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Apollo theater

  ハーレムのアポロシアターへ行った。 わしが現代のミュージシャンのベスト20に絶対はいるべ、と思っているSalif Keita http://gamayauber1001.wordpress.com/2009/02/05/seydou-ke〓ta-salif-ke〓ta/ のコンサートがあったからです。 途中のセントラルパークのすぐ北にあるやたらにおいしいエチオピア料理屋でアフリカ人の友達と待ち合わせをしていった。 民族衣装に身を包んだ奥さんはゴージャスで、大元はアフリカ人だが何代か前からイギリス人の旦那はデヘデヘしておる。 きらめくような生地の長いドレスに頭を高く巻いてドレスと同じ生地の大きなスカーフで頭をくるんでいる。 向こうから、歩いてくる友達の奥さんを見て、か、かっこいい、とみほれてしまいました。 モニとふたりでマジで見とれてしまった。 エチオピア料理屋では、もちろんフォークもスプーンも出てこない。 途中でなげだして、「すんまへん、フォークをください」ちゅうような軟弱なことをゆっているのはわしだけであって、他の3人はちゃんと薄灰色の片側が酸味で片側が酸味でないように伝統的な方法で焼き上げた、えもいわれない天上の味のパン(ジンバブエ人の友達は「あれは、悪魔の味だ」というが)をうまく使って食べている。 アフリカンブリティッシュ旦那が「ガメは、相変わらず、ぶっくらこくくらい不器用だな」とゆって笑っておる。 うるへー。 料理屋からアポロシアターまではハーレムを歩いていった。 街の様子がセントラルパークの南とは異なるのはあたりまえだが、この頃はアフリカ語で話しているひとがまた増えた。 120thまでは聞こえてくる言葉がアフリカ語のほうが英語より多い。 アポロシアターにつくとバーでワインを買う。 ねーちんが、なみなみと注いでくれます。 「おつり、いらないからね」と、わし。 「くれっていっても、あげないもん」 そーですか(^^) アポロシアターなのだからあたりまえだが、働いているひとも皆アフリカンアメリカンのひとびとである。 わしは、何度も書いたが、不明な理由でアフリカンアメリカンのひとびとと相性がよい。 向こうも、ケミストリをビビビと感じるようで、どこにいても、アフリカンアメリカンとはすぐに友達になる。 「むかしのようにアフリカンアメリカンの綺麗な人と仲良くなりすぎてはいけません」とモニには深刻に厳命されておるし、実際、結婚まえのように、クラブで(酔っ払ってはいても)ふつーに話しているつもりでいるのに、いきなりチ○チンをぎゅっと握られてしまう、というようなことになると、モニさんに生活から蹴り出されてしまうので、十分、注意しておりまする。 アポロシアターとかにやってくると、そーゆー意味で緊張してしまう。 あんまりリラックスしすぎないように緊張するっちゅうのもヘンなものだが。 前座はアフロキューバンバンドという触れ込みのキューバ人たちのバンドで、メインのパーカッションのにーちゃんよりもピアノのねーちんのほうがよかった。 声もよかったし、リズム感もよかった。 アドリブにはいってもリズムが壊れなくて、原子時計みたいに正確です。 ピアノを弾いていて歌を歌っていて、なかなか出来る術ではない。 アポロシアターは、デザイン的に無茶苦茶カッチョイイ劇場だが、セキュリティが悪いのとPAがボロイので有名でもある。 初めは英語で話していたのに途中からめんどくさくなってフランス語になっちったチョーえーかげんな司会の雄叫びと一緒に、バックコーラスのかっこいいねーちんふたりが踊りながら歌いだして、相変わらず白装束のサリフ・ケイタがあらわれると日本語では表現できないroarが、劇場に響き渡る。 サリフケイタは不思議なひとだ。 抜群のリズムで出来た曲を書くのに、その曲を歌うときには小さなステップひとつ踏まない。 北島三郎が「東京だぜ、おっかさん」を歌うよう、というか、三波春男が「東京ちゃんちきおけさ」を歌っているときみたい、というか、棒立ちで歌う。 バンドはのりまくり踊りまくりステップ踏みまくりで演奏しているのに、サリフケイタは棒立ちのままです。 しかも、ぶっ壊れたアポロシアターのPA。… Read More ›

踊るイラン人

  アメリカのひとにイラン人の友だちの写真を見せると「フランス人、ですか?」というひとがいちばん多い。「イタリア人にしては金髪のひとが多いな。あっ、ロシア人のパーティに行ったんだね?」というひともいます。 「むっふっふ。これ、テヘランのパーティの写真なんすけど」というと、ぶっくらこいて眼を丸くしてます。 イラン人はブルカをかぶって浅黒い肌で厳しい顔でこっちを睨んでいるものだと思い込んでおる。FOXやなんかのニュースが、そういう人だけを必死に探してきて映像として流すからです。わざと、やっとる。 「ほーら、わしらと違うでしょう? 別の種類の人間でしょう? コワイですね。たまりませんね。みんな、殺しちゃいましょうね」 と言いたいのである。 ヒロシマに原爆を落とした頃から理屈がまったく進歩しておらない。 モニとわっしはあるときイラン人の友だちの家に遊びに行った。 精確に言うとその家の旦那さんはヨーロッパ人であって奥さんと奥さんの妹さんがイランのひとなのです。 ふたりのイランガキ(女児)もいる。 モニとわっしが遊びに行きたい、というと、「前の日から何も食べないでこい」という。「モニさんとガメのために腕によりをかけて料理して待ってるから」 後でイランガキの片割れに訊いたら、朝の5時に起きて、4人で夕方の6時まで料理したのだそーです。 サフランがかかったバスマティライス(イランのサフランは超高級品で値段もスペインのサフランの20倍くらいする)や新鮮なスパイスをいっぱい使った鶏の煮込み。ラムシチュー、オレンジの皮を煮込んだソースが載ったバスマティライス、次から次に出て、わっしは死ぬほど食べた。 イランの料理は食べたことがあるひとは知っていると思うが、トルコの料理と並んで無茶苦茶おいしい。わしの大好きなインド料理というものが実は中近東から派生した田舎料理なのではなかろうか、と疑われるほどおいしいのす。 おいしいものを食べさせておけば機嫌がよい単純なわしは、ふたりのイランガキを相手に「アホな歩き方省」(Ministry of Silly Walks) http://uk.youtube.com/watch?v=IqhlQfXUk7w を実演したりして喜ばせてやった。 イランガキがあまりに無防備に喜ぶので不憫に思ったわしはミックジャガーの「スタート・ミー・アップ」の振りまでやってしまった。   わしらは皆で奥さんの妹の結婚式のDVDを観た。 プジョーの405に乗って花嫁と花婿が一緒にやってくるところが変わっている。 わしらの習慣では、花嫁と花婿が結婚式の日に(式の前に)顔をあわせるのは不吉である。 結婚式でふたりとも座っているのも、あたりまえだが中近東式で西洋と違う。 豊壌の象徴として美しくカットされた野菜が甘いものがテーブルに並ぶ。 花嫁の縁者たちが寄ってきて花嫁に腕輪やなんかの宝飾品を与える。 花嫁と花婿は世界中のどこでも同じウエディングドレスとタキシードで、よく見るとカットが大陸ヨーロッパ風です。   そこから歓喜がバクハツする。 300人くらいもいる結婚式の参加者がみなで踊り狂うのであって、どのくらい踊り狂うかというと三日間、ほとんど眠らずに踊り狂うのす。 すげー。   1日目は朝3時まで踊り狂って、2日目は女のひとだけでまず集まって踊りまくり、午後には男たちも集まってきて踊る。3日目もまた踊り狂う。午前2時に帰ってきて、それから家でまた踊っていたそうで、聞いているだけで眼の下に隈が出来そうである。   見ていて面白いのは、踊り狂う夜が盛り上がってくると、みなが花婿と花嫁に踊りながら近づいていって紙幣をポケットにねじこむところで、モニと結婚するときにもイラン式を採用すべきであった、とわしはしみじみ考えた。モニの係累もかーちゃんの親族もみな金持ちなので、この方式でやればひと財産築けたのではないか。   奥さんの家系はほとんどみなブロンド碧眼のひとびとであって、旦那さんの家系はもともと北欧人であるのにも関わらず黒い髪のひとが多いので、よく旦那さんがイラン人なのだと間違われるそーである。  … Read More ›

ギターバー

  マヨルカ島、というところがある。音楽が好きなひとは知っておるかも知れぬ。 ショパンがジョルジュ・サンドと一緒に遊びに行ったところです。 売りに出ると5億円、とか8億円、とかいう値段が付く別荘がごろごろある。 モニのかーちゃんは、ここに別荘をもっていて、もっているだけである。 それ日本語としてヘンでしょう、と思ったきみ、甘い。 ここに別荘をもっていて、もっているだけ、というのは、普通のひとはそんなくそ高い金を払っておいて二回くらいしかいかない、ということをしないからであって、そういうことをするひとが少ないからヘンに聞こえるのです。 日本語文法としては完全に合っておる。自信はないが。   わしがバルセロナのしょぼいアパートに滞在して、わしが内心で「ノイジー・ガイズ」と呼んでおるアルゼンチン人の写真家とファッションモデルのカップルの部屋めがけて跳び蹴りをしたりしているのに、考えてみればそれを見て「ガメ、運動神経があってかっこいいな」とか言ってくれておるひとのかーちゃんは、同じスペインでもマヨルカ島のような無茶苦茶金持ちがいっぱいいるところに別荘をもっていて、しかも使いもせん。 なぜ使わないかというと他のところにもっとカッチョイイ別荘があるからです。 マヨルカ島はバカ騒ぎ島になってしまったので行きたくないと贅沢なことをいう。   モニとわしは、一日に一度(または二度)バルセロナのこーきゅーレストランへ行く、わしの「こーきゅー」の基準は単純でバルセロナならふたりでワイン一本を含めて150ユーロ以上支払うことになるところは全部「こーきゅー」なんです。 ははは、ゆってて恥ずかしくないの、と言う感じが自分でもするが、ケチなんだもん、わし。 だって、わっしが好きなタパス屋なんてワイン2本飲んでたらふく食べて飲んでも50ユーロくらいだからな。   モニは「こーきゅー」レストランから出ると、「ガメ、いい料理だったな。おいしかった。ちゅ」とゆって、(最後の、ちゅ、は言っているわけではないが)ほめてくれるが、よく考えてみると、モニの他の家の人間はバルセロナならばコスタ・ブラバのEl Bulli(目下世界一のレストランはここ、といわれる有名なレストランです)のような超こーきゅーなレストランに出かけるわけで、なんとなく全般に不甲斐ない感じがぬぐわれぬ。 夜、モニが眠ってしまったあと、ひとりでテラスに出ると、ワインを飲みながら、 どーしてわしだけこんなにビンボーなんじゃ、としくしく泣きながら暗闇を見つめて考える。なぜだろう、と思って考えると、それは多分働かないからです。 仕事をしておらないプーである。 労働をしておらなくて、暖かいから、とかいうたわけた理由でバルセロナのようなところでごろごろしている奴がビンボーでないわけはない。 あまつさえ、「雨が降らなくてお天気が続くことになったから」という世の中をなめきった理由でロンドンに戻るのをおよそ一ヶ月延期してしまっておる。   おにーちゃんと結婚したモニさんはかわいそうだ、というのが妹の口癖です。 どーして、きみはそーゆーことをいうの、とわしが口を尖らせると、 「じゃあ、モニさんがおにーちゃんと結婚して幸福だと思う理由を10個、挙げてみなさいよ」 と言う。 まず、わしは健康体である。 二、わしは料理が上手である 三、掃除が上手 四、皿洗いがはやい 五、…..歌が上手に歌えます 六、………….健康である、これはさっきもゆったか、 と言ってあと考えてるうちに、きっつい調子で「役立たず」とゆわれてしもうた。   うー。   そう言われてみればなあ、モニからすると黙ってるだけで、結婚前と結婚後では生活レベルが違いすぎるよなあ、やべーな、こりゃ。… Read More ›

五箇山相倉

  バルセロナのアパートでモニがテレビを観ておる。 さっきまでわっしがスペイン語版の「金田一少年の事件簿」を観ておもしろがっていたのにコントロールを奪い取って、さっさとフランス語チャンネルに変えてしもーた。 昨日の矢張りスペイン語の「クレヨンしんちゃん」も、そうやって途中でチャンネルを変えられた。 専制君主のようなひとです。 ひどい。   わっしは寝転がってのんびりしておった寝椅子をしょんぼり立って寝室でしょぼしょぼと着替えておった。   モニの呼ぶ声が聞こえてきます。 「ガメ、ガメ! ご覧なさい、すごい!」 わっしがラウンジに走っていってみると、モニがカウチを指さして、「座りなさい」と言う。お座り、わしは飼い犬か。ついでに迎合して「お手」 もしちゃおうかしら。 画面には合掌作りの家が並んでおってフランス人のおっちゃんが囲炉裏端で漫画を描いておる。むちゃくちゃカッチョイイ集落であって「アイノクラ」ちゅうところだと言ってます。 森が有って滝があって、セーヒツである。 モニが行ってみよう、という。 日本に行くのは、わっしも異議はない。 今年は皇紀2669年だしな。 新潟のとんかつの政ちゃんの中入れかつ丼も食べなくてはならないことになっておるし。 でも、アイノクラって、どこだ? あのでかいサッチドルーフの家って、シラカワじゃねーの? 広尾から400キロ。 クルマで怒濤のように関越長野と自動車道を駆け上がって北陸道を西へ行きます。 立山はまだ雪で真っ白。 立山のほうをちらちらと見ると曼荼羅にあるとおり、虚空に死人(しびと)が長大な列をなして雪壁に吸い込まれてゆくのが見える。(ウソです) 「蜃気楼の町」魚津を通りかかると、海の向こうに山が見えます。 運転しながら「あっ、蜃気楼だ! モニ、ほら、あそこ、陸地が見えるでしょう? あれ蜃気楼。魚津って、これでユーメイなんです」 コーフンするわっし。 助手席(助手席、ってすごい日本語だすな)でL-02Aを使ってインターネットを見ていたモニが、ガメ、あれって、ノトじゃない?と言う。 えっ? おー、そー言えば、そーゆー見方もできるな。 どーりで、映像が妙にクリアだと思った。 でもモニさん、蜃気楼が見えるのはほんとーなのよ。 晴れた日には、遠い火星で火星人たちが畑を耕しているのが見えるという。 砺波が近づくと、チューリップ畑が見えます。 綺麗である。 イスタンブルの郊外のようです。 町並みが他の日本の町に較べて圧倒的に綺麗なのは陽光に輝く釉薬を塗った瓦屋根がどの家も同じだからでしょう。 見た感じがスラムのように見えない日本の町は珍しいのでモニが感心してます。 わっしも砺波はカッチョイイと思った。… Read More ›

シナモンクラブの夜は更けて

  G20のせいでお巡りさんだらけのロンドンにバルセロナから移動してきたわっし。 と言っても水曜日のことだけどな。 遊び歩いているときと違って自分の会社の用事なのでおおっぴらにクルマのお迎えが使える。 ラッキー。 ロンドンシティ空港に着くと、 わっしの仲良しの運転手のにーちゃんがばっちしスーツで決めてニコニコして立ってます。 やー、元気? ひさしぶりだのい。 喉のイガイガは直った? バルセロナにいるあいだに二個増えたスーツケース(モニと旅行するといつのまにかスーツケースが増殖します。きっとスーツケース同士で夜中のクロゼットのなかで怪しからぬことをしているに違いない)を山のように積み上げたトローリーを押して歩くにーちゃん。 空港の外に出ると日射しがロンドンの夏の日射しである。 おー、春だのい、とつぶやくわっし。 夏の日射しなのに春はねーだろ、と思ったきみ、きみはロンドンの天気を知らないでしょう? 暫く待っていると会社のくるまがやってきてにーちゃんの名人芸で、すー、ぴた、と格好良く駐まります。 にーちゃんは気が利くひとなのでクルマのなかのちっこい冷蔵庫にモニの好きなシャンペンとわっしの好きな胡桃餅がおいてある。 にゃはは。 うめー。 にーちゃんは、今日はG20だから混みますよ、きっと、と言う。 いーよ、急いでねーもん、とわっし。 しかし意外や、道は最後まで不気味なくらい空いておった。 クルマの電話が鳴って天井の端っこに付いているスピーカーから、わっしの百倍くらい頭のよいねーちゃんの声が聞こえてきます。 「ガメさん、今日は予定、どーします? どーせ会社には来ないんでしょう?」 わっしがカイシャなどという不吉なところに到着第一日に現れるわけなし。 アパートに戻って昼寝してから、考える、と返事するわっし。 あーのさー、ほら、Rがペントハウスつくったやん、お披露目を今日やるとゆってたから、 あれ行くわ。 あのおっさんはワインの趣味がいーからな。 食べ物はいつも不味いが。 「じゃ、そこで夕食も食べますか?」 モニが横で、とんでもない、と言う。 いや、Rのほうは8時くらいに途中で抜けさしてもらってシナモンクラブでも行くわ。 「じゃあ、8時ちょっと過ぎに予約をいれておきますから」 はーい。 「レストランへは、Rさんのところまでクルマ回しますか?」 ふんにゃ、タクシーで行くからいいっす。 ペントハウスのロビーにはいると、Rのところのガーナ人とオーストリア人の混血の「太陽ねーちゃん」が走ってきます。こーゆー場所で走るのは一日中エネルギー全開でどう考えても体内に核融合炉を持っているとしか思われぬこのねーちゃんくらいです。 「きゃあー、モニさん! ガメさん!来ないのかと思ってたら、来ていただけたんですね!すごい!サイコー!! 」 趣味の良いRが自分で選んだに違いない多分トルコの北から取り寄せた絨毯の上を歩いてゆくと、Rがチュシャ猫のように笑いだけになって立っておる。 イタリア人のすばしこいにーちゃんがシャンペンを注いでくれます。… Read More ›

Get lucky

ぶちこわれて放射性物質がどばどばと流出している福島第一原子力発電所の近くで、笑顔の家族の団欒をすごしているひとびとがいる。 あるいは見るからにあぶなそーな食品を選択して食べて「食べて応援」と勝ち鬨をあげているひとびとがいる。 放射性物質取扱資格が定める上限よりちょっと高いくらいの放射線レベルがなんぼのもんじゃい、そんなの全然ヘーキヘーキ、ヘーキx2、ということにした豪毅な日本国民と違って、相変わらず放射脳で非科学的な恐怖心しかもたない西洋人どもは、サムソン50インチ液晶スクリーンのなかで、汚染水にくびまで浸かって、あるいはひどければ水中に潜りまでして、海水浴を楽しむ日本のひとびとを、自分達には理解不能な国民として眺めている。 日本に初めて滞在した夏、読んでいた本をテーブルの上に置いて、天井の一角を眺めるくらいの地震があった午後、モニがまっさおな顔で部屋にやってきて、「どうして日本人は地面が揺れるようなバカな土地に住んでいるのか?」と聞いたことがある。 そんな失礼な、と怒ってはいけません。 モニさんは、そこまでの一生の大半、というよりも全部をパリとニューヨークという「地面が揺れるなんて、そんなアホな」の町に住んで過ごしたので、腰で楕円を描かなくてもフラフープが出来そうなくらい派手に地面が揺れる地震が当たり前な、日本みたいな国は想像を絶していたのです。 次の日、高徳院の大仏まで歩いて、ほーら、ここに柱が載っていた柱石があるでしょう? この柱石に載っていた大仏殿は地震でぶち壊れて津波で流されてしまったのね。 それからそれから、このおもおおおおーい大仏が、地震と津波で4メートルくらい後ろに流されちゃったんだってええええ、地震て、すごいよね、と夫として教養を披瀝してみせたら、そのあと半日、口を利いてもらえなかった。 人間の一生の九割は運だ、自分の努力で出来ることは少ししかないというひとは正しくない。 人間の一生は十割が運だからで、自分の努力で変えられる部分などゼロであると思う。 きみの母親のお腹のなかでやがてはきみになる卵が受精して父親由来のDNAと母親由来のDNAに由来する情報が発現して形質をかたちづくるところを想像せよ。 あの、なんだか考え込んでいるような人間の形に近付いたきみの胚が表れる頃には、もうそこできみという人間の一生の半分は運でつくられてしまっている。 英語人の世界では「彼女はsillyだっただけさ」とよく言う。 大学生の一年生で、上級生たちに誘われてコカインを吸引してバカ騒ぎをしたあげく父親がわからない子供ができてしまったというような場合、わけのわからんジジイとかが、「こんな売春婦のような女が大学生を名乗っているなんて」と述べたりすると、まわりで聞いていたオトナたちが、ジジイの無知を窘めて、そう述べる。 英語人は「人間は自分でも後で考えてびっくりするようなバカなことをよくやるのだ」ということを常識として知っている。 英語人という生き物は、その魂が拠って立つ「英語」という言語を見れば判るとおり、ぜんぜん論理性がないが、言語集団全体の経験則の集積による「常識」だけは言語自体が分厚い判断の堆積として豊富に持っている。 だから、どんな人間も必ず失敗するものであって、その失敗から蘇るには「運」が必要なのだということも知っている。 そうして、もし自分の側に運がなければ、いまもこのときでも自分があるいは刑務所にいるかもしれず、あるいはアルコール依存症のリハビリ施設でミーティングの輪に加わっているかもしれない、とよく知っている。 「努力」という言葉という言葉ほど嫌なものはない。 なんだか本来はやりたくないことを自分に強いているような響きがあるところが好きになれない。 夜明け前に起きて、机に向かって、ああでもないこうでもないと推論をすすめて、全体像を頭につくろうと企画して、家の誰かに話しかけられでもすればオオマジメに怖い顔をつくって唇に人差し指を立てて相手を遮り、冷蔵庫のドアを開けてスプレッドとシャンパーニュハムでサンドイッチをつくっているときも頭のなかは定型を求めて奇妙な形にねじれてゆく曲線群でいっぱいで、気が付いてみれば夜中の一時になっていたりするのは、努力しているのではなくて夢中になっているだけのことである。 努力する人間は努力に対して吝嗇というか、なんだか自分が払った膨大な努力の見返りを手にしなくては自分の人生は成功とは言えないといいたがっているようなところがあるが、それも、自分の頭のなかではなんだか崇高なものだということになっている「努力」が本質的に功利的な理由に基づいているからだろう。 努力型の人間におおくみられる、あの粘り着くような卑しい感じは、要するに神が自分の費やした時間と労力を正当に認めてくれないという利己的な憤懣によっている。 人間の一生が全て運に依存しているのだと思わないひとは、たいていの場合、いろいろなことをやってみないひとであるように見える。 言葉を変えて言うと人間の一生がいかに運に依存しているかを認識できるようになるためには部屋のなかで考えているより町へ出て、あるいは町をすら出でて、国を出て、遠くを旅して、たくさんのひとと話し、皿洗いやウエイトレスから、ホテルの受付、通訳、折々で糊口を凌ぎながら、人間の世界がどんな形をしていて、人間の一生がどんな仕組みで、人間の心や思考のレンジがどこからどこまでなのかを実地に理解する必要がある。 見知らぬ町にでかければ危ない目に遭う事もあるが、自分の部屋にひきこもって思考をめぐらすことしかしない人間は、その部屋に運ばれてゆく先の、確実な精神の破滅しか待っていないことを考えれば、文字通り「運を天にまかせて」ほっつき歩く人間のほうが遙かに安全保障上もすぐれた選択をしているのだと思われる。 もうひとつ、声を潜めて、人間の一生にまつわる重大な秘密をこっそり打ち明ければ、危険を怖れない人間ほど運に恵まれる。 誰にも説明できない不可解な理由によって、自分の一生の安寧をのみ願う人間をこそ悪運は狙撃する。 もしかしたら「幸運の女神」は、岐れ道にたって、「安全方面→」「こっちは危険→」と書いてあるふたつの標識を顔をあげて眺めて、危険なほうがオモロイに違いないとわざわざ危ない道を行く愚かな人間だけを愛しているのかもしれません。 人間の一生というものにたくさん詰まっている、理屈が説明出来ない神秘のひとつであると思います。 Get Lucky ぶちこわれて放射性物質がどばどばと流出している福島第一原子力発電所の近くで、笑顔の家族の団欒をすごしているひとびとがいる。 あるいは見るからにあぶなそーな食品を選択して食べて「食べて応援」と勝ち鬨をあげているひとびとがいる。 放射性物質取扱資格が定める上限よりちょっと高いくらいの放射線レベルがなんぼのもんじゃい、そんなの全然ヘーキヘーキ、ヘーキx2、ということにした豪毅な日本国民と違って、相変わらず放射脳で非科学的な恐怖心しかもたない西洋人どもは、サムソン50インチ液晶スクリーンのなかで、汚染水にくびまで浸かって、あるいはひどければ水中に潜りまでして、海水浴を楽しむ日本のひとびとを、自分達には理解不能な国民として眺めている。 日本に初めて滞在した夏、読んでいた本をテーブルの上に置いて、天井の一角を眺めるくらいの地震があった午後、モニがまっさおな顔で部屋にやってきて、「どうして日本人は地面が揺れるようなバカな土地に住んでいるのか?」と聞いたことがある。 そんな失礼な、と怒ってはいけません。 モニさんは、そこまでの一生の大半、というよりも全部をパリとニューヨークという「地面が揺れるなんて、そんなアホな」の町に住んで過ごしたので、腰で楕円を描かなくてもフラフープが出来そうなくらい派手に地面が揺れる地震が当たり前な、日本みたいな国は想像を絶していたのです。 次の日、高徳院の大仏まで歩いて、ほーら、ここに柱が載っていた柱石があるでしょう?… Read More ›

日没のスケッチ

  今日はガメちゃん来るっていうから、いいハモいれといたんやで、とおっちゃんはいう。 わっしは魚があんまり好きでなくて梅干しに至ってははっきり嫌いだが、梅肉で食べるハモはどーゆーわけか好きである。 自分でも分析的理由はわからん。 ただ好きなんです。 「ありゃ、ハモの骨切るときって包丁押して使うの?」 「うん。皮残して骨切らなきゃいけないから引くと難しいんっすよね」と若い職人さんがいう。隣りの同僚を見て「なっ?」なんちゃっているところが、はなはだしく日本人っぽくて良い。 おっちゃんは、やりとりをにやにやしながら眺めています。   モニさんは野菜の天ぷらを食べておる。 食べながら、ゆであがったハモがあっというまに、素晴らしいプレゼンテーションの皿にかわってゆくのを興味津々で眺めてます。   「日本の料理って盛りつけが美しいな。一個づつが芸術作品のようだ」とモニがいうのを職人さんたちに訳すわっし。 職人さんたち嬉しそうです。   わっしは冷やの八海山を6合くらい飲んだのでだいぶん良い気持ちである。 モニさんも白ワインをビンの半分くらい飲んで上気しておる。 どうしてもいいたいから書くが、上気すると、ちょっと見ても「ぎゃあ」と思うくらい凄まじい美人である。 美人と結婚する、というのは、ほんまにヘンなことであると思う。 日本の食べ物やさんは、行くたびにいろいろなことを教えてくれるので楽しい。 わしの好きな鮨屋さんでこのあいだは「シンコ」を食べた。 やわらかくて口の中で身も台の飯も、ほろっと壊れます。 カッチョイイ。 この鮨屋さんのお陰でわっしは魚嫌いがだいぶん解消されたわけです。 ネギトロというのは、ネギとトロを使うので「ネギトロ」っちゅうんじゃないというのも、ここのお鮨屋さんで教わった。 肉を「ねぎる」からだそうで、きっと名前の誤解に基づいてネギをいれるようになったんだろう、という。 もともと「かわそば」という皮の下の部分の別名なんだそうです。 知らなかった。 有楽町のガード下の焼き鳥屋さんで焼き鳥を食べます。 地下のコース一万円の焼き鳥よりやっぱりこっちのほうがうめっす。 ビールを日本人のマネをしていっぺんにどばっと飲むと、不思議や日本の味がする。   日本の夏は殺人的に暑い。 無茶苦茶やん。 windwalker くん、君が悪い、反省したまえ、と思います。 歩いて移動するのは一ブロックが限界である。 でも、結構いいな。 明日はタクシーに乗って小川町の「エチオピア」に行くのはどうだろうか、とか、 その前に二キロくらいは泳ぐべな、とか考えていると、楽しくて「夏休み」ちゅう日本語を思い出す。… Read More ›

岐れ道

  (この記事は2020年8月3日に掲載した記事の再録です) 日本語が、自分にとっては日常の生活のなかではいっさい使われない言語であることは、なんどか書いている。 最近は、そのうえに、どういう事情に拠るのか、こちらの理由か、日本語社会の側に原因があるのか、関心の対象がおおきく異なってしまって、日本の人たちに話しかけてみたいことが、どんどん減ってゆく、という奇現象が起きるようになってしまった。 共通の話題は、ある。 あるどころではない。 なにしろ世界中がCOVID禍に覆われていて、いまほど世界の人がおなじ問題に頭を悩ませている時代は、過去を振り返っても、ほとんどないかもしれない。 スペイン風邪のときも、おなじだったのではないですか? いや、ところが、自然の猛威の性質はおなじでも、スペイン風邪が猖獗したのは、なにしろ第一次世界大戦の頃で、お互いにお互いの内情をひた隠しに隠しているときで、世界中がおなじ疫病に魘されているのに、個々バラバラに絶望する、という奇妙な状態だった。 初めは男同士の同性愛に伴う疫病だと誤解されたHIVが近いが、これは性行為時の粘膜を通じて感染する例が殆どだったので、セーフセックスという、比較的、わかりやすくて簡単な防御方法がちゃんと実行できるか出来ないかに焦点があって、御しやすかった。 COVIDという焦眉の問題は同じだけれども、まるで、それが日本だけの問題であるかのように、あるいは日本だけは問題の圏外であるかのように日本の人が振る舞っているので世界中の人がびっくりしてしまう。 例えば、「検査をしすぎるのはよくない」と専門家の人達が述べて、専門家でないひとたちも頷いている。 得意の受け売り知識で、「過剰検査の弊害」を、頼まれもしないのに、わざわざ見知らぬ人のタイムラインにでかけてまで述べ立てる。 ところで、ここで、たいへん不思議なのは、では「日本以外全部」と言いたいほど、世界中で「検査、検査、検査」と血眼になっていることは、どう考えているのか、がすっぽりと抜け落ちていることで、考えてみれば、「日本人だけが頭が良くて、本質を理解していて、他国人はおしなべて白痴の集まりである」と述べているのと、論理のうえでは、まったく変わらない。 だって、そうでしょう? WHOの総長からファウチから台湾の総統まで、ほぼ全力をつくして広汎な検査を柱とする戦略が、どれだけ現実化できるかで決まると決めて、互いに相談しあって、情報を交換して、あるときは人間を他国と交換派遣しあって、COVIDを制圧しようとしているときに、「検査をそんなにたくさんやっちゃあ、おしまいですよ」と、ほとんどせせら笑うように、専門家ぽいエキセントリックな説を述べている。 態度でせせら笑うと、いくらなんでも露骨に挑戦的なので、態度はていねいで、「わたくしは、誠心誠意、世界の国々はバカだとおもっております」とでも表現できそうな慇懃無礼で、他国の専門家への侮蔑を表現する。 そうするとね。 どういうことが起きるかというと、COVIDという共通問題が眼前にあっても、日本語と例えば英語では、あな不思議、別の問題に化けてしまっているのです。 おなじ土俵に載っていない。 こっちは闘技場にいるのに、日本の人は蔵前の国技館にいる。 だから話の交わしようがない。 「そんなこと言ったって、あなた、日本人はCOVIDに強い特殊な民族なんですよ。類似ウイルスに感染して形成された抗原がSARS-CoV-2に反応して抗体反応を起こすという説もありますがね。 それよりも、わたしは、やっぱり日本人の勝れた遺伝形質によるのではないかとおもいますね。まさか、露骨にそう言うわけにはいきませんが」 そこで話は終わってしまう。 どこの国の専門家も、研究室にもどってから眉につばをつけているが、論破するのはめんどくさいので、ほんなら日本人だけで勝手に死にやがれ、が結論になる。 ほんとに、あの国のひとたちは、めんどくさい奇天烈な理屈が好きで、草臥れる。 ほっておくのがいちばんいいだろう。 くわばらくわばら。 財政問題もおなじ。 外交も。 捕鯨も。 女性差別に至っては、「あんたは、ほんとうは女のほうが優遇されている実情を知らないから、そういうトンチンカンなことを言う。 外国人が人種優越意識で、他国のことに首を突っ込まないでくれ」 とまで言い出す。 言い出すのは、ぎょっとするくらい普通の人です。 普段は、福島事故処理はやはりおかしいとおもう、 災害に以前ほど自衛隊が出動しなくなったのは、いったいどういう理由か、と、ごくまともな意見を述べているひとたち。 外ではマトモでマジメ。 しかし、家に帰ると、逆立ちして足の裏をなめる癖があるのではなかろうか。… Read More ›

日本という幻

    夢のなかで、ぼくは銀座にいる。 夜の、銀座のレストランで、いつか一緒に仕事をしたがってくれた日本の会社のひとたちと、とても酔っ払って話している。 いつものことで、馬のように食べて、眼鏡をかけたM・Iというデザイナーのひとに「ガメさんて、そんなに食べて、どうして肥らないんですか?」と訊かれている。 ぼくは幽霊だからですよ。 ほら、夜更けになると、こんなに身体が透けてきている、と腕をまくってみせる。歓声があがって、手をたたいて面白がる声がして、 ぼくはフランス料理屋のはずなのに、厚い揚げ豆腐を頼んでいる。 その揚げ豆腐の底が少し焦げて、おいしそうで、正体がわからない白いソースに囲まれていたのもおぼえている。 夢のなかで、ぼくは眠ってしまったのに違いない。 目をさましてみると、まわりにはもう誰もいなくて、モニだけがいて、ガメ、さあ帰りましょう、という。 店のひとに「おみやげ」にする箱を頼んで、さっきの豆腐料理を包んでもらう。 支払いは、もう、お帰りになられた皆さんが、すませていかれましたから、と言われて、外に出ると、東京の街で、でも夢からさめてから考えてみると、あれはたしか六本木の町で、なかなか止まってくれないタクシーを、なんとか「国際タクシー」を止めて、広尾のアパートに帰ろうとしている。 家に着いて、「ぼくはここでなにをしているんだろう?」とモニさんに述べると、モニはただ黙って微笑んでいて、なにも応えてくれない。 テラスの椅子に腰掛けて、遠くを見て、自分が幸福な境涯なのは判っているが、この、なんとなく頼りない気持は、いったいどこからくるのだろう?と考えている。 モニさんが傍にいると、不甲斐もないことに、なんだかいつも守られているような気がして、おなじワインを飲むにしても、いつも飲み過ぎて、テキトーを述べて、ひとを爆笑させている。 酔いを過ごせば、モニさんが、ガメ、もっとゆっくり飲まないとダメだぞ、ワインは、ドイツ人がビールを飲むようにがぶ飲みするようには出来ていない。 ワインを飲むペースはフランス人の文明のペースなのだから、尊重してくれないとダメです、と冗談めかして述べるが、どんなに酔っていても、ほんとうはそれは冗談ではなくて、びっくりするくらい深刻な話だと、ぼくは知っている。 モニとぼくが、この通りを渡るとして、向こう側にいきつく前に、ほんとうに消えてしまわないだろうか?というのは有名な疑問だが、たとえば、このテラスから見渡す東京の夜景は、現実のものなのか? 問うているのが夢のなかのぼくなので、ほんとうは現実のもののわけはないが、夢のなかのぼくは現実だと確信していて、そのうえで認識についての疑問を述べている。 覚醒しているぼくから見ると、夢のなかのぼくは嗤うべき愚かさだが、では夢から出て「起きている」ぼくは、ほんとうに誰かの夢のなかで覚醒している幻影ではないと言えるだろうか。 幻にも意識があって、自分が見ている夢を現実と信じこんでいるのではないと確言することは誰にも出来はしない。 ルネ・デカルトが述べたとおり、認識だけが現実なので、仮に最近の学説にしたがって認識自体が錯覚であるとすると、つまり、人間には現実を現実と確言する根拠がなにもないことになる。 科学者たちが根底の哲学において知的な恐慌をきたしているのは、正に、その理由に拠っている。 もう夢から覚めているのに、隣室のベッドで眠っているはずのモニと、広尾の「マンション」のテラスに座って、東京の夜景を眺めている。 モニがつくったピンチョスを食べながらモニの実家の別荘がある地方のシャブリを飲んでいる。 バスクの話をしているのは色彩がゆたかなピンチョスがテーブルに並んでいるので当然のことだが、モニとぼくが笑い興じているのを眺めているぼくは、いったい誰なのか。 (「現実」が、すくいあげる手のひらから落ちてゆく砂のように崩れてゆく) 東京は、とても良い街で、ミキモトの老店員の https://gamayauber1001.wordpress.com/2015/11/12/japanrevisited_1/ ようなことを思い出すと、もういちど、あの街に住みたいとおもうことがある。 ぼくはもう何もかも知っている。 日本の社会がいかにダメな社会かも知っていて、日本語が空洞化して、真実性を失って、意味をなさない言語に向かっているのも知っている。 (でも、ぼくの楽しかった記憶は変わらないんだよ) (国会議事堂の前で、夜更けに、モニと一緒に歩いて、モニのスカートにじゃれるようにまとわりつく銀杏の黄金色の葉を、まだおぼえている) あわせた二枚の鏡のなかの世界のように、夢のなかで夢からさめたぼくは、東京を懐かしいと考えている。 認めないわけではない。 記憶のなかの東京は、現実の東京よりもずっと美化されていて、空中の低い所を綾取りのように走る電線もなく、なにより日本人自身が、現実よりもずっと背が高いアジア人と意識されていて、いつか、5年ぶりに鎌倉の駅前に立ったら、おぼえていたよりも日本の人達は、ずっと背が低くて、17歳にしか過ぎなかったぼくは失礼にも、大笑いをこらえることが出来なかった。 (だが認識は、現実にまさっているのね) (日本人を「背が高いアジア人」と考えていた記憶には、認識上の深い理由があるのでなければならない)… Read More ›

無謀な試みのための前書き

  愚かさだけが人間を救う力を持っているという事実は人間の最大の皮肉であるとおもう。 知性の極北で世界に対して絶望した若者を救うのは、どんな時代でも美しく若い肉体をもった人への恋だったし、人間の魂を地上の凡庸から引きはがして、中空へ天上へと押し上げるのは、ただ肉体に心地よい盲目の情熱だけが出来る離れ業だった。 人間は不思議な生き物で、おなじ人間として理解できなくはないが、人間が持っている能力のなかで最もたいしたことがない「知力」という能力において自己を誇りたがるが、言うまでもない、5千年のあいだ思考を費やしても暴力による殺しあいひとつ止めることができない「知性」など、あってもなくてもおなじで、強いて存在を認めることにしても本能や反射とは誤差の範囲で、なにも文字のような大仰なものを編み出して記録するほどのものではなかった。 ゴッドレーヘッドへ行く細道から横へそれて、よく海辺を歩いた。 考えてみれば母親の演出による偶然で、違う言い方をすれば、これを「思うツボ」ともいうが、子供のときに、国というよりは南極に近い島の圧倒的な自然の総称と考えた方がよさそうなニュージーランドと出会えたことは、一生の幸福のはじまりだった。 そのうちに訊いてみようとおもうが、多分、母親と父親とは、どうやら根っからの都会っ子に育ってしまいそうな息子の行く末を心配したものであるに違いない。 このカップルは、都会というものをまったく信用していないカップルで、頼りのない床の間の自然しかない「都会」という場所を軽蔑していた。 ふたりとも都会で生まれて育って、もちろん郊外に家を持っていて週末をそこで過ごしてはいたが、都会の利便のなかで一生を組み立ててきたひとたちであるのに、 都会とゴミ箱を区別していないところがいつもあった。 ジョニーという父親の友達は、特にぼくと気があって、さまざまな話をしてくれたが、この法廷弁護士の言葉で描写される父親は、多感な、絶望した都会の知性に富んだ青年であって、自分が知っている父親とはまるで異なる人のようだった。 それは普段の父親とはまったく異なるが、よく見知った感じのする青年、….そう、ほとんどぼく自身だった。 その発見をしたときの気持を正直に述べれば、きみは、腹を抱えてげらげら笑い出すに決まってるが、ぼくは、すっかり感動してしまったんだよ。 あのちょっと申し訳なさそうに「わたしですか?わたしは、いま典型的なイングランド人を演じている最中で、忙しくて、申し訳ないが、ちょっと自分の真の姿をあなたにご披露するひまがないのです」とでも言うような、よく訓練された、没個性の、絵に描いたような連合王国のエリートで、それでもだんだん判ってくると端倪すべからざる知性を持った、まるで存在自体がunderstatementだとでも形容したくなるおっちゃんが、自分とそっくりの人間であるなんて! むかしはね、快活で機知に富んだ母親、華やかな才気のかたまり然とした人が、なぜこんな退屈なおっさんと一緒にいられるのだろう、と考えた。 よく同情していた。 長じて、自分の母親と父親が周囲の反対を押し切っての大恋愛の末に結婚したのだとしって、心からぶっくらこいてしまった。 母親は父親がなにを演じていたのか、よく知っていたのだとおもいます。 子供のころ、いちど「おかあさまは、おとうさまを退屈な人間だと考えたことがありますか?」と思い切って訊いてみたら、母親は愛車のジャガーのEタイプの下から仰向けに作業用の台車ごと滑り出てきて、スパナを持ったまま、オイルで煤けた顔でじっとぼくの顔を見ていたが、次の瞬間、それはそれは可笑しそうに、世の中にこれほど愉快なことには生まれて初めて出会ったとでもいうような楽しそうな笑い声で、大笑いした。 それから、「息子よ。聴きなさい。 これからあなたの背がどんどん伸びて、もっと遠くが見えるようになれば、近くのことも判るようになるでしょう」 と述べた。 そして、それは、その通りでした。 ぼくは、自分が父親を嫌いにならずにすんだ幸運な息子のひとりに数えることになっていきます。 多分、父親と母親が地球を半周したふたつの国を往復して暮らすという大胆な計画をもったのは、あのときの自分のひとことがきっかけだったのではないかと思っている。 両親は、ぼくの、考えや記憶を内心で何度も反芻する危険な癖を見破っていたのだとおもう。 自然が人間の知性に授ける叡知は、読書や学問、都会の喧噪が人間に与える知恵とはまるで異なっている。 言語や人工の森林のなかでは人間は万物の霊長だが、自然のなかでは、荒々しく、個々の人間の生命への配慮などいっさいない、まるで神の暴力そのもののような自然の力に抗して、知恵をはたいて、必死に生き延びる存在でしかない。 冬の山をスキーで滑り降りたり、フィヨルドを何日もカヤックで旅行したり、そういうイメージ通りの自然のなかでの生活よりも、もっと単純に、例えば満月の夜に農場のパドックに出ると、濃い青色の、と言うと表現だとおもうかもしれないが、実際に月の光はコバルトブルーと形容したくなるほど濃い青色になることがある、月の光のなかで、自分がなんともいえない狂気のなかに引き込まれていくのが実感としてわかる。 世界中の言語に月と狂気を結びつける言葉はいくらもあるけれども、あれは、ただの写実にすぎないのね。 瞳孔がおおきくひらいてきて、総身の体毛がふわっと逆立つような気持になる。 肉体はどうなのかわからないが、魂は獣に姿を変えて、歩くというよりは彷徨するようになります。 あるいは、密度が高い白色の雲は高度によって積雲と定義されるわけだけど、あれとおなじ、いわばもこもことした雲が、背伸びして手をのばせば届きそうなところに降りてきたことがある。 家の軒よりも低いところに雲海が出来ている。 また別のときには、夕暮れ時、やはり地上すれすれ、どころか膝よりも下におりてきた雲が、茜色に輝きだして、やがて薔薇色になって、そのときはオープンロードを運転していたひとがひとり残らずクルマを止めて、その「美しい」というような言葉では到底形容しきれない、この世のものではない何かに、ただ息を呑むことになった。 ニュージーランドの南島というところは、そういうことがいくらでもある土地柄で、ぼくは一年の数ヶ月をその神秘的な土地ですごして、どんな本にも書かれていない世界観を持つことになった。 それはどんな世界観かというと神を前提とした無神論とでもいうべき世界観で、人間が信仰してきた、人間側のリアリテの感覚を満足させようとするようなちゃちな神ではなくて、現実に自分が眼に見なければ、誰がどんなに上手に説明して描写しても嘘にしか聞こえない世界こそが自分たちの現実の世界なのだという現実に立脚している。 死者がよみがえり、空が眼の下におりてきて、星が煌めきながら空いっぱいに回転してみせる世界は、人間の現実の感覚を嘲笑っているのだとおもいます。 今日から、少しずつ、ぼくは自分の話をしていこうと思っているんだよ。 いまはたくさんいると言ってもいい日本語の友達たちにあてて、自分がいったいどこから来て、どんな姿をしていて、なにを考えているのか、説明しようと考えています。… Read More ›