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真珠湾奇襲についてのメモ
“I must have a tumbler of sherry in my room before breakfast,” と英国の首相であると同時に 典型的なイギリス上流階級の人間だった老人が述べている。 “a couple of glasses of scotch and soda before lunch and French champagne, and 90-year-old brandy before I go to sleep at night.” 告げられた執事のフィールズは、ぶっくらこいた顔をつくってみせたが、内心は数日前に ウインストン・チャーチルの毎日の習慣について調べあげた軍の情報部からの連絡で、通常の人間が飲むアルコール量を一日で消費すること、好みのブランドに至るまで執事長Alonzo Fieldsを通じて教えられていたので、ほんとうは、なるほど事実だったのか、くらいの反応だったでしょう。 気の毒だったのはチャーチルがホワイトハウスに到着する12月22日の朝まで、まったくなにも聞かされていなかったエレノア大統領夫人で、Alonzo… Read More ›
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ダイアモンドダストを記録する
ムール貝の酢漬けは食べ出すととまらない。 40個ほども入っている容器が空になって、まだ食べ足りないので冷蔵庫へ、えっこらせ、と「御神輿をあげて」向かったりするところは、ポテトチップスと似ています。 ホールウェイを歩きながら、ふと、日本では、こういうことも出来なかったんだなあーとおもう。 もとからテキトー人間の、わしはいいが、モニさんは大変だったのではないか。 不平を鳴らす、ということがほとんどない人なので、うっかりすると、我慢を重ねて、静かにしていることに気が付かない。 「日本には、なんでもあります」と言う。 なるほど鎌倉にいるときに、コリアンダーをたっぷりいれたトムヤムスープを食べたくなっても、クルマで、朝比奈の切り通しから、横横に乗って、山下へ行けば、おおきなタイスーパーがあって、コリアンダーも冷凍のレモングラスも買えて、心配ない。 ラムも専門の卸業者から半身を買って冷凍庫にいれておけば、日本の人が大好きなラック以外も手に入ります。 第一、いまはオンラインで、たしかに、売っていないものはない。 でもやっぱり、ちょっとクルマに乗って、近所のスーパーに行けば棚に並んでいる、というものではないので、プランを持たねばならなくて、プランをたてて食べるものと、おもいつきで食べるものとでは、雲泥の差で、いま考えて見ると、それが結局、後半の強烈なホームシックの原因になったもののようでした。 日本に住むことの最大の問題は、日本が西洋でないことです。 と言うと、「当たり前ではないですか、やっぱりアホだったんですね」と言われるに決まってるが、厳然たる事実で、 例えばニュージーランドとイギリスくらいでも、かなり不自由で、 ステーキパイは、どっちの国にもあるが、生活のなかでの意味が異なって、当然に、売っている場所も異なります。 アイルランドのほうが、ニュージーランドと似ているという。 それでも今度は、アイルランドの人は、ずらっと並んだパイを、 ミンスパイ、ステーキパイ、ステーキ&チーズ、…と見ていって、わしの大好物だがステーキ&ハラペーニョまであるのに、肝腎のステーキ&ギネスがなくて落胆する。 イギリスとスペインのように距離的には近くても、なんだかもう食べ物についての思想が根本から異なる、というような例もあります。 ところが。 それで、バルセロナにずっと住んでいて、もうダメだ、「普通の食べ物」が食べたい、とおもうに至るかというと、そんなことは起こらなくて、バルセロナの「外国人居住区」であるグラシアのノルウェー人宅で、スウェーデン、スコットランド、ウエールズ、デンマーク….国籍様々な人間が集ってパーティを開いたときにも話題に出たが、インドや台湾に長期滞在するときのようなことは、矢張り、誰の身の上にも起こらないもののようでした。 ちょっと言語に似たところがあるかもしれません。 フランス語やドイツ語は判らなくても、判らないなりに、なんとなく言語だから、とおもって安心しているところがある。 これがベトナム語や日本語になると、覚悟を決めて、全力を集中しないと壁が乗り越えられないイメージが湧いてしまう。 英語では、もともとはアジアはインドまでで、ガンジス川の向こうは、よく判らないが中国みたいなもので、日本に至っては「極東」という酷い呼び方で、日本でも子供物語としては有名な「ガリバー旅行記」では、世界の辺境にある空飛ぶ島ラピュータの、そのまた向こうにある空飛ぶ島より現実感の薄い国として「日本」が登場します。 情報化時代は偉大なり。 いまは、日本と言っても、まったく訳の判らない国、という人外魔境のイメージはなくなって、それどころか、どこにいってもイオンみたいな、世界中似たものばかりのタッキーなことになって、日本ばかりは、西洋人向けにファサードはちゃんと出来ていて、その点がタイや中国のような国とは異なるのに、その表から入ってみると、なにもかもが異なっていて、大コーフンで、 若い人などは、すっかり嬉しくなってしまって、二回三回と日本旅行へ出かけるのが、ふつうになっている。 「とにかく、なんでも安い! 5ドルで、おいしいランチが食べられるなんて、信じられない!」と日本の人が複雑な気持ちになりそうな「安い!」を連発している。 よほど気が向けば、「ぼくは、日本に住んでみたことがあるんだけどね」と述べることもあるが、たいていは、「おお!」とか「ああ!」とか英語版ゼルダの行商人のような声をあげて、ニコニコしているだけです。 もしかすると、日本が特別な国でなくなっていくのが残念なのかもしれない。 一種の嫉妬と呼ぶも可なり。 日本とぼくのあいだには秘密がたくさんあって、他の人には判る訳がないのさ、という気持ちくらいはありそうです。 真冬の旭川に家族でダイアモンドダストを見に行ったことがある。 それも、どうしていつも、そうアホなのか、クルマで出かけたのでした。 青函トンネルが列車でしか通れないことを発見して落胆したり、いまにも折れそうなタワーのてっぺんでサーモンステーキを食べたり、小樽で雪に沈む町の美しさに息をのんだりしながら、どうにかこうにか辿り着いて、地元の新聞社の人の案内で、ダイアモンドダストがよく出るという雪原に案内してもらったが、結局は、見られなかった。 湿気がもう少しないとダイアモンドダストにならない、というような説明だったのではないかとおもいます。 ところがね。 思い出してみると、記憶のなかでは、どう考えてもダイアモンドダストを見ているのです。 妹とふたりで、クルマの窓を開けて、息を呑んで、その美しさに見とれている。 自分の心のシステムを点検してみると、「記憶の美化」とは、少し異なるもののようでした。… Read More ›
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箱根の雪
雪が降った日に、ふと思いついて、箱根に行った。 いちど鎌倉から箱根に海沿いにドライブして行ったら楽しいだろう、と考えて、 馬入橋という変わった名前の橋を越えて、いつか書いた、尊敬する作家、北村透谷 https://james1983.com/2021/07/28/tookoku/ の誕生の地であることを記した石碑がある町を通って、箱根湯本に続く道を行こうと思ったら、大渋滞で、 半日経ってもつかなくて、途中で諦めて引き返したことがあったが、東京からならば、渋滞もなくて、あっというまに着いてしまう。 浅薄な日本趣味と笑われそうだが、蕎麦屋で、雪を見ながら熱くしてもらった日本酒を飲んで、すっかり満足してしまった。 箱根が好きで、軽井沢に別荘を買ったときも、最後まで箱根にするか、どっちにしようか悩んだ。 結局、十数年前の当時でも、日本はすでに熱帯のように暑くて、山荘を借りて、冷房なしで過ごすと、到底寝苦しくて、いられたものではなかったので、諦めて、泣く泣く軽井沢に家を買うしかなかった。 軽井沢も、雪は降る。 ほんとうは氷の町で、道東と気候は同じだとかで、ひたすら寒い割には雪は降らなかったそうだが、長野オリンピックでトンネルが出来たら、突然、大雪が降るようになったそうで、 塩沢湖の氷が薄くなって、ジープで渡れなくなったかわりに、雪が降って、シャーベットになって、クルマが横滑りして坂があがれなくなったわよ、と笑っていた。 なにしろ十二月も、たいていは初旬の、軽井沢の電飾のお祭りが終わると、いったん東京から別荘へやってきて、軽井沢でも大事な年中行事である水止めをしてからニュージーランドへ発つ習慣だったので、そう度々は雪が降るときに居合わせることはなかったが、いちど、今日は東京に戻るという朝になって、森が、銀色に凍っていたことがある。 真っ白に凍った森に、雪が「しんしんと」という、あの素晴らしい日本語表現がぴったりの様子で降って、まるで軽井沢が、お別れに、お化粧をした、あでやかな姿で挨拶してくれているようだ、と、モニとふたりで感傷的になったりした。 そうやって、軽井沢は軽井沢で、雪景色が美しい町だったが、なんだかわがままなことを言うと、軽井沢の長野の雪と箱根の雪は、おなじ気象だが異なるもので、 蕎麦屋でお酒を飲むためには、どうしても箱根でなければダメだと考えていた。 まことに軽薄な若者というしかないが、そのころは、箱根で、降り積もる雪を眺めて、熱燗で、 素の盛り蕎麦を二三枚も食べれば、それで良かった。 もう大満足で、堂々たる法規違反の酒気帯び運転で、当時はおお気に入りに気に入っていた、箱根富士屋ホテルで、洋式のバスタブで天然の温泉に浸かる贅沢で、翌朝は、レイトチェックアウトで、のんびり起きて、レストランで、カツカレーを食べて、よくあんな凍った急坂で死ななかったと、いま考えておもう、カーブだらけの道を、エンジンブレーキがろくすぽ利かないオートマ車で降りて、箱根湯本で、日本に来て味をしめた、「まるう」の蒲鉾を買って東京へ帰った。 若いときに、自分にとっては外国の、見知らぬ町に住んでみるのは、いまふり返っても良い考えだったとおもう。 東京とバルセロナとニューヨーク。 このみっつの都会が好きで好きで、手放しで好きで、隙さえあれば、ここで2ヶ月、あそこで3ヶ月と過ごして、あまつさえ、家まで買ってしまったが、どうなのだろう、いまの頭で考えると、 東京がいちばん好きな町だったのかも知れない。 街を挙げて、まるで人生の教師のような存在だったバルセロナを別格として、 むかしはマンハッタンの、喧騒どころではない、騒音ボックスのような街が好きだったが、 ひどい言い方をすれば、交尾期というか、盛りがついた猫が、次から次に相手を変えて、自分の生涯の伴侶を、無意識に探して彷徨していたようなもので、みっともなくて、思い出すと、 あああっ!と声が出るというか、若いということは、自分では判っていない他人への残酷さも含めて、どうしようもないものだという気がする。 そのころは、カリフォルニアが、よく考えてみれば、北のサンフランシスコも南のオレンジカウンティも、行けばいつも楽しい思いをしているのに、なんとなく気に入らなくて、アメリカといえばシカゴとニューヨークだったが、シカゴはいまでも最愛の街のひとつだが、ニューヨークは後半は、というのはモニと結婚してからは、あの街特有の欧州コンプレックスが鼻について、だんだんアミューズメントパークにいるような気持ちがしてきて、街とこちらに気持ちの「ずれ」が生じていった。 まあ、いまでも好きですけどね。 このブログ記事中にたびたび「オンボロ」として出てくるアパートの場所がよくて、 ちょうどチェルシーとヴィレッジの境目あたりで、いま考えても、ダンテの有名な The Gates of Hellの Per me si va ne… Read More ›
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日本人と民主主義 その4
(この記事は2020年5月19日に「ガメ・オベール日本語練習帳ver5」に掲載された記事の再掲載です) 日本の人の「不躾(ぶしつけ)さ」が、ときどき、ひどく懐かしくなることがある。 短いあいだ四谷に住んでいたときにオオハラと言ったかな?記憶を上書きしている可能性があるが服部半蔵の槍があるお寺の坂の下にある中華料理屋さんで、麻婆豆腐を注文したことがある。 でっかい丼に入った、細かく壊れた豆腐が入っているスープが、どちらかといえば酸辣湯のように見えたので、「あの、これ、麻婆豆腐、ですよね?」と訊いたのがよくなかった。 ただ注文を間違えたのかもしれないとおもって、なるべく失礼にならないように尋ねただけのつもりだったが、カウンターの例の身体で押せば開く低い両開きドアをおしてノシノシとやってきた女将さんにえらい勢いで怒鳴られた。 「あのね。うちじゃ、これが麻婆豆腐で、一生懸命つくってるんです。ガイジンなんかに説教されてたまるもんですか。これで文句があるんなら、とっとと出ていきなよ!」 いやいや、そういう意味ではないんです、とパニクって青くなりながら、なんとか誤解を解いて、食べてみると、おいしかった。 ご飯も頼まないヘンな客で、相変わらず歓迎されない様子だったが、ともかくも、「おいしかった」と述べて「お勘定」を払うころには、でっかい女将さんの機嫌もなおっていたようでした。 もちろん、誤解に基づいた怒りが「不躾」だったのではない。 チョーおいしかった麻婆豆腐に味をしめて、ほとんど毎日のように通って、熱燗と麻婆豆腐を毎夜楽しんでいるうちに「ヘンなガイジン」という渾名を賜って、顔を突っ込んで、ガラッと引き戸を開けてのれんをくぐって店に入るたびに「おや、また麻婆豆腐なの? あんた他に食べるものないのかい?」から始まって、「ちょっと太ったんじゃないの?ビールをあんまり飲みすぎないほうがいいよ」 「おや、痩せたんじゃないかい? ちゃんと食べてるの? ガールフレンドをつくらなきゃダメじゃないか。 日本の女はいいよお。あんたの国の女もいいかもしれないが、妻にするなら日本の女が世界一って、知らないのかい」 だんだん江戸言葉になっていきそうな舌のまわりかたで、太った痩せた、眠ってないんじゃないか、酒の飲み過ぎだとおもう、 西洋のルールなら、おおきなお世話もいいところの軽口がとんでくる。 ぶっくらこいたのは、短い滞在がおわって、明日、国に帰るんです、と述べたときで、むかし言葉で、初めて名前で呼んでくれて 「ガメちゃん、抱っこさせておくれ」と言って、割烹着を慌ててぬいで胴体に手を回して、胸に顔をつけて、おいおい泣きだしたのには驚いてしまった。 おばちゃんはね、ガメちゃん、息子みたいなもんだとおもっていたの。 そうだよねえ。あんた、いつかは帰る人だもんねえ。 と、述べて、おおげさもおおげさ、まるで新派のような愁嘆場です。 あんたは蝶蝶夫人か、とおもえればよかったが、まんまと、だらしなくも、涙がでてきて、一緒においおいと泣いてしまった。 ほんとにきみはガイジンなのかね。 ニセガイジンなんじゃないの? あるいは、こっちは、いつかも書いたが、ストップオーバーで日本に寄って、むかし、よく酔っ払いにいったバーに行った。 ぼくとこの店の「マスター」は日本にいるあいだじゅう、友達だった。 極端に無口な人で、カウンタに並べた酒瓶の陰に隠れるようにして、下を向いて、客とは目もあわさないで、注文されたナポリタンやピラフをつくる人だったが、ある日、客がひとりもいなくなったあとで、ブッシュミルズをストレートで飲んでいたら、「どこからいらしたんですか?」と話しかけてきたので、驚いてしまった ニュージーランドです、と述べたら、ニヤッと笑って、 「じゃあ、イングランドからニュージーランドに越したんですかね」と言うので、またまたびっくりしたのをおぼえている。 そのすぐあとで、酔っ払った中年の客が入ってきて、そんな時間には珍しいコーヒーを注文していった。 その客は、コーヒーが好きな人だったのでしょう。 あの欧州コーヒー党特有の「ぐいっ」と飲む飲み方で底まで飲みきると起ち上がったが、お勘定の段になって、750円、というと、 「たけえな」とひとこと単簡に述べてドアを開けて帰っていった。 マスターは、「たしかに高えよな」とひとこと述べてドアを閉めて階段をおりて帰っていった客を見送っている。 なんだか、そのときから、友達になったような気がする。 向こうはどうして興味を持ってくれたのか知れないが、それから、客がいなくなると、よくふたりで話をした。 もとは美術大学の教師だったことも話してくれた。 自分が好きな画家や彫刻家の名前をあげると、… Read More ›
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憲法第九条の終わりに
“L’Italia ripudia la guerra come strumento di offesa alla libertà degli altri popoli e come mezzo di risoluzione delle controversie internazionali; consente, in condizioni di parità con gli altri Stati, alle limitazioni di sovranità necessarie ad un ordinamento… Read More ›
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海に出られない午後
またサイクロンが、やってくる。 まさか中心が届きはしないが、最も影響が小さいはずの高緯度国でも、地球温暖化の影響は、避けられないようです。 マリーナに行って、船の寝室のベディングを取り外して、洗濯に持ち帰ったり、風を避けてマリーナにやってきてヨットや船のうえに大量の排泄物を残していくカモメ対策にファイバーオプティックの、光るケーブルを張ったりして、あーあ、今年は、ほんとについてない、と溜息をつく。 もっとも新世代AIのおかげで、退屈することはなくて、Midjourneyのようにフレキシブルで、テキストプロンプトやパラメータで、いろんなことが出来るAIで遊んでいると、子供のときに絵を描く楽しさをおぼえたばかりで、朝から晩まで、夢中になって、目に映るものを手当たり次第に描いていたのをおもいだします。 おもわぬ効用もあって、あんまり開かなくなっていたフォトショップやイラストレーターを開く機会も増えて、ソフトの使い方もアップグレードされる。 ただテキストを書いてもワインを飲みながら、Grammarlyを初め、どんどんAI化がすすむライティングサポートappをオンにして、すぐジャーナリスト/コピーライトっぽい書き方をしたがる相手と言い合いをしながら文章を書いて遊んだりする楽しみもある。 起きてから眠くなって寝てしまうまで、須臾の間で、ではいくらなんでもおおげさだが、あっと言う間で、だんだん判ってきてみると、現代の人間の最大の切なさは、生物的に人間でしかないことで、なにしろ、世の中の楽しいことは、24時間、南も北も、西も東も豊かになったせいで、あちこちで文明が進歩して、地球をクルクルとめぐりながら、例えばLLMならLLMが勝手に進歩していく。 複数のLLMを並べて、プロンプトを引き渡して、LLMに書かせたプロンプトで絵を描いて遊んだりしている人は、実感として判るとおもうが、いま程度のtoken lengthでも、テキストにして書き出させてみると、一日に扱う語彙量は膨大で、すでに生身の人間ならばヘロヘロになる限界まで来ている。 なにしろ、こっちは、普通の、言ってみれば平均的な人間なので、汎用性が高い使い方で、 過去に出来たものの例をあげれば、表計算ソフトや、スペルチェッカーに使う側からは似ていて、便利なところでは、AIをどんどん使うというだけの限定された使いかただが、それでも、 やれることが格段に増えてしまっていて、なにかの弾みで「やる気」が出てしまうと、膨大な作業量をこなせてしまって、こんなことが習慣になったら困る、と考える。 ヨットを海の上で滑らせているときや、ボートの錨をおろして、のおんびり釣りをしたりしているときには、自然が時間の間尺を規定している。 当たり前だが、早回しで鯛を釣るわけにはいきません。 自然が、もともと規定した時間の感覚がどういうものかは、ヨットに乗ったり、農場で羊や雌牛を移動させている人は、体感として判っている。 ところが、自然との接点が少なくなって、従来の「時間」の制約を受けないAIのようなものは、 自然時間から乖離することによって世界の文明を破壊する可能性が十分にあります。 繰り返すと、なにしろ休みもしないので、これからAIが自律的になるに従って、 いったん言語の野に放たれたAIは、するすると人間の届かない段階に自己更新して達してしまう。 その結果は、人間が予想もしなかった高知能のシステムが言語自体も造語を含めた拡張をすすめて、しかも帰納的な思考になれた人間の頭とは、いわば逆方向から、語彙の終点から逆算された演繹的な思考経路で埋めつくされた、文字通り人間にとってはチンプンカンプンな思考を持つに至るでしょう。 危険じゃないかって? 危ないなんてものではなくて、核なんかよりも遙かに、本質的に危険で、 人間の文明が築いた価値を、まるごと前駆文明のように見なして、ゲームを根本から転覆してしまう危険を、高い可能性で持っている。 では、いまのうちに禁止しなければ、という人たちもいる。 いまの時点では、まあまあ、ここでいったん落ち着いて、という実業家グループがいる。 もっともこれは、主唱者のひとりイーロン・マスクが、AI開発のいったん停止を唱えながら、いっぽうでは、内緒で、1万個に及ぶGPUを買っていたことで、 要するに、勝つためならズルでもなんでもするゲーマー族のイーロン・マスクたちが、ITの世界では有名なお人好しのウォズニアックたちの絶対善意を利用して、「ビジネス戦略」として、やってみただけであったのが、あっというまにばれてしまった。 イタリア政府が慌ててChatGPTを禁止したのはバチカンを含めた宗教界からの圧力で、 背景には「人間でない存在が思考するのは神の意志に反している」というキリスト教の信念があります。 人間の好奇心の手は止まらない、なにを決めても、どんなに禁止しても、知的に「おもしろい」ことは誰にも止められない、という怖い現実は、人間が核エネルギーのチャプターで学んだ苦い教訓で、もちろん、今回も、なにを決めても、いったん本質へのpathが見えたAI研究を抑制するのは無理でしょう。 それなら人間は破滅に向かっているんじゃないの? と素朴な疑問を持つ人がいそうだが、たいていの素朴な疑問が、そうであるように、 そのとおりで、多分、AIも建設よりは破滅の方向に通じる道を歩いて行くのでしょうが、 しかし、止める方法もないので、阿Q式に、「いや、どうせ、AIといったって、ほんとうはたいしたことがないから、おれの勝ちだ」と呟いて、ウソッコの勝利感に酔うしかない。 もともとは防御型の戦争文化を持った国が侵略にでると、話が長引く、と歴史は教えていて、 プーチンの戦争を見ていると、ほんとうにその通りで、ロシアのウクライナ侵略は、2023年内に終わりそうもない。 やや皮肉な言い方をすると、前にも述べたようにロシアという国は「戦時下経済を維持するためのものは何でもある」国で、平和時はビンボだが、戦争時のビンボも同程度で、いかにも長期戦に向いた体質の国です。 一方の西欧諸国は足並みが乱れてきて、個人主義社会は有りがたいもので、てんでばらばらに見えても、妥協点を見いだして、かろうじて結束を維持するのも得意なので、なんとかならなくはないだろうが、マクロンのようにポピュリズムとフランス外交の伝統が頭のなかで混ざり合って、相互に言い訳として用意されるような政治思考になっていく人物がキャスティングボードを握っていくと、メルケルがいない欧州は、風前の灯火です。 プーチンは、徹底的に追いつめられたコーナーで、グローブで顔を守りながらダッキングで耐え抜いて、ついに反撃の、一筋の光明を見いだしている。 力になっているのは、国民からの圧倒的な支持で、西側でおおきく取り上げられる反政府、反プーチンの運動に共鳴する人は、ロシア人という人たちの、「祖国の危機」に際しての心理的反応の常を考えれば、多分、1割にも満たない数でしかなさそうです。… Read More ›
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2023
今年も3分の1が過ぎて、ほぼ、どんなことが起こるのか判ってきた、ということになっているので、日本語でも書いておきます。 前にも書いたが、プーチンが暗殺されるか頓死しない限り、あるいはプーチンが突然死亡してさえ、ウクライナとロシアの戦争は2023年の終わりまでには、終わる可能性は殆どなくなってしまった。 もともとロシアもウクライナも、繰り返し述べてきたとおり「戦争に向いている国」です。 国民は素朴、悪く言えば単純で、精神的に頑強で、逆境に屈するというところがない。 何年か前に連作のように書いたとおりで、バルセロナで一緒に仕事をした仲間のひとびとは、 ロシア人とウクライナ人たちで、ニューヨークで自分が属しているコミュニティであるフランス人コミュニティは東欧人やロシア人たちのコミュニティと、とても近いので、このふたつの接点を通して、他の英語人よりはロシア気質が判って、美点は数々あるのだけれど、単純、というよりも、妙に理解が浅いところがあって、しかも浅いところで「勇気」や「徳義」を理解している割には、予想を越えて信念は頑強です。これを軍事の言葉に変えて言えば、兵士、しかも陸軍兵に向いている。 むかし、神風特攻隊の再現ドキュメンタリに出てきた母親が、戦後、何年も経ってから、突然、台所で泣き崩れて、息子の名前を呼んで、許しておくれ、わたしはなんという母親だろう、 あなたが特攻に出撃すると知らされて、立派に戦って来なさいと述べるなんて、 わたしは、なんという悪い母親だったのだろう、と身も世もなく泣き叫ぶところが出てきたが、 ロシアでいま起きていることは、酷似していて、「こんな戦争はおかしい。ウクライナの人たちは自分たちの生活を守りたいだけだ。ぼくは、もう戦いたくない」 と述べる息子に、「戦線にはテレビがないから、あなたはなにが起きているのか判らないのよ。 正しいのはロシアです。ひとりでもふたりでも、ウクライナ人を殺しなさい」と命じて、ロシア人の友だちがいる人はロシアの母親の息子への「命令」が、どんなものか知っているとおもうが、有無を言わさずに、嫌がる息子に戦えと命じている。 あるいは、「きみが恋しい。この戦争は、絶対にヘンだ。こんなところにいたくない」と述べる夫に、妻が「テレビを毎日みているから、情報がないあなたと違って、わたしには祖国が何のために戦っているのか判っているの。殺しなさい。そして、ひとりでも多くのウクライナの女を強姦しなさい。ウクライナ人に必要なのは復讐されることよ」 と、驚くべきことを夫に命じている。 オモチャ屋には、第一次世界大戦のときのイギリスさながらの「タンク・ブーム」が訪れて、T72の玩具が飛ぶように売れて、子供用の軍服を専門に売る店まであらわれている。 キリがないので、この辺でやめるが、兵器と弾薬こそ逼迫しているが「銃後」が、あの盛んな士気では、極端な物資欠乏のなかで、お互いの肉体まで貪りながらスターリングラード攻囲戦を戦い抜いたロシア人は、どうやら、祖国が崩壊するまで長期に渡って戦い抜きそうに見えます。 無能な人間が有能に行うのは破壊だけだという。 プーチンは、この20年でロシアが築いたものを、ものの数週間ですべて破壊してしまった。 いちどはG8のメンバーになっていたロシアは、ウクライナに一方的に侵攻することによって、 プーチンがあれほど大事にしていた「先進国」の椅子を失い、あっというまに世界のなかに座を占める椅子まで失って、いまこの記事を書いている2023年4月の時点では、北朝鮮やイランとおなじ、いわゆる「ならず者国家」に分類されている。 簡単にいえば「大物のイラン」とでもいうところで、ついでに余計なことを述べると、イランはイランで友だちが多い国だが、ごく自然に親切で、50代くらいの人だと「おしん」を見て毎日涙を流しながら育った、という人が途轍もない数でいる、ネトウヨがおおよろこびしそうな「親日」国家で、北朝鮮は、滞在したイギリス人によれば「世界でいちばん純真で素朴なひとびとで、自分が穢れた現代人であることが三日で恥ずかしくなる」というくらいで、ロシア人はロシア人で、多分、欧州系人のなかでは、最も好もしいひとびとなので、 なにか、政治がダメなことと国民性とには反比例のような関係があるのか、と疑いたくなります。 もしかすると、民主制なんていう制度は、人間がよろしくない国民にしか向かないのかも知れない。 閑話休題。 なぜ、ロシアのウクライナ侵略を長々と冒頭で述べたかというと、2024年を待ってくれそうもない日本の大ピンチは、なんといっても、このプーチン戦争が原因だからで、いま小康状態で、なあんとなく「危機は去りぬ」な感覚に陥っている人もいるように見受けられて、もっとヒマと余裕があるときに侃々諤々すればよさそうな問題で、アドレナリン渇望症を満足させて、啀み合っている様子が、SNSや新聞記事を通して窺えるが、あんた、それどころやおまへんのや。 いまはインターネットを辛抱強く使えば、さまざまな統計が公開されているので、日本の財政が破綻寸前を通り越して破綻秒読みのようになっていて、あの植田という人は、どういう剛胆な人なのか、あるいは状況が読めない、とにかくいっぺんはトップに付きたかったマヌケなおっちゃんなのか、日銀マンにも財務省の役人にも訝られているが、それはともかく、経済は不振で….えええ?あれっ? 今年の終わりにも食べ物、足りなくなりはじめるやん、と、ぶっくらこいたのが、取るも取りあえず、バターも塗り忘れたトーストを口に咥えて、ちょっと下に目を落として、よ、よかった、ちゃんとズボンはいてた、とおもいながら、慌てて、この記事を書いている理由です。 日本語ではテレビのニュースかなんかでやっているのだろうか。 やっていて、「へえ、そんなもんか」で、すませてるとしたら、それはそれで凄いね、とおもうが、 食料、ぜんぜん買えてませんやん。 日本は自給率が20%だかなんだかの、「先進国」最低で、しかも農業人口は減る一方で、60年代は「三ちゃん農業」と言われていたのが、じーちゃんが死に、ばーちゃんが死に、ついに残りのかーちゃんもヨボヨボになって、「いっちゃん農業」になっている農家が多いそうだが、いずれにしろ、食料供給が自給も輸入も、増える、あるいは持ち直す可能性はまったく見えなくて、ただ粛々と、日本という国に入ってくる食料が減っている。 Twitterで「コオロギを食えだって、バッカじゃないの」と怒りが盛り上がっていたことがあって、 読んでいるほうも、霞ヶ関にはジャック・アタリのファンがいるのかしら、とニヤニヤしたりしていたが、あれは、いまおもうと、そういう話ではなくて、単純に計算して年末の食料供給量を計算してみたら、「あり?足りないやん」という計算結果が出た、というだけのことだったようです。 フランス革命が起きたのはパンの値段が暴騰したからだった。 当時の時事漫画を見ても、鋤にヴァスティーユの役人の首を刺して世にも凄まじい形相で行列の先頭を歩いているのは中年の「女将さん」です。 日本でも、あれはほんとうは、あんまり暴力的ではなかったらしいが、米騒動、という日本では珍しい民衆蜂起があって、あれも米の値段の暴騰が原因でした。 人間を、ひいては社会を暴力に駆りたてるのは、なんといっても飢餓がいちばんの動力源で、 オカネがなくても、親のすねでもなんでも囓るものがあれば温和しくしているが、 口にいれられるものがなくなると、国民性に寄らず、人間は暴れだすと歴史は教えている。 日本は、なにしろ、そのためだけに社会の全力を集中してきたような国なので、… Read More ›
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午ご飯、なにを食べよう?
なんという映画だったか、もう忘れてしまったが、アフリカ戦線が舞台の映画で、 ドイツ軍の下士官が、兵卒に、生き延びるためには、と説教するところがあったのをおぼえている。 「まず次の飯を食べることを目指せ。それ以外は、なにも考えるな。飯にありついたら、 また次の飯まで生き延びることに集中しろ。他には何も考えなくていい」 子供だったので、この下士官の言葉を神の啓示のように受け取って感心してしまったが、 成長の過程で、なんども同じ言葉を、いろいろな形で聴いたところをみると、 ドイツなんだか、イギリスなんだか、元になる格言のようなものがあるのかも知れません。 それ以来、エマージェンシーモードの言葉として記憶されていて、 ろくでもない人生なので、たいしたピンチもなかったが、例えば、 メキシコの田舎のマヤ美術館で、行きのバスはあっても帰りのバスはなくて、 訊いてみるとタクシーもなくて、 次の朝に、おなじバスがクエルナバカまで行くだけで、 ただの観光客の癖に、あんなバスに乗るおまえが悪い、という。 そ、そんなバカな、第一、こんな物騒で有名なところでひと晩過ごしたら殺されてしまいますがな、と焦ったりしたときに、自動発動されて、帰る方法の探究などはいったん停止して、 次の飯、次の飯、とつぶやきながら10キロほどを歩いて、 街道沿いの半分屋台みたいな料理屋で定食(←プレゼンテーションは酷かったが、めっちゃおいしかった)を食べながら、給仕のおばちゃんと話していたら、 ああ、それなら、この店の前を長距離バスが通るから、それを止めて乗って帰ればいいよ、と教えてもらって九死に一生を得る、というようなときに発揮されていた。 日本で生まれて、日本で育って、日本で生活している人間が、自分が普段生活している社会に対して危機感を持つわけはなくて、 正常なことだが、遠くから眺めていると、日本は、前にも述べた表現をまた 使うと、治療せずに放置してあった慢性病が、次第に嵩じて、いまや症状を発揮して、日本の身体を食いつくさん、としているところで、 コレステロールで血はドロドロになり、血糖値はあがりまくって血管を痛めつけ、 尿酸は、あちこちで結晶化してこびりついて、白血球軍団が、体組織を攻撃すべく、いまや虎視眈々と狙っている。 病気のデパート状態で、それでも目立った症状もなく、ダイジョブダイジョブ、あんた藪医者だねえ、どってことないよ、至って元気、と呵々大笑しながらウーロンハイと焼き鳥の夜を今日も過ごして、隣では死神がApple Watchを見つめながら、 「悶絶まで、あと三日。死亡、一週間前」とつぶやいている。 はっきり言うと、また嫌がられるが、嫌がられないことばかり述べる人は、信用してはいけません。 経済は、心理効果を期待して虚飾の皮を被せて、ついでに日銀を動員してETFで、初めは短期でドッと買って、ばれないで済ませるはずだったのに、ドドッドドッドドッ、ついには ドドドドドドド…..と続いて、あんたはハーレーダビットソンか、というくらい買いまくって、 株価をつりあげてみたものの、売れなくなって、TDKやユニクロの株を握りしめて立ち往生している。 ここで国語の解説をすると、「往生している」というのは、もともと「死んでいる」という意味です。 字義通りに使える、珍しい用例ですね。 財政に至っては、ひとたび日銀サイトのページを開くと、わっはっはっ、と大声(たいせい)で笑いたくなるていのもので、どう言えば、この事態を表現できるか、 「数字になってない」と言えばいいのか、 簡単にいえば中央銀行の役をやっていなくて、 いつもの5円でなくて、50円くらい賭けてもいい、 黒田東彦は、日本国に完全に終止符を打った男として、未来の日本人に記憶されるでしょう。 どういう経歴の人か知らないが、タイプとしては、典型的な後進国の学校秀才タイプで、 東南アジアや西アフリカ諸国の歴史を繙くと、たかが学校で秀才だった記憶を自分の「知力」への無限の自信の源として、国ごと潰してしまった、このタイプの中央銀行総裁は無数に存在する。 日本のような先進国では珍しいだけのことです。 G7参加国なんだからね、日本。… Read More ›
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和をもって尊しとなす
首相という存在ひとつとっても、辞任したばかりのアーダーンで言えば、 就任したときは30代の女の人ということで話題になって、オーストラリア人白人至上主義者にモスクが襲われてイスラム人たちが殺されて、社会が苦しみのなかに落ちると、自分もショックを受けて、弱さを隠そうともせずに、顔を青ざめさせ、ムスリム人たちと一緒になって泣いて、強い指導者を演じようとさえしなかった。 いまの世界では珍しい純正左派で、例えば、実現できないまま引退してしまったが、ニュージーランドの社会構造の根幹を破壊するかも知れなかったキャピタルゲインタックスの導入を公約として、 冨をためらわずに、どんどん富裕層から貧困層に移転しようとした。 落ち着いて考えれば、左翼が現実主義者の集団で、現実社会を建設する「現実をがっちりつかむ両手」を持っている事実ひとつとっても、ニュージーランドは日本とは対極といってもいいくらい正反対の国なのが判るとおもいます。 絵空事はなにも通用しない。 日本では、夫婦は同姓でないといかんとか、夫婦別姓では社会が混乱するとか、日本の人には日本の人の理屈があるのに決まっているが、 特にニュージーランド人だけではなくて、他国人が聞いたら、?????で、 どうして、そんなヘンなことを考えるのだろう、と通常の西洋頭では理解不能な議論が続いているが、 アーダーンは、首相になったときから未婚のままTVキャスターのボーイフレンドと一緒に住んでいて、在任中に妊娠して出産して法の上ではシングルマザーになって、世界で初めてだったか、ブットについで二人目だったか、 首相として公式に産休を取った。 もっとも、当然といえばいいのか、なんというのか、文字や映像で報道されてもこういうことは伝わらないが、社会自体がまったく異なるので、首相といえども、街やスーパーで会えば挨拶くらいはするし、 ボーティー(ボート乗り)で釣りが好きなボーイフレンドのほうも、あのひとは、ぼくやなんかがボートを置いているマリーナのひとつに籍があるので、他の顔見知りたちと同様、暇があれば一緒にマリーナのパブでビールくらいは飲みます。 日本語人は垂直な階層を異様なくらい好むが、英語人は、もともと北海の出なので、水平な世の中を好んでいる。 北海地方は、くっそ寒い上に、ドビンボで、肩を寄せ合って生きていかなければならなかったからで、中緯度の文明に属した国々と異なるのは、高緯度文明にあっては、 村落がひと冬過ぎてみたら、飢えと寒さで壊滅していた、などということはザラにあって、 その運命を免れた共同体も、船大工を動員して急造した船を連ねて、 東へ南へ、あとではコンパスもないのに陸影もない大海を何日も航海して西へ、掠奪しに出かなければ生きていけなかった。 余計なことを書くと、かつては、掠奪にでたときの戦闘に、中心になる男どもだけでは戦闘員が足りないので、女たちも加わって戦士として戦った、とおもわれていたが、調査科学が進み、発掘が進むに従って、女たちは加勢ではなくて、戦争を指導する役割も担っていて、新事実のなかでも、ニュースを聞いて、みながぶっとんだのは、めっちゃ有名な伝説的な将軍が、愛馬と一緒に葬られていた棺を調査してみたら、実は女の人であったことで、かつては架空の伝説と考えられていた、女戦士だけのエリート戦隊も、現実だったことが、いまでは判っています。 英語人や北欧語人が、ごく自然に男女平等指向なのは、もともとは、富裕な社会、例をあげればフランスのように、女の人に社会精神上のノーブルな椅子を与えて、恭しく敬意を持って接するような騎士道が発達しうるほど豊かではなかったからで、匹夫匹婦の、ヒップな社会で、くだらないダジャレを言って申し訳ありませんでした、英語人がレディなんて、田舎者の大根芝居みたいなことを言い出すのは、フランス化したバイキングであるノルマンがイギリスを征服したあとのことで、 それまでは男も女も均しく斧や大刀をぶん回して、殺戮の血を頭から浴びて生活していた。 男同士でも、最後にものをいうのは暴力で、体格が小さく生まれつけば、子供時代から嘲笑されて、意見が対立すれば殴られ、組み敷かれ、言うことを訊かされたが、男女が性別は関係なく共同して暮らしていたと言っても、女の人が常に肉体的なハンディキャップを背負っていたことは、間違いないでしょうけど。 日本は、どうだろうか、というと、暮らし向きが悪くなると、簡単に言って虫がいい条件を押しつけようとする「交易」に乗りだして、海を押し渡って、相手が、それでは商売でなくて、強請りではないか、お断りだね、だから野蛮人は困る、と文明が遅れた者達への軽蔑が滲み出た反応を示すと、翌日、今度は褌一丁に、抜き身の日本刀を担ぐという、すごいカッコで戻って来て、昨日自分たちをせせら笑った奴らを、当たるを幸い切り倒し、ぶち殺して、逃げ遅れた妻や娘たちを、褌を外すだけという簡便さで集団で強姦する「倭寇」と呼んで怖れられる集団で、なにしろ日本人は北海人ほど恒常的にドビンボだったわけではなくて、条件がいい年は海賊をする必要がなかったので、 すぐに大半は辮髪だかチョンマゲだか、どっちだかよくわからない髪型で、 どうも「倭寇」とは言い条、中国の人のほうが多かったようだが、ともかく、 よく考えてみると、やってたことが似ていなくもない。 海賊なかまなのに、と、子供のころ、日本にいたときは、よく考えた。 どうして日本では北海と異なって女のひとたちの社会的地位が低い、というか、地位も居場所もないのか。 自分が属していなくて「外面」しか見せてくれない社会に対しては、よくあることで、理屈でばかり考えるので、米作は麦作よりも圧倒的に収量がおおくて、食料効率がよいので、人口が急激に多くなってひとが十分に数が居た結果、社会役割の分化が起きて、女のひとびとは家事向きの仕事に特化して、男のほうは外に出て「稼ぎ」をもって帰って来ることに特化したのか、とか、基本は男と女は「別の生物」として扱うことになっている儒教の影響なのかしら、とか、現実と接点がない子供の頭でいろいろ考えたが、なにしろ他人事なので、そのうち、めんどくさくなって考えることをやめてしまって、毎日、街がまるごとアミューズメントパークであるとしかおもえない東京で、毎日、ぶんぶん遊んで暮らすことしか考えなくなってしまった。 日本の経済不振の原因は、吝い経営者たちと、「経営者の立場に立って自分の会社を考える」、 なんであんたがそんなこと考えてんの?な、ナゾい日本の被雇用者たちの相手の事情を常に考えすぎる癖によって引き起こされた低賃金の慣習を最大のものとして、 人口減少と老齢化による市場の縮退、マスコミ用語でいう「消費者マインドの冷え込み」くらいが主要な原因だが、チン〇ンが付いてないと社会に居場所が見つからない、という女のひとたちへの、構造と社会心理と文化習慣と、そのうえに言語の構造まで加わった、これでもかこれでもかこれでもか、な女の人たちへの差別も通常考えられているよりおおきな要因に見える。 日本の人は、「一億総懺悔」なんちゃって、大規模演歌みたいな情緒に酔ったりするが、 この一億の半分は、社会の側から無理矢理「お荷物」にさせられている女のひとたちで、例えば経済市場が典型だが、性別による収入の差も加わって、見た目の半分の5000万人も実効的な人口があればいいほうでしょう。 むかし日本にいたときに、「あの人は、女なのに数学が出来てすごいんだ」と目を輝かせて話す大学人がいたり、「ミナさんは、女と言っても、根性があるから」と述べる上司が存在したりして、ぶっくらこくのを通り越して、どう反応するのがいいか判らないことがよくあったが、 考えていたら、チン〇ン付きの側であるにも関わらず、猛然と不愉快になってきたので、 「女だてらに」という、女の人の作家が述べた言葉を、いわば、わざと、あげつらって、題名にして、いまよりも、もっとヘタッピだった日本語で記事を書いたりしたが、そういうこととは別に、かつての北海人たち、ヴァイキングと呼ばれたビンボ人集団に倣って、もういいかげん、女の人たちを仲間とみなせばどうなのか、と、よく考える。 子供のときは、もちろん、やや長じてからも、 「ガメ、今夜、ひまだから一発やろうぜ」 「あー、くたびれた。動きたくない。ガメ、ちょっとタンポン買って来て」… Read More ›
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荒れ果てた地上で、自分たちの住家を探す
急に静かになってしまったがウクライナの戦争は、まだ続いている 静かなのは、まだ消滅してない春の泥濘に加えて、少なくとも英語報道は、例えばウクライナ側はNATOから供給されることになった新しい攻勢に必要な兵器(例:レオパルド2)に習熟する期間や、ロシア側は予想を遙かに越えて消耗した戦力を補充して、イランや北朝鮮、あるいは、こっそりと他国から、兵器や弾薬を買い付ける時間が必要で、それが偶々タイミングが合致して、長期に及ぶ戦争にはよくある、小休止の時期に入っているのでしょう。 北朝鮮は焦慮している。 ロシアに核を使われてしまうと、自国の、核戦力保持を基盤とした安全保障戦略が無効化されてしまうからで、あの貧弱な通常兵器群では、お話しにならないので、 この辺で核弾頭搭載可能なミサイルを盛大にぶっ放しておかないと、西側の口車に乗って、核を諦めて、うまうまと載せられた挙げ句、あえなく殺されてしまったサダム・フセインの二の舞になりかねないのを、賢明な金正恩は、よく判っているはずです。 北半球にいると、判りにくいかも知れないが、オーストラリアは、中国の軍事的脅威があまりに急速に増大するので、猛スピードで軍備を拡充していて、政府のまわりから聞こえてくる言葉を聴いていると、まるで戦争準備そのものに入っていて、数年を経ずに、開戦するかのような勢いです。 Clive HamiltonのベストセラーSilent Invasion以来、与党と野党の両方にオカネを掴ませて、意のままにオーストラリアの国政を操縦してきた中国「外交」の実態や、冗談のような数字だが、百万人を超える中国スパイの暗躍、さまざまな、ぶっくらこく事実が明らかになって、 オーストラリアは、それまでと180度対中国政策を変えて、利益を捨てて、戦う姿勢を示すしか選択肢がなくなってしまった。 習近平の性急な覇権主義は、インド、ベトナム、台湾、いつどこで火を噴くか判らない状態で、 目下は、あちこちの国の知識人やSNSのインフルエンサーにオカネを掴ませたり、 アカウントを濫造して、いつどこで戦端を開くかは100%攻撃側の手中にある、優位を楽しんでいるところです。 ウクライナの関連で、散々報道されてきたロシアは、言うまでもない。 プーチンの下のロシアは、国家というよりも一種の、巨大なKGBとでも言いたくなる振る舞いで、 自由国のあちこちにマーケティングリサーチの研究所や企業だということにして、 サイバー部隊を配置して、ネット上の情報の攪乱操作に耽っているのは、 誰もが知っているとおりです。 次のアメリカ大統領選挙などは、ほんとうに見もので、新世代のLLMが加わって、 猛烈なフェイク動画や画像が出回って、 世界の複雑さに付いていけなくなって、陰謀説の虜になって、トランプを支持したりしているアメリカ国民では、 ひとたまりもないだろうと噂されている。 The world comes undone. なんだか、しつけ糸がほどけてしまった縫い物のようで、 世界を理解するために、刻々と変化する事態を、正確に把握しつづけていくには、 ほぼ通常の人間の動体視力では不可能なところまで来てしまった。 これ以上、例を挙げるのは虚しい気がするので、この辺でやめておくが、 要するに、世界はデタラメになっていて、 下品な日本語を使うと「勝ち組」….この言葉には、良いところがあって、なにしろ本来の意味は、 真実においては敗北しているのに、自分たちが勝ったと思い込んでいる人たちのことなので、 「おれは勝ち組」で、ブイブイ言わせている人に、「すごい。勝ち組ですね」と述べることに一定の楽しみが期待される…は、とっくの昔に世界などは、どうでもよくなっていて、自分の友だちで見ていても、便数を増やせばコストが増えて満席率が下がるだけなので、意図的に便数を増やさないでいて、 ユナイテッドの社長などは、「神が与えたもうた千載一遇のボロ儲けのチャンス」なんて、下品を述べていて、空港のほうは皺寄せで、係員がコスト上、雇えるわけがなく、 数少ない係員の前に、一機到着するごとに満席の乗客がいちどきに吐き出されて、 オークランド空港などは入国するまでに五時間待ち六時間待ちの大行列が当たり前になっているそうだが、わしインテグリティ・ゼロ友のほうは、プライベートジェットでやってきて、 ほんとに通関やったの?と言いたくなるテキトーさで、やあやあやあ、とニコニコしながら空港にあらわれる。 チョッパーホッピングゴルフで、ヘリコプターで回るオカネモチ専用ゴルフ場でニュージーランドは有名だが、いつつある特に有名なヘリパッド、ブティークホテル付きのゴルフリゾートを、ヘリで、ピョンピョンと跳び回って、誰かがマリーナに置きっぱなしにしている100フィートヨット、酷ければ300フィートヨットでパーティを開いて遊ぶ。… Read More ›