日本語の肖像

15年前、日本の行く末が見えるまで付き合おうと漠然と思って始めたことが、そろそろ当初の目的がはたされようとしている。 直接の実感はシンツイッタから来ていて、例えば、お下品絵という言葉に反応して、「下品とはなにごとか、日本の文化はわれわれが描く絵で保っているのだ」という人たちがやってきて、悪いが、笑ってしまっていた。 そのとおりだよね、とおもったからです。 日本のいま、は、彼らの描く、判で捺したようなデカ目デカ胸ミニスカがすべてを表現している。 この十年、日本は、どんどん日本化していった。 加速がついていた。 インターネットが輸入されて、手に入って、「世界に発信」したりしているうちに、世界のほうで、あんまり相手にしてくれないので、飽きてしまったのでしょう、 日本語や、日本語で考えた内容を英語に翻訳して「発信」しても、反応がないので、 もうめんどくさいから世界には日本しかないことにした。 日本語の感受性のなかでは、面白い事に、日本の内部にアメリカがあり、中国があり、欧州が存在して、現実の海の向こうのアメリカは、似てはいるが、別個の社会として、存在している。 日本語で応対しているアメリカは、あくまで日本語の内部で飼い慣らした日本語化されたアメリカのほうです。 そうやって現実を上手に自分たちの言語から切り離していって、 日本の人は、いわば世界の王になった。 その過程で「日本すごい」の賛美歌が、あちこちで歌われたのは、まだ記憶に新しいのではないかとおもいます。 本来、メインストリームの感性になりえないものを、中心に据えた結果は、どうなったかというと、長かった「舶来礼賛」は止んで、日本語の言語社会全体がサブカル化してしまった。 日本というサブカルチャー世界が、日本以外の世界の宝物として誕生した。 例えば英語世界では自分たちの社会に適応できない高校生は、セーラームーンに始まって、無限に続く日本のサブカルマンガのなかに没入すれば息が出来ることを発見した。 ちゃんと理由があって、日本のマンガは、例えば高橋留美子や、あるいはどらえもんでさえ、その世界で、別の人生を生きられるように出来ている。 最終話が来ないことを願いながら、緑色に染めた髪の毛を後ろで束ねて、40冊というような数の本のなかで埋没している感覚は、一度やったら、やめられないのかも知れません。 フクシマ事故は、「絶対に起きてはいけない事故」だった。 原発は、もともと「事故ゼロ」という人間性というものを考えれば、土台無理な前提の思想に基づいてつくられた技術で、二重三重に安全対策を施されているから大丈夫だ、ということになっていたが、やはり無理で、事故が起きてしまった。 ソビエトロシアのように国家財政が破綻する規模で事故対策をやっても、コンクリートで固めて、引き延ばしをするくらいが関の山だったのに、日本の場合、財政に影響を与えないで、言わば小手先で対策しなければならなかったので、デカ目デカ胸ミニスカが日本が誇る文化である、というのと、同じ見地に従うことにした。 現実から乖離した言葉で安全を宣言すれば安全だということにしてしまった。 風評被害、という言葉を発明して、福島のひとたちに申し訳ないとおもわないのか、と、情に訴えることにした。 言葉も情も、いくら使ってもタダなので、重宝だからでしょう。 最近、ずっと蒐集している表現のなかで、これは面白いな、とおもったのは 「スピード感をもって問題を解決します」 という言い方で、これは元々の言い方は 「スピードを以て問題を解決します」だが、 スピード感が出れば、スピードが出るのとおなじ、という最近の日本語の現実よりも主観という傾向をよく反映している。 一般に現実から乖離して、現実とは別のところで「現実感」をつくる言語に日本語は変化していて、世界と向きあわないために延々と、その作業を続けてきた結果、言語にとってのリアリティの軸のようなものが、ひん曲がってしまって、「おれが言ったことが現実」になっている。 ネット上で、「女の人が悪いことをするわけがないでしょう」と言われて、びっくりしたことがある。 一応、悪人は性別に関係なく存在して、性別に関係なく悪人として糾弾される社会に育ったほうは、なぜ人間性の善い・悪いと性別が関連付けされた同じ平面で判断されるのか判らなくて面食らったが、 この人は、男が女を悪人だと判断することは性差別だと述べて譲らず、 どうも自分の理屈の旗色が悪いようだと気が付くと、 じゃあ、あなたは日本人を悪人扱いする人種差別主義者なのだと驚くべきことを述べて立ち去っていった。 そうこうしているうちに、案の定というか、日本語はどんどん糸を離れた凧というか、無軌道野放図なことになっていって、 肉体に性別などない、という定義と現実がごっちゃになった珍説を、どうやら英語の誤読をもとに力強く述べてみせる大学教員や、だいいち政府にしてからが、日本は戦後空前の経済繁栄にある、と述べる首相をリーダーとして戴くことになった。 一日8時間週5日働いて、不十分なので有名な生活保護費を下回るような収入しか得られない大学卒の国民がいくらでもいる社会に向かって、「戦後空前の経済繁栄」と言ってみせるのだから、「言ったもの勝ち」の社会も、ここまで来ると、現実感などは、欠片もない。 そうやって現実から乖離した言語が、社会のあちこちで空転している事態が何年も続いて、ついに、徒党を組んでおおきい声でお題目を唱えたほうが真実とみなされる、というすごいことになってしまった。… Read More ›

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  •   雨ばかり降っている 異常気象なんだってさ クラシックヨットのひとつを見に行ったら黒いカビが天井いっぱいについていた。 古い古典ヨットは、マホガニーを張り詰めて、優雅で、 いまできのヨットなど足下にも及ばないが メンテナンスは、何倍も労力がかかる。 今年は、嫌な年だなあ、とおもいながら プーチンのロシアがウクライナに攻め込んだニュースを見る 習近平の中国が、台湾への武力侵攻を誓う記事を見る この世界では現実ほど現実感がないものはない 誰か、嘘をついてくれないか 結局、なにも起こりはしないのだと 杞の人が恐れたようには、青空は割れたりはしないのだと もう、なんだか、嫌になって、 ぼくは ヨットの世話をやめて 浮桟橋をわたって トヨタのSUVにもどって 運転席で 顔をおおって泣くだろう なんのために? 誰のために? 泣く事に理由などいるものか 世界が壊れてゆく 世界が壊れてゆく 兵士達は世界のあらゆるところで死ぬ ウクライナで 欧州の山で 欧州の海辺で 極東の島々で 至る所で自由は敗れて 兵士達は死ぬだろう 昨日 塹壕のなかで花を編んで笑いあった女の兵士達は 花で編んだネックレスを首のまわりに飾ったまま死ぬだろう 子供達は死ぬだろう 地下室の崩れた壁の下で ぬいぐるみを抱きしめて 男達は死ぬだろう… Read More ›

  • ひまな人

    いつかbasinの畔にあるベンチに腰掛けて、じっと水面を見ていたら、 「大丈夫ですか?」と訊かれて、びっくりしたことがある。 その1時間ほど前に午ご飯に食べたリブアイステーキが余りに不味かったので、どうやったら、あんな不味いステーキを焼けるんだ? と考えていただけだったが、余程、悲しそうな顔をしていたのでしょう。 もしかしたら、ベンチからいきなりすくっと起ち上がって、目の前のbasin、日本語だと「入り江」だろうか、「内湾」かな? に飛び込んで自殺するのではないかとおもったのかも知れない。 食べ物のことになると、思い詰めるたちだからね。 あのbasin、水深、1mくらいしかないとおもいますけど。 社会はインターネットが刻々と刻む時間によってカッチンカッチンと規則正しく、オーケストラのように動いているが、どうも自分の頭のなかの時間は世間と歩調があっていないようだ、と気付いたのは、まだ子供の、7歳くらいのときだとおもわれる。 なんだか、日々、茫然としている。 一見、なにも考えていないようで、ほんとうに何も考えていない。 安楽椅子に、じっと座っていて、天井を見つめて、なにごとか思いに耽っていて、思い詰めた顔で、いよいよ時が満ちて、そのまま居眠りしてしまう。 教室の記憶も、窓から外を眺めている記憶ばかりで、他にはなにもしたことがないような気がする。 この人は、恐るべし、ほぼもの心ついたころから、なああんにもしないで、生きて来て、到頭、後2年もすると、40歳になろうとしている。 書いたことはないが、CVを書いたとして、字面だけをみれば赫々たる経歴です。 名前がカッコイイ学校が並んでいる。 高等教育も受けている。 よく見ると年限がやや変だが、それは、「奥の手を使って」、学校が嫌いなので 飛び級をして短くしてしまったからです。 正確にいうと、この人が生まれて育った国には飛び級という制度はないが、ないはずのものがあるところが、この国で、現にこの人は妙に若い年齢で大学を出てしまっている。 職業は、投資家、ということになっている。 「ということになっている」って、あ、じゃあ、やっぱり設定なんですね!と慌てて喜んではいけません。 パスポートコントロールなどでは職業の欄に「会社役員」と書くが、これは税金を少なく払うため… あっ、いやいや冗談です、投資を円滑に進めるために会社を持っているからで、種別でいえば、オールドマネーもいいところの、ガハハのおっちゃんを連想させる「不動産投資」というものをずっとやっている。 他の投資もやっているけどね、どっちみち、 詳細をここに書く気はないし、書いたところで、日本語では「嘘松、けけけ」とか言われるだけなのは判っているので、嘘よりもずっと面白い現実は、日本語では絶対に聴けないことになっている。 遙かな昔は、会社を買って経営したりしたこともあるが、振り返って考えれば興味本位で、第一、忙しいので、こりゃたまらんと考えてやめてしまった。 実際に働くのは他人にお願いするにしくはなし。 いつだったか日本のおじさんたちがつくっている自分についての悪口フォーラムを面白がって読んでいたら、 投資家がでてくる好きなマンガかなにかがあるのでしょう、 「投資家が、こんなにヒマなわけはない。だいたい、こういう人は投資家というものがいかに忙しいか、まったく判っていない」と述べあっていて、 お腹が苦しくなるくらい、くくくく、と笑いがこみあげてくるのを我慢(なんで?)するのに苦労したが、この人たちの頭のなかではディスプレイのなかの刻々と変わる数字やチャートを見つめて、機を敏に、電話したり相手に向かって大声で怒鳴ったりするのが投資家の仕事であるとおもっているようだったが、現実の投資家たるや、ちょうどベンチに腰掛けてbasinの水面を見つめるように、頭のなかの市場を見つめているだけです。 賑やかな投資家おっちゃんも投資の種類によっては存在するが、慌てるおやじはもらいが少ないという、 最後まで、恙なく懐がゆたかでいられるのは、そういう人には少ないようでした。 ではなにが外から見てわかる仕事かというと、「本を読むこと」で、 ヒマさえあれば、本を読んでいる。 最近の「遊びだ」「趣味だ」とゴマカシながら手をだしている、不動産以外の投資でも、分野は変わっても、「本を読むのが仕事」の基本が変わるわけではないようです。 オカネの話はつまらないので、このヘンで止すが、もの好きな人がこの記事を読んでいて、自分も投資家として暮らしたい、と考える場合は、本をたくさん読むことと並んで、大事なことがあって、 それは「世の中に興味をもつ」ことです。 これは、どうしてこうなっているのか、 あの国はどうして不振なのか、… Read More ›

  • イーロン・マスクとtwitter

    南アフリカ人は人格の手触りがザラザラしている人が多いと感じる。 と言っても「友だち」と呼びうる南アフリカ人はひとりしかおらず、近所にもひとり住んでいるだけで、ふたりともタイプは似ていてgentle giantで、 身体がおおきく、顔もふたり揃っていかついが、びっくりするほど気持ちがやさしくて、同情心が強い。 話がぜんぜん違うじゃん、とおもうなかれ。 普段の生活で会う南アフリカ人は、うまく表現するのはたいへん難しいが、考えの底が厳しいというか、厳しい状況をかいくぐってきたひとたちのそれで、多分、世界で最も著名な南アフリカ人であるシャーリーズ・セロンの、母親が娘に襲いかかる父親を射殺する、という事件で始まる若い時代の話を 記事に書いたことがあって、青土社から出した「ガメ・オベールの日本語練習帳」という菊地信義さんの装丁であることが、ひとつ自慢の本のなかに入っています。 考えてみると、南アフリカ人の気風は、日本の人から見て、最も理解しにくいもののひとつかも知れなくて、半分やけくそで述べると 「マッドマックス的世界観を根底に持っている人たち」と言えばわかりやすいだろうか。 レソトや南アフリカに国連の使節やボランティアの協力隊のようなもので数年滞在していた、というような人はオーストラリアやニュージーランドにはたくさんいるが、戻りたい?と訊くと、二度とご免だ、という。 とにかく危ない。 向上心というようなものも、まったくない。 80年代にレソトに学校の建設のために行った人などは、週末になると、学童の手引きで両親たちが武装して襲いに来る。 目当ては備品で、なんでもかんでも盗られてしまうので、 教師側も機関銃を台座に設えて対抗する。 毎週毎週、小規模な内戦のようなことを繰り返して、最後は村民が総出でやってきて、せっかくつくった校舎をロープをかけて引き倒して終わったそうでした。 綺麗事がなにも通じない国なんだよ、と述べて、 マンデラの奥さんが余興に夫の愛人をタイヤの輪に嵌め込んで火を付けて、転げ回って苦しむのを手を拍って大笑いした、というような話をする。 どうも部族制がすべての土地に、欧州人たちが、無理矢理線を引いて分割したのが拙かったとかで、第一、およそ西洋的な観点というものが、まったく通用しない、と述べる。 普段の生活の話も、「目が点になる」という表現そのままの話の連続で、 BBQパーティを開いていると弾帯を肩にかけて、機関銃やショットガンを手に手に塀を乗り越えて次次に裏庭に飛び降りてくる強盗の話などを聴いていると、「戦場より危ない」という言葉をおもいだす。 友だちにしても、普段は、おだやかで親切な人で、いかにも安全快適な中流人が多い環境で育ったとしか思えない人だが、 ヨハネスブルクの実家に帰るときには、まず空港で銃を受け取っていく、と述べて、そうしないと生きて実家に辿り着けないからね、と笑っていたりする。 そういう国で、比較的うまくやっている民族集団はインドの人たちで、あのひとたちは、収入があがれば、まず真っ先に安全な地区に住むことを考えるニュージーランド/オーストラリアでも、割合に平然と治安が悪い地区に住んで恬淡としているが、南アフリカにも、そういう点で適性があるのか、インドの人に訊くと、インド国外でインド料理がおいしいのは、いちばんがロンドンで、二番目はダーバンだと述べていた。 オンラインのレストランガイドをみると、なるほど、おいしそうなインド料理の皿が並んでいて、ニュージーランドでも「知る人ぞ知る」人気がある南アフリカ郷土カレーのBunny chowも、インド料理のページの隣で、いかにもおいしそうな姿で鎮座している。 イーロン・マスクは、このダーバンの出身です。 おかあさんは、有名なモデル・タレントのメイ・マスクで60歳代になってから「タイム」誌や「ニューヨーク」マガジンの表紙をヌード写真で飾ったことをおぼえている日本の人も多いでしょう。 もっとも、たしかイーロン・マスクは英語人がステレオタイプにおもい描く「ラフな南アフリカ人」を地でいくような不動産デベロッパーの父親に育てられたはずで、多分、イーロン・マスクのアメリカの都会人が憎悪してやまない、あのスタイルは、どうやら悪魔のように憎んでいたという、その父親から来ているようにおもえます。 イーロン・マスクは大変に興味深い人物なので、そのうちに、ちゃんと調べて、本人にも会って、一冊の本になるくらいの記録に纏めようかなあーと、また、ろくでもないことを考えるが、ここでは家庭や本人の成長の背景は、あんまり関係がないので、平凡な英語人の目から見て、ぼんやりと、どんな風に見えているか、というだけにとどめたほうがよさそうです。 まだなにも調べないうちにイーロン・マスクとtwitterについて書いておこうとおもったのは、この世界の大半を占める、世界で起きる事象に、その場限りの興味しかもたない、言わば「見方が浅い人間」のひとりとして、いまtwitterで起きていることがどういう見え方をしているのか、伝えたいからでしょう。 必要なら「英語人の」と、どこかに付け加えてもいいが、頭のなかをのぞいてみると、特に言語に拠っているようにも見えない。 個人として知っている人に訊くと、たいへんなアスペルガー気質で、社交性はゼロで、なにしろ口を開けば人を怒らせることしか言わない、と笑っていたが、伝えられるニュースやゴシップでも、それは感じられて、本人も何度か自覚していることを述べている。 最近ではスティーブン・キングとの課金をめぐるtwitterでの会話が世界中で爆笑・嘲笑のタネになって、やっぱり頭がわるい、とか、ものごとの核心がつかめないのがよく判る、とか、散々、揶揄されて有名になった キングが「ブルーチェックを保つのに毎月$20払えなんて、頭がおかしいんじゃないのか」と言うのに、イーロンがリプライをつけて 「$8なら、どうですか?」とマジメに教えを乞うている(^^;) 典型的、といいたくなるアスペルガー人と通常人の会話で、 ポイントが外れていて、案の定、イーロン・マスクの頭の悪さの証拠として、 たくさんの人が、日本のおやじトロルなみに、スクリーンショットを撮り、面白がって回覧していた。 到底受けいれ難い政治発言や、なんだかヘンテコリンな言論の自由へのイメージで、すっかり嫌われ者になって、ヒットラーから大袈裟な勲章をうけて悦に入っていた自動車王ヘンリー・フォードの再来か、と茶化されていたりしている。… Read More ›

  • 君に夢中

    七歳で、ぼくは葉山の海岸に立っている。 (鐙摺山の後ろには積乱雲) (海の匂い) すごい国に来たんだよ。 海の水が温かい国。 階級がない国。 その強烈な記憶。 関わりが出来て 言語をおぼえて ぼくは、また、その国に帰っていった。 18歳だったかな? 北海から南極海の国へ 帰る度に、寄っていた。 ぼくは、なんだかヘンテコリンな その国が好きだった。 ニホン ニッポン 色が濃い常緑樹が広がっていて 暗い緑 いったい、空からの、あの眺めを何回見ただろう ぼくは帰ってくる 知っていたかい? ぼくは帰ってくる ぼくは帰ってくる いつも ぼくはずっと愛していたんだよ 自分が生まれた国よりも 育った国よりも 初めのころは、いったい何を話しているのかも理解できなかった国 (ぼくは二次元絵が嫌いでたまらなかったんだよ) (どうして街の、生活のあちこちに、気持ち悪い性的な幼女絵があるの?) メキシコの小さな田舎町で 貧民街で 人相の悪い 若い男の人が タイヤに向かって、なんだか一心に鑿をふるっている 花を彫っている! いったい、きみは、なにをやっているの? とバカな質問を述べたら、 睨み付けるような顔で ぼくは永遠を彫っているのさ… Read More ›

  • 石の街へ帰る

    あなたが、いつか通った道が、この深い森のどこかにあるのだろうか。 濁った水の沼の畔に腰をおろして、人工物のように平たい岩の冷たさを感じながら、水筒にいれた赤ワインを飲んでいる。 ガーゴイルたちがいる町から、ガーゴイルのいない町に移って、もう何年になるだろう。 頬杖をついて、夕焼けに染まる町を見つめて、ぼくが生まれた町では、子供ですら、もう何百年も生きている。 奇妙なことをいう、と思いますか? ただの現実の描写なのだけど。 ガーゴイルたちがいない町では、ぼくは、自分が、どこに立っているのか判らない。 見上げても表情のない窓が並ぶだけの通りでは、どこに向かっているのか見当がつかない。 山の形は変容して、建物は破壊されて、言葉さえ意味がわからない音の羅列に変わってしまっている。 十四歳のときに考えたことは正しかったのではないか。 人間が三十歳を越えて生きることは間違っているのではないか。 その室内に死を迎えたことがない建物を「家」とは呼ばないように、 内なる死を迎えなかった人を「人」と呼ぶ事はできない。 死を迎えるとき、初めて人は人になるのだという考えは正しいのではないか。 死の側に立って人生を見つめる文明といえばマヤと日本の文明だが、生の側から死を見つめる西洋の文明よりも、死がよく見えるところに、マヤ人たちは立っていた。 死ぬ事が最高の栄誉であるのは、もちろん、最高の栄誉を受けたものは死によって栄光を完結しなければならなかった。 首を刎ねる、という暴力的な死も共通している。 遠くから歩いて来て、彼らは死の家を築いた。 遠くからやってきて、彼らは死ぬことを選んだ。 文章を書く人間は、意味を未来に渡そうとして、一生のおおきな部分をgibberingで過ごす。 うまく書ければ、ひとつ、おおきくのびをして、これで自分の名前を未来の人間が憶えていてくれるのではないかとひとりごちる。 本が書店のウインドウに並び、称賛が届き、皆が褒めて、感謝の言葉さえ聞こえてくる。 きみは賢明なので、「これで作品は将来の読者に届きますね」と言われても頷いたりはしないが、あるいは、と期待を膨らませるのを抑えることが出来ない。 J.D.Salingerを幼児性愛犯罪者としてではなく名前をおぼえている人間がいたとして、その人間が作品のひとつを読んでいれば、きみは自分の幸運に感謝すべきだとおもう。 薄汚い、卑劣な欲望を胸の奥に隠し持った中年男。 人間性への敬意を欠片でも持っていれば、吐き気を抑えながら読むのが精一杯で、感動するなんてありえない、過去には売れたことがある作家。 いつか、実生活では頭がおかしいと評判の作家が、短いコラムで、 「だがわたしはわたしの書いた物語が自分の死後も読まれることに賭けている」と述べているのを観て、まじまじと、という表現そのものの見つめ方で、しかも何度も読み返してみたことがある。 編集者の友だちの話では、その人は、過去にたいへんな差別を経験して、そのせいで気がおかしくなったのだ、という説明だった。 だから、あの人になにを言われても相手にしないでください。 これは業界の慣行です。 語彙の選択を間違えただけだが、「業界の慣行」という言い方が可笑しかったので、未だに口調までおぼえている。 この気の毒な魂の持ち主は、自分が感心した文章を読むと、書いた人間は「わたしの文章を剽窃したのだ」と反射的に述べる癖があった。 初めは物議を醸したが、不幸なことに、そのうちに周囲が「慣れて」しまった。 病んでいるのだから、気の毒に、非難してはダメだよ、ということになった。 ところが、きみは、この人の境遇が更に悲惨なものであることを「知って」いて、言語感覚の鈍い文章は、その人が死ねば、同時に作品も忘れ去られて、「一部の熱狂的なファン」が、そういえば若いときは、あの人の作品が好きだった、と思い返すだけで終わることまで熟知している。 小説家には一生に型があって、そのなかでも自分を純粋文学の天才だと自己陶酔のようにして思い込んでいて、現実は固定層の人気がある通俗作家だというのは、ありふれている。 ありふれてはいるが、一生が最も忌まわしく悲惨なものになる点では、このタイプが筆頭であるとおもう。 日本語でも同じ例がありそうな気がする。 文章を書く人間は、意味を未来に渡そうとして、一生のおおきな部分をgibberingで過ごす。… Read More ›

  • 鎌倉殿の13人

      義理叔父の母親、かまくらばーちゃんが住んでいて、おとなになって再訪日したときには、あの大好きなカタカタいう音がする「板硝子の引き戸がある縁側がある家」を買って持っていたりしたので、鎌倉は、馴染みがある町です。 時期でいうと、マクドナルドが若宮大路の二の鳥居にあったころよりは、ずっと後で、下馬の、消防署の近くにあったころ、ということになると思う。 このマクドナルドは鎌倉武者の幽霊が出るので有名で、パートの店員で働いていた人が、ロッカーのドアを開けたら、鏡を、すうっっっと鎧武者が横切っていった、と「思い出すのも怖い」という顔で述べていた。 地元の人に聴くと、近くの松林が鎌倉武士の幽霊のメッカで、 戦後すぐの頃までは、お使いを頼まれて、大八車(←リアカーではなくて)を引っ張って松林の前を通ると、そこがすごい、と聴いていておもったが、 「必ず」騎馬武者が駆け回って、呼ばわる声がする。 もっとも姿は見えなかったようで、名越えの切り通しを写生していたら、肩越しに人が見ている視線を感じるので、振り返ったら鎧武者が立っていた、という曼荼羅堂とは、また、趣が異なる幽霊のようでした。 「鎌倉殿の13人」が大流行りで、どうやら、ひさびさの「国民ドラマ」になっているというので、それはいいことだな、と考えた。 現に我が友オダキン博士などは、「ガメに文句を言われそう」とか訳のわからない恐怖の感情を述べながら、しかしタイムラインを覗くと、延々と延々と、最近のネット用語では大喜利というのかな? その週の回について、おおぜいの人が意見を述べあっていて、そこが日本で、上手な漫画で書かれた場面の数々が並んでいる。 むかし日本の人が奇妙なくらい「三国志(演義)」に詳しいので、中国の人ならともかく、いったいどういうことなのだろう、と訝しくおもったが、 そのうちに、コーエイの人気ゲームシリーズ「三国志」と横山光輝の長編マンガ「三国志」のせいだと判った。 多分、いまごろは、日本の人たちは、鎌倉時代の登場人物たちに異様に詳しくなっていて、この記事を書いているのはドラマで和田義盛が矢衾(やぶすま)に射立てられて大往生を遂げたところだが、そこが衒学のおもしろさで、あの戸板で固めた陣形はtestudoと言ってローマ人が考えたものだとか、いや、実際にも鎌倉時代にはあったのだ、とか、戸板じゃ義盛の強弓で貫通してしまうのではないか、とか、みんなで「役に立たないことを議論する楽しさ」に浸っているのではなかろうか。 そういうところは、日本の人は、ドイツ人などには「役に立たないことに夢中になるなんて、バカなんじゃないの?」と疑いをかけられているらしいイギリス人に、不思議なくらいよく似ている。 鎌倉時代は、日本の歴史のなかで、官僚制が発達せず、個々の人間に裁量を与える、垂直ピラミッド型の代わりに水平型の為政の体制を敷いた最後の時代だった。 「鎌倉殿」を王冠のように頭に戴いて、その下はバイキングなみの家の共同体だったが、案外、そのことが、ようやく民主制の良さに目覚めつつある、日本の人の、いまの気持ちにあっているのかもしれません。 なんだか他人事みたいに書いているが、ずっと前に書いたことが何度かあるが、日本は中世が最も好きな時代で、なかでも鎌倉時代前期が好きで、 好きが嵩じて、見るからにシブい家を買ってしまった経緯もあります。 買うときに「裏山にでるかもしれません」と不動産屋さんが述べていた鎌倉武者の幽霊が出なかったのは残念だったが、規模は小さくても鬱蒼とした森に囲まれた家で、夜更けにふらふらとであるいては、自分が鎌倉武者の亡霊になった気分にひたって悦に入っていた。 和弓はイギリスの有名なlongbowに武器としての思想が似ている。 longbowは1545年の沈没したMary Roseから引き揚げられたものを見ると 6ft 1in(185cm)から6ft 10in(208cm)で、標準が7尺3寸(213cm)という和弓に較べると、わずかに短いが、この長さでもlongbowを引き絞って放つのには、ひねりを中心とした特殊な技倆が必要で、子供のときから訓練された者でないと扱えなかったというので、それより更に長い和弓は、よほどの修練をつまないと実戦の役に立たなかったでしょう。 武器としての長弓の特徴は長大な飛翔距離と貫通力はもちろんだが、ややヘンテコリンなことをいうと、ひきしぼられた形の美しさで、美術品そのものである鎌倉時代の鎧甲冑や日本刀とあわせて戦闘という暴力のなかに美を見いだしていった日本人の姿が窺われて、形としての宗教の道を突き進んでいった鎌倉仏教の禅とあわせて、その「暴力の美」という思想に、すっかりいかれてしまったイギリス人の子供を虜にしたものだった。 宗教として美に呑み込まれた感のある禅をみると、日本人は、倫理をもちえなかったというより、持つ必要を感じなかったのだとおもいます。 美しければ、それでよかった民族の姿が、日本の歴史を一本の線のように貫いている。 他方で、番組をめぐるタイムラインで、随分話題になっているようだったが、鎌倉は裏切りサバイバルの時代でもあって、こちらは、当然、暴力自体がもつ本質、「やつらは敵だ。敵を殺せ」が顔を出している。 仔細に見ていくと、暴力を研ぎ澄まして美に昇華したというよりも、暴力と美意識が交互に顔をだしているので、「鎌倉殿の13人」は、「鎧甲冑を着せた現代劇ドラマ」でありながら、タイムラインのひとびとが口々に述べているように、現実ではありえない現実を誇示するかのように呆気にとられるようなストーリーで進んで行くのは、つまりは「暴力の文脈」という普段の日本語社会では口にすることすら忌避されなければならないことが推進力になっていた時代の社会を新鮮なものと感じるせいもあるのかもしれません。 まあ、理屈は、もういいや。 むかしむかし大酔して、夜更けの鎌倉の町や海辺や墓地をうろうろしながら幻視しようとしていたことが、ドラマになって、twitterで知っているオダキンたちが、どうおもったかがタイムラインで判って、これはいいなあ、とおもう。 「鎌倉殿の13人」と、それを取り巻いて、わいわいと述べあっているニコニコ動画的コミュニティに顔をしかめている人は、案外なくらい多いが、別に、いいんじゃないか、というか、もう一歩踏み出して、いいことだとおもって見ている。 ああいうコミュニティとは180度反対側にいて相容れない人間がそうおもうのだから、きっと、余程、みなが途方もなく幸福な時間なのだとおもいます。 そんなことは観ている人達も百も承知だが、歴史的リアリティについてはゼロに近いドラマで、「史実にあってない」なんてくだらないことを述べているのではなくて、鎌倉というのは突然中世が現れる町で、例えば、鎌倉の古い住宅地に住んでいれば誰でも経験がある「円覚寺の托鉢」がある。 駅前で佇んでいるお芝居のような托鉢とはまったく異なるもので、誇りにまみれた若い僧たちが、形相もものすごく、通りを駆け回って、早朝の住宅の門や玄関の戸を、荒々しく、どんどんと拳で叩いて、喜捨を要求します。 なんのことはない、中世が、一朝、自分の住んでいるところに突如として出現するので、 「なるほど日本の中世って、これか」と理屈ではなくて体感される。 もっとくだらないことをいうと無形文化財には、ああいう時代がタイムワープしてやってくるようなものをこそ、指定すべきなのではないかしら、と考える。 あの獣のような時代の空気があるからこそ、日本刀や鎧甲冑の純粋美が生まれた。… Read More ›

  • これからの5年

    日本政府が発行するマイナンバーカードの問題点を台湾のオードリー·タンが指摘している。 情報時代の民主社会の要点は、国から国民の情報が見えず、国民からは国の情報が見えることだが、マイナンバーカードが目指しているのは、これの逆で、民主社会を破壊する。 なんだか頭がはっきりしない人が増えた日本の政府なので、十分に自覚的に行っているのかどうかは判らないが、マイナンバーカードの究極の目的は、要するにそういうことで、アメリカに作らされてしまった民主社会を、意見をまとめたり、宥めたり、脅したりして運営しているのがまどろっこしくなったので、民主機能に止めを刺そう、ということでしょう。 で、日本の人は、自分が持っている自由と権利について、一般に迂闊でのんびりなので、政府の目論見は見事奏功して、あちゃあー、自由、なくなっちたじゃん、になるとおもわれる。 自分の自由が侵害されたり権力に足蹴にされても、にっこり笑って、気の利いた冗談のひとつも言ってみせるのが「日本人の美徳」なので、ここからさき、たいした抵抗もないのではなかろうか。 せいぜい、「わたしは反対だ」と日本語社会のガス抜き装置、twitterの暗い穴に向かって叫ぶくらいのことで、根気よくツイートしていれば、王様の耳はロバの耳、そのうちにtwitterのタイムラインから生えた葦が、「マイナンバーカード、はんたーい」と風に揺れながら叫んでくれるかもしれません。 しかし、それで自由が失われて、国民全員が塗炭の苦しみに陥るかというと、多分、そんなことは起こらなくて、個人情報が、モロバレにバレたなりに、まあ、いいか、になって、一日一日を過ごしていく。 戸籍とおなじことで、家庭内暴力に苦しんで社会のなかを逃げ回るように暮らしている女の人や、日本語しか話せないのにフィリピンに送還される高校生のような立場が弱いひとびとが地獄に突き落とされるくらいで、そのくらいのことは、日本の人は 「見なかった」ことにする天賦の才能があるので、案外と穏やかな日常が続いていく。 外を見渡すと、つい一年前は、あれ、おかしいんじゃない? 習近平は実際に武力侵攻を考えているんじゃないかしら、と誰かがいうと 楽しそうに、けらけらと笑って、 「そんなことあるわけないじゃないですか。怖がりすぎですよ」と述べられていた中国の台湾侵攻が、その「嫌な事は絶対に起こらないからダイジョブ」民族の日本の人でさえ、不安を顔にあらわして、ifではなくwhenと述べはじめている。 この記事を書いている、いまは、2022年10月29日土曜日で、上陸に適した天候を考えると人民解放軍が上陸する最も早いタイミングは、党大会までに習近平が絶対権力を確立できなかった場合にはありえなくはない、2022年10月だったが、蓋を開けてみれば、世界中がびっくりするほどの容赦ない独裁政権で、そうなると、上陸戦力に不安のある中国としては、次の天候機会の、えーと、4月だったかな、でも早くて、もっかは最も可能性が高いのは2024年の10月だということになっている。 もともと人民解放軍が策定した2027年のほうが良さそうなものだが、 プーチンが妄想に駆られるようにしてウクライナに攻め込んだので、 西側諸国が、欧州に気を取られているうちのほうがいい、というメリットがあって、足したり引いたりして、2024年がいいのではないか、ということになっているようです。 ただし習近平が、プーチンの旗色が悪いなんてものではないウクライナ侵略戦争が2024年まで持たない、と判断した場合には無理矢理、前倒しにして、来年、という筋書きになるのでしょう。 プーチンのウクライナ侵攻は、寝耳に水で、ある朝起きてみたらロシア地上軍の侵攻が始まっていた、という、サプライズアタックで、つまりは失敗したブリッツクリークだったが、人民解放軍の台湾侵攻は、現在の中国共産党の盤石の状況では、多分、何ヶ月も前から誰の眼にも歴然とした侵攻準備を前段とするはずです。 だから、党大会以前と異なって、侵攻時期の予想を立てる意味がない。 なんでもかんでも、「これはいずれこうなる」と述べると、明日世界が終わるとでもいうように慌てふためいて、次の日一日なにも起こらないと、 「今日、世界が終わらなかったじゃないか、この嘘つきめが」と荒れ狂う、おもろいひとびとがいるものだが、2024年でも2027年でも、もう準備期間が短すぎて可能性はないに等しいが今年の年内であってさえも、同じ事で、大事なのは、「武力侵攻が、ほぼ避けられなくなった」という事態の方向のほうです。 香港を「もういらない街だ」と述べて踏みつぶして、台湾に武力侵攻することを、ほぼ決めた習近平だが、その次の日本に侵攻するかというと、それは多分やらないでしょう。 中国の人と話すと、「だって台湾て、もともと中国だもん」と、ふつーに考えている。 香港やマカオや尖閣諸島とおなじで「返してもらう土地」であって、係争中の土地、という意識もない。 習近平の強硬な姿勢は、民主社会でないとはいっても、「台湾はもともと中国」とごく自然に考えている国民の気分に支えられているので、それが日本になると、やはり「外国」で、なにもそこまでやらんでも、と考える。 太平洋に出て行くには日本というアメリカの巨大要塞が邪魔なのは確かなので、外交と最悪の最悪の最悪の場合ミサイル攻撃で無力化する方向へ行くとおもわれる。 でも、それはまだ先のことです。 台湾に武力侵攻されても日本は南西諸島を占領されるくらいのことでは、なかろーか、と考えられている。 その次の段階でも沖縄が破壊されるくらいが限度であると見積もられているらしい。 毎度毎度破壊される沖縄の人はたまらないが、そういうときに日本政府が、沖縄人を本気で救うために起ち上がるとは、到底、おもえません。 小国であったり大国であったり、先進国であったり発展途上国であったり衰退途上国であったりするのは、情報社会で、その上、ふらっと、どこにでも行ってしまえる21世紀では、どうでもいいことだが、 日本の近い将来で困るのは、なんでんかんでん個々の国民に背負わせる国づくりを指向していることで、マイナンバーカードに唐突な感じで熱心になっているのは、つまりは、国民にすべての困難を押しつけるための切り札だからです。 国のほうからすると、「だって、そうしないと政府が生きていかれないんだもん」ということでしょう。 日本の政治は「国体」という気分としてだけ存在して実体のない明治の亡霊のような考えに無意識のうちに取り憑かれているのが特徴だが、この「国体」は、もともとは要は「天皇」のことだった。 海ゆかば水漬く屍 山ゆかば草むす屍 大君の辺にこそ死なめ かへりみはせじ 国が亡びる、と言うときに、その「国」に為政者のイメージとして、ひとりひとりの国民が含まれていないところに日本という国の特徴があります。… Read More ›

  • 日本語ドキュメンタリ

    ニュージーランドに戻ってみると、いきなり南極大陸から吹き付けるPolar blastで、真冬に逆戻りしている。 クライストチャーチ 3℃ ウエリントン    9℃ オークランドは相変わらず煮え切らなくて11℃だが、クライストチャーチだけでなくウエリントンでまで雪が降っている。 寒いのは嫌いだが寒い気候は好きなので、なんとなくウキウキしながら全館暖房をいれて、猫さんや家のひとたちと、ぬくぬくして、ラウンジのカウチに寝転がってKAPITIのアイスクリームを食べたりする。 これはですね。 むかしは質素にホーキーポーキーアイスクリームだったのに、クライストチャーチに日系ニュージーランド人の晩秋という悪い友だちがいて、 いけない感化を受けてしまっているのですね。 不可抗力なのだと言われている。 友だちは食べているアイスクリームを見て選べ、と言う。 おかげで価格がホーキーポーキー·アイスクリームの約1.5倍だとおもわれるKAPITIの豊潤で上品な味に馴染んでしまって、質朴なニュージーランド伝統の味に戻れなくなってしまっている。 日本語ともご無沙汰で、英語ばっかりで、そこにフランス語やスペイン語が入り交じって、大好きなお下品ともご無沙汰で、お上品な人ばかりで、 またまた引き裂かれてしまった、と聞いて、股股さんが裂けてしまったのか、とニヤニヤしてしまったりすることを愛好する人間としては、物足りない毎日だった。 サムライドラマの影響下にある日本語で申し述べると、父上は御壮健で、frozen shoulderになって、手があがらなくなって難儀しているようだったが、それはですね、日本語では「四十肩」とか「五十肩」と言うのですよ、と教えてあげると、四十も五十も、遙か昔のお父上としては、まんざらでもなくて、相好を崩して、痛みも和らぐもののようでした。 母親は相変わらずスピードとスポーツの人で、平べったいジャギュアのスポーツカーで迎えに来て、妹と3人で馬に乗りに出かけても、ごくごく自然に飛ばしてしまう人で、見ていて、なにがなし、健康っちゅうのもいいものだな、とおもう。 近況報告は、ここで終わりです。 え?もう終わっちゃうの? ずっと日本語で記事を書いていないので近況報告をしようと考えたが、考えて見れば、報告するほどの近況もなくて、第一、自分の近況を報告しようという企てそのものが余計なことでもある。 ではなんの話をするために書き出したかというと日本語なのだから日本語の話で、以前から見狂っていた日本語ドキュメンタリをひととおり見終わった感想を述べようとおもってキーボードを目の前に引っ張り出している。 インターネット、なかでもSNSを読んでいると、NHKはことのほか評判が悪くて、この世の終わり、往年の、ソ連時代のタス通信か新華社か、人民日報かというような言われようで、カネカヤセと言う叫喚が満ちている。 過去に友人であった人でも本人がNHKで番組をつくっていた人が、NHKはダメだ、という。 あまつさえ、読んでいると、スキャンダル以来ガッタガタのBBCを見倣え、という恐ろしい意見まで並んでいる。 いやあ、NHKはいいよお。別格だね。おれはNHKしか観ないんだ、と言うのは最近退職した元フジテレビのおっちゃんだけです。 ところがですね。 これが見だすと止まらないくらい面白い。 並んでいる番組のなかから、なあんとなく好尚に適いそうな「冬の秋田のうどん自動販売機」を観て、一発で虜になってしまったことは前にも書いた。 痺れました。 繰り返しになるが、何度繰り返してもいいくらい衝撃を受けてしまった。 「子供のときから、親が不在だったので、人が恋しくなると、ここに来るんですよね」と女の人が述べている。 真冬の、一面が雪の海辺の、あばら屋、とそのまんま書いてしまうと失礼だし気の毒だが、風情からいうと、他にしっくりくる表現がありそうもないボロボロの建物の屋根の下の、ベンチとテーブルに座っている。 「無人の自動販売機なのにですか?」 と人恋しさに無人の販売機を訪れる、ということに得心がいかないインタビュアーが聞き返して、女の人は、ちょっと寂しそうに、自分でも可笑しそうに、ええ、と笑っています。 もうそこで、ほら、癖がでて、歯を食いしばって、ドワッと涙が出てきてしまっている。 日本だなあ、とおもう。 意味もなく、ああ、日本の人だなあ、と考えている。 そうして、この女の人の気持ちが痛いほど判るようになったのが、日本訪問のゆいいつ最大の成果なのではないかしら、と考える。 あるいは200円のお弁当を買いに来た人がインタビューされている。 ええ、やっぱり安いと助かりますよね。… Read More ›

  • 静かになる

    「あら、ナリタがないわね」 2000年の終わり、ちょうど世紀の変わり目くらいだった。 クライストチャーチの交叉点で、いつもの習慣のようなもので、 格安航空券の、行き先別価格リストが貼りだしてあるショーウインドウを眺めていた母親が、一緒に眺めていた妹に、怪訝そうに述べている。 航空券は、手配してくれる人がいて、別に、本人たちが購入するわけではなかったが、ぼくも含めて、信号待ちの時間や、通りすがりに、街のあちこちにある航空券販売の店の前に立って、世界中の街への航空券代を眺めては、 ロンドン行きが安いね。 ロサンジェルスに行く方がオークランドへ行くより安くなるんじゃないか、 ちょうど株式相場を眺めるデートレーダーのひとたちのようにして、変わってゆく価格を見ているのが習慣のようになっていたのだとおもいます。 ロンドンでは、それほどでもなかったが、クライストチャーチ・ナリタは人気路線で、もうちゃんとおぼえていないが、往復で、NZDで2000ドル、そのころはいまとは異なって円が1NZD=62円くらいのことが多かったので、 だいたい12万円で、日本では、とても人気があるのに、対照的に、日本の外ではまったくといいたくなるくらい人気がなかったJALが、 ときどき、売る側がたまりかねたようにして、6万円、というような特価で出したりすることがあっても、人気路線は人気路線で、窓に張り出された価格表に目的地として、50か、60か、ずらりと並んだ名前のなかにナリタがないのは、ちょっとおおげさに言えば、奇異な感じがした。 よく見ると、ナリタに成り代わって並んでいるのはヨハネスブルグで、このあと、いまに至るまで、続いている。 まるで、誰かが、毎日、消しゴムで、少しづつ消してでもいるかのように、日本が、bit by bit、ちょっぴりずつ、姿を消してゆく。 日本語が好きで、いつも日本の変化に興味をもっていた人間からすると、寂しいとまでは言わないが、へええ、こんなこともあるんだなあ、とおもっています。 変化は、ほんとうに、よく注意していないとわからないくらい、ゆっくりと起きてきたが、20年もたつと、振り返って、びっくりするような大きな変化になっていて、特にオーストラリアやニュージーランドではおおきな存在感を持っていた「日本」が、まるで空気のなかに、輪郭から始まって、次第に、基礎まで溶け込んでいくようになくなっていった。 おもいつくままにあげると、まるでお揃いの制服のように、登山帽にベスト、どうかするとチェックの縞のシャツまで、もしかしてパックツアーに含まれているのかしら、と考えるほど似た服装の、日本の団体ツアー客は、子供のころ、1990年代には国中に溢れていたが、しゅううっと、萎むように少なくなって、最後に団体客が大型バスから降りて、シンガポール資本のホテルに、ぞろぞろと、お行儀良く長い列をつくって呑み込まれていくのを見たのは、あれは、2002年のことだったのではなかろうか。 あるいはメルボルンやオークランドのCBD、街の中心部を歩いていれば必ず聞こえてきた若い声の日本語が、いつのまにか中国語や東欧語に変わって、 語学留学生がやってくる国も、ずいぶん変わるのだなあ、と考えたのは、 2005年か、そのくらいだったような気がする。 なにしろ日本語を、やっこらせと学びはじめるきっかけになったのは小津安二郎とジブリとゴジラだが、2014年の「風立ちぬ」は、公開予告があっただけで、海外の反応を見て配給会社が考えを変えたのでしょう、結局、公開されることはなかったし、2016年のシンゴジラは、初日に「南半球最大のスクリーン」という、いかにも田舎国じみた謳い文句のオークランドのシネマに、初日から観にでかけたが、おおきな劇場に、ほんの数人の観客で、二週間の公開予定が、二日で打ちきりになってしまった。 実は、そのずっと前、日本ファンから観て、もっと心にずしんと来る衝撃だったのは、2006年に公開された「硫黄島からの手紙」で、ハリウッドのなかでは好きな監督のひとりであるクリント・イーストウッドがメガホンをとって、英語世界での前評判も上々で、欣喜雀躍、メルボルンのシネマコンプレックスに観に出かけたが、初めこそ半分くらい埋まっていた観客席が、30分も経つころには、一組、ふた組と起って、最後まで観ていたのは、ぼくを含めて、ほんの4,5人にしか過ぎなかった。 潮がひくように、というのがいいだろうか。 すうううっと、音もなく日本が生活の場から消えていって、話題からも消えて、ぼくはこうやってしつこく日本語と、その言語が話されている社会としての日本にこだわっているが、気が付いて見渡すと、生活のなかに、「日本」は、どこにもないようなことになっている。 むかしは、日本人がたくさん世界を歩き回っていて、案外オカネモチで、 日本人を喜ばせてやれば、それだけで家が買えたよ、というような話は、 1940年6月18日にロンドンの地下鉄のホームの仮の塒から出て、殷々と響く戦闘機の爆音につられて空を見上げると、無数の飛行機雲が縦横に流れていて、後にも先にも、あんなにたくさんの飛行機が一度に空中戦をしているのを観たことはなかったよ、と述べる老人の話に似てきていて、そもそも、 そのむかし、日本人はすさまじい勢いで世界中の土地や会社を買い漁っていて、ゴールドコーストを買い占めて、高級住宅地のめぼしい邸宅を手にいれて、出来が悪い娘や息子を留学という名目で住まわせて、毎週、同級生を招いては未成年飲酒の大パーティを開いていたものだった、というような話は若い人がニヤニヤしながら、またそういうホラ話をして、という顔で聴くことになっていて、まして、ロックフェラーセンターをMITSUBISHIがそっくり買い取ってしまったなどと述べても、太平洋戦争では大日本帝国が勝ったのだという「高い城の男」話だと受け取られるのがおちになっている。 いや、そんなことはない、日本ブームですよ、という若い人もいる。 例えばオークランドならばフジロック=ラーメンツアーと、若いひとびとがふざけて呼ぶものがあって、フジロックに行って、帰りに、ラーメン二郎や、一風堂、武蔵、有名ラーメン店をめぐって帰ってくる。 第一、日本は、安い! わたしは大好きなの。 COVIDの前は、毎年遊びに行ってたもの。 東京もいいけど、京都は最高よ。 レンタルの着物にサイズがなかったのは残念だったけど。 安い。頭がいかれてる。人間が礼儀正しくてクールである。 あの自動で開くタクシーのドアがたまらないのよ。 日本は評判がたいそう良い国で、特に若い世代にとっては、二郎を観て死ね、というか、聖地巡礼に近い気持ちで東京へ出かけてゆく人も多くて、 3年続いたコロナ禍が、ほんとなのかどうなのか、見ようにようっては無理矢理に、小さい声でいうと二度目の、「終息宣言」が出たので、… Read More ›