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  • 東の空が白むとき

    明るさが見えてきた、とおもう。 最近、なまってきたので、自分の身体を再建しなければと考えて、早起きして、遠くまで見える海や、靄にかすむ島の姿で、水平線の向こうから太陽がのぼってくるのを眺めて、早起きもいいかも、と考えたが、ここでは、そうではなくて、日本の将来のことです。 冗談やめてください。 あんた、12年も前に、最後に日本を訪問して、曖昧な記憶で日本社会を考えるから、そうなるんですよ、どん底ですぜ、日本。 経済もダメ教育もダメ、文化も古くさいサブカルで、女びとの権利はボロクソで、政治は元からダメ、 夜の底がどんどん深くなって、夜明けは遠くなるばかり。 まことに、ごもっともございます。(一礼) でもね、ぼくにはぼくの言葉で、日本が、深い水の底を蹴って、水面に向かって浮かびだしていることが判るんです。 勝手にそう見えてしまっているのだ、ということは当然、ありうる。 日本が両腕にいっぱい抱えている問題のうち、最も根本的なものは、日本の人には、どうやた認めることがひどく難しいのであるらしい、 「英語が判らない」という問題でしょう。 日本語に訳して判ったって、どうしようもないのよ、とか、構文なんて口走る人は言語の習得ということを頭っから誤解しているんです、とか、そういうことは、もう三桁に達しそうな数の記事で述べてきたので、ここではもう省きます。 学校英語の成績がいいということは、そのまま、謬った言語習得の道の泥沼にはまって、胸まで沈み、肩が隠れ、あら、到頭、あのひと、左の手首が泥沼から出てるだけになってしまった、という状態の症状にしかすぎないのを認められない人は、よっぽど頭がどうかしているか、学校英語の習得にエネルギーと時間を使いすぎているので、そういう極東の最果て時代の、古色蒼然としてハマープロダクション映画のミイラのようにボロくなった言語習得は、ゴミ箱に捨てて、他の、もっとうまく行っている、フィリピンでもいいし、どこでもいいんだけども、教室の代わりに、主にインターネットのなかで学ぶ英語習得に変えていったほうが良さそうです。 だって、日本のやり方は、60年かかって、このやり方では絶対ダメだと、国民を挙げて証明してみせたのでしょう? 日本の人がいかに英語がダメかは、世界的な常識になっていて、日本式アクセントでない英語を、ふつうに話す人をみると、中国の人かな?と自動的に考える。 あるいは最近では、特に若い人であると、韓国の人かも知れないな、と、独りごちる。 日本の人であることが判明すると、げげげ、ああ、びっくりした、という反応です。 いちども日本の人と判明する英語話者と会ったことは、ないんだけどね。 多分、直截にはカタカナのせいで、日本の人は、20年くらい英語社会に住んでいても、一発で日本語人だと判る。 判って悪いか、と怒る人がいそうで、別に悪くは、もちろんないんだけど、 不思議ではある。 もっと猜疑を深めると、なんだか母語っぽく話してるけど、ほんとうは外国語として話しているのかな?とおもう。 せっかく英語に習熟したのに、内部に英語人格が形成されていないのは、もったいないというか、残念な気がする。 日本語自分を、たいしてそれと意識せずに客観視する、折角のチャンスを無駄にしてしまっているからです。 英語談義は、ひとまず、置いておく。 外国語習得の方法なんてのは、例えば英語習得法を英語人に訊くくらいムダなことはないので、だって、本人は、どうして自分が英語を話しているのか、まったく判っていなくて、初めから身についているのだから、訊かれたって、もっともらしいことを、どんなふうにいえばいいか、知っているだけです。 留学や文化が異なる国への移住とおなじことで、早い話が、 留学も移住もしたことがなくて、英語はもとから母語の、この記事を書いている人などは、ついに話の成り行き上、容赦ないセールスパーソンである村上憲郎に、憲郎さんが書いた英語速習法の本を買わされたことがある。 えええー。自分だってニュージーランドに移住してんじゃん、と言われたことがあるが、連合王国からニュージーランドへの移動は、どっちかというと、口にするとクリケットバットでしばかれる可能性があるが、思い切って述べると、タイムマシンで過去に行くようなものであって、特に、わしガキのころなどは、2万キロも移動するのに、物理的移動という実感はなかった。 ある朝、眼がさめてみたら、ばーちゃんの時代に来ていた、という実感です。 まあ、いいや。 現代日本というボートの根本的な欠点は船窓が全部閉じて、ブラインドがかかっていることで、隣はなにをする人ぞ、と考えても、深まる秋にくしゃみをするくらいしかやることがない。 知ってますか?松尾芭蕉 ゴツゴツした骨太の人で、 再現された声を聴くと、太く、深い、 ああ、そうだったのか、と合点がいってしまう声の人です。 孔子が2メートルになんなんとする巨人であることを知って、ぬ、ぬわるほど、と膝を打って痛かったりするのと同じで、歴史上の人物の肉体的な条件を知って、得心がいくことは意外に多くある。 最近、日本語はサムライドラマばかり見ていて、はてはサムライの歩き方が伝染したりしているのは前にも書いたが、ネットで登場人物について調べたり、再確認したりしながら観る癖がついていて、調べていると、なにしろ歴史上の人物といえど、人間なので、人間にはつきものの不思議に満ちていて、美濃の蝮、斎藤道三の側室の深芳野が当時、天下一と謳われる絶世の美女だったのは知っていたが、今度あらためて記事を読むと、身長が188cmあったと書いてあります。 188cm。 モニさんも180cmを越える背丈なので、珍しくもない、と思うかも知れないが、当時の日本のひとは男で160cmないのが当たり前だったはず、つまり、身長差を現代に翻訳すると2mちょっと背丈がある女の人だったわけで、そこに「天下一の美人」という評判を付け加えると、神々しいばかりの姿で、いわば女神に憧れるように権力者たちは引き付けられたのだと判る。… Read More ›

  • ある物理学者への手紙 8

      日本語というとサムライドラマばかり観ているので、頭のなかがサムライドラマ語で、当然、本来のお侍の言葉とは異なるが、サムライドラマ語はサムライドラマ語で、戦前のトーキー以来、長い伝統がある人工語で、 奇矯な感じがしないのは、日本語の、隠れた財産です。 考証は、やりすぎるとドラマにならないし、鷹揚でありすぎると、ワインだろうがクルマだろうが、なんにでも蘊蓄がある、衒学おっちゃんがやってきて「事実と違う!」と、お手紙ならまだいいが、手軽に電話をかけてきてがなり立てそうで、苦労が忍ばれるが、最近のものは、やはり60年代あたりのものより、格段によく出来ていて、装束だけでなく、歴史蘊蓄おやじたちも、「おお、ちゃんと史実を踏まえているではないか」と、巧くスノビズムをくすぐられるようになっている。 例えば「麒麟がくる」というテレビドラマの桶狭間の戦いでは、いちいちナレーションをいれて解説したりはしないが、土砂降りの雨で、今川義元の本陣を目指す、織田信長たちの、実際の馬を知っている人がいれば、すぐ得心がゆく、文字通り地をゆるがす、怒濤のような駈け音も、姿も、かき消されて、今川方に発見されないですんだ、いま現在信じられている「史実」が反映されていたようでした。 なにしろ日本語は日常つかう機会がないので、修正のチャンスがなくて、サムライドラマ語が流入すると、日本語で考えているあいだじゅう、画面のなかのお侍になってしまう。 Twitterを眺めていて、巖谷さん @papi1889 や登希彦さん @ishikitokihiko が、おいしそうな手製料理の画像を並べていると、 「おお、馳走じゃな!」と考える。 ヘンテコリンなやりとりを目撃すると、 「おぬしらには議論というものが判っておらぬ」 と頭がひとりごとを述べている。 おなかが空いて、キッチンに行くときも、ホールウェイを、ドスドスと、ナンバ歩きをしそうな勢いです。 だから、きみが、表裏のある、今様思想の教条ばかり述べている輩を次々に引用して、あまつさえ、RTしたりして、左派系の教条さえ述べていれば大歓迎とでもいいたげなタイムラインをつくっているのを見て、 「ひとを、ひとの世というものを、なんと心得る。このうつけ者めが」 と考えたのでした。 あんまり知らない人なら、なんともおもわないけどね。 もう十年以上、友だちやってんでしょう? 嫌と言うよりも、耐えられないというか、きみの考えが浅いダメっぷりは、 「どうして、あんな人をフォローしているんですか?」というDMが来てしまうという日本らしい、なんとなくゾワゾワするような小事件があったりして、馴れてるんだけど、いいかげんにしろよ、というか、 いったい、いいとしこいて、大学の教授という、たくさんの若いひとを教える立場に立って、自他ともに認めるペドフィルおやじのフェミニズムツイートをRTしていたりして、閉口して、もういいや、と考えたのでした。 いくらなんでも、浅慮であろう。 きみは処世が上手で狡いところがあるので、「知らなかった」というだろうけど、それはあまりに幼稚な言い訳というべきで、 日本語人が日本語で述べられたことを読んでいるんだから、 述べてある日本語を見れば、どんな人間かくらいは見当がつくはずです。 前にもどこかに書いたおぼえがあるが、 「文は人なり」という、繰り返されすぎて、擦り切れて、陳腐化した言葉は、陳腐語なりに、表面よりも、ずっと深く、本質的な意味を持っている。 日本語は、自分の考え/言葉であるよりは、そのときそのときの意匠で、 みなが受け入れた教条を述べる人が圧倒的に多い、という特徴をもっているが、教条を述べているに過ぎないにしても、やはり言葉には、例えば品格の低劣さが滲み出てしまう。 自分ではふざけているつもりで2ちゃんねる語を使う人が、まず例外なく、 日本語に復讐されて言葉の戯れた使い方のほうから逆に、病魔が骨を冒すようにして、人格が腐ってゆく。 ぼくは自分の母語である英語世界でも、むかしから人に会いたがらないので、ほんとうは頭から角が生えて、尖った尻尾があるのではないかと、ヒソヒソされているが、会う必要を感じないからで、送ってきたemailを見れば、口述したものでも、自分で考えて書いたものでも、どういう人間かは、如実にあらわれている。 あんまり英語では頻繁には使わない単語とおもうが、SNSでは、 というかtwitterは、現実社会の人間関係に似ているところがある。 「どういう人間かは、周りにいる人間を見れば判る」というでしょう? 初めの2、3年は、そんなこと言ったって、たかがツイッタなんだから、とおもっていて、まあ、世の中にはいろんな人がいろんな考えがあるのだから、と考えたが、長い間には、現実の友人関係に似てきて、その人間の言葉に耐えられなくなることがあるのが判って来た。 そうおもって周りを見渡すと、ツイッタは、ときどき、ついでに覗いて見る、というような使い方をしている人は別にして、活発に発言している話題になるような人たちは、述べている教条がもっともであったり、良い観点を持っていたりして、どんな人だろうとおもってフォローしている人やされている人を眺めてみると、ぼくですら名前を知っているゴロツキや人間のクズがずらっと並んでいたりして、慌てて画面を閉じて、 「ああ、びっくりした。見なければよかった」とおもう。… Read More ›

  • 日本語がやってきた家に帰る

        焼き鳥屋に行ってきたのだという。 日本酒を飲んだら、眠れなくなってしまった。 それ、アル中の症状なんじゃない?、と冗談を述べると、 ギョッとしています。 チョウチンというメニューを知っているか、あれはおいしい、と画像を送ってきたものを見ると、不気味なので、こんなの食べるの絶対やだ、と述べると、そこがこのひとで、 ごめん、とあっさり引き下がる。 名前を言う訳にはいかないが、たいへんな知性の人で、多分、日本語で出会った人のなかでは、いちばんの知性の持ち主でしょう。 研究者で、研究の分野も教えて上げたくないが、すごいレベルの研究で、 これを日本語でやって、正当な評価が得られるわけはないので、 残念でしょう、というようなことをいうと、 そうでもない、というようなことを曖昧に述べて、受け流してしまいます。 御徒町のガード下の楽しさを述べて、鳥ぎんに話が及ぶと、 ニュー鳥ぎんは鳥ぎんよりも古くて、鳥ぎんのなかでも、いちばんおいしい、と不思議な知識を披瀝している。 うまが合う相手が、楽しそうなので、しばらく話し込んでしまったが、 酒を飲んだら眠れなくなった、と述べた本人は、途中ですやすやと眠り込んでしまった。 日本の暮らしのよいところが伝わってきて、楽しい記憶が甦って、そうだったなあ、と日本での、楽しい酔っ払い生活を思い出しました。 20世紀が21世紀に変わるころ、「日本食ブーム」が一段落して、マンハッタンでも焼き鳥屋の前の週末の行列が消えて、といって人気がなくなって日本食が凋落したというわけではなくて、定着して、通りの普通の風景としてニューヨーカーの生活に溶け込んでいったころ、シェフたちが入れ替わり立ち代わり日本にやってきて、日本訪問ブームのようになったことがある。 特にフランスの一流レストランのシェフたちが熱心で、計測数値化が大好きなフランスの人の国民性まるだしで、客とシェフとの距離を保って親密な関係がうらやましいと考えて、カウンターの幅を測ったりして、鮨店の大将たちを苦笑させたりしていたようでした。 午前零時をまわったころにシンガポールの裏町で豆腐花(トウフファー)の店に行列するのも楽しいが、同じような楽しさは、東京にもあって、 個々の店が通りに向かって閉じていなくて、開いた顔をもっている。 有楽町のガード下の焼き鳥屋が欧州人に、あんなに人気があるのは、グリーンミシュランのような信頼されているガイドブックに載っているせいもあるが、それ以上に、店と客、客と客の距離感が絶妙で、 引っ込み思案の人でも思わず見知らぬ他人に話しかけてしまうような、 あのウキウキした、ひとを開けっぴろげな気持にする空気のせいでしょう。 バルセロナ、ニューヨーク、メルボルン、シンガポール、東京、 どれも歩いて移動できる町で、同じ大都会でも、タクシーやウーバーで移動するロンドンやシドニーとは、夜の性格そのものが異なっている。 特に東京は都市計画に失敗して、というよりも都市計画なんてあるんだかないんだか判らないくらい、おもちゃ箱を駄々っ子がひっくり返したような有様なのが幸いして、灯りで眩惑されてしまうような、あるいは騒然とした、 それなのに安全におもえる、不思議な親和力に満ちた繁華街がいくつもある。 日本語が判るようになって、社会から始まって、人の心のなかに分け入ってしまうようになると、自分が日本語世界のメンバーのように錯覚されて、手に持った西洋の定規で、ここがおかしい、そこが8センチもずれている、 倫理を地下鉄に置き忘れてきたのではないか、と言いたくなるが、 考えてみると、そんなことに意味はなかったので、 だいいち、シンガポールの町で、そんなことを期待して腹を立てたことはいちどもないので、自分でも判るとおり、日本が自由主義社会でも自由なのは表向きで、さまざまな仕掛けをもった全体主義社会でも、どちらでもいいわけで、取り分け最近は、トーリーのイギリスやトランプのアメリカの体たらくを見ていると、自由社会ったって、もう寿命がつきてしまっているのではないか、と、やけくそにおもわれることがあって、自由市民社会総本家のフランスでも黄色いジャケットを着込んでジタバタしているので、なにもアジアの東の最果ての国にやってきて、自由がないではないか、と述べても滑稽な気がする。 日本の人は優秀だから、と述べると、まっすぐ皮肉と受け取る人がいて、 到頭、日本の人の自信喪失もそこまで来たかとおもって気の毒な感じがするが、こちらはなにしろ見たままの現実をそのまま述べているだけで、 日本の人は昔から、あんまり考える習慣はもたないが、なにが自分たちに必要かを評価して、飛びついて、あっというまに自家薬籠中のものにするのは得意で、なかでも芸術の分野では模倣に留まらずに、「世界の他のどこにもない美」をつくることに長けていて、それがいまに始まったことではないのは、例えば能楽をみれば一目瞭然であるとおもう。 しかも、伝統的には美が死と生をわける細い線のうえに生じて、 日本の人はいい顔をしないかもしれないが、日本の美といえば、 日本刀がいちばんで、大鎧、兜、面頬、吹き荒ぶ暴力の嵐に立ち向かうとでもいうような、人間の儚さの形象が、最もすぐれている。 西洋理屈から日本語をたどって日本社会に分け入って、十分に共に痛みを共有するというところまではいかなかったが、西洋理屈に照らせば日本の社会のどこが傷んでいるのかは、十分に判ったつもりなので、… Read More ›

  • 感情言語としての日本語

    日本語は感情表現が豊富な言語だとおもう。 もともと繊細な感情など持っていない山賤は別にして、日本語は、感情のひだのひだ、その裏側、微細な動きまで表現しうる点で優れた言語で、語彙を入れ換えなくても、 わたしは、あなたを愛する。 わたしは、あなたを愛しています。 わたしは、あなたを愛しているんです。 ぼく、きみを愛している ぼく、きみを愛してる ぼくは、あなたを愛してます。 全部、意味はおなじだが、異なる感情を表現している。 単純な推測を述べると、漢字の「真名」は詐称で、日本語のほんとうの「まな」は、ひらがなで、そのひらがなが宮廷の女のひとびとによって次第に洗練されていった日本語を書き表す文字で、日記や、手紙の類におおく用いられて、しかも、和歌という定型を含む習慣のせいで、その定型詩の外側に広がる散文世界は、不定型な、やわらかい動きのものでよかった事情がありそうです。 その感情表現の多様さが、どれほど圧倒的なものかは、平安期の文学を読めば明らかで、近代日本語は、詩という形で、日本語の正統を受け継いだが、 鮎川信夫の初期の詩や、田村隆一、岡田隆彦、なかんずく岩田宏の詩を読めば、これを英訳するとして、いったいどうしたら、この感情の微細な機微が英語に訳せるだろうか、とボーゼンとする体のものです。 精密に出来たものを乗りこなすには訓練がいる。 日本語も例外ではなくて、例えば非母語人が母語並の文章を書けるようになるまでの労力を考えると、感覚的に見積もって、日本語は英語の十倍くらいも時間がかかりそうでした。 英語などは、案外と簡単に母語の水準に達して、その証拠に、12歳くらいから始めた人はもちろん、20歳を過ぎて英語を初めて習得しはじめて、母語人よりも遙かに優れた英語を書く人は、昔から、たくさんいて、 このブログでは、日本の人は文学と言わず音楽と言わず、古いビッグネームが好きなので、20歳で初めて独学で英語を習い始めたジェゼフ·コンラッドやドイツ帝国のミュールハウゼンに生まれた、ヴィルヘルム·ヴァイラー、後の亡命ユダヤ人ウイリアム·ワイラーの例を挙げたりしていたが、 現代の英語世界を見渡すと、非母語人の職業的な英語作家だけで、何百という数で存在して、このブログ記事でも、Arundhati Royを始め、何人も紹介してきた。 非母語人の英語の特徴を話し出したりしていた十余年の以前とは、また、状況は異なっていて、もうあんまり言挙げするほどでもないというか、 英語で考えて、英語で書くのは、普通の習慣になっていて、数カ国語を普通に母語の水準で話し、書く、Lena Boroditskyのスピーチを取り上げたときに書いたが、異なる言語によって、思考そのものも、人格も異なって、異なって、といっても、あたりまえだが、180度というような異なりかたのわけはないが、例えば日本語では青としか意識されない色彩の幅のなかで、ロシア語人はgoluboyとsinyの明瞭に異なるふたつの色彩として認識していて、 ほぼgpluboy+siny=青くらいの集合のおおきさになっている。 統計をとると、どういうことになるのかは判らないが、いつのまにか世界共通語に化けて、これで考えて書いたり話したり出来ないと、世界に参加できなくなってしまっている英語と、生まれた地域の言語のふたつの母語を持つ能力の人はもちろん、多言語で異なる認識空間を旅して遊ぶ人たちの数も、 誇張ではなく指数関数的に増えて、なんだか周りの若い人を見回しても、 名うての言語習得下手の英語人でさえ、イギリス語人にとってのフランス語、アメリカ人にとってのスペイン語などは、理解できて普通、判らないとなると、なんで?ということになってしまっていて、 例えばニューヨークやマイアミでスペイン語が判らない人などは、状況によって、下手をすると人種差別主義者なのではないかと思われかねない。 そういう21世紀も四分の一が経った時点での言語事情は、ヒットチャートを見れば一目瞭然で、自分が好きで、こういう歌知ってる?と引用したyoutubeの歌を見ても、歌詞の半分がフランス語やスペイン語で歌われているなんて、ごく普通で、スペイン語の歌が英語のヒットチャートに並んでいたり、もっとテキトーな人になると歌詞のセンテンスが英語で始まっているのにスペイン語で終わっている、あるいは、その逆、というようなことも、よくある。 日本語人は英語で考えて話したり書いたりすることを頑なに拒んでいるうちに、悪いこととは言わないが、どっか、他の世界に引退してしまったように見えます。 異なる精神世界に民族ごと、日本語を乗り物に、引っ越してしまった。 その結果、起こったことは言語上の生態隔離で、言語全体として感情が肥大化して過剰になって、語彙を適切に選ぶ訓練が出来ていない人たちにとっては、現実と一緒に感情を鷲摑みすることなしには、事実を記述することが出来なくなってしまっている。 散々、いままで書いてきたので、もういちいち例はあげないが、感情まみれというか、日本語ほど自他の感情を煽り、相手の感情をやわらげたり傷つけたりすることにエネルギーを費やす言語は、他には見あたらないようです。 弛緩した言語感覚で書きはじめると、濃厚に感情が浸潤してしまうのは、明治の頃から意識されていて、抒情詩人として出発して、食べるために小説家に転向しようと考えた島崎藤村が、まず自己の日本語訓練プロジェクトとして始めたのは「千曲川のスケッチ」という、感情を極力廃した、世にも退屈な散文を書くことだった。 目論見は成功で、いまでも日本の散文の名作として称揚されています。 現実を現実のままに、「ポンッと眼の前に放り出すように書けない」日本語が、生態隔離されて、野放しになって、そのうえ適切な訓練を与えられないまま日本語人として生きることになった日本語人が、どういう局所的進化を遂げることになったかというと、言語的な雑種不念、雑種死滅に弱勢、雑種崩壊というような基礎になる部分での孤立化を起こして、ついに、世界を認識する言語として不適当なところまで来てしまっているように見えます。 平たく述べると、言語集団全体として、なんだか、ものすごくヘンなことを考えて、少しも怪しまない言語世界を形成するに至った。 日本語が判る友だちが、日本語ツイッタを、ものすごく面白がっていて、なにが、そんなに面白いの?と訊くと、ツイートに対して下に連なっているリプライが、全然、返事になっていないところが面白い、という。 どれどれ、と指さしたところを眺めて見ると、なるほど、元ツイートをちゃんと判っていなくて、トンチンカンな曲解が多いが、しかし、観点を変えて感情の面から見直すと、相手がこう思っていると推定したことに対して自分の感情をぶつけているので、感情と感情の対話としてなら、ちゃんとツイートとリプとして成り立っているのです。 いつか、日本語は論理や事実の対話であるのをやめて、感情と感情の会話になりつつあると述べたことがあるが、いよいよ大詰めで、 日本語は、感情語として再生されつつあるように見えました。 無責任なことを言うと、他にそんな言語はなくて、面白いのでいいのではないかとおもうが、実際、社会の運営には役にたたない言語になってきているので、困るといえば困るとおもうが、そっちは英語でやればいいのではなかろうか、とおもってます。… Read More ›

  • 家のなかのイギリス人

        厨房を通りかかると、いつもは、なあんにもなくてピッカピカのベンチに、なぜかバゲットが置いてあります。 見ると、新鮮で、どうやら買い出しにでかけた家の人が、自分用に買って、置き忘れていったものであるらしい。 グーグルくん、何時? と、キッチンのグーグルホームに話しかけると、 時刻は午前2時です。 草木も眠る、丑三つ時。 ニヒヒヒ。 妙案をおもいついたわしは、ギザギザがついた包丁を片手に、冷蔵庫を物色する。 プロシュートがあるね。 ジャム棚にはイチジクのジャムがある。 フヒヒヒ。 死体をバラバラにする要領で、バゲットをパン用まな板に横たえて、グサッ、ズリズリズリと刄をいれるわし。 4分の3ほど切り込みをいれると、いやがるバゲットをこじ開けて、べったり、ジャムを塗ります。 引っ張ると、のびるばかりで、これも嫌がって抵抗するプロシュートを、無理矢理、引き剥がして、バゲットに押し込む、無慈悲な男の、わし。 プロシュートとイチジクのジャム、めっちゃ合うんだよね。 最近、禁酒を標榜しているが、赤ワインは酒にあらず、と言われているので、と書くと、「誰が?出典が必要です」とか日本語ウイキペディアに注をつけられそうな気がするが、言われているので、 視界の端に入った赤ワイン、チャーチロードのメルロー、これはAirNZの会員制コル·ラウンジにもある安ワインなんだけどね、癖も味もなくて、自己主張が小さくて、水みたいなワインであるという美点があるので、なんにでも合って、当然、即席バゲットサンドにもあうので、コップに、トクトクトクと注いで、あー、うめえ、と飲みます。 ドイツビールじゃないんだから、って、あのね、ワインといえど、こういうのは、コップから、ぐびりと飲むからいいんです。 例の、カタルーニャ人が好きな革袋でもいいけどね。 あれは、馴れないと、ピュッとしぼった拍子に顔に赤ワインをぶちまけることになったりするので、丑三つ時には向いていないのだと言われている。 COVIDのパンデミックで家のなかのジムを拡大したついでに、自分の部屋の、なあんとなく間が抜けたコーナーの余白に、トレッドミルとSpin Bikeを並べておいてある。 経験上、市販のものは、わし肉体の迫力を支えかねて一瞬で壊れるので、ふたつとも、マジメな、ジム用です。 ちょうど真向かいにDellのゲームブランド、エイリアンウエアの55インチゲーマー用モニターがある。 日本でも流行ってますか? ゲームPC。 電源を入れると、ぶおーんと電源ファンが回り始めて、PCに水が循環して、キンキラキンキラ、極彩色のLEDが、キーボードのキーや、本体、あんまりおおきな声では言えないが、家の人やモニに大顰蹙の、ゲーマー御用達LEDタワーが光り始める。 エイリアンウエアのモニタは、高いのに暗いから嫌だ、という、そこのきみ。 きみは、判っておらああああーん(←コンビニ店員を説教する客のおっちゃん風)、ゲームPCというのはね、昼なお暗い、カーテンを閉め切った、闇のなかで使うように出来ているのです。 だから、あれ、明るくちゃダメなのね。 バックライトも、わざと省いてある。 コンピュータを使うのに、これ以上のデザインはあるわけない、というくらい、よくデザインされたゲーマーチェアに深々と腰掛けて、というのがゲームをするときのスタートになるわけだけど、背もたれが高い、ゲーマーチェアを脇にどけて、リモコンでチャンネルを変えながら、ドラマや映画の廃人、じゃなくて、背信、でもなくて、どうして日本語はこう同音異義語が多いのか、配信を見ます。 Spin Bikeは静かなので普通のゲーム用サラウンディングスピーカーを使うが、トレッドミルは、歩いているときはいいが、スピードを上げて走り出すと、ドスドスうるさいので、ヘッドフォンを使う。 SONYのWH1000-XM3、めっちゃいいよね。 いま見たら、いつのまにかXM4が出ていて、小癪だが。 英語社会では、日本の家電AVメーカーは全滅です。 2010年にパーネルからリミュエラに越したときは、と言っても日本語の人には「なんのこっちゃ」に決まっているが、ともかく、越したときに家電を一新したときでも、もうマイクロウエーブがパナソニックで、日本のメーカーのものは、それだけだったが、いまはついに日本のメーカーのものは、ダイキンのシステムエアコンとSONYのプレステだけになってしまった。… Read More ›

  • もういちど日本へ

    自分でも、もういいかげん日本語はやめたらどうなんだろう、とおもう。 ほんとうにオカネがあったら、ボソボソと日本語を書いていたりするわけはない、と嫌がらせをいいにくる人は、むかしからたくさんいて、 どうも読んでいると、そういう人は、カネモチは160フィート船のアフト·デッキで、シャンパンを片手に身体をくねらせているスウィムスーツのデルモの皆さんと、きゃあきゃあと愉しい午後を過ごして、夜は、そのうちのひとり、もしくは、もっといけない人はふたりと、ムフフ、な生活をしているとおもっているらしい。 いるけどね、そういう人。 たいてい、オカネがあんまりない出発で、アフトデッキくねくねムフフを夢見て、狂ったように仕事をして、オカネが出来ると、一目散に160フィート船を買う。 しかし、まあ、当たり前だが、すぐ飽きます。 オカネを稼ぐには、あんまり知能はいらない。 アイデアひとつと、アイデアを実行に移す、知的能力とは、やや別の能力が必要なだけです。 それに対して、オカネを使うには、作るときとは別種の、高度に知的な能力がいる。 絵が判らなければ、いくら有名な画家の絵を蒐集しても、隠そうとしても顔に出てしまうらしい招待した客の軽蔑の影がある顔と対面することになる。 だからオカネを作る能力はあっても、うまく使えない人は、たくさんいて、ビンボなニュージーランドでの友だちでさえ、若くてスーパーマーケットの経営に成功して、不動産投資も始めて、きゃあきゃあムフフ路線に進んだが、カネモチボートが集まるので有名なMan o’War Bayで待ちあわせて、行ってみると、 さっそく冴えない顔で、ガメが言ったとおりだった、という。 なにが? と訊くと、ボートって、こんなにカネがかかるものだとは思わなかった、 最低でも年間ボートの価格の一割、ときみは言っていたけど、それはいくらなんでも誇張だろう、と思ったんだよ。 でも、現実はもっと酷かった。 1年に2億円以上、ただボートを持っているだけで消えていくのが判ると、なにしろ、この人は経営者なので、たまらない気持になるもののようでした。 でも、まあ、綺麗な女の人たちにチヤホヤされて、いいじゃないの、と述べると、一層、暗い顔になって、ああいう女はバカばかりだ、と、聴いていて吹き出しそうになることを言います。 もうボート、売るよ。 他の人には出来ない、一生に一度の経験が出来たから、それでいいことにする。 と、俄カネモチとは思えない、賢明なことを述べていた。 トニー·チン、という人がいる。 @TonyChinというアカウント名でtweetしている。 この人は、twitterブッシュに集まってくる鳥さんたちのなかでも出色に面白い人で、武具の専門家で、たしか前にはスタンフォード大学と、日本のどっかの大学で講じていたはずだが、それとは別に、英語、中国語、日本語が母語です。 この人や、こちらは昔からの友人の勲さん @IsaoKato 、マルタ島で生まれて、育って、いまは台湾が気に入って住んでいる人ですが、こちらも英語、中国語、日本語が母語並で、あといくつ言語が判るんだか知らないが、ともかく、 ふたりとも同じことを述べていて、言語によって人格が異なっている。 あんまり理屈ではなくて、実感でしょう。 言語習得の最もおおきな楽しみは、これで、特に特殊なことではなくて、 もうバラしても怒らないとおもうが、ロマネスク美術の研究で、日本にいて、日本語でやっているのに、すんごい内容の研究をする金沢百枝さん @momokanazawa さんも英語と日本語では人格が異なっていて、面白いことに英語でのやりとりのほうが、こちらから見ると「自然」な感じがする。 そういうことが楽しくて、言語遊びに耽っているが、しかし、もういいかげんにしたらどうなんだ、という気がする。 特に日本語は、なにしろ生活のなかではまったく使わない言語であるうえに、最後に日本を訪問したのが12年前で、言語どころか、どんな国だったか、ちゃんとおぼえていなくて、このあいだなどは「ああ、横浜中華街の『青葉』で豚の角煮が食いてえ」と考えてから、よく考えてみると、「青葉」があるのは台北だったのを思い出して、呆然としてしまった。 なんだか、現実なのか現実ではなかったのか、現(うつつ)か夢か、もう判然としなくなっていて、頼りないこと、このうえがない。 一方では、頭のなかに架けてある「日本」は、少しずつ色が褪せて、輪郭も怪しくなっているけれども、嫌な染みが消えて、愛おしいまでの、細い線で描かれた姿を見せている。 見ていて、どうもこれは、現実ではないな、美化されすぎなんじゃないの?とおもうが、自分が身に付けた、ほんの少ない数の言葉のなかでも、現実から乖離してしまっているからでしょう、というよりも拠って立つ現実が、記憶された取捨された日本の面影と入れ替わっているからでしょう、… Read More ›

  • 貧しさの跫音

    (この記事は2010年8月22日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5に掲載された記事の再掲です) わしは人混みは大嫌いだが高速道路のサービスエリアの人混みだけは嫌いではない。 気持ちが少し華やいで浮き浮きしているひとが多いからでしょう。 サービスエリアの人混みには日本人には珍しい「表情」があると思う。 みながなんとなく楽しそうであって、まるで普通の国にいるようです。 鉄道の駅では無表情だがクルマで移動するときには表情が活き活きとしているのは、なにがなし、「集団」というものが個人に与える影響について考えさせる所がないとは言えないのかも知れぬ。 わしは殆どの場合長野と東京のあいだを高速道路で往復しているだけなので、サービスエリアもこの路線沿線くらいしか知らん。上りは横川が釜飯のおぎのやのおばちゃんが改装してかっちょよくなったのでときどき寄る。下りは高坂か上里が多いようだ。ときどき三芳の「まい泉」でカツサンドイッチを買っていくが、どうも本家よりもおいしくないような気がする。 こうやって書くと高速道路に乗ればサービスエリアに寄るようなふうだが、ほんとうは、そうでもないす。広尾と軽井沢のあいだは180キロくらいしかないので、ぶっ、と走るとすぐ着いてしまう。寄るのはモニが「喉が渇いた」とか「お腹がすいた」とむずかるときだけであって、それもだいたいわしがクルマを降りて買い物に行く。で車内で食べます。モニはどーゆーわけかサービスエリアは衛生的でないと決めておるよーだ。 わしはクルマのなかで食べるより他人にまぎれてひとの様子を観察しながら食べる方が好きなのでいやがるモニを横抱えにして、はまさかウソだが、巧言に令色を重ねてときどきレストランにひっぱってゆく。 そのときもそうであった。 軽食でいいや軽食でちゅうんで「わたし何も食べない」というモニを目の前において、わしはカツ丼だかなんだかロクでもないものを食べていたのだと思います。 ふとふたつ離れたテーブルを見ると、先刻バスで着いたとおもわれるガキ大集団のひとりがテーブルを占有しておる。 おまけに友達がもってくるとおぼしきおかずを待ちきれないのか、白いご飯だけをもう食べておる。 最近の日本クソガキは躾が悪いのお、と思いながら、ちらちらとガキを眺めやるわし。 第一あのクソ勢いで白飯を食ってしまったら、友達がもってくるおかずが到着する頃にはもうご飯ないやん。 それでは日本人のご飯と「おかず」を交互に食べる、という偉大にして珍妙な習慣に反してしまうではないか。 そもそも主食とおかずは秋津島の固有な習慣にして行き交う人もまた食べる人なり、とかあんまり意味をなさない日本語を頭のなかでつぶやいていると、ガキがやおら白飯の丼を机の下に隠すようにしておる。 なにやっとんじゃ、あいつ、と思いながら、ガキの視線が漂う先を見ると、ひとりのおばちゃんがなにやら不審げにガキを見ておる。ガキはどうやらその視線をそらすべく丼を隠したもののようである。 「あの子は、白いご飯を買うだけのお金しかないようだ」とモニがいいます。 えっ?と思っていまやこそこそと机で隠し気味にした丼から遠距離を箸で米を口元に運んで途中で落っことしそうになったりしておるガキを注視するわし。 ガキは流石に白飯だけの丼を平らげるのは難儀らしくいまや情けなさそうな顔で丼に目を落としておる。 途中でふたり連れの友達がやってきて漬け物の小皿を置いていった。 ガキは「いらねえよお」というような事を言って笑いながら返してます。 しかしわしはふたり連れ漬け物ガキが去った後、ちょっとだけ涙ぐんで唇をひきしめたガキの横顔を見てしまった。 ガメ、泣いてるぞ、わかってるか、というモニのからかうような声。 うるせー、と思いながらモニを見ると、モニさんの目も潤んでおる。 わしは涙ぐんでいるガキンチョに寄っていて、こら、そこなガキ、あのおばちゃんがいるところまでいけば福神漬けがタダであるから、せめてそれをもらうくらいの知恵を使わんかいボケ、と言おうかと何回も逡巡したが、結局やめました。 クルマに戻って、モニとわしはずっとこのガキの話をしてました。 あれは学校の旅行のようだったが、ニュージーランドでは貧乏親と学校がこっそり話し合って親に十分な金が無ければ学校がすべて負担する。 ガキどもが間違いなく同程度の現金をポケットのなかで握りしめられるようにします。 わしは人間の富が平等に近くなるべきだ、というような寝言は嫌いだが、ガキは別である。ガキの時代にビンボーであった記憶は、そのガキ肩に一生のっかって、ガキの人生を苦しめるからでガキはすなわちカネのことなんかちょっとも考えないで暮らすからガキなのです。 おもえば、あの子供は身なりがビンボ臭くなかったので、わしはすっかり欺されてしまった。 白飯ガキは結局白飯を一粒残らず食べる周到さで丼を平らげると達者な演技力で陽気な顔をつくると、十何人かで、あるものはラーメンをあるものはカツ定食を食べていた友達の集団めがけて駈けていって、何事か叫んでふざけあっていたが、きみは、なにをおおげさな、というだろうか、わしは日本の社会に確実に迫っている何事かの幽かな音を聞いたかのように、この小さな出来事のことを考えました。 義理叔父が子供の頃、白いご飯に食パンのおかず、という弁当をもってくる同級生がいたという。普段は「給食」だが、弁当の日があると、そういう子供がまだクラスにひとりふたりはいたそうである。 それが、なくなっただけでも日本人はよしとせねばならんかしらん、とゆったので、わしに何をいいくさる、と怒られた事があります。 でももしかすると社会の幾分かはまた子供に弁当すらもたせられないほど困窮し始めているのかも知れません。 給食費を「払わない」親に憤激する社会の影で、もしかすると、給食費を「払えない」親たちがじっとしゃがみ込んで社会の怒号に震えていたのではなかろうか。 問題が「親のモラル」に収斂していく過程でほんとうのことを言えないまま、肩をいからせてみせていた親もいたのではないだろうか。 わしは雑誌や新聞を平気でゴミ箱から拾うひとびとの、その品性のまったくない功利主義が嫌いだが、あるとき、背広の男がゴミ箱から食べ物を拾ってもっていったのを見た事がある。食べかけの菓子パンだったが、そのときもわしは、あっ、と思ったものでした。… Read More ›

  • 続ビンボ講座 その21 戦うビンボ女

    太平洋戦争の終わり、アメリカ軍の激しい爆撃で医科研以外の建物という建物を吹っ飛ばされた白金では、焼け爛れた木の枝に引っかかった腕や首、足を見上げながら坂をのぼっていくと、三光町の丘の上から海が見えた、という。 きみが住んでいる天現寺は、三光町のいわば隣で、木造アパートの一階の高速道路の橋桁に面した絶景をカーテンで隠して住んでいる。 以前のアメリカ出版社の日本支部という触れ込みだった勤め先では男の社員たちがシロガネーゼシロガネーゼときみを呼んで、ささくれだった気持にさせられたものだった。 「まったく、このおれの人生は」 と、きみは、女のひとり住まいの、21世紀だというのに、微かにドブの臭いがする湿気った部屋の片隅に膝を抱えて考えている。 どうして、こんなについてないんだ。 だいたい日本みたいな国で、女に生まれつくなんて、いったい、おれは前世でどんな悪いことをしたというのだろう。 大学の求人から始まって、転職ウエブサイトまで、女で雇ってもらえそうな会社は、なあんとなく傾向が定まっていて、文化的な香りがするが給料は安い、という例のあれです。 おれの専攻はギリシャ哲学だったので、編集者を志して、カラーの表紙にソクラテスの豚顔のアップが載っていて、扉表紙を開くと、ギリシャパーマのアポロンにそっくりさんのチン〇ンもろだしの筋肉美ヌードが三つ折りカラーグラビア写真で付いている、というような人気雑誌があればいいが、そうもいかないので、いちばんクソ男ばかりが給料が高くて威張ってなさそうなアメリカ資本の出版社に潜り込んだが、女ボスは、エール大学を出たのが自慢の、クソ女で、日本の私立大学を出たおれなんかはキャトルクラス扱いで、女の上司だからよさそうだとおもったおれが甘かったというか、男でないこととは別に、低劣な人格というものも別個に存在することを、おもいっきり知らされてしまった。 文字にすると、天現寺から青山に通勤する、颯爽とした出だしだったはずだが、実態はドブの臭いがするクソ部屋を出て、駅前で待ち構えていた大学のときからのストーカー男に気が付いて顔を引きつらせて、なけなしのカネでタクシーに乗って、青山の会社につくと、だって、こんな仕事量をどうやって一日でこなすんだよ、このタコ女!とおもうしかない膨大な資料整理を押しつけられて、這うような気持で、深夜、家に帰ることになっていた。 ある朝、眼が覚めたとき、こんな暮らしをしていると絶対死ぬな、と判ったので、おれは転職することにした。 今度は市ヶ谷の学術系出版社で、学術系出版社と学術出版では、おなじ出版社でも役割がまるで異なるが、うぶかったおれは、そんなことはまったく気が付かないまま、せっかく40万円あった月給を捨てて、20万円の学術系出版に、自分の将来のキャリアを信じて入社することにした 案外、よかった。 給料が半分になっても、そのころダンスクラブで知り合った日本にいる外国人向けの遊び場ガイド雑誌を出してる会社に勤めるアメリカ男と一緒に住むことにして、薄給もふたりあわせれば、なんとか食える額で、なによりも仕事で会う研究者を中心としたひとびとは、やっぱりガクがあって、膝をガクガクさせたりしながら、延々と蘊蓄を述べるが、蘊蓄の内容が、おれが三度の飯よりも好きなアリストテレスやプラトン、だいぶん外れていった担当でもダンテどまりだったので、仕事の打ち合わせのはずなのに、話から話へ飛んで、あっというまに5時間なんてこともよくあった。 なかでもアメリカの大学で日本文学を教えている女の作家は、すごい人で、ものを大事にしないおれには珍しく、そのときの原稿と、打ち合わせのノートは、そのひとのためだけの引き出しに、大事にとってあるんだよ。 幸福な日々は、5年も続いただろうか。 All good things must come to an end. すべてのよいことには終わりがある。 なにそれ、いま考えたの?と言われそうだが、この平凡な見てくれで、14世紀初頭の中世の諺なんだよ。 ある日、日本では有数の中世倫理学の研究者でもあった社長が、池袋のラブホテルで若い女の身体のうえで、いわゆる腹上死を遂げてしまって、大騒ぎのなかで、オカネをもらいそびれた、その高校生の女が、社長の家に電話した瞬間に起こった阿鼻叫喚の大騒ぎのあとで、新しい社長がやってきた。 本居宣長の本を出したいとかなんとかが、その会社にはもともとは「訓示」なんてなかったんだが、初めての訓示で、いやあああな予感がしたが、 当たっていて、社長になって次の日には、女の社員を全部一室に集めて、そもそも性別で分けて社員を集めるだけで胡乱(うろん)だが、言い出したことは、ほんとにそんなの合法なのかよ、と言いたくなるくらい胡乱で、 「今日から女の編集者は全員、営業にまわってもらいます」と言う。 へ? とおもって、いまのいま、耳から入って、頭のなかに反響した言葉を反芻してみたが、まごうかたなく、コダカラーの色彩よりはっきりと、 「今日から女の編集者は全員、営業にまわってもらいます」と言いやがった。 「ふざけんな、この豚、おれは、断る。自分のヘソかんで死ね」と口を開いたが、浮世では、仮の姿、おれは細面の、浮世絵美人のモデルになれそうな、なよい女の姿で、外見と世間の思い込みから来た必然で、女の言葉で話すことになっているので、 「わ、わたしは、いやです。申し訳ありませんが、お断りします。 わたしは編集の仕事がやりたくて、この会社に入ったんです。 お願いします」 と、情けないくらい哀れっぽい言葉が口を衝いて出た。 その晩、あの会社の社長から来たemailを公開したい衝動になんど駆られたか。 遠回しに、豚野郎のくせに、そういう修辞だけは上手で、… Read More ›

  • 続ビンボ講座 その20 燃えよ、田舎暮らし

        戦時中、軽井沢には様々な国籍の外国人たちがいた。 同盟国人のドイツ人が多かったが、公使館があったスイス人や、ドイツに降伏したフランス人、日本に帰化したアメリカ人やイギリス人もいたはずです。 1942年生まれのロバート·ホワイティングなどは、伝聞なのでしょう、「町ごと収容所だった」と、たしか書いていたが、 収容所だとしても「軽い幽閉」とでも言うべきもので、軽井沢のなかにいれば、憲兵隊も敵国人も、お互いに干渉しない不文律がある、不思議な空間だったようです。 戦後の研究で、スイス公使館の要請によって、アメリカ軍の空襲対象から除外されていたことも、いまでは、判っている。 案外な自由空間で、(いま見ると日本語ウィキペディアには戦後に疎開した、と書いてあるが、戦時中もすでに軽井沢の万平ホテルに続く道に面した家に住んでいたはずの)ポール·ジャクレーなども、お化粧をして、日本の女の人の歩き方をまねた、下駄履きの女ものの浴衣姿で、なよなよと歩いていて、地元の日本の人たちをギョッとさせたりしていたもののよーでした。 俄には信じがたく、ぶっくらこくことには、そういうウルトラにチャラい格好で、しなを作って歩いていて、憲兵隊にいちゃもんをつけられることもなかったらしい。 多国籍コスモスのゆるいコミュニティのなかは、意外に息がしやすい場所だったように見えるが、困ったのは食料で、戦時中の外国人ということで、 ほぼ全員ドビンボで、佐久平や御代田に伝手があればともかく、なにしろ、もともとは作物など、なんにも穫れない土地柄で、やむをえないのでキノコについて、みんなで情報を交換して、森に分け入って、食べられるものを採って飢えを凌いだという。 ちっこい、蔵書があんまりない軽井沢図書館で、むかし語りを読みながら考えたのは、「東京じゃキノコ狩は出来ないよね」ということで、そういうヘンテコリンな反応を示す人がいるから、本を書く人は油断できないが、 もしジャクレーたちが東京にいれば、多分、飢え死にしていたのではないかと考えました。 ビンボは都会に住んでいる人間にとってのほうが、つらい。 子供のとき、ニュージーランド南島の、カンタベリのド田舎に、かーちゃんが買った農場にいることも多くて、馬さんや鹿さんと一緒に、「やっぱり」と考えた、そこのきみ反省するように、テラスで踊りまくる仔牛さんなんかも一緒になって、楽しい夏を過ごしていた。 だんだん、近所のおっちゃん農場主たちと仲良くなってみると、当時のニュージーランドのこと、おっちゃんたちは、びっくりするほど貧乏で、 年収が、1万ドル、当時の円通貨レートでいえば、60万円、なんていう人もいた。 レタスをつくって、道端にならべて「この箱に2ドルいれてね」と記した箱を置いている。 近所で屋根を葺き替えると聞くと、手伝いに行って、なにがしかのオカネをもらう。 果樹園にリンゴを拾いにいったり、もう、ありとあらゆる端布仕事のあわせわざで、食うや食わずで生活している。 それで田舎のどんづまりで、暗ああああい人生を送っていたかというと、豈図らんや、四十歳や五十歳の、いいとしこいて、「あんた、いくつ?」なガキンチョぶりで、 休日でもなんでもないのに、いきなり鉛管工事や電気工事の仕事をさぼって、なかよしの4人で集まって、誰がが入手してきた「日本酒」のレシピで、裏庭で「サケ」をつくって、ところが、この「サケ」が60度ほどもアルコール分があるという代物で、4人のうち、3人は気絶して、サバイバーのひとりが必死に這って、電話にしがみついて救急車を呼んで、ようやく命を取り留めたりしていた。 ガキどもはガキどもで、崖の下に転落したクルマの車体やタイヤ、ハンドルの輪、部品が点々と転がっている崖っぷちの細い道を、最年長者の13歳リーダーが運転して、0.9車線の道をたどって丘の反対側に行く。 ここは、ぼくも好きで、賢くもクルマなんて当てにならないのを知っていたので馬ででかけたものだったが、隠れ里で、な、なんと地図に載っていないおおきな滝がある。 滝壷で、みんなで水遊びをしていれば、あっというまに夕闇が迫ってきます。 あるいは、河原や森のなかには、子供たちだけの秘密の温泉があって、 石を避け、地面を掘っていると、温泉があって、寝転がって、南半球特有の雄大な、煙るような天の川を眺めながら、みんなで子供なりに陶然とする。 もちろん子供たちだけでなくて、おとなたちも、遊びについてなら、やたら知恵が生まれて、高い橋の上で、下を見下ろして、つんおい長いゴムがあれば、飛び降りたら、びよおおおーん、びよよよおーんになって、めっちゃ面白いのではなかろうか、と考えたりする。 やってみると、これが、ものすごく面白い遊びで、結局この人、「バンジージャンプ」を考えたハケットは、事業化して、ボロ儲けで、たしか散財が過ぎて破産したときはパリで豪遊生活を送っていたはずです。 (これもついでに日本語wikipediaをバヌアツの伝統が発祥だとか、オックスフォードの学生が発明したのだとか、仔細らしく書いてあるが、へえ、そうなのかあ、お話としては聞いたことはあるが、おなじものと言えるかどうか、本旨と関係もないので、ニュージーランド人が信じている話のほうでとどめておくことにします) 大都会は経済発展のメカニズムのなかで出来上がるので、当然に、そこに生きている人のあいだに勝ち負けがあり、激しい競走が存在して、個人の懐ろ具合が経済に鋭敏に反応する。 それに較べると田舎は自分の知恵で、自分の生活を豊かにできるのは、日本でも、ほぼ自明に思える。 「夏の家」を持っていた軽井沢は、東京の飛び地のような町で、ほんとうの田舎としての軽井沢と、おフランスと同じ路線の感情で出来た、お軽井沢と、ふたつの重層で出来たように見えたが、周りの土地は純然たる田舎で、 ニュージランドで田舎遊びのコツを身に付けていたぼくとしては、落ち葉が覆って、タイヤの轍ひとつもない県道のまんなかに、やおらピクニックのマットを広げて、モニさんの歓心を買ったりしていた。 オークランドで、いまでも、人の眼から隠れたビーチに出かけるときも、おなじことをするが、ポットに紅茶やコーヒーを詰めて、サンドイッチをつくって、岩場や砂浜にでかけます。 自然の造形は、人間の感覚などは遙かに越えて巧みに出来た美しさなので、 冒頭にかかげてある画像は、カレカレの浜辺だが、自然もこれくらい美しくなると、おもしろいことに、神様がつくったCGのように、非現実と感じられる。 もう気が付いたと思いますが、あんまりビンボになってきたら「田舎に越してライフスタイルを変えてみる」という方法もあると思っています。 そのうえに、前回の記事で書いたように、細々とでもオンラインで海外に収入ソースがもてれば、もう最高の生活が保証されている。 長くなって、また悪い癖で、飽きてきたので、そそくさと書くと、… Read More ›

  • 続ビンボ講座 その19 円安なんだぜ

    「急激な円安」は日銀総裁や日本経済にとっては危機だが、個人にとっては、そうでもない。 アメリカドルやユーロ、日本円のようなメジャーカレンシーの国に住んでいると判らないが、ニューランドドルのようなマイナーカレンシーの国に住んでいると、通貨の上下は、どうかするとサーフィンをやってるようなもので、というべきか、ちっこいボートで海のうねりを乗り越えていくようなもので、いま対円の歴史でみると、55ー62円くらいで安定している時期は長いが、ニュージーランド人が全員忘れもしない、ヘレン・クラーク時代の39円から、最近の92円まで、すごい幅で上下する 金も非常に買いにくい国で、日本ならば田中貴金属の刻印があるインゴットは相場で、その場で買い取るという昔からの政府の暗黙のお墨付きがあるが、 ニュージーランドでは金貨もインゴットも、いざというときに買い手が値切ったり、買い取り自体を拒否したりすることが出来る。 株式は、吹けば飛ぶような株式市場で、おまけに国外の株を買うときは、実は借り株なので、国内株はいいとして、仲介の会社が倒産した場合、どうなるの?という疑問を持つ人は買いにくい。 いまのようにインフレーションが進むと、現金が目減りするので、長期預金を組んでいる人は、お尻がむずむずしてきて、中腰になるが、オカネの持って行き場がないので、結局は不動産に行き着くが、ニュージーランドの不動産市場は、いまのように暴騰する前から悪名高いマーケットで、ドイツ銀行のアナリストなどは、失礼にも、数字を見て笑い出してしまったくらいで、 なにしろ国富が極端に住宅市場に偏っている。 30代の夫婦が1億円を超えるホームローンを組むなんてのは、普通のことで、 たしか30年以上は法律で禁止されたはずだが、20年ローンで、夫の収入は全部ホームローン行きで、妻の収入で一家は食べている、というのがごく普通になってしまっている。 そういう国で対円でいえば39円になったりして、大パニックかというと、そうでもなくて、中央銀行が黙って公定利息をあげて、たしか39円だったのは数日で数ヶ月後には62円に戻っていたとおもいます。 第一、こういう極端な上下が起きる理由自体が、ジョージ・ソロスであったり、はては賭博好きの元首マハティールが率いるマレーシア政府であったり、通貨の流通量が少ないので、狙われて、投機の材料にされる。 メジャー通貨の円では起こりえないことで、「急で大幅な円安」といっても、せいぜい1日の幅は対ドル1円くらいのもので、ニュージーランドドルのように、ある朝起きてみたら通貨の価値が半分になっていた、というようなことはありえない。 いまの円安の怖さは、それが「長期の傾向」で、市場も「こりゃダメだな」というか、円が魅力のない市場の通貨であることを信認してしまったことのほうにあって、上下を繰り返しながら250円から80円まで登り詰めた道を、逆に、歩きもどってしまうだろうと、「市場全体が気が付いてしまった」ことのほうにあります。 130円は心理的な節目だが、他のさまざまなインデックスの節目でもあって、例えば、お隣の韓国とひとりあたりGDPが、ほぼ並んでしまう。 韓国を相手に勝った負けたと一喜一憂するアホな人は別にして、このことには重要な意味があって、そのレベルまで個々の日本人が貧しくなると、 定義が曖昧なことが手伝って、暫くは看板をあげておくのを許してもらえるとおもうが、欧州の極右政治家や日本の人が大好きな言葉「先進国」ではなくなってしまう。 英語では「第三世界の国」と呼ぶが、日本語では、どうなるだろう? 「後進国」はpolitically incorrectということになっているので「発展途上国」だろうか。 しかし誰が考えても発展の途上にあるわけではないので「衰退途上国」かしら? と呼び名にすら困るカテゴリーに入って、ニュージーランドのように、ひとりあたりのGDPが低いことに「ナマケモンが揃っている」という堂々たる、世界にあまねく認知された理由があればまだしも、日本の人のイメージは「24時間、戦えますか?」の勤勉モーレツなサラリーマンなので、働けど働けど、我が暮らし楽にならざり、バッカみたいに働いているのに、 賃金がまったくあがらずに、岩山のとりかかりがない斜面を、爪を立てながら、ずるずると滑落していくイメージしかない。 ほんとうは賃金を、もっと早くからあげておけばよかっただけの話で、主に「中国は低賃金で安い製品を売りまくって儲けている」というケーハクで不勉強な経営者たちの中国経済理解のせいで、とにかく賃金を抑えなければで、中国の都市部の賃金があがると、なんの反省もなく、ベトナムに工場を移動させる、という能なしぶりで、ほんとうの理由は、チビチビ投資をやって、事業投資は一挙に行うという定石に真っ向から逆らって投資効果がない投資の仕方をあたりまえだが、全部オカネのばらまきに終わってしまったり、市場を国内と国外に分けて「まず国内で成功してから世界へ」なんて、これもぶわっかたれとしかいいようがない無能な経営の見本のようなマーケット戦略の失敗で、人道に反するような低賃金を続けた結果、国内市場が人口減以上に、やせ細ってしまった。 長く読んできてくれているひとは、よく知っているように十年以上にわたって、「こんなことをやっていては2025年くらいには破滅的なことになる」と何度も何度も述べて、結果は、嬉しくもなんともない、書いた通りになって、おまけに予想屋みたいなことは嫌いなので時期を書いたりすることは滅多にないが、タイムスケールを示すために2008年ごろから、ずっと設定してきた「2025年」は、オチョーシモノの、大言壮語は得意だが現実処理能力はゼロという、およそ考え得る限り最悪の政権だった安倍政権のせいで、やや前倒しになって、2023年~2024年くらいになるもののようでした。 ビンボ人が、日本から出ないまま、どうやら将来もつづきそうな大きな傾向としての円安のなかで生きていくためには「円に別れを告げる」しかない。 日本に住みながら使うほうで円に別れを告げてしまうと飢え死にしてしまうので、収入源を知恵をしぼって国の外に求める、ということです。 幸い、COVIDの後押しで、例えば昨日はニュージーランドでも五指に入るソフトウエアデベロッパーが有給休暇のキャップを外してしまったことが話題になっていた。一年365日有給休暇をとっても、絶対に会社は文句を言わない。給料は払ってあげるかんね。   あるいは英語社会ならどこでも「地球上のどこに住んでもいい条件のポジション仲介業」が存在する。 いま、ちょっと見ると、案の定、ニュージーランドの新聞サイトにもバナー広告があります。 CFOs See a Clear Pathway to Growth Through Global Expansion… Read More ›