霧の向こうで

ときどき、夢の中で暮らしているような気になることがある。

滅多に仕事をしたりしないからかも知れないが、もっと、自分の世界への認識の根本に関わることなのではないかと考えることもあります。

なんだか、ぼんやりとしていて、触れようとすると、フッとかき消えてしまう存在としての世界。

いろいろなことが不確かで、不定形で、なにもかもが霧のなかに存在している。

自分のなかで自分が最も「確かに存在している」のは、陸影が見えない、海のまんなかにいるときだが、今年は記録的な悪天候で、海原は出かけていく機会が少なかった、ということもあるのかも知れません。

現在がすでに糢糊とした霧のなかにあるのだから、記憶の世界は尚更で、このごろはよく、

日本になど実は自分は行ったことがないのではないか、という気がする。

興味を抱いて、日本語を習得して、頭のなかで日本語のスイッチをいれて、さまざまなことを日本語で手に取って仔細に観ているうちに、自分の頭の中で、「日本に行った自分」を作り上げてしまっているのではないか。

そんな気になる理由のひとつは明らかで、インターネットを通じて日々面会する日本語世界は、

自分の手触りの感覚がまだ残っている日本とは、あまりに異なっていて、こんなに品性に欠けた国であったはずはない、こんな土足で他国人の心を踏みにじるようなひとたちではなかった、とがっかりすることが多いので、「そんなはずはない」が「そんな日本はない」に変じているのかも知れないと考えたりする。

ふたつの日本があるわけではなくて、美しい言語をもった、たおやかな日本も、醜い相貌の、

手をつけられない粗暴な日本も、おなじひとつの日本で、あるときはこちらに美しい顔を向け、

また別のときには、ひたすら醜い顔を向けて、ほとんど交互に美醜を見せながら、

なにごとか問いかけても、ラフカディオ・ハーンが「日本人の謎の微笑」と呼んだ、曖昧な、

なんとも形容しがたい顔を向けて、唇を閉じて、黙って、まるでモノを観るような目で、こちらを観ている。

前にも書いたが、記憶のなかの日本は、例えば細部で言えば空中を際限なく区切る電線がなく、通りを縁取るゴミゴミした看板や風にはためく広告の旗が林立していなくて、通りを歩く人たちの背丈は現実より少し高く、よく思い出してみれば、奇妙なくらい人なつこいところがあった現実の日本人よりも、静かで、無表情で、そういう言い方をすれば、少し頭を項垂れた、死人(しびと)の群れのようでもある。

そうして、シンと静まり返って、自分で運を切り拓いていくよりは、ジッと、やがて訪れる運命を待っている人たちのように見えている。

それが悪いイメージかといえば、そんなことはなくて、もともと「俺が俺が」の人間などは嫌いで、

「正しいこと」を主張する人間の、見紛いようのない鈍感さが嫌で、どちらかといえば、そういう生命力を生のままぶつけてくるような人間たちが疎ましくて、言語の岐れ道をたどって、日本語に来た、という経緯もあります。

むかしは判らなかったが、最近は、人間の生命力というものが嫌いなのかも知れない、と、オオマジメに考える。

実際の日本での体験は、よい思い出ばかりで、このごろは思い出しては食べ物の話ばかりしているようだが、

いまの日本食ブームが起きる遙か昔の、わしガキの時代から、かーちゃんや妹が日本の食べ物を敬遠する傾向にあって、まして、昼時ともなればクチャクチャネチャネチャの大合唱が起きる日本の食べ物屋などは、怖気をふるって尻込みする始末で、いつもいつも、隙さえあれば、なぜ二枚の蕎麦容器の片方にしか蕎麦が載ってないのか謎だった某店のざるそばや、

カツ丼に取って代わられるまでは大好きだった親子丼、

言葉にできないほどおいしいダシとウマミのスープに沈んでいる、でっかいガンモドキ、

食べたいものが宝の海のように広がる日本食レストランに、連れていってもらおうと、虎視眈々と機会を窺っていて、長じては、ここを先途と、日本の食べ物をたべまくって、そのころには

「丼」も「ラーメン」も、すっかり英語になった日本食ブームになっていて、

熱心にどんなものを食べたかを書いて、友人どもを羨ましがらせていた。

まずは、例えば有楽町の電気ビルのてっぺんのバーで、まだ明るいのに炭酸で割ったスコッチを飲みながら、さて、今日は、なにをして遊ぼうか、と考えている。

後年、モニさんと短期移住みたいにして、といって、実は、バカバカしいほど長い新婚旅行世界一周の掉尾を飾っていただけなのだけど、広尾や軽井沢で、のんびり暮らしていたときは、モニさんは、あれで、意外なくらい嫌いなものが多いので、一日にやることが自然と決まっていったが、

スコッチを昼間から一本飲んでハッサンという名前の、気の良いパキスタン人のウエイターに呆れられたりしていたのは、もっと前の若い時で、そのころは、東京のジャングルを探検する探検家のような大袈裟な気持ちで、あちこちに出かけては、おや、ここにはこんなものがある、

ここは東アジアの隅っこなのに、こんな精緻なものがある、と、どの一日をとっても、退屈することがなかった。

いまは、様子が変わってきたが、もともとは、イギリスやNZには、店に豊富に在庫を置く習慣がなくて「ハロッズ」のような在庫を初めから陳列する店は、逆に、例えばイタリアの革鞄ならば革鞄で、フィレンツェで売っている値段の3倍から5倍の価格を、平気で付けていたころで、

表には看板を出さない、上流階級向けの商売をしている店でも、店主と相談しながらカタログをめくって、じゃあ、これを取ってください、受け取りは2週間後でしょうかね、というような気が遠くなるようなのんびり商売だった。

それがそれが。

東京の店は、ちょうど、あの素晴らしい日本料理のプレゼンテーションとおなじことで、

最高級の万年筆だろうが、あれはたしかシャープの創業者から特許を買い取ったのではなかったかとおもうが、銀もまばゆいメカニカルペンシルだろうが、高額の文具を、委細かまわず、ずらっと並べてあったりする。

壮観で、稀でもあって、これがどのくらい稀なことかというと、当の高級万年筆メーカーを訪問すると、出て来て説明してくれる会社の役員のおっちゃんと、「イトーヤ!イトーヤ!」と、ふたりで熱狂的に盛り上がってしまって、気が付くと、ふたりの狂人を遠巻きにして、オフィスの人たちが冷ややかな目が見つめていたりしたものだった。

そのくらい、すごいんです。

東京を楽しくしているのは、この「圧倒的な顔見世在庫」で、文具店だけではなくて、着物でも、漆器でも、箸も椀も、勢揃いして、まるで芸者さんの花街おどりか舞妓の総見で、華やかで、気持ちがパッと明るくなるような店がおおかった。

もちろん日本の伝統のものにも限ったわけではなくて、かーちゃんが贔屓にしていた「宮本銀器店」や「ミキモト」などは、ロンドンにあっても、少しもおかしくない店なのは言うまでもない。

知識はもちろん、物腰もしっかりした店員さが、こちらの話に辛抱強く耳を傾けてくれて、

では、こういうものが当店にもありますよ、と、ほんとうは「御座います」言葉だが、なんだか照れくさいので、少しゾンザイ語に変換するが、奥から持って来てくれる品物は、ああ、そうか、こんなものがあるのか、と良い気持ちに、びっくりさせてくれる点で、東京は、やはり、バルセロナやシドニーとは格が異なる都会なのだと、いつも考えていた。

ニュースに出てくるとおり、日本がどんどん文化の点でdeterioratingな道を歩いているとすれば、日本の人自身が、日本の、そういった「ひと目を避けた良さ」を知らないからではないか、とおもうことがある。

一級の、では、ちょっと嫌な言葉だが、他に思いつかないので、後で書き直すことにして使うと、

一級の文明の必要条件のひとつは、なによりもsubtleであることで、subtleであってunderstatementであるのでなくては、文明と呼びようがない。

受け取るほうも、だから、聴き取りにくい声を聴いて、目を凝らして、解像度が高い視力をもたないと気が付かない、まるで、ほんのちょっとした徴候の揺らぎのような、微小な差異が、ちゃんと見えるのでなければ、受容者としての資格がない。

言うまでもないことだが、「世界が憧れる我が国」なんて口に出して述べる人間が存在するのは匹夫の国で、文明はおろか、なんらかの種類の文化もあるかどうか分明でない社会で、日本のそういうところは、げんなりどころではなくて、落ち着いて思い出してみても、傲岸、エラソーで世界に名を知られた連合王国でも、さすがに、そこまで品の悪い滑稽人間はいないように思えます。

しかししかしかかし。

「日本バンザイ人間」も考えてみればネットと出版にしか存在しないがごとくで、現実の日本での生活で、そこまで零落した日本人に会ったことはない。

ちょうど、この、いつまであるか判らない記事を書いているときに、韓国の女の人が漂白剤入りの水を天ぷらレストランで供されて病院に搬送されるという、「いよいよ」な事件があったが、

日本は、自己の先祖が築いてきた美しさを知らないどころか、無視して、自分たちの美に気づきもしないで、「外国人憎悪の舟」に乗り込んで船出しようとしている。

これは、考えてみると、這い上がれない低落に陥りはじめたときの日本の持病で、「強国」と意識する「偉大な日本」の基礎が、軍事から経済に変わっているので、様相が異なってみえるが、落ち着いて眺めてみれば、戦前の日本とまったく同じ道を歩いている。

美醜ふたつの顔のうち、醜悪な顔が固定されて世界に向くようになってきているようです。

どのくらい社会としての感覚が麻痺しているかは、性的プレデターの会社に、考え得る限りのありとあらゆる猶予の理屈をつけて、まるで社会を挙げて罰することに抵抗しようとしているとしか思えない「ジャニーズ事務所事件」や、自分でもほんとうは確信が持てないメルトダウンの原子炉由来の「処理水」を、太平洋を共有する諸国にはなんの相談もなく、いわば「原子力屋」の二軒の総本家の片方のアメリカが、当たり前だが、肩入れしてくれるのをいいことにして、放出しておいて、「汚染水」だと呼ばれると、肩をそびやかして、おまえは無学だから知らないだろうが、これは「汚染水」ではなくて「処理された水」だと、戦前の軍部の横車押しそのままの、理屈をこねて、手遅れになるまではやれる、いつもの日本理屈を押し通そうとしている。

余計なことをいうと、こういう落ち目の理屈に陥ったときの、日本のいつもの癖が出て、

自分の頭のなかでは、なんとなく権威ありげな存在に思えるのでしょう、「IAEA」をトーダイやキョーダイ、もっと平たくいえば「欧米の偉くてありがたい学者」の御高説でもあるかのように、絶対のものと決めて、葵の御紋の印籠としてかざして歩いて、世界中の笑い物になってしまっている。

相手に見えない所で笑い物にするほうが悪いが、しかし、それにしても、IAEAなんて札付き組織は、なんとなくマンガじみているが、公的機関なのに倒産寸前で、日本政府が出すオカネがなければ、明日にも潰れるにちがいない、世界の国ぐにから見放された機関であることを、日本のひとたちは知らないのだろうか、と、いつも他国人にすぐれた、と自負する知識をふりまわし、一方では数字数字数字で、なにやら「主観的数値」とでも呼びたくなる統計をありがたがっている割には、まさか、そんなみんなが共有している常識知識を日本人だけが知らない、なんてことは有りえないだろうに、と訝っている。

まあ、不思議な国だけれど、別になにに使うあてもない「日本語」という廻廊を通って、霧の向こうの、存在したか存在しなかったのかも定かでない日本に向かって歩いてゆくのが良さそうです。

「それも、こころごころやさかい」という「春の雪」終盤の聡子の言葉で始まった、このブログが、終わりに向かって、またおなじ世界へ帰っていくだけのことで、それ自体、あんまりたいしたことではないのでしょうけど。



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