9月2日

92日といえば、戦争と終結の普通の定義に従えば、日本が太平洋戦争を終わりにした日で、もっと言ってしまえば、「負けました。降参します」と述べて、今日から国際法に則って、戦闘行為を停止、自軍の武装を解除して、国として「戦争に負けた」と認めた日です。

日本では「終戦記念日」ということになっている815日のほうは、天皇陛下が「つらいけど我慢して、もう戦争やめようね」と呼びかけた日で、ほんとうは国内事情に過ぎなくて、他国からみると、815日から92日までの二週間余は、「まだ戦争やめてないじゃん」といちゃもんをつける余地があって、実際占守島の日露の激闘は、817日に始まって、821日に終わっている。

日本がニッポンだけの独自理屈をやめる気分になって、戦前のチンケなドビンボ軍事専業国家だった大日本帝国の継承者であることを恥ずかしいことと感じて、悪い歴史を断って、これから正道をめざして更生していければ、百年後の若者は、194592日に、日本は毎年毎年GDPの半分から8割という、とんでもない軍事予算を組んで、国家全体が「強い軍隊」であることを目指した強兵国家の方針の誤りを認めて、そのあと、半世紀にわたって正しかったことが証明された貿易と製造工業を専らにする平和国家を建設した記念すべきスタートの日として、いまの815日ではなく、92日を「旧帝国終焉の日」として終戦を祝っていることでしょう。

このあいだ、ひさしぶりに日本の新聞を読んでいたら、オンラインではあるけれどもフロントページには、総花式の色とりどりの、悪く言えば注意力散漫なニュースが並んでいて、ええええー、日本はコロナもう終わっちゃったんだ、やるじゃん、と考えて「新型コロナ情報」というさりげなく目立たないところに置かれたリンクを押してみると、ど、どひゃっ、2万人/日の感染者が出ている、とここまで書いて、さっき昔の日本語ツイッタ友に、「でも、今日は17000人で、なるほど減少してはいるのね」と書いて送ったら、折り返し、「ガメ、それね、検査数が半分以下になっているんだよ。総裁選が近いからではないだろうか」と書いてあって、読んで水木しげる描く眼鏡サラリーマンの山田さんみたいに、「タハッ」と呟くことになった。

ありゃっ?

文の書き出しと終わりの主述があってない。

まあ、いいや。

前記事でも書いたが「自宅療養」という「本来は入院して治療を受けたほうがいいが、自分の意志/都合で、自宅で医療を受ける方を選ぶ」という意味の日本語を、わざと誤用して医療キャパシティがないのか、同胞の生命を救うことにそこまで必死の気持を持てないのか、外から見ていると判らないが、何の理由にせよ「病院の廊下で死なれると見栄えが悪くてみっともないから自分の家で死んでね。通りで死ぬなよ」という意味を糖衣にくるんだ表現をマスメディアは、いつも仲良しの政府と談合して編み出した。

今度は救急車のたらいまわしどころか、そもそも救急が受け入れ先がないことを理由に出動を断るという、普通の国なら急病の猫さんでもあわない悲運に、日本では人間が遭うことになって、これを日本語では「調整」と呼ぶのだそうです。

調整 (^^;)

同じフロントページを見ると、アフガニスタンで邦人救出に成功、と書いてある。

おお、かっこいい。

「空母いぶき」とか「俺は、君のためにこそ死ににいく」マーケットをあてこんで映画つくれますね、とおもって読んで見ると、

邦人1名を救出

と書いてある。

い、1名?

大山鳴動して、避難者一匹

匹じゃ、失礼だども。

ハングルの勉強だあああ、と称して、途中でめんどくさくなって英語版の

The Korean HeraldThe Korea Timesに乗り換えて、読んでしまうことが多い、韓国新聞のほうを読むと、こちらは、

「カブールの奇跡」

韓国 390人脱出成功、特殊部隊「ミラクル」作戦

なんちて、大喝采、国民が抱き合って、あるいはパチパチ拍手して、驚きと歓喜に湧いている。

1990年の湾岸戦争を舞台に、クウェートからのインド人たちの大脱出を描いて大ヒットしたボリウッドムービー、「Airlift」をおもわせるカッコヨサです。

韓国と日本と、おもしろいほど明暗がくっきり分かれて、韓国の人たちは、さぞかし誇らしく、日本の人は、なかったことにしたそうにみえる出来事だったが、仔細にみると、韓国は、「現実への処理」が優れていたことが解ります。

具体的には各バスに米兵ひとりを分乗させて、検問のタリバンに手を出させなかったり、想定できるひとつひとつの困難切所に対して、個々に解決策を用意して臨んでいる。

日本のほうは、言っても仕方がないし、気の毒なので言わないが、粗放というか、あらすじだけみたいな作戦計画で、正直に述べて、「どうして、これで救出できると考えたのだろう?」という工夫のなさでした。

「現実は自分の想定どおり動くのだ」という、最近の日本人の信念に満ちた作戦計画だった。

自分たちが見たいと思わない真実をいっさい耳にいれたくない日本の人の国民性は理解しているが、このくらいは書いておかないと、そもそも記事にならない。

ごみん。

フランクリン・デラノ・ルーズベルトという人は日本人という生き物が大嫌いだった。

英語世界では秘密でもなんでもなくて、至る所に証言があります。

どちらかといえば「常識」に類する。

反アジア人種差別主義者かというと、そうでもなくて、中国の人達のあいだには、有名な宋美齢を始め、親友と呼んでよい知己がたくさんいました。

このタイプの「兎に角、なにがなんでも日本人は大嫌い。見たくもない。鳥肌が立つ」という日本人嫌いは、いまでも例えば東部上流社会には、たくさんいるが、理由を聞いてみると、

日本人には善意というものが欠片も存在しない、悪意だけの民族である、

に始まって、ウソを平気でつく、倫理を根本から欠いている、ルールを守る気がまったくない、他人を侮辱するのが国民的趣味であるとしかおもえない、それでいて仕返しされると、手のひらを返したように被害者として演技する、

と続くのを通例とするが、ルーズベルトは、そこにとどまらずに、なんだか冗談じみているが、例の

「日本人は出っ歯で近眼で容貌が醜い」

のレベルで信じ込んでいて、日本との戦争の危険に話が及んでも、

「日本海軍はイギリス海軍の不細工なモノマネで、艦砲一斉射撃をすると転覆するような酷いデザインの戦艦を並べている」

「日本人パイロットはド近眼で、その上、目が糸のように細くて視界が狭いせいで、敵機を発見することが出来ず、アメリカ軍の新米戦闘機パイロットでも、やすやすと撃ち落とせる」

と、いまの日本のネトウヨレベルの思い込みを、友人達に向かって得々と話したりしていたようでした。

「ルーズベルトは日本海軍の真珠湾奇襲を知っていて情報を握りつぶして警告しなかった」という説が陰謀説というか単なる歴史上の「ゲスの勘ぐり」として退けられつづけているのは、多分、このルーズベルトの日本人への軽蔑が背景で、歴史の真実はどうやら、12月8日以前に、

「日本軍がマレー上陸とフィリピン攻撃を企図して行動に入ったこと」

は事実として把握していて、日本の連合艦隊が行方不明なのも判っていたが、日本軍なんて恐るるに足りない、向こうから開戦してくれれば、対独参戦が自分の意志によらない、国民の意志としてやれて、おおっぴらに、全国民一体となってナチと戦える、めでたしめでたし、と考えていたもののようです。

だが、まさか武器弾薬庫を文字通りカラにした大艦隊を組織して、出っ歯でド近眼でへちゃむくれの日本人が徒党をなして、乾坤一擲、真珠湾に襲いかかるとはおもわなかった。

第一、日本の、日露戦争での日本海海戦の大勝に酔っ払って、明治時代にとどまったままの、時代遅れな基本戦略に基づいた連合艦隊は航続距離が無様なほど短くて、ハワイに到達できるかどうかさえおぼつかない。

ところが、日本軍は、まっすぐ太平洋艦隊の心臓部にやってきた

実際、日本軍は対空機銃の25mm銃弾などは一発の備蓄もなくなるほどの全力で臨んだので、極めて無能で臆病な提督だった南雲忠一が、作戦意図と較べて、ぶっくらこいちまうくらいの小さな戦果に満足して、折角の山本五十六が準備した決定的な勝利の機会をむざむざとムダにしなければ、アメリカ国民が、いったん和平のための妥協に応じるチャンスは十分にあったでしょう。

ここまで読んでくれた、きみ。

ね?

ヘンでしょう?

日本の人には、むかしから実は「大口をたたくばっかりで現実にはヘマしかやらないマヌケの集まり」という悪い評判があります。

ところが、冬の北太平洋の荒海を小艦艇を伴った大艦隊で、わたって、ハワイ空襲を実現するだけの現実における能力をもっている。

現実の戦史はシンガポール攻略のほうは、日本軍の周到さに負けたというよりは、パーシヴァルという全く現実処理能力のない無能な将軍が周囲が口々に、そんなことでは大変なことになると言うのにも耳を貸さずに、日本軍のマレー/タイ上陸の一報のあとでさえシンガポール防衛計画「マタドール作戦」を発動せずに、ウインストン・チャーチルが激怒するのも無理はないというか、上陸の緊急報告を聞いて「よりよく考えるために」ベッドへ行って朝までぐっすり眠ってしまうという自殺行為で負けたというほうが適切だが、後世評判が悪い真珠湾攻撃のほうは、山本五十六の戦略意図を理解できなかった南雲忠一による作戦の矮小化によって虚しくなってしまったものの、一作戦としては戦史に残る、あるいは戦争という概念を変えた驚天動地の成功だった。

アメリカでは日本でとは較べ物にならないほど山本五十六への評価が高い理由であるとおもわれる。

無様なほどの現実処理能力の欠如と、悪魔的なくらい周到で準備されつくした現実遂行能力との、日本がもつふたつの顔は、どうやら

「自宅療養」や「(入院の)調整」あるいは風評被害、もっとお馴染みの「ゴマカシ語」でいえば「援助交際」(=未成年売春)「いじめ」(=集団加虐、性犯罪)「アンダーコントロール」(=ノーコントロール)

無限に日本社会に存在する「言い換え」あるいは、最近では、言い換えでは間に合わなくなったのか頻出するようになった、ただのウソを許容するかどうかで、どちらの顔になるかが決まるもののようです。

8月15日を独伊をのぞく世界中の国がVJ Day 対日戦勝記念日としてお祝いするのは、この日で「やっとこさ戦争が全部終わった」という気持ちがあるので、あたりまえだが、日本語で戦争に負けた「敗戦の日」を「終戦記念日」と言い換えるのは大日本帝国の誇りにかけて、かつての全体主義軍事帝国の復活を願うからでしょうが、9月2日を8月15日に言い換えてしまうのは、実は例えばロシア人たちにとっては、我慢しきれないほどの欺瞞で、日本人の底知れない狡猾さの例として挙げる人もいて、あんまり日本の人にとって、良いことではないようです。

国などは戦争以外の滅多な理由では亡びないが、日本の場合、日本語を立て直さなければ、あるいは、おもいきって日本語は捨てて、EFL英語に基礎を置く英語に切り替えなければ、ほんとうに危ないのではないか、と、ちょっとおもわせるところがあります。

日本語が健康を取り戻すために、皆で知恵をあわせなければならないところに来ていると、9月2日を前に考えました。



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13 replies

  1. 8月15日は終戦記念日と刷り込むように教育された世代の一人である私にとっては、正しい歴史認識は改めて必要だと思う次第なのと、この日本の状態を作り出したのは、紛れもなく日本人そのものですから、しっかりケツ拭き(失礼!)して秋に予定されている選挙は重要だよね。と思います。しかしCovidの対応は体力勝負という政府や自治体のメッセージに呆れて、アフガンの救出における、あの塩対応はないよなぁ、、、と思う朝でした。

  2. 僕は二十歳の日本人だが、日本は20-30年で亡滅すると思っている。何故なら、辺りを見廻して、若者の現実への耐久力が、著しく欠けているからだ。みな、生存よりも衰亡を望んでいる。そうなのだ、畢竟、「戦後」を終結することが必要なのでしょうね。人口も減り、国土は荒れ果て、全てが崩れ去った後に、初めて星空の輝きを知る。そしてようやく、僕たちは新しい国を手に入れるのだと思う。滅ぶかも知らんが。

    • 国ってのは、なかなかしぶとくて、特に日本はなにもかも国民ひとりひとりに押し被せて生き延びる国なので、そう簡単に亡びてくれないのではないかしら

  3. 日本の敗戦の日付は、日本の外では9月2日とするのが普通なのだ、とは、つい最近、隠岐さや香さんのツイートを読んで知ったのでした。そのくらい、国内では8月15日がはばを利かしている。

    8月6日ヒロシマ、8月9日ナガサキ、8月15日終戦、と続いて、さらに、この時期はちょうど夏の甲子園野球。朝日新聞は、高校野球と原爆と終戦がからんだエピソードを、この時期毎年探してくる。

    ことほどさように季節感にもしっかり組み込まれている。敗戦の日付が9月2日に改まるのは、本当に大きな変化が日本に起きるとき。どこかの国に占領されて改まるんじゃないといいんだけど。

    • 「夏の風物詩」化しているのですよね。

      ヒロシマの廃墟

      徴兵されたての新兵のようなクリクリ頭の高校野球選手

      セミが鳴く炎天下の野外で頭を垂れて嗚咽するひとびと

      9月2日は国際法上の定義による日本敗戦の日なので、主観的に戦争を投げ出した8月15日が「終戦の日」でも、別にいいわけですが、そうすると本質は「敗戦記念日」なので、自国の敗戦を記念するという世界に稀な自虐的な記念日になります。

      人間の感情として無理がある。

      だから9月2日で、そこまでの全体主義軍事帝国は終わったのだ、ということを前面に出して、「自分たちは過去の悪の帝国を否定することで新しい日本をスタートしたのだ」と主体を変えた方がよさそうです。

  4. 駐アフガン日本大使館が、タリバンなんてまだ来ねーよ余裕だべと調子こいてたら、一気にカブールが包囲されて、そしたら慌てて邦人を置き去りに逃亡して「お前は関東軍かい!!」と思わずネットニュースにツッコミを入れてしまったけど、そのあと申し訳程度に助け出された邦人一名については、「どうやら本人の意思でアフガンに残ってたんですよ!」なんてニュースが流れてきて、この10年以上の間この国で続いてきた腐敗は、どうやら改善する目は無いのだと、もう何百回目の溜息をつきました。

    今の日本の政治や国家や社会というのは「疑似終末期医療」のために存在してるんです。

    大人たちはもうみんなどこかしら「この国は終わりだ」と考えていて、あとは最期の日まで現実という苦痛を誤魔化しながら、出来る限り平穏な変化のない日常を延命したいと、そう考えてる。TOKYO2020なんて、老人たちのための鎮痛剤にすぎないなんてのは、やる前から分かり切ってることだったし、これが終わればこんどは2025年の大阪万博で、また莫大な税金をかけた昔話療法に付き合わされるんでしょ?で、こういうことが、老人世代が完全に死に絶えるその時まで、少なくともあともう10年以上は、あの手この手で繰り返されていくわけです。

    でもさ、老人はいつか死ねてもさぁ、国は死ねないのよ。子孫は生まれてくるんだよ。

    あんたたちがぐっちゃぐちゃにしたこの国の残骸のなかで、子孫たちは何とかして生きていかねばならんのだ。

    「自分たちの子供や孫たちには、自分たちのような苦労を味わわせたくない」と、口癖のように語っていたあの世代の苦労で深く折れ曲がった背中から、あんたたちはいったい何を学んだのか?

    無能な政府のコロナ無対策のためにかけがえのない青春を踏みつぶされ、老人たちのための誤魔化しに付き合わされている若者たちの憎悪は、怖すぎて想像もしたくない。

    • 「国家」という化け物のほんとうの問題は、どこまで堕ちていっても、戦争でもなければ死なないことで「この国は終わりだ、亡びるだけだ」とおもっているあいだは、どこまでもどこまでも腐っていって、新しく生まれてくる人たちに塗炭の苦しみを与えることなのですよね。

    • ひゃっほー、若者でーす。もう、若者は、目を開けているのが辛いから、目を閉じてしまっています。憎悪すら、持てていない。世界を把握する言葉を失い、漂流しているようです。
      それは若者の親世代が、被害者意識を以て社会に存在したからで、「可哀想だから、この人達を攻撃するのはやめよう」と、若者は考え、現実から目を背けたのだと思います。
      でもガメさんの言葉通り、このクソッタレが、と唾を吐いても、いつまでも変わらないのですね。
      行動を興すしか、ないのですね。学ばせてもらいました。

      • 俺がガキんちょだった時分、なんとなく老人たちをはじめとする大人連中は過去の遺産を食いつぶす加害者たちで、自分たちは大人たちが腐らせた負の遺産を引き継ぐ苦労人の被害者たちなのだと、どことなくそういう自覚が世代の中で共有されていたように思える。

        んだけど、でもでも、じゃあ自分はそれを反面教師にしてさぞかし穢れなき大人になったのだろう、というとそんなことは全くなく、世の中を一切変えることなく、将来の収入を食いつぶして生きながらえてるだけ、そう、食いつぶすアテを過去から未来にかえただけの、同じ穴の貉になっていた!

        よくなるどころか悪化させとるやんけ。

        同じ穴の貉でも、よほど性根の腐った貉ではありませんか。

        だからね、はっきりいうと今の日本では、今なお尊敬すべき大人はいても、若い人たちからの怒りを免れるような、憐れむに値する大人はいない。

        一人も、いないね。

        むしろ被害者面してる奴らこそあくどい加害者なの。

        こんな連中に容赦は必要ないのだ。

  5. 子供の頃から8/15は終戦記念日で12月8日は開戦記念日とセットで刷り込まれていたので9月2日が本当の敗戦記念日だとは今初めて知った歴史勉強不足人です。
    日本がポツダム宣言の無条件降伏を受け入れていたら原爆は落とされなかったくらいは認識していましたから、日本的妙ちきりんな陸軍の色気とか、おめでたくソ連に助けを求めたとか、、、国民には真実は明らかにされていなくて嘘ばかりつかれていたのは今も変わりません。
    今日現総理大臣が総裁選不出馬を明らかにしました。それもコロナ対策に専任(!)するからとか。(専念の言い間違いと思われます)
    コロナ対策も去年のアベノマスクから始まり頓珍漢なことばかりで現政権には何も期待できないです。ガメさんの書かれた「言い換え」で、騙されてしまう人も多いのでしょうね。テレビをはじめマスコミも洗脳の一端を担っています。日本が復活するには教育も大事なのにその分野も教育委員会が政府みたいなので期待できなくて、、、どうしたらこの悪循環から抜け出せるのかわかりません。

  6. アフガニスタンから邦人一名を救出!!のニュースを見たときには心底ズッコケました。
    が、それで終了していてはダメだと伊勢崎賢治さんでしたか仰ってますね。日本関係の警護やらに携わっていた(日本人がお世話になっていた)現地人にも日本への渡航を許可する「命のビザ」をガンガン発給せよと。それがあれば隣国への脱出が容易になるからと。外務省はやってるのかしら・・・

  7. 「言い換え」は本当に根の深い問題だと思います。
    自分自身、ある業界では常識になっている言い換えを知らずに、のこのこでかけていって、全てが終わって事情を悟ったとき、だまされた!ととてもショックを受けたことがあります。ちゃんとしているはずの人たちが共謀して素知らぬ顔してみんなで嘘をついているかのような印象でした。
    そのとき、いろんな歴史問題の根っこは全部これなんだろう、と理屈抜きに納得してしまいました。日本人は嘘つきで信用ならない、と思われても仕方がない気がします。個々人が嘘つきというよりも社会全体が連携するようにしてしれっと嘘をついているように見えるので、より不気味な怖さみたいなものがあるのではないでしょうか。
    根が深いと思うのは、もっと規模の小さい、会社とか職場とかの単位で、無数に言い換えや本来の意味からずれた運用をしている言葉がいっぱいあって、しかも多くの人がその意味のズレに無感覚になっているように思えることです。そして、その方言の適用範囲外から来たような立場の人が知らずにばかを見ることになります。
    その言葉の使い方はおかしいのではないか、と言うことができる権利はその人の社会的立場による、というような社会なので、その人が立場の低い人である場合、むしろ騙された側が「常識」を知らない困った人扱いされることすらありえます。何が正しくて何が正しくないのか、よくわからないような気持ちになる社会です。

    アフガニスタンのニュースはなんだか怖くてあまり読めません。逃げ遅れた現地スタッフの人たちの絶望的な恐怖を思うと。。タリバンは一軒一軒回って探しているみたいなんですが、日本はそういう人たちを助けようとしてあげているのかどうか。。。

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