このあいだ日本にいたときは結局ほとんど行かなかったが、わしはむかしはよく鎌倉に行った。家もまだ鎌倉にもっています。ほおっぽらかしのままだが、ときどき義理叔父が見にいって、「まだ焼けてないよーだ」とかっち、ゆってきます。
もうずっと前、3年前、だろうか、わしは二階堂のせまこしい道を歩いておった。
すると後ろから、子供の女の声が走ってきます。
「こらあー、ヨシオカ、おまえきったねえだろー。ノートかえせよな」
わしの脇をすりぬけてゆく「ヨシオカ」らしき、すばしこいオトコチビガキ。
その後から素晴らしいスプリントで「ヨシオカ」に追いつくチータのような…..
ありっ? コーカシアンの子、だのい。一瞬、くるっと、振り返って「ごめんなさい」とゆったときの顔が、よく日本のひとはガイジンは誰でも彼でも「碧眼」「金髪」にしてしまうが、ほんとうに明るい抜けるような青い眼に眼がさめるような金髪の子供である。
英語の「ごめんなさい」がバッキバキのアメリカ発音なので、アメリカ人の子でしょう。
このアメリカガキチータは、見事に「ヨシオカ」を取り押さえると、ノートを取り返した。
ところがだのい、ノートを取り返すと、すぐ肩を並べてなにごとか話をしながら楽しそうにふたりで並んで歩いて行きました。
ガキチータのほうがだいぶん背が高いがの。
ちびっこのヨシオカと背の高いガキチータは、親友同士であるらしく、後ろから見ているだけでどれほど仲が良いか察しがつきます。
「多面体」さんや「kobeni」さんたちの苦闘を読みながら、わしはその「ヨシオカ」と「チータ」のことを思い出していた。
新聞を読みながら、人間は頭が悪いなあー、とモニがつぶやいている。
夏の太陽が照りつけているテラスで新聞を読んでいるのです。
サンブロック、ちゃんと塗った?
20、とかでは無理です。皮膚癌になります。
モニはニュージーランドの日射しの強さがなかなか実感できないよーだ。
広尾のアパートのタタミ3枚、くらいしかないちっこいテラスとちがって、ニュージーランドの家の広大な木のテラスはおおきいのでモニがなんだか小さくなったように見える。
コーヒーとクロワッサンを運んできたついでに「どれどれ」とわしが新聞をのぞきこむと、オーストラリア人の「カリー・バッシング」が深刻化している、と書いてある。
ついては中国人がついにイギリス人を抜いて移民の1位になったが、ファミリーリユニオンビザをなくさないと、あっというまに「仕事をしないで生活保護を受け取って暮らす中国人」が増えて、われわれの福祉を圧迫し、ひいては人種差別が起こるのではないか。
今回の「カリー・バッシング」は、多分世界中で人種差別が最も少ないメルボルンがあるヴィクトリア州で起きているので、わしらの誰彼に衝撃を与えました。
フランスでも長い棒をもって、「移民狩り」をして歩くバカガキどもがいるが、どうやらヴィクトリアで起きている「カリー・バッシング」も似たスタイルのようだ。
「われわれの職業を奪うな」という。
口実は、いつも同じである。
午後はポンソンビーのカフェに行った。
ポンソンビーというのはむかしはゲージツカが集まっていた街で、いまはモデル志望のねーちゃんとかがうろうろしている街だのい。
オントレーとメイン、それにワインが一杯ついて1800円。
ははは、安いのお。
わしはオントレーはペストを塗ったトーストの上にイカさんが載っておるのを食べた。
メインは、マルサラソースのビフテキ(リブアイ)である。
うめーだ。
隣のテーブルではにーちゃんとねーちゃんが頬を寄せ合って笑っておる。
不動産ニュースを手にしているところを見ると、家を買おうとしているところなのでしょう。
もちろんむかしからある風景だが、「むかし」と違うのはにーちゃんがアフリカ人でねーちゃんがコーカシアンであることです。
やっとここまできた。
わしらはやっとここにたどりついた。
マンハッタン。
あのときヴィレッジの交差点で、わしは知的な感じのアフリカンアメリカンと、やわらかなたたずまいのコーカシアンのカップルを眺めていた。
そ。前に記事に書いたことがある。
あの夕暮れの光景のことです。
女のひとの手が、そっと男のひとの肩に伸びます。
男のほうが、女のひとの方を見て微笑んでいる。
わしは、そのとき、なんとなく「モニと結婚しよう」と考えはじめていたのかもしれません。
誰かと肩と肩をならべて生きてゆくというのは、いいことなのではないか。
ひとりで生きていたい、というのは一種の軽薄なおもいこみではないだろうか。
そう考えだしたわしの頭には、もうモニの顔以外は浮かばなくなっておった。
チータもおとなの女になって、あの静かな女のひとのように、黙ってパートナーの肩にそっと手をまわすようになるだろうか。
ただの感傷にしかすぎないことをいうと、そのパートナーが「ヨシオカ」なら、どんなにかよいだろう。
「違う」ということのすべてを乗り越えて、お互いに同じ人間として歩いてきたひとはいまでもきっとたくさんいるに違いない。
性別も、年齢も、人種も、民族も、文化も人間を区別しようとする試みは、みんなくだらん。
それを唱える人間の薄汚い自己のありようを外に向かって投げつけているだけです。
未来のヨシオカとチータは、ほんとうはまるで別のパートナーと一緒なのに違いないが、
でも、チータはヨシオカをかけがえのない「仲間」としておぼえているだろう。
ヨシオカは、女のくせに、とか、ガイジンが、とか口にする同僚に、ある日突然なぐりかかるだろう。
幼かったころのふたりの魂は、おおきくなって離ればなれになっても、きっと一緒に寄り添ってあるいているからです。
ずっと肩と肩をならべて。
サイドバイサイドで。
(この記事は2010年1月21日にver.5に掲載された記事の再掲載です)
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日本人はいつか理解できる日がくるでしょうか。私は無理じゃないかと思いました。残念だけれど。
「サイドバイサイドで。」という締めくくりが記憶にある。とても好きな記事です。
チータとヨシオカも大きくなっただろうなぁ。
「荒っぽさの効用について」と合わせた感想になってしまうけど…
性別や、肌の色などは、ただの入れ物、殻であって、中にある魂こそが唯一のものなのだなと。
誰かを貶すときも差別するときも、「殻」に対しての言葉しかない。魂に対して真に傷つけることなどできない。
自由を求めるのは魂であって、殻じゃない。
「与えられた自由」は、むしろ「殻」なのかも。真綿でくるむみたいに。
一度殻が割れて外の空気を吸ってしまった魂は、呼吸を続けるしかない。それを抑圧との闘いとか自由への希求とか、いろんな表現ができるだろうけど、魂はただ呼吸を求めただけなのかもしれない。
そして、隣で苦しそうにしている仲間がいたら、大丈夫か、息を吸え、って声をかけずにいられないんだと思う。
そんなことを、つらつら考えました。いつもありがとう、ガメさん。
サイドバイサイド、って、わたしの好きな言葉。
いいよね。
いいよ。