狂泉

 

(これは2008年6月2日に「ガメ・オベール日本語練習帳 ver.5」に掲載された記事の再録です)

昭和天皇と統帥権について山ほど本を買ってきたので読んでいたら、あっというまに三日経ってしまいました。 おもしろい。

こーゆー無責任な言い方をしてはいけませんが、日本の近代史を面白いものにしているのは昭和天皇という「偉大な君主」であって、この英明で剛胆な君主が「日本がアジアの庇護者たろうとすれば正にそのアジアを対象とした西洋的な侵略・拡大型の政策をとらざるを得なかった」という歴史的皮肉のなかで苦悶しあるときは激しく抵抗し、ついに昭和十年に至って国家社会主義的な陸軍参謀本部に完全な敗北を喫して政略的に神格化された「沈黙の君主」となってゆく、その古代ギリシャ悲劇的な過程にこそ、日本の近代史の醍醐味がある、とわっしは思います。

六朝の「宋書」に有名な「狂泉」という話がある。

昔有一國,國中一水,號曰「狂泉」。

國人飲此水,無不狂。唯國君穿井而汲,獨得無恙。

國人既并狂,反謂國主之不狂為狂。于是聚謀,共執國主,療其狂疾,火艾、針、藥,莫不畢具。國主不任其苦,于是到泉所酌水飲之。飲畢便狂。君臣大小,其狂若一,眾乃歡然。

わっしは、どんな言語でも「翻訳」は苦手中の苦手ですが、無理からにやってみると、現代日本語では、こんな意味ではないでしょうか。

むかし、ある国に泉があって、その名を「狂泉」といった。

国民は、この泉の水を飲んでひとり残らず狂ってしまった。

ただ君主だけが自前の泉を掘っていたので狂わないで済んだ。

狂った国民は君主だけが狂っていないので逆に君主ひとりが狂人なのだと考えた。

皆で君主を取り押さえ、灸をすえ鍼を打ち、無理矢理薬を飲ませた。

君主は、その苦しさに耐えかね逃げて「狂泉」の水を飲んで自分も狂人になった。

その後は君主も国民も皆狂って、みながハッピーになって暮らしたという。

 

昭和天皇は、秩父宮に恫喝されても狂泉の水を飲むことを拒否したので本人は正気のまま、ただ狂いまわる国民と軍人を絶望の眼で眺めていただけでしたが、身をもって君主制というものを限界を示すことになった。

シェークス・ピ・ヒーアですら思いつかなかったような筋立てです。

熱河作戦前後の昭和天皇は、どんな悲劇のなかの国王よりも悲劇性に満ちている。

 

閑話休題。

 

日本での生活は思いの外、楽しい。

東京に来てから、わっしは朝早く起きるようになった。たいてい午前6時には起きます。

これが他の国にいるのであれば、ここからたとえばピナレロにまたがって怒濤のように60キロくらい自転車に乗るところですが、東京には「自転車は歩道を走る」という、わっしには殆ど理解不能な交通規則があるので、もし歩道を走ったら毎朝二三人はひき殺すに決まっているわっしは、東京はジョギングです。 どっどっどっどと走って、聖心インタースクールの前を通り、仙台坂を駆け下り、三光町を通り抜け、高輪へ行く。

あるいは、ダノイの前を通って、青山墓地を駆け抜けて、絵画館の前で息絶えそうになる。

帰ってくると、起きてくるのがすげー遅い嫁はんのためにご飯をつくる。

あるいは外へ食べに行く。

オソージ。オセンタク。ついでに勢いにのってモニにマッサージサービス。

(このあいだAmazon.comからマッサージの本を束にして買ったので、やってみたくて仕方がない)

それから昼寝っす。嫁はんも恐るべき事に一緒にまた昼寝(^^;)

夜になると、ふたりで遊びに行きます。

ときどき長野の山の中に出かけて野鳥の写真を撮る。

東京に帰るのが面倒くさくなると、軽井沢の「雲場の池」というところから、あんまり遠くないボロイ家に泊まります。

折角日本にいるんだから韓国語や中国語も勉強すればどうか?というメルボルン叔父の勧めに従って本やCDをたくさん買ってきてみてはみたものの、少しは上手になった日本語の本やなんかのほうが、やっぱり面白い。

春天來了よりも、岩田宏の「神田神保町」を読むほうがやっぱりおもしろいっす。

就中、こうやって日本語で文章を書くのは無茶苦茶おもしろい。

 

モニが「眠い」と呟いて、もう眠ってしまったので、わっしはひとりでアパートのテラスのテーブルでカバを飲みながら、これを書いています。

ここから見る東京はネオンの洪水で「くつがえった 宝石箱」のようである。

うーん、いい気持。



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