それまでは1年の内3ヶ月程度を過ごすつもりだった日本を引き払って、広尾や鎌倉の家を売って、立ち去ったのは福島第一事故の3ヶ月前だった。
理由は「暑いから」です。
なにしろ4月の終わりには30℃近い、とんでもない暑さになって、どうかすると9月の終わりになっても暑いので、製品使用範囲が−5℃~25℃で、低温側にやや偏っているわしとしては、起きるなり、やだああ、こんなに暑いのやだあああ、涼しいところに行かないと死んじゃう、モニちゃんなんとかしてくれええ、と毎朝のように叫んで、まことに暑苦しいことで、そのまま東京に住み続けると離婚になるのではないかと思われた。
軽井沢に家を買った。
ゴルフ橋という微妙な名前が付いた橋がかかっていて、オークランドには、Pigeon Mountain St.という「え、ヘンな英語だね?」と英語として違和感がバリバリある不思議な名前の通りがあるが、わし別荘に近いところにも鳩山通り、という小径があって、鳩山首相のとーちゃんが別荘を構えていたからだろうが、それにしても、名前がないので有名な日本の通りなのに、あんなにちっこくて、ちゃんと名前が付いているのが、Pigeon Mountain な違和感があった。
クルマで行くことが殆どだったが、たまに朝から飲んだくれていたりして、新幹線で行くと、とんとんとんと階段を上がると、多分JRの嫌がらせなのだとおもうが、改札後方にデジタル気温計が電光掲示されています。
これが、毎度、30℃を越えているのね。
避暑地のくせに、こんなに暑くていいのか、と軽井沢からしたら、いわれのない言いがかりをつけられて迷惑だが、立っているだけでヌボッと頭ひとつ高い迷惑なガイジンなので、どうせ迷惑なので、なに言っているんだかよく判らないが、改札を出て左に曲がって、おぎのやの峠の釜めしを忘れずに買って、タクシーに乗って、ブッと着きます。
たいした距離じゃないんだから歩けよって?
あんなクッソ暑い町を歩いたら死んでしまう。
ほんとうは追分のほうがかなり涼しいのは、あとで知ったことで、電通の夏の寮があるあたりに別荘を持っていた年長友は、旧軽井沢に家を買うなんて、ガメはイナカモンだのお、ケケケ、と笑っていたが、なにしろ4℃くらいも違うので、笑われてもやむをえない。
この軽井沢の家も、2015年くらいまでは、持っていたかな?
なかなか売れてくれないので、安く売るのも嫌で、ほっぽらかしにしてあったが、軽井沢の冬は厳しいので、ほんの4,5年のことなのに、ボロボロになってしまったようでした。
しかも、ひょっとして、と考えて、業者を雇って放射能を測定したら、ぶったまげるような数値で、
軽井沢にいる愉しみのおおきな部分が地元の茸だったモニとわしは、地元の人が聞いたら、あんたたち、そういうのは日本では風評加害といって、裸に剝いて四条河原で磔にされる重罪ぞ、と言いそうだが、ソッコーで叩き売ってしまいました。
叩き売った、といっても、折からの軽井沢ブームだかなんだかで、買ったときより高く売れたんだけどね、いまは、どうなっているんだか。
売ってから、チョー残念におもったことの筆頭は、英語の先生に英語を教えに、大好きな街だった名古屋に行くたびに必ず寄っていたコメダコーヒーが佐久平に出来てしまったことで、
地団駄を踏んで悔しがって、モニに笑われたが、厚切りトーストと小倉あんが選べるモーニングセットは、世界中で、ここしか食べられない。
小倉あん、選んだことないけどね。
でも、ほら、稀少価値というものは、手が伸びないものに宿るんです。
嘘だけど。
ラ・コミダー、ラ・コミダーと言っていたのはスペイン語ではLA COMIDAは食べ物のことだからで、スペイン料理店に出かけてはバカ(牛肉のことです)だのアホ(ニンニク)だのと述べて店の人と笑い転げていた、箸が転がっても可笑しい年頃の、若いおやじガイジンとしては、見逃せない名前だった。
マレーシアに住んだことがある人は、実は、マレーシアにはそこここにコメダ珈琲クアラルンプール支店みたいな店があることを知っているでしょう。
いちばんおおきいチェーンは、オークランドにもあるパッパリッチだが、味はイッマイッチだが、地元でも延々長蛇の列で、いまでもデートに出かける場所として人気があります。
ちゃんと、おなじみ厚切りトーストもある。
ゆで卵も、な、なんと二個付いてくる。
無論、珈琲も頼めるが、テタリックで厚切りトーストとゆで卵とショボいサラダという豪華な選択もできます。
従ってモニさんと、おデートに行くときには、「コミダ行こう、コミダ!」と言って、いそいそと出かける。
あんた、いったい、何の話してるの?
って、何の話でもなくて、ただ日本語が書きたいから書いてるだけなんだけどね。
日本語ってさ、音を嫌う人はいるけど、書いたり読んだりするには最適な言葉でしょう。
ハマスについても日経平均についてもF35のソフトウエアアップデートについても書けるが、厚切りトーストに付いて書いたりするときに、最も威力を発揮する。
綿々と練習しないと、すぐにボロくなるところが、スペイン語やフランス語と異なるが、
あれは多分、文法がテキトーというか、あんまり制約力を持っていないからではなかろーか。
おまけにさ、ラブレターを書くのにも向いてるんだぜい。
英語だと自分で書いていても不動産売買交渉みたいで、気ばかり焦って、懇願に懇願を重ねて、
是非イッパツやらせてください、重ねてお願い致します、とか書いちゃって、
次にあったときに、いきなり平手打ちを食いそうというか、会ってもらえないが、日本語はその点ではダイジョブな言葉で、切々と嫋嫋と、書いては消し書いては消し、
わたしのキーボードは、いま涙で濡れています、あっ、これはビールか、やべえ壊れた、とか延々と書いて、相手の袂をつかんで、行かないであなた、そんなにお嫌なら、わたしがお嫌いなら、あなたのあの美しいおみ足のstilettoで刺し貫かれても構いません、…とたったひとつの文で、永久運動で書いていけます。
辛抱、たまらん。
多摩蘭坂の人は自転車の乗りすぎで死んでしまったが。
どういうわけなのか、相変わらず言語不明瞭で、判らないが、そういうわけで、
日本語を書くのが楽しくてたまらないんだよね。
コメダ珈琲は、わし頭のなかでは「幸福な日本時代」の象徴です。
小倉あんがあるだけで、テーブルの上を流れる時間が、ゆっくりになって、古代日本の時間になっている。
厚切りトーストがあるだけで、なんだか幸せになります。
パッパリッチの人は、やっぱり名古屋にいたのではないか。
一日12時間、工場で、ひいこら働いて、翌朝、やれやれ今日もちかれたび、と思いながら、
なんでだかさっぱり判らない涙を滲ませながら厚切りトーストを噛みしめていたのではなかろうか。
珈琲を飲みながら、ゆで卵の殻を剝いていると後ろから背中を叩かれて、
「おい、Yusuf、元気だしなよ。ここに座っていいかい?おれがおごるからさ」と同僚に言われて、
耐えきれずに、声をだして泣いていたのではないか。
想像が過ぎて、頭がへんな人みたいだが、
コメダ珈琲みたいな店に入ると、そういう日本の「幸福な時間」を思い出すんだよねー。
どおりゃ、今日はひさしぶりに、シルビアパークのパッパリッチに行ってみるかな。
おねえちゃん、小倉サンドとコーヒーね。
いいケツしてんねえ、
と述べてウエイトレスにコーヒーを頭からぶっかけられてる
妙に背が高い人がいたら、それはわたしです。
どうぞ、よろしく。
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パッパリッチだが、味はイッマイッチ
のあたりで、もう参りました。
面白かったです。
コメダ珈琲、久しぶりに行こうかな。
(ゴメンナサイ)
ハッハカッタ (ちょっと苦しい)
穏やかな気持ちになった。台湾にもあるコメダでノンビリしてこよう。ガメさん、むーちゃす ぐらしあす
朝から笑ってしまった。良い1日になりそうで嬉しい、ありがとうございます。