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  • 日本語という病 2

    To know two languages is to posses a second soul. とカール大帝が述べている。 この人は読み書きが全く出来ない多言語話者だったので、言語は読み書きが出来る人間にとってよりも生々しい存在で、単純な実感を述べたのだろうとおもいます。 Cognitive scienceが発達した現代では、言語の違いが世界認識をどう異なるものにするか、いろいろなことが現実/科学の裏付けを伴って判っていて、その一端は、例えばLera Boroditskyが、余計な事を言うと彼女にとって第四言語である英語でTEDで判りやすく述べている。 ここで紹介されているアボリジニの部族Kuuk Thaayorreが「右」や「左」という自己から見た相対方向感覚を持たずに、いわば自然の絶対座標である東西南北を用いて、「きみの右にいるカンガルーは」と言わずに「きみの北北西にいるカンガルーは」と述べて、あるいはLera Boroditskyが例に挙げるように 「きみの南西方角の足に蟻がいる」というような言い方をすることや、英語で淡い青も濃い青も色彩カテゴリとしては同じ青色であるのに、ロシア語では淡青色はgoluboy、濃い青色はsiniyで異なる色彩として意識されている、というような例は、言語と認識の世界では有名な例です。 英語人が、まず青色であると認識して、そこから濃淡を見極めていくのに対して、初めから異なるふたつの色として淡青色と濃青色を認識しているロシア語人は、青い色彩の認識速度が英語人よりも物理的に速いことが知られている。 カール大帝、シャルルマーニュが言うように、実際に、ふたつの言語を話す人がふたつの魂を持つかどうかは、ひとまず置いて、言語が世界認識、ひいては思考におおきく影響することは、ふたつ以上の言語で思考できるひとにとっては、ほぼ直感的にも明らかでしょう。 日本語でフォーラムやslackの閉じた空間をつくると、内部の空気が異常なものになって、ほぼ狂気と呼ぶに相応しいものになりやすい。 観察していると、日本語の場合、参加者が、なかよし同士、同調する発言しか出てこないので、互いに「それはちがうのではないか」と批判修正しながら観察や考察が深まっていくかわりに、全員の「空気」が向かう方角を、たいした検討もなしに、てっとりばやく「真」であるということにして、頌を謳ったり、憤激が暴走する。 日本語にも、科学技術が発達した社会の言語には遍く存在する、十分な論理的表現能力が備わっているが、厄介なことに情緒や感情を輻輳する表現が過剰に豊富で、話者が十分にそれを意識できていない場合には、「感情オバケ」のような言語に姿を変えて、「自分が正しいとおもったことが正しい」「あいつは嫌なやつだから言うことはすべて虚偽である」という、野蛮な、愚かなことこのうえない「論理」を展開しはじめる。 しかも、ときには、それを言語集団まるごと展開するので、あっというまに社会全体が狂気に囚われてしまうのは、ISISなみの乱暴さで国家をつくっていって、いまに禍根を残す明治時代や、太平洋戦争に向かった時代の日本の、あとで振り返ると唖然とするほど謬った考えを、いわば国民全体で信じ込んでしまって、歴史に珍しい国家的暴走を繰り返したのは、それこそ日本語の本でも、書いてあるものが、いくらでもあります。 日本語は、感情と距離を保ちにくい言語で、社会全体が論理性や知力への拘りを怠るようになると、俄然、恣意と感情に振り回される集団狂気の伝播媒体になる。 いまは、ちょうど日本語にとって、また訪れた、その時期で、正直に述べて、他言語人から見て、びっくりするような、いまの日本語社会の不誠実さや愚かさは、「感情的に受け入れられる発言ならば現実とは異なっていても現実だということにしてしまう」日本語の強い意志が引き起こしたように見えます。 ほんとうは真実でないことが真実と印象されることによって、話の前提がおかしくなって、なにしろ現実でないことを現実のように見せかけた嘘話を現実として共有しながら話が進んでいくので、どんどん話が奇妙になってゆく。 例を挙げても仕方がないような気がするけれども、具体例を挙げるのは、癖なので、挙げると、 「風評被害」は、どういう形で、いつ顕れるかは判らないが、危険であるに決まっている放射性物質が収拾がつかないほど拡散してしまった事実を認めたくない社会としての「気持ち」が強かった結果、生まれた言葉だった。 あのとき、具体的には福島事故の細部には、たいした関心を持たないで眺めていた日本趣味のひとびとのあいだですら、「食べて応援」のフロントに出て、大口を開けておにぎりを食べたりしていた人たちが、さっさと死んでしまったりしたことが話題になって、「でも日本の人が、因果関係を認めるわけないからなあ」と述べて、要するに他人事で、しばらくは顔を見合わせていたが、すぐに意識からなくなっていった。 日本社会にも風評被害ではなくて現実の危険なのではないか、と述べるひとたちも、いるにはいたが、「そんな不確かな中傷をして東北の人達に申し訳ないとおもわないのですか」という「真摯」な声に圧されて、沈黙していった。 COVID禍が起きて、欧州やトランプのアメリカで人がばたばたと倒れて、それであるのに日本ではパンデミックが拡大しないと看て取ると、すっかり嬉しくなってしまって、「日本人は民族として特別にコロナに強い体質だ」 「いやあ、BCG接種がよかったんだね」と、あたかも無知蒙昧なひとびとのように盲目的なことをのべあって、頌を謳いあげはじめてしまって、折角、オリンピックも一年延期したのに、そのあいだにいったい何をしていたんだ、と怒り出す人たちが出てしまうほど、まったく何もしないで、ウイルスが拡散して猛威を揮うまで、ほったらかしにしていた。 当たり前だが、時期は異なっても、日本でもデルタ・ラムダ変異株によって被害が出だすと、驚くべし、無意識に「通りでひとが倒れて死ぬ」という海外から頻々と伝えられた絵柄を怖れてでもあるのでしょう、病院の通路にベッドを並べて、野戦病院化させて必死に患者を救うよりも、公の目には触れないように「自宅で死んでね」ということにして、これに「自宅療養」という、なんだか理屈のうえから言って訳がわからない名前をつけることになった。 見ていて、あんまりだ、と考えた人がツイッタなどで、おかしいのではないか、と述べると、それが言葉の誤魔化しにすぎないと判っているひとびとでさえ、「日本は言霊の国だから仕方がないんですよね」と、自己を無力化して、澄ましている。 江戸時代の旅籠では、川が増水して渡れなくなって、宿泊客があふれだすと、畳一枚のおおきさもない衝立をたてて、ひとつの部屋をいくつにも別れた部屋として使ったというが、なにがなし、そういうことを思い出させられる、言語の現実からの乖離で、日本語という言語には、どうやら、都合がわるくなって、にっちもさっちもいかなくなると、現実を切り離して、無念無想の境地に入ってしまえる能力が備わっているようです。 戦後日本の歴史を見ると、こういう状況に至ると、必ず、これは現代のインパール作戦なのだ、敗走を転進と言い換えた歴史の繰り返しだ、ずるずると戦争を始めて、負けを認めなかった軍部と同じだ、という声があがるが、その反応自体が、日本語世界のなかで、いわば予定された、カタルシスを求めた紋切り型の批判で、現実から言葉をそらす役割をもっていて、「慰安婦」問題批判や、政府の方針を激しく非難して、まるで自分の日本語人として省みるべき責任や罪への免罪符とみなして、自分を加害者集団から切り離して、他人を攻撃することによって、逆に糾弾者として振る舞うことを可能にする。 外から見ていると、全体が、日本語世界的な、外からみると国民をあげての欺瞞でしかない、内側を向いたゲームで、ああ、またやってるんだな、と皆がおもっている。 日本語の外で普段暮らしているほうは、いつまで同じことをやっていられるか、いつまで堂々巡りを繰り返して倦まないか、に興味が遷っている。… Read More ›

  • とりとめのない一日

    soldering、という。 ハンダ付けのことです。 まあーたあー、ハンダ付けのことならsolderingなんて英語で言わないでハンダ付けでいいのでわ、とおもったそこのきみ、ところがですね、solderingの歴史が長くて、生まれたときに、生まれ落ちた瞬間、三歩歩いて、スタスタスタ、手にもったハンダゴテで天上を指して、我にハンダを与えよ、さすれば、地を空にハンダ付けして世を作らん、と述べたと噂される、わしとしては、ハンダ付けでは言葉にたちこめるべき錫と鉛の匂いや実感がなくてsolderingはsolderingなのでハンダ付けなハンダ付けはsolderingが異なる…なにを言ってるんだか、訳がわからないんですけど。 ともかく、solderingを友として、25Wな楽しみに耽り、ときどき15Wと浮気してしまったりして、危険な関係を楽しんで暮らしているわしとしては、いつものごとく寝転がって、パラパラと、往年の電話帳より分厚い、電子部品/工具チェーンJaycarのカタログを繰っていた手が、はた、と止まります。 え、LEDが付いているのか…! 多分、ずっと前から出ていたに決まっているが、ハンダゴテに、日本語では、なんというのか、ハンダをジュッと溶かす鉄棒の周りを、四つのカッコイイLEDが取り巻いている。 マジスカヤバイカッコヨサジャナイスカ。 スカ。 ハンダゴテを新調すればハンダゴテスタンドも新しくなければ気分として困るので、スタンドを見ると、Soldering Iron StandとDeluxe Soldering Iron Standがあります。 ふつーのやつが$11.9でデラックスなのが$21.9 すごい価格差の割には、矯めつ眇めつみても、スポンジも両方ついていれば、コイルがくるくるしたスタンドの形状もおなじで、なにが違うのか判らないが、大気(たいき)者の、リミュエラ長者と言われる(言われてるんですか?)わしとしては、すなわち、デラックスを選択せざるべからず。 気が付くと、モニが横にいて、カタログを傍らにおいて、いまや55インチモニタの画面を見つめてオンラインショッピングに耽っている、わしの選択を面白げに観ている。 「デラックスがいいのか、ガメ?」 という。 言ってから、失礼にも、ククク、と笑って離れていった。 えええー。 ひどいー デラックスいいじゃん。 だから奥さんもデラックスを選んだのに。 なんちて こういう、昔からあるものは、ちょっと眼を離していると、抜け目なく進化していて、例えば、いままで12年余に及んでわしが使ってきたDC12Vチャージャーはただ闇雲に電流を送り込むだけだが、いつのまにか、おおきさが同容量で三分の一になって、鉛蓄電池とリチウムイオン電池を自動的似判別して、100%充電する手前で充電が止まるようになっている。 利便もたいそう改善されて、端子もワニさんクリップだけでなくて、スペード、輪っかのやつや、いろいろな端子が取り替えられるようになっています。 最近で、いっちゃん驚いたのはXiaomiの空気ポンプで、充電バッテリー駆動で、手のひらに入るくらいの大きさなのに、自動車の空気まで充填できる。 インフラタブルのディンギィを膨らませるなんて、あっというまです。 市場がグローバルになって参加者が多い競争になっているからなのか、どんどんどんどん、技術が進化し、使い勝手がよくなってゆく。 なんという、良い世の中。 などと、長すぎる前置きのようなことを考えながら、ブレッドボードでつくって動作を確認しておいた、当たるも八卦、当たらぬも八卦、電子筮竹回路を搭載した基板に部品をハンダ付けしながら、映画を観ている。 東アジアの映画は、むかしは、日本の映画を観ていたが、50~60年代より後の映画は、どうにも相性が悪くて、面白いと思えないので、日本にいたころ「韓流」と名が付いていて、軽井沢の近所のひとなどは、是非、見ないとダメよ、ロマンチックでいいわよ、なんちゃっていても、なんだか剥きたてのゆで卵みたいな印象の顔が並んだ俳優さんたちの顔を眺めているだけで、観る勇気が出なかったが、例の、A Taxi Driver(邦題:タクシー運転手)で、すっかり見直してしまって、ソン・ガンホ主演の映画を全部観て、すっかり日本映画の座を奪って、取って代わってしまったが、その続きで、昨日は「KCIA」を観ていました。 キム・ジェギュ(金載圭)がパク・チョンヒ(朴正煕)を暗殺した事件を扱った映画で、韓国のひとびとが、戦後、一歩一歩、民主社会を勝ち取っていく歴史を描いた映画のご多分に洩れず、たいへん面白い映画だった。 おおげさに述べれば、ハッとするシーンもあって、パク・チョンヒとキム・ジェギュが、ふたりだけの部屋で、食事をつつきながら、共に革命(と、いっても通常の歴史認識ではクーということになるでしょうが)を起こすべく決死で起ち上がったころの思い出話をするのに使う言語は日本語なのです。 1963年から1979年まで大統領だった朴正煕は、日本名、高木正男、旧帝国陸軍士官学校の出身であり、その朴正煕を殺害した南山の中央情報部長金載圭は、日本名、金本元一、日本帝国陸軍の特別幹部候補生でした。 かつての盟友朴正煕を殺害するときに金載圭は同席していた恨み骨髄のチャ・ジチョルも同時に殺しますが、チャ・ジチョルは、アメリカの士官学校ウエスト・ポイント及びレンジャースクールに留学した人で、考えてみれば、日本語世界を背景とした金・朴の時代から、アメリカの影響が強い時代に社会の指導層が移行する劃期としてKCIA事件は位置している。 そういうことが、よく判るように描かれた映画で、観ているうちに、自然に60年代~90年代の韓国史の本を買い集めたくなって、よい映画を生み出せる国というのは、こうやって自分の文化への理解者を国外に育てていくんだなあ、と考えたりする。… Read More ›

  • 日本語という病

    正しい言葉を選べなければ正しい考えはもちようがない。 美しい言葉を持たなければ、美しい感情を持ちようがない。 言語と認識や、認識と現実についての、やや複雑な関係を述べなくても、ほとんど誰でも直感的に判ることだとおもいます。 わしがアジアの言葉のなかで、ベンガル語か日本語か、少しだけ迷ったが、 日本語を選んだのは、北村透谷の透明な怒りの言葉の美しさと、鮎川信夫の、それこそ「水の表面で跳ね返る魚の一瞬のきらめき」のような美しい表現に打たれたからでした。 子供のときに日本に住んでいた楽しい記憶が支えになってくれたけれども、多分、それだけでは日本語を追究してみようという気にはならなかったでしょう。 ひとによって、ガ、ガ、ガビーンと反応する言葉の作者のタイプは異なるが、わしの場合は、くどくなるといけないので、ひとりづつだけ挙げると、 フランス語はブリジット·フォンテーヌで、 スペイン語はパブロ·ネルーダ ロシア語は、笑ってはいけません、t.A.T.u.というデュオの歌を作っていたチームのひとびとで、もっともこれはさすがに、前からウラジミール·マヤコフスキーが読みたくて、ショボショボと捗らないオベンキョーをしていたのが、このひとたちのYa Tvoy Vragという歌の歌詞の Дым сигарет Старый букет Сутки смотрю в телевизор Настеж балкон И молчит телефон というところがえらく気に入って、ブースターが点火されて、赤ブーストで、そのころは、寝言までロシア語で述べている、と笑われたりしていた。 透谷と鮎川には「打ち砕かれた気高さ」という共通点がある。 透谷は「漫罵」のなかで、 「国としての誇負(プライド)、いづくにかある。人種としての尊大、何(いづ)くにかある。民としての栄誉、何くにかある。適(たまた)ま大声疾呼して、国を誇り民を負(たの)むものあれど、彼等は耳を閉ぢて之を聞かざるなり。彼等の中に一国としての共通の感情あらず。彼等の中に一民としての共有の花園あらず。彼等の中に一人種としての共同の意志あらず。晏逸(あんいつ)は彼等の宝なり、遊惰は彼等の糧(かて)なり。思想の如き、彼等は今日に於て渇望する所にあらざるなり。」 と書いているが、遊惰を貪り、人生上の成功の階梯をのぼることをすべてと考えて、他人を冷笑することしか知らない、明治日本人に 「帰れ、帰りて汝が店頭に出でよ」と絶望の叫びを投げつけて、25歳で自殺してしまう。 死ぬまでに、この輝かしい、純粋な魂に投げつけられた、卑劣な言葉、嘲笑はたいへんなもので、最後に拠った「女学雑誌」から冷遇されることで、自分の人生はここまで、と見限って日本語世界から去ってしまう。 もともとは、気が遠くなるような透明な抒情を描く天才抒情詩人だった鮎川信夫は、帝国陸軍兵士としてサイゴンに送り込まれることによって、服従と、暴力と、疾病と死が否応なく襲いかかる、人間性の最後の一片まで剥ぎ取られる、例の日本的な「気取るな、体裁を捨てろ、泥水をのめ」な、徹底的に人間性を破壊する集団生活のなかで「かつては人間だった存在」として、生ける屍として復員して日本語に戻ってきます。 日本語人には、自分より高みにある魂を持った人間をみると、どうでも、みなで吊し上げて、自分たちが這い回る泥濘のなかに引きずり下ろそうとする強い傾向があるが、その結果、透谷は生命を絶ち、鮎川は魂を壊されてしまった詩人の苦さをかみしめながら、ただ自分の人間の文明を批評する力によって、かろうじて生きた。 その結果、口にこそださないが、彼は、徹頭徹尾、日本人を憎むようになっていきます。 表情も変えずに、時には微笑さえ湛えながら、このひとは日本人という集団のどうしようもない下劣さ、平たい言葉を使えば、ゲスさを、冷徹な目でじっと見つめながら生きていった。 それでも晩年は、さすがに、もう疲れてしまっていたのでしょう、自分の気持ちを隠し通すことが出来なくなって、週刊誌を舞台に、彼を崇敬の眼で仰ぎ見ていた「進歩的知識人」や学生を含めたリベラルたちを驚倒させる、タブー破りばかりの、いってみれば「ナマ」の真実を読者につきつけていく。 最も有名な戸塚ヨットスクール肯定、戸塚宏のどこが悪い、に至って、鮎川は、そこまでに築き上げた「真実を見抜く人」の神話的な信用をすべて失い、「狂ったのか」「ボケたのではないか」 今度はいっせいに浴びせられる悪罵のなかで、本来、読まれていくべきだった、日本を救い得たかもしれない文明批評の数々までが葬られてゆく。 後から来て、傍でみている人間にとっては、簡単なことで、鮎川は「日本語世界」というものに、明らかに絶望してしまっていた。… Read More ›

  • 北村透谷

    (この記事は2019年2月19日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲載です) 「今の時代は物質的の革命によりて、その精神を奪はれつゝあるなり。その革命は内部に於て相容れざる分子の撞突(たうとつ)より来りしにあらず。外部の刺激に動かされて来りしものなり。革命にあらず、移動なり。人心自(おのづか)ら持重するところある能はず、知らず識らずこの移動の激浪に投じて、自から殺ろさゞるもの稀なり。その本来の道義は薄弱にして、以て彼等を縛するに足らず、その新来の道義は根蔕(こんたい)を生ずるに至らず、以て彼等を制するに堪へず。その事業その社交、その会話その言語、悉(こと/″\)く移動の時代を証せざるものなし。斯の如くにして国民の精神は能(よ)くその発露者なる詩人を通じて、文字の上にあらはれ出でんや。  国としての誇負(プライド)、いづくにかある。人種としての尊大、何(いづ)くにかある。民としての栄誉、何くにかある。適(たまた)ま大声疾呼して、国を誇り民を負(たの)むものあれど、彼等は耳を閉ぢて之を聞かざるなり。彼等の中に一国としての共通の感情あらず。彼等の中に一民としての共有の花園あらず。彼等の中に一人種としての共同の意志あらず。晏逸(あんいつ)は彼等の宝なり、遊惰は彼等の糧(かて)なり。思想の如き、彼等は今日に於て渇望する所にあらざるなり。  今の時代に創造的思想の欠乏せるは、思想家の罪にあらず、時代の罪なり。物質的革命に急なるの時、曷(いづく)んぞ高尚なる思弁に耳を傾くるの暇あらんや。曷んぞ幽美なる想像に耽るの暇あらんや。彼等は哲学を以て懶眠(らんみん)の具となせり、彼等は詩歌を以て消閑の器となせり。彼等が眼は舞台の華美にあらざれば奪ふこと能はず。彼等が耳は卑猥(ひわい)なる音楽にあらざれば娯楽せしむること能はず。彼等が脳膸は奇異を旨とする探偵小説にあらざれば以て慰藉(ゐしや)を与ふることなし。然らざれば大言壮語して、以て彼等の胆を破らざる可からず。然らざれば平凡なる真理と普通なる道義を繰返して、彼等の心を飽かしめざるべからず。彼等は詩歌なきの民なり。文字を求むれども、詩歌を求めざるなり。作詩家を求むれども、詩人を求めざるなり。  汝詩人となれるものよ、汝詩人とならんとするものよ、この国民が強(し)ひて汝を探偵の作家とせんとするを怒る勿(なか)れ、この国民が汝によりて艶語を聞き、情話を聴かんとするを怪しむ勿れ、この国民が汝を雑誌店上の雑貨となさんとするを恨む勿れ、噫(あゝ)詩人よ、詩人たらんとするものよ、汝等は不幸にして今の時代に生れたり、汝の雄大なる舌は、陋小(ろうせう)なる箱庭の中にありて鳴らさゞるべからず。汝の運命はこの箱庭の中にありて能く講じ、能く歌ひ、能く罵り、能く笑ふに過ぎざるのみ。汝は須(すべか)らく十七文字を以て甘んずべし、能く軽口を言ひ、能く頓智を出すを以て満足すべし。汝は須らく三十一文字を以て甘んずべし、雪月花をくりかへすを以て満足すべし、にえきらぬ恋歌を歌ふを以て満足すべし。汝がドラマを歌ふは贅沢なり、汝が詩論をなすは愚癡なり、汝はある記者が言へる如く偽(いつ)はりの詩人なり、怪しき詩論家なり、汝を罵るもの斯く言へり、汝も亦た自から罵りて斯く言ふべし。  汝を囲める現実は、汝を駆りて幽遠に迷はしむ。然れども汝は幽遠の事を語るべからず、汝の幽遠を語るは、寧ろ湯屋の番頭が裸躰を論ずるに如(し)かざればなり。汝の耳には兵隊の跫音(あしおと)を以て最上の音楽として満足すべし、汝の眼には芳年流の美人絵を以て最上の美術と認むべし、汝の口にはアンコロを以て最上の珍味とすべし、吁(あゝ)、汝、詩論をなすものよ、汝、詩歌に労するものよ、帰れ、帰りて汝が店頭に出でよ。」 あなたが死んだ、ちょうど百年後に、ひとりのイギリス人の子供が、真っ青な顔をして自動車の後席に座っている。 馬入橋、という名前の橋だったとおもいます。 平塚にある、鎌倉と箱根の往還で、いつも渋滞がある橋で、その橋にさしかかる頃には、運転している叔父が心配になってバックミラーを何度も覗き込んでは、 「ガメ、だいじょうぶかい? 顔色が真っ白で紙のようだけど」と訊ねるほどになっていた。 従兄弟がいれば、笑って、こいつお腹がへっただけだよ、と自分の父親に告げただろうけど、生憎、東京から叔母と一緒に電車で箱根へ向かった従兄弟は、車内にいなかった。 奈良で倒れてしまったことがある。 「青くなったり、赤くなったりして、まるで信号機みたいだった」とあとで義理叔父が笑っていたとおり、糖分の不足で、気分が悪くなって、奈良公園を歩いて横切っているうちに、そのままどおっと倒れてしまった。 なぜガメは自分が誤解されているときになにも言わないのか、とよく怒られたが、黙っていることに理由などないのだから、答えられるわけはない。 強いていえば言い訳をするのがめんどくさい。 周りの人間がすべて敵になって襲いかかってきても、きみたちはぼくじゃなくて誰それを敵とすべきなのに間違っているんだよ、と説明するくらいなら、黙って防御して、自分に襲いかかってきた人間をすべて暴力で床に並べてしまったほうが楽だ、という程度にぼくは怠け者で、子供のときもそうだったが、実をいうと、いまもそれは変わらない。 小田原の市境を越えると、鈍感な叔父も、ようやっと、なにが起こっているのかに気がついてレストランを探し始めた。 ぼくは内心、さっきから義理叔父が盛んに訊いている、どんなレストランがいいかなんてどうでもいいから、いちばん近い食べ物がある店にクルマを駐めてくれればいいだけなのに、と、この気が利かない日本人のおっさんにうんざりした気持でいる。 料理屋である必要すらなくて、バナナ一本だけでも、この気持わるさはいっぺんに収まるのに。 結局、裏通りに入ったところで、義理叔父はファミリーレストランを見つけて、 そこに入った。 窓際の席で、たしかパンケーキとサンデーを食べて、やっと気分がよくなった。 窓の外に小さなモニュメントのようなものが見えていて、いったいこれはなんだろう?と観るともなしに観ていると、テーブルの向こうに座っている義理叔父が、 「驚いたな。ここは北村透谷が生まれた場所じゃないか」とつぶやいていたのだとおもいます。 そのころは文章を読むどころか、あなたの名前も知らないので、それはぼんやりした記憶になって、過去の色がついたガラス玉がそこここに散乱しているような場所に埋もれていって、このときの光景と、素っ気ないどころか、めんどうそうでさえあるデザインの、というよりもデザインが欠落したモニュメントを思い出して、あれがあなたの生誕の場所を記念した碑であったことに気が付いたのは、ずっとあとになって、ニュージーランドという国の、南島の、一家がもっていた牧場のライブリでのことでした。 日本の歴史を話そうとしているのに、あなたの名前を外すわけにはいかない。 いつか、そう述べたら、「それは歴史というより文学史のほうだね」と述べた日本の人がいたが、文学の歴史が社会の歴史と別に存在していると意識される社会があるとすれば、要するに魂がはがれおちてしまった社会で、いくらなんでも日本はまだそこまで落ちぶれてはいないだろう。 ずっとあとになって、一年のうち何ヶ月かを東京で過ごそうと決めたぼくは、自分の生活の利便を考えて広尾山というところにアパートを買いますが、それは失敗で、あの辺りの、麻布、霞町、広尾、一の橋という一帯は、退屈な町で、銀座にでかけていくことが多かった。 あなたが歩いた、数寄屋橋から木挽町にかけて、尾張町や新橋まで、ぼくもよく歩いて、そういうときにはいつも、 革命にあらず、移動なり。 という、あなたの雷鳴のような声を聴いていた。 あなたが死んだあと、日本は、あなたが危惧したとおり、 汝の耳には兵隊の跫音(あしおと)を以て最上の音楽として満足すべし、 「物質的の繁栄」のためには当時はまだ世界最大の富裕を誇っていた富める隣国である中国を侵略して掠奪するのが最もてっとり早いことに気が付いて、清との戦争を始めます。 計画上は、うまくいくはずの近代軍の運営を、まるで乗馬をおぼえたての成り上がりの若者のようにして、おっかなびっくり、海戦でいえば、後年、史上初めて統制された艦隊行動によって敵を組織的に撃砕する、世界の海戦の範をつくる「ツシマ海戦」を戦って海上部隊戦闘の理想を示したのとおなじ国の艦隊とはおもえぬほど、ぶざまな叩き合いを繰り返して、それでもなんとか勝って、勝利のトロフィーとして、台湾を領土化し、朝鮮半島を植民地化する。 あなたが一生を通じて恐れたことは、日本人が西洋の倫理を希求し、善を信じ、美に憧れる面に興味をもたずに、てっとり早く幾許かのオカネを手にするための道具としての西洋の、特に軍事につながる技術の習得に夢中になることでした。 あなたは、西洋人にとっても西洋人が最大の敵であったことを、よく知っているただひとりの日本人だった。 あなたが生きていた時代に、文字通り血みどろの闘争を繰り広げて、物質の価値に眼がくらんだ、ゆるんだ口元に欲望の唾をためて、眼を血走らせて冨の蓄積に狂奔する「悪しき同胞」と戦っていたのは西洋人たちでしたが、もちろん、その戦いの敵もまたおなじ西洋の人間でした。 天上の価値と地上の利便が正面から戦えば、どんな時代でも地上の利便が勝つに決まっている。… Read More ›

  • コロナ後の世界

    冬の、嵐の時期に入ってしまったので、海に出にくい。 おお、晴れた晴れた、やったやったやった、海に出るべ、と出ると、油断して、60hpとかのエンジンしか付いてない船で出ると、ぴゅううううっっと風が吹いて、前に進まない、くらいならともかく、風に押し戻されて、船室からヘルムに出てきたモニに、 「ガメ、なんで後進しているんだ?」と言われたりする(←実は、実話)のが、この時期で、そりゃあなたcumminsの1000馬力x2なんちゅう、威風堂々、ディーゼルガズリングの機関が付いたボートもありますがね、旦那、あれはブルーウォーターに一家ででかけたり、いよいよニュージーランドが沈没すことになったりしたときに、家財と猫さんと、若干の人間を積み込んでアララト山に乗り上げるために持っているのであって、普通のときは乗りません。 つまらんもん。 でかい船。 ヨットなら35フィートまで、ローンチなら40フィートくらいまでがボートの醍醐味であって、それ以上は、おもしろくない。 パーティ用です。 見せびらかし用と言ってもよい。 おおきな犬を連れたさびしい男 おおきなボートをもった、さびしいカネモチ バウ・スラスターとか必ず付いていて便利だけどね。 接岸も、おおきければおおきいほど、楽なんでがす。 満載排水量5万トンのビスマルクの浣腸、じゃないや、誤変換楽しい、艦長だったリンデマンは、さぞかし楽しかっただろう。 1万トンくらいの船でも、十分、接岸時に風に流されるが、5万トンもあれば、風などシカトなのではないか。 戦前、戦中、戦後を通して、終始一貫、戦争に反対して、文字通り、職も生命も賭して、戦い抜いた偉大な海軍人井上成美は、操船がどうしようもないほどヘタッピで、第四艦隊司令長官時代、桟橋に船体がぶつかる「ゴオオオオーン」という音がすると、「長官がお帰りになったぞ」と、士官室でみんなが笑ったそうだが、第四艦隊旗艦の鹿島は、たった5800トンなので、連合艦隊旗艦の7万トン、大和/武蔵のようなわけにはいかなかったでしょう。 閑話休題 海に出られないので、クルマで、モニとふたりでうろうろします。 Hole in the wall、あるいはハイフンで連結してhole-in-the-wall (多分、アメリカ人がつくった)英語で、見かけがパッとしない小さな店のことだが、UKやNZの英語では、もうちょっと意味する店のイメージが狭くて、ほら、テイクアウェイ専門の、ビルの壁を刳りぬいてつくったような、客と相対して注文と品物の受け渡しをするような店があるでしょう? あれのことです。 ANZACアヴェニューの足下の角のところにチョーかっこいいカレーを出すhole in the wallなインド料理店があって、そこを終点に決めて、来るときにはカレーふたつがセットになっているランチ弁当の、Aloo PalakとKadai Paneerにライスのセット、たった$7(邦貨約500円)だぜ、いえーい♥と固く心に決めて、塩ラッシーも買わなくちゃ、でもまだお腹が空いていないので、キャピタリズムの側でフラットブッシュという名前をOrmistonという、よりカッコイイ、ジェントリフィケーション名前に変えてしまおうとしているらしき、フラットブッシュに実家がある台湾系キィウィの奥さんがいるマコトさんが聴いたら、衝撃をうけそうな計画が進行中のOrmistonに新しく、忽然とあらわれた、巨大なモールを観に行った。 https://www.ormistontown.co.nz 巨大、と書いたが、ウエストゲイト、シルビアパーク、コマーシャルベイに次いで、おおきさは4番目くらいだろうか、一群のモールの初めのセンターが今年の3月に出来たところで、Good dog bad dogが入っていて、駐車の便が悪いCBDまで行かなくてもよくなったのはいいが、そのくらいのところで、もっと「ハゲ天」が入ったり、Bunny Chowを出すレストランがあるとか、もうちょっと個性を出してくれんかなあ、と思いまする コロナが消滅してから9ヶ月たつニュージーランドは経済が予想よりも遙かに好調で、みんなホッとしたが、この国の「コロナ後経済モデル」はいろいろな点で特殊で、日本が追いつこうと努力するのは、頑固にワクチンを拒否する、罹患人口を引き摺りながら、「withコロナ」なんて白痴語を使えば、なんとか聞こえはいいが、ボロボロと、頑固者の死者を出しながら、ウイルスに汚染されたまま、ちからづくで経済を復興させつつあるアメリカモデルになるのでしょう。 終わってみれば、COVIDパンデミックは中世から17世紀にかけて間歇的に荒れ狂ったペスト以上のインパクトで、我々の文明を変形させた。 そこで擡頭したのは人種主義であり、寛容の放棄であり、孤立主義へのとどめようがない志向だった。 これから30年というような時程では、残念なことだが、例えばアメリカならば中西部と南部のみならず、東部も、都市部も含めてアジア人にとっては、たいへん住みづらい地域になるおおきな可能性がある。 イギリスは、ははは、ダイジョブですよ、誰も追い出したりしないから。… Read More ›

  • 神様の贈り物

    日本語友のフサコさんから「夏だぞ!」というメッセージが送られてきて、見ると、近所の子供たちに開放している自宅の裏庭に設置した円形のプールの写真が添えてあります。 ちゃんと蚊除けのネットが張りめぐらされている。 おお、カッコイイ。 なんという入念な親切、と考えて感動したので、モニに見せに行きました。 モニも、「おお、すごい」と感動しています。 「うちも夏向けに、蚊除けのレモングラスやローズマリーをホットタブの周りやなんかに植えたほうがいいかもな」、という。 考えるのがめんどくさい、という真実の理由を隠して、「えええー。そんなの蚊に刺されてから考えればいいじゃん、蚊が出るようになったの最近だし、夏でもほんとうはスナバエの心配はしても、蚊の心配はいらないのでわ」とおもわず述べると、 わし顔をジッと見つめて、「ガメくん、きみはどうしていつも、そう行き当たりばったりなのかね?」とマジメに言われてしまった。 夫婦のあいだで、ほんとうのことを言ってしまうなんて、なんて危険なことをする人でしょう。 大好きだからダイジョブだけど。 天気がめちゃめちゃ悪くなってきたので、海に出ないで、家のなかでのたのたしている。 いろんな言語で、益体もないことを書いてみたり、Firefly StudiosのStrongholdシリーズの新作、途方もなく難しい、Warlordsを、ト、土地が足りない、と呟きながらキャンペーントレイルを進めていたりしている。 もっか改革中の庭のランドスケーピングで、あたふたしたり、PCゲームでパニクったりするのも飽きると、クルマを駆って、豪雨のあいだをぬって、Cream BunやSteak Pieを買いに行きます。 あるいは、また性懲りもなく新しい船を買ったのでBurnscoでマリン用品を物色する。 最近はマリン用品も水中ドローンやなんかのチョーハイテク製品が導入されて、もうすぐアンドロイドでロボットフィッシュを釣るようになるのではないかとおもわれるが、いまのところは、人間が釣り上げたでっかい鯛やヒラマサと血塗れになって格闘したり、いわしを釣ったら、それを横から掠おうとしたカモメも釣れてしまって、ど、ど、どうやったら、あんた針から外れてくれるの、と泣きたい気持ちになりながらカモメさんを抑えつけたりで、殺生の地獄が甲板に実現されるが、姿も端正な切り身が釣れたりはしないので、致し方がないことなのでしょう。 阿古智子さんというフサコさんのお友達が書いた記事に感心しておもわず香港について書いてしまったり、従来の経済メカニズムと異なる金利の役割を念頭に、それでも結局はインフレが亢進していきそうだが、それはどういうことなのかを考えているうちに、そういえば日本はインフレになると、にっちもさっちもいかなくなって、大ビンボになるんだったな、とおもって、お友達あてに「だんな、やばいかもしれやせんぜ」という手紙記事を書いたりしてたが、本来は、そういう記事は、日本語では、もうやらないことにしているので、硬い日本語で酔っ払った「シメ」のラーメンは、やはり自分たちの日々の生活に戻らないとダメなのだとおもわれる。 それでこれを書いているんだけどね。 人間の生活は細部にこそ意味があるので、豪雨のあとの、晴れた空の公園を歩いていて、土がゆるんでいて、つるっと滑ってこけそうになったり、ガメ、ほら、あれ!とモニさんが指さすほうをみると、ニュージーランド名物の、暗い黒雲の下を、ゆっくりと広がる白い雲が流れてゆく。 ニュージーランドは人間はのんびりだが、自然は忙しい国で、地上から2mくらいのところに積雲がおりてきたり、2mのところに下りてくれば、そりゃ定義上、積雲ではないが、どうしても積雲と呼びたくなる、白くて、質感があって、綿飴みたいにモコモコした雲が地上すれすれまで下りてきたり、でっかい、荘厳な虹が、どどどどどおおおおーんとかかって、どんな童話でも虹の始まりと終わりを訪ねて歩いても見えないことになっているのに、始まりと終わりが、ちゃんと見えていたり、あの、凪の海を生き物というか海獣のように頭をもたげて横断する、ボートにとっては危ないったらない、どうしたらそんなことが起こるのか不明な三角波こそないが、考えてみれば、要するに地上にいても海の天候で、海の自然で、海の気まぐれで、脈絡もなく、年柄年中、突発的に変わる天気で、地上にいるのに船乗りみたいな暮らしに馴染んでしまうニュージーランドの特徴を、おもわず思い知ることになる。 モアの棲息可能性がある地域のうち、過去に、稀少種のモアの骨が大量に見つかった南島の西北端には、人間が歩いて到達するのは無理で、クルマももちろん無理で、ボートで行くしかないが、あの辺りは荒い海で、ほとんど人間が近付かないので、モアを探しに行ってキングコングにあっちゃったりしないかしら、とおもいながら地図を検討する。 飛行機を飛ばして行っても下りる場所がないが、熱気球ならばどうだろうか、とおもうが、飛行機は飛ばせるが、熱気球は飛ばしたことがなくて、デブPが「おれは熱気球のプロだから連れていってやるよ」というが、デブに騙されて死にかかったことは1ダースを数えるくらいあって、南島の田舎というところがどういうところか感覚的にもつかめない日本の人が絶対に信じられないことなのは判っているが、なにしろ子供のときに、おれは飛行機を飛ばせるんだ、第二次世界大戦のエースなみだぜ、と述べて、うっかり信用して農場の滑走路からジョイライドに出たら、実は着陸するにはどうすればいいか知らなくて、「飛ばせるとは言ったが着陸できるとは言わなかった」と恐ろしいことを言って威張るので、マイクロソフトフライトシミュレーター ver.3を必死におもいだして、そうだ、フラップを下げればいいはずだ!と絶叫していたりする悪夢の瞬間をおもいだすので、世の中にダメな友の助太刀ほど怖いものはないという、デブの助けだけは受けたくない。 ああでもない、こうでもない。 モニさん、ほっぺにクリームがくっついているよ、と嘘を述べて、チュッとしたりしているうちに、取り止めなく、つつがなく、毎日の時間が流れていく。 ありがたいことに、心配事は小さなことまで含めて、なあああんにもない(Touch wood! )が、他の世界から遠く離れた孤島にいるせいでコロナでさえ、もう9ヶ月もなくて、心配もなく、仕事もせず、遊んでばかりいて、多分、精神的には、気概もコンジョもなく、さぞかしヘナチョコリンになっていることでしょう。 いつか、たしか日本語記事にも書いたが、モニさんが「よい音楽を聴きに行こう」と述べて、小さいひとたちもつれて、夜の浜辺にでかけたことがあった。 波打ち際で耳を澄ませると、びっしりと浜辺を埋めている帆立貝の小さなかけらたちが、寄せて、返す波に、微かな、微かな、この世界のものではないような美しい音を奏でている。 自然は、落ち着いて眺めると、莫大な繊細さと優美の集合で、おおまかな形は人間の力でも、自然を参考にして、ガウディのアパート群やサグラダファミリアのような造型をすることは出来るが、最も肝腎な細部は、人間には到底再現することができない。 再現することができないどころか、細部を「見る」能力も、大半の人間には備わっていない。 考えてみると、人間の99%以上の個体は、自然を正見することなしに死を迎えてしまうだけで、意識がある自然の部分であることよりも、ほんとうは、こちらのほうが、人間の本質的な悲惨なのかも知れません。 アメリカにも旧ソ連にも、地球の想像を越えた色の青さを見て、発狂してしまった宇宙飛行士がいたが、細部もまた、現実に見えてしまうと、理性を震撼させるところがある。 ニュージーランドというド田舎に住んだことのいちばんの幸運は、実は、自然をありのままの姿でみる気持ちの状態を得て、自分が住んでいる世界がどんな場所か、あるいは言葉を変えれば、どれほど美しい場所か、判るようになったことなのだろう、と最近は思っています。 「神様に感謝」という古びた、言葉とともに。

  • 香港

      香港の第一印象は、あんまり良いものではなかった。 1990年代の初め頃だとおもう。 子供わしは、両親と妹と一緒に、ビクトリア・ピークに住むとーちゃんの友人を訪問するために香港に行ったが、当然、とーちゃん友の家に滞在するはずだったのが、子供には説明されてもわからなかった、なんらかの理由で、急遽、初めの一日だけホテルに宿泊することになった。 とーちゃん友が手配したスイートの部屋に案内されると、すぐに妹が窓に駈けよって、外を眺めていたが、 おにーちゃん、おにーちゃんと呼ばわる声に応えて窓に行ってみると、な、な、な、なんと、通りを隔てた、眼の前のビルのファサードにゴミの山があります。 ぶっくらこいて眺めていると、上階の窓が開いて、禿げた、日本語ではランニングと言うのだろうか、袖なしの下着シャツを着たおっちゃんが、いきなりバケツみたいな容器に入った生ゴミを外にぶちまけている。 げげげっ、と妹と顔を見合わせるわし。 あるいは、同じホテルの階下のレストランで、テーブルに一面に食べ物が並んでいたこと以外は、なにを食べたかちっともおぼえていないランチを食べている途中で、トイレに小用に立つと、子供わしとあんまり背が変わらない白い制服を着たじーちゃんが、なんとも居心地が悪いことに真後ろに立ってタオルを捧げ持っている。 用足りて、手を洗うと一緒に、ぴったり付いて来た、この制服じーちゃんが、タオルを有無を言わさず手渡して、手のひらを差しだして、身振りで、「カネをくれカネ」をする。 ポケットに入っていた小銭を渡すと、「たった、これだけか、このガキ」という内心の声が聞こえてきそうな顔をする。 あるいは、妹とわしの世話をしてくれる女の人と、散歩に出て、なんだか道に迷ったようになってしまって、疲れて入ったカフェで、テーブルの下をみると、一面に煙草の吸い殻やゴミが転がっている。 妹はアイスティ、わしはアイスコーヒーが飲みたかったので、注文すると、再び、な、な、なんと、アイスティーとアイスコーヒーが混ざった、奇っ怪な飲み物が出てきてしまった。 情けないことに、初めて訪問した香港の印象は、それだけで、あとは何にもおぼえていなくて、「なんだか不潔で汚くて、訳の判らない町」という印象が、ガキわしの頭には出来てしまった。 認識を改めたのは、ずっと後で、クライストチャーチで香港系の年長友が出来て、オークランドでたくさんの香港系人と話をするようになってからです。 ひところ、ブランチに飲茶ばかり食べていた。 朝の、早ければ9時、遅ければ11時頃に、他には白い人が見あたらない飲茶レストランの席に案内されて、まわりを見渡すと、お茶に凝るのでしょう、ポットに自前のお茶をつめたひとたちもいて、珍しい風物で、周りの客を観察しては面白がっていた。 台湾や本土から移住してきた人もいたはずで、こちらには見た目では皆目見当がつかないが、近所の香港系人の話では、「あのレストランは香港人ばかりですよ」ということでした。 老夫婦がいて、3個ひとくみで供される焼売や翡翠餃子や、焼き餃子を、ふたりで、一個ずつ皿にとっては、残りの一個を持ち帰り用の容器に入れている。 自前で持って来た急須にお湯をいれてもらっては、これも自前の中国茶の杯にいれて、飲んでいる。 到底、文章では表現できないが、その様子が、ゆっくりした動作が、典雅で、大層文明的で、見ているだけで、本来の中国文明の圧倒的な高度さが、伝わってくるように思えました。 そのくらいから、香港に興味を持ち始めたので、どうやら頭のなかでは、香港は「本来の中国」という色彩を帯びて考えているらしい。 滑稽なことに、何度か訪問したときには、ただただ両親の用事が早く終わって、家に帰りたかっただけであったのに、まったく縁がなくなってから、初めて香港人たちを通して、香港という場所に興味をもった。 順って、何度か行ったことがあるといっても、香港への関心は、日本への関心と異なって、粗筋じみて、観念的なものです。     阿古智子さん @tomoko_ako という人がいる。 香港の状態に危機を感じて、最近、文章を数多く発表している人です。 ニューズウィーク日本版に寄稿した「香港よ、変わり果てたあなたを憂いて」がネットでも公開されました。決してこの時のことを忘れないように、最終日のリンゴ日報(友人が送ってくれました)と、この号の表紙「暗黒の香港」とともに、額に入れて家に飾ろうと思っています。https://t.co/w3PFQDbJUk — 阿古智子 (@tomoko_ako) July 21, 2021 日本語社会では、歴史的には「知識人」という言葉は、70年代の左翼人に続いて、80年代後半から90年代を通じて群がり出た「冷笑人間」たちによって葬り去られた死語だが、この阿古さんという人を見ていると、どうしても、 かつての日本語における「知識人」という言葉の輝きを思い起こしてしまう。 ごくごく正統な研究者知識人で、学問に拠って、学問に発して、学問が自分を衝き動かす力に押し出されるようにして、行動に自己を駆りたてられてゆく。 日本では、たいへん珍しいことで、わしなどが偉そうに、あれこれと述べては申し訳ないくらいの人であるように見受けられます。… Read More ›

  • 神のいない経済 3 ゾンビ篇

    ニュージーランドは、繁栄の頂点にある。 社会全体が見る見るうちに豊かになって、ひとびとの身なりはオカネのかかったものになり、高級住宅地の交叉点に立っているとマセラティやフェラーリ、ベントレーが何台も走り抜けてゆく。 マリーナに行けば、おおきなバースの列には数億円という価格のブルーウォーターを航海できる55フィート級のボートが並んでいる。 身体障害のある子供を抱えた若い母親は、大量に市場に流入したUSドルのために15年で価格が270%上昇した家を買えず、高騰した家賃も払えないせいで、空き地にテントを張って自分と子供2人、計3人の家族で暮らしている。 ゴミが一面に散らばった土地の一角で、それでもテレビの取材があるからでしょう、 せいいっぱい身ぎれいにした赤い頬の男の子がはにかんで立っている。 別のインタビューでは、倉庫で在庫管理や出庫の仕事をしている夫の年収は手取りでは18200ドル、日本円になおすと、1ドル80円として、146万円にしかすぎない。 ところで、一家が借りている小さな家の家賃は、どのくらいかというと、この人の場合、年間で16000ドルで、つまり、信じがたいかもしれないが、収入の90%が家賃に消える。 おおげさに驚く必要はなくて、たとえばバルセロナでも、シドニーでも、こういう家計はふつーのことです。 食費は、妻が、ふたりの子供の育児をしながら、苦しい家計の足下を見るような低賃金で、時間給労働をして稼ぐ、日本とおなじでスーパーマーケットのレジ、というような仕事が多い。 もともとひとりあたりの年収は、常に5位以内にあった「豊かな国」ニュージーランドは、50年代の後半から、端的に言うとジーンズが普及してウルが売れなくなったことと、途中で「本国」の連合王国の経済的保護を失って、「あとは自分で勝手にやってくれ」と突き放されたことで、急速に没落して、英語圏のなかでは例外的なビンボ国になってゆく。 にも関わらず1980年代のなかばまでは「ワーキングプア」が存在しない稀な先進国でした。 ビンボはビンボなりに幸福に暮らせる社会だった。 国民の大半を占める「中間層」と極めて高い所得税を社会に対する責任の一端として黙々と支払う富裕層、そして、そのふたつの層から流れ落ちてくるオカネで再起をめざす失業した貧困層、という形の社会だった。 「仲間意識」が異常なくらい強い社会で、連合王国もサッチャーが出てくるまではおなじだったが、お互いを助けあうことそのものに社会の役割が集中していた、と言ってもいいかも知れません。 NZ$の価値は、1983年を起点に考えると30年で3割減になっている。 20ドルで買えたものが、30ドルださないと買えない。 その間、賃金は、頼りなくヘロヘロと上昇しただけです。 ニュージランドの典型的な30代のカップル、大卒で、子供がふたりいて、住んでいるのは一戸建て、というようなカップルは収入が900ドル/週、つまり年収にして47000ドルであるはずで、この収入は、この6,7年はあまり変わっていないはずです。 テレビの番組のなかでは、この7年間几帳面に家計を記録しつづけてきた夫が、エクセルのシートを指さしながら説明している。 2004年には3400ドルだった食費が2012年には8580ドルになっている。 1850ドルだったガソリン代は、おなじ8年間に3420ドルに上昇した。 だいたい、NZ式定義の「中流」の、どのカップルに聞いても、あと週1000ドルあれば、オカネのプレッシャーを感じずに暮らせて、少しは貯蓄もできる幸福な生活が出来る、と感じているようです。 この感覚は物価の上昇にあわせて賃金が上がるのならば「こうでなければならなかった」賃金上昇の、現実には起こらなかったプロジェクションと、ぴったりあっている。 1950年代を通じて、続々とイギリス人たちがニュージーランドに移民していったのは、「ニュージーランドに行けば、マジメにこつこつ働きさえすれば一戸建の家が買えて、子供たちが裏庭で駆け回って遊んでくらし、大学まで行ける暮らしができる」というイギリスでは有り得ない夢が実現できたからでした。 最も近い隣国のオーストラリアまで2500キロという、当時は致命的ともいえる距離に隔てられた孤絶した小国で、しかも産業が牧羊以外にはなかった国で、みながイギリスの中間層以上の生活ができたのは、簡単にオカネの面でいうと税金の66%が国庫に入る社会だったからです。 いまではグローバリズム経済のなかでオカネの流通も国際化しているので実体がまるっきりつかめないが、ビクトリア大学のリサ・マリオットなどは3割程度しか国庫に入っていないのではないか、という。 Struggling classという。 1950年代や60年代ならば「国民の大半」という言葉を使えた中流層のことで、いまは数もぐっと減って、おまけに階層として安定したものとは見做されなくて、この国にはかつては存在せず、いまでは経済全体を支配している超富裕層にとどくことは望めなくても、富裕層をめざして必死にstruggleして、運がよければ富裕になり、でも半分以上は、そこから貧困層におちてゆく過渡的で流動的な「中間層」になってしまっている。 煉獄、と言えばいいのか。 ニュージーランドでは、国民の貧困と富裕への二極分離が起こり始めた原因は、30年前のマルドゥーン首相の頃でした。 「Think Big!」という。 国民が総活躍して、全力をだしきれば、自分達は一流国に返り咲ける。 ニュージランドは再び、豊かな、美しい国をめざすべきである。 もっともマルドゥーンのマヌケさは、いまの日本政府とおなじで政府がすべてをコントロールして国民を「指導」するのが最善だと信じて、一個のコントロールフリーク政府と化して、政府の方針を国民に押しつけていったことで、一瞬は目新しいものへの期待でよくなった経済は、旧式然とした考えがうまくいくわけはなくて、根底から崩壊してしまう。 ニュージーランドは、誰がみても立ち直れないのではないかと思われるほどの貧困に陥っていきます。 デヴィッド・ロンギが政権につく。 多分、ニュージーランドの歴代首相のなかで最も有名なカリスマ的な人気があったひとです。… Read More ›

  • 冬の露天風呂

    杉の木で出来たでっかい漬物桶みたい。 直径2m 高さ1.3m 内側には、ぐるっと矢張り杉の木のベンチが付いている。 周りのブッシュを作るのにチョー苦労した。 自称はレインフォレストカフェ風です。 露天風呂自体は初めからドローンで直上に来ない限り見えない所に設置してあるので、プライバシーは完全で、モニさんの輝く裸体を見られるのは、ぐふふ、わしだけだが、ムードを出して、やや潜水中チンポコ潜水艦になるためには、熱帯ジャングルブッシュ風の雰囲気にしたかった。 うまくいっちゃったんだよおー。 薔薇は嫌だし、椿は日本のサムライは首が落ちるように落ちるから不吉だというし、ツツジじゃなああああー、などと悩んで、結局、ニュージーランド固有のネイティブブッシュを再現することに落ち着いた。 設置のときはトラックがぐわあああああと来て、クレーンがごごごごごおと一時間も遅れて来て、設置場所を指示する人(おもろいことにNZ英語ではdogmanという)と四方山話をしたりして、 出身はウエリントンなのか。 ウエリントンは文明度高いよね。 オークランドはオカネの臭いが立ちこめるようになってしまった。 と話したりして、前もってつくってあったコンクリートの正方形の台上に置いてもらった。 普及しているファイバーグラス製のジャグージーと違って、杉の木のホットタブは比較的に最近のものなので、クレーンの会社やホットタブの会社、コンクリートを打つ会社、電気工事の会社、全部わし家で電話して、手はずを決めてコーディネートしないとならないので、たいへんです。 シカシ ムクワレルコト オオキイ ドリョクダッタ モニさんと丁度日本の温泉と同じくらいの温度のお湯に浸かって、夜空を見上げながら、人工衛星が、つつつつつーと横切っていったり、流れ星が、きらっと光芒を燦めかせたり、いったい、あのふらふら揺れている銀色の光、あれは、なんだろう、UFOみたい、と笑ったりしながら、インフレに突入したので、かなりの部分を株式に移行させなければならない現金や、到頭世界一の不動産価格上昇率になってしまって、なにしろもともと不動産投資が本業なので、バブル景気で、数字の字面ばかりは、とんでもない資産になってしまっている不動産市場や、モニとわしの「ミーティング」がラウンジから杉桶露天風呂に移行して、延々と延々と、これから、どういう手を打つべきかについて、話が続きます。 もちろん、もっと重大な話題、ブリットニー·スピアーズの父親は酷いと思わないか、世界はなんて残酷なんだろう、小さいひとびとは、恙なく生きていけるだろうか、エミネムは大詩人だとおもう、いままでずっと関心を持てなかったのは驚くべきことだ、このあいだ日本語人友に訊いたら、イカ釣りのやり方を教えてもらったので、夏になったら実行したい。 むかし、よく「悪いお医者さんごっこ」したよね。 ふたりで家中を素裸でドタドタ駆け回ったものだった。 わし、あれも日本語ブログに書いた。 えええええー。 シジツシジツ(手術) どんどんバカになって、恭しみがなくなって、若返って、会ったばかりのときの、ふたりのようです。 突然、強烈な雨が降ってきた!! どうしてオークランドの天気は、こんなに変わりやすいのだろう。 天気予報が毎時間変わる国なんて、他にあるかしら ビンボな国で、自前のお天気衛星なんて、ないからね もちろん水のなかで、誰にも見えないのだけれど、素裸で外にいることには、どこかしら人間の精神を昂揚させるところがあるのでわ だいたい、いつも3時間くらい浸かっている。 露天風呂から出て、自分のスタディまで歩いて、 自分が生まれてから知っている言葉で詩を書いた。 それからスペイン語で友達たちに、ずっと、ほったらかしだった返事を書いた。 日本語に立ち寄ると、難しい気持ちになります。 言語というものは、すごいもので、やはり人格そのものだとおもうが、厄介なことに強い社会性も持っていて、社会が腐り始めれば、言語も腐る。 腐った言語をひとびとが受け入れれば、食中毒のようになって、ひとびとは母語を嘔吐しはじめる。 しかも、その食中毒は、言語の社会性を通じて伝染する。 わしは「日本語で考えている自分」が嫌いになったのではないだろうか… Read More ›

  • 遊んでばかりいる

      最近はモニとふたりで家庭を省みずに海で遊んでばかりいる。 え? だってニュージーランドって、真冬じゃないの? あっ! やっぱりニュージーランドに住んでいるってのは嘘で、新小岩に住んでいるのだな! と考えたきみ、きみね、日本語病に感染してます。 ファイザーのワクチンを打って、人生を出直すように。 モデルナでもよいらしい。 アストラゼネカは怖いという。 ジョンソン&ジョンソンは企業としてアドボケイト戦略にすぐれているらしい。 違うんですね。 あんなにものすごく副作用を話題にしているのは日本の人だけだとおもうよ。 わしは、ちょっと感動したが、NZのワクチンセンターには、「ワクチン接種は安全が政府によって保証されています。100%安全だから心配すんな」と、でっかいサインが貼られている。 ワクチンという予防法は、なにしろイギリス人が考えたものなので、NZ人も危険性が遍く知られていて、わざわざこんなサインを出すのは、「なんかあったら政府がまるごと責任持つから心配しなくてよい」という意味です。 近所のなかよしの100歳になんなんとするばーちゃんは、最近ヘロヘロで、フロッピーで、杖をつきながら歩いているのを見かけると、おもわず近所の誰もが駈けよって、ばーちゃんだいじょぶか、と支えてしまいそうになるが、この人が、ワクチンの接種の順番がまわってきたのでワクチン接種センターに行くのだという。 ばーちゃんひとりではセンターに着くまでに行き倒れになるかもしれないので、近所中で最もヒマなわしが付き添いでついていくことになった。 ボランティアです。 東京オリンピックなやつね。 初めモニの運転するBMWで行こうとおもったが、ばーちゃんが、ガメ、おまえはいたいけな年寄りにこんな車高の低いクルマに乗り込めというのか、筋肉の力が弱ってるのに、そんなしゃがみかたが出来る訳ねーだろ、バカ、気が利かないやつだな、というので、ばーちゃんの希望に従ってレンジローバーという毎年「消費者が買ってはいけないクルマワースト3」の常連であるクルマで出かけることになった。 ヘロヘロして、フロッピーフロッピーしたばーちゃんの両脇に立って、随分長く見えた行列に並んでいると、意外に行列はすいすいと進んで、あっというまに受付に着きます。 ばーちゃんが登録をすませると、わしらはサポートですから、と述べて先に行こうとするモニとわしを引き止めて、受付の中国系人の、聡明そうな女の人が、「あなたたちも接種していけばいいじゃないの」と言う。 えっ? だって、まだ「順番、来たよ」のテキストメッセージ来てないよ? いいの? と述べるわしに応えもせで、「ウォークイン2名様ですよおー」と他のチェックボードをもった係員に報せている闇雲に親切な人。 ビンボな国のフレキシブルさの伝統を発揮して、「今日は余剰があるから、こっちも助かるのよ」と述べるカッコイイ受付人のひと。 そういうわけでひとより早くワクチン接種を受けてしまったが、したがって、日本語病への感染も、多分、防がれているようです。 なんだっけ? あ。 海で遊んでばかりいる話ね。 ここ数年、自重していて、ちょっと小さい船をだして、家でフィッシュ&チップスを作る用に鯛を釣って、さっと戻ったり、風が強い日にスウィングモアリングのヨットを出して、オークランドベイを高速でブイブイ言わせて、ぐるりんと回って戻ってきたり、あたかもヤク中の人が気を落ち着けるためだけにヤクを吸入するごとく、中毒症状緩和のためだけに海に出ていたのが、前から目を付けていたクラシックボートのディスプレイスメントを手に入れたのが運のつきで、なんだか洋上にいる時間が長くなってしまった。 ニュージーランドのボート・スタジオがつくった船で、喫水が浅い割には安定していて、数ある良い点のひとつは水面が近い。 海に出て楽しさが湧出されるポイントのひとつは、この「水面の近さ」で、この点で最もよいのは当然カヤックです。 水面がめちゃめちゃ近い。 ただしニュージーランドやオーストラリアは大気の透明度世界一だとかで、順って、紫外線がものすごい強さで、海面からの反射も強くて、いちどネルソンで日焼け止めを塗り忘れて、いいやいいやで、半島を回ったら、冗談ではなくて上半身まるごと大火傷して医者に死んでもいいのか、と言われたことがあった。 屋根があるボートでないとサンブロックを塗りまくっても皮膚癌になって死にます。 今度買った船は、12mで、チョーちっこい船だが、むかしのデザイナーの叡知の結晶のような船で、トイレも、このクラスの船では珍しい、ちゃんとした四角のダブルベッド(しかもキングサイズ!)も、家庭のものと変わらないサイズの冷蔵庫と冷凍庫もあって、ライティングデスクもブースもあるという素ん晴らしいデザインで、長いあいだ持っていた夫婦が離婚することになって手放すまで、ソーラーパワーシステムやら、オートパイロット、クラシックボートでは考えられる限りのハイテクを注ぎ込んで、ほぼ、理想的なボートになっていた。 売るときの売り出し惹句のとおり、「自分の家を売って住んでもいいとおもうボート」です。 海に出てみると、めっちゃめっちゃ、めっちゃああああー、よくて、なんだか、いったん洋上に出ると帰りたくなくなってしまう。… Read More ›