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首相の産休

  聞く耳をもたない、という。 耳なし芳一という甲冑武者の亡霊に耳をもぎとられてしまう、怖いお話も日本にはあるが、この場合は、ほんとうに耳がないわけではなくて、理解を拒絶する特殊な能力を有する脳髄のほうの話をしているようでした。 ジャシンダ・アーダーンは、ほんとうは首相になるはずではなかった。 選挙前は、経済政策に巧みで、いまのニュージーランドの繁栄の枠組みをつくったジョン・キーの後継者、ビル・イングリッシュが次政権でも首相を継ぐ予定で、ニュージーランド人は、当時の与党国民党支持者も、ジャシンダ・アーダーンを擁立して果敢に勝ち目がまったくない選挙(と、当時はみながおもっていた)に臨んだ労働党側も、「ま、次はビル・イングリッシュだろうな」と考えていた。 今年56歳になるジョン・キーが、成功の頂点で突然首相も政治家もやめることを宣言したのは、ニュージーランドのマスメディアにもいろいろな理由が書いてあるにはあるが、周囲の人はみな真相を知っていて、奥さんに怒られたからだった。 「いいとしこいて、首相業なんかにうつつをぬかしていていいのか。家族をもっと大事にして、家族と一緒に過ごす気がないんですか? もうビジネスマンとしても政治家としても十分成功したのだから、いいじゃないの」と、バーンサイドという名前の、「南半球最大」という訴求力があるんだかないんだかよくわからないキャッチフレーズで有名な大規模校の高校で出会った、英語でいうhigh school sweetheartの奥さんに、「ちょっと、そこに座りなさい」をされた結果、考えて、女房のほうがただしいようだと決心した。 ビル・イングリッシュという人は、アスペルガー人で、コミュニケーションが大の苦手な人です。 アカウンティングに明るくて、そういう観点からの数字の扱いには滅法強いひとだが、なにしろ2017年の総選挙の、ただでさえ楽勝ムードが漂って、危ない選挙になっていたのに、「このままいけば、国民党の楽勝でしょう」と述べてしまうほどの政治性に欠けた人なので、わしなどは、選挙前から、「もしかしたら、これは、あかんな」と考えていた。 アーダーン首相が誕生して、おもしろかったので、もともとは日本の京都人で、いや京都の日本人か、どっちだかよくわからないが、ともかく、京都の「ええとこの嬢ちゃん」で、高校生の頃からかれこれ30年だかニュージーランドにいて、いまは日本人を廃業してニュージーランド人になっている晩秋 @debut_printemps とふたりで、ツイッタで、「ジャシンダあー、邪心だ、ひょええええー、ジャッシンダー」と言ってよろこんでいたら、ニュージーランドに住んでいるらしい、知らない日本名物おっかない人に、「一国の首相をファーストネームで呼ぶなんて、他国の首相に失礼ではないか。ちゃんとアーダーン首相と呼ばないのは女性差別であって許されないとおもう」と叱責されて、ほんとは、ビザ持ちらしい、あんさんが他国人で、晩秋とおいらはニュージーランド人でっせ、と考えたが、めんどくさいので、邪心だー、をやめて、あーだあーん、と日本語では呼ぶことになっている。 ついでにいうと、ニュージーランド人は「われらの首相」という気持があるので、ふつーにジャシンダと言います。 ちょっとだけ、なんでジャシンダ・アーダーン首相が誕生してしまったか説明すると、選挙が終わって、ビル・イングリッシュが勝利宣言をだして、組閣していた頃、ジャシンダ・アーダーンは、極右政党のニュージーランド・ファーストと手を組んで、政権をぶんどってしまう、という奇想天外な政治工作に乗り出していた。 ニュージーランド・ファーストは、「ニュージーランドがいちばん」「ニュージーランドが最優先」の、マヌケな政党名でわかるとおり、排外政党で、James F.のような嫌味な人間には「義和団か、おまえらは」とからかわれたりしている政党です。 主張だけ聞いていると神風連か義和団のようだが、現実の党員は、ヘロヘロになったじーちゃんやばーちゃんが多い政党で、もともとスカな政党だったのが、1990年代に「このままでは日本人の洪水になってしまう」という、なんだかヘンな弾劾演説で急速に党勢が伸びて、一瞬は第一党になる、という離れ業で表舞台に立った。 党首は、いまとおんなじウィンストン・ピータースで、この人は初期には自分の父親がマオリであることをうまく利用して、「トゥルーキーウィ」、純正ニュージーランド人、つまり、アジア系やポリネシア系のパチモンニュージーランド人とは違って、白人かマオリ人だけがニュージーランド人だと述べて、「それって、人種差別なんじゃないの?」と言われると、「わたしの顔を見ろ、半分は有色人ではないか。有色人の人種差別者なんて、そんなバカバカしい言いがかりをよくおもいつくな」と述べて、KKKもびっくり、な白人至上主義的言動を受け狙いで繰り返していた。 ヘレン・クラークが首相になった選挙で、当然、自党が第一党になるとおもっていたウィンストンは、「首相になったら、あーする、こーする」とマスメディア相手にはしゃいでいたが、「あのおっさんに任せると経済がやばいな」と見抜いていた国民の人間打算機的な投票行動によって、第一党どころか第二党にすらなれなかった。 ニュージーランドはドイツと並んでMMP, Mixed-member propotional representation、いま日本語を調べてみたら小選挙区比例代表併用制、漢字が11個も並んでいて、いつも「ひえええー、ガメのブログは漢字がおおすぎて国語辞書をひいてもわかりひん」と不平を述べている着物の着付けがチョー上手な舞台女優、佐野みかげ @mikagehime が読んだら失神しそうな訳語がついている選挙システムで、個々の議員と政党の両方に投票する、ややこしいシステムをとっている。 https://en.wikipedia.org/wiki/Mixed-member_proportional_representation このややこしい、ナチ末期の決戦兵器、ハイブリッド超重戦車マウスみたいな複雑な選挙システムがどういうもので、どう機能するかは、wikipediaでも読んでもらうことにして、まんなかを端折って、結論だけを述べると、伝統的な選挙制度なら泡沫で終わる政党が議席をとってしまう。 早い話が、地元選挙区でも愛想をつかされて落選したウインストン・ピータース率いるNZ Firstは議席ゼロのはずなのが9議席獲得してしまった。 ニュージーランドの議会定数は120だが、「はっはっは、楽勝じゃん」と述べていたビル・イングリッシュ率いる国民党は、ふたをあけてみると56議席で、過半数に及ばず、前回の32議席からいくつ減らすか、もしかして20議席切っちゃったりするんじゃない?の、低迷していたはずの労働党は党首が一挙に若返ってしかも女の人になるとアフターバーナーが点火された46議席の大健闘で、ニュージーランド名物「戦略的投票」の冴えが見える選挙だった、はずだったのだが、子供のときから労働党の政治スクールで鍛えてきたジャシンダは、びっくりするように素早く動いて、暢気に勝利宣言をする国民党を横目に、あっというまに極右政党と連合を決めてしまった。 ここに至って、ジャシンダの政治工作によって46+9=55議席と、過半数61議席をとれなかったナショナルに近付いた労働党は、14議席から8議席に墜落した、凋落に歯止めをかけたいグリーンパーティから、confidence and supply agreement、一味だとおもわれるのは嫌だが、いいよ、賛成してやるよ、という約束をとりつけて、46+9+8=63>過半数を成して、世界中、ぶっくらこいてしまった政権樹立をなしとげてしまう。 意地が悪い連合王国の新聞などは「NZの民主制の死」と述べて書き立て、他国の政治を常に誤解するくせがあるアメリカの新聞のなかには、「NZ極右政権の成立」などと書いていたのもあった。 ジャシンダ・アーダーンが首相になってのおおかたの感想は、 「これで経済ブームは終わりだべ」で、前方を注意している投資家やビジネスマンは、来年初頭くらいからの不景気を見越している。 理由が理由なので、オーストラリアの今年で公式に世界最長の26年目の好景気はつづいていくはずで、ニュージーランド名物のオーストラリアへの国民の大移動がまたぞろ起きるだろうことは、相当鈍感な人間にも想像がつく。 財政や経済に明るいビル・イングリッシュと異なって、演説を聴いていても、「こら、あかんわ」な経済への観察や発想が多いジャシンダ・アーダーンは、政争に勝つ名人ではあっても経済をとりしきるのは多分無理だろうと皆が考えている。 現に、「政権発足から1年は増税も税制の変更も行わない」と、きっぱりと述べていたのに、もう今月からガソリン税を増やして1リットルあたり11¢が上乗せされている。… Read More ›

ぼく自身からの手紙

  若い人間は、ほんの少し宙に浮いている。 足下をみればわかる、1インチか2インチ、どんなに地面から離れていても3インチとまでは離れないが、少しだけ宙に浮いている。 なかには寺院の屋根の階(きざはし)に腰を掛けて、ぼんやりと世界を見渡しているArthur Rimbaudのようなひともいる。 ほら、金子光晴が、素晴らしい日本語に訳しているでしょう? 束縛されて手も足もでない うつろな青春 こまかい気づかいゆえに、僕は 自分の生涯をふいにした。 ああ、心がただ一すじに打ち込める そんな時代は、ふたたび来ないものか? 遠くを見渡している人間には、ぼくやきみの、ひとりひとりの顔は見えない。 人間はひとりひとりの人間がみえない遠くから、人間の争いを見ることが、遠くから響き渡ってくる、罵り声や、叫び声、叫喚を聞いているのが好きなんだよ。 ちいさなころ、窓を開けて、 「ごらん、川の向こうでは愚か者たちが騒いでいる。でも川のこちら側に騒ぎがつたわってくることはないだろう」と述べる父親の声に安堵して、きみは、きみのベッドに戻ったものだった。 少し不安になって神に祈ってみる。 地べたにべったり足をつけてしまっているおとなは、きみを不安に陥れる。 こんな時間に電話をかけたら迷惑かもしれない、と考えて、きみは逡巡して、逡巡を始めた午後10時よりも、ずっと事態を悪化させた午後11時になって、きみはずっと歳が上のあのひとに電話する。 元気ですか。 ぼくは元気です。 ちょっと遅くなってしまって失礼かもしれないとおもったんだけど、ひさしぶりに声が聴きたいとおもって。 あの、ほんの一秒の半分くらいの、でも決定的で取り返しがつかない、絶望的な沈黙。 それから、あのひとはいつもよりもずっと落ち着いた、やさしい声で、 まだ起きていたから大丈夫、少しも心配しなくていいのよ、 あなたのことは、いつも聞いている。 学校ではずいぶんうまくやっているのね。 よい噂をたくさん聞いています。 まるで弟のことのように誇らしくおもっています。 ところで、 わたしは暫くウイーンに行くことに決めました。 そこで翻訳の仕事があるんです。 あなたのことを忘れられるわけはない。 ありがとう。 一週間にいちどは絵葉書を書きます。 受話器を置いてから、きみは、なんてバカなことをしたんだろう、と唇をかむ。 あのひとは、ぼくを傷つけないように細心の気をつかって、最後にはおどけた声までだしてみせた。 ぼくはなんという愚か者だろう。 きっと、あの人は、二度と口を利いてはくれないだろう。 口を利いてくれても、よくてよそよそしい友達、悪ければ他人、… Read More ›

真珠湾奇襲という爆発的歓喜について

真珠湾攻撃がいつ行われたか?という話からするのがよさそうです。 1941年12月8日なのは、たいていの日本の人は知っていそうだが、念のために、これがどういう時期なのか、お温習いをしておこう。 日本人が、そこまでの極端に国家主義的で軍事優先の近代を完膚ないまでに破壊されて、いまの戦後民主社会を強制された戦争なので、いまだに日本の人が自分が主役のひとりだったような気持ちでいるのは当たり前のことです。 でも現実はどうだったかというと、うんとよく言って準主役、普通に眺めれば劇全体の筋を読めない素っ頓狂な悪役兼脇役というところでしょう。 怒ってはいけない。 だいいち、怒る理由がない。 食うや食わずで、輸出品といえば絹くらいしかなかったビンボ国が、いまの北朝鮮などは問題にならない、GDPの実に40~80%という、そんなに軍備に使って、あとはどうやって暮らすの?の巨大軍隊をもって、 戦争でだけ主役級になるなんて、いまの日本の人なら理解しているはずだが、こんなにみっともない国家はない。 対する世界一の富裕国として羨望を集めていたアメリカの陸軍が、世界20位だったかな? ポーランドとちょうど同じくらいの軍隊規模だったことを考えても戦争における活躍があったとしても、それを誇りにおもうのが、いかに頓珍漢か、わかってもらえるとおもいます。 しかし、では真珠湾攻撃が第二次世界大戦において、あんまり意味をもたないイベントだったかというと、そんなことはなくて、極めておおきな意味を持っていた。 最大級、といってもいいくらい。 12月5日。 モスクワの前面50kmにまで迫っていたドイツ軍は、予想もしなかった激しい赤軍の抵抗に遭って、それまでの連戦連勝とは打って変わって、攻勢の停止を余儀なくされます。 12月8日にはヒットラー自らが総統司令39号を発令して全軍に防御態勢を命じざるをえないところまで追い込まれる。 この時点での攻勢停止は、一般に信じられているようなT-34の登場と、新鋭機甲師団による反撃が功を奏したというよりも、ドイツ軍の貧弱な耐寒装備によって、凍傷を負う兵士が続出し、エンジンは凍り付いて止まり、文字通り冬によって身動きが出来なくなったことのほうにおおきな理由があったようです。 ともかく、欧州人戦史家が、よく軍事史最大の皮肉として取り上げるように、ナチの軍隊の絶対的強さを信じて、当時の、ちょっと信じがたいようなお下品な日本の国家標語、「バスに乗り遅れるな」で、ヒットラーに便乗して、火事場泥棒よろしく、すでにナチの軍門に降っていたフランスやオランダの植民地を「かっぱらう」ことを目的として、慌てて参戦を決めた日本が、乾坤一擲の大博打、真珠湾への奇襲作戦を遂行していたころには、ちょうど、ナチがやがて隠しようもなく決定的になる敗北に向かって追い込まれていくとば口にありました。 もうひとつ忘れないうちに慌ててつけくわえておくと、太平洋戦争は、もちろん、真珠湾奇襲によって始まったわけではありません。 (以下、日本時間) 12月8日午前一時過ぎ、どういう理由によってか潮位の予測を誤った侂美浩少将率いる5500名の侂美支隊は、コタバルへ向かって、上陸というより漂流しているところを折から警戒していたイギリス軍に発見されてしまいます。 予測、警戒していたとはいえ、戦争の始まりというのは、そういうもので、対するイギリス軍のほうも、散々パニクった挙げ句、やっと数機を飛ばして、足の着かない海上を漂っている日本軍兵士に対して、ほぼ1時間にわたって反復攻撃で機銃掃射を加える。 時系列からいうと、これが太平洋戦争の始まりで、一方、真珠湾への第一次攻撃隊隊長、戦後はアメリカに渡って市民権をとり、牧師としてアメリカで伝道の生活を送った淵田美津男が有名な「ト連送」を機上から打電して空中の全機に「全軍突撃」を命じて日曜日の真珠湾に空中から突撃したのは午前3時19分のことでした。 えええ? じゃあ、なんで真珠湾ばかりがクローズアップされるの?というのは当然の疑問だが、突き詰めれば、空から魚雷と爆弾で戦艦を沈めるほうが派手だから、という以外には理由はないんですね、これが。 幕末、戊辰戦争のころに長岡藩には河井継之助という家老がいました。 長岡藩は牧野という代々名君が続いた大名の藩とはいえ、6万2千石から始まって、江戸時代を通じて加増を繰り返したといっても、戊辰戦争当時で14万2700石にしか過ぎない小藩です。 司馬遼太郎が小説の主人公として英雄的に描いたこともあって、というよりも、そのせいで、と言ったほうがいいでしょう、日本人でありながら長岡を一個のスイスとして中立国としようとした英雄として描かれることが多い人ですが、どうも実像は、現実から乖離した理屈を頭のなかで組み立てて、それが「カチッ」と音をたてて組み上がると、遮二無二、それを現実にあてはめようとする、簡単にいえば「頭でっかち」の人であったようです。 ただ、思い切ったことをする人で、当時日本には3丁しかなかった元祖機関銃のガトリング銃のうち2丁を保有するほど新奇な技術に興味を持つ人でもあった。 この人が藩主の牧野に述べたことを読むと、なんだかびっくりするくらい山本五十六が近衛文麿首相に述べたことと似ている。 いざとなったら、最後は勝利できないのは判っているが、存分に暴れてみせる、というのです。 言うまでもなく山本五十六は長岡の人で、読んでいると、どうも郷土の先輩としての河井継之助に傾倒していたのではないかとおもわれる節がある。 当時の藩閥の日の名残が射している軍部なので、もちろん、口に出して明瞭には述べていないようですが。 よく知られているように、ハーバード大学に留学していた山本五十六は、アメリカの国力を肌で感じて知っていました。 日本では芸者遊び、アメリカでは賭博に明け暮れる、市井の事情に通じた人で、「アメリカと戦争をするなんて、とんでもない」という見解は、どちらかといえばブルックリンで一緒にポーカーに明け暮れる仲間だった労働者たちとの付き合いから生まれた信念のようでした。 下僚から「アメリカがいくら強いと言ったって勝ち目がないというわけではないでしょう」と言われると、眼を剝いて、おまえな、アメリカで俺がよく出かけたパブでは、ビールを一杯頼めば、店の食べ物は全部タダだったんだぞ、そんな豊かさをお前は想像できるか、と述べて窘めていたそうです。 彼は、アメリカと戦争をすれば、絶対に負ける、とわかっていた。 そこまではいい。 そこからが、よくない。 軍人の異国文化への理解というか、山本五十六は、他の日本人同様、アメリカ人は兵士としては臆病だと誤解していました。 一般に、日本の太平洋戦争ちゅうに犯した錯誤の多くは、第一世界大戦という史上最も悲惨な戦争に、オアソビ程度にしか参加しなかったからだと、よく言われますが、これも、案外、そのひとつの例なのかも知れません。… Read More ›

おなかがすいた

オリーブの木に、やっと実が成りだした。 長い間、実がつかなかったが、いったん実りだすとなると、「壮観」という言葉を使いたいくらいたくさんの実がびっしりと並んでいる。 脇にはアボカドとライム 階段を挟んで反対側にはトマトとミニトマト 庭の、少し離れたところにある菜園には、レタス、長ネギ、…スーパーで買うと傷みやすいものが家のキッチンに近い場所に区画ごとに育っていて、BBQテラスの脇には、コリアンダーやバジル、ミント、のハーブが「繁茂」という言葉が相応しいほど茂っている。 じゃがいもやマオリ族の聖なる食べ物さつまいものやや広い区画もつくってある 家からパッと見のところにはニュージーランドのネイディブブッシュ、例えばシダが緑をつくっているが、家から見えにくいところで陽が当たる場所には「食べられるもの」が蟠踞しています 鶏小屋には、なんだか妙におおきな雌鶏たちがいて、絶えず卵を産んでいる。 ときどき、コケーコッココッコと鳴き出すのは、「卵うんだぞー。見たかあー。かっこいい卵産んじゃったもんねー」という高らかな宣言です。 以前には日本うずらも飼っていたが、おとなしくて静かなのはいいが、なんとも陰気な鳥たちであるのと、いちど隣家のバカ犬が長駆駈け込んできて小屋を攻撃して、ストレスで何羽かが死んだりしたので、嫌気がさしてやめてしまった。 食べ物をつくってみようと考え始めたのは、ずっとむかし、コモ湖の両親の別荘から、湖のあちこちに桟橋があるボートで遠出をして、あとで自分で別荘を買うことになる、湖の西岸のムッソリーニが殺害された場所の近くを散歩していたときのことで、丘陵の高いところをつなぐ、ちょうど鎌倉で言えば天園ハイキングコースのような道を歩いていて、付近の家の裏庭を見下ろすような眺望になるが、どの家も、庭いっぱいに菜園をつくっていて、それがおもいのほか美しかったからでした。 ワイヤーネットの塀に、マヌケな感じでぶら下がってるカボチャさんさえも、好もしくて、実家の、ガーデンツアーで公開することがある庭をぶち壊しにするわけにはいかないが、そうだ、ニュージーランドでやればいいな、とおもっていた。 ありがたいことに、モニさんも大賛成で、「わたしがガメに飽きて、再婚して、ガメが作男に格下げになったときの練習にもなるしな」と大賛成だった。 当時は、一年の半分以上を旅行して過ごしていて、ふざけてノーマッド暮らしと述べていたくらいで、人生を投げていて、時間がやまほど余っているのを幸い、世界一周チケットを買っては、世界地図を広げて、プロットして、東回り、西回り、スペインで春をすごして、夏のフランスをモニさんの実家の、ここは中世の楽園なのかという羨ましくも宏壮な荘園ですごして、イスタンブルに足を延ばして、その次の週は東京の青山で飲んだくれていて、と不良生活で、なにしろ家にいないのだから菜園の楽しみもなにもあったものではなかったが、いちど真剣に菜園のデザインや、家の人のちからを借りて、割り付けをして、タネを蒔いて、苗を植えて、としばらく夢中で、だがしかしだが、「ガメのやること」のご多分に洩れず、すぐに飽きて、 今度は、やっと、COVID禍で、むかしとった杵柄正一と正二の兄弟、 やっと落ち着いた気持ちで菜園づくりをまた始めたのでした。 潜在意識には、当時は、友人達に話すと、いや、そんなことはありえない、WTOを初めとして、交易ネットワークが整備されて、食料生産も分業で、例えばブラジルは農業世界では手つかずに近い状態だから、まだまだ2050年くらいまでは、どちらかといえば農業の、農家への支払いが低すぎる、不採算性のほうが問題だろうよ、と言われるのがおちだった、人口増加に伴う食糧危機があったようにおもう。 引き金はロシアのウクライナ侵攻だった。 両国あわせて世界の3割を超えるはずの小麦粉生産量で、侵略被害にあったウクライナはもちろん、侵攻側のロシアも、ウクライナからの出荷停止で逼迫しだした小麦粉市場に目をつけて、自国の小麦も、盟友中国以外には輸出を拒むようになった。気候の温暖化がもたらした不作とダブルパンチで、事態は見る見るうちに深刻なものになっていった。 もともとコロナパンデミックで食料ロジスティックが寸断されて、食料の流通があちこちで梗塞を起こしていたところに、戦争で、小麦粉を皮切りに、大産地ウクライナが麻痺したサンフラワーオイルが不足して、サンフラワーオイルの代替油、カノーラオイルが高騰して、カノーラオイルの更に代替品のパームオイルまで暴騰に近い価格になっていった。 食料の世界というのは流通の末端にある小売、例えば巨大スーパーマーケットチェーンが強い世界で、なかなかコストの上昇が小売価格に転嫁されない構造になっているが、中間業者排除の法則で、利益幅が小さくなれば、流通の中間にある卸業者は、赤字を盛大に垂れ流して、倒産以外に未来が見えない会社がどんどん増えている。 日本でも最大の食料商社のひとつであるJAは、赤字もなにも、来年くらいから調達が滞るのではないかと噂されています。 いままで5%、6%というコストの増加、価格の上昇を問題にして交渉を繰り返してきたのに、いまは3割、4割という価格の上昇に直面しているので、 来年も終わりにくれば、業界まるごと、到底、無事にすむわけにはいかなさそうです。 そのうえに、ダメ押し、弱り目に祟り目、泣きっ面にハチ、踏まれたとおもったら蹴られて、マットにのびたところでバックドロップで叩きつけられて、そもそも現代農業生産には化学肥料が欠かせないが、 この肥料の桁違い最大生産国の中国が、中国政府の他一般の資源政策、例えばレアメタルとおなじく、長期戦略上の武器として、化学肥料を使いはじめた。 さっき友人の言葉として「ブラジルがある」と述べたが、このブラジルの大地は大量の化学肥料を必要とする土壌で、中国政府が化学肥料を戦略物資に指定して、厳しい国家管理の下におくことにしたのは、そのことと関係があります。 中国が食料生産に必要な化学肥料をブラジルに提供し、ブラジルは肥料を使ってつくった食料を中国に提供する。 もちろん、ブラジルで反中国世論として盛り上がりを見せていたブラジル近海での船団方式漁業への反発がやや鎮静化したのも、この「食料生産同盟」の成立のせいであるのは言うまでもない。 ブラジルと中国の新しい食料戦略同盟は、ひとつの例にすぎなくて、 ロシアのウクライナ侵略戦争とコロナパンデミック以来、食料グローバリズムのインフラストラクチャだったWTOの機能麻痺を皮切りにして、 ひとたびバランスを崩すと、とめどがない、「カネを払えるものが勝つ」世界で、いまの世界では中国、北米、欧州の排他的な寡占ブロックが出来つつある。 ウクライナへの肩入れにあれほど必死になるのは、人道が理由の第一だが、ウクライナをロシアに取られてしまうと、食料を武器に欧州はロシアに支配されてしまう、という気持ちもある。 そこにロシアが食料問題にストレートにナショナリズムを持ち込んで、ニュースとして報じられないところで、食料については、世界はすでに混乱のなかにあって、さらに悪い事には、ここから回復の見通しどころか食料調達の意味そのものが変わって、混乱からアポカリプスに向かう途上にある、とマンガ的な表現を使いたくなるほど、破局目前のところにいる。 なんちて。 弁士口調は、やっぱりちょっと飽きるね。 これを日本語で書いているのは、このあいだ、菜園でぼんやり風にゆれる葉を眺めていて、あれ? もしかして日本は、ひどく立場が悪い国のひとつかな? と、ふと考えたからで、ひとつひとつ局面や品目ごとに 日本の世界市場での立場を検討すると、 ほんの2,3年で、食生活がおおきく様変わりしそうなことに気が付きます。 日本の「カラアゲ」は「パンコフライ」と並んで英語世界でも大はやりで、インターネットで見ると、最近は日本でも鶏の唐揚げのチェーンも出来て、コンビニ弁当にも欠かせない流行のようだが、… Read More ›

日本語の肖像

15年前、日本の行く末が見えるまで付き合おうと漠然と思って始めたことが、そろそろ当初の目的がはたされようとしている。 直接の実感はシンツイッタから来ていて、例えば、お下品絵という言葉に反応して、「下品とはなにごとか、日本の文化はわれわれが描く絵で保っているのだ」という人たちがやってきて、悪いが、笑ってしまっていた。 そのとおりだよね、とおもったからです。 日本のいま、は、彼らの描く、判で捺したようなデカ目デカ胸ミニスカがすべてを表現している。 この十年、日本は、どんどん日本化していった。 加速がついていた。 インターネットが輸入されて、手に入って、「世界に発信」したりしているうちに、世界のほうで、あんまり相手にしてくれないので、飽きてしまったのでしょう、 日本語や、日本語で考えた内容を英語に翻訳して「発信」しても、反応がないので、 もうめんどくさいから世界には日本しかないことにした。 日本語の感受性のなかでは、面白い事に、日本の内部にアメリカがあり、中国があり、欧州が存在して、現実の海の向こうのアメリカは、似てはいるが、別個の社会として、存在している。 日本語で応対しているアメリカは、あくまで日本語の内部で飼い慣らした日本語化されたアメリカのほうです。 そうやって現実を上手に自分たちの言語から切り離していって、 日本の人は、いわば世界の王になった。 その過程で「日本すごい」の賛美歌が、あちこちで歌われたのは、まだ記憶に新しいのではないかとおもいます。 本来、メインストリームの感性になりえないものを、中心に据えた結果は、どうなったかというと、長かった「舶来礼賛」は止んで、日本語の言語社会全体がサブカル化してしまった。 日本というサブカルチャー世界が、日本以外の世界の宝物として誕生した。 例えば英語世界では自分たちの社会に適応できない高校生は、セーラームーンに始まって、無限に続く日本のサブカルマンガのなかに没入すれば息が出来ることを発見した。 ちゃんと理由があって、日本のマンガは、例えば高橋留美子や、あるいはどらえもんでさえ、その世界で、別の人生を生きられるように出来ている。 最終話が来ないことを願いながら、緑色に染めた髪の毛を後ろで束ねて、40冊というような数の本のなかで埋没している感覚は、一度やったら、やめられないのかも知れません。 フクシマ事故は、「絶対に起きてはいけない事故」だった。 原発は、もともと「事故ゼロ」という人間性というものを考えれば、土台無理な前提の思想に基づいてつくられた技術で、二重三重に安全対策を施されているから大丈夫だ、ということになっていたが、やはり無理で、事故が起きてしまった。 ソビエトロシアのように国家財政が破綻する規模で事故対策をやっても、コンクリートで固めて、引き延ばしをするくらいが関の山だったのに、日本の場合、財政に影響を与えないで、言わば小手先で対策しなければならなかったので、デカ目デカ胸ミニスカが日本が誇る文化である、というのと、同じ見地に従うことにした。 現実から乖離した言葉で安全を宣言すれば安全だということにしてしまった。 風評被害、という言葉を発明して、福島のひとたちに申し訳ないとおもわないのか、と、情に訴えることにした。 言葉も情も、いくら使ってもタダなので、重宝だからでしょう。 最近、ずっと蒐集している表現のなかで、これは面白いな、とおもったのは 「スピード感をもって問題を解決します」 という言い方で、これは元々の言い方は 「スピードを以て問題を解決します」だが、 スピード感が出れば、スピードが出るのとおなじ、という最近の日本語の現実よりも主観という傾向をよく反映している。 一般に現実から乖離して、現実とは別のところで「現実感」をつくる言語に日本語は変化していて、世界と向きあわないために延々と、その作業を続けてきた結果、言語にとってのリアリティの軸のようなものが、ひん曲がってしまって、「おれが言ったことが現実」になっている。 ネット上で、「女の人が悪いことをするわけがないでしょう」と言われて、びっくりしたことがある。 一応、悪人は性別に関係なく存在して、性別に関係なく悪人として糾弾される社会に育ったほうは、なぜ人間性の善い・悪いと性別が関連付けされた同じ平面で判断されるのか判らなくて面食らったが、 この人は、男が女を悪人だと判断することは性差別だと述べて譲らず、 どうも自分の理屈の旗色が悪いようだと気が付くと、 じゃあ、あなたは日本人を悪人扱いする人種差別主義者なのだと驚くべきことを述べて立ち去っていった。 そうこうしているうちに、案の定というか、日本語はどんどん糸を離れた凧というか、無軌道野放図なことになっていって、 肉体に性別などない、という定義と現実がごっちゃになった珍説を、どうやら英語の誤読をもとに力強く述べてみせる大学教員や、だいいち政府にしてからが、日本は戦後空前の経済繁栄にある、と述べる首相をリーダーとして戴くことになった。 一日8時間週5日働いて、不十分なので有名な生活保護費を下回るような収入しか得られない大学卒の国民がいくらでもいる社会に向かって、「戦後空前の経済繁栄」と言ってみせるのだから、「言ったもの勝ち」の社会も、ここまで来ると、現実感などは、欠片もない。 そうやって現実から乖離した言語が、社会のあちこちで空転している事態が何年も続いて、ついに、徒党を組んでおおきい声でお題目を唱えたほうが真実とみなされる、というすごいことになってしまった。… Read More ›

  雨ばかり降っている 異常気象なんだってさ クラシックヨットのひとつを見に行ったら黒いカビが天井いっぱいについていた。 古い古典ヨットは、マホガニーを張り詰めて、優雅で、 いまできのヨットなど足下にも及ばないが メンテナンスは、何倍も労力がかかる。 今年は、嫌な年だなあ、とおもいながら プーチンのロシアがウクライナに攻め込んだニュースを見る 習近平の中国が、台湾への武力侵攻を誓う記事を見る この世界では現実ほど現実感がないものはない 誰か、嘘をついてくれないか 結局、なにも起こりはしないのだと 杞の人が恐れたようには、青空は割れたりはしないのだと もう、なんだか、嫌になって、 ぼくは ヨットの世話をやめて 浮桟橋をわたって トヨタのSUVにもどって 運転席で 顔をおおって泣くだろう なんのために? 誰のために? 泣く事に理由などいるものか 世界が壊れてゆく 世界が壊れてゆく 兵士達は世界のあらゆるところで死ぬ ウクライナで 欧州の山で 欧州の海辺で 極東の島々で 至る所で自由は敗れて 兵士達は死ぬだろう 昨日 塹壕のなかで花を編んで笑いあった女の兵士達は 花で編んだネックレスを首のまわりに飾ったまま死ぬだろう 子供達は死ぬだろう 地下室の崩れた壁の下で ぬいぐるみを抱きしめて 男達は死ぬだろう… Read More ›

ひまな人

いつかbasinの畔にあるベンチに腰掛けて、じっと水面を見ていたら、 「大丈夫ですか?」と訊かれて、びっくりしたことがある。 その1時間ほど前に午ご飯に食べたリブアイステーキが余りに不味かったので、どうやったら、あんな不味いステーキを焼けるんだ? と考えていただけだったが、余程、悲しそうな顔をしていたのでしょう。 もしかしたら、ベンチからいきなりすくっと起ち上がって、目の前のbasin、日本語だと「入り江」だろうか、「内湾」かな? に飛び込んで自殺するのではないかとおもったのかも知れない。 食べ物のことになると、思い詰めるたちだからね。 あのbasin、水深、1mくらいしかないとおもいますけど。 社会はインターネットが刻々と刻む時間によってカッチンカッチンと規則正しく、オーケストラのように動いているが、どうも自分の頭のなかの時間は世間と歩調があっていないようだ、と気付いたのは、まだ子供の、7歳くらいのときだとおもわれる。 なんだか、日々、茫然としている。 一見、なにも考えていないようで、ほんとうに何も考えていない。 安楽椅子に、じっと座っていて、天井を見つめて、なにごとか思いに耽っていて、思い詰めた顔で、いよいよ時が満ちて、そのまま居眠りしてしまう。 教室の記憶も、窓から外を眺めている記憶ばかりで、他にはなにもしたことがないような気がする。 この人は、恐るべし、ほぼもの心ついたころから、なああんにもしないで、生きて来て、到頭、後2年もすると、40歳になろうとしている。 書いたことはないが、CVを書いたとして、字面だけをみれば赫々たる経歴です。 名前がカッコイイ学校が並んでいる。 高等教育も受けている。 よく見ると年限がやや変だが、それは、「奥の手を使って」、学校が嫌いなので 飛び級をして短くしてしまったからです。 正確にいうと、この人が生まれて育った国には飛び級という制度はないが、ないはずのものがあるところが、この国で、現にこの人は妙に若い年齢で大学を出てしまっている。 職業は、投資家、ということになっている。 「ということになっている」って、あ、じゃあ、やっぱり設定なんですね!と慌てて喜んではいけません。 パスポートコントロールなどでは職業の欄に「会社役員」と書くが、これは税金を少なく払うため… あっ、いやいや冗談です、投資を円滑に進めるために会社を持っているからで、種別でいえば、オールドマネーもいいところの、ガハハのおっちゃんを連想させる「不動産投資」というものをずっとやっている。 他の投資もやっているけどね、どっちみち、 詳細をここに書く気はないし、書いたところで、日本語では「嘘松、けけけ」とか言われるだけなのは判っているので、嘘よりもずっと面白い現実は、日本語では絶対に聴けないことになっている。 遙かな昔は、会社を買って経営したりしたこともあるが、振り返って考えれば興味本位で、第一、忙しいので、こりゃたまらんと考えてやめてしまった。 実際に働くのは他人にお願いするにしくはなし。 いつだったか日本のおじさんたちがつくっている自分についての悪口フォーラムを面白がって読んでいたら、 投資家がでてくる好きなマンガかなにかがあるのでしょう、 「投資家が、こんなにヒマなわけはない。だいたい、こういう人は投資家というものがいかに忙しいか、まったく判っていない」と述べあっていて、 お腹が苦しくなるくらい、くくくく、と笑いがこみあげてくるのを我慢(なんで?)するのに苦労したが、この人たちの頭のなかではディスプレイのなかの刻々と変わる数字やチャートを見つめて、機を敏に、電話したり相手に向かって大声で怒鳴ったりするのが投資家の仕事であるとおもっているようだったが、現実の投資家たるや、ちょうどベンチに腰掛けてbasinの水面を見つめるように、頭のなかの市場を見つめているだけです。 賑やかな投資家おっちゃんも投資の種類によっては存在するが、慌てるおやじはもらいが少ないという、 最後まで、恙なく懐がゆたかでいられるのは、そういう人には少ないようでした。 ではなにが外から見てわかる仕事かというと、「本を読むこと」で、 ヒマさえあれば、本を読んでいる。 最近の「遊びだ」「趣味だ」とゴマカシながら手をだしている、不動産以外の投資でも、分野は変わっても、「本を読むのが仕事」の基本が変わるわけではないようです。 オカネの話はつまらないので、このヘンで止すが、もの好きな人がこの記事を読んでいて、自分も投資家として暮らしたい、と考える場合は、本をたくさん読むことと並んで、大事なことがあって、 それは「世の中に興味をもつ」ことです。 これは、どうしてこうなっているのか、 あの国はどうして不振なのか、… Read More ›

イーロン・マスクとtwitter

南アフリカ人は人格の手触りがザラザラしている人が多いと感じる。 と言っても「友だち」と呼びうる南アフリカ人はひとりしかおらず、近所にもひとり住んでいるだけで、ふたりともタイプは似ていてgentle giantで、 身体がおおきく、顔もふたり揃っていかついが、びっくりするほど気持ちがやさしくて、同情心が強い。 話がぜんぜん違うじゃん、とおもうなかれ。 普段の生活で会う南アフリカ人は、うまく表現するのはたいへん難しいが、考えの底が厳しいというか、厳しい状況をかいくぐってきたひとたちのそれで、多分、世界で最も著名な南アフリカ人であるシャーリーズ・セロンの、母親が娘に襲いかかる父親を射殺する、という事件で始まる若い時代の話を 記事に書いたことがあって、青土社から出した「ガメ・オベールの日本語練習帳」という菊地信義さんの装丁であることが、ひとつ自慢の本のなかに入っています。 考えてみると、南アフリカ人の気風は、日本の人から見て、最も理解しにくいもののひとつかも知れなくて、半分やけくそで述べると 「マッドマックス的世界観を根底に持っている人たち」と言えばわかりやすいだろうか。 レソトや南アフリカに国連の使節やボランティアの協力隊のようなもので数年滞在していた、というような人はオーストラリアやニュージーランドにはたくさんいるが、戻りたい?と訊くと、二度とご免だ、という。 とにかく危ない。 向上心というようなものも、まったくない。 80年代にレソトに学校の建設のために行った人などは、週末になると、学童の手引きで両親たちが武装して襲いに来る。 目当ては備品で、なんでもかんでも盗られてしまうので、 教師側も機関銃を台座に設えて対抗する。 毎週毎週、小規模な内戦のようなことを繰り返して、最後は村民が総出でやってきて、せっかくつくった校舎をロープをかけて引き倒して終わったそうでした。 綺麗事がなにも通じない国なんだよ、と述べて、 マンデラの奥さんが余興に夫の愛人をタイヤの輪に嵌め込んで火を付けて、転げ回って苦しむのを手を拍って大笑いした、というような話をする。 どうも部族制がすべての土地に、欧州人たちが、無理矢理線を引いて分割したのが拙かったとかで、第一、およそ西洋的な観点というものが、まったく通用しない、と述べる。 普段の生活の話も、「目が点になる」という表現そのままの話の連続で、 BBQパーティを開いていると弾帯を肩にかけて、機関銃やショットガンを手に手に塀を乗り越えて次次に裏庭に飛び降りてくる強盗の話などを聴いていると、「戦場より危ない」という言葉をおもいだす。 友だちにしても、普段は、おだやかで親切な人で、いかにも安全快適な中流人が多い環境で育ったとしか思えない人だが、 ヨハネスブルクの実家に帰るときには、まず空港で銃を受け取っていく、と述べて、そうしないと生きて実家に辿り着けないからね、と笑っていたりする。 そういう国で、比較的うまくやっている民族集団はインドの人たちで、あのひとたちは、収入があがれば、まず真っ先に安全な地区に住むことを考えるニュージーランド/オーストラリアでも、割合に平然と治安が悪い地区に住んで恬淡としているが、南アフリカにも、そういう点で適性があるのか、インドの人に訊くと、インド国外でインド料理がおいしいのは、いちばんがロンドンで、二番目はダーバンだと述べていた。 オンラインのレストランガイドをみると、なるほど、おいしそうなインド料理の皿が並んでいて、ニュージーランドでも「知る人ぞ知る」人気がある南アフリカ郷土カレーのBunny chowも、インド料理のページの隣で、いかにもおいしそうな姿で鎮座している。 イーロン・マスクは、このダーバンの出身です。 おかあさんは、有名なモデル・タレントのメイ・マスクで60歳代になってから「タイム」誌や「ニューヨーク」マガジンの表紙をヌード写真で飾ったことをおぼえている日本の人も多いでしょう。 もっとも、たしかイーロン・マスクは英語人がステレオタイプにおもい描く「ラフな南アフリカ人」を地でいくような不動産デベロッパーの父親に育てられたはずで、多分、イーロン・マスクのアメリカの都会人が憎悪してやまない、あのスタイルは、どうやら悪魔のように憎んでいたという、その父親から来ているようにおもえます。 イーロン・マスクは大変に興味深い人物なので、そのうちに、ちゃんと調べて、本人にも会って、一冊の本になるくらいの記録に纏めようかなあーと、また、ろくでもないことを考えるが、ここでは家庭や本人の成長の背景は、あんまり関係がないので、平凡な英語人の目から見て、ぼんやりと、どんな風に見えているか、というだけにとどめたほうがよさそうです。 まだなにも調べないうちにイーロン・マスクとtwitterについて書いておこうとおもったのは、この世界の大半を占める、世界で起きる事象に、その場限りの興味しかもたない、言わば「見方が浅い人間」のひとりとして、いまtwitterで起きていることがどういう見え方をしているのか、伝えたいからでしょう。 必要なら「英語人の」と、どこかに付け加えてもいいが、頭のなかをのぞいてみると、特に言語に拠っているようにも見えない。 個人として知っている人に訊くと、たいへんなアスペルガー気質で、社交性はゼロで、なにしろ口を開けば人を怒らせることしか言わない、と笑っていたが、伝えられるニュースやゴシップでも、それは感じられて、本人も何度か自覚していることを述べている。 最近ではスティーブン・キングとの課金をめぐるtwitterでの会話が世界中で爆笑・嘲笑のタネになって、やっぱり頭がわるい、とか、ものごとの核心がつかめないのがよく判る、とか、散々、揶揄されて有名になった キングが「ブルーチェックを保つのに毎月$20払えなんて、頭がおかしいんじゃないのか」と言うのに、イーロンがリプライをつけて 「$8なら、どうですか?」とマジメに教えを乞うている(^^;) 典型的、といいたくなるアスペルガー人と通常人の会話で、 ポイントが外れていて、案の定、イーロン・マスクの頭の悪さの証拠として、 たくさんの人が、日本のおやじトロルなみに、スクリーンショットを撮り、面白がって回覧していた。 到底受けいれ難い政治発言や、なんだかヘンテコリンな言論の自由へのイメージで、すっかり嫌われ者になって、ヒットラーから大袈裟な勲章をうけて悦に入っていた自動車王ヘンリー・フォードの再来か、と茶化されていたりしている。… Read More ›

君に夢中

七歳で、ぼくは葉山の海岸に立っている。 (鐙摺山の後ろには積乱雲) (海の匂い) すごい国に来たんだよ。 海の水が温かい国。 階級がない国。 その強烈な記憶。 関わりが出来て 言語をおぼえて ぼくは、また、その国に帰っていった。 18歳だったかな? 北海から南極海の国へ 帰る度に、寄っていた。 ぼくは、なんだかヘンテコリンな その国が好きだった。 ニホン ニッポン 色が濃い常緑樹が広がっていて 暗い緑 いったい、空からの、あの眺めを何回見ただろう ぼくは帰ってくる 知っていたかい? ぼくは帰ってくる ぼくは帰ってくる いつも ぼくはずっと愛していたんだよ 自分が生まれた国よりも 育った国よりも 初めのころは、いったい何を話しているのかも理解できなかった国 (ぼくは二次元絵が嫌いでたまらなかったんだよ) (どうして街の、生活のあちこちに、気持ち悪い性的な幼女絵があるの?) メキシコの小さな田舎町で 貧民街で 人相の悪い 若い男の人が タイヤに向かって、なんだか一心に鑿をふるっている 花を彫っている! いったい、きみは、なにをやっているの? とバカな質問を述べたら、 睨み付けるような顔で ぼくは永遠を彫っているのさ… Read More ›

石の街へ帰る

あなたが、いつか通った道が、この深い森のどこかにあるのだろうか。 濁った水の沼の畔に腰をおろして、人工物のように平たい岩の冷たさを感じながら、水筒にいれた赤ワインを飲んでいる。 ガーゴイルたちがいる町から、ガーゴイルのいない町に移って、もう何年になるだろう。 頬杖をついて、夕焼けに染まる町を見つめて、ぼくが生まれた町では、子供ですら、もう何百年も生きている。 奇妙なことをいう、と思いますか? ただの現実の描写なのだけど。 ガーゴイルたちがいない町では、ぼくは、自分が、どこに立っているのか判らない。 見上げても表情のない窓が並ぶだけの通りでは、どこに向かっているのか見当がつかない。 山の形は変容して、建物は破壊されて、言葉さえ意味がわからない音の羅列に変わってしまっている。 十四歳のときに考えたことは正しかったのではないか。 人間が三十歳を越えて生きることは間違っているのではないか。 その室内に死を迎えたことがない建物を「家」とは呼ばないように、 内なる死を迎えなかった人を「人」と呼ぶ事はできない。 死を迎えるとき、初めて人は人になるのだという考えは正しいのではないか。 死の側に立って人生を見つめる文明といえばマヤと日本の文明だが、生の側から死を見つめる西洋の文明よりも、死がよく見えるところに、マヤ人たちは立っていた。 死ぬ事が最高の栄誉であるのは、もちろん、最高の栄誉を受けたものは死によって栄光を完結しなければならなかった。 首を刎ねる、という暴力的な死も共通している。 遠くから歩いて来て、彼らは死の家を築いた。 遠くからやってきて、彼らは死ぬことを選んだ。 文章を書く人間は、意味を未来に渡そうとして、一生のおおきな部分をgibberingで過ごす。 うまく書ければ、ひとつ、おおきくのびをして、これで自分の名前を未来の人間が憶えていてくれるのではないかとひとりごちる。 本が書店のウインドウに並び、称賛が届き、皆が褒めて、感謝の言葉さえ聞こえてくる。 きみは賢明なので、「これで作品は将来の読者に届きますね」と言われても頷いたりはしないが、あるいは、と期待を膨らませるのを抑えることが出来ない。 J.D.Salingerを幼児性愛犯罪者としてではなく名前をおぼえている人間がいたとして、その人間が作品のひとつを読んでいれば、きみは自分の幸運に感謝すべきだとおもう。 薄汚い、卑劣な欲望を胸の奥に隠し持った中年男。 人間性への敬意を欠片でも持っていれば、吐き気を抑えながら読むのが精一杯で、感動するなんてありえない、過去には売れたことがある作家。 いつか、実生活では頭がおかしいと評判の作家が、短いコラムで、 「だがわたしはわたしの書いた物語が自分の死後も読まれることに賭けている」と述べているのを観て、まじまじと、という表現そのものの見つめ方で、しかも何度も読み返してみたことがある。 編集者の友だちの話では、その人は、過去にたいへんな差別を経験して、そのせいで気がおかしくなったのだ、という説明だった。 だから、あの人になにを言われても相手にしないでください。 これは業界の慣行です。 語彙の選択を間違えただけだが、「業界の慣行」という言い方が可笑しかったので、未だに口調までおぼえている。 この気の毒な魂の持ち主は、自分が感心した文章を読むと、書いた人間は「わたしの文章を剽窃したのだ」と反射的に述べる癖があった。 初めは物議を醸したが、不幸なことに、そのうちに周囲が「慣れて」しまった。 病んでいるのだから、気の毒に、非難してはダメだよ、ということになった。 ところが、きみは、この人の境遇が更に悲惨なものであることを「知って」いて、言語感覚の鈍い文章は、その人が死ねば、同時に作品も忘れ去られて、「一部の熱狂的なファン」が、そういえば若いときは、あの人の作品が好きだった、と思い返すだけで終わることまで熟知している。 小説家には一生に型があって、そのなかでも自分を純粋文学の天才だと自己陶酔のようにして思い込んでいて、現実は固定層の人気がある通俗作家だというのは、ありふれている。 ありふれてはいるが、一生が最も忌まわしく悲惨なものになる点では、このタイプが筆頭であるとおもう。 日本語でも同じ例がありそうな気がする。 文章を書く人間は、意味を未来に渡そうとして、一生のおおきな部分をgibberingで過ごす。… Read More ›