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  • 新年、おめでとう

    旧年の澱を掃き清めてピッカピカの新しい年を迎えるのが、日本の「お正月」であるように見えるが、英語圏の正月は、だらしがなくて、新しい年の初めの週末が終わるまでは旧年中であるような、宿酔みたいな、多分、日本の人が見たらヘンテコリンな気がする正月です。 メリハリ、はっきりさせんかい! と述べたくなるのではないか。 お説教を垂れる日本のおじさんに怒られながら、うるせー、でかい声だすなー、おれは飲み過ぎで頭が痛いんだあー、とおもっている自分が目に浮かぶようで情けなくなくもない。 ミミ・ヤマザキ @positivenumber1 というアメリカで起業/投資家をやっているひとが、 イーロン・マスクはtwitterを「ちゃん化」しようとしているのではないかと述べていたが、卓見であるとおもう。 もうひとつNeuralinkに膨大な人間の思考データを吹きこむためではないか、とも述べていて、こちらも、なるへそ、と考えたが、まあいいや、 「ちゃん化」「ちゃん文化」化のほうは、少なくとも日本語では、あっというまに進んで、さっきツイッタの主な話題を眺めていたら、 もうとっくに「2ちゃんねる ver.2」の趣をなしている。 念のために前置きしておくと、「良い悪い」ということではなくて、 「ちゃん文化」と英語世界で名付けられて、sabotage(←日本英語の怠業でなくて、元の「破壊工作」の意味です)とみなした司法当局が動き出した、ネット上で生まれた「思想」の特徴は、人間の品性の最も低いところを狙って打撃する、徹底的な無責任、悪意を基調として善意の価値を信頼しない、というようなところにあるが、日本ではよく「本音」という、イーロン・マスクという人はno rubbishの人で、なんだか冗談のように有能なビジネスマンとしての立場から、ニュージーランドでは首相からしてマジメに信じている考えで、おおきな声でいうと、ぼくも信じている「週4日制・残業なし」なんて、寝言言ってんじゃねーよ、の人です。 Tweetのセンスもお下品を極めていて、あまりにお下品なので、文化サイトの老舗オープンカルチャーなどはツイートを停止してしまった。 世界は禅だ! なんちゃっていたJack Dorseyとは、えらい違いで、気取ってんじゃねーよの南アフリカ人が社主になったせいで、twitterは「ちゃん文化」の根城になろうとしている。 英語ではいまのところ目論見はうまく行っていないが、日本語ではすみやかに変化は進行して、SNSの価値観そのものが、なんだか「21世紀の2ch」みたいなものになりつつあるようです。 善意なんてお花畑、integrityは生産性を阻害するだけ、悪意を含めて「本音」がいいのよ、おれに踏みつけられた奴は、弱いてめえが悪いのさ、は急速に世界に広まりつつある風潮で、ニュースサイトやtwitterを覗くたびにえらいことになっちゃったなあ、とおもう。 もっとも本人は、あと1年しないうちに40歳という、おっちゃんなので、 まあ、もう、なんでも、どうでもいいや、と考えてなくもなくて、 自分でも、そういうことではいけないんじゃないの?とおもうが、 つっかかってくるダメな人を見ても腹が立たなくなってしまっている。 庭の排水システムが、多分、すごい量の落ち葉のせいで、ちゃんと動いていなくて、地球温暖化の影響のゲリラ豪雨、大雨が降ると、片隅が、ちょっとした池みたいになるので、フレンチ・ドレインを導入しないとダメそうだとか、 クラシックボートのひとつが窓から水が染み出るようになって、あれではマホガニーを張り替えなくてはいけなくなるとか、果ては、あんまりおおきな声では言えないが、普段は目を通さない、プロパティレポートをパラパラめくって遊んでいて、二年前に塗りかえたアパートブロックの壁に使った塗料の品質が悪くて、黄ばんで、一棟16部屋、まるごと黄疸みたいになっているが、製造者責任は問えない、とか、 近年、世界中の大都市に共通の問題だが、水道水に混ぜるフッ素の量が桁違いに増えたので温水筒に孔が開くのが早くて、もう取っ替えないとならない、 不動産投資などは、世に様々ある投資のなかでは、チョーのんびりな投資だが、それでもいろいろ細々した問題はあって、たいへんだよね、と他人事のように考える。 ナマケモノで、自分ではなにもやらないからだけどね。 すみません。 モニさんは投資の才能に恵まれた人で、株式投資も、うまいもんです。見ていて感心してしまう。 夫(おっと)っと氏は、というのは、つまり自分のことだが、もともと株になんか興味がないが、つられて、というか、お昼にラウンジで話をするときに株式の話題についていけなくて寂しいので、あんまりたいした額ではないが、株もときどき買う。 ヘンテコリンなことには、買いはするけど、売りません。 だって話題についていくためにやってんだからね。なにも現金にする必要はない ときどき思いつくと、PEから始まって、なんちゃらな数字を見て、 おおお、とおもう企業があると、CEOの経歴やインタビュー記事を読んで、 おもろいやっちゃなあ、とおもえば、買う。 投資、なんちゅうエラソーなものではなくて、ひとつの銘柄で数億円ちゅう程度のミセスワタナベが聞いたら、鼻で嗤って、「かわいい♡」と呟きそうな額です。 あの日本のデイトレーダーの総体を「ミセスワタナベ」と名付けた人は、誰だか知らないが、ネーミングセンスが抜群であるとおもう。 それはともかく。… Read More ›

  • 3x20≠20x3

      20円のリンゴが3個ある。 3個のリンゴが一個20円であるとして、合計でいくら払えばいいですか。 20円のリンゴを3個買うとして、いくら払えばいいでしょうか。 3×20と20×3では異なる。 国語では、異なります。 ところが、算数の問題として、異なる、と3x20≠20x3と述べて「バツ」にしてある答案がtwitterに載っていて、ひどく面白がったことがある。 あるいは、やや性質が違う例を述べると、物理学教授のくせに、そんなこともわからないのか、という調子だったとおもうが、オダキン先生が、 半径17の円の面積を円周率を3.14として、17x17x3.14=907.46は間違っているのだ、と述べたら、いつものこと、 「おれだって、勉強してるんだぜい、きみい」のトーシロ人があらわれて、正しいじゃないか、そんなことも判らないのか、このボケ、ちゅうような調子で叱責されていて、こちらは、知っている人でもあり、苦り切った顔が目の前に浮かぶようで、悪いが、大笑いしてしまった。 有効数字というようなこと以前で、物理だけでなく、当然、数学でも間違っているので、なにかをゼロで割る計算とやや似てなくもない、というか、 意味の無い数式は、科学の世界では、遍く「間違い」です· いったい、こういう奇天烈な「間違いだぜ」議論は、どこから来るかというと、観察したところ、日本では、理系文系と、人類がいままで身に付けた知識体系を、なんらかのテキトー都合で二分してしまったところにありそうです。 3x20と20x3くらいなら、「国語と算数の区別がつかないやつ…」と低く呟いて立ち去ればよいが、これが公衆を巻き込んだ議論となると、おおげさでなくて国運に関わるので、少し立ち止まって検討する余地がある。 日本語では最近完成した流行のスタイルがあって、 例えば、何年も前にいちど彼/彼女が「今夜の夕食」としてインスタグラムに掲載した写真を、数年を経て、またまた「今夜の夕食」と説明をつけて出したのが、運の尽き、 「こいつは信用できないやつだ」ということになって、 「彼/彼女は信用できない人間だから言っていることも全部ウソだ」と述べる。 これを踏み台の「公理」として、次次に、こいつが父親だというのはウソだ。 妻がいるのもウソだ。 ほんとうはプー太郎だ、と推測で「証明」していく。 たいていの場合、人格の全否定につながるようです。 これは、最も恐れられた時代の「週刊新潮」のやりかたなのだ、と述べている人がいたが、蒐集した新潮のバックナンバーは実家に送ってしまって手元にはないが、案外、そうなのかも知れません。 この手法を多用していたのは、日本語世界では圧倒的に自称なのか自他共に認めるのか知らないが左翼/リベラルのひとたちで、ウルフパックというか、 車掛かりの陣というか、お互いに内緒で連絡をとりあいながら、前から面を打ち込み、後ろから足を払って、とにかく相手が精根尽き果ててボロボロになるまで攻撃する。 一方的に、使っているあいだは、よかった(よくもないか)が、最近はネトウヨというかネオネトウヨなのか、あるいはネオ右翼か、こちらの側が 左翼の「手口」をおぼえて、自家薬籠中のものとして、一層洗練された「証明法」に変えて、…と、いま書いていたら「証明砲」と誤変換されて、いっそ、そのままにしておきたかったが、それはともかく、自分たちが、にっくき「相手」をつぶす手法として開発してきたやりかたを、そっくりそのまま自分たちに向けられて、マンガみたい、と言ってはいけません、深刻なんです、なんだか「議論」というようなものは日本語には、もともと存在しなかったのだ、ということが誰の目にも明らかになってしまった。 3x20は国語の世界でも20x3と等しいのね。 交換法則は文系理系を超えて成り立たなくては、文系と理系の、別々のふたつの宇宙が出来てしまう。 戦前の日本に顕著な客観性の喪失、圧倒的な多数の国民が正しいと言っているから、これが真実なのだ、という現実から、どんどん乖離して、原爆を落とされてやっと正気に返った、誰よりも日本の人自身にとっての悪夢だった歴史は、要するに、3x20≠20x3でありうる認識方法にあるようです。 そうして、世界中の日本ファンにとって残念で心配なことには、日本は現実の観察として、戦前に戻ってしまっている。 一触即発、というが、中国政府が尖閣諸島を顕在的に占拠するなり、ロシア政府が北方領土を顕示的に自国領として宣言するなり、ちょっとした引き金がひかれれば、またまた日本は、自分たちの「真理」に搭乗して、攻撃性拡大の道を疾走しだすに違いない。 ナイーブなところも相変わらずで、ほら、縮尺3分の1の、人が乗り組んでコントロールする模型みたいな、不思議な小空母を作っちゃったでしょう? あれはですね。 他国、特にアジア諸国の目には、日本がいよいよ攻撃的な軍事国家に舞い戻ろうと決心したサインにしか見えないんです。 どんなふうに言い繕っても、空母は、機甲部隊以上に攻撃的な兵器の最たるもので、自衛隊という看板を日本国防軍と上書きして塗りかえたに等しい。 中国系友が、「日本人って、このごろ、やる気まんまんじゃん」と笑っていたが、つまり、「ほんとに自衛のための軍隊なのかな?」と疑問視されていたくらいの場所から、そういう目で見られるところまで来てしまった。 もうひとつ。 日本の安全保障については話を複雑にしている要素がひとつあります。 中国は、むかしから専守防衛国家で、例えばいまの政府が台湾と尖閣諸島に、傍目からは異様なくらい拘るのは、このふたつが、中国の人にとっては当たり前のこととして「もとから中国の領土だから」です。… Read More ›

  • 大日本帝国の長い影について

    “I lost 13 other relatives who were massacred. One an aunt,a young aunt, was raped,gang-raped, on the driveway of the club,and then gutted and left to die in the sun” と、当時の日本兵がマニラで行っていたことについて、フィリピンの元外交官、スペイン大使だったJohn Rochaが、日本兵に集団で強姦され殺された叔母を例にして述べている。 あるいは、マニラの女のひとが、 “I saw also people who were still… Read More ›

  • 寒い夏

    熱波に覆われた欧州に続いて、南半球も空前の暑い夏になる、というので、家中のエアコンを点検したり、冷蔵庫の壊れていたスパークリングウォーターとクラッシュアイス機能を修理したりして、万全の備えを目指したが、あにはからんや、おとうとは考えがあまいは、寒い夏で、盛夏の1月なのだから26℃くらいにもなって、稀には30℃に到達したりして、ひいいいいー、あぢー、明日と明後日は、カウアイ島にでも行って、沖合で涼むべ、だったはずが、いま、最近は突然ひとりごとを言う不気味な癖がついたグーグルホームさんに訊いてみると、18℃です。 クライストチャーチかよ、と悪態をつく。 クライストチャーチの人、ごみん。 しかも海上は毎日毎日毎日毎日毎日風が吹き荒んで、見事というか、なんというか、もしかすると、ここ半年くらいも海にでて、陸が見えないところまで出かけて、 甲板の上に寝転がって、燦燦と降り注ぐ太陽の光の下で、見て見ぬふりをするモニさんの視線を意識しながら、チン〇ン虫干し~、とつぶやきながら、素裸でコロコロしたりする喜びから遠ざかっていて、せいぜい風が弱くなったところを見計らって、ダッシュでマリーナに行って、クラシックカーが趣味で、クラシックカーが趣味の人はおもわずひとりで8台くらいもクルマをもってしまうものだが、年柄年中、バッテリーがあがって、ぐああああをしている人なら気持ちがわかるとおり、 あっちのヨットの冷蔵庫がカビで真っ黒になったかとおもったら、こっちのボートのバッテリーがご臨終になってエンジンがかからなかったりして、 おれはボーティングでなくてボートのメンテナンスが趣味なのか、と憮然とした気持ちになります。 日本の人には良いところがたくさんあるが、嫉妬心の強さは世界で一二を争うようで、観察していると、どうも、国民的な性格の悪さ、というものが存在しているのではなくて、「世の中の幸福の総量は定数Kである、」という信念によっているらしい。 信念、あけまして、おめでとう。 と言祝いでいるわけにはいかなくて、幸福どころか、利益の総量も、もっというと未来の総量も、定数Kであると固く信じている節がある。 別に定数はKじゃなくてもいいんだけどね。 Aでもαでも、なんなら「定」でもいいはずです。 いや、定だと寝てるあいだにチン〇ンを切り取られてしまうかもしれないから、ヤバいかしら。 なにを言っているか判らない人は「阿部定事件」をしらべてみるように。 だんだん日本語になじんでくると、要するに、世上に流布する「幸福」のイメージと合致する自分の生活を描写すると、あとあとエライことになるのであって、なんでんかんでんウソだということにされて、竹矢来に囲まれたネットの河原で、磔台に、裸でくくりつけられて、やれチン〇ンがおおきく見えるのは、あれはハリボテだの、ハンサムちゃんなのは、高須美容形成外科なのだの、バカだなお前、高須先生のご専門は包茎チ〇チンの皮むきだぞだの、お下品なウソと中傷にさらされることになる。 しこうして、日本円で十億円や二十億円程度のオカネモチならば、なんのことはない、近所を見渡しても、やっと不動産バブルが終わりそうだとはいえ、家一軒がそのくらいの価格なので、ただ住家(じゅうか)を購うだけで財布がカラッポになるだけなので、カラッポはイタリアの町の名前みたいで楽しいが、世の中にはRatesという恐ろしいものがあったりもして、毎年オークランドカウンシルに貢がなければならないので、土台、生活そのものは日本のサラリーマン氏とたいして変わらなくて、現に仲良しの近所のおっちゃんも、アメリカでグーグルに就職した娘さんが、誕生日に買ってくれたとかいう銀色ビッカビカのBMWのX3に乗り換えるまでは、アウロラというオーストラリア・トヨタがデザインして製造した、パチモン・クラウンのようなクルマに乗っていた。 ところが、善行を積めば、神様のおぼえもめでたくオカネは勝手に増えていくので、なんちて、そんなことはもちろん嘘っぱちで、世の中不動産バブルだったからだが、あっというまに二倍五倍十倍に増えて、もっと増えちゃったりして、そうなると、前にちょっとマジメな話として記事に書いたが、 表面にはなかなか出ない、いまの世界の流行、誘拐を心配しなくてはいけないよ、と警備会社のコンサルタントの人に言われるようになる。 悪意の人があちこちに潜んでいる日本語ネットなので、ここで立ち止まって、念の為に述べると、「警備会社のコンサルタントなんて、経団連の会長でもつかねえよ、嘘松x2」とか、件のお下品僻み大王な人々がやってきそうだが、あのですね、英語社会では、ぜーんぜんオカネモチじゃない、ふつーの家でも、たとえばオークランドでいえばMatrixのような警備会社と契約して、オンラインのセキュリティシステムを家のなか、必要があれば外回りにもめぐらして、クルマのリモートキーより、もうちょっとちっこいくらいのリモコンキーを渡されて、えーとですね、1がセキュリティシステムのロックで、2が解除、3はゲートの開閉、4はガレージドア、1と2を同時に押すとエマージェンシーで、例えば庭に見知らぬ人がいる、ちゅうような場合に使ってください、5分で来るからね、どうぞよろしく、なんちゅうのは普通のことです。 ここでまたまた日本語ネット名物悪意のゲラゲラおじさんたちのために述べておくと、そんなアホなおっちゃんたちを視界にいれておくと、こうやって話なんて進みゃしないから日本語社会では、なにも前へ進まないのではないかと、ときどきおもうが、まあ、それは、さておいて、 「えええええええ!? セキュリティシステム?警備会社? ニュージーランドって、そんな危険な国だったんですか。 もっといい国だとおもってた。 日本のほうが安全でいいですね」 と、わざわざ述べに来る人が、驚くべし、必ず存在する。 そういう愚かなオタンチンではなくても、へえええ、なんでだろ? と思う人もいるはずなので、いつもは全くやらない説明を、なにしろ新年なので、すると、セキュリティ、というか、ニュージーランドは、ちゅうよりもアメリカ合衆国をのぞく英語世界は、むかしから、めったらやたらとコソ泥が多いんです。 ほおーら、やっぱり、セキュリティが悪いんじゃん、日本の勝ちだね、ニッポン、すごい、という声が聞こえそうだが、例えばオーストラリアとニュージーランドは、いまのような貧富の差がどこの国でも広がって、修復できなくなった世界になる前から、アメリカと並んで、貧しい人間と富裕な人間の格差が世界でいちばんおおきなみっつの国だった。 オークランドでも、南のほうに行くと、子供が裸足で歩いていて、知らない人は「ニュージーランド人は町で裸足で歩くって聞いてたけど、ほんとなんだね、そういえばガメも裸足でフィッシュ&チップスを買いにいってたものな」というが、現象はおなじでも理由は異なって、南の子供は、真冬でも裸足なんです。 日本の人の感覚だと、ちょっと信じられないかもしれないが、靴を買うお金がない。 ここでもまためんどくさいことわりをいれると、いつか「内務省の懇親会に出席したら」と、うっかり述べたら、案の定、エースのジョーは宍戸錠の綽名で、あの人メキシコ映画に出てるんだよね、三船敏郎と並んで圧倒的な人気を誇っていたらしい、「ほおーら、やっぱりガメ・オベールは右翼だ。 靖国礼賛のクソガキだ」と述べておおよろこびしていた、著名なアホの左翼のおっさんがいたが、あのね、それは日本の「内務省」は憲兵の元締めで共産主義者の拷問に明け暮れたりして、専制の象徴だったでしょうけど、あんたは、どうしてそういつもいつも思い込みが激しいアホなのか、 自由社会では「内務省」はただの行政機関で、わかりやすそうな言い方をすれば、「われらの内務省」なんです。 政府は、自分たちがつくったものなのね。 ええかげんにせえよ、みっともない。 内務省のコンサルタントに採用された元コソ泥のおっちゃんのインタビューを読むと、なにしろ生まれてこのかた、泥棒以外、オカネを得る方法を知らなかった、と述べている。 他に収入を得る方法なんて知らないから、子供のときからオカネが必要になると、北の富裕な地区に行って、金目のものを盗んでくるのが日課だった。 ナイーブにも、結婚式の公告を新聞にだして、セキュリティ会社に告げないままにしておくと、ほんとに必ずと言っていいくらい、ドロさんがやってきます。 わし友は、もしかして、とおもったのでしょう、ラウンジに、盗られてもいいや、とおもう金目のものを置いて、幾許かの現金と一緒に置いて、 「出来たら、普通の仕事についたほうがいいよ」とメモを書いて、家に帰ってみたら、… Read More ›

  • スタートライン

    日本が、ここまで表面では破綻なくやってこれたのは、緊急に対応しなければならないことに対して何もしなかったからだ、というと、逆説を弄んでいるように聞こえるが、事実で、手術で根治させなければならない病気を対症療法だけで放置していれば、少なくとも暫くのあいだは表面はなにごともなくて、身体にもメスをいれた修羅場の傷は付かず、傷痕も残らない。 例えば真皮癌ならば、痛みさえなくて、普通に暮らして、なんだかニコニコして暮らしているあいだに手遅れになって、皮膚の下で身体中に癌が広がって、あっけなく死んでしまう、ということがありうる。 日本の人は何もしないためなら何でもする、と述べた、あっさりほんとうのことを言うという、とんでもないことをするニュージーランド人だか連合王国人だかがいたが、日本の人たちが何もしないことに固執するのには、改革のために身体を動かして、通りに出るのをめんどくさがる国民的な怠け癖もあるが、例えば政治でいえば、麻生太郎首相のころに、いくらなんでもこれではあんまりだと考えて、乾坤一擲、親代々の自民党への投票をやめて、民主党に票を貢いで、民主党を政権につけてやったところまではよかったが、この民主党が政権担当能力をもたない割に「わたしがいなければ国は亡びる」と言いたげな、自己陶酔にひたいやすい人たちの集まりで、暫くすると、反自民なら正義という自分の幼稚な考えに、おもいきり実生活上で仕返しされることになった。 民主党が政権についたころ、ぼくはちょうど日本で数ヶ月を過ごすことにしていて、夏をすごすことにしていた軽井沢は、なにしろ軽井沢といえば鳩山様で、民主党の基盤だが、政権の終わり頃には、土地の「有力者」のおっちゃんやおばちゃんたちが「もう民主党は、こりごりだ」というほどになって 子供のときに、政治家のおっちゃんが、家のラウンジで、お茶を飲みながら 「役所の改革というのは黙ったままやらないと、うまくいかないんだ」と話しているのが聞こえてきたことがあって、へえ、そういうものか、と子供なりに感心したのをおぼえているが、鳩山由紀夫首相は、「官僚組織を改革する」と正面から高らかに宣言していて、聞いた途端に、ラウンジのカウチで、ショートブレッドをやけにたくさんつまみながら、紅茶を飲んでいた、でっぷりおっちゃんの言葉を思い出していた。 やっぱりダメだったんだよね。 宇宙人、無能の人、と呼ばれて、散々だったが、その評判の半分は、マスメディアのネガティブなイメージ作りと、役人の怠業に近い非協力のせいだったでしょう。 日本では不思議なことに、新聞社を初めとするマスメディアが政府や大企業と仲良しクラブで、社会で優秀と目されて、未来の選良とお墨付きをもらった若者は、マスメディア、政府、アカデミア、大企業のどれかを選ぶことになっていて、例えば、ついこのあいだまでは東京大学の法学部で優秀な成績を収めていれば、朝日新聞に論説委員候補として入社するか、地方有名国立大学教授になるコースで大学院に進むか、あるいはI種公務員試験を受けて上級公務員を目指すことになっていた。 この仲良しクラブに入ることは、重要で、これはこれで、大学よりも中学の名前が重要であったり、軽井沢の別荘がすぐ近所であったり、同じゴルフクラブに入っていたり、中ではまたいろいろな結び付きがあるが、マスメディアが、この「支配層」の一角を占めていることが日本の、いまに至る重篤な慢性病の理由になっている おおざっぱに述べれば、そういう仕組みで、省庁の局長と論説委員が同じ学校の同窓生であったりもするが、それよりなにより、役所とマスメディアと政治家の利害が共通しているというデタラメさなので、鳩山由紀夫のように、周りがいっさい目に入らず、空気を読む習慣もなく、頭のなかで考えたことが瞬間的に現実の形をなしてしまう、悪くいえば狭い信念の人、思い込みの人は、がっちりと手を組んだマスメディアと役所の抵抗には、なすすべもなかっただろうと、別に、そんなに考えなくても、世のなかの常識として判る。 おおきな失望に叩きのめされて、日本の人は自民党支配に回帰していった。 いっそ、なにもしないほうが、よかったのではないか。 それやこれや これやそれや ところが自民党支配に回帰してみると、自民党は、借金ハヨ返せ、と銀行に恫喝されるまでに落ちぶれてビンボだった野党時代が、マネーバッグとして党籍を置いていただけの党員たちを、振り落としていて、 立党50年の綱領に明記されている憲法改正を政治的主張とする、政治理念を一にする、ネオ自民党とでも呼んだほうが良さそうな政党に変質していた。 そのネオ自民党で熱狂的に支持されたのが安倍晋三で、第一次こそ正面から戦前回帰をめざして失敗したが、今度は、多分、ビル·クリントン大統領のやりかたに学んだのでしょう、広告代理店ブレーンをうまく使って、広告手法そのまま、アベノミクスのカタカナ語を打ち出して、一方では官邸に権力を集中させることで、変わらない、変わろうとしない国を変えていった。 国が変わる、というと、あ、いいことだ、と単純に喜んでしまう人が多いが、 あのね、この場合は、実は悪いほうに変わっちゃったんです。 ひとつには、なにしろ現ナマをつかませなけりゃ、誰も動きゃしねーよ、のお国柄なので、動かぬものを動かすために、オリンピックをでっちあげたり、福島第一事故処理を、まるで経験のないゼネコンに、ぶん投げたりして、考えてみると、良い方に変わるはずがなかった。 「理研のワカメちゃん」という、むかしのコマーシャルだそうだが、利権のバカメちゃん、などといって年長友のひとびとは喜んでいたが、笑いごとではなくて、利権利権利権で、例えばマイカードがそうだが、どんなに「なぜ」が判らない面妖な事業でも、利権の行き先、オカネが辿り着く先が判れば、すっきり全体図が見えてしまう。 利権の都合でなにもかもが決まってしまう、遠くからみると、 「マジメにやってんの?」な国が出来てしまった。 その結果が、表面下の慢性病のうち、まず初めに劇症を引き起こして誰の目にも明らかになりそうなのが、財政危機です。 出来の悪い近未来SFみたいだが、「日本円紙幣は来年にも紙屑になる」と述べる投資家は、世界中にゴロゴロしている。 実は真の問題はオカネが実際に紙屑になるかどうかではなくて金融プロたちが、すでに円を危ない通貨として、そういう目で見ていることのほうにあって、その顕れのひとつが、ロシアのウクライナ全面侵攻のときに、「有事の円」のはずが、従前とは逆に下がったことでした。 しかも2022年には、絶対にやれないはずの実質利上げに踏み切ったので、しかも「ここまでしか頑張ってもやれない」という利上げの幅まで見せてしまったので、ずっと昔から、多分2025年と書いてきた大崩壊が、2023/2024年に起こる可能性が高くなってしまっている。 では、どうするか。 ずっと昔、たしか12年前に、ほら、「ラナウェイズ」という記事を書いたでしょう? https://james1983.com/2021/04/12/runaways/ 逃げちゃえ逃げちゃえ、いま、うまくいってるって、騒いでるけど、この先、絶対いいことなんかないから、さっさと日本から家出して、故国を助けたければ、海外で身に付けたものを持って帰って助けたほうがいいよ、といろいろな記事で述べて、具体的な方法や、やりかた、向こうについたら、どう考えればいいか、ということまで、たくさん書いていたころは、ある意味では、気楽なものだった。 まず第一にコロナが世界を変えてしまった。 次にプーチンが世界を壊しにかかっている。 習近平の剥き出しの野望は、アメリカとのデカップリングが象徴するように、ひとつだったサプライチェーンをふたつの敵対的なチェーンに分断しようとしている。 世紀初から、ここまでの世界の繁栄を支えてきた安定が失われたわけで、 そうなると投資家心理として、自分に近いほうにオカネを投資する。 おなじ西洋世界 おなじ英語世界 おなじ国内… Read More ›

  • イタリア・フランス・スペイン

        1 高速道路 一日400キロ、というような移動距離になると、高速道路が大嫌いなわしでも高速を使います。田舎道は景色はいいが危ないからな、景色がいいと前をあんまり見ないモニが運転しているときはもっと危ない。 うっかり、あっ、牛さんだ、とかゆってしまうと、モニは前を見るのをきっぱりやめて、「ガメ、どこに牛がいるの?あっ、ほんとうだ、かわいい」とジッと見ている。 とっても、怖いです。 だって、クルマ、狭い対向車線の道を100キロとかで走ってるんだからな。 そこへいくと高速道路は安全である。 大陸欧州人は、方向指示器なんてめんどくさいものは使いません。 無論法律では車線を変更するときにはインディケーターを点滅させることになっているが、誰も使わん。 方向指示器を使うのは、自分が移動したい先に相手がいる場合、「どいてどいてどいて」という意味で使う。 イタリアからスペインまで似たようなものだが、微妙に違うところもある。 フランス人は歴史を通じて凝りすぎて破滅する、というオモロイ特徴をもった民族だが、高速道路でも凝っていて交通量が多い区間になると下り坂の制限時速が90キロで上りの制限時速が100キロ、というようなところがたくさんある。 上り坂のはじまりで渋滞が始まることが多いからです。 芸が細かい。 それがイタリアにはいると、トンネルの入り口も登坂のはじまりもおかまいなしに110キロ、とかであって、イタリアだのおー、と感心する。 むかしは大陸の高速道路をクルマで移動するたびに、車線をまたいだまま、ずううううっと走っておるやつや、車線と車線のあいだを、ゆーらゆら、ゆらゆーら、渡り歩きながら運転しているやつがいるのはなんでだ、と思っていたが、モニさんが運転する順番のときに、追い抜きざまにどういうひとが運転しているのか観察することにしたことがあった。 フィアットのちっこいのが、3車線のあいだを右から左、左から右に、大胆にふらふらしながら走行している。左から右に移動しだしたタイミングをみはからって、モニさんが、ぶおおおおおーんと加速して、びゅんと追い抜きます。 追い抜きざま、わしはこのフィアットを運転している若いねーちんが、何をしているのか見てしまった。 何をしていたか、というとだね、聞いて驚いてはいかむ。 スパゲッティ食べてんだよ。 時速130キロでクルマを運転しながら、スパゲッティ。 わしは、スパゲッティを食べながらクルマを運転するひと、というのを初めて見ました。 それですっかりオモロクなってしまって、次から次に「ふらふら運転」をしているひとを観察してみると、携帯でテキスティングをしているひとが最も多い。 次は携帯で話しているひと。 なんか食べてる人、というのもその次くらい。 要するに大陸欧州人たちは高速が退屈なので、いろんなことをやりながら高速道路を運転する。 だから、ふらふらしておるやつが多いのだ、というフィールドリサーチどした。 フランスはやたらカネを取りたがるが、スペインはただの高速道路が多い、とか他にもいろいろ違いはあるが、最も異なるのは運転者気質で、印象としては、 イタリア人:スピード狂 フランス人:運転が悪辣 スペイン人:なんも考えてない ついでにコモ湖のような一定の観光地域に行くと、いっぱいうろうろしているアメリカ人観光客についても述べておくと アメリカ人:運転がドヘタ というところであろーか。 アメリカ人はすれちがうのがやっとの道でセンターラインからはみだしたまま、へーきで走ってくるような、 免許、もってるのか、ボケ、と思う人が多かった。 多分、マニュアル車の運転に慣れていないからではなかろーか。 モニとわしのクルマはフランスナンバーなので、スペインの高速道路では、なああーんとなく恐れて側に寄ってこない。 町の悪党って、こんな感じかしら、と思ったりして、ちょっとしたやくざ気分を味わうのであります。… Read More ›

  • 軍靴の響き

      横浜の山下公園から再開発された赤レンガ倉庫を通って演習用の帆船日本丸まで遊歩道があります。 わっしはむかし横浜の「おばちゃんの定食屋」さんへゆくと、だいたいここをぶらぶら歩いて帰った。行きは横浜駅から水上バスでどわどわどわとエンジンの音が響く水上バスで行く。 この頃はクルマで行くので通らなくなっちった。 シカゴの会社がつくった日本で初めての鉄橋も非現実的なくらい狭い血湧き肉躍る狭軌の線路の跡も、もう見ることがなくなった。   最後にここを通ったときのことをまだおぼえています。 高校を中退して大検で大学にはいった韓国系日本人の友達が大学を卒業したので、わっしはお祝いに日本にやってきた。 ふたりで中華街で酔っぱらってへろへろと大観覧車のほうへ歩いていった。 ジエータイのひとがいっぱいおる。 みんな久しぶりの休暇なのでしょう。 楽しそうである。 写真を撮りあって笑いさざめいています。 みていて楽しくなるような光景です。 にこにこして見守っていたおじちゃんのひとりが、若い人たちが楽しそうにしている様子を見てなにかしてあげたくなったのでしょう。 「ぼくがみんなの写真を撮ってあげようか」と女の将校に申し出た。 おじちゃんはびっくりしておったな。 女将校が、「いいえ、これはわたしたちの夜なので結構です」とずいぶん強い厳しい口調でゆったからです。 他の自衛官も、みな迷惑そうにいっせいにそっぽを向いておる。 おっちゃんは別に酔ってはおらなかった。 見た目もふつーである。 そばで見ていて、わっしも驚いた。 書いてあらわすのは難しいが、その瞬間的で厳しい拒絶にはどこかしら異世界のものの誘いを拒むような調子があったからです。 第一、わしの国なら集団の軍人に親切にする物好きなんていねーよ。   おっちゃんがニンニクを食べ過ぎて口が臭かった、とか、 わしのたっているところからは見えなかったが、おっちゃんが羽織っていたカッチョイイバーバリのコートの下は実は裸で下半身が露出されておったとか。   そーゆー理由でしょうか。   わっしがいま泊まっていてモニとふたりで遊びほーけている日比谷のホテルではいろいろな国の将官が集まってPACCS(よくわからんが、多分、Post Attack Command and Control Systemかな?)の巨大コンファレンスを開いているもののようです。 制服のひとがいっぱいうろうろしておる。 モニとわっしは広尾のアパートに忘れ物をしておったのを思い出して駐車場からクルマを出して取りにいった。 タクシーをとめるために立っているだけで行き倒れになりそうなくらい湿気がすごいのでやむをえない。 アパートのライティングデスクを開けて、忘れていたものを取り出してニャハハあったと喜んですぐにホテルに戻ってきた。… Read More ›

  • 暗くて長い夜の前に

    「暁(あかつき)に祈る」という言葉が、希望をこめて明日を祈っている姿ではなくて、 シベリア収容所で、懲罰として、真冬の原野に、杭にくくりつけられて凍死して、がっくりと首をうなだれた、無数の日本人捕虜の姿を述べた言葉だと知って、茫然とした気持というか、凄惨さに心が空白になってゆくような気持ちになったことがある。 ロシア兵の、戦闘の外での残忍さは、伝説的なほどのもので、中世から近代に至るまでの、主に貧しい地方の出身の兵士達の、野性、といいたくなるほどの生命力の逞しさと、表裏一体のものだった。 少しでもロシアの戦争史を読んだことがあれば、地方の貧しい兵士たちを中心に構成されているというロシア軍が、ウクライナで行っていることがどんなものであるか、あんまり、たいした想像力は要らないようです。 特に日本の人の場合は、1945年に始まるスターリンの満洲侵攻に遭っているので、「ロシアと戦争をする」ということが、どういうことであるか、わかりやすいかも知れません。 零下30度というような原野で、薄着一枚で立て杭に縛り付けられて、ときには将校の気晴らしの遊び半分で、放置されて、放置したことを忘れて、置き去りにされたまま死んでいった日本の人たちは、どんな気持ちでいたか、例えば石原吉郎の造型した言葉を使って、近付いてみるのは、良いことであるとおもいます。 これから困難な数十年に挑むことになるに違いない、日本の人たちのことを考えていて、不吉ではあるけれども、極く自然に、「暁に祈る」という言葉を思い出していた。 破壊的な寒気は、ゆっくりと拡大する戦争、世界中で、すでに目に見えはじめている燃料と食料の不足、予測より遙かに早く進行している温暖化を基調にした地球環境の変化、…と、よくもまあ、これだけ平仄をあわせて、ずらっと並んだものだと呆れた気持ちになる世界の環境で、身体の自由を縛って動けなくしている立て杭は、「日本の人の固陋さ」なのでしょう。 寒さを感じていたのは、もう、ずいぶん前のことで、寒気が痛みに変わり、痛みも感じなくなって、感覚を失いながら、生命のある肉体から、だんだん、無機物に自分自身が変化していく過程に、いまの日本社会はある。 アベノミクスを掲げた安倍政権の「改革」が始まったとき、そのころには、もう、なんだか集団で個人を攻撃するプロのような、相手を貶める、ありとあらゆる技巧を身に付けて長じていた「ネット言論人」に嫌気がさして、親切心などは、微塵もなくなっていて、金輪際、日本の社会の問題には口出ししないぞ、と決めていたにもかかわらず、いくらなんでも、これは酷い、だいいち危ない、そんなことをやったら「近代日本」と呼ばれてきたものが、まるごと、根底から崩壊してしまう、と焦って、それだけは止めないと、どうにもならなくなる、基礎が破壊されてしまう、と無暗矢鱈と記事を書いたが、結果は予想どおり、日本のサヨク人が「ガメ信者」と嘲る、少数のネット上の友人たちが理解して、なにがやってくるかを悟っただけで、 嘲笑と冷笑の洪水で、じゃあ、アベノミクスでなければ、なにがあるんだ、と居直られただけだった。 なにがあるか、のほうは、アベノミクスはダメとおもう、という記事よりも、更に多い数を書いたが、こっちは、多分、読みもしなかったのか、反応は限りなくゼロに近いものでした。もしかすると日本の人は「いまがいかにダメか」のほうは興味があるけれど「では、どうするか」のほうは、あんまり興味がないのかも知れません 予想どおり、というようなことではなくて、物事の理(ことわり)に従って、日本は、そこまではどんなに経済政策で誤謬をおかしても、ヤジロベエが傾きを自己修正するように、経済を修正してきた、錘(おもり)にあたる部分、個人の貯蓄や国内市場の国債購買力から来る安定した財政、イメージしやすいように、単純化した個人の例でいえば、貯金がふんだんにある、堅実で勤勉、質素な経済活動が営々と築いてきた「日本」という看板の信用が、あっというまに崩れてしまうのに、十年かからなかった。 なんども聞かされて、うんざりだろうけど、現在の日本の状態は、明治以来の伝統を持つ日銀が中央銀行としての機能を放棄した挙げ句、有名無実をそのまま具現化したような存在になって、まるで財務省の走狗のような存在としての思い切った「大活躍」のはてに、来年初頭の黒田東の退任を待たずに、ご破算で願われてしまっていて、後任と目される人が、次の総裁に名指されまいとして必死に逃げ回る、他国からみればドタバタエンターテイメントのような状態になっている。 中曽根の「審議会方式」に淵源をもつ、民主政治の有名無実化は、安倍政権の官邸主導政治で完成して、こちらは、やってみて始めて、ちゃんと思惑通りに動かないので、散々いらいらさせられた政策立案と実行が、省庁自治、と呼べなくもなかった中央集権が利かない霞ヶ関におおきく依存していて、 というよりも、自分たちが自己評価していたほどの能力が首相と官邸中央にはなくて、政策実行面では無政府状態と呼んだ方がいいほどの、ムダだらけの、まわりに常に群がっているハイエナがオカネを毟り放題の、病身国家になりはてて、いまはもう、機能停止に向かっていると言いたくなるほど麻痺している アベノミクスのときに「基礎が破壊されている」と、しつこく述べたときに、「基礎」には、実は文化は入っていなかった。 谷崎潤一郎、小津安二郎、鮎川信夫、岩田宏、西脇順三郎、…名前をあげていくと、視覚芸術の名前を挙げおわって、音楽に移行するころには、なんだか名前が羅列された分厚い本ができそうなほどになってしまうので、具体名をつくせはしないが、病膏肓で、ついには日本語という、他人(ひと)は知らず、自分にとっては、普段の生活では、まったく使う機会がなく、仕事にも役にはたたず、有り体に言って、単なる時間の浪費でしかない言語習得にまで乗り出すほど、ベタ惚れに近い気持ちを日本文化に対して持っていたので、よもや日本文明の根幹をなす文化が衰退するとは考えていなかった。 考えていなかった、というよりも、衰退が起こりうる、ということに現実感が持てなかった。 日本語社会のなかで暮らしていると気付かないのは、あたりまえだが、外から見ていると、いまの日本語世界で起きていることは、ひとつひとつの事象は、ここでは挙げないが、異様で、傷ましくて、目をそむけたくなるほど、酷い。 以前から、というのは、日本語になじみはじめた十年前くらいから、日本語が、どんどん、現実の細部を描写し、それを受け手が読み取る能力を失いつつあることには気が付いていたが、いまではもう、なにもかも粗筋が判れば物語が判ったことになるなんてのは、当たり前で、平気の平左で、若い中国人たちは、二時間の映画を早送りで一時間で観てしまう人が多いが、テキストベースで、日本の人は、若い人に限らず、いいとしこいたおっちゃんでも、早送りのうえにとばし読みで、もしかして、単語から単語へ、しかも自分が理解できる単語だけで、単語八艘飛びをしているんじゃないの?といいたくなるくらい、杜撰の杜氏もびっくりの、すさまじい「読解力」になりはてている。 ホラー映画によく出てくる、切っても切っても勝手にスイッチがはいって鳴り出すステレオセットのようなもので、頭のなかで、ちょっとでも自分が知っている単語があれば、ぼく知ってるもん、言われていることと、まるで関係がなくて、知っているだけの知識を頭のなかで鳴らさないと気がすまないので、話者が相手を尊重する親切な人であると、話がまるで関係がないほうへ飛んでいってしまう。 日本語から最も失われたのは「品位」で、論理性が強い一方で、感情表現を過剰に抱える日本語を腐敗から救ってきたのは言語としての品位で、品性の高さだが、それが失われて、聴いているのが苦痛なほどパブリック性がない言語に変じてしまっている。 絵柄ならば、西洋人の目には、現実性を欠いておおきすぎる目、誇張された胸、おもちゃ売り場に愛玩人形として並んでいそうな表情で、幼児性愛を連想させて、げんなりだが、それはそれで、文化の性格なだけで、前にも書いたが、スイスとドイツの国境で むかしむかし、子供のころ、でっかいチン〇ンを咥えて、上目遣いに見上げる若いにーちゃんの表紙写真を観て、ほんとうにひきつけを起こしそうになった元子供としては、コンビニに、あんなもん置くな、という気持ちは判るが、悪趣味として述べるべきことで、正義として語り出せば、どんなことになるか、江戸時代の浮世絵がどんなふうに受け取られたものだったか、あるいは逆に、ヒットラーがピカソもゴッホも一緒くたにして「頽廃芸術」として公開を禁じた過去を思い出せば簡単にわかりそうなものです。 正義を、コントロールフリークたちの手に与えてはいけない。 個人としては、日本文化の、どんなに低俗で醜悪な現実を描いても、凛として品位の高みが失われないところが好きだったので、いまの状況は残念というしかないが、それは文明の性格というべきもので、黙って立ち去ればいいだけのことなのでしょう。 そんなことを言われて、日本語を母語とするひとたちが嬉しいわけはないが、「日本語が亡びるとき」という水村美苗の本が出て、14年経ったいま、本のなかで危惧されていたことが、より一層凄惨な姿で現実になった世界に、日本語人は生きているのだとおもいます。 十年ちょっと前に、こんな詭弁遊戯じみた「言論」に現(うつつ)を抜かしていると、テロの時代が戻ってくる、と書いたが いまはもうテロに訴える感受性はすっかり日本語社会に戻ってきていて、現実にテロはおおきな影響力を持ち始めている。 どんなに酷い状態になっても、渦中にいて、その社会のなかで暮らしている人たちには、悲惨は、意外なくらい感じられないのは、戦時中の日本やドイツで書かれたものを読めば、その内的な心理機制を含めてわかりやすいので、そういう文章をひとつは読んでおくのがいいかも知れません。 日本語人は、ここでも、伝統に従っていて、公的文章の体裁をしたものよりも日記や手紙のほうに、素晴らしい文章があるようですが、読んでみると、人間の勁さというものがよくわかって、相当な逆境でも、日常として淡々と処理していける能力が人間には備わっている。 日本の人の側にばかり立つのをやめて、少しだけ、ぼくが立っている場所から日本の社会がどんなふうに見えているのかを書くと、 踏切で、列車が迫っているのに、下を向いて、チョークで落書きをしている子供や、驀進してくるトラックと、ちょうど衝突するタイミングで、交叉点に向かう自転車を、ビルの高い屋上から俯瞰しているような、もどかしいが、自分が立っているところからは、どうにも出来ないような、そういう気持ちでいます。 正直に言って、もうここまで来てしまうと、もとから自分が書く文章に、他人、しかも言語を異にするひとたちに些かでも影響を与えるちからがあるとおもったことはないが、それにしても、なすすべがなく、当の日本の人たちにとっても、やれることなどなにもなくて、embrace yourself、これから経験するに違いない文字通り苦難の日々を、それでも人間性を失わないように、あるいは人間性を持たない人間たちを極力遠ざけて、生きていくしかなさそうです。 おおきな背景には、地球人口の増加、ということがあって、それが目にみえない、ゆっくりとした、でも確実な影響を人間全体の文明に与えていて、 世界は、毎年、無慈悲な場所に変わってきている。 COVIDパンデミックが、それに拍車をかけた、という面もありそうです。 きみとぼくが、どうやったら、ここから先を人間として生きていけるか、… Read More ›

  • 2023年へ

      問題は山積している。 いっそ、世界は深刻な問題で取り散らかっている、と言いたいくらい、問題の山が、そこここにある。 オカネでたいていの問題は解決してきた日本語世界も、例外ではなくなっている。 理由は簡単、「もうカネがない」からです。 普通の国になってしまったので、普通の国らしく、問題が起こるたびに、いちいち知恵を絞って対処しなくてはならなくなってしまった。 これは案外日本国民にとっては、たいへんな負担であるはずで、なにしろ、70年近くやらないですんでいたことを、使わないですんでいた国家思考を、埃まみれの暗がりがから出してきて、埃をはたいて、やれやれと呟きながらフル稼働させなければならなくなった。 むかし取った杵柄、という言葉もあるが、使わなければ錆び付くのが能力で、 超健全な財政と常にオカネを稼ぎ続ける経済という大前提が共に消滅してしまったので、でかい船内機がふたつとも故障して、おまけにオートパイロットまで壊れてしまった船で、帆をあげ、櫂を漕がなくてはならなくなった、というか、十のことをやるのに必要な労力がゼロだったのに、いきなり二十も三十も労力を費やさねばならなくなって、日本の人は、もともとが勤勉で文句を言わない体質なので、なすすべなくぶくぶくと沈没する事態にはならないだろうが、他人をくさすのが才能で、自分のたいしたこともない能力は異常に高く自己評価して、腕組みして、ほら、腕の振り方が悪い、そんな順番で作業するなんてバカじゃねえの、と冷笑を浮かべてエラソーにしているシロアリ世代などは舷側から海に放り込んで、捨てて、もう批評家はいらねーんだよ、ばあーか、と溺れるにまかせたくなる日が、来るかもしれません。 いろいろ、たいへんなのよ。 男女差別というが、西洋社会でいう性差別ですらなくて、女の人が男の人に少し甘えて、下から、ぼくを見上げるときの、少し上目使いのきみの顔が好きだよん♡、な、あの感覚は、日本文明が延々と培ってきた「日本」そのもので、あれを、例えば、ガメ、酒、買ってこい、あ、ついでにおれのタンポンも買ってきて、のニュージーランドなみの社会に仕立て直すには、いちど、ぼくに向かって「武士の情けで、そこまでは言わないでいてやるが」と述べた、もっかはフェミニストで、「肉体的な性別は存在しない」で、肩で風を切るおっさんがいたが、その武士道を捨て、敬語を捨て、一人称の性別固定を捨て、正座の美しさを捨て、なにもかも捨てて、ほんじゃ、いっそ英語にして生活も社会もアメリカ人になっちゃえば、な、大変革というのも愚かしい変革に乗り出さなければ、「フェミ」とか「アンフェミ」の、謎の語彙も消滅しないまま、おまえは女なんだぞバカ野郎の男と、女も人間なんだぞ、なんで判らないのか、バカかおまえは、の男と女の対立は、どんどん深まって、陰にこもって、社会は救い難く住みにくいところになっていくに違いない。 性差別は、多分、いまのやりかた、ジェンダー差別の解決のお手本を西洋、それも英語世界にとって、性差別を生む認識の歪みを矯正して、なんとか女の人も人間として生きていける社会に変えていく、というやりかたでは無理で、こうしないとダメなんじゃないかな、と考えることがいろいろあるが、そんなことをやっていると、実は、ここに書いていることは、本日の本題ではなくて、どんどん本題から離れてしまって、いつものことじゃん、と言ってはいけません、本題の岸辺に泳ぎもどらねばならないので、また今度ね、ということにしたい。 いろいろ、問題はある。 経済も、ほんとはね、実はチョーたいへんなので、円安はいったん小康を得ているが、長期的には円安傾向が避けられない、と眉をしかめて、センモンカのひとびとが深刻な顔で、あるいはヘラヘラしながら、テレビカメラに向かって述べているが、もっと深刻なのはvolatilityの増大で、こっちは、なぜそうなったのかというと、要するに日銀が機能を放棄してしまったからです。 名指しはお下品だが、黒田総裁という人は、登場したときから、このブログでは、とんでもない、とんでもない、とんでもないx8、と叫んできたが、財務省が日銀に送り込んだ刺客なんじゃないの?と言いたくなる人で、アベノミクスの8年間に支えられて、見事に日本の中央銀行を破壊してしまった。 いまの状態は、FRBが日本全体のポジションを決めているようなもので、 糸が切れた凧で、来年は、日本の国民が苦境に陥った場合、アメリカとの政治交渉以外には有効な対策を打ち得ない、という、絶句するような構図のなかで、ひとりひとりの日本の人が過ごすことになる。 経済・金融上部でのvolatilityの増加によって引き起こされる、やばい、国の独立性がなくなる、な問題は、センモンカの皆さんに啓蒙をお任せするとして、卑近な現実としては、こういう例がある。 ポンッと、円が安くなる。 そうすると、鶏の唐揚げを例にとれば、プーチンがウクライナに攻め込んで、暴騰ちゅうのひまわり油の代替品であるカノーラオイルが暴騰する。 する、ていうか、もうしてるんだけどね。 日本の「唐揚げ」はカノーラオイルやサラダ油、カノーラオイルの混ぜ物で出来ていて、これの価格が跳ね上がります。 というか、しつこいようだけど、もうすでに上がっている。 鶏はタイから来るのが多いはずだが、タイランドはタイランドで飼料が高くなって、これも上がる。 そうすると、唐揚げ一個30円の利益があったものが、20円になり、10円になり、5円になり、やがては赤字を揚げているような商売になって、 旦那、これで、商売あがったりなんて、ダジャレにしても、冴えなくて、笑えねえんですぜ、という事態になっている。 やむをえず、日本の小売市場では、あれは「お客様は神様」だからなのかしら、なぜか禁じ手の、「値上げ」をするしか選択肢がなくなる。 有馬敲が書いている 「 値上げは ぜんぜん考えぬ 年内 値上げは考えぬ 当分 値上げはありえない 極力 値上げはおさえたい 今のところ 値上げはみおくりたい すぐに 値上げを認めない 値上げがある としても今ではない なるべく値上げはさけたい 値上げせざるを得ないという… Read More ›

  • メリークリスマス! あるいは、微小な光について

      支払いの長い行列ができている。 Fruit & Vege. スーパーマーケットよりも安くて新鮮な野菜や果物が並んでいるのでオークランド人は、たいてい野菜と果物は、町じゅうにある、この、たいていはアジアの人が経営している「八百屋」で野菜を買います。 中国の人が八百屋で成功するのは理由があって、たとえば霧状の水をかけて果物や野菜の新鮮さを強調する、というようなことはニュージーランドでは戦前に移民してきた中国系人たちが考え出したことだった。 まだ欧州系人たちが、野菜といえば、くたくたになるまで水煮するか、ローストにするかしか知らなくて、「サラダ」は上流階級の食べ物だった頃で、中国系人たちの「陳列した果物や野菜の見栄えをよくする」というようなことは劃期的なことだった。 だからモニとわしも、自分達で買うときには、億劫がらずに「八百屋」に行く。 ターメリックはインド系夫婦が経営している、あの店、パクチョイが欲しいときは広東人の夫婦の店、パパイヤはマレーシア人たちが展開しているチェーン、というように得意不得意があるので、買うものを考えて複数の店によることもある。 なにしろヒマなバカップルなので、おいしいメロンを買うために、遙か南の、20キロくらい先の果物屋に行くことまである。 長い行列も、たいして気にならないので、今年はメロンがおいしそーだね、と話しながらモニとふたりで待って、自分達の番になった。 行列とはまったく反対の方向から割り込んで、袋売りのブドウをレジのおばちゃんに突き出しているひとがいる。 行列に割り込むのは、前にブログに書いたように日本ではときどきあったが、ニュージーランドではとんでもないことで、全身、顔から腕、ショーツから突き出した足にまで入れ墨でおおわれて、顔じゅうピアスに覆われているにーちゃんやねーちゃんでも、そんなことをするひとはいません。 いままでニュージーランドに住んでいて、若い中国系の女の人がひとりいただけだった。 ところが、レジのおばちゃんは、モニとわしのほうに向いて、目顔で「この人を先にしてもいいか?」と訊いている。 それはダメですよ、と言おうとしたら、モニさんが頷いてしまっている。 (相変わらず、わしはマヌケである) その、行列を頭から無視した(多分マオリ人の)ホームレス然とした男の人は、白く塗ってはないが、よく見ればそれと判る盲人用の杖を持っている。 「いくらぶん、欲しいですか?」と、さっきまで大声で他の店員と怒鳴りあっていた…と云っても、中国の人たちの会話は往々にして「怒鳴りあい」に聞こえるので、もしかすると普通に話していただけなのかもしれないが…わし耳には怒鳴りあっているようにしか聞こえなかった応酬をしていたおばちゃんが、仏頂面で、唐突に不思議な質問をしている。 袋売りは袋売りなので、「いくらぶん」もなにもなくて、現にブドウの棚には「ひと袋19.99ドル」という価格がついていたではないか。 目の見えない男の人は、いや、このままでいいよ、という。 レジの不機嫌顔のおばちゃんが、「19.99ドルです」と告げると、男の人は、突き出していた10ドル札を引っ込めて、ポケットを探りはじめる。 男の人が「やっぱり…」と言いかけたのと、モニが20ドル札をレジの人に渡したのは同時だったとおもう。 なおもポケットを探っている男の人に、レジの人が、強い中国訛りの英語で、 「この若い女の方(young lady)から、もう頂いたから、そのまま持っていっていいです」と述べている。 男の人は、ポケットをまさぐっていた動きが止まって、「ありがとう」と呟いてから、こちらに向かって、とみえなくもないが、実際には、まるで天井の向こう側にいる神様に告げるように上を向いて、とてもとてもおおきな声で 「メリー・クリスマス!」 と言ったんだ。 行列のひとたちも、モニも、わしさえも、みなが口々に「メリー・クリスマス」と暖かい声で応えて、目が見えない男の人は、去っていった。 ほんの一瞬の出来事でした。 モニとわしは、自分達の買い物の10ドルの支払いをしようとしたが、レジおばちゃんは、 「もう頂いたから、いりません」と、なんだか、にべもなく、まだ喧嘩をしているさいちゅうのひとのような強ばった顔で述べるので、モニとわしは、あっさり降参して、ただ「ありがとう」と言って店を出た。 クリスマスホリデーに出かける前の晩、夜中に、家の前に駐めたクルマのタイヤを切り裂かれて、 「わたしたち家族には、タイヤを買い換えるオカネがない。どこの誰だか知らないが、わたしたちのクリスマスホリデーを台無しにしてくれて、ありがとう」とクルマの持ち主が憤懣をぶつけるように書いてクルマに貼りだした紙を読んでいた女の人が、クルマをUターンさせて、タイヤショップに向かっている。 この先に、紙を貼りだした、タイヤが四つとも切り裂かれたNISSANが駐まっているから、大至急タイヤを換えて、ドアをノックして伝えてあげてください。 この女の人が困惑したことには、この話は、予定通り家族でドライブ旅行にでかけることになったひとたちの口から新聞社に伝えられて、おおきなニュース記事になってしまった。 「知らないひとたちだけど、近所の人が酷い目に遭って、嫌だなあー、と考えた。 自分はオカネモチではもちろんないけれども、オカネに少しは余裕があるのだから、ああいうことをするのも、ちょっと良い考えではないか、とおもいついた」とインタビューに応えて述べていた。… Read More ›