非常勤講師について述べて、 「しかし、この男、右翼だね」 と面白いことを言う。 いや、この人、左翼らしいですよ、と、ときどきの左翼時流に乗るだけの、このひとの、お題目をあげて説明しても、 「いや、この男は右翼だよ。こんな左翼はいない」と言い切るので驚いてしまった。 変わったことを言う人だな、で、そのときは終わってしまったが、後になって考えて見ると、この年長友は欧州の左翼と左翼の歴史に造詣が深いので、人間性を見て、言葉と行動の関係を観察して、人間の類型として、この年長友が常々軽蔑する「右翼」だと判断した、ということだったのでしょう。 なるほど言われてみれば、「右翼は悪なのよ。そんなものを信じると、良い学校にいけなくなりますよ」と小学生のときから言い聞かされて右翼思想を禁忌として育って中年男になっただけで、用語をいれかえれば、街宣車の屋根の上でがなり立てる壮士右翼と、なにも変わらない。 Working men’s clubは左翼の土壌として知られていて、そこで交わされる会話は、びっくりするくらい「左翼的」です。 しかも英語世界は現実主義の世界なので、 なぜ、われわれの賃金は低いのか。 教育コストは高すぎる。国営にして無料にするべきではないのか。 無料医療の範囲は拡大されるべきだとはおもわないか。 社会はもっと急速に改革されるべきだ、という議論がほとんどです。 そして、そういう会話のなかから労働党のサマースクールに入る若者があらわれ、政治理論を勉強して、国会議員に立候補する。 父親が現場の警官の、ジャシンダ・アーダーン首相も、そうやって議員になり、39歳で首相になった。 いまの世界では珍しいくらいの左翼思想の持ち主で、特にNZ型資本主義への正面からの挑戦であるキャピタルゲインタックスの実現をめざして、名前を変えて、おおかた現実にしてしまっている。 「資本の再分配」なんて言葉は微塵も使わずに、政策を通して、着実に冨の再分配を行っている。 左翼に対抗しているのはニュージーランドでは保守派で、保守派も保守派なりに変容して、90年代くらいは、規制をどんどん撤廃して、銀行も航空会社も森林も、みんな外国企業に売り飛ばしちまえば、いいじゃないか。 未来において儲かったら政府が買い戻せばいいじゃん、で国民党から出たボルジャー首相が、恐ろしい勢いで、なんでもかんでも売り払って、規制も取り払って、「これでは小さい政府ではなくて無政府ではないか」と国民に反発された。 判りやすい例をあげると、かつて国営だった、いまでもニュージーランドを代表する銀行である「ニュージーランド銀行」は、オーストラリアの銀行が所有しています。 いつか日本からの移民の人が、このブログのコメント欄に来て、 「労働党になってから政府の排外主義がひどくなって移民は絶望している。 もう7年間も夫婦でニュージーランドで暮らしているのに永住ビザが出ないので他の国に移住しようかと悩んでいる」 と、こぼしていたが、そのときは、気の毒で、あんまり言いたくないので、はっきりと書かなかったが、ニュージーランドでは誰でもが知っていることで、労働党は労働者の利益を代弁しているので、他国から移住してきて安い賃金で働かれると困る、税金で賄っている医療や教育の負担が外国人のせいで重くなるのは耐えられない、….排外的な政策をとることが多い。 反対に、保守派である国民党は、大小のビジネスマンや自営業者の利益を代弁しているので、急速な経済成長に伴う労働力不足を補う移民が減るのは、たいへんなことで、ヴィンヤードでブドウを摘む仕事からプログラマのような特殊技能者まで、なにしろ大勢でやってきてもらわなくては困る、ビザなんかどんどん出しちまえばいいじゃないか、と述べる。… Read More ›
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原っぱの効用について
カヤックで競走はしないが、それでも、上手な人と一緒に二艇のシングルカヤックで出ると、いつのまにか、相手が見えなくなるほど引き離されることになる。 ときどき、夏だけニュージーランドに来ていた子供の時からの、むかしからの仲良し友と一緒にカヤッキングに出る。 たいてい「風光明媚」というクリシェそのままの景色が広がるネルソンの沿岸です。 このひとはオリンピックに出場したことがあるだけあって、わしもカヤックはなにしろ7歳くらいから30年近く漕いでいるので、そんなにヘタッピではないが、それでも、ゆうっくり、ゆうううっくりパドルで左右の水をかきわけているように見えるのに、水に乗って、友達は、どんどん遠くへ行ってしまう。 シー・カヤキングは、おもしろいもので、シャカリキになってパドルをぐるぐる回転させても、意外なくらいにスピードは変わらないので、焦る気持ちを抑えて、やや早めなくらいにパドルで水を押し込んで、先へ行くと、相手は、マッスル(ミュール貝)がびっしりついた岩のそばで、ニコニコして待っていて、岩から引き剥がしたマッスルを差し出して「ガメ、食べるか? うまいぞ」とニコニコしている。 こちらは、ひいこら言いながら、やっと追いついて、ああ、よかった迷子にならないですんだ、とおもっているのに、マッスルを食べ終わると、 「じゃあ、行こうか」 と無情なことをいう。 太陽に寄り添われてしまってでもいるような強烈な陽光の反射に覆われた、美しい、などという言葉では到底表現できない、タスマンの海辺を、また滑るように漕走していく。 人間の一生は、競争を前提にすればむごいもので、同じところから出発したのに、才能があるひとは、のおんびり歩いているように見えて、長い間には、遙かに先の地平線の向こうへ消えてしまっている。 よくあるパターンでいえば、親にオカネをだしてもらって「効率的な」受験訓練を受けて、日本ならばトーダイおじさんたちは口が悪いので「田舎のロータリークラブに入っているような地方名士の親のすねをかじって」ロケットスタートを切ったはずなのに、なんだか、鼻歌まじりで、すいすいと後ろからやってきて、すっと追い越して、またのおんびり歩いているのに、どんなに足の筋肉を酷使して駈けても、なぜか追いつけない相手がいる。 おなじ学校にいると、まるで生まれてから手のひらにさすように世界のことをすべて知っているような案配で、こういうひとたちに囲まれて暮らしていると、「競争社会」というものの本質的なバカバカしさがよく判ります。 おれのほうが二郎ラーメン食べるのは早いんだから、それでいいや、と納得する。 ほんとに、競争なんて、その程度のものだものね。 あれは観衆がおもしろがるためにだけある概念ではなかろーか。 外廊下。 自分の人生は自分のためにある、という簡単なことが明然と判っていなくて、なんだか、ぼおんやりと、そーじゃないかなあー、くらいで暮らしていると、「世の中」や「世間」は、徹底的にそこに付け込んで、きみを利用する。 挙げ句の果ては、母校のために「有名大学」へ入学してしまったり、母親の喜ぶ顔をみるために医師になってしまったり、はなはだしきに至っては「我が社」のために必死の努力をして泊まり込みや朝帰りを繰り返して、疲れ果てて喜怒哀楽もあるんだかないんだか判らなくなって辿りついたわが家で、まだ幼い自分の娘に「おじさん、だあれ?」と玄関で言われて、弾尽き、刀折れ、魂のどこかが復元力をなくして、過労死したりする。 過労死は、他人をだしぬこうとして過剰な労働に陥って死ぬのはアメリカ型で、シリコンバレーなんてところにいくと、あそこにもここにも過労死が転がっているが、たいていの場合、若い社長です。 競走に勝利することへの激しい意志に自分が押し潰されて死ぬ。 日本の人はアメリカ人よりは賢いので、個々の人間の意志を問題にしない。 社会のデザインとして企業に競争を強いて、企業はコロナ対策とおなじに社員への「お願い」によって殺して使い捨てにする。 真摯に死を悼めばすんでしまうのだから、安いもんです。 ローコストである。 どういうデザインかというと、日本の社会は一本道で出来ている。 生まれるでしょう? お受験という、いかにもな、極めて深刻な問題に軽い揶揄のこもった名前をつけた中学入試で、まず選別する。 ピヨピヨ言っている子供を社会の手が、ほいとつまみあげて、裏返して、「あ、こりゃ女だからダメだな」「これは、ちょっと知能が高いからいいんじゃないか」 「えー、こいつ育ちが悪すぎるわ」 と冗談を述べながら、まず12歳の段階で、勝者、敗者、入賞者と分けます。 次は大学入試。 トーダイという灯台をめざして、闇夜の嵐の海を、必死に泳ぐ十代の若者の群れ、swellに岩にたたきつけられたり、予備校の甘言に騙されたり、嫌みな同級生の言葉に傷つけられたりしながら、大学にたどりつくが、現役、一浪、二浪、…と不思議な順番タグがつけられていて、かつては二浪は一浪におとり、一浪は現役に劣り、競争者として認められるのは、現役二留、一浪一留、二浪までだと言われていたよーです。 最近は、もうちょっと、どうにかなっているに違いないが、なんでか大学に入るまでと、出てからが一本道なのは、あんまり変わっていなくて、その証拠に、みんな同じド退屈で悪趣味な濃紺?の服を着て、同じ髪型で、座って並んで、ウォーホルのキャンベル缶が全体主義化したような有様です。 いっせいに卒業するのは、論理的にいってあたりまえで、どこの国でも卒業式は、みんなで一緒に祝うが、そのあとに一斉に入社するところは、ブ、キ、ミとしか言いようがない風習で、はっきり言ってしまえば、「日本の近代化」なんて言葉の綾、もっと事実に即していうと、そういうことにしておこうという「個人が世間からの干渉や制約を受けずに個人でいられる」という現実を欠いた、ただの冗談みたいな看板にしかすぎない。 ほんとうは、人間は一本道を歩かされれば、その道に適応性がないパーソナリティは、ずるずると後退して、路傍でへたり込んでしまうか、悪くすれば、並木のどれか、せめてもの慰めに姿がいいのを選んで、首をくくる人が出てくるほかなくて、そういう一本道型の人生を歩くように仕向ける社会はデザインが悪いとしか言いようがない。 戸籍といい、多分、ただひたすら軍隊を強くすることに特化していた近代日本の徴兵制度から来ているのか、斉一性を当然とするのでは、個人など育ちようもなく、個人が育たなくて、ヘータイとヘータイ再生産装置としての女の人しか求められない社会では、民主制なんて夢のまた夢で、なにしろ個人に内在する自由への欲求も起こりようがないので、民主「主義」なんていうヘンテコリンな言葉が定着してしまう。 こういうイメージならどうでしょうね。 人生を「道」とイメージするのはやめて、原っぱだと考えればどうか。 あてもなく、うろうろするの、楽しいとおもうんだけど。 風が吹き荒ぶ丘陵を好んで歩く人や穏やかな陽光が降り注ぐ海辺を歩く人がいる。… Read More ›
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日本の衰退 1
(この記事は「ガメ・オベール日本語練習帳 ver.5」に2020年6月19日に掲載された記事の再掲載です) 日本の人は自分達の過剰な従順さで窒息死しかけている。 頼まれもしないのに、わざわざお節介を焼いて、よく考えてみるとたいして縁があるわけでもない他国の社会や経済の欠点を述べてみても仕方がない。 安倍晋三さんを首相に選んでしまったときは、さすがに慌てて、あんな人を選んでしまったら日本という国の基礎から掘り崩されて衰退から回復できなくなる、と考えて、なぜ安倍政権を成立させるとたいへんなことになるか、たくさん、無我夢中で記事を書いたが、あれから8年近くたって、予想通り、というか理屈どおり、日本は一見してみえない基礎工事にあたる部分がぶっ壊れて、これから、どうやったって、こうやったって、おいそれと立ち直るというわけにはいかなくなっていて、いまさら日本の根本的な問題について書いても仕方がない。 ふたつの「仕方がない」によって、書かないで来たが、たまには書いてもいいような気がしてきたので書いてみます。 日本の社会の、目を覆いたくなる、ちょっと傍目には信じられないよう凋落と低迷は、みっつの理由によっている。 ひとつは社会の高齢化で、これは投資や経済の世界を生きている人なら誰でも知っているが、地面にめりめりと崩落してゆくアッシャー家みたいというか、おなじことをやっても、振り子がいつもネガティブなほうに揺れる。 おなじ20%の成長を達成するのに200倍くらいエネルギーがいる。 しかし、例えば60年代におなじ問題を抱えて大低迷を迎えたフランスのように、苦労した先人の社会がいくらもあって、その例を検討して、移民政策やそのほか、なにが政策として有効で、なにが無効か、すでにわかっていて、切羽詰まれば、なにもしないためならなんでもする日本の人の社会も、よっこらしょと腰をあげて、解決に乗り出せば、またまた例を挙げるとニュージーランドではおよそ20年で解決している。 二番目には女の人が、本質的には近代以前の立場におかれていて、本人にとって最も苛酷な地獄だが、社会の側から見ても、簡単にいえば人口の半分が本来の生産性を発揮できないので、人口一億と言っても、5000万人のパワーしかもっていない。 これは、みっつの問題のなかで最もおおきな問題なのだけれども、文明的な根が深く規模がおおきいので、また違う機会に記事を書くとおもいます。 ここで書いておきたい問題はみっつめで、いまのところG7のなかでは日本だけの特殊問題、慢性的な低賃金社会であることです。 いつかCOVID前の町で、同じ職場の人なのでしょう、日本からの若い人とスウェーデンから来た若い人が、話しているのがカフェの隣のテーブルから聞こえてきたことがある。 日本の人が、話のなりゆきで、時間給を問われて、「一時間15ドル」と応えたら、ふたりのスウェーデン人に、プッとふきだされて、気の毒にたいそう傷付いた顔になっていた。 NZD15ドルは、USD10ドル、日本円で1100円というところなので、日本の若い人が特に安く見積もって時間給を述べたわけではなさそうでした。 なぜ、そんなに安い賃金で働くの? と言われて、顔を真っ赤にして、自分達もおかしいとおもっている、でも、みんなそういう金額で働くから仕方がないんだよ。 低賃金が消費市場の縮退をまねくのは、子供どころか、犬さんでも、よく納得がいくように教えてもらえればわかる理屈で、だって、そうでしょう? オカネがないんだから、ものが買えない。 消費行動とサバイバル行動の区別もつかないようなコンビニで弁当の価格をにらみつける暮らしになってゆく。 一方では、いまでも忘れられないイタリア料理店主との会話があって、日本では超高級とみなされる、そのイタリア店主が、客がすくないのを見計らって、いつもそうするようにテーブルの側にやってきて、お元気でしたか、に始まって、よもやま噺をしていく。 「歳よりがいくらカネをもっていても、ダメなんですよ」と、自分が70歳を越えている気楽さなのでしょう、あっさり言う。 「わたしの店のお客さんも、毎晩ご夫婦でやってきていたような方でも、一度どちらかが大病をしてしまうと、もういけなくて、日本で医療をうけるのに、どのくらいコストがかかるかわかって、オカネを使えなくなってしまうんですね」 日本は医療は健康保険でカバーされて安いのではなかったんですか? と訊くと呵々大笑という表現ぴったりの大声で笑って、 「ガメさんね、中世の医療ならタダみたいなものですが、最新医療は保険の対象にならないのがおおいんです。それに、ほら、ガメさんが、あまりに汚いのでびっくりした、と言っていた築地の病院があるでしょう?あんなので入院費が安くていちにち12万円だそうですよ」 げげげ。 それと、やっぱり気が弱くなってしまうのですよね。 家にこもってなにもしないのがいい、ということになってしまう。 そこが若いときに趣味を育てない日本人の悲しさでしてね。 からくりが少しわかったような気がした。 数字の上ではひとり500万円の現金資産があっても、日本というひどい格差社会では、富裕な老人たちにオカネは吸収されていて実際に消費市場で末端を支えている消費者のふところには100万円という心細い金額さえないのではないかしら。 ずっと前に日本政府が他国で無効であるのが証明されたトリクルダウンという概念を使うのを聴いて、呆れ果てて書いたブログ記事があったが、 案の定、そんなことは日本でも起きませんでした。 神のいない経済 3 ゾンビ篇 日本は戦前から一貫して国家社会主義経済の国です。… Read More ›
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スパゲッティ・ナポリタンの秘密
欧州にいるときは、お昼時にトラックがいっぱい駐まっている定食屋さんを通りかかると、委細かまわずクルマをターンさせてそこで午ご飯を食べることにしているのは前にも書いた。 コモから100キロほど南東の産業・倉庫街にオモロイアウトレットがあると聞いて出かけたら、白埃まみれのトラックが駐車場に並んでいる。 モニさんは「嫌な予感がするなああー」と小さく呟いていたが、わしはダイジョブでしょう。ダイジョブx2、と呟いてクルマを駐車場にいれます。 外のテラスにチョー人相の悪いおっちゃんたちが6人でテーブルを囲んでいて、わしとモニがクルマを降りるなり、じいいいいっっと見つめている。 中にはいると、むさ苦しいという言語表現を3次元立体で実現したようなおにーちゃんやおっちゃんたちでごったがえしている。 アフリカから移民してきたにーちゃんたちも散見される。 結果から述べると全然おいしくはなくて、不味くはなかったが、なんの感動もない €10定食(プリミ+セコンディ+ワイン+イモまたはサラダ+炭酸水+コーヒー)だった。 セコンディのビステカ・デ・マヤーレは気の毒にシェフのにーちゃんにぶち叩かれすぎてへろへろになっていた。 フレンチフライは肉体労働者相手のイタリア定食屋でよく出てくるマヨネーズ付きの皿で、おばちゃんたちは音速に近い早口のイタリア語でまくしたてる。 でも親切であって、テーブルの選び方ひとつとってもモニさんが嫌な思いをしないようにちゃんと配慮したようでした。 ところで、わしが、おおっ、と思ったのは、プリミに頼んだ「スパゲッティ・ポモドーロ」が、わしがむかしからほんとうはナポリタン・スパゲッティの淵源はこれだったりして、と疑っている「つくりおきスパゲッティポモドーロ」だったことで、イタリアで遭遇するのは3度目だが、日本の「おいしいナポリタンで有名な」喫茶店で出てくるナポリタンと味がそっくりである。 同じ味です。 ケチャップを使っているわけではなくて甘みはポモドーロ(トマトさんのことです)とオリーブオイルそのものから出てくる。 この「イタリア安い定食屋スパゲッティポモドーロ」で最も特徴的なのはイタリア人があんなにうるさい「アルデンテ」が全然守られていないことで、日本のナポリタンと同じで、なんというか腰がなくて「くたっ」としている。 人生に疲れてしまった中年スパゲティのような趣です。 日本語インターネットサイトを見ると「横浜山下町にあるホテルニューグランド第2代総料理長・入江茂忠が最初に考案した」と実名まで入れて重々しく厳然たる事実である由来が書いてある。 なるほど。 でもね、でーもー、ですよ。 この場末の定食屋、町中では絶対にお目にかからない田舎のトラック運転手めあての定食屋でしか味わえない「スパゲッティ・ポモドーロ」と日本の洋食屋や喫茶店で出す「ナポリタン」の決定的な味の類似をもっていかんせん。 実はガリシアにもスパゲッティナポリタンそっくりの味のスパゲティが存在して、これは通常「タコのスパゲティ」を名乗っている。 説明するのがメンドクサイので省いてしまうが、こちらは実はもともと「定食屋風スパゲティポモドーロ」がアルデンテが嫌いで、くったりへろへろなパスタしか食べないスペイン人の口にあって、そこにパンチェッタの代わりにタコをいれちまえばうまいべ、というスペイン人の思いつきの結果できた料理であることが判っている。 笑われてしまいそうだが、わしは、なんだか真相は意外なことであるような気がする。 ドイツやイギリスのような大国ばかりに倣おうとする政府の方針に背を向けて、ぜんぜん出世の足しにならないことも承知のうえで、ただ美しいものをみたいという説明のつかない衝動に駆られて、横浜から出航する船に乗って、「役にたたない国」イタリアに向かった変わり者の日本人青年が日本のぎすぎすして物欲しげな近代選良の歴史のなかにいたのではなかろうか。 あるいは画家志望の青年だったのかもしれません。 そして、その青年が世の中に拒絶されたまま、あり余る時間をつぶすために帰国後いりびたるに至った「町の洋食屋」の腕のいい職人のオヤジに頼んで、こうしてみようああしてみたらとふたりで合作したのが「スパゲッティ・ナポリタン」なのではあるまいか。 ガリシア名物の「タコのスパゲッティ」と日本の「スパゲティ・ナポリタン」は実際には直系の兄弟なのではないだろうか。 「そんな、出典も権威のある人のお墨付きがない妄説にしても、いくらなんでもそれは酷すぎる」と言われそーだが、というか言われるに決まっているが、出典はなくても、(しつこいようだが)材料が違うのに「くったりスパゲティ・ポモドーロ」と「スパゲッティ・ナポリタン」が「まったく同じ味」と言いたくなるほど味が同じであることを説明するには、ホテルの総料理長の権威あるレシピでは、どうでも、難しいような気がする。 しかも、この入江茂忠という重鎮シェフはフランス料理にしか興味をもたなかった人なので、最も「フランス的味わい」から遠い「スパゲティ・ポモドーロ」のしかも「くったり定食屋版」を結果的にでも再現したというのは、不思議を通り越して非現実的な気がする。 世の中には観念の世界では理屈が通ってみえ、証拠すらずらずらと並んでいても、現実の細部に目を向けると、「そんなことはありえない」とすぐに判ることはいくらでもある。 「現実の細部」から遊離した理屈の世界ではどんなに現実からかけ離れたことでも、正しいと全員が納得できる「証明」をしてみせるのがいかに簡単であるかは、それこそ人間の歴史が証明している。 スパゲティ・ナポリタンの「確認された歴史」が、まさにその例で、この「スパゲッティ・ナポリタン」の確定した歴史を書き継いでいったひとびとは、ひょっとすると自分では料理をしないひとたちだったのではなかろーか。 理屈はあっていても現実としてはちょっと考えられないように見えます。 甘みのでない日本のトマトを諦めて、タマネギやケチャップを動員して、ついに貧乏留学生時代の昼ご飯の味が再現された当時は万能手形だった「洋行帰り」なのにうだつがあがらない青年と、腕が良いのに商売が下手で横浜の横丁でうらぶれた洋食屋を開いている無名料理職人とは、ふたりで、戦争が間近に迫った、軍靴の音が響く暗い世相の町の一角で踊り出したいように「やった、やった」と味の再現を喜んだのであるかもしれません。 その時代には正義をふりかざして肩で風を切る人間が増えたことに嫌気をおこして「なんの意味もないこと」に熱中して、当人は無意識でも、いわば人間の「愚かさ」という尊厳を確認している青年がたくさんいた。 歴史は残酷で、世の中の人間の目に触れて、おおきな声になったものだけが「歴史」として語られる。 声が掻き消された者達は、あとから来た者がどんなに歴史の闇の奥に向かって窓をひらいて耳を傾けても、微かな、意味をなさない声が聞こえてくるだけである。 その一瞬の「微かな声」も、朝になれば「正しさ」に酔っ払った醜悪な人間たちに、誰かが「一緒に石をもって投げに行こう」と呼びかければ訳もなく声をあわせて「悪いひと」を石で打ち殺しに嬉々としてでかける、さらに多数の「正しさ」に酩酊した思考力すらもたないひとびとがついて歩く。 欧州人はそれでも一般の人間が読む事ができない記録などは山のようにあり、引き出しに埋もれてしまった戦争中の「他人の目に触れることを禁じられた事実」などは無数に存在するということを熟知している。… Read More ›
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To my young Japanese friends whom I haven’t met yet,
I’m just going to dive right in here. As we have seen, the word ‘integrity’ is not in the Japanese language. Integrity. Wait. What? Really. Let that sink in. The absence of the word integrity is a monumental… Read More ›
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