「フジサワさん」、というひとなのである。
「フジサワさん」は定年退職して悠々自適、である。
賢い息子に恵まれて、息子の嫁も貞淑な良妻である。 春の日、縁側に腰掛けて「フジサワさん」 は思うのだ。自分の人生はまことに満足のゆくものであった。
そんなに瞠目すべきものではなかったにしろ、まずまず他人よりも出世栄達に恵まれた。そのうえ、ひとがやるほどのことはみなやった楽しい人生であった。
そのとき「ほんとうにそうか?」という悪魔の声がしたのすな。
ほんとうに、やり残したことはないか。
ある。
男色というものを経験したことがないのは残念である。
大きな声では言えないが女色なら人後に落ちるものでない。
妻女に打ち明けたことがないだけであって、謹厳な外見からは考えられぬほど様々な経験を積んだのだ。
しかし、男衆を相手にしたことだけはない。
うららかな春の日、「フジサワさん」は考えれば考えるほど、それが残念である。
ああいったものは、どんな気持がするものであろう。
ここから先がわっしがこの「フジサワ老人」を好きになった由縁であって、この老人は物好きにも、というか実証主義者ぶりを発揮して、というべきか、下町に出かけて、なんと男根の張り型を買ってくるのです。
もちろんわざわざ顔の知られていない遠い下町まで足を伸ばしたのだ。
隠居椅子のある縁側にもどって「フジサワさん」は、息子の嫁や妻がいないことを呼ばわって確認します。
そして、おもむろに張り型をとりだす。
縁側の床に立てて、下着を脱ぐとソロソロと腰を張り型に向かって下ろしてゆきます。
ところが、好事魔多し、なにしろ年をとって足腰がやや弱っているので、いきなり、どすんと尻餅をついてしまう。張り型はブワっとざっくりいきなり根元まで入り込んで(下品でごめん)、その痛いこと、表現のしようもなし、「ぎゃああああああ」とあまりの苦痛に絶叫します。
いないと思った息子の嫁も妻も息子もあまつさえ姪御どもまでがわらわらと集まって、駆け寄ってくる。「おじいさま、だいじょうぶですか」「父上、どうなされました」
一瞬の後、なにが起こったか悟ったひとびとに「フジサワさん」は大笑いされたそうです。
死んだ後まで語り継がれたそうであって、その証拠に、この藤沢某という旗本の話は「耳袋」という江戸時代の聞き書き集に載っておる。
東京は今日はまるで初夏のような一日です。モニとわっしはアパートのテラスで昨日銀座で買ってきたCava(東京にも、ちゃんとあるのだ)を飲みながらくつろいでおった。モニが日本の文化のセージュクドについて質問するので、わっしはいろいろな例をあげて説明します。眼を近づけると、結構おもろい。たとえば、といって「駿台雑話」と「耳袋」のなかから記憶に残っている話をします。で、ここまで話したら、モニ
がビョーキのひとのように笑い出して、止まらなくなってしまった。
いくら説明しても、わっしがデッチアゲタはなしだと思っているようだが、ディテールは、なにしろ何年も前に読んだ本なので変わってしまっているかも知れないが、ほんとうに江戸時代に書かれた「耳袋」という本に載っている話である。
前にも、同じようなことを話したことがあるのをおぼえていますが、わっしは、ですね。
こーゆー話をもっていることこそ、日本のひとは自慢すべきであると思う。
なぜ、この話が外国語に翻訳されないか。
わっしは不思議に思います。
翻訳されれば、「日本」という国の評判は20ポイントくらいアップすると思うが。
わっしは、今日は結局どこにも出かけなかった。
知り合いの自転車屋さんに電話して、モニのぶんのブロンプトンを取ってもらった。
インターネットでハモン・イベリコを購入した。
アマゾンからCanon PowerShot TX1 とEosの交換レンズを買いました。
朝はワッフルと炒めたフルーツの朝食をモニのためにつくった。自家製ホイップクリーム付きである。
昼はカルボナーラ。夕食は、オリーブオイルを使ったプラウンや魚や野菜の天ぷらであって、わっしはなかなか「夫」を全うしておる。洗濯機も2回回したしな。
「Keep Our Sink Shiny!」 とサインが台所の頭上には輝いておる。
わしらの家は片付いていてぴかぴかで、見ていてうっとりするくらい整頓されておる。
モニは、にこにこしておる。
わっしらのシンコンセーカツが、始まったのです。
(疲れた)
(この記事は2008年4月30日に掲載された記事の再掲載です)
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