名前のない通りの街で

日本には名前がない通りがあるんだよ、と述べると、たいていの英語人は、びっくりする。

じゃあ、どうやって自分の家の場所を伝えるんだい?

北緯東経で説明するのね。

そんなバカな。

うん、さすがに、それは嘘だけど。

名前がない通りがあるほうはほんとうで、例えばオークランドのPigeon Mountain Streetという、英語じゃないんじゃないの?な感じの名前がついた通りに呼応して、軽井沢のような山のなかでも、「鳩山通り」があったりはするが、その隣のもっと広い通りには名前がついてなくて、実行需要に基づいてつけているというよりは、テキトーに、機会主義で、つけたかったから付けてみました、というふうに見えます。

たまたま、その場に日本に住んでいたことがある人間がいたりすると、

いや、ほんとうに通りに名前がないんだよ、と証言してくれて、

そうすると相手は、ますます驚愕が深まって、

顔を見ていると、日本人には座標という観念がないのではないか、と疑っているような顔になっている。

と、ここまで書いて気が付いたが、ははは、考えてみると、いまでも、日本の人が、どうやって自分の家の住所を初めてやってくる訪問者に伝えているのか、知らないことに気が付いた。

どうやってたんだろう?

東京の家はアパートで、なかなか悪名高い、「あこぎな商売」で稼いだ胡乱なビジネスマンだとか、怪しい政治家が住んでいて、なかには、もっと怪しい、例の「ガイジン」という毎週末に大麻パーティを開いていそうな治安上顔を顰めざるをえないひとびとも何人も住んでいたので、

アパートの名前をいえば、判ることになっていた。

軽井沢のほうは、ランドマークになっている建物が近かったので、そのふたつ先を左に曲がって奥です、というようなことですませていた。

鎌倉は、そもそも住所を説明する機会がなかったような気がします。

あんまり行かなかったからね。

もっとも、いちど、なにかの弾みで荷物が届くことになっていたことがあって、そのときは、コンビニから入って、初めのV字路を右に、などとやっていたが、途中で、配達の人が、

ああ、あのガイジンさんが買った家ですね、と言うので、そーです、そのガイジンです、みたいなことで、なんのことはない、わし自身がランドマークになっていたりした。

普通ならね。

通りの名前があって、75 Remuera Roadなんちて、一発で判るようになっています。

念の為に述べると、毎日、外出するたびに名札を胸につけてから出かけはしないように、おなじことで、門柱に名前を書いた「表札」を出したりはしません。

あれも慣れれば、慣れて、あたりまえのことになるのだとおもわれるが、韓国映画などと見ていて、大理石?の表札が麗々しくだしてあったりすると、異様な気がする。

実際、わしガキの頃、韓国からの移民のひとたちが表札を出す習慣をクライストチャーチに持ち込んで、世界中どこにでもいる「郷に入れば郷に従え」のバッキバキに頭が堅いひとびとが、「苦情取材番組」に投稿して、取材班が、気の毒な韓国家族を取材して放送したことがあったが、そのときの近所の衆の感想も、「他国の異様な習慣を自分たちの街に持ち込まないでほしい」というものだった。

いまは、どうだろうね。

時代が変わって、そもそも韓国のひとたちのほうが表札を出そうとしたりしないが、中松博士みたいな顔写真入りの表札をだしても、誰もなにも言わないのかもしれません。

日本の人が感心しているのを聞いたことがあるが、なるほど、言われてみれば、英語人は、通りの名前をよくおぼえています。

自分が住んでいるところから、かなり遠くても、ちゃんと、あ、St.John RoadならRemuera Roadが名前を変えるところからMeadowbank側ですよね、と、細かく記憶している。

通りの名前で、相手の富裕度が判ることになっているのでもあります。

「名前がいい通り」と「そうでもない通り」が頭のなかにランキングで収納されていて、通り別に、好き嫌いがあったりもする。

そこへ行くと日本は、おおらかなもので、高級住宅地の、豪邸がずらっと並んだ通りでも、

通りには名前がなかったりしそうです。

その代わり、坂に名前が付いているんだよ、というと、

いや、いくらなんでも、それはほんとうじゃないでしょう、という笑い顔になって、

まあた、ガメは、そういうことを言って、無垢な人間をかつごうとする、と先月パブで借りた50ドルをまだ返してくれてないのに、勝手に無垢になって、きみも人が悪い、という態度になっている。

ところが、ところーが。

日本の人は、知っているとおり、ほんとうなんですね、これが。

目黒駅でおりて、権の助坂をおりずに、行人坂をおりて、羅漢寺のほうへ歩いていった、で

ちゃんと坂をおりてゆく情景が話者と聞いているほうとで共有できるところが、日本語世界の不思議さなのだと言われている。

南部坂をのぼって、狐坂や狸坂を通って、夜の散歩をするわっしは、Victoria AvenueからIngramをぬけて、Portland Roadをおりて、Shore RoadからクリケットグラウンドをHobson Bayへ向かって歩くわしとは、おなじ人だが別の人間で、南部坂をヘロヘロしながらのぼるわしは地べたに立って、水平に世界を眺めているのに、IngramからShore Roadへ移動するわしは、まるでドローンの視点で、おおげさに言いたければ天上の神の視点で、垂直にみおろした世界のなかを移動している。

イサラーゴとふざけて呼んでいた、伊皿子の坂をのぼって、魚籃の坂をおりて、古川橋に出る。

暗闇坂をおりて、義理叔父が中学生だったころは、寄席がある浅草と並ぶ江戸時代の匂いが強く残る下町だったという麻布十番を通って、狸穴(まみあな)坂をのぼって、やっこらせで、アメリカ人たちのクラブで、カクテルを飲みながら、友だちを待つ。

思い出してみると、坂から坂への毎日で、オークランドも、ニュージーランド人は無粋なので、いちいち名前などつけはしないが、坂が多い街なので、ときどき、なんて起伏の多い人生だろう、と独りごちて、ひとりでくすくす笑って、気味悪がられている。

峠という言葉が最もそうだが、日本語人は、相対人で、水平に見渡す世界を生きているので、未来への見通しがないくらいのことでは、へこたれません。

日本の人の勁さは、見通しをもつ必要がない人の勁さで、なまなかな能力では見通しなど持てるはずがない現代の世界では、本来は、案外、日本の人の水平に見渡す世界のほうが、生きてゆくのに有利なのではないかとおもうことがある。

なにも西洋人の定規をもってきて、み、見通しがたたない、だなんて、恐れることはないだろうに、と、よくおもったものでした。

わしは日本の人の刹那主義が好きです。

刹那主義では民主制は、やれないが、懸命に70年やってみて、どんどんあさってのほうへ来てしまって、いまさら民主制もなにもないのだから、もういいじゃん、と乱暴なことを考える。

次のご飯の心配だけをして、どうにかこうにか、昼食にありついたら、夕食までの心配をしていればいいのではないか。

いったい、日本的な生き方をしていて、人生計画なんて、立てる必要があるのだろうか。

未来のことを思い患う必要があるのか。

江戸っ子は宵越しのカネはもたない、というが、

宵越しの希望など、財布のなかに入っていても、なんの役にも立たないのではなかろーか。

いまさら隠しても仕方がないので、はっきり言ってしまえば、日本はもう断末魔です。

崖の淵で、政府と日銀が仕組んだ市場の株価に浮かれて踊っていられるのは、あとどのくらいか、というところに来てしまっている。

経済も財政も、ボロボロで、ほんとうは、来週、起きて見たらハイパーインフレが始まっていても、それほど驚くには値しない。

逆に、起きなければ、肩に負った国の借財が、だんだん重くなって、岩になって、鉄になって、背骨が軋んで、最後は体をバッキリふたつに折ってしまうまで、個々の日本人が、もっともっと苦しみぬかなければ日本という国を支えていけなくなる未来が待っている。

突然、突拍子もないことを言うようだけど、せめても、お互いに親切にしようと考えたほうがいいかも知れません。

十年先なのか、二年先か、あるいは多くの人が述べるように、今年はもう危ないのか、

洪水は目の前で、朝が遠い暗い夜のなかで、身を守るすべもなく、暗い水の海に放り出された人間には、隣の人が差し伸べる手だけが頼りで、その手に、払いのけられてしまえば、あとは冷たい水に呑まれて、溺死する以外には、なにも方法が残っていない。

前を歩く老いた人の杖を足で払い、ストローラー(ベビーカー)を持って俯いて佇む若い母親の顔を睨めつけ、お釣りを間違えたコンビニの店員に怒鳴り散らしていては、みなで溺れて死んでしまうだけでしょう。

弱者と強者というが、これから、世界を襲う大波は、個々の弱者と強者の差など誤差にしかすぎないほどの大波です。

個人ではどうしようもない。

集団で助けあっても、もしかしたら、どうにもならないのかも知れない大波が、もうすぐそこに迫っていると考えたほうが良さそうです。

峠、という言葉をうみだした日本語人が、もともと、西洋的な救済をのぞまなかったのは、峠の向こうは、時に死の世界だということを良く知っていたからでしょう。

坂に飛びきりの名前をつけて、峠という語彙を編み出して、日本語の向こう側に消えていったひとたちは、「諦める」という行為によって、すべてを知っていたのかも知れません。

いくつもの美しい名前がついた坂を越えて、やってきた、この道を帰ってくることは、もうないのだから、ということを、良く知っていたからだとおもいます。



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