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8月15日のメモ

1941年、大日本帝国が、天皇も含めた指導者層全員が開戦に反対だったのに、アメリカとイギリスに対して開戦した事情を知らない人はいないだろう。 「負けるかもしれない」という、ただひと言が言えないばっかりに、誰ひとり勝てると思っていなかった戦争を始めてしまう姿は、さすがは日本、とおもう人もいるだろうし、あんまり日本の人の心の構造を知らない人は、 どうしたら、そんなに愚かになれるのか、と訝しむに違いない。 アメリカのほうからいえば、いまのマレーシアくらいの国力の国が、オラオラして追いつめたら、ついにキレて、勝てるはずのない戦争にたちあがった、くらいのことだった。 計算と異なったのは空母に長大な航続距離を持つ単発機を詰め込んで、遙か彼方の敵根拠地を叩く「空母攻撃群」という史上初めての軍事思想を日本人は持っていたことで、予想外のこの能力のせいでアメリカは危うく一時的に太平洋を失うところだった。 当時の日本はGDPの8割(!)を軍事費に注ぎ込むという、とんでもない国で、その軍事優先のデタラメな財政のせいで、国内の国民の生活は、破綻どころではなくて、ちょっと田舎に行けば生まれた娘は売春婦に売りとばすのが当たり前、東北では白い飯など見たこともなくて、いま考えると、ちょっと想像を絶するが、米作中心の農業国家であったのに、米を作っている当人は米を食べるなんて贅沢は望むべくもなくて、いまなら鳥の餌としてなら実見することができる粟や稗を食べて、かろうじて生命をつなぐありさまだった。 日本にいたとき、カレーライスを見るたびに、そのメニューが、あまりの貧困のせいで、体格が劣弱で、病気がちだった徴兵された若者たちの健康を心配して、というよりも、これじゃ兵器として使いものにならねえぜ、で、一計を案じた軍部首脳が命じてつくらせた「洋食」であったことをおもいだしていた。 なにしろ白米そのものを見るのが初めての新兵たちは、その折角の「銀シャリ」にカレーをかけて「汚して」しまうのが惜しくて、別々に出してくれればいいのに、と残念がった人も多かったようでした。 絹と米以外には産業がないビンボな農業国は、再投資にまわすカネなどなかったので、隣の満洲を侵略して開拓団を送り込んで帳尻をあわせようとする。 「開拓団」というと、まるで原野を切り拓いたようだが、これが後々の少女売春を「援助交際」という居直った言い換えで誤魔化してしまったのと同じ、言葉の手妻で、現実には、もともと農場を営んでいた満州人や中国人を武力で追放して、次次に乗っ取っていったケースが大部分で、その恨みが、敗戦のときの集団リンチや強姦となって返ってきます。 満洲さえ取って、維持していれば、軍事費に入れ込んだオカネの分は、なんとか埋め合わせが出来るという計算だったが、そこが軍人たち中心の首脳部の浅知恵で、台湾が黒字なのだから、その数倍は儲かるはずだと踏んだ目論見は見事に外れて、反対に、毎年毎年、本土から持ち出しの、赤字の泥沼にはまりこんでゆく。 どうにもならなくったときに、遠い欧州で、日本の救世主のようにあらわれたのがヒットラーで、当時の陸軍最強国フランスをあっというまに打ち破って、それまでは大阪の維新の吉村知事みたいなもんじゃないの、と眉唾だったのが、ドイツ国民の国民を挙げての非望の願いだったフランス打倒をあっさりと成し遂げた途端に昨日の吉村が今日はフューラーになって、 ほとんど神のような神秘的な存在になってゆく。 フランスが遠いアジアの植民地どころではなくなったので、これ幸いとばかり仏領インドシナ、いまでいえばカンボジアやベトナムがあるあたりを、とっちまえば、いくらか赤字の補填になるだろう、で、火事場泥棒そのまま、進軍して、分捕ってしまいます。 簡単にいえば、これが誤算で、フランスのものを分捕ったって、アメリカが怒るわけないよね、とおもっていたのに、アメリカが「国際秩序」という日本語では語彙の意味の欄が空欄になっている空疎語をもちだして、日本政府首脳には理解不能な激怒で、ええええ…えー!の「え」をいくつ連ねても表現できないくらい日本政府が、ぶったまげたことには、石油を全面禁輸にしてしまう。 このころの日本は、国策が、そもそも論理的に破綻しているんじゃないの?なヘンテコリンな政策で、「富国強兵」と言い条、富国は言葉の綾みたいなもので、徹底的な強兵政策です。 原理主義的で過激な北朝鮮というか、北朝鮮は一説にGDPの16%にも及ぶ軍事費を軍備に注ぎ込んでいるのではないかと言われているが、はっはっは、そんなんあまいやん、日本人の目が据わったときの怖さを知らんのか、というか、日本はなにしろGDPの70~80%が軍事費で、武士は食わねど高楊枝、百姓は噛みしめる楊枝もないので、泡を吹いて死ねで、ともかく有り金をつぎこんで強大な軍隊をつくりあげた、その軍隊の仮想敵国はアメリカで、そのアメリカから輸入している石油で戦闘機を飛ばし、戦艦を動かすという、なんだかよく判らない仕組みになっていました。 頭のなかでは、どう解決していたかというと、とにかく南へ南へと勢力をのばして、オランダの油田に届けば、一挙解決じゃん、ということにして、 「それまではアメリカは激オコにはなりませんから。アメリカって、そんなことに目鯨たてる国じゃないのを、きみは知らんのかね」で、南インドシナに派兵したら、絶対に怒らないはずのアメリカが、怒らないどころか、 無茶苦茶に怒りだして、石油を全面禁輸にするという「絶対に起こるはずがない」前提を覆す行動に出てしまった。 ええ。 改めて聴かされると、耳を疑うでしょうし、なんという情けない、と思いもするでしょうが、よく知られているとおり、このあとの論理の展開がすごくて、アメリカが石油をくれないなら、1年で軍隊を動かせなくなるので、 いま戦争をやろう、という、えええ、な結論になるんです。 そうでないと、兵器にも賞味期限はあるし、国の産業が軍隊しかないので、国の経営がやれなくなる。 だから戦争しようね、ということになる。 ひとつだけ困ったことがあって、当時のアメリカは例えば陸軍はポーランド陸軍とならぶ22位だかの戦力で、軍事弱小国だが、それはなぜかといえば、富裕を極めるどころではない当時のアメリカと戦争しようというアンポンタンな国が存在するわけはなかったからで、ひとりだけアメリカとの戦争を覚悟していたヒットラーも、アメリカが戦争に参加するのは1970年代より早くはない、と計算していました。 戦争を始めちゃって、アメリカが兵器を作りだして、動員令をかけたら、勝てないんじゃない?という疑問を持つ人は昭和天皇ヒロヒト以下、たくさんいたんだけれども、アメリカが戦備を整えるのは早くても半年後だから、それまでに、じゃんじゃん勝って、和平条約を結べばいいじゃん、ということになった。 もし半年経って戦争が終わらなかったら、どうなるんでしょうか?という声は出なかった。 「負ける」に決まってるからです。 でも、もう戦争やるっきゃないんだから、いいや、それで。 やろうやろう、戦争やっちまおう、で始めてしまったが、誰も勝つとおもっていないという、世にも不思議な戦争に、日本は入っていきます。 主戦場は欧州で、副戦場はスエズ運河攻防戦で、太平洋は第三戦線です。 なにしろヒットラーに率いられた、というか引き摺られたというかのドイツ軍は、もうめっちゃくちゃな強さで、Might and Magicのブラックドラゴンよりも、まだ強くて、特に当時の、イギリス軍のおちゃらけた兵器では対抗しようもなくて、スピットファイアだけは、まあまあ、まともだったが、というか、お国贔屓ですけど、優秀機だったが、当時戦闘機パイロットだったロアルド・ダールの乗機などは複葉のグラディエーターで、武器庫をかっさらって、使えそうなものは鉄製のpikeまで持ち出して、全力でナチと戦っていたので、太平洋は、ガラ空きもいいところだった。例えばシンガポール攻防戦のイギリス側主力機は、ビア樽に翼をつけたら飛びました、と言わんばかりのブリュースターバッファローという、まるっこい愛嬌があるだけが取り柄の戦闘機で、あの貧弱な武装の軽戦闘機「隼」にさえ適わなかった。 おまけに、防衛軍トップは、ウインストン・チャーチルに「死ね」「腰抜け」「恥さらし」と口を極めて罵られた臆病者のパーシバルで、ブリキのオモチャみたいな日本軍の戦車の、しかし集中使用にあっさりスリム将軍の防衛戦は突破されて、アジア全域が、あっさり大日本帝国の手に渡ってしまいます。 ここで面白いことが起こって、陸軍はシンガポールとフィリピンが手中に入ったことに、すっかり満足して、停戦しようよ、うまくすれば戦争終結に持っていけるのでは、と強く主張するが、海軍は反対で、 真珠湾で取り逃がした空母群が頭にあって、「とにかく敵機動部隊を壊滅させないと戦争をやめるわけにはいかない」と強硬に主張する。 戦後、主に元海軍将校たちの手によって、上手に隠されたのは、まさに、この時期で、陸軍は、ほとんど、これが最後の戦争終結のチャンスになることを知っていて、しかもそれを熱望していたようです。 しかし、そこまで百日間、マッカーサーをオーストラリアに閉じ込めて、ナチのせいで真空地帯化していた太平洋で勝ちまくっていた大日本帝国は、結局、戦争を継続することに決めてしまう。… Read More ›

SNS その3

海は嵐つづきで大時化(しけ)、陸はCOVIDの大逆襲で、毎日死者数が更新されるありさまで、この一月あまりは、MacBookを手に家のなかをうろうろしては、ゴロゴロして、あちこちのSNSに遊びに行ったり、レシピサイトでおもしろいレシピを発見してはキッチンでつくってみたりしていた。 日本語twitterも、最近はアホな人が来なくなって、このあいだは、あれはどうして、あの話題にからむ人は、ああいう程度が悪い人がおおいのか、トランスジェンダー問題専門家3バカトリオみたいな人たちが来て、タイムラインの内外で失笑されていたが、そのくらいのもので、あとはこちらが学ぶ事のほうが多い古い友人が大半になったので、楽しくて、つい、うかうかと、他のことをやっていた手を止めて、四方山話に耽ってしまうが、さすがに飽きてきて、 早く海が数日つづけて静かな週が来ないかなあ、コロナ早くなくなれよな、と願っている。 BAMO、と言う。 Block and move on. さっさとブロックして先に進む abbreviationがあるくらいで、英語ではSNSの使い方のひとつになって定着しているが、twitterもむかしとは、ずいぶん様相が変わって、知らない人の意見を聞く、というスタイルは英語ではほぼ消滅してしまっている。 著名な人間が拡声器の代わりにする。 友だち同士が、集まって、ガヤガヤと四方山話をする。 こんなのあったよ、と見つけてきた面白いツイートや動画、画像をRTやQTで見せっこする。 日本語では使われ方が、もっとシリアスで、自民党と統一教会の癒着や、トランスジェンダーsheは男なのか女なのか、ロシアのウクライナ侵攻の現状はどうなのか、なんだか深刻な話が交わされているけれども、これは、多分、 他に真剣に話を出来る場所がないことに起因しているのでしょう。 体制のほうから見れば、なんのことはない、外の通りになんか、ありとあらゆる屁理窟をこねて、出てくるわけがない安全至極な国民のガス抜きの場で、ちゃんと「こちら側」の電通も看守に立ててあるので、政府もハッピー、国民もハッピーで、twitterは大事な統治手段として、ちゃんと機能している。 見ていると、だいたいにおいて、「ちゃん文化」と「はてな文化」が支配していて、発言している人の顔ぶれも、よく見てみると、2chやはてなでおなじみの人々で、折角匿名で、いじめに耽っていたのにばれて、実名で居直って、今度は学究だということにして、「勉強がたりーん」をしている人や、 いろいろ一家言ある大学教師やバイト大学講師がリード役なところが、いかにもアカデミアと聞くと、おもわず柏手を打ってしまう日本語社会らしいが、よく考えてみると、なにしろ世紀をまたいで、おなじことをやっている人達なので、50代も後半のおっちゃんが多かったりして、それが「ちゃん文化」で身に付けた語調で「はい論破www」とかやっているので、 高校生の声音で、「いらっしゃいませー」と妙に胸を強調した制服の人のほうをみると、70代くらいの人で、なにがなし、微妙な気持ちになるときの気分に似ている。 もともとtwitterはソフトウエアデザイン、サーバーシステム、共に不備で、ジャック・ドーシーそのひとにtwitterという名前でわかるとおり、軽いおしゃべりの場としてつくったのに、なんだって、こんなことになったんだ、という戸惑いがあったようだけれども、やっと英語では本来のtwitterの使われ方になったのだとも言えるようです。 英語では、と、書いているが、よく知られていることだとはおもうが、LINEにつぐ4500万人がtwitterを使っている日本語社会は、SNSの世界では、とても変わったマーケットです。 世界で、ということで、上からめぼしいSNSを並べていくと、 Facebook (25億人) Youtube (20億人) WhatsApp (15億人) WeChat (11億6500万人) Instagram (10億人) TikTok (8億人) で、もう、この下はLinkedInになってしまうので、「主要な」という嫌な言葉をかぶせて考えると、だいたいこのくらいがめぼしいSNSということになりそうで、ネットの世界では常識として犯罪的な存在であるFacebookは、 「公の顔」で、いわば家の門柱にかかっている表札なので、使っているといっても、名刺を出版部数に数えているようなもので、例えば、アメリカでは、 Facebookの「パスワード」を教えろと就職面接で要求されることが問題になったりして、簡単にいえば、自分がいかに純良ないい子ちゃん市民であるかのデモンストレーションの場になっているので、他のSNSと並べるのは適切ではないかも知れません。 Lineは、他のSNSと異なって自分で使ったことがないので、なんとも使っている人のイメージが掴みにくいが、印象は「アジアSNS」で、 日本、インドネシア、台湾、タイランドちゅうようなところで使われている印象があります。 上に並べたSNSのなかで、最も重要なものに育っていきそうなのは、Youtubeで、グーグルらしいというか、ビジネスモデルも、システムも、たゆまず改良されていて、いつのまにか自分のまわりを見回してもSNSに興味を持つ人で普遍価値をもつなにごとかを創ろうとする人は、みんなYoutubeをプラットフォームに選ぶようになってきた。 レシピ、どうやって手作りの小屋の梁をあげるか、ボートのエンジンのメンテナンスのやりかた、マウンテンバイクの改造、…のようなhow… Read More ›

有効な言葉、無効な言葉

    いまの日本が満身創痍であることを否定する人はいないだろう。 ちょうど人間でいえば、コレステロール値や血糖値、血液検査で判明するあらゆる値が毎年毎年あがってきて、ここ10年は赤い数字で表記されるものが多くなって、それでもなんとかなるだろうとタカをくくっていたら、 倦怠感がつきまとうようになって、関節の痛みがとれなくなり、 障子の桟を横目で見ていたら、あり、この桟はいつから歪んでいるんだろう?と、ぼんやり考えていたら黄斑症になっていた、というようなもので、なんだか自分が決壊が迫っているダムになったみたいというか、 いったい慢性の症状が、このまま一方向に進んで、酷くなっていったらどうなるんだ、と怯える一方で、いや今日も大丈夫だったから、多分、まだしばらく大丈夫だろう、と自分に言い聞かせる、という風なのかもしれない。 あるいは、ずっとブログに付き合ってくれているひとは、いまのこれを放置しておくと2025年くらいにはこうなる、アベノミクスなんかに手をだしたら、スッカラカンになる、とずっと述べてきて、なにもかも、その通りになったので、ずいぶん、お褒めを戴いたが、預言者ではあるまいし、なんのことはない、ずっと判り切った定石を述べてきただけです。 では、なぜ例えば政府は、日銀は、定石に従ってものごとを進めなかったんですか? と、きみは訊くであろう。 ぼくの答えですか? なんででしょうね。 いや怒っては困るので、ことここに至ったメカニズムは判るけれども、なんで判り切った、というか、どこの国でもやっている対策を取らなかったのかは、だって、ほんとに、ぼくにも判りません。 「通(つう)の人」というのは困ったもので、バイトで貯めたオカネで初めて鮨屋の暖簾をくぐった大学生が、おどおどしながら、松竹梅の竹を頼んで、どれから食べるか迷って、大好きな卵焼きから手をつけて、ご飯のほうにちょっとだけお醤油をつけて頬張って、「うまいなあ、高いけど」と非日常の幸福に浸っていると、席が四つくらい離れたコの字型カウンターの向こうから、なんだか和服を着たおっちゃんが、「きみは、なんにもわかってないねえ」と、軽蔑したような顔で話しかけてくる。 握りってのは、ご飯のほうじゃなくて、ネタに醤油を付けるんですよ。 それに第一、初手(しょて)から卵を食うバカがあるもんか。 卵は口直しに最後と決まってるのを知らんのかね。 きみは恥ずかしさでいっぱいの気持ちになって、鮨の味もしなくなって判らないまま、でもまあ、知識を教えてもらったんだから、いいか、と諦めて、そそくさと食べて、起ち上がろうとする。 PCR検査は抑制されるべきだ、というのは、日本でだけ通用する珍説だ、というのが最近はやっと知れ渡るようになった。 検査を受けても誰も怒りません。 ドライブスルーPCR検査は、到頭、最後までやらないですませてしまった。 と、書いたら、「そんなことはありません!広島では、ちゃんとやってます」という人が来たが、皮肉ではなくて、よかったですね、とおもうが、 広島でやっているから、そうか日本でもやっているんだね、と胸をなでおろす、というわけにはいかないでしょう。 正しさ競争をしているわけではなくて、議論は、常に実効性を念頭に置いておかないと、ダメですね。 あるいは「前例のない異次元金融緩和」を行って、2年で一挙に経済を回復する、と豪語した日銀総裁がいて、国債を買いまくり、株まで大量に買って株価をつりあげて、2年で一挙に経済を回復するどころか、8年で、それまで60年をかけて営々とつみあげてきた、ちょうどヤジロベエの錘にあたる、健全財政という日本の最大の武器を一挙に破壊してしまう。 日本の外の投資家たちの目から見れば話は簡単で、黙っていたほうが儲かるので黙っているだけで、あんなバカなことをやれば、簡単にいえば、 強固な財務ゆえに無敵だった日本という怪物じみた経済国家が、くだらない思いつきにオカネを使い果たして「ただの国」になってしまった。 なんで、そんなことをするのかね、とおもうが、 黒田東彦総裁にすれば、自分が「通」であることを素人諸君に見せつけたかったのでしょう。 日本の専門家が選りすぐりの愚か者ばかりで、しかも専門知識が細部だけ合っていて、全体は、屋根が土台になって床で雨をふせぐような妙ちきりんなデザインになっているのは、要するに「見栄」のせいであるとおもわれる。 福島第一発電所事故のときに、目の前のスクリーンで建屋が吹き飛んで大爆発を起こしているのを見て、極めつきの「専門家」が、 「あ。これは爆発でなくて緊急時のベンチレーションですね」と述べる姿は、一般科学フォーラムで、繰り返し映像が流れて、みんなの抱腹絶倒を誘って、うけにうけていたが、当の日本に住んでいる人にとっては、あんまり笑えない光景だったに違いない。 よっぽどメルトダウンが始まってからも「メルトダウンではない」と言い張る「科学者」が日本にはいて、しまいにはメルトダウンの定義をめぐって、「科学者」たちが延々と論争するという、スウィフトのラピュータ会議なみの光景が繰り広げられた事実を書き込もうかとおもったが、 それでは、いくらなんでも日本の人に気の毒なので、やめることにした。 第一、書き込んだとしても、あまりに現実離れして、バカバカしくて、信じてもらえなかったのではないか。 PCR検査も、福島第一原子力発電所事故への社会からのリアクションも、 アベノミクスの大失敗に対する反応も、「現実を見ない観点」に「専門家」たちが立っている点では、おなじで、どうやら、これが日本語人の宿痾であるようです。 その国の文明の「癖」は戦争に端的に顕れるが、日本の戦争史は、まさに 現実に対して無効だった作戦の展示場で、 有名な例でいえば、海軍側は港内の艦船が見える地点を確保して欲しかっただけなのに、「海軍は陸戦というものを理解していない。旅順を攻めるなら要塞ごと陥落させないと意味が無い」という要塞攻略の専門家たる参謀が現れて、素人の意見を無視して、遮二無二、兵士をペトンの壁と当時は珍しかった機関銃と榴弾砲の群に守られた近代要塞に、戊辰、日清戦争以来の肉弾突撃を繰り返して、先に戦死した兵士たちの積み重なった屍体を踏み損なって、身体をぐらぐらさせながら吶喊して、自分もまた、役にもたたない「肉弾」になっていった。… Read More ›

礼記

    すんごく酔っ払って、横須賀線の終電で鎌倉の家に戻ると皓皓と輝く月の光できらきらと輝く段葛の鎌倉武士たちの白骨の欠片を踏みしめながら歩く話をしたっけ? えっ? もう、したって? Ver4って、きみ、ずいぶん昔からの読者なんだね。 あの頃、ぼくは人生を投げ出して、日本にやってきて、1年の半分を過ごすという無謀な生活を始めていた。 物好きなって? そうじゃないんだよ。 あのころ、ぼくは、西洋でないところでなければ、どこへでもいい、 出かけて住みたかった。 息苦しさから逃れたかった。 鎌倉は、とてもいいところでね。 板硝子と縁側があるという、ただそれだけの理由で買った北鎌倉の切り通しの手前にある家は、ぼくにとっては療養所みたいなものだった。 毎日歩いてばかりいたんだよ。 鎌倉の人ならば誰でも知っている北鎌倉から大船への、小さな小さなトンネルを通って、「とんでん」という名前のファミリーレストランに行くの。 あるいは、もう少し足をのばして「観音食堂」という名前の定食屋へ行くの。 西郷従道が無理矢理に境内をぶったぎって通した横須賀線の踏切を渉って、 国道を横切って、化粧坂へ抜ける道を歩いて鎌倉へ向かう。 化粧坂というんだよね、あそこ。 つづらに折れた道を歩いて、日暮れ時には幽霊が出る日野俊基の墓で、 墓石に座って一服する。 亀が谷の急峻な坂をおりて、鎌倉に出る。 そこには昔は小さなとんかつ屋さんがあって、おいしいおいしいカツ丼をつくってくれたんだよ。 毎日新聞の記者の人だったと言ってたな。 いまとは異なって寂れた裏小路で、静かで、刀鍛冶の仕事場があって、死人(しびと)たちが囁き交わしながら歩いているようで、 そうやって、ぼくは、連合王国で培った薬物中毒から自分を再構築していった。 ぼくにとっては、日本全体が、療養所だったのだとおもいます。 内緒だけどね ぼくは恐竜のような階級で育った 「えっ?階級?階級ってなんですか?バカじゃないの?」と思った君は正しい。 いつかガレージを直しに来た人は、たいそう知的な男で、 三日目に来たときは、自分が描いた絵をもってきてくれたが、 素晴らしい絵だった。 だから、すっかり仲良くなってしまったんだけど、 「ニュージーランドに移ってきて、いちばん、びっくりしたのはマネージャーを呼ぶときにMr.をつけなくていいことだった」と述べていた。 ファーストネームだけでいいんだ。 こんな世界があったのか。 それから、まっすぐに、ぼくの眼を見て、 「きみは上流階級の人間だよね」と、はっきりと述べた。… Read More ›

未来を思い出す

どうしていますか? どうしているかって、毎日、話しているじゃない、と、あなたは、あの「知」そのものの輝きを宿しているような眼を見開きながら、可笑しそうに言うだろう。 うん。 そうなんだけどね。 見上げると、高い屋根の下には、ガーゴイルたちが、頬杖をついて、地上を見下ろしている。 ぼくは人間の子がつくった通りを歩きながら、喉が渇いて、店に入って、グラッパを一杯。 知ってるでしょう? ローマではグラッパは「acqua」で、人間の身体を満たすべきものなんだ。 歩道をあるきながら、ぼくは考えている。 戦争がやってくる。 世界の隅々にいたるまで 戦争が、あふれでた水の、洪水のようにやってきて、 きみやきみの家族や、愛しい人を、 濁流のなかに連れ去ってしまう。 こんな時代に、理窟なんて、あるわけはない 通用するわけがない そんなときに、 あなたやぼくが愛する美術館や寺院に展示された「美」には、意味なんてあるだろうか ぼくにはね たくさんのたくさんの人が死ぬのが見えます 彼らは死ぬだろう 東欧の荒野で ポーランドの森で フィンランドの峡谷で 彼らは死ぬだろう 恋人の面影がおもいだせないと呻きながら あれほど愛しい人の笑顔がなぜ思い出せないのかと呪いながら 舞台が暗転するように この世界は変わってしまったのですよ おぼえていますか? NYCのMETのバーで、シャンパンのボトルを何本もカラにして 広大な館内を ふらふらと歩き回った メソポタミアやエジプトの 美しい人達が 「どうも現代人は、しようがないね」と呆れ果てて 千鳥足のぼくを見ている 言い訳できるよ あのときは 未来をおぼえていて… Read More ›

過去をめざす

  もうどうでもいいか、と、ふと、おもう。 自分で勝手に、そう思っているだけかも知れないが、 打てるだけの手は打ってあるので、定石に従って、あるいは信頼できる人や機関のアドバイスに従って、自動航行になっていて、 考えて見れば、いっそ、しばらくは、なにも考えないでいたほうがいいような気もする。 いま現在の、自分に関係なくはない時事的なことを述べると、 どうやらペロシが木曜日に台湾を訪問することは確実で、 この一手はホワイトハウスとペロシが、多分、熟慮を重ねて決めた大胆な手で、 こちらはアメリカのほうに立って観ているので、 台湾のセキュリティにおおきく梃子入れするための勇敢な踏み込みだが、 中国政府の側に立てば、誰にでもわかる、顔が青ざめるような挑発で、 いったい、どうして自分はこれほどの侮りと恫喝を受けねばならないのか、 理解しかねるほどの仕打ちで、 秋の10月/11月に予定された党大会の季節に向けて、 そうか、アメリカの野郎、そこまでして、おれを引き摺り落としたいのか、 と中国の内政への圧力であることを判っている習近平は、 そのあたりの家具を叩きこわしたいほどの怒りに震えているでしょう。 でも、そういうことも、静かな惑星の運動のようなものだと、思えば思えないこともない。 言い訳染みるが、人間とはそういうもので、自分のcomfort zoneで起きることへの反応と、ペロシの訪台のような、おおきなpublicで起きることへの反応は、別の次元に属していて、両方ともに、切実なときは切実だが、 実感は、まるで違う人が考えてでもいるように、異なっている。 頭のなかで起きていることを観察してみると、なるほど世界は、こんなふうになってきているのだな、と遠くの雷鳴を聞き分けるように聴いてはいるが、 一方では、今月のように大雨が続くと、新しいデザインのボートやヨットは、そもそも船体が一体成型のファイバーグラスで、あるいはおおきなものはスティールで、真水が空から大量に降ってきても、なんの問題もないが、 所謂クラシックボートは、ファイバーグラスでコーティングしてあったり、 上部はまったくの木製であったりして、ペイントの細かいひび割れから水が滲出して、船体の骨格をつくっている木を傷める。 そういえばグリーンのペイントはストックしてあるが、ホワイトがない。 水タンクは満タンになっているはずだが、ガスボトルは、あれ? 最後に交換したのはいつだったかな と、そんなことばかり断続的に考えている。 バブルの神様に気に入られたんだか、なんだか、 お下品なことを述べると、収入は増加する一方で、投資家といいながら、馬鹿げたことに借金もないので、いよいよオカネのほうは頭から失念されていて、もともと自分で言ってしまうと、友人たちより、ずっとfrugalで、贅沢は落ち着かない性格なので、オカネからは自由で、 いわば「オカネが存在しない生活」を、もう10年以上続けているわけで、 貨幣経済もなにも、現金はおろか、クレジットカードにさえ手に触れなくて、 実際、この瞬間も金庫に入っている限度額が高い、プラチナやブラックの数枚は別として、いつも使っている限度額が15万円程度に設定してあるブルーのカードは、コートにポケットに入っているか、どれかのヨットかボートの寝室の毛布に紛れているかで、そもそも物理的なカードがどこにあるのかも判らない。 日本のクレジットカードシステムは、あれは日本独特で、毎月決まった日でないと払わせてもらえないので、それじゃ「クレジット」はどこにあるんだと驚いたが、普通はクレジットカードは、ときどきオンラインでチェックして口座からオカネをtransferして、クレジットを$2000なら$2000にしておく。 あるいは限度額が$2000のカードで$5000の買い物をする予定があれば、あらかじめ$5000~$6000ドルをカードの口座に移しておく。 で、通常は、おぼえているのはカードの裏側のセキュリティの三桁の数字だけで、COVIDパンデミックがつづいているので、一応注意はしていて、感染接触機会を確率的に減らすために、オンラインで注文できるものはオンラインで注文して、家には、家の人たちが注文するものと、家の主のカップルが気まぐれに注文するものと、一日に二回、配達のトラックがドライブウェイを両側の生垣からの枝をかきわけながら、やってくることになっている。 静かな日常がつづいている。 美点に数えてもいいが、なんにでも直ぐ飽きる割に、退屈するということはなくて、積ん読という面白い日本語があるが、読みたい本や、やりたいこと、ヨットで行ってみたい入り江が「積ん読」になっていて、 遊びたい病の門前に、やることが列をなしているので、… Read More ›

流星群の夜を目指して

中国政府による香港民主制の破壊を個人の自由という観点から見てはいけないのだ、という。 だって、そんなこと言ったって、ぼくなんか、他の視点から観ようがないんだけど、と述べると、なんだか哀れな仔犬を観るような目になって笑っています。 テーブルの上にだしてあったタブレットのグーグルマップを見せてくれる。 ほら、ここが香港でしょう? 右を見ると、 と滑らせた指の先を見ると、そこには台南があります。 Xiamenでは長期の補給を担う能力がないからね、と述べている。「Xiamen」のところだけ、美しい北京語です。 ここに来て、果然、中国は台湾に武力侵攻することに決したのだ、という妙に精確な細部を備えた情報が世界を飛び回っている。 直截の理由は、もちろん、ウクライナ人に歓待されることを見込んで、作戦計画らしい作戦計画もなしに国境を越えて侵攻したロシア軍が、コテンパンに負けて、十日で作戦が終了する見込みで補給やら動員を考えていたのに、ずるずると五ヶ月を過ごしたウクライナ侵略の性格が変わって、というよりも戦争へのロシア国民の認識が変わって、NATOに象徴される「西側の拡大主義」に対する「祖国防衛戦争」というイメージを行き渡らせることに成功したからです。 こうなってしまうと、ロシア人は伝説的な耐久性を発揮して、テコでも退かなくなってしまう。 負けに負けて押し返されても、後方へいったんさがって、兵員を補充して、体制を立て直して、再度挑みかかってくる。 ロシアはこの「国民戦争状態」になると、経済制裁もたいした意味もなくて、いわばロシアというヨーロッパから極東にまたがる文明の、ヨーロッパ部分を捨てて、アジア人として戦場に帰ってくる。 この状態になったロシア人にとっての西側は「贅沢を供給する文明」です。 ところが、まるで母なるロシアの大地から生えてきたとでもいうようなアジア人としてのロシアは、食料もエネルギーも、その他もろもろの戦争遂行に必要な資源は、すべて自給できる、化け物の戦争体力を持った国として姿をあらわす。 戦争が長引くことは決定的になった、と中南海は判断したでしょう。 だとすれば、と習近平執行部は考えたに違いありません。 時期尚早だと独り決めにして、調略に注力していた台湾の武力による奪回を考えるべきなのではないか。 人民解放軍からすれば、対艦ミサイルをぶっ放しまくって、アメリカの空母攻撃群を全部沈めてしまっても、なお沖縄から飛来する米軍との戦いだけでも劣勢に立たせられるに違いない、成長途上でしかない空軍と海軍は劣勢でも、なお余り有る、時勢の加勢がある。 インテリジェンスからの引きも切らぬ報告に基づいて、対中国に軍事姿勢を転換しようとしていた、ちょうどそのタイミングでロシアがウクライナに侵攻したので、アメリカ軍の再編成はまだ端緒にもついていません。 まして、むかし厳冬のチョシンで全滅寸前まで叩きのめされて、人民解放軍への劣等感と恐怖心を嫌というほど叩き込まれて、「中国恐怖症」の持病を持つに至った陸軍は、いまのままでは台湾で相見えた途端に、くるりと回れ右をして台湾の北端か南端に、あるいは、もっと状況がわるければ花蓮に逃げ込むことになりかねない。 かつては三正面に対応しうる巨大な軍隊だったアメリカ軍も、伝統的な戦闘から対テロリスト作戦に移行するにつれて、規模の縮小を続けて、オバマ大統領を経た時点で、1.5正面に対応するのがやっとの規模です。 トランプは、なおさらで、言うことは威勢がいいが、実際は自分に利益をもたらすためにアメリカ合衆国を改造しつづけることに熱中した結果、今度は規模はそのままだが、中身が空虚な状態になって、張り子の虎へ軍隊そのものが向かっていった。 トランプへの、将軍たちを含むアメリカ軍人たちの叛旗は、クーデター寸前まで行っていたのが、いまでは判っているが、戦争の恐ろしさを判っていない、なにをするか判ったものではない、危ないおっさんを軍の最高司令官として戴くことへの不安だけでなく、自分たちの軍の健やかな伝統をトランプが台無しにしようとしている、と感じたことによって動いたのでもあったでしょう。 呑気で優柔不断なバイデンが手をつけかねているうちにアメリカ軍は、どんどんボロボロになって、いまはどん底に近い状態にある。 軍首脳は一大改革を実行する前夜で、とにかく欧州正面からアメリカ軍を引っこ抜いて、ジューコフの西進さながら、とまでは言わないが、正面の大転換をおこなって、あわせて軍の改革を行う直前の状態で、プーチンの軍隊がウクライナに、突拍子もない、というか、雪崩れ込んできた。 するとですね、どうなっているかというと、北は尖閣諸島から、南はスプルーアンス諸島まで、戦場を中国が選べる状態になっている。 この情勢をプーチン執行部と習近平の中南海が見逃すわけはなくて、日本のいわゆる(もう安倍首相の大失敗のあとでは戒名みたいなものだが)「北方領土」から沖縄まで、通常の迎撃対策能力調査だったのが、実戦に準じた、戦略爆撃機を中心とした編隊による演習に変わって、いまでは、居直っているというか、堂々とロシアと中国で合同部隊を組んだり、合同作戦の姿勢を取ったりして机上演習でやっていたことを、日本近海の上空でやるようになった、 恫喝としての意味はないので、要するに日本を攻撃する「練習」をしている。 そう言っては悪いが、国民党軍の伝統と考えればいいのか、台湾軍は有名な腐敗軍隊で、装備品の横流しなんて朝飯前、その結果、見えない部分(例:弾薬)の定数が揃う部隊のほうが珍しいくらいだと言われていて、まさに「張り子の虎」で、世界最弱の軍隊のひとつに数えられている。 一方の日本の自衛隊も、日本国内では、まるで違う話になっているが、 もしかしたら台湾軍より弱いんじゃないの?とヒソヒソされる軍隊で、 取り分け安倍政権のときに、利権という、あんまり戦闘に役に立たない理由と、見栄で弄り回したあげく、とんでもない有様になっていて、 チョー失礼なことをいうとヘリコプターの定数を見ると「7」なんてヘンテコリンな数が書かれていたりして、チョーチョー失礼にも、吹き出してしまう。 むかし軽井沢から高速道路で東京に戻る途中、どういうタイミングでか、日本海側に駐屯する自衛隊の車輌と頻繁に出くわしたが、モニさんがびっくりするくらい兵士のひとびとがデブデブで、なんだか相撲部屋のお相撲さんたちが、軍服を着てピクニックに出てきたように、みな楽しそうで、 ウキウキした様子で、見て判るほど車内ではしゃいでいて、皮肉でなく、 日本は平和な国だなあ、と感心していた見ていました。 あんまり正直にそのまま書くと、なにを書いても核心に触れたことを書けばコーフンして押し寄せてくる、いつものひとびとの「興奮スイッチ」が入ってしまうので、詳しくは書かないが、日本の自衛隊もまた、例えばバランスが悪い、なんだかオモチャみたいな空母まで持って、アメリカ人たちを苦笑させている国家としての見栄だけで出来たような編制も含めて、 世界最弱に数えられる、お飾り軍隊にしか過ぎない。 勢い、台湾に侵攻すれば、人民解放軍にとってはアメリカ軍との一騎打ちだが、例えば、月月火水木金金、毎日猛訓練に明け暮れていても、海軍は、ひとつの文化なので、成熟に時間がかかって、そう一朝に出来上がるものではありません。 とにかく、これは昔から掛け値なく世界最強を謳われて、ベトナム侵攻ではボロ負けしてメンツを失ったけれども、ようやっと自信を取り戻して、現代化もITを中心にかなり進んだ人民解放軍の陸軍を揚陸させて、一方では香港の後方補給基地化を急いで、どんどん戦力を送りこみつづけるしかない。… Read More ›

日本語を再訪する

最近、日本語に近付きすぎではないか、とおもう。 もう十余年やっているので、日本語や日本語社会との距離を詰めすぎると、 自動警報が鳴るようになっていて、ここ数日は赤色灯が点滅しているような気がする。 このあいだも世界の犯罪のインフラストラクチャーが変わって、Dark Webに転換されつつあることを、ひょっとして日本の人は知らないのではないか、とおもう発言が新聞の「識者のコメント」に出ていたので、不安になって、「タマネギの世界」という記事を書いたが、考えてみると、日本の人が世界の変化を知っていても知らなくても、それこそ知ったことではないし、そのために「警告の記事」を書くなんて、余計なお世話以外の何ものでもない。 第一、「世界では常識になっているが日本の人だけが気が付かない〇〇」について書くことくらい、書くほうにとって退屈なことはないので、 自然、日本語も、やる気のない日本語になって、書いて、嫌な気持ちしか残らない。 ちょっと、こういうことは二度とやめよう、と考えたが、書いてしまうと、これを、もの好きな人しか読んでいないブログだといっても、置いて、誰もが帰ってきて読めるようにしておかないと、まるで、判っていて何もしなかったようで、あとで気分が悪いだろう、と考えて、渋々、公開しておくことになる。 そういう話の全体が、いかにも「日本語と付き合っているときの自分」で、日本語は言語として大好きでも、日本語と付き合っているときの自分は鬱陶しいと感じるので、なんとなく、気分が落ち込む。 他の言語に逃げてしまえばいいが、最近、ほいほいといなくなれないのは、 「何かが迫っている」ような気がしているからでしょう。 いままで、どんなことを述べて来たかというと、経済や政治にについては第二次安倍政権が出来たことから、何度も何度も「アベノミクスは見せかけの経済復活をめざす政策で絶対にうまくいかないどころか、いままで日本経済に回復力を与えていた財政基盤を破壊する」 「見返りを求めないで国富をばらまくような外交を続けていれば安全保障を危機に陥れることになる」で、 前者は、狂信的なアベノミクス信奉者の目にも、いかにもダメだったのが判って、後者は、勘がいい人にとっては、遠くの雷鳴のように聞こえ始めている、というところでしょう。 最も危惧というか、真剣に余計なお世話で、どうしても言わずにはおれない焦燥に陥ったのが、日本語の危機で、これは、なにしろ当の、その言語のみを使って思考する人がほとんどなのだから、当たり前だが、誰にも、ほとんど意識されないまま、これをまだメジャー言語に数えていいかどうか、ためらうくらい、局所性の強い、世界のたくさんのことが説明したり描写したり出来ない言語になって、「日本語が亡びるとき」という本があったが、正に、亡びてしまった、というしかない状態になっている。 言語の再建、というようなことは、もう無理で、長く日本語に、 世界の文化·知識の輸入と日本語自体の再生という利益をもたらしてきた、出島の役割を長くはたした翻訳文化を捨てて、英語と日本語の二本立ての国語にしていくしかなくなっていくでしょう。 ベンガル語やヒンドゥー語と英語を家庭内ですら自由に行き来するインドの人達のように、さっさとやってしまえればいいが、仮に出来なかったとすると、「自分でも訳がわからないのに国は低迷する」という事態の深みにはまっていく。 言葉が壊れているということは思考が壊れていることで、認識そのものが、ちょうど黄斑病で歪められた視覚のように歪んでいることになる。 なんだか、ほんとうでない世界が見えてしまう。 せめて、それを補正する程度には英語でものを考えられねばならないが、そうなると、長く続いた翻訳文化が邪魔で、ひどければ眼や耳から入ってくる英語を、いちいち日本語の語彙や構文になおさなければならなくて、 落ち着いて考えればわかるが、それでは英語で考える地点から、逆に、英語に接すれば接するほど遠くに後退してしまうことになる。 むかしは、こちら側にやってくる日本の人達を観ていて、頭がよく、聡明な、学校の成績がよい日本人ほど、いつまでたってもヘンテコリンな英語で ヘンテコリンな考え方なので、不思議で仕方がなかったが、最近は、その楽屋事情が判っていて、つまりは、言葉にすると冗談じみているが、英語を勉強しすぎたのが理由なんですね、あれ。 普通の人間にとっては、最良の外国語習得法は、「いろいろやってみてるうちに身につく」というだけで、自分でスペイン語を身に付けようとした頃を考えると、たまたまということになるが、まずは歌で、スペイン語の曲が多いフランス人シンガー·ソングライターのArno Eliasや、スペインのMigue Boseを聴いているうちに歌詞を知りたくなって、語彙やフレーズが、ドッと頭に入ってきて、例えば、なんでolividameなの?というふうに語形変化が判らなかったりすると、文法を調べたりして、そういう不定形なスペイン語との接し方で、考えてみると、日本語のときと、そう変わらない。 「やってはいけない」方は、これは、はっきりしていて「和訳するのは極力避ける」で、これさえやらなければ、言語の習得は、案外、簡単です。 友だちを見ていても、言語の習得は「身につく」レベルまで6~8ヶ月で、日本語のように、飛びきり習得が難しい言語でも、1年内外の時間があれば、なんとかなっているようでした。 それも言語の習得は学問ではないので、闇雲に、遮二無二やって身について、「効率的な方法」は有意なほどには役に立たない。 だいたい自転車に乗ることを習得するくらいのもんだ、くらいの気持でいいのだと思います。 余計なことをいうと、スタートする年齢も、あんまり関係はなくて、「子供のときでないと身につかない」というが、もしかすると子供のときのほうが、やや有利かもしれなくても、ほとんど関係がなくて、おとなになってから始めて不利だという例は、少なくとも自分のまわりで見たことはない。 「脳の構造の違いから来ている」と、わざわざ画像付きで説明している本まで観たことがあるが、内輪では「日本人は模倣には巧みだが創造には向いていない」とオオマジメに説明する人が、いくらもいて、しかも御丁寧に画像付きで、 「器質的に日本人にはモノマネしか出来ない事は、ほら、この通り医科学によっても証明されている」と得々と「実証科学で証明された」論を述べる医者がいたりする社会に住んでいると、おお、なるほど、と言うほかに反応の示しようがない。 もう何度も説明したが英語世界では文豪のひとりに数えられるポーランド語圏ウクライナ出身の作家、ジョゼフ·コンラッドが生まれて初めて英語に接したのは船員時代の20歳すぎのことだったし、早い話が、最近では英語で書いたほうが、より多くの読者を得られると判断して、さっさと英語を習得して、英語でベストセラー作家になる人は、インド·パキスタン·アフリカ諸国には大勢居る。 何度書いても、ポッと頬が赤くなってしまう言葉だがやむを得ず使うと、処女作で、いきなりブッカー賞を取ったケララ人のArundhati Royなどは、日本でも知っている人が、たくさんいるはずです。 もっと余計なことを書くと、いつかtwitterで話していたら、ロンドンで学校生活を送る前はデリーで育った金沢百枝さんは、子供のときはヒンドゥー語を話せたそうで、いまはどうなのかと訊ねると、「もう忘れてしまった」と述べていて、これはぼくの日本語記憶と、ほぼ合致する。 多分、子供のときの言語は、おとなになってからの言語と「別の箱」のようなものに入っている気がします。 おとなになると、くだらない理論が、船底のフジツボのようにこびりついてしまうだけで、あんまり年齢論は、説得力がない。… Read More ›

コロナと一緒

  臀筋が痛い。 しりがあああ、しりの筋肉が切れるうううう と述べていたら、今度は、両腕の筋肉が痛くなってきた。 咳がときどき出る。 喉が、ひっかかる。 それって、covid(コロナ)なんじゃない? とモニさんが眉を顰めて心配しています。 新聞に書いてあるBA.5の症状と、なるほど一致している。 BA.5、知ってますか? Business After 5 とちゃいまんねん。 オミクロンの変異株ですね。 症状が元祖オミクロンとは、おおきく異なる。 初期には感染力が強い代わりに重症化しないという説をなす人がいたが、 感染者数が5000,1万と増えるにつれて、どんどん死に出して、 死に顔がおだやかだ、くらいしか言いつのれなくなっていった。 台湾系友と話していたら、台湾も同じなんだぜ、と述べていたが、 いったんはコロナ終熄宣言を出して、やったやった、わーいわーい、 明日から、ハグありキスあり、あんないけないことや、こんな夫に内緒なこともできるぜ、と喜んでいたのもつかのま、 長くとって1年、短く厳格にとれば7ヶ月、「コロナのない世界」で過ごしたあとで、なんせ国がビンボに戻ってしまったので、国が依存している観光を復活させようとして、クロス・タスマン、オーストラリアとのボーダーを全面開放した途端にcovidウイルスが到着して、 再び拡大した。 だーから、ゆったじゃないの、人の言うこと、聞きなさいよ、とおもったが、後の祭り なにしろ世界一と言われたチョー厳しいレベル4ロックダウンをはじめ、耐え難きを耐え 忍び難きを忍び 以て五百万同胞の為に健康を保たんと欲す、あれもダメこれもダメ、ええええー、ワナカに不倫旅行に行っちゃったの? 社会のエリートとして許しがたい、有罪を宣告します、で、ゼロコロナ政策だったので、いまさら、またコロナ対策やるの? もうダメ、わたしはコロナ離婚までして頑張ったんですよお、やめてください、これ以上虐めないで、ということになって、 簡単に言うと、政府も国民も挙げて、「もう知らんわ」になった。 結果ですか? はっはっは。 判り切ったことですがな。 新規感染者は、どどどどおんと増えて二万を越え、病床は半分以上埋まり、 フューネラルパーラーは大忙しになった。 ニュージーランドではワクチン接種とPCR検査も元々タダだったが、RATs、 Rapid Antigen Testsも無料です。 ただし無料キットはクルマで取りに行かねばならなくてめんどくさいので、出前会社に配達してもらうほうが普通でしょう。 いまみると、レストランやカフェ、テイクアウェイ店と並んで、唐突な、目立つ感じで、RATs配送無料、と書いてある。 5個で34.99ドル… Read More ›

タマネギの世界について

  検索エンジン、たとえばグーグルで検索しても絶対に引っかからない、インデクスを持たないwebサイトをDeep Webと言う。 おおむかしの、2003年だかのブリタニカを観ると、検索サイトを使えば出てくるサイト、つまりSurface Webの300~500倍だと書かれていて、たいへんな数だが、異なる言い方をすると、通常のブラウザを使ってネット世界を見ている人は、インターネット世界の10%ほどを見ているにしか過ぎない。 Deep Webには当然、emailアカウントやクレジットカード決済のサイトが含まれていて、現在はDeep WebがSurface Webの1000倍を超えているはずだ、と言っても、なんだか氷山の一角の水面下には闇の魑魅魍魎が蠢いているという訳ではなさそうです。 どんなものがDeep Webと呼ばれているサイトに含まれているかというと ・個人の医療履歴 ・メンバーシップ制のサイトやアカデミックジャーナル ・データベースとイントラネット ・決済履歴とファイナンシャル・レコード ・サイトの持ち主によって検索エンジンにインデックスされることを禁止されたプライベートサイト   で、特に不可視だから不法サイトというわけでないのは一目瞭然とおもいます。   いっぽうでDeep Webのなかでもインターネット全体の5%内外を占めるアウトロー指向のサイトにはDark Webという名前が付いていて、決して検索されない世界で、麻薬取引、軽火器や兵器の売買、銀行襲撃や誘拐、はては、憂さ晴らしなのか、どのくらい実行に結び付くのかは判らないが、あの野郎、気にくわねえから、ぶっ殺してやろうぜ、とか、あんな生意気な女、バンに連れ込んでやっちまおうぜ、と剣呑なことが話しあわれているサイトもある。 地下経済には、なくてはならないネットワークで、暗号通貨を主に媒介にした巨大な地下経済の話を耳にしたことがあるひともいるでしょう。 ただただ悪の巣窟かというと、そうでもなくて、ちょっと頭を働かせれば判るが、圧政国家や国家主義国家に住む人間にとっては、自由経済や自由闘争の牙城を建設するのに適している。 取り締まりが極端に難しいからです。 Dark Webは、当然、通常のブラウザでは不可視でTorブラウザ+VPNでアクセスするのが通常だが、 .onionで終わるTor ネットワークサイトだけで65000ほどのサイトが有ると言われている。 よく日本の新聞に出てくる「闇サイト」の正体は、なんのことはない、高々、ただのパスワードでアクセス制限されたSurface Siteだが、そもそも一般の眼には不可視の広汎なweb世界が存在して、、こうした、銃乱射、ドラグ売買、武器取引、テロ襲撃など違法ビジネスや深刻な犯罪についての具体計画が話しあわれているDark Webが、現在の英語世界の主流で、共同正犯の、お互いさえ正体を知らない、こういうサイトのほうが社会にとって危険なのは言うまでもありません。 個人に近い側に立っていうと、ときどき、気付かないうちにボーイフレンドが隠し撮りにした自分の性行為ちゅうの写真や、強姦被害時の画像、申請して、すべてwebから削除されているはずの自分がAV女優だったときのビデオが、どこからともなく、突然現れて、知人に知らされて初めて知って愕然とする、ということがあるでしょう? あれは種を明かせば「決して表の世界に持ち出さない」と誓約させてアクセス権を与える違法画像サイトがDark Webには数限りなくあるからで、約束を守る気がなくなった人間がSurface Webの世界でばらまいてしまう。     日本語Dark Webは、他言語に較べて、まだまだ、ごく少数で、数が多いのは、圧倒的に、言わずと知れた英語です。… Read More ›