ミュージックボックスを開く

なんか、もうどうでもいいや、と思う。 と言っても、別に投げやりになっているわけでも、絶望のはて、「もうのぞみなし」になっているわけでもなくて、例えていえば、ちょっと沖に出てみたら、行きたい方向に風が吹いていて、 まあ、なんてラッキーなんでしょう、そのうえ速い潮まで流れているので、 下手な考え休むに似たり、このマイクロラッキー状況に飛び乗って、 行けるところまでスイスイ行っちゃったほうがいいよね、という意味です。 状況をよりよくしようとしてジタバタするよりも、うまく行っているときには、状況に身体を任せて、行けるところまで行ってしまったほうがよい。 いままで生きてきて、人間の人生で最も驚くべきこと、という過剰に肩肘が張った大時代な言い方を止めると、ぶっくらこいちまったのは、人間が持っている資質のうち、最大のものは 「運」だ、ということで、やってみれば判るが、マジですか、というか、 努力なんてやったってやらなくたって同じことで、 時々に夢中でやれる面白いことに、朝の太陽が出て、鳥さんたちの囀りが聞こえ出すまで没頭して、その「きみに夢中」な対象は、当たり前だが、自分の意志で決められるものではないので、 正しい、正しいって、なにが正しいの、うーんと、そうすると、適当な、かな? 日本語は表現が多すぎるような気がするし、少なすぎるような気もするが、 とにかく自分が「快」の感覚に順って、趨くままに、どんどん行っちゃって、 そういう無意識の選択が常に自分を高みに連れて行ってくれる自分をつくっていくのが妥当な過ごし方の、人の一生であるらしい。 ああ、ややこしい。   閑話休題   これは実はですね。 日本の人には、ない考え方で、判りにくいでしょうから例を挙げると、 ラグビーって、あるでしょう? 学校の名前だけど、日本語でラグビーといえば、どちらかと言えば、その学校のコンジョワルの校長が考えたスポーツの名前のほうが通りがよさそうです。 ある日、校長室の窓から、円いボールで嬉々として流れがスムースな流線形のスポーツを楽しんでいる生徒たちを見ていた、ミスター・コンジョワール校長が、 「人生を教えてやらねばならん」と余計な決意をして、な、な、なんと、 やるに事欠いて折角円かったものを紡錘形にしてしまった。 お陰で、いったん手を離れると、どこに行ってしまうか判らない、クソボール、言葉が悪くてごみんだが、になって、広いグラウンドを右往左往する生徒どもを見やって、 これこれ、これじゃないと、スポーツみたいな知性への冒涜を人生に役立てることは適わぬわい、と自惚したというのです。 ヘルメットもなしに頭をガツンガッチンぶつけあうという野蛮な試合を繰り返した結果、これ以降、 イギリス人の中流以上の子弟は、みんなあの通りのバカになってしまう、という偉業を成し遂げたが、ひとつだけ良い結果を齎したのは、若いひとびとに、 「人間の人生なんて、色々、予測して計画たてて未来に対処しようたってムダだから、なにが起こっても大丈夫な自分をつくっておけ、そっちのほうが理に適っている」 という真理を植え付けたことでした。 つまり、こういうことです。 右を見て、左を見て、交通の間隙をついて道路を横断するよりも、疾走してくるトラックにぶつかっても大丈夫な強健な肉体を築いて、行き交うクルマなど気にも留めずに、気楽に渡ったほうがいい。 それでは死んでしまうではないですか、って? ええ。 だからイギリス人は破滅する人が多いんですね。 ところがところーが。 トラックにぶつかったって、おれはダイジョブ、と妄信して道を渡る人間のうちには、 不思議なくらいクルマにぶつからなくて、 急ブレーキをかけて止まったクルマに一瞥をくれて、… Read More ›

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  • ハムナー・フォレスト

      いつのまにか、ハムナーの森の、深い霧のなかに立っている。 ハムナーというのは、南島の、カンタベリーにあるスパリゾートで有名な内陸の町です。 綴りはHanmerだが、発音は、カタカナで書けばハムナーで、日本にいたとき、いちど、日本のガイドブックにはニュージーランドやイギリスが、どんなふうに書いてあるのか好奇心で、立ち読みしていたら、ほんとうはニュージーランドに行かないで書いたのか、英語がまるきり判らない人なのか、 案の定、「ハンマー」と書いてあって、面白かったことがある。 サーマルプールとスパが有名だが、ほんとうは、小さな町の周りに広がる森林を散歩することが、最も楽しい。 あっというまに、白く、濃密になる霧のなかで、現実世界では、いつもモニさんと一緒だが、ここでは、ひとりで、なんだか魂が半分なくなっているような不安定な気持になりながら、森の奥に向かって、歩いていった。 すると、霧の向こうに、30代くらいのカップルが立っていて、ぼくのほうをじっと見ている。 告白すると、最近は、アジア系の人の顔の特徴のつかみかたを忘れているようで、顔のタイプによっては、見分けがつかなくて、まったく異なる人を、同じ人だと考えて、声をかけて、恥ずかしいおもいをしたりする。 でも見知っているような気がする。 ここにいることを誰も知らないはずなのに、と考えていたら、 「ガメさんでは、ありませんか?」 と声を掛けられた。 ば、ばれてしまった、と、よく考えてみると慌てる理由はなにもないのに、狼狽してしまっている。 だいたい図体がおおきいわりに、だいたいいつも消え入りそうにしていることを心がけているせいで、他の人にとっては、モニさんの付録みたいな存在で、最も一般的な反応は、「ああ、あのモニさんの旦那さん」です。 名前までは、本人を目の前にしても思い出せないらしくて、巧妙に避けて通っている。 親切心をだしてJamesです、とでも言おうものなら、 「あ。モニさんの運転手のかたなんですね」と言われそうだが、考えてみると、この冗談は英語を話す人でないと、判らないので日本語で書いても意味がない。 なにしろ40歳に近いほうの30代になってしまったので、ひとの顔を見れば、だいたい、どんな人か想像がつきます。 さっきアジア系の顔が判別できない、と言ったじゃない、とふくれっ面になる人がいそうだが、それとはまた別の認識システムになっているようで、 この目つきでは側に寄らないほうがいいな、とか、こういう「爽やかな微笑」は詐欺師のものだよね、とか、他人の顔を眺めながら、内心では、ろくでもないことを考えている。 よく、こんなデタラメな顔で、マジメな顔をして話が出来るね、と見ていて可笑しくなる人もいる。 閑話休題。 諦めて、ええ、そうですよ、と答えて立ち止まると、 あなたのブログのファンです、と言われた。 さて、おれはブログなんて書いていたっけ、と訝るが、 相手がファンだというのだから、特に逆らう理由もない。 女の人のほうが、 「ガメさん、もう、いいんですよ」と言う。 もう、どうにもならないのが、判りましたから。 ガメさんが言うように、踵を返して、どこかで道を間違えた近代化の道を、80年なのか、150年なのか、逆戻りして歩いて、そこから出直すしかないのかも知れないけど、もう、わたしには気力がないんです。 一生懸命やってきたつもりだったが、たどりついてみると、随分、奇妙なところに来てしまった。 それは判っているのだけど、間違っていると判ってみても、前にしか行けないんです。後戻りは、辛すぎます。 男の人のほうは、女の人のほうを、気遣わしげに見つめていて、 ひょっとすると、この女の人は、なにか死に至るような病気に罹っているのだろうか、と、ふと、思う。 言葉が出ない。 なにを言っても、目の前の、ひたむきな表情で、懸命に語りかけてくる人に、正面から向き合える言葉になりそうにない。 個人なら、そういう言い方をすれば社会が衰微して亡びてゆくことなどは、たいしたことでもなくて、早い話が、例えば、他の国の、異なる社会に引越てしまえばいい。 最近は、日本では、たいへんな数で起きているケースらしいが、親の介護で離れられなければ、なんとか余力をつくって、必要な能力を身に付けて、 日本にいたまま外国の企業や機関で仕事をするという方法もあります。… Read More ›

  • 驟雨に

    日本語へ、帰ってくる、いつも。 もちろん、それは、あなたがいたからだった。 ぼくは30代も後半になったのに、あいも変わらない不良で、 とんがって、twitterなんて3万人を越えるひとをブロックして、 耳を塞いでいる、 なにから? あなたは訊くけど、きっと、現実の人間というものが嫌いなのでしょう。 コモ湖の湖畔をトレメッツォからレノンまで歩いている。 もう午前2時なのに。 教会堂の高いドアから光が洩れていて、 信仰心のないぼくは、あの教会の前の公園のベンチで顔を覆って泣いていた。 あなたの言葉が届かないところで、 日本語が到頭とどかなかった場所で、 ぼくは顔を覆って、激しく泣いていた あなたは、いったい、どうしているのだろう? あなたがきっと還ってくるとおもって、日本語の本の出版の話は、全部、断っちゃったよ。 でも、ぼくは、書いても書いても、あなたからの言葉が届かないところで、いったい、なにをやっているのか。 ポケットに手を突っ込んで、最後の20ドル札を握りしめている。 モニさんに会う前のぼくは、いつも尾羽打ちからして、同情して、自分の羽根の下で休ませてくれる女の人たちと一緒にいた。 チェルシーホテルで、 三つ目の詩を書きながら、 こんな人生なんて、あるものか、と自分を呪っていた。 ポケットに手を突っ込んで、最後の20ドル札を握りしめていて、 ぼくは、英語の世界を出て行こうと、(笑い噺だけど)「悲壮な」気持を固めていた。 ぼくは英語の世界を、一刻も信用したことがないんだよ。 自分の母語を信用できないものだから、 美しい人を見つけては、ペニスを、突っ込んでみたり、 やさしい腕をなでたりしながら、 放浪していた。 ぼくは自分という見知らぬ他人を愛せなかった。 ぼくは、世界を信用しなかった。 そうして、ぼくはメキシコを、ほっつき歩いて 日本語をつたって日本を、ほっつき歩いて、 どんな自分への期待も裏切って 雨に濡れて 驟雨に 魂まで、ぐっしょり濡れて 日本語の町へ、やってきた。 ぼくがそこで見たものは、文字通り、筆舌につくしがたい。 ぼくやきみには未見の町で… Read More ›

  • 海神へめぐりやまず

    海のほうから陸を見るくせがついているので、プタカワの木が風にそよいでいるのを見ても「このくらい風があるとホワイト·キャップが出てるな」と一瞬、海が白い波頭の広がりになっている光景を思い浮かべる。 風には、おおきなヨット、次に、おおきなエンジン船、が強くて、小さなエンジン船が最も弱い。 ヨットの方は小さくても、自分ひとりで乗っている分にはサイクロンの海でも大丈夫なくらいです。 忙しいが。 プレーニングと呼ぶ、例の、後尾に200馬力300馬力くらいの船外機を付けたヤマハやマーキュリーのアウトボードの、8m内外のボートは、静かな海面でも、止まれば動揺が激しくて、安定していたいとおもえば、いつもいつも高出力で疾走していなければいけないところが、なんだか、ある種のひとの人生を思わせて、哀切なところがあります。 最も楽ちんで、いいのは、ディスプレイスメントやシャフトドライブのセミプレーニングの14メートルくらいの船で、バストイレも、冷蔵庫も冷凍庫も、家庭サイズのものが付いていて、ラウンジにはカウチがあって、ベッドも12メートル船の舳先の形あわせたV字型のボート寝床ではなくて、通常のダブルベッドが置かれている。 一方では50フィートを越える船のように、海上を動き回る砦のような高々とした趣はなくて、海面が近くて、すぐそこで、セミプレーニングなどはトランザムのスイミングプラットフォームに出れば海の水が、ボートが速度を出すにつれて追いかけてきて、 足をひたひたと濡らしている。 風だけが問題なので、太陽が照りつけても、最小ボート組を除いてはエアコンもあるので、むかしのように船内は暑くはない。 電源はソーラーパネルで、トラックやバスに使う程度の容量のバッテリーがいくつか船底にあって、240Vの家電はインバーターで動かします。 この頃はClassic Kiwi Bachと呼ぶが、ニュージーランドには簡素な掘っ立て小屋にいて、夏を楽しむ習慣がもともとあって、ボートの内装も、それに倣っていたが、最近は贅沢になれて、bachよりも海を移動する別荘のおもむきになってきた。 自分でも、いちど便利になれてしまうと、クラシックボートまで改装して快適に過ごせるようにしてしまうので、ときに25フィートくらいの昔から持っているオンボロ·ヨットに乗ると、いつまでも卯建があがらない旧い友だちにあったような、不思議な気持になります。 海を彷徨するのは無条件に楽しい。 釣りをすることもあるが、たいていは、新しい釣りのアイデアが浮かんで試してみたりするときくらいで、あちこちの入り江を訪ねて錨をおろしたり、あるいはおおきなボートならば、360度水平線の、見渡す限り陸影もない海のまんなかで、濃紺の海に囲まれて、ぼんやり雲を見ていたりする時間がいちばん長いようです。 陸地から遠く離れて、海のまんなかで夜を迎えることには良い点があって、満天の星空、南半球特有の、空をふたつに分けて、垂直に、どおおーんと屹立しているミルキーウェイを甲板に寝そべって見つめていると、それだけで泣きたくなってくる。 気が付くと、ぼくは帰ってきたんだ、ぼくは、やっと帰ってこれたんだ、と意味不明の言葉を、自分に向かって話しかけている。 子供の時は、毎年毎年、他の家族よりも、遙かに短い期間しかニュージーランドにいられなかったとーちゃんとふたりで、尾根から尾根へ、日本で言えば、ちょうど鎌倉の天園のような道を、三日も四日も歩いて、世界中の、ほとんど森羅万象について話をした。 その記憶が強烈で、人間は、他には人が見えない自然のなかでしか、まともにはしていられないものだという、ヘンテコリンな考えが染み付いている。 ラスベガスにブラックジャックのテーブルを囲みに行くときでさえ、そうで、クルマを飛ばして、赤い砂漠のまんなかの赤い岩の山で、太陽という最も苛烈な自然と対話する。 まして海は、ほんとうに隅々まで「神の言葉」で出来ていて、人間のような退屈で凡庸な存在は歯牙にもかけない。 人間の意識にとっては残された最後の自然で、それでも、例えば10年前は、海に出れば、内湾のオークランドベイですら、鯨が遊びに来ていて、オルカの家族が、コンテナヤードから、それほど離れてもいないところで、雄大なジャンプを披露していたりしたが、いまは、ボートやヨットが増えすぎて、よくブルーペンギンが、波間を漂っているところに会うしかなくなって、おかげで、自分が持つ船は、外洋に出られるように年々おおきくなって 陸がみえなくなるくらいのところで、やっと、鯨やイルカに会えるところまで海も追いつめられている。 そのうちには南島にホリデー用の家を買って、そこにjettyを付けて海に出るのでなければ、神聖な生き物としか形容のしようがない、鯨たちにも会えなくなっていくのかも知れません。 海のまんなかにいると、人間は、いつのまにか、孤独な、寂しいシンボルに似た存在になる。 生身の人間自体が、言語に大層似てきて、神様が光を集めてつくった、 小さな小さな、眼を凝らさないと、よくは見えてこない、ひとりぼっちの輝きに変わっていく。 生まれてから、成人して、老いて、また自然に還っていくまで、 泣きたいような思いで、絶えず、自分はどこから来たのか、自分はどこへ行くのか、混濁した意識で考えている。 混濁が晴れて、言語がうまい具合に排列されて、思考の手をひいてくれて、 鮮やかな光の朝のような、すべてが明瞭な輪郭と色彩で見える場所へ連れて行ってくれることもなくはないが、そんな輝かしい一瞬は、数秒ほども続かない。 せめて海をさすらって、途方もない自然を、神がつくった生命たちの家の廻廊をめぐっていたいとおもっています。 人間の世界から、ときどきいなくなってしまうことが多くなるけど、また手紙を書きます。 写真、ありがとう。 何度も見返しては、いろいろなことを考える。 日本語をやって、よかったと思いました。 午後は、船のタンクに水を入れに行かなくては。 1200リットル容量があるんだけど、それでも、真水は、いくらでも必要で、もう少し大きなタンクに換えようと思っているの。 水という自然の輝きが身体のすみずみまで満ちて、あなたにもぼくにも、… Read More ›

  • 続ビンボ講座 その18 シン・ビンボ III 「ダメな人」

    ぼくは、きみであることにする。 44歳です。 英語はアイ・キャント・スピーク・イングリッシュくらいは言える。 ガイジンに道を訊かれたときに、言ってみたが、やはり堂々とした態度で話すのは大事で、ちゃんと通じました。 三回、聞き返されたけどね。   仕事がない。 言うまでもなく、カネもない。 ここがいちばん困るところだが、家もないのです。 いったい、いままで、なにをしていたのかって? ぼくはコンピュータの前に座っているのが好きなんだよ。 初めはMMOだった。 え? MMO、知らないの? 教養がないなあ。 マッシブ・なんとか・オンラインなんとかゲームといって、いろいろな人が同時に参加して、グループをつくったり、砦をつくったりして遊ぶゲームです。 受験勉強は、やって、二年浪人して市ヶ谷にある大学に入ったんだけどね、一年だけ通ってやめてしまった。 なんでかって? あんな退屈なところに4年間も通うやつの気が知れないよ。 ただでさえ、教師は、話が退屈なうえに、声が小さくて、ボソボソ言ってるだけなのに、教室の至るところにバカ女がいて、私語してやがんだもん。 いちど、我慢できなくなってきたので、おいらとしては、バカ丁寧に 「すみません。静かにしてもらえませんか?」と言ったら、ふり向いて、おまえら、それじゃ逆だろう、汚いものでも見るような目つきで、返事もしないで、私語を続けやがった。 そのうちにツイッタというSNSにはまってしまった。 おもしろいんだよ! おれは二流大学中退じゃカッコワルイので、早稲田大学卒だということにして、私立大学の非常勤講師で、結婚して、娘がひとりいるふりをして、なにしろ言葉の才能があるので、フォロワーが一時は3万人を越えていた。 あれにはコツがあってね。 ネトウヨの、なるべくバカっぽいのに眼を付けて、ケチョンケチョンにけなします。 例の草「w」を多用して、おもいきりバカにしてやる。 「慰安婦」の存在を認めないなんて、頭がおかしいんじゃないの? 女の人は、日本では不当に扱われている。 フェミ? おれがフェミだからって、なにが悪いの? なにしろネトウヨはネトウヨなので、闇雲にバカで、どんな話題でも軽く言い負かせるので、楽勝で、そうしているうちに、授業の前に腰掛ける自分の机もないバイト講師の、架空な、おれの悲惨な境遇を知らないバカな「左翼はいいひと」な連中が、うようよフォローしてくれる。 そうこうしているうちに、あっというまに十年以上が経って、気が付いてみると、おれは、なんということはない、所謂、「ヒキコモリ」になってしまっていたんだよ。 ツイッタではセミ知識人で、大学のホンモノの教授を「おまえ、勉強しなおしてこい」と怒鳴りつけたりして、溜飲がさがって、おまけに正義の味方で、楽しい毎日だったけど、気がついてみると、40歳を越えていた。 それでも、かあさんはやさしい人なので、ちゃんと仕事につかなければ、あとで困るわよ、といいながら、面倒みてくれてたんだけど、倒れて、あっというまに死んでしまった。 歳が離れた弟のやつは、京都大学を出て、向こうで暮らしていたんだけど、結婚して、 東京に転勤になった機会に、将来の貯えをつくるために実家に住みたいと言い出しやがった。 結婚した相手は、綺麗な女の人で、弟が死んだら、おれが、むふふ、結婚したくなるような美人だが、エリートの弟と、上品で綺麗な奥さんが、奥の部屋で毎晩イッパツやってるような鬱陶しい家に住んでられないだろ? だから、おれが、弟に百万円だけ出させて、手切れ金みたいなもので、家を出てやったのさ。 百万円、すぐ、なくなっちゃったよ。 40歳過ぎた独身中年を雇ってくれる一流会社なんてないし、おれは、ちゃんとした会社じゃないと嫌なんだよ。… Read More ›

  • 明日から2022年

    日本がつまらなくなった、というようなことではなくて、なにしろ日本と縁が切れてから11年経っているし、最近は、日本語を読むのも億劫だしで、あんまり日本について考える、ということがなくなってしまった。 とても残念な気がするが、仕方がないものは仕方がない。 そのうえ、最近はニュージーランドから出ないで暮らしていて、別宅があるメルボルンにさえ、コロナ以来だから、えーと、二年以上も行ってなくて、 拡大版ひきこもり、というか、ボートやヨットで遊んだり、リザーブで散歩したり、はなはだしきは、裏庭で小さいひとびとやモニと、テントを立てて、キャンプしていたりで、楽ちんを極めて、多分、難局におけるサバイバル能力みたいなものはゼロになっているのではないだろうか。 自然は、ひとを飽きさせない。 特に海は、毎日、どころか、刻々と変化して、昨日とおなじ海に戻ることは二度とない。 十年前は、ハウラキガルフはおろか、オークランドベイにさえ鯨がやってきて、オルカの一家が宙を跳んで、高速ボートを出して水上をとばしているとイルカたちがやってきて競走する賑やかさだったが、人口が増えて、ひとの暮らしが豊かになって、ヨットもボートも、倍近い数になった結果、内海ではカモメやウミウが飛んでいるくらいで、シーライフがお出迎えにくる、ということはなくなってしまったが、少しおおきな船が要るハウラキガルフの外縁に行くと、人間にうんざりしたイルカさんやオルカさんが、相変わらず、自分たちだけで遊んでいる。 遊興目的も含めて、コロマンデル半島の東側での帆立漁を禁止したり、釣り上げる鯛のおおきさの制限が25cmから30cmになったり、持ち帰っていい魚の数の制限を厳しくしたりして、十年前の海に戻そうとしているが、こう人口が急激に増えてしまっては、それもうまくいくかどうか。 最近、マリーナのクラブでの仲良しのひとりは、お気に入りのヨットを北島の北端に近いマリーナに移して、クルマではなにしろ遠いので、飛行機を飛ばしてヨットに乗りにいく方式にあらためたが、結局は海がだんだん衰えていって、ああいうやりかたが一般的になっていくのかも知れません。 北島の北端部分をノースランドというが、ノースランドには自分の船を係留できるジェッティ付きの別荘建設が流行っていて、むかしなら2000万円もしないで買えたのが、一億円近くもとるようになって、なんだか閉口してしまうが、住宅市場は、いったん下り坂に入ると、まず別荘から価格の崩壊が始まるものなので、無駄遣いをしたくなければ、気長に待つのがよさそうです。 2021年は、前半はニュージーランドは世界でも珍しいゼロコロナの国で、国民は嬉しくて仕方がなくて、カフェもレストランも満員で、二万人だかのコンサートに集まって、よかったよかったをやっていて、世界に報道されたが、MIQの管理の隙をついて、たったひとりホテルの裏から街に出たデルタCOVID陽性のオーストラリア人から、あっと言う間に広まって、なにしろレベル4ロックダウンに、みんなが飽き飽きして、二度とごめんだ、という気持もあって、政府はelimination政策をいったん諦めて、ワクチン政策に切り替えざるを得なくなっていった。 ワクチン接種のおっかなさは、よく判っていて、わし自身、毎年クリニックから来る「fluのワクチン無料(ただ)だよー。こぞって来てねー」のemailに応えて接種を受けに行ったことはないが、こればっかりは仕方がなくて、やむをえず出かけて、二回目などは副作用でヘロヘロになったりしながら、ブースター接種まですませてあるが、いま観ると、政府が進めてきたThe 90% PROJECTも、おおむね達成されているようで、オークランドで言えば、二回のフル接種率は95.9%になっている。 ワクチン接種率はあがっているが、ニューイヤーズ・イブのクラブパーティに招かれたイギリス人DJが、またも出ましたUK人の自分勝手で、隔離ルールを守らずにCBDのクラブを巡回してしまって、オミクロン陽性であることが判明して、人気タレントらしく、ひと晩で100人以上の濃厚接触者をつくりだすという偉業を成し遂げてしまったので、今晩からダンスクラブパーティもコンサートも解禁になるオークランドで、さて、これから、どうなるか。 2022年は、なにしろニュージーランド人はニュージーランド人なので、悲観的で、 「オミクロンが猖獗して経済は大沈没、ホームローンも家賃も払えなくなって路頭に迷う家族が続出する」ということになっている。 「だいたいビンボがお似合いのこの国で20年もバブル経済が続くのが間違っておるのだ」と妙な怒り方をしているおっちゃんも、たくさんいます。 ニュージーランドは、5年前だかは、OECD諸国家中、出生率が最高になったくらい年齢構成が若い国で、一方で、ご多分に洩れず高齢人も増えているが、 移民が門前市をなす勢いで、延々長蛇の移民申請の列をなしていて、常に人口増大の圧力下にある市場なので、「バブル経済」も仔細にみると、銀行と不動産業者と開発業者が手をつないで、浮かれて踊っているポルカの様相をみせている部分もあるが、急速すぎてバブルに見えるだけの経済成長局面である部分もある。 問題なのは対収入比率では、到頭、世界最高額になった住宅で、 日本の人とほぼ変わらない低賃金国であるのに、住宅は、中央値が6000万円だかなんだかで、不動産市場に国富が集中しすぎていて、それが経済のアキレス腱になっている。 考えればすぐに判ることで、夫婦で家を持っているとして、カップルのどちらか、収入が多い方の稼ぎは、まっすぐに消えて、もう片方の収入だけで食べている状態で、しかも悪い事にニュージーランド人は、昔から見栄っ張りが多いので、ローンが組めればポルシェだのフェラーリだのと買ってしまって、そんなことをやっていれば当たり前で、他のことに使えるオカネなんてあるわけがなくて、消費市場は、ぎょっとするほどサイズが小さい。 累卵の危機というが、ニュージーランドの経済は、一瞬でも賃金の上昇がとまれば、そこでガラガラと崩れ落ちるほかはないルイルイランラン♫な、音だけだと楽しげだけれども、危ないなんてものではない経済なので、オーストラリアも同類で、これも、来年は、いったいどうなるか。 英語諸国は、もっかいつのまにか居座ってしまったインフレ退治に躍起だが、日本に、いま世界を覆っているインフレがやってくると、といって、ほんとうは、あの国は統計を誤魔化しているのではないか、と、ずっと疑いの目で見られていて、事実なら、もうとっくの昔にインフレになっているのかも知れないが、ともかくインフレになってしまうと、もう何度も述べたように「インフレになるなんて、なに言ってんの?そんなもん来るわけないだろう」と嘘ブック、じゃないや、嘯く黒田総裁の「すべてを計算しつくした」大博打で、オカネをじゃんじゃん刷って、MMT思想そのままの、「いくら借りたって国がつぶれるわけねーだろ」でやってきている日本は、インフレを抑制する金融政策の選択肢がなにもない、という、「日本って、ほんとうに中央銀行、有るの?日銀って、日本政府の御用達銀行っていう意味じゃないの?」と、いまでも囁かれている国なので、真っ逆さまで、 希望は今度の政権は、どうやら見合った額の法人税を減免するやりかたで「企業の賃金上昇を事実上義務化する」方針であるようで、こういうことを遅きに失する、と評すべきではなくて、良い事をするのに遅すぎるということはない、と、英語人式に言いたいが、顔を近づけてみると、「霞ヶ関省庁間での調整」の結果なのでしょう、なんだかヘンなことがいろいろあって、 肝腎な、赤字に喘いでいる中小企業はどうするの?利益がないのに法人税減免もなにもないもんだ。ダメな会社はつぶれちゃえば、ということだろうか、とか、これでいくと企業の投資意欲は減退してしまうよね、とか、現実にうまくいくかどうか、心もとなくなってくる。 日本は、なにしろ明治以来、国の稼ぎは全部軍備に叩き込んで、北朝鮮どころではない文字通り桁違いの金遣いの荒さで、巨大戦艦大和のような、おもいつきでつくった役立たずの化け物のようなベラボーに高価な兵器をつくったりする一方で、その戦艦に乗り組む水兵の姉妹は、貧困のあまり売春婦にされて売り飛ばされるのが当たり前という国富の底が浅い国で、戦後も、なにしろ戦前の、家は掘っ立て小屋、食生活は白米だけのご飯を見るのが徴兵された兵舎の食堂が初めて、ちゅうような、とんでもないドビンボ生活が基準なので、 ひところ、社会のエリート夫婦のあこがれだった「文化住宅」を1956年公開の小津映画「早春」でみると、呆気にとられるようなあばら屋で、小さな小さな、画面で見てさえ判るような安建材でできたTiny Houseです。 60年代70年代を通じて、日本経済の最盛期だった80年代になってさえも、 欧州人は日本の住宅を、はばかりもせずに「ウサギ小屋」と呼んで、 フランスの首相Édith Cressonなどは、在任中であるのに、日本人を指して 「ウサギ小屋みたいなアパートに住んで、二時間かけて通勤し、高い物価に文句もいわないfourmis jaunes」であると述べている。 いくらなんでも、fourmis jaunesはひどいでしょう、とおもうが、子供のとき、日本に越してきて、あまりの家のボロさに、ぶっくらこいたのは事実で、成田から東京に来る途中、川を越えて東京に入ったあたりで、スラム街が見えたが、かーちゃんととーちゃんに訊いてみると、それは「マンション」というもので、日本の人からしたら、あそこに住むのは夢の生活なのだ、と聞いて、子供心に「これは迂闊に日本の人と住宅の話をすると危ないよーだ」と考えたりした。 ニュージーランドのなかでもクライストチャーチの北の郊外にあるワイマカリリは農業家といってもビンボな人が多いが、このワイマカリリのランギオラという町の近くで酪農をやっている家の友だちの両親が、1990年代に招かれて、北海道の酪農の視察に行ったことがある。 夕食の席で、北海道は、どうでした?… Read More ›

  • 続ビンボ講座 その17 シン・ビンボ II

    英語ではWokという。 日本語では「中華鍋」かな? 若い大スター小山明子が、恋に落ちた、名も無い助監督だった大島渚のオンボロアパートを、いちゃいちゃもんもんするために内緒で訪れたら、調理器具が中華鍋だけで、あとは、綺麗さっぱり、なあああんにもない、潔いほどのビンボぶりに感動した、とインタビューで述べている。 調理器具、と書いたが、大島渚は、顔を洗うのも、お湯を沸かすのも、なんでもかんでも中華鍋ひとつで賄っていたようで、 国民党軍の兵士は、番傘と中華鍋を背負って勇敢に戦うので日本軍をびっくりさせたが、後で聴くと、使い勝手がいい中華鍋を「育てる」のは、たいへんな手間と時間がかかるそうで、何事においても徹底して現実主義である中国の人にとっては、「いのちの次に大事」なそうでした。 ネット喫茶は、そこしかいるところがなければ、やむをえないものはやむをえないが、なるべく早く、ガス口がふたつのコンロがあるだけでもいい、それもなくて岩谷産業のポータブルガスコンロしかないのでもいいから自炊が出来るポジションにつくのが全ての始まりでしょう。 ほんとうは中華鍋を使えるくらいの環境はビンボ人生を立て直すには必要であるようです。 まずは、そこを目指すにしくはない。 そこまでは、どうするのか? ビンボを生き延びる秘訣は、いろいろな人の例を見ると、希望を持つこととモバイルであることの、ふたつであるように見えます。 ビンボがにっちもさっちもいかなくなって、やがては首をくくるに至るのは、どうしても病気の親から離れて暮らすわけにはいかないとか、十七歳で産んだ子供が学校を変われないとか、モバイル性を奪われている場合が多い。 ほんとうは、親も捨て、子供も捨てて、必死に生き延びるしか他に方法はないのだけれど、やさしい人びとには、それもならず、共に滅びる人生を選択して、それはそれで、非難されるべきではないとおもわれる。 個人を自殺に追い込んでいく社会は、問題どころか、ないほうがいいような社会だが、自殺に追い込まれて、死ぬのは怖い、でも、生きていく方法がないとおもいつめて自ら死を選ぶ人は、当たり前だが、「非難される」というような筋合いのものではない。 自殺が悪いとおもっておもいとどまれる程度の苦しみで、自分という最大の友だちを殺すに至る人はいないでしょう。 まして、列車への飛び込み自殺をされると出社時刻に遅れて迷惑だ、と述べる人間にいたっては、神様だって、こいつのほうが死ぬべきだったのに、と心からおもうに違いない。 60年代の流行語は、意外に、人の気持を励ましてくれるものが多くて、例えば 「そのうち、なんとかなるだろう」という。 感情的にのめりこんでいかないで、いわば事務的に、打てるだけの手をすべて打って、あとは神様にこっちをふり向いてもらうしかない、というのは、ガメ・オベールという人の ガメ・オベール日本語練習帳(青土社刊)「生活防衛講座 シャーリーズ・セロンの場合」という文章に判りやすく書いてあります。 実際、観察していると、神様は、冷笑家が特別に嫌いなのは当然として、泣いたり喚いたりする人も嫌いなので、ハロー・ワークに行く、生活保護を申請する、… ビンボを打開する、その社会に備わったシステムをすべて利用して、自分の食い扶持を支えながら、自分に出来る事、陶器をつくることであったり、小説を書くことであったり、音楽を演奏することであったり、とにかく、これなら人よりも続けられるということを、やっていくしかない。 コンビニのバイトというようなのは、つらいだけで、あんまり感心しないが、それしかなければ、やらないわけにはいかなくて、なんだか機械のような気持になって、手順手順をこなしていくしかない。 なかには、コンビニやマクドの仕事が実は人間として向いていて、正社員になって、ビジネスマンとしての道を歩いていく人も、ないとはいえない。 ビンボなほど、忘れてはいけないのは、時間給であろうが、なんであろうが、意に染まない仕事は「そつなくこなせてオカネと時間が剰る」仕事でなければならないことで、東京に住んでいて、出超で、それが達成できなさそうなら、移動することが肝腎なコツのひとつであるとおもいます。 英語が判る人なら、追いつめられる前に、文無しでも、例えばシドニーに渡ってしまえばいい。ビザを取りにくい国なら、ペーパーなしで暮らしても、あんまり追及されない国を選ぶのが大事で、アメリカなどは移民局が厳しくて、特に有色人に対しては容赦しない上に、雇用側も、ペーパーのない移民の弱みにつけこむことになれていて、薄給で、掃除モップなみにこき使われるので、やめておいたほうがいいかも知れません。 国内なら、ヨソモノを嫌う土地柄の町はなるべく避けて、前もって、ネットでもいいし、友だちに訊くのでもいいから、ヨソモノを受け入れる土地柄かどうか聞くことが大事で、自分が見聞きした名前で述べると、佐久市には「ヨソモノ」で定着した人が多くて、そのうちのかなりの数の人は、初めは上田や松本に定着しようとして、受け入れられなかった人でした。 その土地土地で、いろんな事情があって、軽井沢は創価学会王国なので、創価学会の伝手で、受け入れられて、定着した若い人も多かった。 日本国内でも外国でも、自分と相性があう土地柄は必ずあるもので、ホーボーさんになってでもいいから、あちこちで働いてみて、ここなら中華鍋を買って住んでみてもいいな、とおもう場所を見つけることです。 職業についても、相性がいちばん大事で、ひとのいうことなんて聞く必要がないのはもちろん、小さな声でいうと、法律だって、まともな社会ならば、ほんとうに生きるために必死に暮らしている人間には片眼くらいはつぶってくれるものです。 例えばニュージーランドでは売春は刑罰の対象にはならないが、買春側の男の側は、見咎められて、カネで性を買うなんて、あいつはそれでも人間か、と顔を顰められても、時間決めで、男に自分の身体を貸してやっているほうは、事情があるのに決まっていて、嫌な仕事を我慢しているだけなのが判っているので、警察も女の警官を派遣して、やくざにたかられていないか、安全を確認したりするくらいで、あとは、ほっておいてくれます。 へんなことをいうと、売春のような仕事にすら、向き不向きはあって、 カシノのブラックジャックテーブルを一緒に囲んだのが切っ掛けで、なかよくなった年が上の、とんでもない美貌の女の人が、元は、「わたしは高いのよ」と笑っていたが、高級娼婦と言われる類の人で、あとでは売春ビジネスのボスになっていった。 このひとなどは、「男なんて大臣でもビリオネアでも、言うことが偉そうでくだらないだけで、いっぺんマヌケな裸姿になって、わたしの上に乗っかってしまえば、カクカク腰を動かして、なんだか自分の空想の世界に入り込んで、ただいってしまうために無念無想になるだけの、からくり人形みたいなもので、『早く終われよ』とおもってるだけで、あれそのものは、そんなに嫌なものでもないわよ」と、ほんとうかどうか、述べていた。 他人が何を言おうが、どう思おうが、なにしろ、こっちは生きていかなくてはならないので、御託に付き合っているヒマはないのでしょう。 簡単にいえば「こうあるべきだ」「こういう仕事でなければ未来につながらない」などと考えるのは愚の骨頂で、いま生きていくために、自分にとって辛くてたまらなくはない仕事を選ぶしかない。 行き当たりばったりで、ここがもしかしたら大事かも知れないが、なんでもかんでも、やれることはみんなやってみて、ある日、鍵がかかったドアばかりで、どうにもならない、死ぬしかない、と思い詰めていたときに、おもいもかけないドアが、トンッと開いて、未来の地平線へと広がる広闊な場所に出てしまうのが、普通のなりゆきであるようです。 バーテンにしろ、コンビニにしろ、ホステスでも、売春でも、 ひとつだけ気を付けるべきことは「自分をひとりで、ほっといてくれる職場を選ぶ」ことで、会社であれギャングであれ、組織が個人を巻き込もうとするような場所は避けなければいけない。 組織に首根っこをつかまれてしまえば、個人としての人生が終わってしまうのは、国でも、吹けば飛ぶよなギャング組織でもおなじことで、 ニュージーランドなどは、世界で最も覚醒剤に汚染された国で有名だが、いわゆる薬漬けにされて、もう自分が人間であるかどうか定かでなくなったまま、ありとあらゆることをさせられる人が、たくさんいることが、コロナパンデミックで、麻薬の運び人の売春婦の人びとがウイルスのスプレッダーになって陽性者が増えたことで、また社会の話題になったが、高い給料であったり、覚醒剤であったり、組織の側は、さまざまな手を使って人間を支配しようとするので、それだけは心して気をつけるべきでしょう。… Read More ›

  • 続ビンボ講座 その16 シン・ビンボ

    ピンポーン。 メイデイメイデイメイデイ こちらはチャンネル16ビンボステーションです 悪いお報せがあります 北西、東、及び南西の方角から不景気雲が押し寄せてきています。 あ、あれはなんだ!? 雲つく大男の割には、ひょろい足、瘤だらけの杖、へろい白髪が風になびいている、 ビンボ神だ! ビンボ神が来る!! なんちて。 むかしニュージーランドの「牧場の家」の近所にいると、午後6時だったかの放送時間目指して馬の背に乗って、一散に家に帰ったものだった、毎週のことなので、どうやって時間を知るのか、もしかしたら前肢に腕時計があるのか、馬さんのほうでもちらりと、こちらを見て、「帰らなくて、いいの?」という顔をします。 フェアゴー、という番組で、会社や店が実名で登場して、というか、させられて、ケチョンケチョンのボロボロに攻撃される。 おぼえている回でいうとキャドベリーのチョコレートが、こっそり、少しづつ内容を減らして、500gの板チョコが400gに減っているのに気が付いたレポーターが、トツゲキして、あんた、こんなことやっていいとおもってるの? 一種の詐欺ですよね、と容赦なく、言い方だけはナイスに、でも言っている内容は広報担当が死にたくなるような厳しい内容です。 その番組のなかで、政府にも出向いて、あんなことを許しているのは政府として、どうなのか? 恥ずかしくないの? と述べたときに、日本の人式に、サブイボが出る言い方をすると、「学びを得た」ので、インフレの率は、あれで案外簡単に誤魔化せるのを知って、ひょえええ、と思ったことがある。 レギュラーガソリンの89オクタンが91オクタンに変わったのはヘレン・クラークが首相になった初年だったとおもうが、あれは1996年だったかな?とおもって、インターネットで調べてみたら、1999年のことで、いつも通りチョーええかげんな記憶力で感心したが、ええかげんついでに、この記事の本旨とまるであさってなことをヘレン・クラークの年譜を見ながら考えたので、ハンドルを急に切って、横転しそうになりながら、関係のないことを書くと、ヘレン・クラークの夫、オットー1世は社会学者のピーター・デイヴィスというおっちゃんで、ふたりは出会ってから5年間ボーイフレンド+ガールフレンドとして一緒に住んで法律上も結婚することにしたが、いまもヘレン・デイヴィスではなくて、法律上もヘレン・クラークです。 ときどきマヌケな海外メディアがミセス・クラークと呼んでいるが、この場合は、Ms、ミズと呼びますね。 おミズさん。 いまの首相のジャシンダ・アーダーンは、ジャシンダはん、まだ結婚していないが、いちゃいちゃもんもんの結果、一児をもうけて、首相として産休をとった史上二番目(一番目はパキスタンのべーナズィール・ブット)の女の人として国民から祝福されている。 ニュージーランドは、特に進んだ国とは言わないとおもうが、そのくらいは当たり前のこととして、20年以上前でも受け止められていて、誰も「首相が婚前子をつくって産休するなんて許されていいのか」なんて、言い出しません。 どう言えばいいんだろう? 日本のマス・メディアちゅうか、いまはインターネットが日本でも普及しているので個々の日本の人ということになるのかも知れないが、夫婦別姓を導入するかどうかでもめる、ちゅうようなのを見ていると、他の国の様子を見て、「他国では、ああやってやれているんだから、うちでもやれるんじゃない?」の絶え間ない繰り返しで社会をアップデートし続けてきた日本の美風は、どこへ行ってしまったのだろう?とおもう。 出羽の守、っていうんだっけ。 そういういやらしい揶揄の工夫にばかり頭がまわって、生活を楽ちんにする工夫には、とんと考えがいかなくなってしまったように見えます。 夫婦別姓、デファクト婚姻、…そういう言わば人権の底上げなしに、突然、ときどきの流行りのようにしてトランスジェンダーがあああ、と言っても、言われた頭がコッキンカッキンに固いほうは困っているだけなのが見てとれる。 現実から乖離した「あなたも進歩的知識人に見える、お題目」に成り果てている。 どうして、そう、なんでもかんでも変えるのが嫌なのか、見ていて、さっぱり判らないが、何も変えないためには何でもする、で30年頑張り続けた結果、30年、なんにも、賃金さえ変わらなかったわけで、なんだか目も当てられない冗談のようだが、現実で、日本語をやっている十年プラスのあいだじゅう、なんでかなあ、なんでかなああ、なんでなのかなああああ、ばかり考えていたような気がする。 戸籍制度があって困っている人がいるのなら、韓国あたりに倣って戸籍をなくせばいいし、夫婦別姓にいたっては、同姓を強制することにはネガティブな効用しかないようにおもえるのに、変えたくない理由を邪推すると、ほんとうは何を考えているのか判って、じゃあ、暫定でいいからさ、同姓しか選択できないことにして、結婚したら女の人のほうの姓にすることにすればいいのでわ、と言いたくなります。 閑話大休題 レギュラーガソリンの89オクタンが91オクタンに変わったときに1リットルあたり50セントほど値上がりしたが、これはインフレに勘定されなかった。 なんでですか? おなじレギュラーガソリンじゃない、とおもうでしょう? Kiwiなおっちゃんやおばちゃんたちも、もちろん、そうおもいました。 だって89オクタンガソリンをまだ売っているのなら、ともかく、でもないけど、まあ、ともかく、売ってないんだからレギュラーガソリンちゅう同じ役回りの商品ですもの。 ところが、ところーが。 トコロンガは南洋のパラダイスで、 これが統計上は別製品扱いで、値上げ商品には含まれていなかった。 ひょっとして、ひょっとするかな?と考えたジャーナリストたちが調べてみると、案の定、400gのキャドベリーチョコレートは500gのキャドベリーチョコレートとは別商品という扱いになっていたもののようでした。 いつもクライストチャーチ在住の日系キィウィ晩秋… Read More ›

  • 隣人たち

    鎌倉駅前で中村伸郎を見たことがある。 視覚的に鮮明な記憶で、夏の、表駅の、東急ストアから交番のあいだの人混みのなかを、杖をついて、麻の背広を着て、若い女の人ふたりに挟まれるようにして、曲がった背で、ゆっくりとゆっくりと歩いていて、改札の前に立っていて、駅前を眺めていたわしは、 「ああ、中村伸郎だ。ずいぶん歳を取ったなあ」と考えながら眺めていた。 たしか2001年のことです。 記憶のなかでも、もう東急ストアの一階にスターバックスが出来ている。 ところが英語の書き物の用事があって、ふと、そういえば中村伸郎は日本語wikipedia では、どんなふうに扱われているのだろう、と考えて、ページを開いてみて、呆然としてしまった。 1991年7月5日没、と書いてあって、そんなバカな、と他のサイトを当たってみても、やはり同じことが書いてある。 「幽霊を信じますか?」と訊かれると、「いえ、信じません」と言下に応えることにしている。 見たこともありません、という。 話題をそこで打ち切りにしたいからであって、数学といえど、ほんとうは言語学なのかも知れないが、分類は科学で、科学を学んで、若い時は恐ろしいことをするもので、あまつさえ、短い間ではあるが、学生に教えたりもしていたのに、器質的な大脳をもたず、意識があるはずもなく、声帯も持っておらず、そもそも人間の視覚に感応する反射表面すらもたないのに、 夜のベッドサイドに姿をあらわして、考えを述べたり、まして、すすり泣きをされたりしたのでは、たまったものではない。 説明できないどころか、自分が世界を認識して説明するための拠り所にしている科学への真っ向からの挑戦で、そんなものを認めた日には、自分の知性をまったく否定するようなものだからです。 ところで、幽霊を信じたくはないが、「見たこともありません」は真っ赤な嘘で、嘘と呼ぶのが憚られれば方便という便利ないい方もあって、幻覚なのか、錯乱して脳内に映像が生みだされただけなのか、内因によるのかも知れないが、いままで38年を生きてきて、 これって、もしかして、幽霊なんちゃうかしら、と考える事象に出会ったことは何回かある。 おもいつくままに挙げて、 以前twitterで触れて、そのときは運転している人の体験として書いたが、わしも助手席に座っていて、鎌倉山の、ちょうど鎌倉山ローストビーフを過ぎたあたりで、赤いハイヒールをはいた女の人の足が道を横切るのを見たことがあった。 「女の人」と書いたが、膝の少し上から下の、足だけで、奇妙にはっきりした赤いハイヒールは鮮明だが、上に行くに従って、ぼんやりとして、太ももにまで映像はなくて、そこから上は、向こう側の道がみえている。 あるいは午前2時ころ、友だちの家で酔っ払って、その年長友と、酔い覚ましに二階堂をふらふらと歩いていたら、例の横浜国大附属小学校のタイルを敷きつめた道にさしかかる手前で、右手の駐車場の奥にある家のドアが急に開いて、子供が走り出てくる、家の明かりを背中が浴びた母親らしい女の人が、戻りなさい! こんな時間に遊びに出かけてはダメでしょう、と叫んでいる。 次の日の朝、小町の家のベッドで眼を覚まして、前晩のことをおもいだすと、駐車場の奥に、家なんかあるはずがないことに気が付いたりしていた。 日本語で書いているのだから日本の例を書いたが、実家は、幽霊が生きた人間と一緒に住んでいて、背を向けた位置にあるドアを開けたまま、夜更けに、ええ?そんなことしちゃうんですか?女の人に載っかって、そんなことしていじめてはいけないのでわ、なサイトを見ていて、ふと、ひとの気配がするので、この時間に家のこの区画に人がいるわけはないが、とおもいながらふり向くと、古めかしい装束の、手に燭台を持った女の人が立っていて、 怖がるよりも先にバツが悪いおもいをしたことがある。 もうちょっとで、「一緒にご覧になりますか?」と何を言っているのか考えもなしに、尋ねてしまうところでした。 次の瞬間に、ふっと消えてしまったので、訊かなくてよかった。 あるいは、かーちゃんには人が悪いところがあって、いくつかある客用の寝室で、あんまり好ましくないと感じている客が来ると、裏庭に面した、分厚い、やたらと高さがある裏玄関のドアに近い部屋に案内して休んでもらう。 この部屋から最も近いシャワーとトイレがあるバスルームに行くには、裏玄関へ続くホールウェイを通らなければならないが、横切るときに右を見ると、時々、子供が立っている。 夜更けの3時頃に、きちんと盛装に近い恰好をして、子供とは思えないような厳しい眼で、こちらを見据えている姿を見るのは、あんまり気持がいいものではないらしくて、いちど見てしまうと、家を訪ねてきても、夕餐が終わると、そそくさと帰ってしまう人が多いようでした。 日本では中村伸郎のように乾いた幽霊は少なくて、たいていは、哀切で、哀しみに満ちた存在が多いようです。 信濃追分には、コンビニストアが出来ても、すぐ閉まって、ローソンからファミリーマート、ファミリーマートからサークルKというように、次から次にチェーンブランドが変わるので有名な店舗用地があったが、ここは地元の人には有名で、きのこの山を買いに来て、ふと横を見ると、酌婦然とした、女の人が好奇に満ちた顔で棚を眺めている。 裏で、品物を並べるためにアルバイトの女の人が忙しく仕分けをしていると、部屋の隅に、じっとこちらを見ている女の人がいる。 客より何より、従業員として働く人が逃げてしまって、店長を自分で勤める羽目になるが、夜、客がいなくなったレジで、人の気配がするので、見ると着物姿の女の人が立っている。 ヘアスタイルは江戸時代のものです。 ちくしょう、お前のせいで、おれは破産しかけているんだぞ、この野郎、文句を言ってやる、と思った瞬間、女の人がニヤリと笑って、気の毒にこのオーナー店長は絶叫しながら店の外へまろびでて、場所もあろうに、かつて寺のなかに投げ捨てられた娼婦たちが無縁仏として葬られている墓地に走り込むまで、どこをどうやって辿り着いたか、記憶がなかったそうでした。 日本の人なら誰でも知っている「雪女」や「耳なし芳一」は、もともとは英語で書かれているが、英語で書かれていてさえ、日本語人の、静寂のなかに響き渡る武者の声や、底冷えがするような哀しみが伝わってきて、子供わしは夢中になって読んだ。 そのあと、日本に住むことになって、夜にはネオンの洪水になる日本を見た子供わしは、ラフカディオ・ハーンが描く日本と、あまりにイメージが異なるので面食らったものでした。 自分で自分の頭のなかのワードローブに潜り込んでみると、わし頭の「日本の美」のなかには、あきらかに幽霊たちが含まれている。 幽玄、という言葉があるが、能楽や怪談に現れる、この世の人ではないひとびとの姿は、世界で最も繊細で、哀しく、感情に訴えるだけでなくて、文字通り、背筋がぞっとするほどの美しさにみちている。 ずっと昔、あまりに靖国に祀られた兵士たちを悪し様に述べて、右翼の壮士のような言葉の調子で、罵りまくっている人がいたので、将軍たちのように日本を破滅へ導いたひとびとは、別だが、ただの、19歳や20歳の、訳も判らずに戦場に駆り出された若い人たちは、ただ犬死に死んで、気の毒だとおもいませんか?、どんな国でも自分たちの社会のために命を落とした若いひとびとを惜しむための場所があるよ、ただ政治的理由で個々の兵士まで罵るのは人間性に欠けると思う、と書いたら、この人は、そのあと、わしを12年に渡って、あちこちで「靖国崇拝者」「右翼」と呼んで罵り続けているが、 そういうことを目撃するたびに、幽霊というものが、ほんとうに存在すれば、どれほどいいだろう、彼らがいまの社会に現れて、自分が人を殺すことを強制され、結局は殺されて、なにもしないうちに、この世を去らねばならなかったことが、どれほど悔しかったか、言葉にして述べられれば、どれほどよかっただろう、とおもうことがある。 JALのパイロットの人が、操縦士時代を振り返って書いた自伝という面白い本があって、そのなかに、成田からクライストチャーチへの直行便を操縦していて出会った出来事が出てくる。… Read More ›

  • 日本人と韓国人

    「パンドラ」という韓国に舞台を移して福島第一事故を描いたような映画がある。 細部は異なっているが、おおまかな構図はおなじで、多分、プロデューサーは、福島第一事故が韓国で起きたら、どうなるか、という興味で映画を製作してみたのではなかろーか。 サスペンスが闇雲に好きな韓国の人の趣味が出ていて「楽しいB級作品」と日本なら呼ばれそうな出来に仕上がっているが、この映画のなかに、 「日本人なら、もっと事故を巧く処理できたのに、我が国は、なぜこうなのか?」と嘆くところが出てくる。 出てくる、と言っても、韓国語は拾い聞きで、アジアの映画であると、往々にして、まったく会話に登場しないことを訳す悪癖がある英語字幕に頼った情けないありさまだったので、覚束ないが、大意、たしかにそう述べていた。 韓国の人は、日本の人の鏡像というか、似ていて、よく日本と韓国を比較する。 夫が英語人の韓国人の友だちがいて、よく4人で会合して遊んだが、この人が、会うたびに日本と韓国の比較をしてみせる。 民度、という言葉を使うところまで日本の人と同じです。 十年前は、「アジアでは、やはり日本がいちばんで、次が韓国だ」と述べていたのが、数年前に会ったときは、「日本と韓国がほぼ同程度で並んでいる」になっていた。 もしかしたら、いまは「文化では韓国が日本に勝っている」と考えるようになっているかもしれないが、思うだけで、口にだすほど品性を欠く人ではないので、言葉にしては言わないでしょう。 なんとなく、COVIDが終わって次に会ったときは、お得意の日韓比較はしてみせないような気がする。 日本語のネットを見ると、口汚く韓国を罵る人がいて、一方で韓国のことならば、なんでも日本より優れていると言い立てる人がいて、びっくりしてしまうが、韓国船のレーダー照射事件があったでしょう? あれが日本の人に「韓国は日本を敵視して、ことあるごとに神経を逆なでにかかっている」と思わせる、錯覚を与えるため(←何の為に?)の社会全体の構図で、事件後すぐに田母神俊雄元空将が述べていたように、韓国船の行為は、まったく普通のことで、軍人ならば、なぜ一国の首相まで逆上して怒り出さねばならないのか、理解しかねる「事件」だった。 日本の人でなくても騙されてしまう仕掛けを簡単に説明すると、まず前提となっている日本の海自哨戒機のなかの、いかにも冷静に「敵」のレーダー照射による挑発をプロとして淡々と処理する乗員たちの会話が、不自然で、ニュースを観ているほうは「韓国の危険な挑発行為」と思い込まされる。 田母神俊雄は、そのことに気が付いて、軍隊として不健全だと言いたかったのでしょう。 結局、いつもは味方してくれるネット右翼と安倍政権支持者の袋だたきにあって、 裏切り者とまで呼ばれて沈黙してしまったが、あの人は、あれで、日本の人のなかで自衛隊に胚胎する腐敗の危険を最もよく感じ取っている人なのかも知れません。 「相手に反論させない」技術ばかりが異様に発達した日本語では、こういう全体の仕組みとして詭弁をなしている、社会がまるごと加担した非常によく出来たカラクリがあって、うっかり観ていると、とんでもない架空な事実を信じ込まされてしまうので、別に日本の人でなくても、首相からして韓国指導者への嫉妬を隠すことさえ出来ない社会になってしまえば、騙される、というより自然と疑いようのない現実だと認識してしまうのも無理はない気がします。 韓国の側には、そういう手の込んだ仕組みは存在しないので、主にネットを通して見聞きしたことをもとに、普通に印象を形成していくが、少なくとも英語圏で会う韓国の人は、日本を共通の問題をおおく抱える、自分と似たところがある隣人として考えている。 少なくとも英語圏で会う韓国の人たちは日本の人の多くが韓国人を毛嫌いしていることも、よく知っていて、自分たちの社会が抱えるネット上のゴロツキたちが、日本人のゴロツキたちと、言い合いを繰り返しているのも、よく知っているようでした。 傍で見ていると、韓国人友がよく言うように、「個人にとっての社会の生きづらさ」が似ている。 自殺が多いことも、共通している。 社会という万力でゆっくり締め付けられて肋骨が折れ、背骨が砕かれるようにして、魂が社会に殺されてゆく。 韓国に住んでみたことがないのでディテールを伴った実情は判らないが、たいへんな女性差別社会であることや、学歴社会で、しかも「学歴」という言葉が、本来意味するPhDなのか修士なのか学士号だけなのか、ではなくて「どの大学を出ているか」であることまで同じであるようです。 「地方大学」なる単語が存在して、ソウル大学のような一流と目される大学ブランドと対比されて、「地方大学」出身者は、就職ですでに大きな壁に直面して、幸運にも採用されても、一生差別が続く点では、聞いていると、案外と縦に流動性がある日本の学歴社会よりも、硬直していて、差別も激しいようでした。 日本語ネットで、日本の地方都市からアメリカへ渡って、ウォール街で職を得て、アメリカ金融社会で社員として成功したという女の人とtwitter上で話したことがある。 話をしてみると、まともな人で、日本の女の人を狙い撃ちにして虐待を繰り返す社会にうんざりしたのでしょう、日本の地方からニューヨークに出て、苦学力行そのまま、アメリカ人に伍して恙なく勤め人人生を終えるのは、気丈な人なので、口にしないだけのことで、たいへんな苦労があったに決まっているが、 困ったことに、この人が加担していたのは、CDOを悪用して貧乏人たちからカネを巻きあげて、やがて反発からトランプ大統領を生むに至った集団詐欺時代のウォール街で、それを、まるでバブルの土地転がしで貧乏人からカネを巻きあげて大儲けした時代の日本の不動産会社員そのまま、謳い上げるように誇って、日本の社会は、ウォール街を見習うべきだ、などと言い出すので、ブロックしたことがあった。 えらい勢いで「ド素人になにが判る」と息巻いていたが、そのときは言わなかったが、その「ド素人」ほども現代金融の仕組みが判っていたとは思えません。 知っていたら、まさか、あの時代の、あんな街で生きていこうとは思わなかっただろう。 おもしろいことに、ほぼ同じ立場にいた韓国人の男の人は、やはり退職したあとで、ドキュメンタリのなかで、英語人のインタビュアーに、「あなたは自分がウォール街で犯罪的なマネーゲームに加担していたことを恥ずかしいとおもっていますか?」と、訊かれて、 それまで明るい顔で、ウォール街時代の躍動的で「エキサイティング」な日常を語っていたのに、突然、下を向いて、沈黙して、そのうちに、もう我慢できないというように涙を流し始める。 もちろん、正しいことではなかったし、いまでも我々の犠牲になって家を手放さなければならなかった人たちには申し訳ないとおもっている、と述べた。 韓国の人が持っていて日本の人にはないものの最大のものは倫理だが、 自分の内なる倫理に徹底的に痛めつけられて涙する姿は、韓国の人たちの人間性をよくあらわしていた。 韓国系友は、「そう!韓国人は倫理意識が強いんだよ。倫理倫理で、倫理ばかり拘って仕事をしなかったから日本の植民地にされたのに、おれたちゃ、いまだに判ってないんだ!」と笑っていたが、この社会を一本貫く剛性の強い倫理が日本と韓国をおおきく隔てて、食事の途中でスプーンをおき、オフィスでは表計算の画面をそのままにして、政府への抗議のために通りに出て街を埋めつくす自由への断固とした態度になってあらわれている。 この韓国友は、倫理意識が強いから日本人より韓国人のほうが悪い奴は、ずっと悪いんだぜ、と言ってへたっぴなウインクをしたりしているが、観察していると、言わないだけのことで、どうやら韓国の人たち自身も、自分たちが骨がらみに身に付けている倫理が自分たちを、機会さえあれば他人や他国を踏みにじる日本人から分かつものだと理解しているもののようでした。 韓国人友は、よく「日本人のほうが物事を冷静に処理する能力がある人が多くて、羨ましい」という。 韓国人は、感情的でダメなんだよ。 職場ですら、すぐ喚く、怒鳴る、机を叩いて怒る、ひどいやつになると、部下で、自分よりも地位が下で刃向かいできないと見るや、平手打ちするのまでいる。… Read More ›