アメリカのひとにイラン人の友だちの写真を見せると「フランス人、ですか?」というひとがいちばん多い。「イタリア人にしては金髪のひとが多いな。あっ、ロシア人のパーティに行ったんだね?」というひともいます。
「むっふっふ。これ、テヘランのパーティの写真なんすけど」というと、ぶっくらこいて眼を丸くしてます。
イラン人はブルカをかぶって浅黒い肌で厳しい顔でこっちを睨んでいるものだと思い込んでおる。FOXやなんかのニュースが、そういう人だけを必死に探してきて映像として流すからです。わざと、やっとる。
「ほーら、わしらと違うでしょう? 別の種類の人間でしょう? コワイですね。たまりませんね。みんな、殺しちゃいましょうね」
と言いたいのである。
ヒロシマに原爆を落とした頃から理屈がまったく進歩しておらない。
モニとわっしはあるときイラン人の友だちの家に遊びに行った。
精確に言うとその家の旦那さんはヨーロッパ人であって奥さんと奥さんの妹さんがイランのひとなのです。
ふたりのイランガキ(女児)もいる。
モニとわっしが遊びに行きたい、というと、「前の日から何も食べないでこい」という。「モニさんとガメのために腕によりをかけて料理して待ってるから」
後でイランガキの片割れに訊いたら、朝の5時に起きて、4人で夕方の6時まで料理したのだそーです。
サフランがかかったバスマティライス(イランのサフランは超高級品で値段もスペインのサフランの20倍くらいする)や新鮮なスパイスをいっぱい使った鶏の煮込み。ラムシチュー、オレンジの皮を煮込んだソースが載ったバスマティライス、次から次に出て、わっしは死ぬほど食べた。
イランの料理は食べたことがあるひとは知っていると思うが、トルコの料理と並んで無茶苦茶おいしい。わしの大好きなインド料理というものが実は中近東から派生した田舎料理なのではなかろうか、と疑われるほどおいしいのす。
おいしいものを食べさせておけば機嫌がよい単純なわしは、ふたりのイランガキを相手に「アホな歩き方省」(Ministry of Silly Walks)
http://uk.youtube.com/watch?v=IqhlQfXUk7w
を実演したりして喜ばせてやった。
イランガキがあまりに無防備に喜ぶので不憫に思ったわしはミックジャガーの「スタート・ミー・アップ」の振りまでやってしまった。
わしらは皆で奥さんの妹の結婚式のDVDを観た。
プジョーの405に乗って花嫁と花婿が一緒にやってくるところが変わっている。
わしらの習慣では、花嫁と花婿が結婚式の日に(式の前に)顔をあわせるのは不吉である。
結婚式でふたりとも座っているのも、あたりまえだが中近東式で西洋と違う。
豊壌の象徴として美しくカットされた野菜が甘いものがテーブルに並ぶ。
花嫁の縁者たちが寄ってきて花嫁に腕輪やなんかの宝飾品を与える。
花嫁と花婿は世界中のどこでも同じウエディングドレスとタキシードで、よく見るとカットが大陸ヨーロッパ風です。
そこから歓喜がバクハツする。
300人くらいもいる結婚式の参加者がみなで踊り狂うのであって、どのくらい踊り狂うかというと三日間、ほとんど眠らずに踊り狂うのす。
すげー。
1日目は朝3時まで踊り狂って、2日目は女のひとだけでまず集まって踊りまくり、午後には男たちも集まってきて踊る。3日目もまた踊り狂う。午前2時に帰ってきて、それから家でまた踊っていたそうで、聞いているだけで眼の下に隈が出来そうである。
見ていて面白いのは、踊り狂う夜が盛り上がってくると、みなが花婿と花嫁に踊りながら近づいていって紙幣をポケットにねじこむところで、モニと結婚するときにもイラン式を採用すべきであった、とわしはしみじみ考えた。モニの係累もかーちゃんの親族もみな金持ちなので、この方式でやればひと財産築けたのではないか。
奥さんの家系はほとんどみなブロンド碧眼のひとびとであって、旦那さんの家系はもともと北欧人であるのにも関わらず黒い髪のひとが多いので、よく旦那さんがイラン人なのだと間違われるそーである。
わっしは日本に住んでいるイラン人の女の人(旦那さんは日本人….このひと、結婚式のときに踊り方がわからないので阿波踊りでずっと踊っていたそうです)から、子供が通う日本の学校の教科書に出てくる「世界のひとたち」というページに「イラン人」がチャドルを着た姿で出ている、と聞いて大笑いしたことがある。そのひとは「ガメちゃん、あなたは可笑しそうに笑うけど、イラン人にとっては笑い事じゃない。大変な侮辱です」と言って怒られた。丁度「日本人」がちょんまげを結って刀を差し、カメラをくびからぶらさげて出っ歯を輝かせているのと同じ、である。
ま、そりゃ、怒ります。この絵ページをつくったひとが中国人に弁髪をさせなかったのが不思議である。
このひとが学校に抗議したら「これは日本政府が正式に認めた教科書なので学校としてはどうにも出来ません」と言われた。
あとでテレビでも雑誌でも「イラン人はチャドルを着ている」って出ているのに、とさんざん陰口を言われたそうです。
イランと国交が深い日本でこうなのだから、アメリカ人などは想像する必要もない。
わしの仕事上も個人としても付き合いがあるテキサス人は、イラン人が一歩でも自分の街にはいったら直ぐにも射殺する、と言うクビの赤いコワイおっちゃんだが、このひとはイランとタリバン政権下の頃のアフガニスタンの区別がついておらぬ。イランの女のひとは、ブルカをかぶって、道路上で鞭でぶたれている、と信じておる。 イラン人をさして「あのクズ野郎ども」というような表現を平然と使う。
イランは、いま歴史上もっとも困難な時期にある。
原因の最大のものはマフムード・アフマディーネジャードのようなポピュリストを大統領に選んでしまったことでしょう。
その周りにいるひとびともラフサンジャニのような一見まともそうな「佞人」ばかりである。
このブログにも「日本人はたとえばイラン人のような凶悪な人間とは違う」というコメントをよこしてわしを思い切り怒らせたひとがいたが、イランのひとの苦境はどこまで続くだろう。
モニとわしが訊ねていったイラン人の奥さんは、旅行するときイランのパスポートを家族のパスポートのいちばん下に重ねて出すそうです。
それでも、最近イギリスから入国したとき、それまで旅行者に愛想よくふるまっていた係官が、このひとのパスポートを見るや凍り付いたような表情をつくって、ひとことも言わずにアゴで「行け」と無言のまま合図したそうである。
それに較べると日本の係官は紳士的です、と嬉しそうに言う。
アメリカ合衆国は体制を立て直すと、今度はイランを侵略するだろう、と一般的に考えられています。いまは、その体力がないだけである。どちらかというと「イラクなどに手を出したから真の敵であるイランと戦争が出来なくなってしまったではないか」という論調のひとが多い。
北インド人とも共通した独特の手ぶりとギリシャ人と共通したステップで踊り狂うイラン人たちを見ながら、わっしはものがなしい気持ちであった。
世界中から誤解される国というのは最近の歴史だけから拾ってもいくつかあって、ドイツ、パキスタン、日本もそのひとつ、というよりも代表格、でしょう。
わしが子供の時には、着流しのおっさんや着物のねーちゃんが街を歩いている「東京レポート」がまだあった。かーちゃんが子供だったときには、下駄履きで杖で犬をぶんなぐっている着物の男、という有名な「報道写真」が連合王国人の日本人のイメージをなしていた。
いま、そういう「仕組まれた誤解」で最も苦しんでいるのは回教国のひとびとでしょう。
特にイラン人である、と思う。
あのFOXのニュースで見かける憎悪に満ちて見返してくる眼は、実は、「真実を伝えない」ひとびとへの憎しみなのですが、それが合衆国の「戦争屋」さんたちを助けることになる現実を考えると、「やりきれない」としか表現できない気持ちになります。
(この記事は2008年10月1日に「ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再掲載です)
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日本語を操るあなたのような公平な人がいてよかった。
私は映画でイランの素朴な人々を知り、好きになりました。アメリカが仕掛けないことを願うばかりです。良い記事をありがとう。